2話 見崎渚と美少女たち、噂に包まれる(6)
「いってぇな……あの野郎、マジで手加減ってもんを知らないのかよ……」
俺は痛む脇腹を押さえながら、海夏に買った誕生日プレゼントの袋を片手に、家までの道をとぼとぼと歩いていた。
途中でちょうど薬局の前を通りかかる。額の傷がまた開いちまったし、このまま放っておくのもマズい。
仕方なく絆創膏と包帯、それから薬をいくつか買い込んだ。
ついでに、朝約束したミルクも近くのスーパーで二箱ほど。これで文句は言わせねぇ。
「ただいま……」
誰もいない家に向かって、いつものクセでそう言ってしまう。
だが、玄関に見慣れない靴が一足——ヒールだ。男物じゃない。
……ってことは、やっぱりアイツか。
俺は眉をひそめ、薬袋を玄関の棚に置き、静かにリビングへ向かう。
扉を開けると、ソファの上でロングスカートを揺らしながら、スマホをいじっている一人の少女がいた。
やっぱりな……
「おかえり、ナギちゃん」
「なあ、次に来るときはせめて連絡くらいしてくれないか?」
「え~でもここ、あたしの家でもあるんだよ……えっ!?ケガしてるの?」
「大丈夫だよ、ちょっと擦りむいただけ」
俺は軽く首を振りながら、ソファにどさっと腰を下ろし、大きく息を吐いた。
目の前の少女は、俺のお姉ちゃん、見崎琴音だった。
実を言うと、俺たちの両親は、けっこう前に離婚してる。
母ちゃんが再婚したとき、琴音は向こうに引き取られて、それ以来、俺たちは別々に暮らしてたんだ。
で、数年前、今度は親父と継母が事故で亡くなって、残されたのは俺たち四兄弟だけ。
でも兄貴は世界中を飛び回る仕事で滅多に帰ってこない。
……だから、ちょくちょく顔を出してくれるのは琴音くらいなんだよな。
で、ここからが本題。
一見、琴音は可愛い「理想のお姉さん」っぽく見える。見た目だけならな。
でも、騙されるなよ?あいつ、マジで中身がバグってる。
身体能力は人間離れしてるし、喧嘩になったら本気で容赦なし。
昔なんて、たったの「一言の口論」で相手の腕をポキッと折ったこともある。
しかも本人、妙にスッキリした顔してたんだよ……怖すぎだろ!?
それ以来、あいつの中で何かスイッチが入っちゃったらしくて、「暴走モード」に突入するともう止まらない。
心理学的に言えば、たぶんアレは変態の極みってやつだ。
とはいえ、琴音は俺たち弟妹には超甘い。だからこそ余計に怖い。
優しく笑ってるその裏で、あの「バキッ」な過去を思い出すたびに、俺の背中は冷や汗でびっしょりになるんだ。
「ふーん~またケンカしたよね?」
「はぁ……したくてしたわけじゃないよ。でもあいつがあんまりムカつく奴でさ……いや、もう思い出しただけでイライラしてきた」
考えてみれば、全部の始まりは復讐なんてバカな発想のせいだ。
あのときトイレまでついて行かなければ、きっとこんなことにはならなかったんだろうな……はぁ、めんどくせぇ!
「へぇ~ますます聞きたくなってきた。でも、ナギちゃんが話したくないなら、無理には聞かないわ」
そう言って琴音はソファから立ち上がり、のんびりとした足取りでキッチンへ向かっていった。
髪を揺らしながら、振り返って一言。
「ところで、海夏ちゃんは?こんな時間まで帰ってないの?」
「海夏?ああ、今日は友達の家だよ」
「そうなの?せっかくじゃがいもとか人参とか買ってきたのに、今夜カレー作ろうと思ってたのにね」
……カ、カレー!?
その瞬間、俺の中の何かがカチッと音を立てて覚醒した。
全身の疲れが一気に吹き飛ぶ。
なぜなら、琴音の作るカレーは、もはや人間の料理とは思えないほどのウマさだからだ!
「まじで!?」
「もちろんよ。二人ともカレー好きでしょ?最近ちょっと暇だったから、久しぶりに作ってあげようと思ってね」
来たッ!まさかまた琴音のカレーが食べられる日が来るとは……!
心臓がドクンッと跳ねた。
落ち着け俺、落ち着け……!興奮しすぎるとカレーが逃げるぞ。
深呼吸してから、なるべく冷静を装って言った。
「そ、それじゃお願いするよ。海夏は今日は友達の家に行ってて、帰り遅いらしい」
「え~そうなの?じゃあ仕方ないわね、二人で食べましょ」
「うん!」
そう言って、琴音はエプロンを身につけて料理の準備を始めた。
俺はスマホをいじりながら、ついつい視線をキッチンの方へ向けてしまう。
「そういえばさ、転校してからもうけっこう経ったけど……慣れたかな?」
琴音は包丁でジャガイモを切りながら、軽い調子でそう尋ねてきた。
……いや、軽い調子っていうか、視線が完全にこっち向いてるんだけど!?
包丁見て!お願いだからそっち見て切って!!
