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右腕の判子注射 ―呪われたヒト―  作者: 結川 翔己
第二章

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第十六話 厄払いの念

「ねぇ、柳瀬がつけてる指輪は、姉ちゃんとなにか関係がある?」

「……指輪ね」


***


【 右腕の判子注射 ―呪われたヒト― 】


***


颯真と初めて出会ったのは、たしか美代が亡くなる約一ヶ月前。颯真のことは、兄貴から施設に何通か送られてきていた手紙とそれに同封されていた写真で知っていた。結婚のお知らせと、美代と颯真が生まれた報告。すべての手紙に共通して感じたのは、一般人は自由だな、というそんな平凡なこと。でも、そんな自由さに触れてみようと思ったのは、兄貴からの結婚報告の手紙のいちばん最後に書かれてあった住所を発見してからだった。長々と書かれていた手紙の内容はじっくりと見たことがなかった。

「先生、俺、ちょっと外出てくるわ」

「事務室に外出届は提出したのか」

「うん、したよ。今日中には帰るから」

「あまり遅くなるなよ」

「分かった。行ってくるね」

到着したその場所には、豪邸とはいえないがまぁ随分と立派な家が建っていた。玄関先でその家のチャイムを鳴らすと、十秒もかからずに女が顔を出した。僕の顔を見たその人は、俺が名乗ってもいないのにだれなのか分かったのか、少し待つように言った。そう言われて一分ほど待っていると、今度は男が出てきた。顔立ちが随分と僕に似ていて驚いたのを覚えている。

「葵……?葵か?」

「え、あ、そうだけど……」

その男はそう言いながら俺のいるところまで走り寄ってきた。勘づいてはいた。きっとコイツが、俺の兄貴だ。

「いやぁ、久しぶりだな。というか、葵にとっては初めましてだよな。悪い、興奮して。兄の柳瀬誠だ。よろしくな」

「……あぁ、よろしく……てか、ずっと思ってたんだけど……なんで柳瀬」

「苗字が変わったのは婿入りしたからなんだ」

「……ムコイリ?」

「あー、奥さんの苗字をもらったんだ」

「へぇ」

「外で立ち話もなんだし、入ってよ。時間ある?」

「ある」

兄貴である誠に招かれ、その家に入る。リビングに入ると、ふたりの子どもがいた。ひとりは六歳くらいの女の子。そしてもうひとりは、その女の子に隠れるもっと小さい男の子。

「ほら、ふたりともご挨拶しような、葵お兄さんだよ。こっちにおいで」

兄貴が子どもたちにそう言う。女の子はうしろに隠れていた男の子の腕を引きながら元気に飛び出してきた。たしかふたりの名前は。

「颯真くん、だっけ」

「……」

「ほらそうちゃん、お返事は?あおいお兄ちゃんだよ」

「……やなせそうまです」

「そっかそっか〜、よろしくね〜」

「あおいさん!私は美代。よろしくね!」

「うん、美代は元気でいい子だね〜」

美代の元気さに僕はすぐに馴染むことができた。それから僕は、一週間に二回以上柳瀬宅に遊びに行くようになった。現場終わり、特訓終わり、授業終わり。気を休めるように、癒しを求めるように、僕は美代と颯真に会いに行った。よく顔を出すようになれば、だんだんと颯真の声を聞くことができるようになった。まずは律儀に挨拶から始まり、持ってきたお土産へのお礼、最後の別れの挨拶。最低でもその程度の会話はできるようになった。人間というのは欲深い動物であって、それは呪人も例に漏れない。僕は颯真と日常的な会話をほとんどしたことがなかった。挨拶程度の会話では、僕も満足できなくなっていた。

「あのね葵さん、今日は私、知子ちゃんと一緒に遊んだの!」

「え〜?美代はいっつもその子と遊んでない?ほかに友だちいないの〜?」

「いるもん〜!ね!そうちゃん!私友だちいっぱいいるんだよ?」

「あははっ、分かった分かった。颯真は?だれと遊んだの?」

「……」

「そうちゃんはいつも一緒に遊んでる子がいるんだよね〜」

「うん」

「颯真〜僕ともお話しようよ〜」

「……」

こちらにまったく興味を示さないし自分の情報を開示することもない。それゆえ、第一印象は可愛くない。とまではいかないけど、歳のわりに達観していて子どもらしさはないと感じていた。あれは人見知りを拗らせているだけではないだろう。

