表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/13

第8部 開戦劈頭の航海長

 この部では視点を<ブルーリーフ>へと戻して開戦劈頭の王国海軍の様子を記録したいと思う。取材した先は、当時の<ブルーリーフ>航海長であったポール・ビンセント子爵である。

 彼の視点から、混乱する当時に将校たちはどのような反応をして、事態に対処したかの一端が語られる。




★開戦日の第9艦隊のこと。


 大西部鉄道の急行<グレート・ウェスタン>は定時でトーリッジ駅へと到着した。

 この急行列車は「駆け落ち鉄道(エローペメント・レイルウェイ)」という、あまり醜聞のよろしくない別名を持っている。

 これは王都で巡り合った若い2人が、親の反対などで別れさせられそうになった時、いっそのこと家も国も捨てて誰の手も届かない新天地を目指したりする。だが、いざ駆け落ちという時に、素直に外国航路の客船が入港するケンブル港へ向かうと、家人に掴まってしまう事となる。そうなったらお終いである。

 ここで目端の利く若者だと、ケンブル港から各国へ向けて出港した客船の多くがトーリッジにも寄港することに目を付け、ケンブル港に向かうのではなくトーリッジ港へと向かうものだ。

 王都ケンブルと貿易港として栄えるトーリッジを結ぶのが大西部鉄道であり、その目玉の急行が<グレート・ウェスタン>というわけである。

 ちなみに「駆け落ち鉄道」と呼ばれるのは下りの<グレート・ウェスタン>であり、上りの<グレート・ウェスタン>は「離婚鉄道(デボース・レイルウェイ)」と呼ばれている。

 これは「駆け落ち鉄道」とは逆に、新婚旅行へとケンブル港から旅立った2人が、客船での初夜で相手に不満を持ち、最初の寄港地であるトーリッジ港に着くころには離婚が決まっていたりするからだ。

 つまり離婚したからには新婚旅行を続ける理由が無くなり、上りの<グレート・ウェスタン>でケンブルへと帰る羽目になるという意味だ。

 私がトーリッジに来たのは他でも無い、取材のためである。今回、取材に応えてくれたのは開戦日当時の<ブルーリーフ>航海長、ポール・ビンセント子爵である。

 子爵は海軍大将の地位まで登られた後に海軍を退官され、この地にあるエマルソン大学にて教鞭を執っておられる。

 約束の時間に訊ねると、恐縮にも奥さまと一緒に出迎えられた。

 日向ぼっこに適した露台(テラス)で、余裕を持ってお話を伺う事が出来た。

「本の執筆は進んでおられるのかな?」

 私が用意した録音装置を珍しそうに眺めながら子爵は訊かれた。

「はい。順調に進んでおります。今日は開戦日の<ブルーリーフ>では、何が起きていたのかを知りたくてお伺いしました」

「そうですね、どこからお話ししましょうか。まず<ブルーリーフ>の状況から説明しましょうか。あの夏に王姉殿下が負傷された事はご存じで?」

「はい」

「よろしい。その負傷で海軍本部内の意識が変わりました。殿下が重傷を負うほどに王姉領の事情は切迫していると認識されたわけです。コレにより南方の軍備を強化する事に反対する者はいなくなりました。臨時予算が組まれ、武器が集められました。増強された陸軍連隊が派遣され、空軍も新たな航空隊を現地で編成したのです。では、ここで問題となった事はなんでしょうか」

「ええと」

 私が困惑していると、奥さまがコロコロと笑われた。

「あなた。講義では無いのですから」

「ああ、そうでしたね。問題は本土との距離です」

 子爵は宙で指をクルリと回して見せた。

「なにせ世界の反対側です。機械が故障して部品を発注したとしても、届くまで時間がかかりすぎます。平時でも機械が故障する事はよくある事です。これが戦争となれば壊れる機械、いえ兵器は指数関数的に増えるわけです。その補充に関して時間がかかることは、戦略的に致命的な事態を引き起こすことは、容易に想像がついたわけです」

「解決策はあったのでしょうか?」

「少し考えてみましょう」

 子爵は指を立ててニッコリと微笑まれた。

「機械が故障したのなら、修理をすればいい。そのための部品を調達する方法です」

「ええと、無ければ作ればいいということですか?」

「正解です。小さな物はネジの1本から、大きな物は軍用機丸ごと。戦地の近くで製造できれば解決する問題です。幸い私たちにはジェイムザ連邦という心強い味方がいました。ジェイムザ(大陸)には様々な鉱山があることが知られています。その資源から兵器を生産するための動力源となる油田もあります」

