第9部 開戦劈頭の見張長
前の部では開戦劈頭のディスランド海軍の様子を、当時<ブルーリーフ>にて航海長という要職にあったビンセント子爵の視点から記してあった。
この部では原点に返って、ジム・ロビンソン元准尉の視点から見た開戦の様子を記してある。
同じ事件を別の視点から見ているため、重複するところが多々あるが、当時の水兵はどのように事件に遭遇したのかを窺い知ることができる。
★開戦日のこと。
再び私たちの伝承者であるジム・ロビンソン退役軍艦旗准尉の取材に戻ろう。開戦日の<ブルーリーフ>の様子を水兵の視点から見た場合、どういうものだったのだろうか。
「開戦日の事はよく覚えていますよ」
煙草管に火を点けながら元准尉は語ってくれた。
「下士官ぐらいになると、艦内に閉じ込められていても世界情勢が分かるようになります。通信科や航海科の信号係と顔なじみになりますからね。また同期のヤツが通信科に1人居ましたし。あの日は0800時からの(筆者注・海軍では午前8時をこう表す。以下同じ)当直でしたが、早めに艦橋へ上がりましてね。もう朝飯をゆっくり食べていられませんよ。下士官食堂に通信科の水兵が飛び込んで来て『カークウォールが襲われた! 艦隊は全滅したらしい』ですもの。いよいよ始まったかと思いましたね」
「覚悟はできていたということですね」
「ええ。ただしプロニア帝国が襲って来たと思い込んでいました。だとすると向こうより、こちらの方が敵に近いわけですよ。ですから私らが空襲を受ける可能性が高いわけです。さっそく前の当直に立っていた水兵と交代しましてね。こう対空見張盤に取りついたわけです」
そう言うと元准尉は顔の前で何かを抱えるように両手を構えてみせた。
「見張盤というのは、アレです」
何か説明しやすい物を探しているように元准尉は天井を見上げた。
「観光地などにある展望台に有料の双眼鏡が設置されていますでしょう。こうやって床に固定された台に大型の双眼鏡がついていて、上下左右に自由に動かせる物です。あれと基本的に同じ物ですよ。ただ小さな羅針盤がついていて、三稜鏡の仕掛けで視界の中に今見ている方位が双眼鏡を覗いたまま分かるようになっているのです。それで周囲を見ていて何かを見つけたら、方位と距離を報告できるわけです。私が担当していたのは(戦闘)艦橋にある対空見張盤ですから、普通の見張盤と違って、こう…」そう言って伸ばした指を曲げて角度をつけてみせられた。
「こう曲がった双眼鏡が取り付けられていて、まっすぐ見ていても自然と上を見ることができるようになっていました。これで味方だろうと敵だろうと飛行機が近づいて来ればすぐに分かるという寸法です」
そう言ってニッコリと笑われた。
「見張りもちょっとコツがありましてね。こう…」
そうやって架空の双眼鏡を抱えているような仕草で体を右に捻ってみせた。そのままゆっくりと左へと体を戻していき、正面を越えて最初に捻ったぐらいに左へ行ったところで、パッと右へ素早く戻った。
「こうやって見張るのですよ」
「右から左、そして左から右へという形では無いのですか?」
素人の私であれば左から右へも同じ速度で体を捻って戻るところだ。
「それはいけません。そうやって見張ると、一番右に戻るまでに致命的な見落としが発生することになります。特に対空見張盤の相手は飛行機ですから、それをやると見ていない内に近づいた敵機が爆弾を投下するまで見落とすことになりかねません。ですから戻る時は素早く戻して、また同じことを繰り返します。まあ左から始めて右へパッと戻るでも構いません。ともかくゆっくり戻してはいけないのです」
元准尉は先ほどとは逆の手順で、左からゆっくりと右へ体を捻って行き、右へ行き切るとパッと左に戻ってみせられた。
「トーリッジは貿易港でもありますが、漁港でもあるわけです。朝の漁に出ていた漁船がたくさんの海鳥を連れて帰って来て、見張りの邪魔でしたね。まあカモメなどは特徴的な羽をしているので構いませんが、ウミツバメみたいな直線的に速く飛ぶ鳥は、一瞬ですがヒヤリとします。まあ敵機接近と喉元まで何度も上がってきましたが、ちゃんと識別できていましたね。それで意外にも自分は小心者だったのだなと自覚しました」
今度は歪んだ笑いを頬へ浮かべられた。
「そうやって当直に就いていると、艦橋伝令が大声を上げました。『艦長、戦闘艦橋!』『航海長、戦闘艦橋!』こうやって責任者が上がってきたことを配置に就いている者へ知らせるわけです。その時の当直長は(機関科の)機械分隊の分隊士でしたよ」
「機関科も当直に立つのでしたね」
「そうです。海軍では朝一番で出会った時だけ敬礼すれば良い事になっていますから、みんなでシャーロット殿下に敬礼すると、殿下はグルリと見回すようにして答礼されました。堂々としていらっしゃいましたね。みんな戦争が始まったと聞いてソワソワとしているのに、ドッシリと構えられていて、さすが我らの大親分といったところです」
「貫禄…、という言葉は似合いませんか」
「若い女性ですからね、ちょっと似合いませんね。水兵は目の前に仕事があって、そちらに集中すれば怖さは無くなりますが、将校は演技でいいのでああいう姿を見せないと、艦全体が不安に包まれて実力を発揮できませんから、あれも演技だったのですかね?」
それを知るのはシャーロット殿下ご本人だけであろう。
「『どんな信号も見落とすな。今は情報が欲しい』と険しい声で命じられました。もちろん信号係も周囲に目を配って、地上の信号所から傍らの駆逐艦まで、呼び出し信号があればすぐに反応します。が、見張りの方でも信号があれば対応しなければなりません。他艦の信号甲板などに見張盤を向けても、なんの信号もありませんでした」
「静かなものだったということですね」
「代わりに、どの艦の甲板でも乗組員たちがこちらを見ているのがわかりました。みんな泣きそうな顔になっていましたね。そりゃそうですよ。海軍で飯を食っているからには、いざ事が起きたら戦場へ飛び込んでいく覚悟はできていましたけれど、やっぱり怪我したり死んだりするのは嫌ですからね」
「艦隊の全部が<ブルーリーフ>を見ていたということでしょうか」
「艦隊だけではありませんでしたね。港務部の交通船から民間の漁船まで、こちらを見ている事がわかりました。すると背後に気配がありましてね。本当はいけないのですが、見張盤から顔を外して振り向くと、左腕を三角巾で吊ったシャーロット殿下が私の後ろに立っていらっしゃった」
「どのような顔をなさっていたのです?」
「シャーロット殿下は困ったような顔をしておられた。まあ思いは同じということですよ。きっと私もああいう顔になっていたでしょうね。すると小声でシャーロット殿下がお聞きになりました。『他の艦はどうか?』と短く。ですから『こちらを見ています』と私も短く答えました。するとウムと1回頷かれて、そのまま高欄によって睥睨するように港内を見回されました。あれは怪我をしている左腕を隠してみせたのでしょうね。高欄は腰の高さほどありますから」
元准尉は自分の腰の辺りに手を当てられた。立っていると仮定して、当時の高欄の高さを示されたのだろう。
「そこでチラリと太陽の方角を確認なさってから、おもむろに右腕を上げられました。ちょうど<ブルーリーフ>の脇を行き交っていた港務部の交通船が汽笛を鳴らして応えてくれましたよ。あれだけ堂々とした姿を見せられれば、水兵だけでなく民間の船員だって勇気百倍ですよ」
そこまで語ったところで元准尉は身を乗り出して、口に人差し指を添えられた。
「でも、足は震えていましたね」
ナイショですよと言わんばかりに元准尉は片眼を閉じて見せた。
「私は対空見張りに戻りました。見なかったフリをしてね。そのぐらいの配慮はあるつもりですよ。すると1つ下の甲板から声が聞こえてくるのが分かりました。屋上に当たる(戦闘)艦橋の1つ下は上部見張所でした。そこにある(対水上)見張盤に取りついている水兵の報告が聞こえるのですよ。12月で寒くてもちゃんと窓を開けて任務に就いているから、大声で報告する声がそのまま聞こえるのです」
「冬なのに開けっ放しなのでしょうか?」
「ええ。窓ガラス1枚すら視界の妨げになるような感覚ですね。悪天候でも開けっ放しで見張りを続けますよ。本来ならば見張員の報告を伝令が聞いて、近くの伝声管か電話で(戦闘)艦橋へ報告を上げるのですが、そんな必要は無かったですね。『<アロー・メーカ>から艦載艇です』とハッキリ聞こえました。<アロー・メーカ>には魚雷戦戦隊の司令が乗り込んでいましたから、これからの事を話しに来るというわけです。他の駆逐艦だけでなく、空母からも艦載艇が<ブルーリーフ>に押し寄せてきましたね」
「これからの事とおっしゃられても、シャーロット殿下が全て決めて良いというわけではありませんよね?」
「ええ、そうです。本来なら軍務省にある統合作戦本部が戦略を考え、それに沿った作戦を立てて、艦隊へ行動命令がおります。艦隊司令部が決めるのは航路などですね。でも<ブルーリーフ>は第9艦隊旗艦という事になっていましたから、どんな命令が下されても対応できるように身構えていなければなりません。まあ考える仕事は将校の仕事で、私たち水兵には関係ない事ですがね」
元准尉はちょいと肩を竦められてから話しを続けられた。
「そんな事を考えて空を見ていたらカモメに似ている影が視界に入りました。一旦行き過ぎた双眼鏡を正しく向けて、機種を見分けようとジックリと見ました。間違いなくカモメのように羽を持ち上げたような姿に、両翼に1つずつの空冷発動機を持っている飛行艇でした。それは我が空軍が沿岸哨戒に使用していた<バタフライ>飛行艇でした」
空軍で使用された<バタフライ>飛行艇は性能的に大したことの無い飛行艇であるが、素直な操縦性が搭乗員たちに好かれ、1線級の部隊から退くのが早かったが、2線級の部隊では戦後まで使用が続けられ、民間に払い下げられた数機はいまだに現役であるという。
「でも友軍とは限りません。同じ飛行艇を輸出して他国でも使用している事は知っていましたから。私は『飛行艇接近』を報告しました。(戦闘)艦橋がざわついたのを肌で感じましたね。なにせ空襲でカークウォールが全滅した後ですから。敵だったらすぐに撃ち落とさなければなりません。しかしまだ敵と決まったわけではありませんから、私はジックリと(飛行艇の)尾翼を観察して、それが我が空軍の哨戒隊所属のものだと確認しました。そこに航空隊ごとの記号が書き込まれていますからね」
「ということは、全ての航空隊のマークを頭に入れておかないといけないわけですね」
「そうですね。対空見張りは飛行機の種類とマークを、対水上見張りは艦の種類を、敵味方全て頭に入れておかなければなりません。で、その<バタフライ>飛行艇は友軍の物だと分かりましたから『友軍機です』と報告しました。同士討ちは嫌ですからね。今は電波をやり取りして敵味方の識別ができますが、当時にそんな贅沢な装備なんてありません。すべて人間の目でやっていました」
「では同士討ちも多かったのでは?」
「そういう話もありますね。フワリと港内に着水すると、池を泳ぐ水鳥のように<バタフライ>は近づいてきました。しかし飛行艇には羽があるでしょ。これは困ったことになった。飛行艇の乗り降りは(機体の)横からなのですが、そのままだと羽のせいで<ブルーリーフ>に横付けできないわけです。先に羽が<ブルーリーフ>にぶつかってしまって、羽の長さぶん離れたところまでしか近づけないからです」
民間航路に使用されている飛行艇は桟橋に横付けするようにして乗客を搭乗させる。
「さて、どうしようと思っていると下からけたたましい警笛の音が聞こえました。続いて『右舷救命艇準備!』の号令です。その声色で運用員長が何かを始めたのを知りましたね。私はその号令を訊きながら<バタフライ>を観察していました。すると機首にあるガラス窓越しにピカピカと一定の調子で何かが光るのが分かりました。あれですよ。手持ち式の信号灯で<バタフライ>の副操縦士が状況を知らせて来たのですね。こういう時は平文で(筆者注:暗号では無い文章)やり取りするのが決まりですから、水兵から提督まで読めない者は海軍に居ません。さかんに『こちらに<RET>と<OF10>が座乗。<ブルーリーフ>に受け渡ししたい』と打っているわけですよ」
「RET? OF10?」
「符牒ですね。モールス信号で長い綴りの単語のやり取りをすると間違いが起きやすいので、予め難しい単語は簡単に示せるように3文字の組み合わせで示せるように取り決めされているわけです。『RET』というのは摂政という意味です。『摂政閣下』なんていう…」
