《救済》
数日後、ルカは教会の炊き出しに、エミールの来訪を願った。
正直なところ、乞食との諍いがあってから、エミールの気分は塞いでおり、外に出たいような気分ではなかった。
しかし、教会からの依頼を領主が無下にするわけにもいかない。
ましてや、今、断ろうものなら、先日のいざこざをエミールが気にしているように見えてしまうではないか!
乞食のガキが、傲慢な領主の鼻をポッキリ折ったと!
こんな不名誉な事があってたまるか。
エミールは渋々、訪問着を身につけると、わざわざ4頭立ての馬車で教会に乗りつけた。
…徒歩10分の距離にも関わらず。
歩くたび、エミールの豪華な訪問着に縫い付けられた宝石がカチャカチャと音を立てた。
ミサを終え、礼拝堂でエミールを出迎えた司教や助祭達は閉口した。
「神の家に贅沢三昧の馬車で乗り付けるなんて、何様のつもりだ?しかもあの服…、ご婦人方より酷い。」
誰かがボソッと呟いた。
幸い、この呟きはエミールの耳には入らなかった。
眉根を寄せたルカが、エミールに話しかける。
「デュボア子爵。なぜこのような大掛かりの馬車でお越しになったのですか?」
「気安く話しかけるな、という意味だ。」
司教や助祭の顔が一斉に曇った。
エミールとしては、民と近くなりすぎる事に危機感を覚えていたのだ。
距離が縮まり、民が領主に「わかってくれるはず」だと幻想を抱けば抱くほど、それが叶わなかった時、裏切られたという感情も強まるのだから。
アルヴァニエは小さい町だ。
エミール自身の安全のためにも、民と領主の境界線は明確でなければならない。
…もちろん、先日、領主として情けない姿を見せてしまった反動で威厳を出そうと背伸びをしている部分も大いにあるのだが。
しかし、その思考過程をすっ飛ばし、結論だけを言われた側としては、戸惑うのも当然だ。
「…お声がけしない方が良かったのでしょうか?」
なぜかご機嫌斜めのエミールに、ルカは首を傾げる。
エミールは傲慢ではあるが、開口一番、黙れと言うようなタイプには思えなかったからだ。
「なぜだ?」
質問の意味がわからず、エミールは苛立ち始める。
馬車の意味を答えただけなのに、何でルカが拗ねるんだ?
双方の誤解は埋まらない。
重い空気を変えようと、ルカは話題を変えた。
「炊き出しの準備はシスター達がしてくれます。よろしければ、教会の周りを視察に行かれては?」
「…そうだな。」
その一言が放たれた瞬間、司教や助祭が1人、また1人とそっとその場から気配を消して離れ始めた。
ルカの提案にエミールが乗った以上、あとはルカが何とかするはずだ。
そうでなければ困る、というのが彼らの胸の内だ。
「そのままのお召し物では目立ちます。助祭の服をお貸ししましょう。」
ド・モンフォール司教が口を開いた。
エミールは内心で舌打ちをした。
本来であれば、真っ先に挨拶をしなくてはならなかった相手だ。
ルカに気を取られて忘れていた。
何もかもルカのせいだ。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません、ド・モンフォール司教。ご厚意に感謝します。」
「では、ルカ神父。子爵を案内して差し上げるように。」
そう言うと、ド・モンフォール司教は数人の司祭を残して去っていった。
ルカとエミールが互いに顔を見合わせる。
「ふんっ」
エミールが鼻を鳴らした。
…面倒な奴らにまとわりつかれても困る。
「…はぁ。」
ルカはため息をつくと、最後まで残った、ある意味では義理堅い司祭や助祭達に声をかけた。
「子爵は私が案内します。兄弟達はシスター達の手伝いでもして差し上げてください。心配は無用です。」
人々が去ると、ルカはエミールを礼拝堂の控室に連れて行くと、助祭用の司祭服をエミールに渡した。
きっちりと折り畳まれた服は、質素ながらも清潔で品がある。
「これどうやって着るの?」
「お召替えの手伝いを致しましょう。上衣を脱いでもらえますか?」
10分後もエミールは貴族の上衣と格闘していた。
豪華な衣装は爺やに着せてもらっているため、自分では脱ぎ方がわからない。
「あっ…」
ビリッという音と共に、結び紐が1つダメになった。
「クソッ!」
エミールは毒づく。
「手伝ってもよろしいですか?」
「…わかった。」
何という屈辱だろう。
顔から火が噴き出るようだ。
お洋服のお着替えが出来ません、なんて!
