第八話 目を覚ませ
「雪さん……瀧田起きましたか」
「ははっ、あまり時間はかからないと言ったが、そんなに早くは目覚めないよ。中に入るかい?」
「はい……失礼します」
***
【 右腕の判子注射 ―呪われたヒト― 】
***
「今日はもう動くなと言われたのかな」
「とりあえず、瀧田が目を覚ますまでは特訓も筋トレも禁止って……言われました」
「そうか。まぁゆっくりするといいよ」
全員が医務室から出て三十分も経たないうちに颯真がやってきた。凪沙の寝ているベッドの近くに椅子を置き、そこに座った颯真は梛桜みたくその髪が濡れていた。
「シャワーを浴びてきたんだろう」
「え、あ、はい」
「髪の毛、濡れてるよ。風邪を引かないうちに乾かしなさい」
「あ……はい」
医務室に置いてあったタオルを貸し出すと、ガシガシと豪快に髪の毛を拭く。梛桜のときとはその扱いが随分と違った。
「こんにちは!」
そんな颯真を見ていると、廊下からドタドタと騒がしく足音が近づいてきた。医務室の扉が開くと、焦ったような大きな声が響く。一連の騒ぎを起こした人物の正体は、
「瞬くん!」
治癒能力を持っている今現在唯一の救いである瞬だ。
「颯真くん!久しぶりぃ。元気してた?この前はごめんね、肋骨にヒビが入ったって聞いたよ。あのときちょっと忙しくて……ここに戻って来れたら……っていうか、戻る時間がなくても会う時間を作って治してあげたかったんだけど、次々に要請がかかって……」
「ううん、俺はもう大丈夫。忙しいのに来てくれてありがとう」
「瞬、感動の再会を果たしているところ悪いね」
「あ、いえ。お疲れ様です雪さん」
「うん、お疲れ様。柊から話は聞いているだろうが、今回の頼みは凪沙への手当てだ。右肩と左腰に一箇所ずつ穴が開いた。お願いできるかな」
「もちろんです。早速始めちゃいますね」
瞬は持っていた荷物を床に置くと凪沙の近くに立った。凪沙にかかっていた布団を剥がし、滲み出てきた血を見てその場所に手を当てる。静かになった医務室で、瞬の一つひとつの行動が響く。深呼吸をした瞬は同時に目を閉じた。その後も瞬は深く息を吸って吐いてを繰り返した。人によって治癒能力の使い方は異なる。瞬はこうやって集中力を高めていくことで治癒能力を使えているのだろう。
約一分後、瞬は目を開けた。そして傷口に手を当てる。
「傷口は塞ぎました。あとは瀧田くんの体内で血液量が増えるのを待つことしかできないと思います。僕ができるのはあくまで外傷の治療のみであって、出血量のカバーまではできないので」
「ありがとう。忙しいのにわざわざすまないね」
「いえ、じゃあ僕はこれで失礼します。颯真くんもまたね」
「うん、ありがとう。頑張ってね」
「ふふ、ありがとう」
凪沙の治療を終えた瞬は荷物を持って忙しなく出ていった。
***
「颯真、部屋で待っていてもいいんだよ」
「いえ、ここで待ってます」
「そうか。なら本でも持ってきて読んでいればいい。凪沙のそばにいたいのなら、夜もベッドを貸してやるよ」
「いや、そこまでは。さすがに悪いですし」
「構わないよ。ただし、怪我人が来た場合は譲ってもらおう」
「わ、分かりました……じゃあ、お言葉に甘えて」
「まぁ、自由に使うといいよ。私は席を外すから、好きにしなさい」
「あ、いや、そこまで……」
瞬くんが医務室を出ていってしばらく経った。いまだ目を覚まさない瀧田のそばで未練がましく離れられない俺を見兼ねて、雪さんはそう言って医務室を出ていった。俺はしばらく体の力が入らず、椅子に座ったままうなだれていたが、瀧田の息があることを再度確認して一度医務室を出た。急いで部屋に戻り、ベッドの上に置いてあった本を持って部屋を出る。そしてまた急いで医務室に戻った。上がった息を整えながら瀧田の口元に手を置いた。大丈夫だ、まだ生きてる。