ここで元准尉は数を指折り数えた。
「25文字も(筆者注:スペル間の空間も含む)打っていられないのですよ。対して『OF10』というのは階級に対する符号です。OFというのが士官という意味で、数字の方は下から数えて10番目という意味になります。士官の階級は10段階ですから、もう軍隊の中では1番偉い奴が乗っているぞという意味になります」
「ははあ、なるほど」と分かったフリをして私が相槌を打つと、ちょっとイタズラを仕掛けようとしているような顔を元准尉はしてみせた。
「当時の1番偉い軍人となれば1人しかいないわけです。当時は海軍で一番偉いとされている大提督の椅子は空いていましたから、他の軍に在籍する同格の者しかいないわけです。しかし陸軍や空軍の大元帥が海軍の艦艇に用事があるのは不自然ですし、海軍の提督たちはみんな現役を退いていましたから、後は軍務省にある統合作戦本部の作戦本部長しかおりません。ですから私は通信文を『摂政閣下と統合作戦本部長、ご来艦』と判断して、大きな声で報告しました」
「信号とは文章が変わっていますが」
「そうです。しかし相手の意を汲まなければ短い時間で交信なんて成り立ちませんよ。これが艦隊の夜戦突入なんていう場面でしたら、敵との距離は近いので、長い単語を打っている間に敵の弾が飛んできますから」
「そういうものなのですね」
「後ろで航海長が他人事のように『そりゃ大変だ』と言ったのが聞こえましたね。それからすごい勢いで(前檣楼後部にある)舷梯を下っていく足音が聞こえました。私は1周だけ空を確認すると、見張盤から離れて肉眼で近づいて来る<バタフライ>を確認しました。<バタフライ>は発動機を切ると惰性だけで<ブルーリーフ>に近づくところでした」
「発動機を止めても動く物ですか?」
「着水した勢いを利用すれば港口から桟橋まで十分に辿り着けますよ。しかし<バタフライ>は機首をこちらの舷側に向けたままでした。あのままでは乗り降りができません。どうするのだろうと見ていると運用員長が下ろした救命艇が舷門に着けられました。救命艇も<ブルーリーフ>の舷側に対して直角になるように係留されて、ちょうど<バタフライ>と橋渡しになるように準備ができました。さすがですよね。私には思いつかないような配慮ですよ」
「つまり、ええと」
私は茶卓に置いた左手に対して直角に交わるように右手を置いた。すると元准尉は右手に添えるように自らの手を置かれた。
「こんな感じです。港にある浮き桟橋と同じですよね。こうすれば長い羽があっても舷側にぶつけなくて済みます」
「つまり摂政閣下と作戦本部長が王都から文字通り飛んでいらしたわけですね?」
茶卓から手を引きつつ確認すると、元准尉は「そうです」と頷かれた。
「本当はすぐに見張りへ戻らないといけないのですが、つい誰が降りて来るのか見てしまいました。すると桟橋にした短艇に高価そうな身なりをした姿が見えました。他はみんな軍服でしたから、紳士の服装でいる摂政は目立ちました。そこで思ったのは『とうとう直接殴り込みに来やがったな』と」
そう言って元准尉は大きな笑い声を上げられた。
「まあ、そんなわけは無いのですがね。そこまで確認してから見張りに戻ろうと双眼鏡に取りつくと、右手の方で誰かが息を切らしているわけですよ。何事かとチラリと見たら同じ航海科の水兵が、そこにある索を解きにかかっていました」
「それは何故ですか?」
「王国海軍では摂政や元帥が乗艦されると、それを現す旗を掲揚するのです。その準備でしたね。揚げる場所は前檣頂部と決まっていまして、そこにはシャーロット殿下を現す生命の木の葉の紋章旗が上がっていました。この旗は、他の艦ではシャーロット殿下が乗り降りする時に合わせて揚げ下げする物なのです。しかし<ブルーリーフ>は王姉宮殿も兼ねていたでしょう。ですから年がら年中揚げっぱなしになっていました」
ちなみに地上にある書く宮城、宮殿でも旗の掲揚は行われている。
「ですから落ちないように下にある金具に索が結び付けられているのですが、しばらく解いていなかったせいで固くなっていたようです。相手が物だから無意味でしょうに怒鳴り散らしながら爪を立てていましたね」
「ああ。2年間もそのままだったのでしょうか?」
私が訊き返すと元准尉はキョトンとされた後に指を折って何かを数えられた。
「たしかにそうなりますね」
そう肯定されてから慌てて否定された。
「あ、いや、そうはなりません。艦に(シャーロット殿下が)ご不在の時は青いペナントを紋章旗の下に揚げていましたから。それで他の艦や港務部などはシャーロット殿下の所在を知るわけです。艦長としてご乗艦された際に、そのペナントを下ろすために一旦一緒に下げたはずです。ペネントは(紋章旗と)同じ索に揚げられていますから」
前檣楼の最頂部には旗竿は1つだけである。
「最上段の掲揚は(戦闘)艦橋の後ろに繋がっている舷梯の踊り場から行うのですが、結び目が固いのかうまくいっていませんでしたね。そうしているうちにシャーロット殿下が当直長に『後を頼む。私は会議室へ下りる』とおっしゃられて、索と格闘している水兵の横を通って下へと下られました。まあ左腕のお怪我もありますし、下の甲板まで来ている昇降機で降りられたと思いますよ。あの昇降機は各科長と運用員長、それと前艦橋に装備されている近接防御兵器の弾薬を運ぶ水兵だけしか使用してはいけないことになっていました」
「限られた者の特権だったわけですね」
「ええ。まあ運用員長は滅多に使わずに、水兵と同じように裏の舷梯を使っていましたけれど」
「その理由は?」
「一度、夜の当直時に眠気覚ましのついでに訊いたことがあります。運用員長は昇降機を使わないのですかと」
「答えは?」
「簡単でした。『(戦闘)艦橋まで舷梯を駆けあがることが出来なくなった時が、自分の引退時だから』だそうで。そう言われてみて、確かに自分もそうなったら引退しなければ、仲間の足手まといになるなと思いました。海は危険な場所です。ただ航海に出るのだって命がけです。そんな所に足手まといが居ては艦全体の命取りになるかもしれませんから」
「厳しい世界なのですね」
「ええ、まったく。そうやって自分は(戦闘)艦橋で見張りを続けました。下では摂政が無理な作戦を持ち出して、駆逐艦の艦長たちから顰蹙を買ったとか聞きましたが(戦闘)艦橋は静かなものでした。たまに飛行機が視界に入って当直長へ報告しただけです。それも味方の哨戒機だったり、民間の飛行艇だったりして、普段と変わらないトーリッジの風景でした」
「開戦したのに、ですか?」
「その通りです。しばらくすると下から号笛の音が聞こえたので、見おろしてみると摂政と作戦本部長が舷門から舷梯を下るところでした。言いたいことを言って、自分はケンブルにある防空壕で縮こまっているつもりなのでしょう。尻尾を巻いて逃げ出すのは、まあお似合いでしたね」
元准尉の目からはそう見えたという事であって、事実と違う可能性はある。当時の作戦本部長であるアーウィン空軍大将は戦略的にポート・ターリクが無警戒になった責任を取るとして<ブルーリーフ>に座乗しての作戦参加を希望されたと聞いた。
同道せぬなら王都ケンブルにてやらなければならない仕事が山積みのはずであるから、退艦されるのは自然な事である。
「他にも魚雷戦戦隊の司令部の方や、各駆逐艦の艦長なんかも退艦されて行かれました。これからどんな作戦に投入されるのか分からずに、漠然とした不安がありましたね。でも対空見張りを怠るわけにも行きませんから、グッと我慢して配置を守りました。すると『総員、前甲板に集合』の号令がかかりました。でも私には対空見張りの任務があるでしょう。こういう時は配置を離れることが出来ないわけですよ。誰か代表者を1人派遣して、代わりに話しを訊いてきてもらわないとならない。艦橋からは掌当直長が行く事になりました」
「乗組員を前甲板に集めてどうしようというのでしょうか?」
「艦の上層部から重大な発表がある時などは、第1砲塔より前の甲板に水兵たちを集めて、副長が朝礼台に立って大声を張り上げるというのが定番でした。その時も副長が朝礼台に立たれたようです。でも<ブルーリーフ>には世界一の運用員長が居たでしょう。ちゃんと抜かりなく艦内放送の用意がしてあって、配置に就いているほとんどの者も話を訊くことができました」
「全員では無い?」
「そうですね。主罐室など騒音が大きすぎる配置もありますから」
「なるほど。そういう乗組員の方はどうされたのです?」
「たぶん前甲板に行った者か、放送を聞いた者から説明されたのではないですかねえ。さすがに機関科となると仕事が違いすぎて分かりませんねえ」
「失礼しました。お話しを続けて下さい」
「そういうわけで私は(戦闘)艦橋の配置に就いたまま、副長の説明を聞きました。まず今朝のことが説明されました。送話器を持っているのが副長ですから、極めて端的に『カークウォールがモイラ海軍機動部隊に奇襲され、本国艦隊は全滅した。本国で頼れる戦力は諸君らの所属するこの第9艦隊しかない』と言われました。それを聞いた途端にブルッと体が震えましたね。まあ12月の露天甲板に居るのだから寒いと言えば寒いのですが、それとは違う震えでした。これから戦う事に対する興奮で震えが来ているのです」
(訳者注:日本語で言うならば「武者震い」と言ったところでしょうか)
「それから、これからの事が話されました。『第9艦隊は明日にもトーリッジを出港し、ポート・ターリクへと向かう』と。まあ、ここまでは戦争が起きる前と同じ予定ですから驚きませんでした。そしてついでのように言われたのです。『ポート・ターリクにはカークウォールを奇襲した敵機動部隊が接近中である。我が艦隊は、この敵と戦う事となる』とね」
「驚かれましたか?」
「前甲板からどよめきが上がったのを覚えていますよ。私は任務に気を取られていたので、聞いた直後は『へえ』しか感想がありませんでした。で、後々になって、こりゃ大変な事になったと思いましたよ。なにせ昨日まで世界最強だった我が本国艦隊を全滅させた敵に、練習戦艦1隻で歯向かおうというのですから。正気の沙汰では無いと思いましたね。でも、後になってからですよ。まずは不審な飛行機が無いかを見張ることに集中していましたから」
「そう思ったのは当直が終わってからですか?」
「いえ。港内配置の時には飯を挟みます。あの日の当直では私は昼飯を挟むことになりました。近くの配置の者と仕事を融通して食堂へ下りるのですが、その時ですね。飯を食い終わってフーッと一息ついた途端に、そういえばどうなるのだろうという具合です」
「実感がわいてくるのが遅かったと?」
「その通りですね。まあ、いちおうこうして海軍で飯を食っている身ですから、戦争に行くこと自体は当たり前の事だと捉えていましたけどね。飯を食べ終わって配置に戻ろうと最上甲板に出ると、人ごみでごった返していました」
「人ごみ?」
「ええ。アレですよ。宮殿に宮仕えしていた侍従や女官たちが荷物を持って舷門に並んでいましたね。ほら、彼らは軍人では無くて民間人ですから、わざわざ戦場へ連れて行く必要はありませんから。顔なじみの侍従の1人を捕まえて、これからドコへ行くのか聞いたところ、王宮に再配属されると言っていましたね。それとケンブルに戻ったら自分も海軍に仕官するつもりなので、どこかでまた会いましょうとも言われました」
「開戦を聞いて逃げ出そうと思う者はいなかったという事ですね」
「そうです。と、言いたいところですが、やっぱり怖い物は怖いですから、水兵が何人か逃げ出そうと知恵を絞っていましたね」
「それは卑怯者と呼ばれても致し方ない行動では無いでしょうか」
「まあ水兵も人間ですから。勇敢な者も居れば臆病者も居ます。ですから逃げ出すヤツが居ても不思議ではないのです。ある者は侍従たちに紛れようとしたり、ある者は夜闇が深くなってから泳いで逃げ出そうとしたり。まあどちらも、どのギャングからも入れてもらえないような半端者ばかりでしたよ」
「ギャングに所属している者には、そのような人は居なかったのでしょうか?」
「お互いが見張っている様なものですしね。まあ今まで海軍で飯を食べて来たのに、なにを今更といったところですがね。侍従に紛れようとした奴は、舷門で番をしていた海兵隊に見つかって、たんまり拳を貰っていました」
体罰など現在では大問題になる事だろう。