「兵器工場をジェイムザに建てたという事ですか」

「建物だけでは用をなしません。ネジを製造するにはネジ切りが、飛行機を製造するには(リベット)打ちが必要です。そういった工作機械までジェイムザで製造していたのでは時間がかかりすぎますから、王国本土で製造した工作機械を貨物船に詰め込んで運ぶことにしたのです」

「それは、相当な事業になったのではないでしょうか」

「はい、そうですね。まあ、お金の臭いがするところには摂政閣下が絡んで来ますから、彼に働いてもらいました。私みたいな怠け者と違って、働き者の摂政閣下も使いようといったところですか」

「悪い事もするが、良い事もするということですね」

「まったくそうです。『毒も薬になる』という言葉もありましたね。中原戦争ではコレとは逆でしたね。中原戦争の戦場に近い王国で兵器生産する資源を、ジェイムザから運びました。今度は反対です。9月に殿下がケガを負われて、すぐに手配が始まり、10月には最初の便がジェイムザに向かいました。11月には2つの船団が向かい、新たな工場が生まれました」

「開戦した12月まで3つの船便がジェイムザへ向かったわけですね」

「そうです。そして今度は訓練部隊も行く事になりました。ジェイムザ連邦に人材はありましたが、経験が圧倒的に足りなかった。我が王国が指導して軍隊を組織しなければなりませんでした」

「ジェイムザ連邦が独立した時に陸軍は組織されていたと思いますが」

「はい、そうですね。しかし当時のジェイムザ陸軍は警察の延長線のレベルで、外国の侵略に耐える事は出来そうもありませんでした。そこで練習艦隊である第9艦隊が行き、向こうの人たちを鍛えることになったわけです」

「第9艦隊と言うのは本国艦隊の1部ですね」

「本土防衛の任務を与えられたのが本国艦隊でした。当時は我が海軍最大であり、また世界最大の艦隊でした。本国艦隊は大きく分けて3つになります。主力たる戦艦が集められた第1艦隊。巡洋艦主体で前衛を担う第2艦隊。そして新入りを鍛える第9艦隊です。<ブルーリーフ>は練習戦艦ですから、当然ですが練習艦隊である第9艦隊に所属していました」

「艦隊と聞くと、列をなす戦艦の両脇に、巡洋艦に率いられた駆逐艦戦隊が並ぶ三叉鉾(トライデント)序列を思い浮かべますが、第9艦隊もそうだったのですか?」

「そんな大層な物ではありませんよ。第9艦隊は、艦隊という名がついていますが規模は限りなく小さかった。練習戦艦<ブルーリーフ>が旗艦。その供奉艦である駆逐艦が2隻。海軍航空隊が実際に空母を使った発艦や着艦の練習に使う空母<イーグル>。それと第2艦隊から借りている軽巡洋艦の<アロー・メーカ>。それに標的艦<キャッツイヤー>の6隻が正式な序列でした」

「本当に最小限の数だったのですね。ええと、空母や駆逐艦の役割はなんとなくわかりますが、軽巡洋艦はどこに必要だったのでしょうか」

「そうですね。海軍では(聖歴21)60年ごろから新しい駆逐艦を次々に竣工させました。国際情勢が王国の軍備をそのままにしておくことを許さなかったからです。新造駆逐艦には古参半分に新人半分といった調子で人員を配置していましたが、急拡大していく駆逐艦戦隊に訓練が追いつかなくなっていました」

 今では駆逐艦1隻を建造するのに数年の時間をかけるが、この頃は毎月新造駆逐艦の起工が行われ、同じ数だけ竣工するという造船所は休みなく働いている状況であった。

「艦ができても人員の教育を疎かにできません。それを補うために、竣工した駆逐艦は第9艦隊で預かって、色々と基本的な訓練を施していました。いわば駆逐艦の地方学校のような物ですね。艦隊に配属された時に魚雷戦戦隊の旗艦は軽巡洋艦が務めることが多かったでしょう。ですから練習の旗艦役として軽巡洋艦が必要になったというわけですよ」

「なるほど。それは9隻揃って配属されるのですか?」

 我が海軍では駆逐艦は同型艦4隻で半個駆逐艦戦隊とし、その2つを組として運用する伝統があった。

 8隻に旗艦任務を担う嚮導駆逐艦の1隻を加えた9隻で1個駆逐艦戦隊となる。そして2個駆逐艦戦隊で1個魚雷戦戦隊として艦隊に配属された。よって駆逐艦を建造する時に9隻ごとに予算化する方が何かと都合よかった。

