第九話 愛とウソと秘密
「倉田は」
「いえ、まだ目が覚めていないようで」
「どこにいる」
「東北支部です。陸路で連れて来るのがいちばん簡単な手ではありますが、時間がかかるので風属性の呪人にお願いしてとりあえず連れて来てもらおうと思っています。ですが、先ほど現場から戻ってきた瀧田くん以外の風属性の呪人は、ほかの現場や怪我などにより動ける状態ではなく……今から瀧田くんにそのお願いをと」
「……僕が行く」
「えっ……ですが柊さん」
「倉田を連れて帰るだけなら僕が行くのがいちばん早い。お前は小児棟の医務室担当にこっちのヘルプ来れるか聞いてこい。あと、念のために瞬と凪沙の体調も聞いておけ。少しでも違和感があったらそれも連絡」
「か、かしこまりました」
***
【 右腕の判子注射 ―呪われたヒト― 】
***
「えっ、俺は大丈夫だけど……」
「僕も大丈夫です。どうかされましたか」
現場終わり。疲れた様子で眠りについた柳瀬を寝かせるために医務室に行った俺は、そこに慌てた様子でやってきた眞部さんに、諸伏くんとともに体調を尋ねられていた。
「実はですね……雪さんが、出張先の東北支部で怪我を負われたようでして……」
「えっ……」
「生死を彷徨うほどの大怪我ではないのですが、だからといって軽傷といえるものでもなく、現在は支部の医務室で治療を受けています。状況は雪さんが戻ってきてからでないと明確には分かりませんが、現在も気を失われているようです。小児棟医務室担当の碓氷さんにもご協力をお願いする予定ですが、治癒能力のあるおふたりへ柊さんからご指名されましたので、どうかそのときはご協力よろしくお願いいたします」
眞部さんはスラスラとそう述べると、深々と頭を下げた。そんな眞部さんに、俺たちは頷く。その直後に医務室の扉が開いた。
「眞部、小児棟のやつは」
そこには雪姉さんを抱える先生がいた。ぐったりと身を委ねる雪姉さんの左腕には深く傷が入り、髪の毛でよく見えなかったけれど顔にも傷があるように見えた。
「はい、現在処置している子どもが落ち着き次第すぐに向かうとのことでした。おふたりの体調も大丈夫そうです」
「そう。瞬、凪沙、悪いね。大変だけど少し手伝って」
「はい」
「了解!」
こうして俺は、現場で初めて治癒能力を使用することになった。
***
第九話【 愛とウソと秘密 】
***
凪沙はともかく、瞬まで治癒現場に出すかは少し迷った。あの子には僕が休みを与えると言ったのに、与えるはずだった一週間の休みはたった一日しか消化していない。でも、凪沙だけをその現場に出すにはまだ心配だった。治癒能力が発揮できないことを心配しているのではない。凪沙自身か治癒能力の酷使によって倒れることがいちばん心配だった。凪沙の治療法は、彼自身にとってあまりよくない。でも、数少ない治癒能力の使い手だ。治癒現場には必要不可欠だった倉田がぶっ倒れた今、凪沙には声をかけるほかなかった。
「次、軽傷者一名。凪沙お願い」
「了解!」
「柊さん。少しずつですが血圧は安定してきました。ただ、まだ目が覚めるような気配はありません。柳瀬さんは先ほど目を覚ましました。体力的には現場に行くことができますがどうしましょう」
「いや、颯真はまだ少し休ませておけ。現場には出さなくていい。今の状況は」
「現在、北海道特設部で一件、東北支部で三件、関東本部で二件、中部支部で一件、近畿支部で一件、中国支部で二件、四国支部で一件、九州支部で二件、鹿児島特設部で一件、全国で計十四件の祟人発生が発見され、現場可能な呪人に対処や処置をお願いしています。いずれもランクはB以上ですので、対処には時間がかかるかと……」
眞部からの現状報告を聞き、凪沙の顔色を盗み見る。口から血が少し出ているけど、まだ顔色は悪くない。