「でも敵前逃亡にあたるから、本当はもっと厳罰に処するところをゲンコだけで済ませたのですから、優しい処置ですよ。夜に泳いで逃げようとしたヤツは、問答無用で海兵隊から小銃による射撃を受けました。銃声の後にパシャッと水音がして、それっきりですよ。無事に対岸へ泳ぎ着いたのかもしれないし、魚の餌になったのかもしれないし。まあ陸に上がっても、開戦という事で警察もピリピリしているはずですから、夜に上陸して来る不審人物はすぐに捕まるはずです。その後に<ブルーリーフ>へ連絡が無かったということは、そう言う事なのでしょうね」
割とあっさりと元准尉はおっしゃられた。まあ彼としては海軍を裏切ろうとした者の顛末など、些事にしか感じないのであろう。
「侍従や女官たちの列を横目に配置へ戻ると、今度は金切り声が聞こえました。本当は上空を警戒していないといけないのですが、チラリと見ると、右舷の舷門のところに女子部の将校たちが固まって、副長へ詰め寄っていました」
「女子部が騒ぎを起こすなんて珍しいですね」
「ええ。どうやらシャーロット殿下が、ご自身を慕う親衛隊を戦場まで連れていく事を憂慮し、標的艦<キャッツイヤー>へと配属替えを希望されたようです。<キャッツイヤー>には正規の乗組員は1人もおらず、必要に応じて<ブルーリーフ>から派遣される事になっていました。ですから<ブルーリーフ>に乗せておきたくない乗組員は艦長であるシャーロット殿下の裁量で<キャッツイヤー>に派遣することが出来たわけです」
練習戦艦と標的艦は行動は同じにすることは多いだろうから、両方の艦の艦長を兼任する事に無理はなかったのであろう。
「私も戦前に何回か<キャッツイヤー>に派遣されましたよ。でも条約で廃艦予定だった艦だったので、厨房が死んだままだったのです。そういうわけなので手弁当で配置に就くわけです。温かい食べ物が一切無いというのは辛いものでしたね。あの配置を経験すれば給養員長の偉大さが身に染みて分かるという物です。なにせ<ブルーリーフ>に居る間は、温かい食事は当たり前でしたからね」
「やはり食事は士気に関わるということですね」
「そうですね。帆船時代の反乱が飯の事で起きたという話を訊きますが、私にとっては実感がある物でした。で、何の話でしたっけ?」
「女子部の将校たちが副長へ詰め寄っていたというところです」
「ああ、そうでした。先頭に立っていたのは(イーディス・オリアナ・)ヘジルリッジ下級海尉でしたね。王姉親衛隊隊長の勇ましい方ですよ。元々迫力のある声をお持ちの方でしたが、さらに凄い剣幕でしたね」
「それは、王姉親衛隊の配置換えに反対していたという事でしょうか」
「話している内容はそうでしたね。『今まで訓練を重ねて来た』とか、『武器が足りないならば小銃を使ってでも戦える』とか。ほら、儀仗隊も兼ねておられたから、ピカピカに磨いた小銃が支給されていたのです。まあ、それを対空射撃に使ってどうなるという物ですけれど」
「それは副長が説得されたのでしょうか?」
「いいえ。シャーロット殿下と航海長が出て来られて収められましたね。まあ、航海科の大将も分かっていて、女子部の全員が<ブルーリーフ>に残りたいと思っているわけではないと看破していましたね。凄い剣幕で声を張り上げ続けるヘジルリッジ隊長ではなく、横の副隊長に『君もそうかね』と聞いて受け流していました」
ヘジルリッジ下級海尉(当時)は男勝りという言葉が似合う女性だったようだ。その彼女と言い争いをしても無駄と判断されたのだろう。
「副隊長のお嬢さんは、傍から見ていても仕事をやらされているという感じの方でした。海軍はそうではいけません。自分がこの仕事をやらねばならんという考えでないと事故の元になりますから。ただ他のお嬢さん方が先に辞めてしまって、言わば逃げそこなって、仕事を押し付けられていたのでしょうね。でも、これから本物の戦争だという時に、流されるままでは命に関わります。女子部が全滅するのは悲劇ですが、まあ冷たい事を言えば他の部署なので関係がありません」
「それでは…」
私を制せられて元准尉は怖い顔をされた。
「しかし航海に出て1つの部署が全滅すると、艦全体の危機に直結します。そういう面では他人事ではありませんでした。航海長は副隊長が気乗りしていないことを1発で見抜いて、ついでのように戦場へ行きたくない者に手を挙げさせましたね。見事な物です」
元准尉はお茶で唇を湿らせると、何度も頷かれた。
「まあ死ぬのは男性の仕事です。女性が付き合う必要はありませんよね。でもヘジルリッジ隊長と10人くらいは残ることになったようです。彼女たちは後甲板に装備されている2ネイル(約50ミリメートル)砲で戦う事になりました。この2ネイル砲は礼砲として使っていた砲です。戦艦に搭載されている砲なので実弾の備蓄もあったわけです」
「2ネイル砲の射撃は効果があったのでしょうか?」
「それはどうでしょう。同期の砲術科のヤツは豆鉄砲と呼んでいましたからねえ。私は航海科だったもので、射撃に関する事は疎いのですよ。まあ無いよりはマシだったのかもしれません。やっと女子部が起こした騒ぎが収まったと思ったら、次の騒ぎが始まりました。今度は女官の中で1番偉かった女性が『私は退艦しない』の一点張りで、他の侍従や女官からの言葉も聞き入れていないようでした」
「女官で1番ですか?」
「そうです。私たちは親しみを込めて『おばあちゃん』と呼んでいましたね。聞けばシャーロット殿下の乳母を務めて、それからずっと世話をなさって来た方だったようですね。私たち水兵にも優しくてね。シャーロット殿下の乳母と言う事は(殿下と年の近い)私から見てもお袋ぐらいの年代なわけです。ですからいつの間にか水兵たちから本物の母親のように慕われていましたね」
「あまり宮殿部分の方と交流が無いと聞きましたが?」
「それでも何年も同じ艦に乗っていれば顔見知りになりますよ。まあ怒ると恐い人でしたけれど。自分のお袋と近い年齢のご婦人ですから、怒られると頭が上がらなくてね。まあ滅多に叱られる事はありませんでしたけれども」
私は艦隊勤務で鍛え上げられた水兵たちが老婦人に頭が上がらない所を想像してしまい顔が緩んでしまった。
「まあ気の強い方でしたね。そりゃあ宮殿扱いとはいえ戦艦に乗り込んでくるような女性ですものね。周囲の同僚や部下には退艦を勧めて、自分は殿下のお供がありますから行きませんと言って退艦をしませんでした。長く一緒にいた同僚たちも説得は無理と判断されたのか、副長が手配した交通艇へと移られていました。その副長は、まあご自分の娘婿みたいなものですから、遠慮なしに言いたい放題で」
元准尉は当時を思い出したのかクスクスと笑い出された。
「あの堅物の副長があれほど困った顔をみせたのは、あの時が初めてだったのではないですかねえ」
「それからどうなりました?」
「結局、シャーロット殿下がお越しになられて、説得しようとなされましたよ。でも戦艦の艦長を務める娘を持つ母親と言ったところですか。まあ実の母親ではなく乳母ですけれど。1歩も引かずに、逆に『私を降ろそうとしても無駄です。もし降ろすと言うならば、その腰の物で手討ちになさって下さいまし』と啖呵を切っていました。これにはシャーロット殿下も参った様で、女官の中で彼女だけは残ることを許したようです」
「民間人を連れていく事に、どう感じられました?」
「まあ正直な話、そんなことを考えている余裕はありませんでしたね。海軍に入ってから訓練してきて、これから本当に戦争が始まるのだ。そういう気持ちの方が大きくて、余分な事を考えている暇はありませんでした。それに私の配置は対空見張りだったでしょう。そういった余分な事を考えているよりも、任務に集中しないとならない。なにせ今や本土の港に居ても空襲の可能性がありましたから、敵機の接近を見逃してはならんという気持ちの方が大きかったですね」
★出撃準備のこと。
「記録によると出撃準備が発令されたのは午後2時59分ということですが、間違いないでしょうか」
私の確認に元准尉は手帳の1冊をチラリと確認された。そして意外そうに否定された。
「艦隊には出撃準備なんていう命令は無いのですよ」
意外な言葉に声を漏らすと、元准尉は面白そうに説明してくれた。
「艦隊は港から出たらもう命がけですから、戦時も平時も無いのです。ですからカラドクボリ作戦に向けての出港準備というのが正解であって、出撃準備と言うのは間違いなのです」
「あ~」
私が納得の声を漏らしていると、元准尉は御機嫌な様子で教えてくれた。
「その代わり空母に搭載している航空隊や、潜水母艦に世話になる小型潜水艇などは出撃と言っていました。まあ母艦からの発進ですから訓練と実戦では変えていたのでしょうね」
「なるほど。では戦記映画などで空母から航空隊が出撃と言って飛び立つのは、あながち間違いでは無いと?」
「それは、ちょっと勘弁してもらっていいですか? 私は空母の配属になった事が無いので知らないのです。ここで嘘をついても構いませんが、他のアレコレまで嘘と思われたくありませんから」
「ああ、そうですね。では出港準備が出てどうなりましたか?」
「どうも」
元准尉は肩を竦めておどけてみせられた。
「まだ当直の時間でしたから、何も変わり様がありません。ただ当直長に時間が出来たら家族に手紙を書いておけよとは言われましたね」
「それは最期になるかもしれないからという意味でしょうか?」
「正しくその通りです。毎日1500時(午後3時)に配置に就いている者で訓練をした後は、お茶の時間となります。艦橋配置ですと当直長がわざわざ下へおりなくても良い様に、当番兵が魔法瓶にお茶を用意して持って来るのを分けてもらえます。そこで緩く周囲を見張りながら今日のここは良かった、あそこは悪かったと反省会をします。あの日は、そういった反省会ではなく、戦闘を前にして必要な心構えみたいな話しになりましたね」
「書く時間はあったのでしょうか?」
「ありましたね」
照れたような笑みを浮かべて元准尉は頭を掻かれた。
「港内勤務のままでしたから1600時(午後4時)に次の当直と交代すると、さて何をしようかとなりました。お茶は(戦闘)艦橋に居る時に頂いてしまったし、夕飯まで時間がある。艦橋から下りながら途中の水兵便所で用も済ませてしまったし、いつもなら昼寝でもするところです。ところが居住区へ戻ると他の者はみんなで私物の整理をしているわけです」
「死出の旅を覚悟してということですか?」
「まあ、そのような感じです。ほら戦死すると自分の荷物は家族の許へ送られることになるわけです。一緒に艦と沈むのならまだいいですが、艦が無事で自分だけがどうにかなってしまうと、そういったことになります。その時に『おまえの父ちゃんの遺品だよ』とか言って開けた荷物から恥ずかしい物が出てきたら嫌じゃないですか」
「恥ずかしい?」
「まあ水兵の世界は男所帯ですから、隠れてみるような本やら写真やらを抱えていたりするわけです。まあ独身者なら別にいいのでしょうけど、所帯持ちはねえ」
そう言われて同意を求めるように視線を寄越されても、苦笑いしか出て来なかった。
「そういった物は、まあ無事に作戦が終わったら返せよとか条件付きで独身者の荷物へ勝手に押し込んだりしてドッタンバッタンしているわけですよ。私も、まあ恥ずかしくないように荷物の整理をしましたね」
チラチラと私から視線が外れるので不思議に思っていると、その先には奥方が微笑んでおられたことを記録しておく。
「それから、みんなで書き物ですよ。自分の遺書になるかもしれない手紙でしょう。書く時には緊張しましたね。いちおう地方学校で読み書きは習うはずですが、字が書けない奴もいてね。そいつの代筆なんかも任されて、ちょっと忙しかったですね」
やはりギャングの頭をするような人物は書き物も出来ないとならないようだ。まあ出世すれば各種の書類作業もやらなければならないので、当たり前と言えば当たり前である。
「また文面も気を付けなければなりません。艦隊勤務の者が家族へ手紙を書く時は検閲の対象になりますから。どこそこから出港してどんな敵と戦う予定だなんて書いたら、検閲で真っ黒に塗りつぶされますよ。だから私は軍艦に乗って国王陛下と王国のために戦う事になったみたいな、持って回った書き方しかできません」
日記をつけることが禁止されていた事と通じる話である。
「海軍に入っているのだから当たり前なのですけどね。それと個人的なことですか。もし悲しい知らせが届いた場合は、家督は誰に譲るとか、家の宝物を末永く大事にしろとかですよね。まあ、そういった歯がゆい文面しか書けませんよ。どの軍艦に乗っているかも検閲の対象でしたから」