「ふぅ……」
肺に溜まった空気を吐き出し、椅子に腰掛けた。
「さっさと起きろよ……」
自分勝手なその言葉が口から漏れる。それでも、許されるなら許してほしかった。もう人を失うなんてひどい経験はいらない。もうだれも失いたくないなんて、傲慢な願いだろうか。
***
第八話【 目を覚ませ 】
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「おはようございま……って、アンタなんでこんなところで寝てるのよ。雪さんは?」
翌日、朝早くから医務室に入ってきたのは、先生でも雪さんでもなく、七森だった。
「ん、七森か……はよ」
医務室で寝ていた俺は体を起こし、瀧田の口元に手を置く。
「はいおはよう。てかノールックで瀧田の息確認すんのなんか物騒だからやめなさいよ。で?雪さんは?」
「知らない。怪我か?なにか用があるときは備え付けの電話で連絡しろって言われた」
「あぁべつに、怪我ではない。瀧田の様子見に来ただけ」
「そうか」
「その様子を見るに、まだ目は覚めていないのね」
「ああ。でも昨日、瞬くんが来て傷口は塞いでくれた」
「ふぅん、わざわざ足を運んでくれたってのね。ま、とりあえず雪さん呼んで朝食べに行きましょ」
「……ああ、分かった」
俺たちは雪さんを医務室に呼び、入れ替わりで食堂へ向かった。
朝食を取り終えると、俺はまた医務室に戻る。七森は自分の部屋に戻っていった。医務室に一歩足を踏み入れた俺は目を丸くした。
「瀧田……」
「あ、柳瀬だ」
ほんの少し前まで意識を失っていた瀧田がその体を起こしていたからだ。その近くには雪さんと先生がいる。
「瀧田……おま……」
「じゃ、僕はここでお邪魔するね〜」
「うん、じゃあね先生」
「私も少し席を外すよ、ふたりで少し話をすればいい」
「え、雪さんまで」
ふたりはその言葉通り医務室を出ていく。そこに残った瀧田と俺。俺は医務室の入り口で状況が把握できずに立ち尽くしていた。
「柳瀬、こっち来てよ」
瀧田はそんな俺に手招きをする。それに誘われて、俺は瀧田の近くまで行った。
「先生たちに聞いたよ、ずっと一緒にいてくれたんだって」
「えっ」
瀧田からの思わぬ告白に思わず感嘆詞が飛び出る。あの人たち、なにを言ってくれてんだ。
「ありがとう、俺嬉しいよ」
恥ずかしさと焦りでどうにかなりそうだったが、瀧田のその言葉でハッと意識が覚めた。
「……なんであんなに無理をした」
「え?どうしたの急に」
「お前があんなに無理をしなければこうはならなかったはずだ、なんであんなに無理をした」
「……柳瀬、俺言ったよね。ふたりのことは傷ひとつ付けないって」
以前も同じようなことを言われた。瀕死の状態で、同じことを言われた。
「それでも、自分を犠牲にしたら意味がねえだろ……七森はともかく、俺はお前に助けられるほど立派な人間じゃない。そんな俺を助けるために自分の命を危険に晒すなよ」
「なに言ってんの、柳瀬はいい人だよ。立派かどうかなんて俺には分からないけど少なくとも俺にとって柳瀬は守りたい人だ。それは七森も同じ。だから俺はふたりを守るよ」
「だから……」
何度言っても埒が明かない。顔がこわばっていくのを感じると、以前先生に言われた言葉が突然フラッシュバックした。
『お前は人のために生きなさい。そんで、お前が人のために生きるってんなら、僕のために死ぬな』
