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1話 要するに、見崎渚の日常は美少女三人に侵略された(3)

「見崎、君遅刻だ!」


 教室の前に辿り着いた瞬間、あの女の声が飛んできた。


 教壇の上に立ち、教科書を片手に授業をしていたその女性教師は、俺の登場によって動きを止め、ゆっくりとこちらに視線を向ける。同時に、クラス全員の視線も一斉に俺に突き刺さる。


 やべぇ……


 声を出すこともできず、俺はただ黙ってドアの前で突っ立つしかなかった。こいつの放つ圧が強すぎる。まるで漫画に出てくるラスボス級の悪役だ。


 彼女の名前は佐々木綾野ささき あやの


 このクラスの担任であり、英語教師でもある。


 年齢は不詳。だが見た目はどう考えても二十代前半。美容に命を懸けている説もあるが、それを除いても若すぎる。


 顔立ちは整っていて、スタイルは前からでも後ろからでも分かるほどの完璧なS字ライン。男なら誰でも二度見するレベルの美人……なんだが。


 その全身から発せられる絶対的女王オーラのせいで、一切近寄る気になれない。しかも超~凶暴!マジで人情って言葉をどこかに置き忘れてきたタイプ。


「遅刻したらどうなるか言ったわよね?」

「し、知ってます……」

「なら、出なさい!」

「……了解です」


 俺は即座に教室の外へと出て、壁の横に立った。逆らうという選択肢は存在しない。


 ここから昼休みになるまでずっと立たされたまま。それに加えて、午後の授業までに反省文を一枚書かなきゃならない。


 それがこのクラスの……いや、佐々木綾野という支配者による遅刻の罰則。


 こんな教師、今まで見たことねぇ。


 そして何より、今日はクソ暑い。


 まるで天気まで俺に喧嘩を売っているかのように、太陽が俺の立っている場所だけをピンポイントで直射してくる。


 これ、死ぬんじゃね?


 佐々木先生って本当に人情ってものが欠落してるよな?そりゃ未だに独身でもおかしくないわ!


 あんなの、好きになる男がいるわけないだろ!近づくだけで背筋がゾワッとするし。


 俺は教室のドアの外で、直射日光に目を焼かれながら、まともに正面を向くこともできずに顔をそらすしかなかった。


 たまにチラッと中の様子をうかがうと……


 先生は相変わらず真顔で授業を続けている。


 教室は静まり返っていて、ざわめきひとつ聞こえない。全員が全員、死ぬほどビビっているのが手に取るように分かる。


 もちろん俺もその一人だ。


 思い返せば、転校初日のときもそうだった。超真面目な顔でクラスのルールと違反したときのペナルティを延々と語られたんだが……


 あの口ぶりは完全に「一言でも挟んだらその場で処刑する」ってレベルだった。


 男の俺が女ひとりにここまでビビらされるんだから、どれだけ化け物じみた威圧感か想像してくれ。


 そんなこんなで、俺は午前中ずっと廊下に立たされ続け、ようやく昼休みになってから自分の席に戻ることができた。


 くそ……この数時間、通りすがりの連中に好奇の目を向けられたり、コソコソ笑われたり、地味に心が死ぬ。


 必死で「ここは修業場、修業場だ」と自分に言い聞かせたが、全く効果なし。


 そもそも修業場ってのはな、サンドバッグとかダンベルとかトレーニング器具がある場所を指すんだよ!


 ここにあるのは、見知らぬ奴らの冷たい視線と俺のスクールバッグだけだ!


 どう修業しろってんだよ!ただの地獄だろこんなの!!


 そして、本当の地獄はここからだ。


 反省文。


 どうすんだよあれ。昼休みは一時間もねぇのに、500文字以上の反省文を書けって無理ゲーすぎるだろ! 


 そもそも人生で一度も反省文なんて書いたことねぇんだぞ!?何を書けばいいかすら分からん!


 クソ……胃が痛ぇ……


「見崎くん」


 悩んでいると、背後から声がした。聞き覚えのある声。これは恒川。


 顔を上げて振り返ると、やはり恒川が俺の右後ろに立っていた。


「ど、どうしたん?」

「反省文、書き始めた?」

「いや、どう書けばいいのか分かんなくてさ……」

「もしよかったら、私が書いてあげようか?」


 え?今なんて?俺の反省文を代わりに書くってこと?


「書いてくれるのか?」

「うん。償いってことで」

「……え?」


 償い?何を償うんだ?


「朝の彩奈の態度、ちょっと失礼だったから。しかもそれで見崎くん、遅刻になっちゃったでしょ?ほんとごめん」

「ああ、そのことか……」


 いやいやいや、全然気にしてないし。失礼だったとか言われても、そもそもそんな風に思ってなかったし。何なら「助かった」側なんだが。


「だから、反省文は私が一本書くから」


 恒川はまっすぐな瞳でそう言った。その目は誠実そのもので、こっちが気まずくなるくらい真剣だった。


 でもさぁ、そもそも遅刻したのは完全に俺のミスであって、里浜のせいでも恒川のせいでもない。


 むしろあの時、里浜が不良をボコってくれたから助かったわけだし、貸し借りで言えばチャラどころか俺が一方的に感謝する側なんだよ。


 なのに……


「はい、これ」

「えっ」


 俺が返事をする前に、恒川は紙を一枚取り出して俺に差し出した。そこにはすでに、びっしりと文字が書き込まれていた。


「さっき、もう書き終わってるから。国語あんまり得意じゃないんだけど、もし気に入らなかったら好きに書き直していいよ?」


 そう言いながら、恒川はその反省文を俺の机にそっと置き、手振りで「読んでみて」と促してくる。


 いや、受け取るつもりはなかったんだ。こんなのもらったら借りを作ることになる。でも、今は時間がない。


 もはや俺の右手は「受け取るな」と言わんばかりに震えていたが、理性の力で強制的に押さえつけ、俺はその紙を掴み取った。


 中身をざっと読む。誤字なし。字も綺麗。文章も流れるように読める。


 おいおいおい。


 さっき「あんまり得意じゃない」とか言ってなかったか?