「奥さまはどうでしたか」
ついでに家族としての感想を訊こうと振り返ると、夫人は微笑まれるばかりだった。だいぶ待たされてからやっと口を開いてくださった。
「ああいった時代でしたから。女性は夫の字を撫でて無事を祈るぐらいしかできませんでした」
「そうやって、みんなで大騒ぎしていると主計科の分隊士の声が艦内放送から聞こえてきて、手紙を出す者は2000時(午後8時)まで主計科事務所にて受け付けるという通達をしました。(主計科)事務所には大きな郵便袋が用意してあって、封をした手紙をそこへ放り込むわけです。まあ地上の海兵隊事務所で検閲するために開けられちゃうのですがね。代金は俸給からの天引きでした」
「荷物の整理に手紙と。作戦前に特別な事はそれだけですか?」
「まあ、だいたいは。後は夕飯の時に下士官は1つの食堂で顔を合わせますから、同期の奴らと挨拶を交わしましたね。とくに機関科の奴は、これが最期だからと言わんばかりでしたね」
「最期ですか?」
「悲観しているわけでは無いのですが、機関科は配置が下甲板や船倉甲板なわけですよ。つまり艦が沈むとなると脱出するために4つも5つも甲板を上がらなければなりません。しかし浸水したり火災だったり普通の経路が無事な保証は無く、また傾いて沈む場合は傾斜も敵になるわけです。せっかく上甲板まで逃げてきても、転覆していたらそこは海の中ですから」
「しかし、あの有名な豪華客船が沈んだ時も機関員は全滅しませんでしたよ」
「それだけではなくて、敵の魚雷が命中した箇所にいたら、跡形もなく吹き飛ぶことになります」
「まあ戦争ですから」
「では私が配置に就いていた(戦闘)艦橋は安全なのかと言うと、そうでも無いのです。敵の爆弾が破裂した時に、まるで包丁のような弾片を撒き散らします。コレが爆発の勢いで飛んで来るのですから、当たったら1発で致命傷ですよ。さらに(敵機は)爆撃だけではなくて機関銃による掃射もしてきますから、これに狙われたら助かる確率の方が低いわけです。こういった上からの物に対して機関部は中甲板の装甲で守られているわけです」
「お互いが最期だと思っていたわけですね」
「ですから、もし艦が沈んでどちらかが無事だったら、お互いの家族に会いに行って『おまえの父ちゃんは最期まで勇敢に戦った』と伝えようと約束しましたね」
「なるほど。それが戦友というものですね」
「そういうことです。後はやる事をやってしまうと、寝るしかないわけです。なにせ次の当直は0000時からですから、体を休めておかないとなりませんから。とは言え興奮していたのでしょうね。その夜はなかなか寝付けませんでした」
★出港のこと。
「やはり真夜中の当直という物は嫌な物ですか?」
「それはそうですよ」
何を当たり前の事をと元准尉は体を仰け反られた。
「なにせ幽霊に出くわす確率が一番高いですから」
「え? 幽霊ですか?」
聞き間違いかと思って確認すると、至って真面目にそうですと頷かれた。
「まあこれは他の艦の話ですがね。私の同期が北洋を航行中に艦橋当直に当たって、双眼鏡で前方を見張っていたそうです。すると後ろから航海長の声で『異常は無いか』と訊かれたって言うのですよ。まあ当直しなくていい怠け者たちでも(筆者注:艦長、副長、主計長、航海長、内務長、機関長、運用員長の7人は当直に立たなくてよいことになっていた)真面目な方は当直兵が寝てないか見まわったりしますからね。で『異常ありません』と答えてからゾーッとしたそうです」
「それは何故ですか?」
「その艦は、前日の昼に海戦で被弾して、その時に航海長は戦死なさっていたからですよ。もちろん振り返っても誰もいなかったそうです。まあ同期の受け売りなので信じるか信じないかは勝手ですがね。航海に出ていると似たような事はいっぱい経験しますよ」
「ちなみに、ご自分での経験は?」
「ありますよ、とっておきのヤツがね。でも、ソレを聞いてしまうと…」
元准尉は椅子から身を乗り出して不敵な笑みを浮かべられた。
「夜に便所へ行けなくなりますがね」
私はからかわれているのかそうでないのか分からなくなった。それを表情で察されたのか、元准尉は元の位置へ戻ると言葉を続けられた。
「まあ12月の真夜中に、露天甲板での当直なんて碌な物ではありませんよ。寒さだけでも相当ですからね。でも誰かがやらないと敵に奇襲される可能性があるわけです。とくにカークウォールでの奇襲があった夜でしょう。開戦当初の夜間攻撃は恐れる程の精度はありませんでしたけれど、やはり襲われるのは嫌ですからね」
「これ以上の損害は御免被りたいということですね」
「外套だけでなく下着や靴下などを何枚も重ね着して寒さに耐えるわけです。もちろん(戦闘)艦橋で当直に立つ将校だって同じ条件です。いや、将校より水兵の方がマシかな? なにせ目の前に任務がありますから。見張りは先ほどやってみせたように体を捻ったりして動かしますから。(港内配置での)当直長などは通信や信号が無い限りは仕事がありませんからね」
真冬の私などは暖炉の前でも寒さに参って毛布を頭から被っているほどだ。それを外に居るだけでなく、海上ともなると寒さの想像がつかなかった。
「手袋も、まるで料理に使う鍋掴みのような物です。本国周辺ではまずありえませんが、(気温が)氷点下になると金属製の物にはうっかり触る事も出来ません。貼りついてしまって皮を剥がすことになりかねませんから。あの日は0700時(午前7時)ちょっと前に夜明けでね。やはりお日さまを見るとホッとします。同時に空襲の可能性が出て来るわけですが」
「やはり彼誰時の見張りは難しい物でしょうか?」
「そうですね。方角にもよりますが水平方向を見ていても太陽光で目が眩む事も有ります。また逆に、夜が残っている方角からは奇襲がしやすくなります。暗闇に紛れて忍び寄って来る魚雷艇や雷撃機は識別が難しいですからね」
「見分けが出来ないとおっしゃる?」
「ええ、まったく。東からの光でキラリと風防の窓ガラスが光ってくれれば儲けものなのですが、そういう事が無いと見分けるのは難しいですね。その朝は幸いそういった物は存在しなくて、ホッと一息つきました。0800時に当直交代の時間ですが、交代する予定の水兵がちょっと早めに来てくれましてね。まあ目を慣らさなくちゃいけませんから、誰もちょっと早めに配置へ行くようにしていましたが」
「すると午前中は非番だったわけですね」
「そうです。まあ開戦したからには、いつ戦闘配置の喇叭が鳴るか分かりませんから、朝飯を食べたら休める時に休もうと自分のネグラへと戻りました。そうしたらアッチでゴソゴソ、コッチでゴソゴソと五月蠅くて寝られないのですよ。まあ不要物の揚陸やら甲板上は忙しいわけです。その音が聞こえて来ているわけです」
「それは航海科が行っているのですか?」
「いえ当直に当たっている砲術科が主に命じられていました。彼らは当直でもやることがありませんから。まあ自分の非番の時に止めてくれとは思いましたが、まさか夜に荷下ろしをするわけにもいきませんからね。それでもいつの間にか寝ていたようで、昼の時鐘が鳴った時に同僚に起こされました。寝たのに疲れたなんていう経験はアレが初めてでしたね。それで食堂で昼飯を食べたら前日の続きですよ」
「続きというと?」
「手紙の代筆や荷物の整理ですね。手紙はもう出せなくなっていましたけれど、もしもの時のために書置きを残しておきたいヤツからの依頼があったりしました。荷物は、もう個人の物は終わっていましたが、派閥で共同購入したような物もありましたからね。あと装備品でも将校が不要と判断した物は陸揚げの対象となります。それと後甲板の大荷物の片付けに駆り出されましたね」
「大荷物?」
キョトンとしていると元准尉は困ったように微笑まれた。
「侍従や女官たちは自分たちで荷物を纏めて退艦されていたのですが、女子部の娘さんたちはそうはいきませんでしたからね。50人分ぐらいの荷物がそのままになっているわけです。女子部の分隊長と数名が残られましたが、片付けに人手が足りないのは明らかでした。ですから妻帯者の中でも真面目な連中が指名されて、そこの手伝いですよ。若いヤツに女の子の下着なんか任せたら、確実に何枚かちょろまかすヤツがいますからね」
「ああ、納得です。前日に<キャッツイヤー>へ移られていたのでしたね」
「ええそうです。後甲板の上甲板は帆布で区切っていましたでしょう。もし戦闘でそこに火が点いたら大変なわけです。船火事は沈没に繋がりますからね。そういう大きな物は若い者に任せて、選抜組は部屋の様に仕切られた区画へ入りました。いつもなら女子部が睨みを利かせているので入れない区画でした。いわゆる女の園ですよ。男性だったら期待するでしょう?」
「いえ、同意を求められても…」
「そうしたら、まあ散らかっていること。洗濯物が干しっぱなしになっている人も居ましたね。侍女役の水兵が頑張ったのでしょうけど、それよりお嬢さん方の散らかす速度の方が早かったようですね」
「まあ、1人ではできることに限界がありますから」
我が身を振り返って、散らかし放題の自室を自慢は出来なかった。
「副長も監督に来られて、分隊長さんと一緒に私たちに指示を出してくれました。でもドレがダレの私物なんてわかるわけもありません。目についた物を片端から個人用の雑嚢へ詰め込みましてね。いっぱいになった雑嚢からスターン・ウォークへ投げて山にしました。そこも一杯になったら短艇を回して、そこへ投げ落としてね。こっちは何が貴重品かも分からない山猿ですからね。ですからもし壊れ物が入っていたら割れたり欠けたりしてしまったかもしれませんね」
「本来なら自分で荷物は整理する物ですよね?」
私の確認に元准尉はそうですと頷かれた。
「まあ、たまにですが。平時の航海でも1人ぐらい居なくなることがあるのですよ。(甲板が)凍り付くような寒い海域だと、足を滑らせてそのままドボンなんていう事もあります。また寝不足でボーッとしたまま舷梯から波間へ落ちてそのままという可能性もあります。そうすると他の者が荷物を片付けることになります。まあ整理整頓は海軍の教えの1つですから、みっともないことにならないように、普段から気を付けていますがね」
「航海に出ると命がけというのは本当の事なのですね」
「ええ、まったく。そうやってこき使われていると、上が騒がしくなりました。まあいつもの訓練ですよ。開戦しても毎日1500時(午後3時)ぐらいに訓練していました。そうやって装備品が故障していないか確認を兼ねているわけです」
「開戦しても訓練は欠かさないものなのですね」
「そうです。そうしているうちに出港ラッパが聞こえてきました。雑嚢を積んだ短艇が帰ってきて揚収が終わってすぐですよ。私たちは間仕切りにしていた帆布を丸めるのに忙しかったですね。ですから私は出港の瞬間は陸を見ていないのです。普段ならこれが見納めになるかもしれないと、舷窓や甲板から見るものなのですがね。まあ可燃物を片付ける方が優先だったわけで」
「それから、どうなりましたか?」
「1600時(午後4時)から当直なわけです。配置は港内配置から警戒配置へと変わりましたが、左舷がそのまま引き継ぎまして、右舷はその時間からとなったわけです。とりあえず仕事もほとんど片付いた事だし、便所に行って当直に備えましたね」
★決戦前夜の事
「当直の交代は午後4時だったというわけですね?」
「ええ。もう日が沈んで半時間ほど経っていましたね。冬だから残照なんかもあっと言う間に消えて、真っ暗になりました。また雲が出て来て星も良く見えなくなりました。ああいう夜は憂鬱になります。それが平時でもそうなのに、成功率が低い作戦と聞かされていましたから、余計でしたね」
パイプに新しい葉を詰めながら元准尉は語ってくれた。
「みんな押し黙って目の前の任務に集中していました。トーリッジ管区隊が小型飛行艇を飛ばしてくれましてね、ブーンと呑気な音を立てて艦隊の上空を飛んでいましたね。味方撃ちをしないように識別灯を点けていましてね。緑色と赤色にキラキラ光って綺麗でしたね」
小型飛行艇は艦隊の前路哨戒を行っていた物と思われる。
「トーリッジの港は現在もそうなのですが、港外に岩礁地帯がありましてね。下手な舵取りには任せられない海域なのです。ですからシャーロット殿下と航海長の2人が(戦闘)艦橋に上がっていましたね。艦隊の序列は、<アロー・メーカ>を先頭に1本棒になる単縦陣でした。航路から外れると座礁の危険がありましたから、他に並びようがないのですよ」
「1本棒ですか」