あのときはたしか四半痛で意識が朦朧としていたはずだ。言われたその言葉も正直あまり覚えていない。ただ、俺にとっては随分と自分勝手でひどく衝撃的な言葉であったことは覚えていた。
俺のために。そう言ったら、瀧田はもう無理をしないでいられるだろうか。先生が俺にああ言った意味が少し理解できた気がした。
「お願いだから、俺のために死ぬな……」
「えぇなにそれ、可愛いじゃん……」
膝から崩れ落ちるような感覚を覚えた。足に力が入らない。
***
柳瀬が俺の手に自分の手を置き、そこに思いを乗せるように額をくっつけた。柳瀬は、人が傷付くのを見るのが苦手なようだった。俺だってそう。きっと七森だってそうだろう。でも、柳瀬のそれは、俺や七森とは比べられないほど大きな感情のように感じる。感情の大部分を覆っているその恐怖。俺はいつ、その部分に触れることができるのだろうか。柳瀬はいつ、そのことを話してくれるのだろうか。
『朝は梛桜が誘わなければここを離れる気はなかっただろうよ』
『いや〜初めてだったよ、颯真からあんなに余裕のない電話がかかってきたのなんて』
『全員がここを出て三十分も経たないうちに、ひとり息を切らせて走ってきたんだ』
『ひとりでできると言った梛桜の髪をわざわざ拭いてやったのは、今にも死にそうな凪沙から目を逸らしたかったからじゃないかな』
昨日から今日の朝までの出来事は、先生と雪姉さんから聞いた。随分と柳瀬に関する情報が多かった。もちろん七森も心配してくれていたようだったけれど、柳瀬の心配ぶりは異常だったようだ。
「瀧田!」
そんなとき、廊下から激しい足音が近づいてきた。そして勢いよく医務室の扉が開く。
「あ、七森、おはよ」
そこにいたのは息を切らせた七森だった。
「……はぁ?」
俺のその言葉を聞いた七森はひとことそう漏らし、それと同時に眉間に皺を寄せた。
「ちょっと、なによそのトンチンカンな挨拶は。柳瀬の状況も理解できないし、アンタは思ったより元気そうにしてるし、てか、なんでアンタより柳瀬のほうがダメージ大きそうなのよ。聞きたいこといっぱいあるけど、とにかく……体は大丈夫なの」
「うん、ありがとう。俺は大丈夫。元気モリモリだよ」
「……そ。なら……よかったけど」
中に入ってきた七森は、柳瀬の襟腰をグッと引く。同時に息の詰まる柳瀬に構わず話し出した。
「とにかく今は体を休めなさい。この前の柳瀬同様、不要不急の行動は慎むこと。いいわね!」
七森は、やめろ離せと襟腰を掴む七森の手を掴んだ柳瀬の手を凍らせ動きを制御すると、柳瀬を引っ張りながら医務室から出ていった。
***
「なにすんだ七森、離せッ」
医務室を出る瞬間から今まで、ずっとそう言って暴れている柳瀬。食堂の前まで歩けば、その氷を溶かしてやった。
「クソ……面倒なことしやがって……」
すると勢いに任せ、来た道を戻ろうとする。
「バカ、なんで医務室から出たと思ってんのよ」
「そんなの知るか、俺は戻る」
「アンタが瀧田のそばにいたからよ」
「はあ?なんでだよ、俺はアイツのそばにいちゃいけないってか」
「少なくとも、今のアイツにはダメ。アイツのためにもアンタのためにも、今はそっとしておきなさい」
「なに言ってんだよ。俺のため?それなら尚更アイツのそばにいるべきだ」
「バカ言ってんじゃないわよ、アンタはその様子だから気づいていないだろうけどね、アイツ今、アンタに対してロクでもないこと考えてるわよ」
「碌でもないこと?なんでそんなことが言えるんだよ」
「女の勘よ」
「はあ?」
「いいから、お互いに傷付きたくなかったら、しばらく医務室には近づかないこと。行くならあたしも連れて行きなさい。いいわね」
「は、はあ?」
「いいわね!」




