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地球号ナッジ

作者: 稀Jr.
掲載日:2025/12/15

 輸送船テラ・ナッジでは、宇宙船内の清掃活動が慢性的に遅れていた。

 どれだけ遅れているかというと、廊下にはゴミ箱が無かった。

 輸送船とはいえ、100 名以上の乗務員が乗っている。宇宙の航海は半年以上かかるため、船内には乗務員用の施設が整っている。いわゆる、居住区画、食堂、娯楽室、運動施設、医務室などがある。廊下には歓楽街を模したものも備え付けられている。

 それぞれのサービスには、人間ではなくロボットが配置されている。最近では人間が人間に対してサービスを行うとトラブルが多くなることが分かったので、最近ではサービス係はロボット、輸送船自体を操作するの労力は人間が行うことになっている。つまり、乗務員のすべては輸送船を安全に動作させることを目的として乗っている。その他のサービスはすべてロボットが行う。


 が、何故か清掃だけはロボットが行っていなかった。

 なぜならば、船内の廊下にはゴミ箱が無かったのだ。

 各部屋にはダストシュートとしてゴミ箱相当のものはあるのだが、各部屋は個室である。わざわざ、自分の個室までゴミを持って行って捨てなければいけない不便さがあった。誰が設計をしたのか! 怒りたくなる気持ちもわからなくもないが、通路にはゴミ箱がないのだ。


「なあ、船長、なんで、廊下にゴミ箱が無いんだ?」

「それはな、以前テロ対策があってだな。ゴミ箱に異物が捨てられていたことがあるんだ。爆弾とかあると危ないだろう?」

「でもさあ、この船内に爆弾を持ち込む奴なんかいいだろう?」

「そうかもしれんな。なんか、テロ対策でゴミ箱を無くしたときに、ゴミを収集する手間が省けてよかった、という政府の意向があったんだよ。じゃあ、経費削減で、ゴミ箱をなくしてちまおうといのが習慣化したんだ」

「経費削減か、まあ、確かになゴミ箱があるとそれを片付けなくちゃいけないからな。でも、ゴミがあった場合はどうするんだ? 観光地の買い食いとかあるだろう?」

「そうなんだよ。廊下には飲み物の自動販売機とかスナック菓子を買うことができるんだけど、それを捨てる場所がないんだよな。売るほうに目的が絞ってあって、それを回収する方は忘れてしまったというわけだ」

「じゃあ、仕方がない。廊下の隅にゴミを捨てるしかないな」

「おっと、そういう訳にはいかないぞ。船内条例の第5条に『廊下にゴミを捨ててはいけない』とあるからな。捨てると罰金だ」

「罰金? どのくらいなんだ?」

「1回につき給与の半分ぐらいだな。月収が半分になると結構痛いぞ」

「それは痛いな。そうなると、捨てる奴はいなさそうだな。ああ、それで廊下が綺麗なのか。結構な人数が乗船している筈なのに綺麗なのはどうかと思っていたんだが...」

「そういうことだ。しかし、廊下で買い食いができるのに、ゴミは私室まで持って行かないといけないのは不便だな」

「それな...」


 という訳で、宇宙船テラ・ナッジでは、船内の清掃活動が慢性的に遅れていた...というか、無かった。共有部分のゴミ箱は一切取り払われているので、清掃活動という概念自体がないのだ。


 じゃあ、ためしに通路にゴミ箱を置いてみようということになった。

 ゴミ箱の改修は、ロボット...にやらせるわけにはいかないので、人間が行うことになる。聞くところによると、乗船しているロボットは契約上の縛りがあって最初の契約以上の仕事をすることができない。不便といえば不便だが、まあ、仕方がない。そういう意味では人間のほうが柔軟に環境に対応できるのだ。

「でもさあ、この船内に爆弾を持ち込む奴なんかいないだろう?」

「船長、だめだな。ゴミ箱があってゴミを捨てても罰金が掛からないのはいいけれど、ゴミ箱が溢れがちになる。いや、正確に言うとゴミ箱の上にゴミが山積みになっているな」

「ああ、ゴミ箱から落ちると罰金になってしまうから、微妙に積んでいるんだな。まるでジェンガのようだ」

「でも、ゴミ箱から落ちたゴミなんって、誰のゴミなのかわからないから、罰金にできないだろう? 大丈夫じゃないか?」

「いやいや、そこは罰金の制度のほうが上なんだよ。捨てられたゴミから DNA 判定をしてだな。捨てたものを特定する。さらに言えば、廊下には監視カメラがあるから特定は可能なんだ」

