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右腕の判子注射 ―呪われたヒト―  作者: 結川 翔己
第二章

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第十七話 彷徨う

「柳瀬!!」

「……るせえよ」

「あ、ご、……ごめん」


***


【 右腕の判子注射 ―呪われたヒト― 】


***


柳瀬の目が覚めた。朝、眞部さんからそう連絡があった。走って医務室に向かい、勢いよくそのドアを開けると、柳瀬がいつもの調子でベッドに座っていた。拍子抜けした。あれ、柳瀬、思ってたより元気?

「じゃ、あたしは戻るから」

「ああ、心配かけて悪かったな」

そこには七森もいた。そんな七森は、俺と入れ違いで医務室を出た。

「やな、柳瀬……大丈夫?」

「大丈夫だ。問題ない」

俺はベッドの横にあった椅子に腰掛けて柳瀬に聞いた。柳瀬はいつものように大丈夫だと言った。でも、本当に大丈夫だと思っている大丈夫じゃないことはすぐに分かった。柳瀬の大丈夫は大丈夫じゃない。それは七森がいつも言ってることだった。

「……そっか。体、痛くない?」

「ああ。寝ていたタイミングで四半痛が来ていたらしくてな。その影響でまだ少し腕に痺れは残っているが、それを除けば体の痛みはない」

「先生とは会った?」

「いや、目を覚ましてから顔を見たのはお前が四人目だ」

「俺が四人目?」

「最初は雪さんで次は眞部さん。それと七森とお前」

「そっか、先生呼んでくる?」

「いや、少し待っていれば来るだろ」

「柳瀬、今日もここで寝るの?」

「さっきから質問が多いな」

「あ、ご、ごめん……」

「最低でも今日はここで寝るだろうな。それ以降は俺の体調次第だ」

「そっか……」


***


一難去ってまた一難。ひとつの災難が過ぎてほっとする間もなく、また次の災難が起きることという意味を持ったことわざだ。あぁ本当に厄介だよ、神様は本当にいるのか疑ってしまう。いや、そうだった。僕たちは神様にも見捨てられた、呪われた存在だった。そうだな、なら仕方ないか。仕方ない。これもそうやって片付けるしかない。

「あぁ、まぁ、仕方ないよな」

颯真がまた、死にそうになっている。


***


第十七話【 彷徨う 】


***


「柊、来い」

颯真が目覚めて二日ほど経ったある日。朝食を取りに行こうとすると、倉田に呼び止められた。その隣には眞部もいた。倉田に連れてこられたのは医務室ではなく、颯真の部屋だった。ノックもせずに部屋に入る。颯真はベッドの上でスヤスヤと寝ていた。

「颯真がなに。静かに寝てるじゃん」

「ただ寝ているだけならよかったんだがな」

倉田はそう言うと、颯真の肩を揺すった。

「おい、なにしてんだよ、せっかく寝てるのに起きたらどうする」

「いつもの颯真なら、少し触れただけで目を覚ますよ。というか、部屋にだれかが入ってきた時点で目を覚ますだろう」

「は?……なにが言いたい」

「特効薬が効いたのはよかったが、その特効薬の副作用と自分が祟人になりかけたというショックで、あまり眠ることができないでいたようでね。颯真には二週間分の睡眠薬が処方された。一昨日は用法用量を守って服用していたが、今朝、処方された睡眠薬を見てみると」