「もうちょっと詳しく説明しますと、何度も言いますが軽巡洋艦<アロー・メーカ>が先頭です。魚雷戦戦隊の軽巡洋艦は(魚雷戦戦隊の)戦隊旗艦なわけです。先頭に立って敵方の駆逐艦を砲力で圧倒して、味方の駆逐艦の突撃を助ける事が任務です。ですから、どんな時も艦隊の先頭に立つのが役割なわけです」
これは海軍伝統の三叉鉾序列でも同じである。両脇の魚雷戦戦隊の先頭も軽巡洋艦が務めるが、中央の戦艦列の先頭も軽巡洋艦が務めることが多い。(訳者注:日本語で言うところの「露払い」であろうか)
「続いて防空駆逐艦の<ロングボウ>が続きました。彼女は嚮導駆逐艦としての役割を期待されていましたから、敵に突撃する時は旗艦の次というわけです。そこから605駆逐隊の3隻、207駆逐隊の2隻が続き、供報艦の<ブラック>が<ブルーリーフ>の前で、<ホワイト>が後ろに続きました。当直を代わって1時間ほどかな?」
元准尉は手帳を確認された。
「ははあ。1652時(午後4時52分)に飛行艇が翼を振って何やら合図をするのです。なんだろうと見上げていると、すぐに理由が分かりました。通信室から伝令が駆け上がって来て『哨戒機より入電。所属不明の潜水艦を発見』というわけです」
「潜水艦ですか。では…」
これが通商保護の巡洋艦ならば勇敢に立ち向かう場面である。
「でも、こちらは岩礁海域の真只中なわけで、ろくに回避運動すら取れません」
どうやら期待するような勇ましい場面とはならないようである。
「するとトーリッジ管区が第9艦隊の周囲を警戒させていたのでしょうね。所属の駆潜艇隊が向かうという連絡が入りました。駆潜艇という立派な名前がついていますが、見た目は小さな漁船みたいな艦艇です。如何にも頼りない姿ですが、喫水が浅いから岩礁海域でも座礁を気にせず自由に動けるわけです」
おそらくシャーロット殿下が乗り込まれた特務掃海艇のような小型艇であったのだろう。
「こちらは真っすぐ進むしかありませんから、時々灯っている航路標識の向こう側を駆けまわる小さな影に期待するしかありませんでした。まあもし敵潜水艦だとしても雷撃は難しいはずです。<ブルーリーフ>よりも先に海底からせり上がっている岩礁に魚雷が当たってしまうはずですから」
「どうなりましたか?」
「警戒配置は2時間で交代ですから、艦橋の根元にある水兵待機所に下りようと次の当直の部下に申し送りをしている時に、ボカンボカンと遠くから爆発音が聞こえてきましたね。あれです。駆潜艇の爆雷が投下された音です。いちおう戦果ありという報告があったようですが、本当かどうか私たちは知りません」
「ということは戦果が怪しいと言う事でしょうか?」
「いくら奇襲で開戦したとはいえ、こんな王国本土の目と鼻の先に敵潜水艦がやって来ているとは信じられませんでしたから。それから舷梯を下りて水兵待機所に入ってから、派閥のみんなを集めてちょっと酒を呑みましたね」
「警戒配置だというのに飲めたのですか?」
「本当はいけないことになっていますが、なにせ冬の夜でしょう。少しでも含んでおかないと寒くて当直に立っていられないわけです。そうこうしているうちに夕飯の時鐘が鳴ったので、みんなで車座になって飯を食べました。警戒配置の時は食堂になんて行っていられませんからね」
「そういう時のお酒はどこから出すのです?」
「港内配置などで緩い艦内配置の時に『酒保開け』という命令がありましてね。コレが出ている時が一番、その艦がだらけている時です。主計科が艦内で開いている店が商売をしてくれます。そこで白蘭地やラム酒が売られますから、それを派閥連中で金を出し合って買いためておくわけです。かつてはお茶の時間と夜食の時間に必ず麦酒が出たそうです。しかし私が海軍に入った頃には、お茶の時間は紅茶に、夜食は加加阿に変わっていました。酒は夕飯の時だけでしたね」
「その時も飲んだということですか?」
「まあ1人あたり1杯だけですから。普段は大きな樽が食堂の角に置かれて、主計科の当番が水兵たち1人ずつに長い柄がついた柄杓で汲んでくれます。こういう警戒配置の時は同じ場所へ代表を派遣して派閥の分の酒を運びます。ですから水兵が1人ずつ持っている容器には蓋がついているわけです。運んでいる途中で零したら折檻じゃ済みませんもの。で、その酒を頂くのですが、海の男がそれだけで足りるわけありませんよ」
そう言って元准尉は笑われた。
「そうして飯を食べたら次の当直です。(戦闘)艦橋に上がると、そこに見たことも無い荷物が置いてありました」
「荷物?」
「暗い中で目を凝らすとそれは荷物なんかではなくて、丸椅子に座って前に置いた机に誰かが突っ伏している姿でした。映画などでは(戦闘)艦橋に椅子が置いてあったりしますが、本当は基本立ち仕事なので椅子はありません。誰かがソレを持ち込んで、海図室にある予備の海図台にする机と組み合わせているわけです」
「誰だか分からなかった?」
「ええ。頭からすっぽりと雨合羽を(筆者注:王国海軍ではゴム引きのポンチョが各員に支給された)被っているので、誰だか分かりませんでした。すると前の当直に就いていた部下が、遠慮がちに小さな声で『あれは艦長です』と教えてくれました。どうやら前の当直後も(戦闘)艦橋から下りずに、そこへ粗末な食べ物を運ばせて食事をしたそうです。それで『何か起きたら殴ってでも起こせ』と言い残されて雨合羽を被って丸くなったとか」
「(戦闘)艦橋に居続けたと言う事ですね」
「まあ、敵の襲撃があったら当直長が誰か高級将校を呼ぶことになっていますが、その場に艦長が居ればすぐに対応できるわけです。しかし柔らかい寝台に寝るのと机に蹲るのでは休息にも差がある。しかもシャーロット殿下はまだ左腕が治療中だ。責任者として(戦闘)艦橋に残られたようですが、こっちとしてはお体に障らないか心配なわけで」
「普通の戦艦では有り得ない光景だという事ですか?」
「ええ。先ほど挙げたレイジーズの7人は当直に立たなくて良い事になっていましたから。まあ<ブルーリーフ>では先代の艦長からその7人も当直に入るようにしていましたけれど。しかも冬の露天甲板ですし、その頃から細かい霧雨が降り始めていました。もう普通に当直で甲板に立っているだけでも荒行のような環境でした。ですから私は当直を交代する前に、当直長のところに行きました。当直長は運用科の分隊士でしたね。そこでわざと大仰に敬礼をして申告しました。『報告! 右舷後方対空見張盤故障!』ってね」
「ええと。まだ配置には就いていないのですよね?」
「そうです。すると当直長は『なにい』と睨み返してきました。私は見張長ですから機器の故障は私の責任になります。『どういうことだ? 説明せよ』と不機嫌に言われましたよ。まあ夜中の当直なんて気が立つか、その反対か、どちらしかありませんからね」
「そういったキッカケでケンカは起きるものですか?」
「まあ荒くれ者ばかりですし、今と違って殴り殴られといった社会でしたから。でも予想していた私は別に売り言葉に買い言葉という感じではなく、純粋に報告という態で話しを続けました。『どうやら防水ゴムに不備があった様です。内部に水が入ると完全に使用不能になる恐れがあります』とね」
「それが大問題ですか?」
「冷静に言われると当直長も困惑するわけです。なにせ霧雨の真只中です。これで故障が酷くなったら責任問題よりも先に、敵の空襲を対空見張盤1つ欠けた状態で戦うことになるわけですから、生きるか死ぬかという事になりかねません。で、困った顔になった当直長に『右舷の日除けを展開すれば解決すると思います』と進言したわけです」
「日除けですか?」
「(戦闘)艦橋は露天ですが、時々お客さんが見学を申し込まれる事があります。そういう時に悪天候や陽射しが強いとお客さんが参ってしまいますから、その対策に帆布製の天幕を張れるようになっていました。全部を使用すると(戦闘)艦橋全体を屋根のように覆う物になります」
「普段は使用しなかったのですね?」
「空が見えなくなりますからね。私はソレを右舷後方の見張盤の上だけでも張れないでしょうかと提案したわけです。そして目配せしてやると、当直長は私の真意を組んでくれたようでした。地方学校で保護者の前でやる学芸発表会のような大根な演技で咳払いをすると『機器の故障は仕方なし。右舷後方の天幕の展開を認める』と許可を出してくれました。それで私は部下たちと一緒になって、右舷後方の天幕を展開しました」
「ということは? どういうことでしょうか?」
「前に説明した通り、艦橋後方には装甲塔が建っています。その1階が海図室になります。その扉は年がら年中開けっ放しになっていまして、そこに出した机の上にシャーロット殿下が突っ伏しているわけです。で、右舷後方の対空見張盤に雨水がかからないようにする天幕を張ると、そこも覆われるという寸法でした」
「ああ。それは良い判断ですね」
「そうやってシャーロット殿下を起こさないように天幕を張ってから当直を交代しました。といっても当時の常識では雨が降っている夜に空襲できないことになっていましたから、対空見張りに根をつめなくても大丈夫でした。艦隊は私が当直に立つ前…」
ここでまた手帳を確認された。
「1945時(午後7時45分)に序列を組み直して、第3序列となっていました。これは艦隊の先頭を軽巡洋艦の<アロー・メーカ>が進み、そこを頂点に左右に雁行となって駆逐隊が警戒幕を張るという対潜水艦用の陣形です。右の雁行が<ロングボウ>と207駆逐隊の3隻、左の雁行が605駆逐隊の3隻でした。その傘の後ろに、供報艦に挟まれた<ブルーリーフ>が続きました」
「その3隻の並びに変化はあったのでしょうか?」
「たしか変えていなかったと思います」
さすがにそこまでのメモを残していなかったのか、手帳を確認されても歯切れの悪い言葉が続いた。
「港を出た時と同じで前が<ブラック>で、<ホワイト>が後ろだったはずです。交代直後に(戦闘)艦橋の電話が鳴った事を覚えています。内容は『左舷警戒幕の<フィネガン>が敵潜水艦らしきもの発見』でした。途端に<ブルーリーフ>の(戦闘)艦橋は騒がしくなりました」
「戦闘態勢でしょうか?」
「いえ警戒直のままでした。予定された序列では<フィネガン>は傘の1番左端を進んでいるはずでした。艦隊針路は2・7・0でしたから、1番大陸側でもあるわけです。『本当に敵潜水艦か?』と殿下の声が聞こえました。いつの間にか羅針盤のところに立っていらっしゃったのです。軍服の上に支給品の外套と(筆者注:王国海軍では黒色のダッフルコートが各員に支給された)雨合羽を着こんだままでしたね」
「ええと、夜ですよね?」
「夜の(戦闘)艦橋には明かりがありませんでしたが、羅針盤の盤面には蓄光塗料が塗られていて、その光がボーッとシャーロット殿下のお姿を映し出していました。そのお声はとても真剣な物でしたね。なにせだいぶ敵性であるとはいえ、まだプロニア帝国やラマン聖王国とは中立を保っている情勢です。間違って攻撃してしまい、これらの国へ開戦の口実を与えるわけにはいきませんから」
「しかし潜水艦は水の中でしょう? どうやって区別するのです?」
「国際戦時法では、潜航している潜水艦は自身が戦闘状態であると宣言していると見なされます。そんな艦が艦隊に近づいて来たら敵対行動を取ったと見なせるわけです」
「それでは問答無用に撃沈しても良いということですか」
「そうです。しかし念には念を入れてシャーロット殿下は<フィネガン>へ『間違いなく敵潜水艦であるか?』と無電を打たせました。本来は電波を使う事を控えなければならない状況ですが、敵潜水艦が接近しているのならば一刻が惜しいわけです。すると『当艦より左舷大陸方向9時に浮上潜水艦を確認。現在当該潜水艦は潜航中』と返信がありました。つまり浮いている姿を目撃しているわけですから、それがモイラ海軍の物かどうか判断できたというわけです」
「間違いなく敵艦だったわけですね」
「そうです。羅針盤の前に立ったシャーロット殿下に、当直長が『どうしましょう』と訊ねました。そりゃあ艦と艦隊の最高責任者がそこに立っているのだから、訊くのは当たり前です。シャーロット殿下は羅針盤と周囲の暗い海、それとうっすらと見える本土の影を確認されると『艦隊2点面舵』とだけ命令されました」
「2点?」
「2点面舵というのは360度を32分割にした角度を1点とする方位の示し方です。つまり1点が11度25分ですね。これが2点ですから22度50分になります。で、面舵は舵を右に切れということです。艦隊の針路を少しだけ右に向けて、潜航した潜水艦から離れようと図ったわけですね。現代の潜水艦はものすごい速度が出るそうですが、当時の潜水艦はそんなことができなくて、一度潜航すると亀のように鈍くなるのです。ですから正しい判断だったと思いますよ」