 また同型艦同士で戦隊を組織した方が能力も発揮できるので、駆逐艦は嚮導駆逐艦を含めて9隻ごとに建造が進められた。中原戦争時には駆逐艦自体の大きさが小さかったため嚮導駆逐艦をわざわざ別設計としなければならなかったが、新時代の駆逐艦は船体の大型化が進んでいたため、特に他の8隻との差異は無い様に建造された。

「いえ違います。9隻全ての竣工なんて待っていられませんでした。完工して公試が済んだ艦から第9艦隊へ合流していましたよ」

「それだけ切羽詰まっていたという事ですね」

「なにしろ駆逐艦の建造が軍縮条約で止まっていましたからね。艦隊で使える駆逐艦はいくら作っても足りなかった。そうやって鍛え上げた駆逐艦も、カークウォールでは転覆するほどの被害を受けました」

「当日は、どのような感じでしたか?」

「<ブルーリーフ>を含む第9艦隊はケンブル港が母港でした。しかし訓練は他の艦隊と同じようにカークウォールで行っていました。先ほどの説明通り、ジェイムザへの長期航海が予定されて、燃料や糧秣の積み込みをするためにカークウォールからケンブルへ移動したのが12月4日です

「それは…」私が何か言う前に子爵は微笑まれた。

「日付に特に意味はありません。それが月曜日だったからだけです。そこから準備をして、出港したのが12月6日です。<ブルーリーフ>は航海に必要な物以外に、向こうの工場で使用する工作機械が積み込まれました」

「それは大きい物でしょうか」

「軍艦は商船と違って貨物を運ぶようにできていません。卓上で扱うような物ばかりでしたね。ただ同航する空母<イーグル>と当時は標的艦だった<キャッツイヤー>は、甲板に木製の架台を設けて大型飛行艇を積みました。ドレも現地の沿岸哨戒隊で使用する予定の物でした。軽巡洋艦と駆逐艦はジェイムザに到着した途端に取って返して、艦隊への配属が決まっており、それまでに就役できた駆逐艦が代わりに追いかけてくる手はずになっていました」

 ココまでで質問はあるかという風に子爵は私の顔を見た。

「理解できております。当時の第9艦隊の序列をお教え下さい」

「いいでしょう。まず旗艦が<ブルーリーフ>です。艦隊として規模が小さかったので司令部は組織されておらず<ブルーリーフ>艦長が司令官を兼務という形になっていました。つまり殿下のことですね。他に艦隊司令部に必要な幕僚たちも<ブルーリーフ>首脳部が兼任と言う形でした。つまり私は<ブルーリーフ>の航海長でもあり、第9艦隊司令部の航海参謀という事でもありました。まあ俸給は変わりませんでしたけどね」

 そこで指が1本立てられた。

「空母<イーグル>はハーバード艦長に率いられていました。<イーグル>は練習空母という扱いで、(当時の海軍で)唯一飛行隊を持たない空母でした。代わりに陸上基地から複数の訓練飛行隊がやってきて、発着艦の練習をするためです。そのためには格納庫が空っぽの方が、都合が良かったのですね。先ほど申した通り、今回は広い飛行甲板に大きな飛行艇を並べて搭載して、ジェイムザへ運ぶ輸送艦としての任務でした。ハーバード艦長はご存じで?」

「はい。1度だけですが取材をさせていただきました」

 アーサー・U・ハーバード退役海軍大将は当時の階級は海軍少佐で<イーグル>の指揮をとっていた人物である。<ブルーリーフ>艦長にシャーロット殿下が補職されたことにより、前任のバル=ディビーズ大佐から指揮権を委譲されたばかりであった。兵学校では航海を専攻された人物である。

「軽巡洋艦の<アロー・メーカ>は第2艦隊からの借り物でした。カッツ艦長は当時すでに中佐でしたが、第9艦隊の指揮下に入れという第2艦隊司令部からの命令を受けていたので、階級は上なのにシャーロット殿下の指揮下にいました。面白いでしょう」

「はい。普通は階級の上位者が指揮権を掌握しているはずなので」

「まあ杓子定規に事は運ばないと言う事ですね。この場合も、第9艦隊司令部から第2艦隊司令部へ色々な事を『要請』して、それを受けた第2艦隊司令部が<アロー・メーカ>艦長へ命令を下しているという建前です。その『要請』を受けた『命令』を第9艦隊司令部が『代行』している、でも構いませんが」

