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右腕の判子注射 ―呪われたヒト―  作者: 結川 翔己
第三章

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第六話 眠れない一日

「雪さん、重症者一名です。行けますか」

「いいよ、寄越して」


***


【 右腕の判子注射 ―呪われたヒト― 】


***


十二月某日、喫煙室での出来事。最近は減ってきたが、今でも相変わらず、繁忙期でもないのにそれはそれは祟人が異常に発生している。出現する祟人のランクは高く、この騒ぎで前線で戦える呪人が減り、逆に治療を求めに医務室にやってくる呪人は増える。現在出現している祟人の多くは深夜もしくは明け方に多く出現する。それだけならよかった。昼にはもちろん特訓や現場で怪我をした呪人がやってくる。夜に働いて昼に寝ようなんて、そんなことはできなかった。私が治療しなければ死ぬ呪人だって出てくるかもしれない。気は抜けなかった。

「あ、芳人くん。おはよう」

「雪さん、おはようございます」

「体調はどう?」

「はい、おかげさまで」

もちろん医務室を訪れるのは呪人だけではない。施設内で働いている者であれば、だれでも医務室で治療を受けることができる。そんな人たちのためにも、私が休むわけにはいかなかった。

「雪さんは体調いかがですか」

「……私?」

「はい。最近は減ってきましたが、それでも祟人が多く出現していることによって、雪さんの睡眠時間が減っているように感じていまして。現にこうやって以前よりひどいクマが……食事量も減っているようですし、私が言えたことではありませんが煙草の量も増えていませんか?」