この第9艦隊が遭遇した潜水艦は、まさしくモイラ海軍の潜水艦であった。機動部隊と共に霧の海域を抜けて、ケンブルやトーリッジからポート・ターリクへと向かう艦艇が無いかをこのハヤシ海峡の出口で警戒していたのである。
「1時間ほどその針路で進んだ後に、舵を戻しましたね。それだけで襲撃も無くて安心しました。無線室では発信者不明の強い電波が近くで観測されて緊張したそうですが(戦闘)艦橋まで報告が上がってきませんでしたね。後になって通信長が速やかに報告は上げるべきだったと反省なさっていましたよ」
この電波は<ブルーリーフ>とそれに従う第9艦隊を発見したと敵機動部隊司令部へ報告する物であった。
「まあ1時間も何も無ければ問題ないと判断されたのでしょう。シャーロット殿下は机の所へ戻ると『何かあったら殴ってでも起こせ』とおっしゃって、また蹲るように体を机に預けられました。その時の当直はそのまま終わりを迎えて、次の当直に立つ部下と交代しました」
★飛行長と航海長のこと
「まあ夜中に当直を交代したらやることは1つですよ。下の兵員待機所に下りて1杯引っかけて毛布にくるまって仮眠です。次に起こされる時はもしかしたら戦闘中かもしれませんが、真冬の鉄の箱の中です。寒くて眠れたものではありませんよ。そこで酒の力を借りるわけです」
「暖房はなかったのですか?」
「いちおう蒸気管が張り巡らせてありましたがね。警戒直で半分、戦闘配置で全部止められてしまいます」
「それは何故ですか?」
「蒸気が流れているところに敵の砲弾が命中した場合、簡単に火傷する温度の蒸気が漏れだしてしまうわけです。それでは余分に危険を背負い込むことになるので、あらかじめ止めてしまうわけです」
「待機所には蒸気管は無かったのですか?」
「警戒直の時は蒸気が来る場所ではありました。が、機関科はケチでね。ちっとも温まりませんでしたよ。暖房はつけっぱなしにしていても震えがくるほどでしたよ」
「酒を呑んで寝たら起きれなくなりませんか?」
「次の交代は1時間後と短いのは分かっていました。それでも当直の交代前の15分ぐらいには自然と目が覚めてしまうのですから不思議な物です」
町で迎える冬でも寒さに対抗するために酒の力を借りる事もあるぐらいだ。鉄の箱たる軍艦の艦内ならば、むしろ当然の事であろう。
「アクビを噛み殺しながら夜食の配給を受けて腹を満たしてから、前檣楼後ろの舷梯を上がって、自分の配置へと戻りました。艦隊は灯火管制中で真っ暗でしたが、普段から暮らしている空間ですから自然と見なくても体は動く物です。そうして真夜中から当直に就きました。雨は上がっていましたが寒さは相変わらずで、そんな(戦闘)艦橋に出した机でシャーロット殿下は相変わらず蹲っていましたね。先ほどの潜水艦出現などのように緊急事態がいつ起きるか分かりませんから、そこに居らして下さるのは頼もしかったです」
「それはやはり王族だからでしょうか」
「まあ、それもありますが。やはり私らの大親分ですからね。しかし1番下端の水兵ですら酒をかっくらって、待機所とはいえ毛布にくるまって足を伸ばせた事に比べると、だいぶきつい事には変わりはないはずです。しばらくすると航海長が(戦闘)艦橋に上がっていらっしゃいました。真夜中の対空見張りなんて開店休業みたいな物ですから、半ば任務をサボりながら『どうなさりました』と声をかけると『癖が抜けずに目が覚めてしまったよ』と笑っていらした」
「クセ?」
「<ブルーリーフ>では航海中でも停泊中でも、真夜中の天測を0000時(午前0時)に行います。これは士官候補生や学生などに天測の練習をさせる意味があります。でも素人に毛が生えた程度の連中ですから、ケンブルに在泊中なのに赤道直下を航行中なんていう測位をするトンチキが結構いましてね。艦の現在位置は航海長の権限ですから、わざわざ真夜中に起きて睨みを利かせていないといけなかったのです」
「ああ、なるほど。ちなみに元准尉は天測を行った事はありますか?」
「航海科に居れば日課ですよ。しかしカラドクボリ作戦に出港した<ブルーリーフ>には士官候補生も学生も乗り込んでいませんでしたから、掌当直長になっていた操舵長がパッパッと片付けてしまってね。重なる雨雲で月は見えませんでしたが、隙間から北十字星の1等星が見えたので、測位はすぐに終わったようです」
(訳者注:この世界の天体が我々と同じ天体かと訊かれても判断はつきかねぬ)
「測位ができたら自動航路作図装置が間違っていないか数値を比べます。海図室の中から遠慮がちな声で『筆の先ほどしかずれておりません』と定番の報告が聞こえましたね。航海長は報告を聞いてホッとしたように『そうか』と頷かれていましたね。するとシャーロット殿下も艦の現在位置が気になっていたのか、いつの間にか起きていらして外套に雨合羽を着こんだまま海図室へ入られて海図を確認されていましたね」
「そこは、やはり艦長というところでしょうか。しかし海図を(灯火管制の真っ暗な中)どうやって確認されたのです?」
「そうですね。海図室の扉は開けっ放しですが海図台の周りだけ暗幕を張って光が漏れないようにしてあるわけです。しかもその光もごく弱い赤い電球で、外に漏れても遠くまで届かないようにと徹底していました」
「なるほど」
「海図の確認を終えて満足したのか、シャーロット殿下が(戦闘)艦橋へ戻って来られたところで、航海長が言いにくそうに口を開きました。『艦長。この戦いに勝ち目はあるのですか?』とね。その瞬間、配置に就いていた水兵たちの雰囲気が変わりましたね。全身が耳になって上官たちの会話を聞いているわけです。もちろん目の前の任務を怠るような事はしませんが、自分の生死に直結する話ですからね」
「普通は、そういう話は下の者が居ない場所でするものではないでしょうか?」
私の疑問に元准尉もそうですと大きく頷かれた。
「まあ艦の上層部が何を考えているのか、わざと水兵たちに聞かせたのだと思いますよ。作戦などは将校の職分で、いくら偉くなろうと水兵はただ任務をこなすだけですから。海軍の軍人だからと言っても、そういう事は町の人と大して変わらないわけです。で、その素人目で見ても今回の作戦には無理があるのは丸分かりでしたから、何を考えているのかを聞きたいと思っていた水兵は多かったと思いますよ」
「まあ面と向かっては聞きにくい事ですね」
「シャーロット殿下は帽子を被り直すと真っすぐ航海長を見て答えました。『残念ながら、全く無い…』と、ここまで聞いたところで水兵たちの雰囲気が変わりました。声には出しませんでしたが、その場に居る全員が、身じろぎなどをしたりして微かな音を立てたのです。それを面白そうに見回したシャーロット殿下は言葉を続けました。『…と言い切れない』とね」
「まるで、お芝居のようですね」
「まあ艦長としてわざと部下に見せているわけですから、芝居と同じですよ。『勝ち目があるとお考えでしょうか?』と航海長が意外そうに訊ねられました。それに対してシャーロット殿下は『君は信じられないと思うが、やりようはあると思っている』と堂々とおっしゃりました」
「勝ち目があると、そうおっしゃったのですね」
私が強調して訊き返すと、元准尉は「そうです」と頷かれた。
「そこでその時の当直長だった飛行長に向いて『飛行長に質問がある』と切り出されました。『私の知り得る事ならばなんなりと』と飛行長は胸に手を当てて一礼しました。飛行長は<ブルーリーフ>で1番の伊達男でしたから、そういったキザな仕草が良く似合いましたよ。その時も真っ暗な(戦闘)艦橋で舞台の主役のような優雅さで一礼して見せてくれました」
艦内一の伊達男らしい仕草ではある。
「シャーロット殿下は『航空母艦という物は、いったいどれくらいの弾薬を積んでいるものだろうか』と訊かれました。それに対して飛行長は『ははーん』と全てを覚ったように鼻で笑うと『搭載されている全ての艦上機を完全武装で飛ばすとなると2回もしくは3回が限界でしょう』と答えられました。『そこだ』とすかさずシャーロット殿下が指を立てられた」
元准尉の言葉に、観劇の感想を聞いている気分になってきた。
「『敵機動部隊はすでにカークウォール攻撃で1回分の全力攻撃をしてしまっている。これで残り2回だ。そしてポート・ターリク攻撃にもう1回分を割り当てなければならない。そして何より我が海軍の反撃を恐れているはずだ。本土へ帰るまでは最後の1回分は温存するに違いない』そうやって3本の指を立てられた。『つまりポート・ターリクへ向けられるはずの1回分の攻撃を耐えれば敵は撤退するということでしょうか?』と航海長が訊くと『その通り』と、羅針盤の明かりの中でも分かるぐらい大きく頷かれましたね」
「え、しかし…」シャーロット殿下の、卵が孵る前に前にヒヨコを数える姿勢に(訳者注:日本語で言うところの「捕らぬ狸の皮算用」ぐらいの意味)私は不安げな声をもらしてしまった。
「自信たっぷりな様子を見せるシャーロット殿下の前で、航海長と飛行長は顔を見合わせていました。そして飛行長が言いにくそうに『しかし艦長。敵機動部隊は本日…、いや昨日に補給を受けたとありますが』と申し上げると、不満そうにシャーロット殿下は航海長を向かれました。『航海長。霧の海域で弾薬の補充は可能と考えられるか?』とね」
私の表情を見て含み笑いのような顔になった元准尉は言葉を続けた。
「するとうちの航海長だって東西南北あらゆる海を渡って来た船乗りですから首を横に振りましたね。『無理でしょう。霧の海域が難所なのは霧のせいだけではありませんから』」
「霧だけではないのですか?」
「違いますね。偉大洋では赤道から少し外れたところで春と秋に暴風雨が発生します。この波が遠く北部偉大洋まで届くと、北氷洋と偉大洋を隔てるアニアン海峡で跳ね返される事になります。東のスワド半島と西のチクチュ半島が、まるでピンボールのフラップのような役割をするわけです。この返って来る波と、北へ向かう波が複雑にぶつかりあって、風も無いのに大きな三角波を発生させるのです。この波は凪いでいるはずの海域にも突然現れるのです」
三角波の恐ろしさは試作駆逐艦<タービュラント>の例がある。カークウォール沖にて公試運転中だった<タービュラント>は、三角波を横腹に受けて艦首を切断するほどの被害を受けた。もちろん高速性能を追求したために艦体構造が脆弱になっていたという理由もあるが、平時の軍艦ですらなめてかかってはいけない相手である。
「軍艦でも駆逐艦などの小さな艦だと、霧の海では転覆の可能性があるぐらいです。それよりもっと大きな戦艦や空母が引っくり返る事はありませんし、重い荷物を腹に抱えた輸送船も大丈夫でしょう。しかしまったく揺れないという事はありません。航空魚雷で20セクタル(約1トン)ほど、航空爆弾だって10セクタル(約500キログラム)ほどの重さがあります。そんな重量物を輸送船の船倉から起重機で吊り上げて、空母の搭載機用の弾薬庫へ移している最中に、そんな三角波を横から受けたら大事故ですよ」
しっかりとした地面の上での荷役作業ですら危険が伴うのに、揺れる艦上では、その難しさが倍増する事は想像に難くはなかった。
「ですから補給を行う事は、理論上は可能でしょうが、実際には無理があると言ってよいのです。ですから『補給を受けたと言っても、艦艇の燃料、搭載機の燃料や機械油などで弾薬は含まれないと思われます』と航海長もはっきりと答えましたね。艦艇の燃料である重油や、飛行機の燃料である軽質油などは太い蛇管を繋いで送油機で送れば補給できますから、突然の波が来てもまだ可能です。また機械油などは、今はどうだか知りませんが、当時は馬穴缶に入っていました。これは大荷物ではありませんから起重機で(少数ずつ)吊って移せるはずです」
つまり補給品は弾薬ではなく液状のものに限られたと判断したという事なのだろう。
「航海長の説明を受けて逆に飛行長が『つまり敵機動部隊の全力攻撃を1回やり過ごせればいいという事ですか?』と確認されると、シャーロット殿下と一緒に頷かれましたね。でも悲観的な見かたを崩せなかったようで『しかし、その1回で本国艦隊は全滅したみたいですよ』と飛行長が言いました」
正確には、カークウォール空襲は2派に分かれて行われた。
