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《祈り》

ピエールが亡くなった話は、一晩でアルヴァニエのスキャンダルな常識になった。


サン・デュボア病院の医者は、患者を放り出す血も涙もない所だ。


その上、仕方なく他で治療を受けた患者を連れ戻した上、腹を裂いて死なせたと。


誹謗中傷に嵐で、ルネは、しばらく寝込んでしまった。

仕方がないことだ。


エミールも若いが、ルネはそれより更に若い。

まだ、20歳の若者だ。


全力で命を救おうとした結果が、世間の非難だなんて、やりきれないだろう。


しかも、本来なら避けられる死だったはずなのだから。


エミールは、「ルネは悪くない。行き過ぎた自己批判は体に毒だ。」と、諭したが、ルネが受けたショックは大きすぎた。


しょっちゅう涙ぐみ、全く仕事に手がつかない有様だった。


エミールは、病院を一時休業とし、アルマンにデュボア邸でルネの様子を見させた。

エミール自身も、ルネを慰めようとした。


しかし、どうもうまくいかない。


気分が落ち着くようにとカモミールを淹れても、どう渡して良いか分からずにルネの部屋の前で立ち尽くした。


見かねたアルマンが促して、やっと部屋をノックをして声をかけたが、返事がなく今度はエミールが落ち込むという事を繰り返していた。


病院が休業してから、1週間後。


夜中に、激しく病院のドアを叩く人物がいた。


シモン・デュラン、20日ほど前に父親になったばかりの人物だ。


ギョームが驚いて飛び出してくる。


「一体、何の騒ぎ!」

「子どもの様子がおかしいんです。すぐに来て下さい。」


シモンは、ギョームの腕を掴むと、外へ連れ出そうとする。


「待ってください!僕は医者じゃない!ルネ先生は療養中です。」


それを聞いたシモンの顔から血の気が引く。

それを見て、ギョームはただ事じゃないと感じた。


「待ってて、先生にすぐ来るように伝えるから。」


ギョームは、デュボア邸に繋がる秘密のベルを思いっきり鳴らした。


「旦那様、病院からのベルがなっています。」

「激しいのか?」

「はい」


ギョームは、ベルの鳴らし方を勝手に調整するようになっていた。

ゆっくりで良い要件は、間隔を空けて2回鳴らす。

どうでも良い要件は1回だけ。

急ぎは、とにかくたくさん。


きっと、何かよからぬ事があったのだろう。


ルネの部屋にチラリと視線を向けるが、何も言わずに、エミールは病院へ向かった。


シモンは、市中の噂通り、中性的で若い“ルネ・フォルティエ先生”を見て少し躊躇したが、他にどうしようもない。


無料で診てくれる医者はこの人だけ。


「こちらです。」


シモンの家は木造の家…、小屋と言った方がいいかもしれない、だった。


そこには、テーブルに自分たちの服を敷き、ベッドがわりにして我が子を気遣う母親がいた。


一目見て、エミールは目を伏せた。

その子は、先天性疾患を疑わせる、特徴的な顔立ちをしていたからだ。


両親は、その一瞬で、悟ってしまった。父親は肩を落として、母親は震える唇を噛んだ。


「助からないのですか?」


父親の声には、絶望とそれでも何かに縋りたい思いが滲む。

エミールは家の中に入ると、再度、その子の特徴を確認したが、やはり結論は変わらなかった。


「難しいでしょう。今日を乗り越えたとしても、一か月はもちません。元々、生まれてから1週間生きられれば良いくらいの病です。」

「この子は、20日ほど前に生まれた子なんです…。」


母親が、涙交じりに告げる。


「この病にしては、とても長生きです。ご両親の愛情のおかげでしょう。20日“も”生き延びているのですから。」


虚しさと無力感が部屋に漂う。


「呼吸が浅くて、体も冷たい。今日明日が山になるかもしれません。どうしますか?慣れ親しんだここで過ごしますか?病院を開けさせましょうか?」


母親が、下を向いて震えながら首を振った。


「いいえ、ここが良いわ。だって、ここがこの子の家だもの。」


エミールは小さく頷く。


「ギョーム。一旦病院に戻って、赤子用のクッションを持ってきてくれ。あと、やわらかい布を多めに。」


それから、長いようで短い、一晩が始まった。

少しして、シモンが妻に声をかける。


「マリー、神父様を呼んでくるよ。」


マリーが小さく頷く。


シモンは、教会へ全力で駆けた。

それが、彼にできる数少ない事だった。


教会からは、ルカが派遣されてきた。


ルカは一瞬、物言いたげな視線をエミールに向けたが、何も言わなかった。


エミールを除いて、皆、神に祈った。


エミールは、ただ見つめていた。

祈りの言葉など、どうでも良かった。


「マリー、乳は出ますか?出なくても構いません。」


赤い目がエミールを見つめる。


「少しなら出るわ。」

「少し頂けませんか?ほんの少し、唇を濡らす程度で良いんです。」


マリーは後ろを向くと、乳で湿った布切れを差し出す。

手慣れた様子を見るに、乳首を咥えられない赤子に、これまでもこうして乳を飲ませていたのだろう。


エミールは赤子の唇を湿らせる。


「ご両親がやられますか?近くに、ご両親がいるとわかった方が、子どもは安心します。」


エミールには、この行為に、何ら医学的意味が無いことはわかっていた。


これは、2人のための行為だ。

赤子が息をする間、両親は赤子のために、与えうる限りの愛を注ぐ。


そして、赤子もまた、両親のために、最後の別れをする時間を贈っている。


赤子にできる最初で最後の親孝行だ。


「なんというお名前ですか?」


シモンが答える。


「アンヌです。俺がつけた…。」


皆、涙を浮かべていた。

ルカもエミールも含め、皆で代わるがわる赤子を抱いた。


話しかけ、子守唄を歌った。

明け方、気温が下がる頃。


夏にしては肌寒い夜明け前、2人のアンヌは旅立った。


母親はアンヌの頭にキスを落とし、父親は母親ごと我が子を抱いた。


言葉は、余計に感じられた。


彼らは、ルカの計らいで、教会内の墓地の端に埋葬することになった。


空は朝焼けで明るく、起き出してきた鳥たちが互いに鳴きあっている。


3人を教会まで見送ると、エミールは3人と分かれた。

別れ際、エミールは「寒い夜は死神も同じだな。」とつぶやいた。


それは、風に乗って、小さくルカの耳に届く。

振り向くと、エミールが朝日を見つめている姿が目に入った。


それは、諦めているようで、何かに縋ろうとしているようにも見えた。


エミールが、視線を感じて、ルカの方を見る。


2人の視線が交わった時、エミールの顔は、いつもの、自信あふれる領主の顔に戻っていた。


「この世で出来ない事はない。出来ないとしたら、「まだ」という注釈をつけるべきだ。」いつかの“お茶会”で、エミールはそう豪語した。


笑ってしまうほど、傲慢な姿が、朝日の中に浮かび上がった。

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