芳人くんはそう言うと私の目の下に手をやる。意外と太くて、そして案の定カサカサな指が肌に擦れる。

「はは、やだなぁ芳人くんのえっち」

「えっ、す、すみません……」

私がそう言うと芳人くんはビクッと体を震わせてその手を引っ込めた。その姿につい笑ってしまう。

「アハハッ、冗談だよ。芳人くんって面白いよね」

「そ、そうですかね……」

私は吸っていた煙草を灰皿に捨て、喫煙室を出た。

「倉田、医務室」

「はいはい」

その廊下に出た瞬間に出会した柊にそう言われる。医務室に向かうと、そこにはすでに椅子に座っている梛桜がいた。当たり前のようにそのうしろには凪沙と颯真がいる。

「おやおや、梛桜か。今回はどこを怪我したのかい」

「お疲れ様です雪さん。今回は左腕よ、軽く擦っただけだから大丈夫って言ったんだけど、いつものようにこの野郎どもが医務室に行けってうるさくて」

「だっ、だって……七森も柳瀬もムリするから……」

「俺は無理してねえ」

「し、してるよぉ!」

「ちょっと、コイツとあたしを一緒にしないでくれない?」

「そういう話をしてるんじゃないじゃんかぁ!」

「まぁ、放っておかれて死ぬよりいいだろう。消毒は痛くないかい?」

「……えぇ、大丈夫。……っていうか雪さん、またたばこ吸いました?」

私の体に顔を近づけてスンスンと匂いを嗅いだ梛桜がそう言った。香水でもつけて来ればよかったのだろうが、そんな時間はなかった。煙草のあの匂いが気になるのだろう。

「悪いね、すぐあとに柊に呼ばれてしまって」

「いや、あたしはべつに全然いいんだけど、でもあまりいい気はしないわ。たばこって健康に悪いんでしょ?」

「まぁ、そうだね」

「最近クマもひどくなってきたよな、雪姉さん」

梛桜のうしろからそう声を上げた凪沙。そして続けて颯真が口を開いた。

「それに加えて、ちゃんとしたご飯食べてませんよね。今日はなにか口にしたんですか?」

「うん……今日は軽く、コーヒーとサプリメントは口にしたよ。あぁそれと、さっきの煙草だね」

「え"っ、もう昼過ぎ……っていうか夕方なのにそれだけ……?」

「よくその量でそれだけ動けるわね……」

「……もう少し人間らしい食事をしたほうがいいと思います」

驚いた。まだまだ子どもだと思っていたこの子たちにそんなに見られていることも、それをしっかり口に出して伝えられたことも。

「アッハハハッ、あぁ、そうかい。それはそれは……ふふっ、ありがたいお言葉だね」

「わ、笑ってる場合じゃ……」

「悪い悪い。梛桜、治療はこれで終わりだよ。この程度だと今日中には治るだろう」

「あぁ、ありがとうございます」

「凪沙と颯真は怪我をしていないかい」

「俺は大丈夫!」

「俺も大丈夫です」

「そうかい。柊が私を呼びに来たということは、現場報告はもう済ませたんだろう。ここのところみんな忙しいからな、部屋でゆっくり休んでいなさい」

「はーい。雪姉さんもちゃんと休んでね!」

「出来ない約束はしない主義なんでね」

「へ?」

「休まねえってよ」

「んも〜!ちゃんと休んでよ〜!!」

「うるせえボリューム落とせ馬鹿」

騒がしく音を残していった三人と入れ替わりにだれかが扉を叩く。

「失礼しまーす」

「あぁ、碓氷か」

「だからぁ、香織ですってばぁ」

許可も得ず勝手に入ってきたのは、小児棟の子どもたちの主治医である碓氷香織だ。彼女は現在二十三歳。この施設で働く眼人の中でいちばん若いだろう。若いから、というか、彼女自身お洒落が好きなようで、施設の人間としては珍しく耳にはピアスを開けているし、髪の毛も派手に染められている。この子を育てたのはもちろん私だ。この派手な見た目で、しっかり仕事ができる。二年前、私の下で働いていた彼女は、私の推薦があって現在小児棟の医務室で働いている。

「っていうか雪さん!クマひどくない?」

「おや、今日はそういう日なのかな」

「そういう日?ってことは、ほかの人にも言われたってこと?」

「そうだよ」

「え〜アタシがいちばんじゃないのか〜。あーてかぁ、また痩せました?ちゃんと食べてます?」

「はは」

「あーまた誤魔化したー」

碓氷の戯言を聞き流しながらコーヒーを淹れる。

「碓氷も飲むかい」

「アタシコーヒー飲めないんです。ミルク入れてくれます?」

「あぁ、知っているよ。で、飲むのかい?」

「飲みまーす」


***


第六話【 眠れない一日 】


***


ふたり分の飲み物を準備した直後に扉が開く。まったく、ノックもしないとはどういう教育を。

「倉田、僕にもコーヒー。あとこの子寝かせてて」

「……なんだ、お前か」

その入り口に立っていたのは、ひとりの少年を抱えている柊だった。

「なんだとはなんだよ」

「あ〜、葵さ〜ん!」

「……だれだっけ」

「え〜ひどい〜!」

「うるせぇ、瞬が起きちゃうでしょうが」

柊が抱えていた少年は瞬だった。珍しい。瞬が柊に担がれてここに来るなんて。柊は瞬をベッドに寝かせると布団を被せた。私は柊にお粗末に扱われて不貞腐れている碓氷にカフェラテを渡す。

「なにかあったのか」

柊には、もうひとり分作り足すのは面倒だと私が飲もうとしていたコーヒーを渡した。そのコーヒーをひとくち飲んだ柊は口を開く。

「瞬には、今どこにいてなにをしているのか、次にどこに行く予定があるのかなんかを、逐一連絡するように言っている。ランクが高く、どの現場に行ってもプロ同様の扱いを受けてはいるものの、一応まだ未成年。僕の生徒だからね」

「あぁ。で?」

「医務室の担当のお前なら特にピンとくるだろうが、祟人が異常に発生している今、どうしても多くの呪人が現場に出向かなければいけなくなっている。その中にはまだ現場に慣れていない呪人も多い。今まであまり現場に出ることのなかった呪人もいる。そういう呪人が初めて、あるいは久しぶりに現場に出ればもちろん怪我をする可能性が高くなる。瞬は現場能力だけでなく、治癒能力がある呪人としても有名だ。ある現場終わりに日本の端から端まで移動して怪我人を治療。その直後にまたちがう場所で現場。そういうことが最近はよくあった。僕や眞部は瞬がどういう動きをしているのか知っているけど、支部の人間は知らないからね、有り得る話ではある。要するに働きすぎだ。これじゃ過労死する。だから抵抗する瞬を気絶させて連れて帰ってきた」