「……お前は引き続き現場の管理。なにかあったらすぐに知らせろ。それと、倉田が目を覚ましたら僕に言うように梛桜に伝えて。颯真はここに連れてきて。凪沙と瞬の監視をさせる。無理をしているようだったらすぐに僕に伝えて。現状いちばん厳しいのはどこ」
「かしこまりました。現在、鹿児島特設部の現場指揮者と連絡が取れていません。支部にも情報が入っていないようです。あまり状況がよくない可能性があります」
「分かった。僕はそっちに向かう。電話くれれば飛んでくるから」
「お願いします。どうか無理をせずに」
「ん、現場に配属されていない呪人と眼人は、施設外に出ないようにしっかり言っておけ。これ以上怪我人が増えたらあの子たちだけじゃ回らなくなる」
「はい、かしこまりました」
***
「休憩ありがとう。瀧田くんも休憩しておいで」
「あ、はーい。じゃあ行ってきます」
初めての治療現場はいつもの現場とはちがう緊張感が漂っていた。
「一歩間違えれば死ぬんだもんな……」
「瀧田」
「あれ、柳瀬?おつかれ」
休憩室に向かう途中、こちらに歩いてきた柳瀬に会った。
「ん、お疲れ。休憩か?」
「うん。柳瀬は?この先、治療現場しかないけど」
「お前と瞬くんの監視しろって。先生が」
「えっ、監視?先生が?あれ、そういえば先生さっきまで現場いたのにいなくなってたな……」
「鹿児島特設部に行ったらしい。対処現場だ」
「そっか。柳瀬も休憩室行く?」
「いや、いい。先に治療現場に行く。しっかり休んで来いよ」
「分かった。じゃあね」
「ん」
柳瀬と別れて休憩室に向かう。休憩室にはだれもいなかった。
「ふぅ……」
肺に溜まった空気を吐き出す。少し疲れた。口の中に鉄の味が広がる。すぐにでもうがいをして口の中をスッキリさせたいけど、椅子に座ってしまえばお尻が椅子に張り付いたように動かなくなった。うがいは諦めて少し休もう。机に突っ伏して目を閉じた。ポケットに入れたままの携帯電話が体を震わせた。
***
「瀧田遅いな……」
「たしかに、集中力切れて寝ちゃったのかな。颯真くん見に行ってきてくれる?ついでに少し休憩してきなよ」
「え、いいよ俺は。見てるだけだし」
「まぁまぁ。瀧田くんのことも心配だし、ね?」
「わ、分かった……」
振られた仕事はきっちりこなす瀧田がいつまで経っても帰ってこない。なにかあったとは考えにくいが、その可能性もゼロではない。続けて現場をこなす瞬くんに頭を下げて休憩室に足を運んだ。
「瀧田、そろそろ現場に……」
休憩室の扉を開けると、そこには机に突っ伏して涎を垂らしている瀧田がいた。その間抜けな顔に、不覚にも笑ってしまった。
「……瀧田」
俺がいつもされているように、瀧田の頭をそっと撫でる。それに少しの反応を見せた瀧田は、モゾモゾとその体勢を変え、顔をあちらに向けてしまった。俺は少し残念になりながらもその頭を撫で続ける。
「お前をこんなに働かせることになった裏切り者は、俺がちゃんと殺してやるからな」
そんな決意を口に出す。瀧田はムニャムニャと声を出すと、体を起こした。
「ん、寝てた……寝て……ハッ……、ヤバ……!……やっ、柳瀬」
ガタッと大きな音を立てて立ち上がった瀧田は、その場に俺がいることに気付くと顔を青くした。
「ご、ごめんなさい柳瀬……俺、今から怒られる?」
「ハッ、怒らねえよ。お前はいつも全力だからな。少しでも疲れが取れていればいい」
「あ、うん……それはもう完全復活って感じ……。ごめんな柳瀬、みんな働いてるのに」
「謝るな、お前もそのうちのひとりだ。今日も俺のこと運ばせちまって悪い。ありがとう」
「え、いいよいいよ。それのせいで寝ちゃったわけじゃないし。……戻ろっか」
「ん、そうだな」