倉田は目の前に空の瓶を掲げた。

「なにが望みだ」

「おや、私が金品やお前の命などを望む欲深いヤマネコに見えるかい?これは脅しでも冗談でもないんだよ」

僕の様子を見て眞部が恐る恐る口を開いた。

「……呪人には睡眠薬が効きすぎるという話は有名ですが、柳瀬さんは規定量の十倍以上の睡眠薬を服用されました」

「……」

「覚悟はしておけ」

「……分かってる」

そのとき、部屋のドアが開けられた。

「あれ?先生たちおはよう。みんな集まってなにしてるの?柳瀬になんか用?」

「おはよう凪沙。詳細は柊から聞きなさい。私たちは行くね」

「あ、うん、分かった〜」

倉田は眞部を連れて部屋から出ていった。凪沙はドアを閉めてこちらにやってくる。

「おはよう先生。柳瀬どうかした?ぐっすり寝てるね〜、睡眠薬って本当に効くんだね」

「……凪沙、颯真はしばらく目を覚まさないよ」

「え?どういうこと?」

「オーバードーズだ」

「……え、オーバードーズって、あの……」

「処方された睡眠薬をすべて飲んでいる。あれは二週間分あったから、すべて飲んだとなると人によっては致死量だ。……覚悟はしておきな」

「そ、んな……、そんなこと……な、なんで……」

覚悟をしておけ、なんて人に言えたもんじゃなかった。僕だって動揺している。まさか颯真が、本格的に自殺しようとしていたなんて。


***


「えっ、柳瀬が自殺?」

「まだ死んでない。……けど、覚悟はしとけって……」

先に食堂で朝食を取っていた七森にさっき先生に聞いた話をする。これは事実として伝えておくべきだと思った。それと、これから先は俺の相談。

「なぁ七森、どうしたら柳瀬が頑張って生きようと思えるかな」

「少なくとも今の柳瀬には無理ね」

「いや、そういうんじゃなくて……起きること前提で話聞いてよ……」

「もちろんそのつもりよ。それを前提条件として、今の柳瀬には生きようと思わせることは無理よ」

「え、ど、どういうことですか……」

「だれだって死ぬことは怖いでしょ?それはもちろんあたしだってそう。あたしだって死ぬことが怖かったから、虐待されていたのに自ら死のうと思えなかった。柳瀬が死ぬことに対して恐怖心を抱いているかは分からないけどね、動物の本能や性質は、生存に有利なように進化しているのよ。つまり、今までに自殺した人間も、自殺を考えている人間も、自殺を考えた人間も、死ぬことに対して少なからず恐怖心を抱いているはずなの。それでも死のうとしたっていうことは、死ぬことより生きることのほうが怖いってことじゃないの?」

「死ぬことより、生きることが怖い……」

「自殺なんて最後の砦みたいなものよ。簡単に選択できるものじゃないでしょ。でも事実、柳瀬はそれを選んだ」

「……」

たしかにな、と、そう思った。七森の言っていることすべてがすんなりと俺の中に入ってきた。俺も、呪人としてツラいことはそれなりに経験してきた。でも、どれだけツラい思いをしても、死にたいとは思わなかった。自分でも、死ぬのは怖いと思っていたから。

俺は柳瀬に生きてほしい。でも、柳瀬がもう生きたくないほどツラいのなら、柳瀬の意思を尊重して殺してあげるのがいいのかな。いや、それとこれとはちょっと、ちがうのかな。どちらにせよ、まずは柳瀬が目を覚まさないと意味がないよな。

柳瀬はあれからしばらく目を覚まさなかった。俺が思っていたより柳瀬の体には睡眠薬が快く受け入れられたらしい。睡眠薬をすべて飲んだ柳瀬が見つかったその日に胃洗浄は行ったと聞いた。それで目が覚める確率が上がるなら、何度だってやってくれと、勝手にもそう思った。

柳瀬はそれからさらに一週間後、ようやく目を覚ました。

「ふたりにさせてほしい……」

医務室で目を覚ました柳瀬とふたりで話がしたかった。その場には七森、先生、雪姉さん、眞部さんがいた。俺は四人が医務室から出たのを確認してやっと柳瀬の目を見た。

「……おはよう」

「……ん」


***


「先生から聞いた、柳瀬の姉ちゃんのこと」

「……そうか」

「……死ぬのは怖くないの」

「死ぬのが怖くないわけがない。俺だって死ぬのは怖い」

「なら、どうして」

「死ぬのは怖い。だけどそれ以上に、罪なき者を無意識に殺してしまう可能性のある自分のほうが、怖くて仕方ない」

七森のあの話を聞いて考えが改まった。俺は柳瀬に頑張って生きよう、なんて無責任なことが言えなかった。でも、柳瀬の話を聞いて俺はなにも言うことができなくなった。こういうとき、なんて言えばいい?励ます?慰める?別の話題に切り替える?どれもちがう。

