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右腕の判子注射 ―呪われたヒト―  作者: 結川 翔己
第三章

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第十一話 最後の誕生日

『はは、柳瀬が泣いてるの初めて見たかも……。でもさ、ほら、どうせなら笑顔で送り出してほしいなーなんて。ワガママかな』

「……」


***


【 右腕の判子注射 ―呪われたヒト― 】


***


瀧田が裏切り者だった。朝食後、部屋に戻ってのんびりしていたあたしを呼び出した柊からその言葉を聞いたとき、真っ先に思い浮かんだのは瀧田ではなく柳瀬の顔だった。あの日、あたしと瀧田に言った柳瀬の宣言がよぎった。

『……この中に内通者がいた場合、だれであっても、どんな理由があっても、ソイツは俺が殺す』

「ちょ、っと……それ、柳瀬にはもう言ったの」

「言ったよ、もう凪沙と一緒にいるはずだ」

「止めないと……止めないとアイツ、瀧田のこと殺すつもりよ……早く止めないと!」

「うん、知ってる。凪沙に聞いたよ。颯真が言ったんだってね、裏切り者は殺すって」

柊は特に慌てる様子もなく淡々とそう言った。柳瀬が絡む非常事態では想像できないほど落ち着いていた。なぜなのか、あたしには分からなかった。殺される対象が瀧田だから?それともこの人は瀧田を殺すことに賛成なの?アンタの大切な教え子のひとりが、いちばん大切にしている甥っ子の手で殺されるかもしれないこの状況で、どうしてそんなに落ち着いていられるの。所詮他人、ただの同い年であるあたしでさえ、こんなにも気が気でないのに。

「なら……なんで言ったの」

「うんまぁ、……凪沙があまりにもまっすぐな目で言うものでね」


***


「凪沙、ちょっといいかい」

「あ、先生おはよ。どうしたの?」

その日の早朝、日が昇る前から凪沙の部屋の前で息を潜めていた僕は、凪沙が起きた様子を察知するとすぐにそのドアを開けた。

「起き抜けに悪いね」

「ううん、俺は大丈夫だよ。着替えてくる?」

「凪沙がいいならここでいいよ」

「俺は大丈夫だけど……」

ベッドに座っていた凪沙と、その目の前に立つ僕。凪沙は立とうとしていたけれど、そのまま座っていなさいと僕がその動きを抑えた。

「そう、じゃあ単刀直入に。凪沙、このふたりを知っているかい?」

「え……?」

凪沙に見せたのは、昨日逮捕された刺激薬を製作していた犯人グループの首謀者と、その側近の顔写真。凪沙はその写真を見ると動きが止まった。動揺しているのだろう、瞳孔は細かく震えている。瞬きの回数も増えた。

「えと……」

「正直に言ってほしい。知っているならそう言って」

「……うん、知ってる」

すごく悲しそうな表情とともに、視線が下がる。

「先生、そのふたりの写真、どうして持ってるの?」

その視線のまま、僕に目を合わせようともせず凪沙が言った。

「昨日逮捕されたんだよ。呪人に与えれば確実に祟人になる刺激薬を制作したらしい。怖いもんだよね」

「そっか……うん、怖いね」

「こっちのね、その犯人グループの首謀者のほう。こっちが言ったんだ、施設にいる呪人の中にも共犯者がいるって。そして関東本部内での唯一の協力者に、凪沙の名前を出した」