瀧田とともに休憩室を出る。冷たい空気が肌を刺激した。
***
瀧田はだれよりも真面目だ。振られた仕事は最後まで責任を持って遂行する。人が傷ついている様子を見ると、自分も同じ傷を負ったかのようにその痛みを感じ取れる繊細なやつでもある。だから俺は心配だった。瀧田が治癒能力を身につけると言ったあのときから、眞部さんから瀧田を治療現場に配属したと報告されたときも、そしてもちろん今も。きっと先生は、それを理解していて俺をふたりの監視役につけた。意地の悪い人だ。でも、その意地の悪さに今は感謝している。ここにいれば俺が瀧田のことを守れる。アイツが無理をする前に、声をかけてやれる。
「瀧田くん、軽傷者一名お願い!」
「了解!」
瀧田の額には汗が流れていた。いつもの対処現場終わりに拭う汗とはちがう類であることは明確だった。瀧田は今、相当な緊張状態にあることが窺える。ストレスもいつもと比にならないはずだ。あまり長い間ここで仕事をさせたくない。そんなことを考えていると、廊下から騒がしい声が聞こえた。
「まだダメですってば!そもそも立っていい状態なのかも分からないし、お願いだから医務室で寝ていて、雪さん!」
「雪さん?」
七森の声だった。そんな七森の口から、ハッキリとその言葉が聞こえた。雪さん、と。出入り口を見る。そこには腕の傷から血を垂れ流していた雪さんが立っていた。顔にある傷からも少し血が垂れている。
「雪姉さん……!」
瀧田も七森の言葉に気が付いたのか、出入り口に目を向けていた。目が覚めたと安堵した表情は一瞬で心配の眼差しに変わり、瀧田はすぐに出入り口に走った。少し急いできたのだろうか、息を切らして現場を見渡した雪さんは、瀧田と七森の制止を振り切って重症患者の横たわる診察台の前に立った。
「瞬、血圧は」
「雪さん!」
「雪姉さん!危ないよ、雪姉さんが死んじゃうよ!」
瀧田と七森の声は聞こえていないのか、それとも聞く耳を持っていないのか。ふたりの必死な声に反応もしない雪さんは瞬くんに聞いた。重症患者の顔色をジッと見る瞳孔は細かく震えていた。
「雪さん」
静かな声で、瞬くんが言った。途端、騒がしかった現場が静かになる。
「瞬、血圧」
でも、雪さんはそんな静けさなんて気にしなかった。先ほどと変わらない様子で瞬くんに目の前の重症患者の血圧を聞く。
「雪さん」
そんな雪さんの頬を、瞬くんが包んだ。目を合わせると、その瞳をジッと見つめる。しばらく目を合わせたら、頬から手を離した。そして爽やかな笑顔を向ける。
「ここは僕たちに任せてください。雪さんには休んでほしいんです」
「いいよ、私にそんなものは必要ないさ。この人の血圧を教えてくれるかい?」
「でも雪さん、僕たちは雪さんにゆっくりと休んでほしいと思ってるんです。ほら、雪さん最近休みなかったでしょう?この際怪我を言い訳にして、仕事サボっちゃいましょうよ。七森さんもいるし、颯真くんもいる。話し相手には困りませんよ」
「……はは、瞬は人を乗せるのが上手いね。そうか。気分は乗らないが、その提案には乗ることにするよ」
フラフラと安定しない足元を七森に支えてもらいながら、雪さんは治療現場をあとにした。瀧田は瞬くんに驚きを隠せないでいた。
「え、すごい……どうやって」
「うーん……ダメだやめろって諭すより、貴女を誘導していますよ、って分かりやすく伝えながら言ったほうが雪さんはそれに乗りやすいと思ったんだ。成功してよかったね」
そうサラッと言っていた。そして次の瞬間には仕事に戻る。あまりにスマートな瞬くんに、俺も瀧田も言葉を失ってしまった。
***
それから三日ほど経ったある日。俺は先生に呼び出された。
「颯真、落ち着いて聞きなさい。────────────」
「……は?」