「『そこだ』とシャーロット殿下は自信ありげに、また指を立てられましたね。『敵機動部隊の全力攻撃というのは、どのくらいになるかな?』。このシャーロット殿下の質問に、飛行長はわざとらしく指を折って数を数える振りをしましたね」
「たしかに機動部隊の攻撃力はどのくらいなのか、素人の私にも興味がありますね」
私が椅子からのりだすと、元准尉は話しの続きを語ってくれた。
「『偵察によると敵機動部隊は大空母4隻に中空母2隻で編成されているようです。肝心の攻撃力は搭載機数に比例しますから、その機数を予測すればいいわけです。まず大空母は我が海軍の空母と同規模ですから同じぐらい、つまり100機は積めるでしょう。これが4隻で400機になります。次に中空母は、我が海軍の基準で6割程度の能力でしょうから、60機と言ってよいでしょう。これが2隻で120機。あわせて520機になりますね』」
一般的に500機の軍用機と言えば、小国の空軍力を遥かに凌駕する物である。
(訳者注:我々の世界の原子力空母も、それ1隻で小国の空軍力を超える能力がある)
「この飛行長の予測にシャーロット殿下は唸り声を上げられましたね。さすがに500機を超えるとなると厳しいと感じられたようです」
「500機ですものねえ」
「しかし飛行長がすぐに訂正しましたよ。『空母の艦上機とは言っても、全ての機体が攻撃機ではありません。我が海軍の空母でも艦上戦闘機、艦上爆撃機、艦上雷撃機の3種類の機体を運用しております。同じ様にモイラ海軍でも3種類の機体を運用していることが判明しています。3機種の内、艦上戦闘機は制空が任務で(艦艇への)攻撃能力は無いので勘定に入れなくて良いでしょう』」
「たしかに」
戦闘機がロケット弾などで攻撃能力を獲得するのは戦争も中盤になってからの事である。この頃の戦闘機は機関銃しか装備していなかった。
「『モイラ海軍では、3機種をどの割合で搭載しているかは分かっていませんが、我が海軍の空母とそう変わらないでしょう。我が海軍では3機種を均等に搭載するようにしていますから、同じように3分の1は艦上戦闘機と考えていいはずです。すると520を3で割って173とちょっとの余りですか。まあ小数点以下の機体というのはありえませんから、ここは173機が艦上戦闘機と考えましょう。520機から173機を引くと347機となります。内訳は173機の爆撃機と、同数の雷撃機と思われます』」
「それでも多いですね」
「しかし、そんな飛行長の長い説明を聞くとシャーロット殿下は笑顔を見せられましたよ。下からの淡い光の中で微笑まれたものだから、おとぎ話の女幽鬼にも見えましたけれどね。それで『それならなんとかなりそうだ』とおっしゃるのです。聞いている私たちは『えーっ』と思いましたね。だって173機の爆撃機と、173機の雷撃機ですよ。駆逐艦戦隊が1回の襲撃で放つ魚雷の数が90本ですから、その倍近いわけです。爆弾だって砲撃に換算すれば巡洋艦戦隊の全力射撃が10分間続くと考えて良いわけです」
(筆者注:急降下爆撃の威力は8ネイル(約20センチメートル)砲弾に匹敵すると考えられていた。重巡洋艦はだいたいこれを9門装備しているので、平均的な射撃速度である30秒に1回の射撃と考えた場合、10分間となるわけである)
「10分間も巡洋艦が射撃を続ければ、最低でも20発は当てる事はできますからね。<ブルーリーフ>の装甲は練習戦艦に改装された時に剥がされたと説明しましたが、それは舷側装甲だけで、上から降って来る爆弾に対抗する水平防御は条約外だったので、手つかずになっていました。いえ、むしろ改装の時に厚くしてありました。それでも20発も当たったら無事では済みません」
「中甲板より上は助かりませんね」
「さらに言うと<ブルーリーフ>は練習戦艦ですから、友軍の爆撃訓練を手伝う事が多かったのです。その経験から急降下爆撃の命中率は8割近くとなることを知っていましたからね。173の8割と言ったら138とちょっとですよ。<ブルーリーフ>みたいな古い戦艦では跡形もなく吹き飛ぶと思いましたね」
さすが昔取った杵柄といったところか、元准尉は会話の途中で淀むことなく暗算をしてみせた。
「なにか言いたそうなお2人を前にシャーロット殿下は笑いながら『まあ慌てるな』と、まるで諫めるようにおっしゃいました。『その173機が一斉に<ブルーリーフ>に襲い掛かれるわけでもあるまい? さすがに1機ずつとは言わないが、同時に押しかけたらケンブルのスミス街の落花生交差点(筆者注:王都ケンブルにある朝の渋滞で有名な交差点の名前の1つである)みたいに渋滞してしまうぞ』とね」
あそこの交差点で長く信号を待たされていると、自動車の排気で気分が悪くなる程だ。
「言われて見れば<ブルーリーフ>の全長は687ペデース18ネイル(約206・4メートル)ですから、同時に173機で襲い掛かろうとすると、空中衝突の危険があるわけです。シャーロット殿下も同じ考えのようで『飛行長。1度に攻撃して来る機数はどのくらいだと思う』と訊かれましたね。飛行長はわざとらしく首を捻ると『だいたい艦上機の翼幅が11パッスース(約990センチメートル)ですから、安全間隔を取ると一機あたり1チェン(約19・8メートル)ほど必要になるかと思います。つまり10機ほどが並ぶと、もう幅が無くなる事になります』」
「でも前後にずらすことは可能ですよね?」
私の確認に元准尉は人差し指を唇に当てられた。
「この飛行長の答えを聞いて、シャーロット殿下は自慢げに胸を張りましたね。『つまり雷撃と爆撃を17回ずつ避ければ、敵の航空攻撃は無効化されるわけだ』とおっしゃりまして、私ら水兵は顔を見合わせましたよ」
「大した自信ですね」
「まあ、無理もありません。シャーロット殿下には経験がありましたから」
「経験?」
開戦してまだ2日しか経っていないはずなのに経験と聞いて私は首を捻ってしまった。
「例の『武者修行』というやつで南洋にあるご自身の領地へ赴任された時に、さんざん海空戦を経験したとおっしゃっていました」
「ああ。砲艇<レディバード>でのことですか」
私は西海岸での取材を思い出した。モイラ帝国との様々な軋轢によって、シャーロット殿下が砲艇<レディバード>の艇長を務めていた頃は、毎週のように飛行機の襲撃を受けていたと聞いていたのだ。
「まあ、さすがに機動部隊との決戦まで激しい物では無かったでしょうが、まったくの素人よりは心強かったですね。でも航海長も飛行長も納得いっていない顔を見合わせていましたね。でも自信を取り戻したシャーロット殿下は、後を頼むぞとおっしゃって、また机に蹲るようにしてお休みになられました」
★海戦の当日のこと。
「あの日は0000時(真夜中の0時)からの当直でした。警戒態勢ですから当直は2時間で交代です。それだって寒くて震えが来る、つらい当直でした。0200時(午前2時)に当直を交代すると、また下の待機所で1杯ひっかけて毛布に包まりました。でも体が冷え切っていて、酒を呑んだのになかなか寝付けませんでしたね。気が付いたら当直交代の15分前で、慌てて配置へ戻りました。やはり初陣ですから緊張していたのでしょうね。次の交代時間の0600時(午前6時) になると、艦長は起き出してきて第9艦隊司令として艦隊を組み直すように命令されました」
「両側に広がった対潜陣形を止めたということでしょうか?」
「そのとおりです。まだ太陽は顔を出していませんでしたが、黎明攻撃は可能でしたから対空襲用の第3序列…、一般的に言うところの輪形陣へと組み替えました」
「中心はもちろん<ブルーリーフ>でしょうか?」
「ええ。真ん中に<ブルーリーフ>を置き、他の艦でグルリと円を描くように取り囲みました。もう少し詳しく言うと、やはり先頭は軽巡洋艦の<アロー・メーカ>です。そこから先ほどまでの雁行を撓めたように駆逐艦たちが円周を作りました。円の終わりは<ブラック>と<ホワイト>です。たしか…」
元准尉は手帳を確認された。
「右舷後方が<ブラック>で、左舷後方が<ホワイト>でした」
「その2隻が最後尾だったわけですね?」
「ええ、はい」
私が再度確認したのには訳があった。当日の第9艦隊の序列について複数の説が存在するからである。
元准尉が述べられた序列を第1の説とすると、第2の説として<ブラック>と<ホワイト>は<ブルーリーフ>の両舷真横に配置され、その後方へそれぞれ<グリスウォルド>と<フィネガン>が配置されたという物だ。
だが航海科は艦同士の衝突を避けるためにお互いの距離まで気を払うものである。つまり序列のどこにどの艦が配置されたという事を実際に目で見て確認したはずである。という理由で私は元准尉の証言が正しいと考える。
「<ブルーリーフ>の正面を<アロー・メーカ>が先行し、そこから40度ずつに駆逐艦が配置されました。<ブルーリーフ>からの距離は1マイル(約1584メートル)だったはずです」
「意外に大きな輪ですね」
私の感想にそうですと頷かれた元准尉は表情を変えて教えてくれた。
「陸の上を走る車と違って、戦艦は海に浮かんでいますから、ぶつかると思って制動をかけるということができません。固い地面がありませんから、推進器を逆回転させても、それまで進んでいた方向へマイル単位で進んでしまいます。ですからこれでも密集した陣形なのですよ」
海での衝突事故が起きる理由が分かったような気がした。
「艦隊が陣形を組み替えている間に、シャーロット殿下は艦載機に前路警戒を命じられました。<ブルーリーフ>にも改装後は艦載機が搭載されて、弾着観測や近距離の偵察などに使用できるようになっていました。改装直後は<シール>小型飛行艇を3機載せていましたが、この頃には1機だけ<ホリデー・アリス>水上練習機に代えていました。これはジェイムザのエリアル社で特別に製造された機体で、いちおうシャーロット殿下専用機という事になっていました」
「専用機というと、通常より性能が良い物だったのでしょうか?」
「機体自体は複葉の水上機ですよ。それを<ブルーリーフ>とお揃いに白く塗ってね。いつも射出機の上に置かれていましたから目立つ存在でした。前路警戒に選ばれたのは3号機でね。30分の予備運転の後に、撤去された第4砲塔砲台基部跡に置かれた射出機から発進したようです。私は0600時(午前6時)から非番でしたから下の待機所へおりて、派閥の連中と朝飯を食べました。その時に発進する音を聞いたような気がします」
「艦載機で警戒するという事は、やはり潜水艦は脅威という事でしょうか」
「まあ中原戦争でだいぶプロニア海軍の潜水艦にやられましたからね。その印象がまだ海軍には残っていました。でも、本当の目的は違うと思いますよ」
「本当の目的?」
「ええ。もちろん黎明時ですから潜水艦の発見には難しい条件が揃っており、上空から警戒する意味はあったと思います。でも、アレは艦載機まで成功率の低い作戦に付き合う必要は無いと逃がしてやったのでしょうね。名残惜しそうにブンブンと艦隊の周囲を飛んでいる音がしましたが、10分ぐらいで飛び去って行きましたから」
「逃げて卑怯だとか思いませんでしたか?」
「別に。なぜならココで生き残っても、まだまだ戦いは続くわけです。ですから気分としては(あの世に)先に行っておくぜ、といった感じですか」
戦場で命のやり取りをされた方が口にするとなかなかに重い言葉だった。
「その頃になると夜明け前で段々と東の空が明るくなってきます。それに比例してどんどんと気温が下がってきます。もう、その場で足踏みするほど冷えましてね。シャーロット殿下はこんな中で、しかも露天の艦橋で、よくもお休みになられたものです。1時間もすると明るさに不自由を感じなくなりました。にわか雨は止んでいましたが、あいかわらず雲が多かったですね」
冬の日の出は寒さと共に、というのは本当の事のようだ。
「仲間たちと寒いなとか当たり前の事を言い合っていると、遠くから『未確認航空機接近!』と怒鳴り声が聞こえました。私が(当直を)交代した部下の声です。すわ空襲かとシェルター甲板の上に飛び出すと、夜明けの北東方向に、たくさんのシミのような点が雲の灰色を背景に見えるのですよ。ほら水平線は丸いから海面より先に上空には太陽の光が当たるでしょう。ですから何かが飛んで来るのが見えるわけです」
「山の頂上の方が先に夜明けを迎えるのと同じですね」
「そうです。でも方角的には王国(本土)側になります。敵機が飛んで来るなら北西方向になると思っていましたから、こりゃどうしたことかと思いましたね。戦闘配置の号令は出ていませんから、配置へ戻らなくてもいいのですが、それでは手遅れになると思って舷梯を駆け上がり始めたところで、上からまた怒鳴り声が聞こえました。『先ほどの航空機は友軍の<ビズレー>軽爆撃機』とね。あれです。シャーロット殿下が空軍に約束してもらった上空直援機です」