美代が祟人に殺されたのは、それからすぐのことだった。


***


「キャー!!だれか!だれか!!火の中に女の子が!」

「なんだって?!」

「急げ!消防車を呼べ!」

「無理だ!この火ではもう……!」

僕が現場に配属されたときにはもうすでにひどい状況だった。一軒家に閉じ籠ったという祟人は、小さな女の子をひとり抱えていたらしい。その祟人を対処し、女の子を助け出したときにはもう遅かった。すぐに病院に救急搬送されたが、一時間もしないうちに死亡が確認された。

「亡くなったのは、都内に住む六歳の女の子でした。名前は柳瀬美代」

「えっ」

後日聞いた眼人からの現場報告に驚いた。真っ黒になって亡くなったあの女の子は、美代だった。

「施設名簿には名前の記載がありませんので、現在一般人か眼人かの確認をしています」

「いい、調べなくていい」

「えっ、ですが柊さん……」

「その子の身元は分かってる」

「ご、ご存じですか、この子のこと」

「知ってるもなにもな……」

僕はボソッとそう言いながらその眼人から離れた。頭に血が昇っていた。

「ちょっと出てくる」

「えっ、柊さん、あの、外出届は」

「それは帰ってからでもいいだろ、すぐに戻る」

「いえ、そういうわけには……ひ、柊さん!」

眼人のその声は無視して瞬間移動で兄貴の家に向かった。チャイムを鳴らし少し待っていると、あの日迎え入れてくれたときのように兄貴の奥さんが玄関から顔を出した。

「あぁ……葵さん……」

彼女は俺の顔を見るとその目に一瞬で涙を溜めた。声も同時に震え出す。その様子に気付いたのか、中から兄貴が顔を出した。

「葵、来てくれたんだな。少しお茶でも飲んでいけばいい。入りなさい」


***


「ごめん、美代のこと、守れなかった」

「あぁ。こちらも、仕方ないと簡単に済ますことができることではないが、葵は葵で美代のことを助けようと頑張ってくれたんだろう」

「そりゃ、そうだけど……でも結局、守れなかった」

「……あぁ。それでも、一生懸命戦ってくれて、ありがとう」

僕の目の前には兄貴。そして兄貴の隣にはその奥さん。颯真は奥さんの膝の上で丸くなっていた。

「ねえおかあさん、みよちゃんはどこ?」

僕たちが話している間、心配そうな顔をした颯真が何度かそう言った。その度に責任が僕の心を締め付けた。僕が助けてあげられなかったから、この子はこれからもう一生美代に会うことができないんだ。

「俺、今日はもう帰るよ。突然来て悪かった。……また来る」

「あぁ、ありがとう。またいつでも来てくれ」

それからしばらくして、颯真は指輪を嵌めだした。でもそれが本人の意思でないことはすぐに分かった。右手中指にひとつと、首からかけられたチェーンネックレスに指輪を通したもの。右手中指には、邪気を払うという意味があるらしい。

「邪気。……邪気ねぇ」

颯真の両親が嵌めさせたであろうその指輪。邪気を指しているのが僕なのか、それとも呪人なのか祟人なのか、そもそもエイプルであるのか。それは分からなかった。

それと同時に颯真は、奇妙なほど完璧に感情の扉を閉ざした。もともと口数が多かったわけではなかったし、表情が変わることもなかった颯真。それでも美代がいる間はそれが完全にゼロになることはなかった。美代がいなくなった今、颯真は笑わないし、泣かない。怒らないし喜ばない。会いに行っても、声を聞くことが出来るかどうかも分からなかった。