「解釈の仕方は色々あると」

「まあそうですね。実際は王族であられるシャーロット殿下の命令ならば聞き入れるといった心持ちだったのかもしれませんが。<アロー・メーカ>も夏の船渠入りの時に少々手を加えて、対空火器を増したばかりでした」

 軽巡洋艦<アロー・メーカ>(CL8)は中原戦争中期から量産された<T級軽巡洋艦>の1隻として建造された。

(筆者注:当初は頭文字がTで、かつ勇ましい名前で同型艦たちは名付けられたが、名前が足りなくなり伝統的な名前がつけられた)

 たくさんいた同型艦は軍縮条約による廃艦指定を受けて数を減らし、この時は4隻が在籍している状況だった。条約時代には、あまりに旧式のため改装は行われずに原型のまま海外権益を守る仕事に就いていたが、第3次軍縮条約にて新型巡洋艦の就役が増えた事により、今までの任務を新造艦へと譲って職を失ったところであった。老朽化もしており艦隊で持て余されたので練習艦隊たる第9艦隊に貸し出されたようだ。

 艦形としては船首楼式の艦体を持つ小型巡洋艦である。就役当時は武装として戦艦の副砲と同じ6ネイル(約150ミリメートル)単装砲を装備しており、錨甲板から第1主砲、艦橋、前檣、後ろ向きの第2主砲までが船首楼上に装備された。

 そこで船首楼が終わり一段下がった最上甲板に、3つの煙突が並び、その両脇へ3連装魚雷発射管を片舷2基ずつ、合計4基を搭載していた。

 その後ろから甲板室が設けられ、その上部に前向きの第3主砲、後檣、後ろ向きの第4主砲と並ぶ。甲板室が終わった広い後甲板には対潜兵器が並べられていた。

 第3次軍縮条約により彼女にも改装が行われた。まず4基ある3連装魚雷発射管を改造し、両舷へ魚雷の投射を可能とした。そのため中心線上に2基と数を減らしたが、片舷あたりの射線は6本と変わりない。

 煙突の間に押し込められた魚雷発射管はとても窮屈そうに見える。そして魚雷発射管を減らして軽量化された分を対空兵装の充実へと充てられた。

 後甲板に当時の戦艦が標準装備していた物と同じ4ネイル(約100ミリメートル)単装対空砲を1基、空いた煙突の脇に60キュビト(約30ミリメートル)4連装対空機関砲が片舷1基、合計2基が載せられた。さらに前後檣の根元にそれぞれ近接防御兵器として25キュビト(約12・5ミリメートル)機関銃を2挺ずつ、合計4挺装備していた。

「駆逐艦への命令系統も同じだったのでしょうか?」

「預かっている駆逐艦に関しては、全艦が<アロー・メーカ>に乗り込んだ第2艦隊遣第9艦隊練習魚雷戦戦隊司令部の指揮下でした」

「え? だいに…」

「なにやら長い呪文のような名前ですが、まあハッタリみたいな物ですよ。司令官は(ジョージ・)メイトランド少将(当時)でした。もちろん彼も第2艦隊司令部から第9艦隊司令部の指揮下に入るように命令を受けていましたから、殿下の『要請』を訊く立場でした。駆逐艦たちは、まず<ロングボウ>(DA12)が独立して第9艦隊に合流していました。<ロングボウ>は名前の通り<兵器級防空駆逐艦>です」

 この当時、王国海軍は複数の艦級を同時に建造していた。<兵器級防空駆逐艦>もその中の1つである。

 艦体的には前級までの平甲板をやめて船首楼を持つ。その船首楼へ背負い式に5ネイル(約125ミリメートル)連装両用砲を2基搭載し、船首楼が終わる位置に艦橋構造物がくる。その後ろに第1煙突、5連装魚雷発射管、第2煙突、後檣と続き、後部構造物と後甲板に後方を睨んだ5ネイル連装両用砲が背負い式に配置されていた。そこから広がる後甲板は、対潜兵器を搭載するのに十分な余地がある構造となっていた。