 どう見ても上級者のそれだろ。確か、転校した週の小テストで国語トップだったのは恒川らしい。


 他のやつも「恒川の国語は圧倒的」とか言ってた気がするし、これで普通なら俺は文字すら読めないレベルの赤ちゃんってことになるんだが。


「これ、すげぇよ。正直想像よりずっと良かった」

「っ……あ、ありがと!」


 俺が素直に褒めると、恒川はふわっと笑い、口元が少しだけ得意げに上がった。


 って!時間ないんだった!!


「じゃあ、これ持って先生に出してきてもいい?」

「う、うん。行ってきて」


 許可をもらった俺は、その紙を握りしめたまま廊下へ飛び出し、職員室に向かって全力疾走した。


 が、階段を降りようとしたその瞬間。


「あ」


 目の前に里浜。


 まだ距離はあったはずだ。避けられる距離だった。なのに、なぜか俺の体は固まった。


 止まれ止まれ止まれ!!——止まらねぇ!!


 勢いのついた足が完全に制御不能になり、俺はそのまま空中を舞った。


「お、おおおおおおい!?ちょっ――」


 反省文ごと、階段を転げ落ちる。


 段差を滑り台の如く転がり落ち、壁にぶつかり、頭を打ち、


「いってええええええええええ!!」


 ……今日、何回目だ?このセリフ。


 クソッ……ついてねぇ……いや、これはもうついてないってレベルじゃない。


 呪われてる……


「ナギっち、大丈夫!?」


 里浜がすぐに駆け寄ってきて、俺の体を支えながら立たせてくれた。そのまま制服についた埃まで優しく払ってくれる。


 いやいやいや!今、俺のこと「ナギっち」って呼んだよな!?


 おい待て、まだまともに自己紹介もしてないぞ!?知り合いどころか、今日たまたま電車で会っただけの関係なのに、なんでいきなりそんな距離感バグったあだ名なんだよ!? 


 どこから「っち」要素を拾ってきた!?


 いや、待て。今はそれどころじゃない。痛い!めちゃくちゃ痛い!全身バラバラになりそう!


「いってぇぇぇ……」

「なんでそんなに急いで走ってたの?」

「反省文出さなきゃいけねぇんだよ!じゃ、またな!」


 痛みは確かにある。しかし、佐々木綾野というモンスターの怒り Compared To This Pain = 0。


 よって、ここで立ち止まる選択肢など存在しない。


 俺は短く返事をすると、そのまま再び職員室へダッシュした。後ろで里浜が何か言ってた気がするが、気にしてる余裕などない。


 俺と彼女たちは知り合いではない。ただの一度関わっただけのクラスメイト。それ以上でも以下でもない。


「くそ……マジで面倒くせぇ!」


 ようやく職員室に辿り着き、ドアを勢いよく開ける。


 そこには佐々木先生、ひとり。他の教師は誰もいない。


 さらに彼女の机の上には、山のように積まれた書類が二つ。


 眉間には思いっきりシワ、イライラしているのが遠目でも分かる。頭をガシガシかきながら足を組み、貧乏ゆすりまでしてる。


 ヤバい!このタイミングを逃したら間違いなく吹き飛ばされる。


 今の佐々木先生は、怪獣が変身直前の状態。あと三秒もしたら「グギャアアアア!!」とか叫びながらビーム吐き始めるぞ。


 つまり、ウルトラマンでも間に合わない、今出すしかない!!


「せ、先生……こ、これ、反省文です」


 俺はガタガタ震える手で紙を差し出した。


「もう書い終わったの?」

「は、はい……」

「ふーん。じゃあ見せて」


 佐々木先生は無表情のまま紙を受け取り、目を通し始めた。


 が、数秒で眉間にシワ。そのまま顔を上げ、ジロリと俺を睨む。


 ま、まさか……


「ねぇ見崎。これ、本当に君が書いた反省文?」


 死刑宣告きた!


「か、書きました……けど……」


 心臓がドラムのように鳴り響き、喉はカラカラ、手のひらは滝のように汗が流れる。


 背中は氷のように冷たいのに、顔は熱い。全身が「嘘発見器MAX反応」みたいにビクビクしていた。


「なんかさ……」


 先生は眼鏡のブリッジを指でクイッと押し上げ、目を細めて紙を舐めるように見つめる。


「字が綺麗すぎない?」


 ヤベェ……俺の字はミミズ。恒川の字は書道家。差が天地。ここで「代筆」確定したら間違いなく二倍反省文+説教フルコースだ。


 だけど……


「……まあいいわ。今回は通ったことにしとく。次からは気をつけなさい」

「えっ」


 あっさりと紙を返され、手で「もう行け」のジェスチャー。


「今忙しいの。邪魔するな」


 と言いながら再び書類の山にペンを突き立てるように作業再開。


 俺は、5秒、自分が生きてるか確認した。


 生きてる!俺、生きてるんだ!


 マジかよ……助かった……


 ガクガクの足取りで教室に戻った俺は、自分の席に座るや否や……机に突っ伏して即・死亡。


 授業開始まであと数分。この時間だけは許してくれ。


 今の俺は、生きる屍だ……


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