美代が亡くなってから約一年が経ったとき、兄貴から施設に手紙が送られてきた。

【しばらく、うちに来るのは控えてくれないか】

たった一文。それだけが書いてあった。


***


第十六話【 厄払いの念 】


***


「対処完了。祟人は近くにいた呪人に任せるから。僕もすぐに戻る」

『かしこまりました。お疲れ様です』

あの手紙が来てからさらに半年。都内での対処を終えた僕は、施設へ帰る前に柳瀬宅へ寄った。もう夜も遅かった。

「門前払いだろうけどなぁ」

その覚悟を持ちながらゆっくりと歩いていく。その道中、小さな子が道路で倒れていた。こんなところで寝るなんて、親はどうしてるんだ。酔っ払いのおっさんじゃあるまい。そう思ってその子に近づく。顔を見て驚いた。わずか半年でかなり大きくなっていたが、颯真だ。颯真で間違いなかった。

「……颯真?」

僕の声に反応を見せない颯真。でも体に触れるとビクッと大きな反応を示した。まさかと思い、右の袖をまくる。そこにはハンコ注射があった。颯真は左側にハンコ注射を打っていた。そして、呪人になれば打ったハンコ注射は反対の腕に移る。颯真は呪人になっていた。


***


「あ!起きた!せんせーい!!」

「はいはーい」

その二日後、颯真が目を覚ました。凪沙の声に反応してベッドに近づく。目を覚ましたばかりの颯真は僕と凪沙の顔を交互に見た。

「まだ意識は夢の中かな?颯真〜体痛くない?」

意識は完全に覚めていない様子だったけれど僕の声は認識したようで、颯真は静かに頷いた。その後、意識がしっかりしてから颯真に話を聞くと、腕の痛みに耐えられなくて家を出たらしい。歩くうちに意識が朦朧として倒れたところを僕が見つけたという。僕が見つけたときにはすでに意識がなかった。そして、その腕の痛みは初めてのことではなかったらしい。

「いつから?」

「……おぼえてないです」

半年前に兄貴から送られてきたあの手紙。あれは、僕が美代を殺した祟人のもとである呪人だから顔が見たくなくなっただけでなく、呪人である僕が颯真の様子を見たら呪人になったと気付く可能性があったから遠ざけたという可能性も出てきた。確証はないが、颯真は半年前から呪人になっていたかもしれない。

「よく今まで我慢してたね」

颯真の頭を撫でる。そうすると、近くにいた凪沙も同じように颯真の頭を撫でた。

「あっ颯真、この子は瀧田だよ、瀧田凪沙。同い年だから、仲良くしてね」

「よろしく!俺、瀧田凪沙!柳瀬だよな!」

「……」

「ほら颯真〜ちゃんとご挨拶しようね〜」

「……よろしくおねがいします」


***


「……どうして?」

「特にこれといった理由はありません。教えてください」

「いけないよ。特に颯真は、なにを為出かすか分からない」

「そうですか。じゃあ眞部さんに聞いてきます。現場報告の資料を見せてもらうので」

「待って。……分かった、分かったよ。……火属性だ。美代は火属性の祟人に殺された。人質に取られて、ある一軒家に閉じ籠った祟人に」

「そうなんですね、ありがとうございます。失礼しました」

「あ、あれ……」

颯真が美代を殺した祟人の属性を聞きに来たとき、僕は現場でも感じたことのない焦りを感じた。でもその属性が分かったときの颯真の反応は拍子抜けするほど普通だった。自分と同じ火属性の祟人が殺したと知っても動揺することもショックを受けることもなく、颯真の表情が変わることはなかった。でも、それから何度も颯真は死のうとした。それはもう、典型的なやり方で。

首を吊って死のうとした。手首を切って、その傷口を水に浸して失血死を図った。僕との特訓で立てなくなるまで自分に力を回して食事も水分も拒否をした。

そんな颯真に、僕は聞いたことがある。

「ねぇ颯真、美代を殺したのはあくまで火属性の祟人であって、呪人じゃないんだよ。もちろん颯真でもない。颯真の中で颯真の命が軽いのはどうして?」

僕のその質問に、颯真が答えることはなかった。

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