 全体的に豪華な装備である。これは<兵器級防空駆逐艦>が過去の嚮導駆逐艦のように汎用駆逐艦を率いる役割を期待されたからだ。戦争も後半になると魚雷戦戦隊の旗艦とすべき軽巡洋艦の数が足りなくなったため、実際に旗艦任務を担った艦もある。よって船体番号の分類も通常の駆逐艦を示す「DD」ではなく、防空駆逐艦の「DA」となった。

 一番艦の<アックス>から始まって、同型艦は頭文字がアルファベット順に名付けられた。<ロングボウ>はそういう理由で12番目に就役したと解る仕組みだ。

「<フレミング>(DD400)<フェア>(DD401)<フィネガン>(DD402)は<新人名級駆逐艦>と呼ばれる艦級の内、F級と呼ばれる物でした。古い<エドワドバーグ級駆逐艦>にも人名がつけられていましたが、新しい時代の駆逐艦もコレを踏襲したわけです」

(筆者注:これを踏まえて<エドワドバーグ級駆逐艦>のことを<旧人名級駆逐艦>と呼んだりもする。どちらも頭文字を揃えて建造されたので、A級などアルファベットによって艦級が呼ばれる事もある)

「困ったことにF級までの新型駆逐艦には欠点がありました。しかも、わかりやすい欠点です」

「それはもしかして、後部砲塔の事でしょうか?」

「はいそうですね」

 王国が量産した駆逐艦の中でも艦隊任務から船団護衛まで幅広く活躍したのが、この<新人名級駆逐艦>である。

 同時期に建造された<兵器級防空駆逐艦>と艦形は似通ったものとされ、同じような船首楼を持っていた。

 その船首楼へ背負い式に5ネイル連装両用砲を2基搭載し、船首楼が終わる位置に艦橋構造物がくるのも同じである。

 その後ろから第1煙突、1番5連装魚雷発射管、第2煙突、2番5連装魚雷発射管、後檣と続き、後部構造物上に3番目の5ネイル連装両用砲という姿だ。

 王国海軍の標準的装備である近接防御兵器は、艦橋構造物の両脇に25キュビト機関銃が1挺ずつ装備されていた。

 これで海だろうが空だろうが、押し寄せてくる敵を打ち倒せる予定だった。

 しかし問題なのは、この3番砲塔の向きであった。我々王国海軍駆逐艦には前進あるのみとばかりに、なんと前向きで装備されていたのである。

 5ネイル連装両用砲は優れた艦砲であったが、後方10度へ旋回できないような作りだった。これは砲塔下部に機械式給弾装置が備えられており、それが360度旋回に対応できなかったからだ。

「いちおう開戦した後に、船渠入りにあわせて(起重機で)抜き取って、後ろ向きに載せ直すという工事が行われて、この死角問題は解決します。が、この当時はまだ前向きでしたね。このF級3隻で第605駆逐戦隊を編成していました」

「残りの(F級)6隻はどこにいたのですか?」

 既述の通り駆逐艦は9隻ごとに予算化されて建造が進められた。<新人名級駆逐艦>も、この例に漏れずA級から始まって6番目にあたるF級も9隻建造されている。

「他の6隻は、さきに『卒業』ということで艦隊に配置されていました。同じようにE級の<エトリック>(DD393)も他の8隻は『卒業』していたので(E級としては)1隻だけです。このE級も3番砲塔は前向きでした。次のG級からは最初から後ろ向きに(3番砲塔を)搭載した艦級です。ですから<グリスウォルド>(DD403)だけは見た目が違いましたね。中途半端に加わっていたこれら2隻は第207駆逐艦戦隊として纏めて運用していました」

「2つ目の駆逐艦戦隊ですね」

「そうですね。これで表面上は軽巡洋艦に2個駆逐艦戦隊が率いられているという形になったので、最低限の魚雷戦戦隊の体裁が整ったわけです。それで訓練を重ねていました。<ロングボウ>は207駆逐艦戦隊に加わったり、<アロー・メーカ>の代わりに指揮を執ったりして、嚮導駆逐艦としての訓練も行っていました」

 細かい船体寸法の違いはあるが、基本的にE級もG級も装備はF級と変わりはなかった。

「<ブルーリーフ>の供奉艦である2隻は加わらなかったのでしょうか?」

「そうですね。あの2隻は一緒になって訓練するには古すぎました。出せる速度も老朽化で劣っていましたし、なにより武器が違いすぎました。新型駆逐艦は(機械式の)両用砲を装備しているのに、あの2隻は手込めの砲を装備していましたから」