「俺は……俺は柳瀬に、頑張って生きようなんて言わない。けどせめて、柳瀬が死にたくないって思えるようにしたい」

柳瀬は俺のその言葉を聞いて俯いていた顔を上げた。柳瀬と目が合う。その瞳孔が大きく開いているのがよく分かった。その瞳に、こちらが動揺してしまう。

「えっ、な、俺なにか変なこと言ったかな……、それともいやだった?なら謝るよ、ほんとごめん……」

「あ、いや……いやではない。というか、……ただ驚いただけだ」

「驚いた?」

「お前なら、頑張って生きようって、率先して言うと思っていたから」

「あぁ……。この前、柳瀬が睡眠薬をいっぱい飲んだ日に、七森に相談したんだ。どうしたら柳瀬に生きようって思わせることができるかなって。でもそしたら、七森はムリだって言った」

「……ああ、想像できる」

「うん。それにもちゃんと理由があって、理由を聞いて、なるほどなって思った。だから俺は言わないよ、頑張って生きようって」

「……そうか、分かった」

「ねぇ、柳瀬の姉ちゃんの話聞かせてよ、いやじゃなかったらさ」

「ん、あ、ああ、べつにいいけど」

「ほんと?どんな人だったの?」

「とにかく元気な人だったという記憶がある。いつも笑顔で、俺とは違って率先して人に話しかけに行くような人。俺は幼稚園があまり好きではなかったんだ。でも、美代ちゃんが一緒だったから行こうと思えた。俺にとって美代ちゃんは太陽みたいな存在だったんだ。すごく大きくて眩しくて、陰気な俺を引っ張ってくれる存在」

柳瀬は、柳瀬の姉ちゃんの話をするとき、綺麗に笑うことを知った。あまり見ない柳瀬の純粋な笑顔。俺が死んだあとも、柳瀬はほかの人にこんな顔をして俺のことを話してくれるかな。


***


意識がなかったとはいえ、柳瀬はかなりの時間食事を取っていなかった。それに伴って体重や筋力も落ちていた。筋肉がついてきていた柳瀬の体は肋が見えるほどに痩せこけ、歩くことはおろか、立つことさえもままならなかった。ひとまず歩けるようになるまでは俺が世話をすることになった。七森からのお達しだ。

「悪いな、迷惑かける」

「ううん、いいのいいの。それに、俺がしたかったし」

「お前は本当にお人好しだな」

「え〜そうかなぁ。食堂行く?それともここで食べる?」

「食堂行く」

「りょーかいっ。車椅子持ってくるね」

「ああ、悪いな」

柳瀬の車椅子生活がまた始まった。

「柳瀬〜、そういうときはごめんじゃないってば〜」

「ああ、悪い。ありがとう」

「んも〜ごめんは柳瀬のクチグセだな。直さないと」

柳瀬が自殺未遂をしたことは食堂のおばさんたちには伝えていなかったけれど、どこから情報を手に入れたのか騒ぎのあった当日にはもう知っていたらしい。

「あら颯真ちゃん凪沙ちゃん、こんにちは〜」

「おばさんこんにちは!」

「こんにちは」

「颯真ちゃんは体調大丈夫?」

「はい、ご迷惑かけてすみません。少しずつよくなっています」

「あらそう!よかったわ〜」

柳瀬はその言葉通り、少しずつ体に肉がついてきた。安定して歩けるようになったら俺の世話は必要なくなった。目を覚まして一週間も経たないうちに現場に行けるほど体力も回復した。

「じゃ、颯真は久しぶりだけど現場に行ってもらおうかな」

「はーい!」

二度あることは三度ある。その現場で再び事件が起こった。

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