「ふぅん。じゃあ、この赤く染まっている頬はなんだ?」

「あー……」

事情はよく分かった。が、瞬の顔をよく見てみるとその左頬だけが少し赤く染まっている。柊を問い詰めるとすぐに吐いた。

「その……どれだけ言っても次の現場に行こうとするから気絶させる前に一発ボカッと……」

「はぁ……」

「……すみません」

「まぁいい。でも気を付けろよ、当たりどころが悪いと耳が聞こえなくなったり失明したりするんだからな」

「あぁ、悪かった。瞬は目を覚ましてから一週間、ここから出さないでくれ。食事もなるべくここで取らせる。時間が合えば颯真たちと食事を取らせようと思う。同世代の子たちに僕が言ったことと同じようなことを言われれば、僕たちが過保護で言っているわけじゃないってよく分かるだろうし」

「分かった。芳人くんにはもう伝えたのか?」

「キリのいいところで医務室に来るように言ってる。倉田から話をしておいてくれ」

「はいはい」

「あのぉ……」

私たちの話が終わると、今まで静かにしていた碓氷が少し気まずそうに口を開いた。が、次の瞬間笑顔になる。

「雪さんと葵さんって、夫婦みたいですよね!」

いや、それに同意を求められても。

「柊が私の夫か。はは、軽く地獄絵図だな」

「目が笑ってねぇよ。てかコイツだれだっけ」

「ねぇ葵さんいつになったらアタシの名前覚えてくれるの〜。香織です〜!」

「碓氷だ」

「ウスイ〜?そんなヤツいたっけ、お前、名前同様存在も薄いんじゃねぇの」

「だーかーら香織だってば!ってかそれチョー失礼なんですけどー。全国のウスイさんに謝って!」

「ヘイヘイ悪うござんした。じゃ、僕、先生に瞬のこと言ってくるから頼むな」

「はいよ」

「あぁんもう、これ絶対次会ったときも忘れられてるやつじゃん!」

「碓氷、お前小児棟はいいのか。子どもたちになにかあったらどうする」

「今子どもたち、施設内でお散歩中なんです。担当さんに少し休憩してきなって言われたから遊びに来ちゃいました」

「あぁ、そう。べつにいいけど、こちらの邪魔はするなよ」

「分かってまーす。てか瞬ちゃんこんなに大きくなったんですね、二年会わないだけでこんなに変わるんだ〜」

先ほど柊がベッドに寝かせた瞬を眺めながら、碓氷はそう言った。頬をつつかれる瞬は、目を覚ます様子を見せない。

「さっき廊下でそうちゃんとなぎちゃんとなおちゃんにもすれ違ったんです。あの三人は、最近奈子ちゃんが祟人になったときに処置をしていたのを見たんですけど、話してみるとやっぱりおっきくなったな〜って、なんか感激しちゃって」

あぁ、たしかにそんなこともあった、と思った。あれからあまり時間は経っていないはずだ。私ももう歳かな。

「颯真はその呼び方を許可しているんだな」

「あ、されてません。今でも言われますよ、眉間に皺を寄せて」

颯真は人から、そうちゃんと呼ばれることをいやがる。柊曰く、姉である美代からそう呼ばれていたかららしい。姉のことを思い出してしまうのだろう。

「普段はまーちゃんって呼んでるんですけど、たまに呼び間違えちゃうんですよね〜」

この子は颯真の過去を知らない。だからなぜいやがっているのかを知らない。可愛らしく聞こえるからいやだと彼女なりに考えているのかもしれない。

「雪さん、すみません、遅くなりました……」

そんなとき、芳人くんが扉を開けた。息を切らしているから走ってきたのだろう。

「あぁ、芳人くん。そんなに急がなくてもいいさ、水でも飲むかい」

「いえ、構いませんので……」

「あ〜!マナさんだ〜久しぶり〜!」

「まっ……あ、碓氷さん、お久しぶりです」

「だからぁ!香織だってばぁ!!」

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