 エドワドバーグ級駆逐艦が量産されたのは中原戦争の頃である。その頃は機械の力で装弾することすら考えられていなかった。

「それでも、あの夏の船渠入りで改装がありまして、<ブラック>の後部魚雷発射管と4ネイル(約100ミリメートル)単装砲の全部を降ろして、3ネイル(約75ミリメートル)単装両用砲1基を後ろ向きに後部甲板室上へ搭載しました」

 3ネイル両用砲も新型の対空砲である。

「<ホワイト>も武装を変えていて、5ネイル連装両用砲を前甲板に1基、後部甲板室上に2基背中合わせに装備しました。増えた重量分は<アロー・メーカ>と同じように左右舷に4基装備されていた魚雷発射管を改造し、両舷への投射可能にした物を中心線上に装備することにして数を減らして吸収しました」

 数字上は新型駆逐艦と同じ数だけ両用砲を装備した事となる。

「両艦ともすでに60キュビト4連装対空機関砲を1基ずつ載せていましたし、近接防御兵器として25キュビト機関銃も艦橋両脇に装備していました。いちおう王国海軍の標準的な対空兵器の装備基準に合致していました。ただし『当時の』ですが」

「まだ航空機の威力が顕在化する以前の話しですから」

「そうですね。空母<イーグル>ですら平射用の6ネイル砲を主兵器としていて、対空火器は60キュビト対空機関砲2基でしたしね。しかも改装の関係で2基とも単装砲でしたし」

 子爵は一息つくためかお茶で喉を潤された。その前で私が指を折って数を数えていると、面白そうに教えてくれた。

「残り1隻は<キャッツイヤー>ですよ」

「ああ」

 標的艦<キャッツイヤー>は、元を遡ると<ブルーリーフ>と同じ<紋章級巡洋戦艦>である。軍縮条約において廃艦が決定されたが、全ての武装を取り除くことにより標的艦としての使用が認められた。長らく艦隊の砲爆撃の標的を務め、その技量を上げることに貢献した艦である。

「主砲も艦橋も根こそぎ無くしましてね、2つある檣すら半分の高さで切られて、それはもう見窄(みすぼ)らしい姿でしたね。でも<ブルーリーフ>の改装に合わせて<キャッツイヤー>も改装されていました」

「標的を改装ですか」

「標的役となる時、つまり戦艦の主砲を撃ち込まれる時には訓練弾とは言えどんな事故が起きるか分かりません。万が一沈んでもいい様に、無人の無線方式で操舵するように改造して、<ブラック>から操舵するようになっていました。しかし従来のボイラーとタービン方式の機関ではどうにも速度調整がやりにくかったのです。そこで<ブルーリーフ>と同じディーゼル機関を搭載して、無線操舵をやりやすくしました」

「それは旧式の機関を降ろして交換したのでしょうか?」

「いえ。古い機関はそのままに、ディーゼル機関を搭載しました。それと魚雷戦戦隊の雷撃目標になるために、艦尾を延長して夜でも視認しやすいようにし、誤って魚雷が命中してもいい様にバルジを設けました」

「そこまで<ブルーリーフ>と同じ改装が施されたのなら、速度の方も変わったのではありませんか?」

「そうですね。改装後の<ブルーリーフ>も30ノット(約時速56キロメートル)は出ましたが、<キャッツイヤー>も同じ速度が出せたかもしれません。ただしやろうとすればですが」

「なぜ制限がかかるのでしょうか?」

「当時の<キャッツイヤー>は標的艦として、正式な人員の配置が無い艦でした。まあ実際にはケンブルを母港として、演習のためカークウォールまで行くのですから乗組員はいました。しかしそれらの人員は、全て<ブルーリーフ>から派遣されていたのです」

「つまり艦長は居ないと言う事ですか」

「艦長は<ブルーリーフ>艦長が兼任すると言う事になっていました。つまり殿下の事ですね。そういうことで<キャッツイヤー>は基本的に無人でした。必要のある時だけ<ブルーリーフ>から乗組員が艦載艇で乗り移っていたのです。そういう事で機関の整備などもまともに行われておらず、年に1回の船渠入りにまとめてやっていました。機関室を無人のまま艦が運用できるなら、機関科は必要ありませんよね。そういうことです」

「なるほど。高速を出せる可能性はあったが、実際は無理だったと」

「そうですね。<キャッツイヤー>は砲塔も艦橋も無い状態でしたから、誰かがつけた『火熨斗(アイロン)台』というアダナで呼ばれる事もありました。開戦日直前に木製の架台を設けて大型飛行艇が搭載できたのは、そういうわけです。艦体に出っ張っているのは装甲司令塔と半分の高さになった前後檣だけでしたから」