とはいえ、琴音の料理スキルは俺とは比べものにならない。
俺なんか、まな板見ながらでも指切りそうになるレベルだからな。
「まー……慣れたっちゃ慣れたけど、最近ちょっと色々あってさ。なんかもう、生活がぐちゃぐちゃなんだよ……」
そうつぶやく俺の声は、思った以上に力が抜けていた。
言葉にした瞬間、ここ数日の面倒ごとが全部よみがえってきて、思わずため息がこぼれた。
「ほぉ?何があったの?ねぇねぇ、早く話してよ!」
琴音が目を輝かせながら、興味津々に身を乗り出してくる。
おいおい、手に包丁持ったまま近づくなっての!
俺は慌ててまな板のほうを指差した。
「ちょ、ちゃんと見て切れよ!手切ったら洒落にならないぞ!」
すると琴音はケラケラ笑って首を振る。
「大丈夫大丈夫~包丁さばきには自信あるんだから!ほら、話逸らさないで、早く最近のこと教えてよ」
……まったく、人の心配より噂話かよ。
仕方なく、俺はため息をついて話し始めた。
「実はさ……最近、学校でちょっと有名な美少女たちと知り合ったんだよ」
「えっ!?君が!?」
琴音は目を丸くして、包丁を持ったままピタリと動きを止めた。
「うん」
「それっていいじゃない!学校で人気の子たちなんでしょ?絶対かわいいじゃないの~!どうやって知り合ったの?」
「まぁ、見た目は確かにすごく可愛いけどさ……そのせいで色々面倒ごとになっちゃって」
俺はそう言って、額を指でトントンと叩いた。
「ん?その傷、まさかその子たちと関係あるの?ケンカでもしてやられたとか?」
琴音の口元がニヤッと歪んだ。
「ぷっ……ふふっ……あはははっ!なにそれ、ダッサ~!」
「笑うなよ!最後まで聞けよ!確かに関係はあるけど、別にあいつらに殴られたわけじゃないからな!」
「えっ?違うの?てっきりナンパでもしてフラれてボコられたのかと思ったわ~それ、想像しただけで恥ずかしいね!」
「そんなことするかっ!俺はそんな軽い男じゃねぇよ!とにかく、いろいろ面倒なんだよ!」
俺がため息をつくと、琴音は悪びれもせず身を乗り出してきた。
「え~気になるじゃない。ほらほら、隠さないで、ちゃんと説明しなさい!」
「はぁ……長くなるぞ。まぁいいや、最初から話すよ。あれは先週のことだった……」
俺は観念して、一から順に話し始めた。
気づけばカレーの香りが部屋中に広がっていて、話しているうちに皿の中のご飯もほとんどなくなっていた。
「ぷっ……つまり、ナギちゃん、チンピラにボコられて、そのあと誤解を解くために美少女たちと一緒に部活に入ったってわけね?なにそれ、神展開じゃん!映画化決定でしょ、これ!」
琴音は腹を抱えて爆笑し、その勢いで——
「ぶっ!」
「おい!?顔にカレー飛んだんだけど!?」
「ご、ごめんごめん!でも無理だって、笑い止まんない~っ!はははっ!」
……笑うポイントどこだよ!?
「もういいだろ!そろそろやめろって!」
俺がちょっとムッとして言うと、琴音はようやく笑いを抑えた。
「はいはい、ごめんごめん。もう笑わないってば。」
とか言いつつ、目尻にはまだ涙。
口元もピクピクしてるし、どう見ても我慢できてない。
……ほんとに、どこがそんなにツボなんだよ。
「で、これからどうするつもり?」
「どうするもなにも……今のところ打つ手がないよ」
「いいじゃない。普段はマンガ読んでゲームしてるだけなんだし、部活くらい顔出しても損はないでしょ?」
「いや、俺、そもそも部活とか興味ねぇんだよ。俺にとってはマジで意味ない」
俺が肩を落とすと、琴音はまるで気にも留めずに、楽しそうに笑った。
「ナギちゃん、ほんっと真面目すぎ。部活行くくらいでそんな深刻になるなって。別に戦場に行くわけでもあるまいし?」
「そりゃあ、言うのは簡単だよ。行くのは俺なんだぞ」
「はいはい、そんなに落ち込まないの!」
琴音は俺の肩を軽く叩いて、まるで些細なことのように言った。
「もう決まっちゃったことなんだから、しょうがないでしょ?」
「はぁ……めんどくせぇ……。」
「ほら、元気出して!あーお腹いっぱい〜もうこんな時間かぁ。ママに頼まれた買い物、行かなきゃ!」
そう言うと、琴音は椅子から立ち上がって、カバンを肩に掛け、軽やかに玄関の方へ駆けていった。
「おい、ちょっと!そのまま帰る気かよ!?」
「しょうがないでしょ~ナギちゃんが帰ってくるの遅かったんだもん」
「いや、そうじゃなくて!まさか……皿洗い、全部俺に押し付ける気か?」
「うん、そうだよ?だってここ、ナギちゃんの家でしょ?じゃ、よろしくね~」
「おいおいおい!待てって!!」
バタンっ!
玄関のドアが勢いよく閉まる音が響いた。
……マジかよ。あの人、ほんと自由すぎだろ。
ここもお前の家だろうがっ!!
確かに琴音の料理は文句なしにうまい。でも毎回、キッチンを戦場みたいにして帰るのやめてくれよ……
はぁ……なんで俺ばっかり、こんなツイてないんだよ……