「軽爆撃機? 普通は戦闘機が上空を守ってくれるものではないのでしょうか?」
「<ビズレー>は空軍で軽爆撃機として使用していた機体ですが、爆弾倉に機関銃を前向きに並べて重戦闘機として使えるようにしたF型という物がありましてね。遠くからでもお腹が膨れているように見えますから識別は楽でしたね」
ボックスカイト社にて開発生産された<ビズレー>は、当時としては高速の双発爆撃機であった。
全金属製の中翼双発機で運動性能も良く、開戦前は期待の新鋭機であった。
最初の生産型であるマーク1は背中に載せた全周旋回の連装機関銃塔のみが防御武装であったが、後の生産型へ移行するに従って重武装化されていった。
F型と名前がつけられた重戦闘機型は、世界的に双発の重戦闘機を開発している時流に乗って造られた派生型で、元准尉の説明の通り機体腹部に16キュビト(約8ミリメートル)機関銃4挺を並べて前方固定機銃としたものだ。これと背中の16キュビト連装機関銃塔とあわせて、敵国を焼き払う重爆撃機の護衛を行う予定であった。この当時の各国空軍に流行した空中艦隊構想が机上の空論だったことが判明するのは、もうちょっと後の事である。
だが今は、敵国領空奥深くに侵攻するために持っていた航続距離が活かされる局面であった。
「まあ大編隊というわけではないのですが、海の上で味方が援軍に来てくれたわけです。嬉しくてね。艦橋に居る全員が帽子を振って歓迎しましたよ。暗い中でも手に何か持って振れば識別は可能ですからね。向こうも翼を振って応えてくれました」
心細い時の味方はどのような者でも勇気をもたらしてくれるものだ。
「安心した私たちは待機所へと戻りました。体を休ませておくのも大事ですからね。次の当直は0800時からの予定でしたから。舷梯を駆けのぼったおかげで体が少し温まっていたので、毛布に包まってウトウトとできましたね。それでも頭のどこかは起きている様で、ちゃんと交代の15分前には目が覚めるのですから不思議な物です。いつものように舷梯を駆けあがって部下と交代すると、風景が変わっていました」
「海の上なのに?」
「はい。まず夜中に張った天幕が片付けられていました。空襲を受ける予定なのに空が見えないのでは仕事にならないというわけです。それから日が昇って明るくなっていましたね。そして雲が晴れていました。雲量は2といったところですか。ほとんど青空になっていました。そこを<ビズレー>がプカプカと浮かんでいるように旋回していました。4機ずつ編隊を組んで、それが常時3組ほど居てくれましたね。燃料の残りが心許なくなった編隊が帰ると同時に新しい編隊が飛んできてくれるという具合でした」
「燃料切れは交代して、必ず艦隊の上に居てくれたということですね」
私の再確認に元准尉は頷いて答えられた。
「シャーロット殿下は30分ほど前に艦長室に下りられていて、夜中に使っていなさった机と椅子は片付けられていました。ずっと艦橋にいると機関科や運用科などで問題があっても報告が上がらないことがありますからね。その確認のついでに朝食を摂られに行ったようです」
武者修行としてシェーンハウゼン海方面で任務に就かれていた時も、朝の30分は艦橋を離れられたと聞いた。
「それと艦隊の数に変化がありました。<ブルーリーフ>を囲う円を描いていた魚雷戦戦隊の1隻がいなくなっていました。申し送りによると日の出ごろに(筆者注:暦によると午前7時1分)<ロングボウ>が機関故障を起こして後落したようです。この時の艦隊は第一戦闘速度(18ノット・約時速33キロメートル)で西南西に向けて進撃していましたが、機関故障でついて来られなくなったようです。後方に見張盤を向けると水平線近くに艦影が確認できましたね」
「戦後のいくつかの書籍では<ロングボウ>は敵前逃亡したと批難される傾向があるようですが」
「機関故障は嘘で、わざと減速したというやつですよね」
元准尉の確認に私が頷くと、とんでもないとばかりに首を横に振られた。
「そんな物は後から考えた屁理屈ですよ。たしかに<ロングボウ>艦長は出港前から作戦に反対していたようですがね。ここまで来て単艦行動を取ったら敵中に孤立する事になりますから、余計に撃沈される危険性が高まるという道理です。それにトーリッジに居る間に機関故障を報告すれば、もっと安全だったはずです。当時の私たちも敵中に孤立する事が確実な<ロングボウ>を見て、早く故障を修理して追いついて来いと願いましたもの」
「それでは輪形陣に穴が開いたという事でしょうか?」
「そこは臨機応変に融通を利かせるのが運用と言う物です。9隻から8隻に減ったので<ブルーリーフ>と<アロー・メーカ>の位置はそのままに駆逐艦が45度ずつに配置し直されて穴を埋めました」
「では供奉艦の2隻は少しずれたという事でしょうか?」
「そうですね。真後ろに<ホワイト>が来て、右舷後方45度に<ブラック>が来るという具合でした。そういった部下からの申し送りや現況の確認などをしている内に、シャーロット殿下が(戦闘)艦橋にお戻りになられましたね。雨合羽は脱がれて外套姿でした。下の会議室で艦の首脳部と詰めの打ち合わせをしたようで、航海長と一緒でした。それで副長とは顔を合わせることができたのだなと安心しました」
元准尉は安心したような表情をなさった。
「なにせ決死の作戦でしょう。いくら夫婦とは言え、いざという時に会えるとは限らないじゃないですか。その前にせめて顔を合わせるぐらいの我儘は許されると思いましたよ」
「まあ(戦闘)艦橋と司令塔では配置が離れていますし」
「それとほぼ同時に艦隊針路を2・7・0へ変更しました。これは予定されていた航路です。水平線にわずかだけエンド岬の白い灯台の先だけが見えていました。そこを中心に大雑把な円を描くような動きですね。本当はきれいな円を描いて航行するのが理想ですが、艦隊を組んでいると舵の効きが艦ごとに違うので衝突の危険があるのです。それで円ではなく多角形のような航路になるのです」
ちなみに公式記録では各時刻ごとの針路が記入されるので、同じように多角形で記録されている。巷の戦記に描かれている円形の航路は厳密に言うと間違いである。
「針路が安定したところで、前を行く<アロー・メーカ>が艦載機を射出機から発進させました。これも前路警戒というよりはせめて艦載機だけでも助かるようにという親心だったと思います。なにせ上空には<ビズレー>が飛んでいましたから、潜水艦がいたら彼らが教えてくれたはずですから。すると上空の<ビズレー>の1隊が動きを変えました。のんびり飛んでいたのが、急に鋭く旋回したのです」
「突然ですか?」
「突然です。対空見張盤についていた私は不思議に思って、<ビズレー>が旋回した先に双眼鏡を向けました。すると薄く残っている雲から航空機が飛び出すところでしたね。複葉機で2つの浮舟を下げているのが見えました。同じような配置の機体は友軍も持っていますが、そのドレよりも角張っている姿形でした。間違いなく我々が<サリー>と呼んでいるモイラ帝国の機体でしたね。ええと向こうでの正式名称は…」
元准尉は手帳を数冊確認された。
「ああ、これです。向こうの正式名称で<94番軍用機>と呼ばれる水上偵察機です。我が軍では艦載の水上偵察機は小型の飛行艇であることが多いのですが、モイラ海軍では水上機を使用していましたね。その内のもっとも一般的な機体です。それがこんな海上に艦載の偵察機が現れる理由なんて1つだけです。敵の機動部隊の哨戒機ですよ。ですから私は大声で『右舷3時方向。敵哨戒機!』と報告しました。すると(戦闘)艦橋はざわつきましたね」
「戦争が始まってから初めての敵影ですものね」
「将校は首から双眼鏡を下げているものですが、一斉に私がしめした右舷3時方向を見たのです。ああ、右舷3時方向と言うのは艦首を時計の12時に例えて方角を示すやり方です。これを艦方位と言います。3時が右舷90度方向。6時が後方。9時が左舷90度方向となるわけです。さらに言いますと、この時の艦隊針路は2・7・0でした。これは真北を0・0・0として方角を360度で示すやり方です。こいつは本物の真北を基準にしていますから、真方位と呼びます。つまりこの時は、艦首は真北から270度方向、つまり真西を向いていたわけです。そこから右舷90度ですから、現れた敵哨戒機は真北を飛んでいた事になります」
私が首を捻っていると元准尉は本棚の引き出しから使い込まれた製図用の分度器を出してくれて、もう一度同じ話をしてくれた。
「私は他にも(敵の哨戒機が)いないか探しました。背後でシャーロット殿下と航海長が『発見されましたね』『そうですね』と短く言葉を交わしていました。すると装甲塔の壁についている電話が鳴りました。伝令が受話器を取ると通信室からの連絡だと大声で報告しました。それによると艦隊近傍から強力な電波が発信されたということでした。我々を発見した敵哨戒機が報告電を打っていることに間違いありません」
「その電波を妨害などはしなかったのでしょうか」
「前の夜にシャーロット殿下がおっしゃったように、ポート・ターリクに向けられるはずの攻撃を代わりに受けるのが作戦の目的の1つだったわけです。ですから妨害電波を出す理由はありませんでした。それに電波はすぐに止んだそうです。上空には相変わらず<ビズレー>が居てくれましたから、その迎撃を受けたのでしょうね」
「戦闘機相手では水上偵察機では勝ち目は無いでしょうね」
「でも雲に逃げ来んだりして、けっこうしぶとく逃げ切りますよ。シャーロット殿下は海図室へ入られると、おそらく艦隊の現在位置と、敵艦隊の予想位置を確認されたようです。すぐに出てくると『欺瞞航路止め。艦隊針路3・0・3』を号令しました。おそらくそれが最短で敵艦隊へ突撃する針路だったのでしょうね。艦隊各艦に新針路が伝えられて『発動』の号令で一斉に舵を切りました。それからは真っすぐ突撃ですよ」
「全速力ですか?」
「速度の変更は無かったはずです。それからしばらくして飛行長が(戦闘)艦橋へと上がって来られました。部下の飛行士と一緒でした。まだ若い飛行士でね、学校を出たてのヒョロイ体格の人で。まあ水兵どもとケンカしようものなら1発くらっただけで倒れそうな人でした。その人と整備員の人の2人で、物騒な物を持ち込みました」
戦艦自体が物騒だと思えるが、ヤボなツッコミは控えることにした。
「艦載機である<シール>飛行艇の後部座席に装備されている16キュビト(約8ミリメートル)旋回機関銃ですよ。どうせ死蔵しておくなら有効活用しようということで(戦闘)艦橋にある予備の見張盤に据え付けましてね。空襲になれば敵機が(戦闘)艦橋を狙ってやってくるだろうから、そいつらを撃ってやろうというわけです」
「艦橋に機関銃ですね」
「航海長は視界の邪魔になると難色を示していらしたが、シャーロット殿下は意外にも乗り気でね。そういうことで臨時の銃座が(戦闘)艦橋に設けられました。それから1000時(午前10時)になって私は部下と当直を交代しました。通信室からはちょくちょく出所不明の電波を受信したという報告が上がっていましたが、敵の哨戒機を見つけることはできませんでした。おそらく水平線のギリギリにある雲のどれかに潜んでいたのでしょうね」
「晴れていてもそれぐらいの雲があったということですね」
「見えなくても、もう敵の気配がプンプンするわけです。ですから早めに昼飯を食べていつ戦闘配置が命令されてもいいようにしました。あれですよ『軍隊は胃袋に頼って行進する』(訳者注:日本語の「腹が減っては、戦は出来ぬ」)というやつです」
元准尉の戦闘準備はできたようだ。
「そう思って食器を片付けていたら、艦内放送のスピーカから放送が流れました。送話器を握っていたのは実験小隊実験室の室長でね。今で言うところのレーダー室責任者ですよ。『方位0・0・0距離およそ63マイル(約100キロメートル)に大編隊を探知』。これを聞いてそら来たとばかりに走りだしましたね。戦闘配置が下令される事は全員が分かっていましたよ。でも言われる前にやる。これが海軍精神というやつですね」
記録では<ブルーリーフ>のレーダーが敵艦上機編隊を探知したのは午前11時35分とある。この時をもってポート・ターリク沖海戦が生起したと公式文書には記載されている。