「武装は施されていなかったというわけですね」

「はいそうですね」



★開戦日の<ブルーリーフ>のこと。


「第9艦隊はジェイムザへ運ぶ荷物を積んで12月6日にケンブルを出港して、翌日にはこの(トーリッジ)へ入港しました。南方へ向かう艦隊は、ここでトーリッジ管区司令部に挨拶へ行く事が慣例になっていました」

 王都ケンブルを中心に、世界地図に十字を書く。その4つに分かれた区域が、それぞれの管区隊が担当する海域となる。

 この区分は世界の反対側まで続くので、王姉領を含む偉大洋南西部も、この本土南西にあるトーリッジにある管区が担当とされていた。

 さらに日付変更線で反対側となるポーツブリッジ管区へ引き継げば良いが、実際はもうちょっと西、キリのよいジェイムザ大陸東海岸までがトーリッジ管区とされた。

「トーリッジ管区では地元の情報が集められています。どこそこで漁船が襲われただの、不審船が侵入しただの、ケンブルに居る時よりも細かい情報を手にすることができました」

「やはり管区隊司令部は違いますか」

「そうですね。トーリッジからケンブルと、トーリッジとシェーンハウゼン海とでは距離が10倍どころではない距離がありますが、それでも違いましたね」

「見ている方向が違うということですか」

「そういうことでしょうね。そして明けて翌日。朝食を会議室で摂っていると、通信科の水兵が駈け込んで来ましてね。『将校は超然たれ』とペニントンでは学びます。その教え通りに通信長である『教授』は黄色い通信紙を受け取りましたね。悠然と手にしていた食器を置き、差し出された通信紙へ目を通した瞬間に、口をあんぐりと開けて部下の顔を見上げましたよ。あまりの異常さに私が『どうしたのだ? ジョゼフ』と訊くまで、まるで棒を呑み込んだように動きませんでしたね」

「それほど衝撃的だったという事ですか」

「まあ自分の知らない内に戦争が始まったのですから当たり前ですね。私たちが席を立つ前に運用員長が『教授』のもとへ駆け寄りましてね、通信紙を彼から取り上げて文面を読み上げてくれたのです」

「内容は、例の有名な物ですか?」

「まったくそうでしたね。『カークウォール軍港空襲される。これは訓練ではない』ですよ」

「最初にどう感じましたか?」

「まさか王国本土までモイラ海軍が寄せてくるとは思ってもいませんから『やってくれたなプロニア帝国』と思いましたね。彼らは同盟を組んでいましたから。きっと他の将校も同じ感想を抱いたと思いますよ。緊急電の内容を知って私たちは顔を見合わせた後に、一番上座に座っていらっしゃったシャーロット殿下を見ましたね。殿下が<ブルーリーフ>艦長であられるし、また第9艦隊の司令官も兼務されていますから、これから私たちはどう行動するかを決断してもらわなければなりませんから」

「一報を聞いたシャーロット殿下はどのようなご様子でしたか?」

「同じですよ。『将校は超然たれ』ですから。優雅に手にした食器を食卓へと置くと、誘うように運用員長へ手を差し出されました。運用員長が『教授』の握力で皺がよった通信紙をその手に乗せると、まるで月末の支払いのごとく一瞥されましたね」

「現実を受け止められなくてというわけではありませんよね?」

 私の確認を一笑にふすと子爵は間違いようのない声でおっしゃった。

「会議室の中で一番しっかりなさっておいででしたよ。すぐに様々な命令を出されて、私たちは朝食を投げ出して部屋から駈け出すことになりましたから」

「命令というと?」

「色々でした」

「いろいろ?」

「私には、まず海図の確認でしたね。戦争が始まったからには、どこの海域へ行くことになるのか分かりませんから、必要な物が揃っているかの確認を求められました」

「なるほど。他の方にも同じように命令をされたのでしょうか?」

「ええ。副長には艦内の様子を訊かれましたね。艦内に動揺が広がるのは当たり前ですから。内務長には積んでいたジェイムザ行きの荷物をどうするかを訊ねられました。すぐに戦場へ行くのならば、余分な荷物は下ろさなければなりませんから。砲術長にはどれだけ弾薬庫が埋まっているのかを確認されました。通信長にはもちろん情報の収集を命令されました。飛行長は呑気なもので『いつでも飛べるようになっていますが、マーチャーシューグラードまでは航続距離が足りませんね』と冗談を言っていましたね」