もちろん、エミールだって、晴れ着の中には1人で着れないものがあることぐらい知っている。
でも、これは違うはずだ。
1人で着脱出来ない服は寄越すなと、爺やには口を酸っぱくして言いつけてあるのだから。
ルカの指先が、そっとエミールのリボンを解き、上衣を脱がせると、司祭服で覆っていく。
なんとも言われぬ罪悪感がルカの胸をよぎる。
真っ赤な首筋、ルカの指先から逃げるように微かに捩る体、決して上を見ようとしない長いまつげ…。
美辞麗句は彼のためにあるようだ。
彼が女だったなら、求婚者が後を絶たなかった事だろう。
「さっさとすませろ。」
膨れっ面すら、美しいと思う。
憎まれ口すら、小鳥のさえずりのようだ。
ルカは胸のざわつきを押し殺すと、襟元まできっちりと司祭服で覆った。
「…まあまあだな。」
エミールは鏡の前に立つと、憮然とした表情で呟く。
「さっさと行くぞ。」
エミールのぶっきらぼうな言い草に、ルカは我に返った。
領主様相手に、何を馬鹿な事を考えていたのだろう。
数日前に見た町で見かけた異教徒の土と水の精霊の絵に、あまりにも彼が似ていたせいだ。
神を否定する身でありながら、神のような清らかさすら湛える姿。
ルカは一度だけ目をキツくつぶった。
神に使える身でそのような事を考えるべきではない。
きっと、疲れが溜まっていたのだ。
そうに決まっている。
2人は外に出ると、教会の周りを散策した。
カンカン、と忙しない金属音が響く。
そろそろ炊き出しが始まるのだろう。
教会の裏手には、獣の匂いをした野良犬よりちょっとだけ小綺麗な人々が集まっている。
エミールはそっと鼻と口を隠した。
「神父様、どうか、オレの子のために祈ってくだせぇ。少し前からぐったりしてるんでさぁ。」
「神父様、どうかアタイにも祈っとくれよ。隣町にいる妹の行方がわからねぇんだ。」
「ええ、皆で祈りましょう。あなたの子に神のお導きがありますように。神があなた方の再会をお許しになりますように。」
ルカは貧民に声をかけられる度、足を止めて祈りを捧げる。
「ルカ、炊き出しの時間だよ。さっさと教会に戻ろう。どうせ、祈ったところで腹はいっぱいにならないんだから。」
ルカはエミールのぼやきを無視すると、目の前の人への祈りを終えた。
「エミール、炊き出しのためではなく、神への祈りのために私を待つ彼らの姿を、あるがままに見てくれませんか。腹だけ満たされれば良いという事ではないんだ。」
「何それ、僕に説教する気?」
ルカは、再度、エミールのぼやきを無視すると、貧民達への祈りを再開する。
何人もの小汚い人々が、ルカの前に来ては、時に涙を流し、時に自分に言い聞かせるように頷いて、時に無理に作った微笑みと共に去って行く。
「やってられない、カルトだな、こりゃ。」
とっくにこの儀式に飽きたエミールは、壁に寄りかかりながら、彼らを見つめる。
霞を食っては生きていけない。祈ったって何の役にも立ちはしない。
エミールは空を見上げた。
どこまでも青い空は、生命の母たる海を思わせる。
「何か得るものがあったら良いんですか。」
貧民達への祈りを終えたルカが、エミールに声をかけた。
「信じるものが救われる、それが宗教って事だろ。」
「私が貴方をここへ連れてきたのは、貴方に希望を見て欲しかったからです。貴方は嫌がるでしょうが、私の祈りは彼らの希望でもあるのです。」
「まるで麻薬だな。現実の問題から目を逸らし、束の間の安らぎを得るという点では。」
エミールの言葉が、いつになく刺々しいものになる。
「エミール、貴方はアルヴァニエの領主です。領主である以上、民には希望を与えるべきです。束の間の安らぎであっても、ないよりは良いのです。」
エミールは、ため息をつくと、もう一度、空を見上げた。
貧民達が浮べていたのと同じ、嘆くようなそれでも何かに縋ろうとするような顔をして。
ルカが続ける。
「魂の救済は神にしか出来ません。ですが、神に縋る事は人間にしか出来ないのです。それこそが動物と人を分ける理性なのです。」
「理性ってのはな、ただ考える事を言うんだよ。白痴にも赤子にも動物にも出来る。彼らの考えが支離滅裂に見えるのは、彼らが生きる世界を知らないからにすぎないんだよ。」
2人の間に沈黙が流れる。
「エミール、貴方は神を信じてないのですか?」
エミールはため息をついた。
エミールにとっては理解し難い世界観でも、多くの人間がこの世界観の中で生きている事実は変わらない。
神なんかに縋らなくても良い世界を、エミールは作れていない。
救いが用意されていない世界で、救いを求める事に何の罪がある。
全ては領主たるエミールの至らなさが招いた事だ。
郷に入っては郷に従え。
「…信じていますよ、神父様。さっさと神様のお導きのもと、炊き出しに行って飯を食おう。」
そう言って、エミールは教会を目指して歩き出した。
その後ろ姿が、群れから逸れた迷える子羊に、ルカには見えた。