「ああ、監視カメラか。そこまでコストを掛けるのならば、清掃ロボットでも入れて欲しいものなんだけどな」

「まあ、そこは契約上の問題なんだろう。ゴミ箱があるのは便利だが回収するのが問題だ。いっそのこと、気付いた人が回収するのはだめか?」

「いやいや、それは無理でしょう。結局、気付いた人が損することになるから、だれも気付かないとうオチになる。気づいたって、気付かない振りをすれば ok なわけだ」

「じゃあ、ポイント制にするのはどうだ? ゴミ箱を自主的に回収したらポイントが付くというのは?」

「ポイント制か。でも、そのポイントの原資は誰が出すんだ?」

「そうだな、ゴミを捨てるのに対して 1 ポイント使うってのはどうだ? ゴミ箱は 100 個ぐらいで溜まるとして、回収してくれた人には 100 ポイントを与える。そうすれば、ゴミを捨てる人と回収する人のバランスが取れるんじゃないか? 1回ゴミを回収すれば 100 回ゴミが捨てられるわけだ」


 ゴミ捨てポイントの制度が始まった。最初のうちは、ゴミ捨てをする者もいて、ゴミ箱を回収する者もいたのだが、徐々にゴミ箱の回収が滞るようになった。

 100 ポイント稼ぎたいためにゴミ箱を回収するよりも、1 ポイントでゴミを捨てるほうが楽だからだ。計算でいけば、100人の乗務員が1日1回ゴミを捨てれば、誰かが1日1回ゴミ箱を回収しなければいけない。計算上はそうなるのだが、船内を歩いている限り1日1回だけという訳にはいかない。次第にいままで通りのゴミ箱にゴミが山積みになるようになり、回収する者もいなくなってしまったのだ。


「船長、だめだな。ゴミ箱のポイント制はだめだ。結局、ゴミ箱が山積みになってしまう」

「ああ、そうか。ポイント制は結局、人間の合理的行動を前提にしたものだからな。人間は合理的行動をするとは限らない。合理的行動をしないからこそ、一方で行動経済学というものがあるんだ」

「じゃあ、どうすればいいんだ?」

「ナッジ、という考え方がある。行動経済学の一つの考え方なんだが、人間は合理的行動をするとは限らない。だから、ちょっとした誘導をすることで、人間の行動を変えることができる、という考え方だ」

「ナッジ? それは何だ?」

「ナッジ、つまり、そっと背中を押すことだ。例えば、廊下の床に微細な発光ラインを投影し、ゴミ箱へ向かうように人を誘導する。別に罰則があるわけじゃないんだ。なんとなく、そういう気分にさせればいい。そうすれば、無意識のうちにゴミ箱に向かうようになる」

「たとえば?」

「ほら、道端の電柱の下に鳥居が書かれているあるやつだあるだろう? あれがそうだ。鳥居があると、そこにゴミを捨てたくなくなる。別に神罰とかがあるわけじゃない。具体的に罰則があるわけじゃない。けれども、なんとなく嫌だなぁとか、逆にそれでもいいかなぁ、とか思わせて誘導するのが行動経済学だ」

「へえ、そうなんだ」

「そう。むしろ、金銭が掛かってしまう罰則や報酬よりも効果的な場合がある」

「そうなると、廊下に鳥居を置けばいいのかな?」

「いや、ここの乗務員は日本人ばかりとはいえないから、鳥居は効果が薄いかもしれない。もっと普遍的なナッジを考えたほうがいい」


 廊下にゴミを落とさないためには、ナッジを使ってみよう、ということになった。


・廊下に模様を書いてゴミ箱に誘導する → いや、ゴミ箱がいっぱいになるのが問題なので、これにはあてはまらない。そもそも、ゴミを落とすと監視カメラで罰金になるので、ゴミを落とす者はいない。

・「ゴミはここで休憩できません、ゴミ箱へどうぞ」とメッセージを出す → いや、いまさら擬人化というわけでもない。むしろ、ゴミ箱を拉致して連れ去って欲しい。

・「感謝してます。みんなきれいにつかっています」 → 先に感謝を述べるが、これを無視してしまう場合も多い。


 そもそも、ゴミ箱があって、それが消えてなくなればいいのだ。

 そう、ゴミが出なければ、ゴミ箱は必要ないのだ。

 船長たちは、最後にシンプルな「ナッジの束」を導入することにした。

 ルールや罰金ではなく、ほんの少しだけ選好を、いや廊下を歪める方法だ。


 スナック菓子の自動販売機の近くには、小型のブラックホールを置くことにした。小型ブラックホールは、微細な重力を発生させることができる。スナック菓子を買うときに、微細な重力が働いて、自然とゴミ箱のほうに向かうようになる。人間は、ゴミをちょっとだけ押してやればいい。すべてはブラックホールが吸い込んでくれる。これこそ、ちょっとだけ背中を押すナッジの使い方だ。


【完】


「実践行動経済学」リチャードセーラー他 日経BP社


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