「……そうなんだ」

「どう?僕的には、やってないって否定してほしいんだけどさ」

「うん……ごめん先生、いつもなら全力で応えてたけど、今回はそうもいかないや。ごめんね。俺、やったよ」

凪沙は吹っ切れたようにこちらを向いて言った。まっすぐな瞳が僕を捉える。

「ごめんなさい」

スッと立ち上がり、深く頭を下げる。僕がなにも言わないうちに頭を上げた凪沙は、そのまま僕の目を再び見て言った。

「先生、最後のワガママ言ってもいい?」

「……とりあえず聞こうか」

「対処用のナイフを貸してほしい」

「現場は入ってないはずだけど」

「うん。俺、柳瀬に殺される予定があるの」

「颯真に」

凪沙の口から颯真の名前が出てきたのには驚いた。今はまったく関係ないはずだ。なぜ颯真の名前を出したのだろう。

「先生は知らないと思うんだけどね、柳瀬、先生が医務室でうなだれてるところ、見ちゃったらしいんだ」

それは、僕が僕の先生、つまり施設長である御影先生が、僕の生徒の中に内通者の存在を疑ったあの日のことだった。

「それで?」

「それで、その次の日に俺たちに言った。この中に裏切り者がいた場合、だれであっても、どんな理由があっても俺が殺すって」

「……そう」

颯真に余計なことを言わせてしまったと、医務室で項垂れていた過去の自分を殴りたくなった。颯真が内通者の存在を知らなければ、凪沙が今と変わらず内通者であったとしても殺す必要はなかったのに。

「だからさ、貸してほしい。俺からの最後のワガママ。ね、聞いてくれる?」

静かに笑う凪沙。その目には少し膜が張っているように見えた。

「分かったよ。でも殺すか殺さないかは颯真に任せるからね。凪沙から殺してくれと頼むのはナシだ」

「うん、了解」

僕はそのあと、凪沙に実習室に行くよう伝えた。そして僕は颯真と梛桜にこの事実を伝えるために食堂に向かった。


***


胸にナイフが飲み込まれたあと、力なく瀧田が倒れ込んだ。それと同じように柳瀬も倒れ込み、瀧田の上に馬乗りの状態になる。柳瀬も瀧田も、足に力が入らないのだろう。特に柳瀬は、倒れ込んだあとしばらく瀧田の胸に顔をうずめていた。少しして顔を上げた柳瀬の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていて、瀧田は焦点の合わない視線を柳瀬の顔に合わせた。

瀧田は自身の胸に手を当て、その手を眺めた。血で真っ赤に染められた手は小刻みに震えている。

「わ……すごい……」

瀧田はそう言うと、泣いている柳瀬の顔に手を添えた。瀧田の血が柳瀬の頬にベッタリとつく。

「柳瀬、泣かないでよ」

柳瀬はその言葉にまた涙が出る。溢れた涙は瀧田の顔に落ちる。

「はは、柳瀬が泣いてるの初めて見たかも……。でもさ、ほら、どうせなら笑顔で送り出してほしいなーなんて。ワガママかな」

静かに笑った瀧田は言った。また目の焦点が合わなくなってくる。

「柳瀬、前にも言ったけど、俺と一緒にいてくれて、ありがとう。七森もありがとう。先生も。……みんなごめんね。今までありがとう」

静かに目を閉じながらそう言ったその直後、瀧田の腕の力が抜けた。ドン、と鈍い音が実習室に響いた。柳瀬は瀧田のその様子に息が上がっていく。瀧田が死んだことを、柳瀬がいちばんに感じた。

「午前七時四十分、死亡確認ね」

動かなくなった瀧田から柳瀬を引き剥がした柊が、瀧田の首元に触れて言った。抵抗もなく柊に引き剥がされた柳瀬の顔は、すでにヒドくやつれていた。

「さて、安置所に行こうか。梛桜も来なさい」

「……えぇ」


***


第十一話【 最後の誕生日 】


***


あたしはもちろん、十年来の仲である瀧田でさえ見たことのなかった柳瀬の涙。瀧田は柳瀬にとって、それだけ大切な人間だったということが分かった。

「颯真が絶対に殺さなければいけない相手以外を殺したのは、加瀬颯志のイレギュラーを除けば今回が初めてなんじゃないかな」

瀧田の遺体を安置所に保管し、体の力が入らない柳瀬を部屋まで送り届け、あたしとふたりで静かに廊下を歩いていたとき柊は言った。その言葉に、少し違和感を覚えた。

「桧山先生は」

桧山先生は、あたしたちの担任になる予定の先生だった。それよりも前に祟人になって対処され、現在の担任は桧山先生に代わって柊が受け持っている。

「あぁ、彼は実験的に殺しただけだ」

「実験的って……」

「今回の颯真の件とは関係のない話だけどね、祟人はいずれもそういう対象となる。呪人や、呪人に関わったことのある眼人からすればそうではなくても、一般人からすれば、もとがどんな呪人であれ祟人は祟人だ。分かるよね」

「……」

現実を突きつけられ、言葉が返せなくなる。瀧田もきっと、一般人には単に最悪な人間、いや、人外であると認識されるのだろう。

「颯真、泣いてたね」

「え?」

「どんなに特訓が厳しくても現場でボロボロになっても一度も泣いたことのない颯真が、自分の心臓にナイフを刺されているわけでもないのに泣いていた。颯真が感情的に涙を流すなんて美代が殺されて以来のことだよ」

「……ミヨって、柳瀬のお姉さんのこと」

「そ。あれ以来颯真が感情に沿って涙を流す姿は見たことがない」

人は壊れるとき、ガタガタと立派な音を立てる。それをその日から、目の前で感じることになった。瀧田を殺してから、柳瀬は恐ろしいほど綺麗に落ちぶれていった。乱れる生活習慣。消えないクマに荒れた肌。体は日に日に痩せ細っていく。だれから教わったのか、止まらないたばこにひとりで現場に出るたびに増えるピアス。自らを傷付けることはなんとも思っていないように感じた。


***


「……」

「おーすごいじゃん、飛べるね」

「アンタはともかく、なんであたしまで飛べるのよ……」

「凪沙がふたりに遺して逝ったんだ。まったく、死んでも仲間想いなんて泣けちゃうね」

「うるさいわよ」

瀧田が遺していった風の力で、俺たちはそれぞれの属性の中で唯一、風属性の力を借りなくても空を飛ぶことのできる呪人になった。そうなれば、現場で風属性の呪人の力を借りなくて済む。七森は事件が落ち着いたあとに行われた実力テストでランクがふたつも上がったため、それぞれがひとりで現場に配属されることが増えた。でも、現場に行くたびに与えられた力によって瀧田のことを思い出す。もちろん、その思い出は現場だけでは留まらない。むしろ、施設での生活に瀧田との思い出が絡んで思い出される。

「はぁ……ツラい……」

思い出したくないがために、現場のとき以外は部屋に籠っていた。風呂もトイレも必要最低限。食事なんてもってのほかだった。もう、食べ物を噛むことすら面倒だった。

そして、瀧田の死からちょうど二ヶ月が経ったある日のことだった。

「ではナイフ、頂戴しますね」

その日の現場後、眞部さんへの現場報告を済ませた俺は、そう言われていた。目の前には俺に差し出された手がある。

「あ……すみません……少し気になることがあったので先生に確認してからお返しします」

「そうですか、かしこまりました。ゆっくりお休みくださいね」

日に日に濃くなっていく目の下のクマに目をやった眞部さんは、心配そうな顔をして俺に言った。その言葉に一礼して事務室を出る。先生への現場報告も済ませたら、部屋に戻った。軽くシャワーを浴びて体をスッキリさせる。

瀧田はだれがどう見ても善人だった。そんな瀧田は、俺がナイフを突きつけたことによってあっけなく死んだ。ああ、呪人というのはこんなにも簡単に死ぬのか。混乱が止まらない頭の中でハッキリとそう思ったことをよく覚えている。

「はぁ……もういいだろ」


***


「颯真、颯真!颯真起きて!颯真!!」

いつも余裕ぶる柊のそんな叫び声が響く。ここは柳瀬の部屋だ。柳瀬はその部屋で死んでいた。胸に深くナイフを咥えて倒れていた。

「颯真!おい離せ眞部!颯真!!」

「落ち着いてください柊さん……!」

倒れている柳瀬に飛びかかろうとしている柊の動きを、ナベさんが必死に抑えていた。部屋に静かに入ってきた雪さんは、騒ぐ柊に目もくれず、柳瀬の首元に手を置いた。そして時計をジッと見る。

「午後七時四十分、死亡確認」

柊は、ドンと派手な音を立てて膝から崩れた。

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