 その古い会話で交わされた冗談は、時を経てもなお私も笑わせる力を持っていた。

「まあケンブルまで殿下を乗せて飛ぶつもりだったのでしょう。王宮や軍務省から呼び出しがあるかもしれませんから」

 私が落ち着くのを待って子爵は話しを続けられた。

「機関長にはどれだけの出力が発揮可能かを訊ねていらっしゃりました。旧来の蒸気機関は信頼がありましたが、新しいディーゼル機関は少し不安がつきまといましたからね。医務長には医薬品で足りなくなりそうなものが無いかの確認を命じていましたね。なにせ乗組員全員が無傷で戦争を終える事なんて無理でしょうから。海兵隊隊長だけには特に命令は無かったようです。まあ戦争が始まってすぐに反乱が起きるようでは、その艦は海軍の一員ではありませんからね。他にも細々した命令を出されましたが、おおむねこのような感じでした」

「それでシャーロット殿下はどうされたのです?」

「報告は(戦闘)艦橋で聞くと申されて、席を立たれましたね。私も海図室へ行こうとしていましたから、先に立って扉を開けました」

 私が不思議そうな顔をしていると、すぐに子爵は納得したように頷かれた。

「<ブルーリーフ>では海図室が(戦闘)艦橋のすぐ後ろにありましたから、殿下が(戦闘艦橋へ)上がられるのならば、道は同じなわけです。一緒に前檣楼の主檣にある昇降機(エレベーター)に乗って上がりました。あの頃の<ブルーリーフ>の昇降機は一番上にある戦闘艦橋まで通じていなくて、1階層下止まりでした。そこから後方にある外舷梯で上がると、そこが戦闘艦橋でした」

 艦橋までの道筋はジム・ロビンソン元准尉と特に食い違う説明では無さそうである。

「殿下はずっと黙り込んでいましたね。顔色も会議室では健康そうでしたが、真っ青に変わっておられて。あまりの出来事に左腕の傷にさわったのかと思いました。その頃になると立っている時以外は必要ありませんでしたが、まだ首から三角巾で左腕を吊っていらしたから」

「それほどの大怪我だったという事ですね」

「全くその通りです。男性でも艦隊任務を外される程の怪我だったと思いますよ。それなのに殿下は<ブルーリーフ>に乗り込まれていました。(戦闘)艦橋へ上がると水兵たちが不安そうに殿下の顔を盗み見ていましたね。正式に水兵たちに通達していなくても、こういう事は水兵たちに広まっている物ですから。私だってそうでしたが、みんな不安だったのでしょう。殿下は少しも臆した素振りを見せませんでした。(戦闘)艦橋に上がるとすぐに航海科へ周囲からの信号に注意するように命じられました」

 水兵たちの不安が簡単に予想できた。

「(戦闘)艦橋から見渡すとトーリッジ港には第9艦隊の他には管区隊の小船しかいませんでした。その全部がこちらの(戦闘)艦橋を注視しているのが分かるのです。殿下は右舷の端まで行くと、堂々と右腕を上げられました。何隻かの交通船が汽笛を鳴らして応えましたね。それだけで港全体の落ち着きが戻りましたね。さすが伝統の王家に連なる殿下ですよ」

 私は想像してみた。朝日の中に浮かぶ白い艦体。その艦橋に立つシャーロット殿下のお元気な姿は、見る者に勇気を与えたであろう。

「私は命じられた通り海図室に必要な物があるかのチェックをしました。その頃になると第9艦隊の各艦長が<ブルーリーフ>へ続々と集まって来ていました。四方を見ている見張りから『<アロー・メーカ>から艦載艇です』や『<エトリック>が艦載艇をおろしています』などと報告が上がってきていました。その中で見張長が『飛行艇接近。友軍の物です』と大きな声で報告しました。水兵たちはみんな声が大きいものですが、彼はその中でも大きかったですから」

「たしかに引退された今も声は大きいですね」

「そうですか」

 子爵は一緒に働かれた昔を思い出されたのか、小さく肩を震わされた。

「見張長は戦闘艦橋にある対空見張盤の配置でしたから、接近する飛行機には一番敏感なのですよ。見張長は健在でしたか?」

「はい。色々と取材させてもらっているところです。大いに本を書く参考にさせていただいています」

「それはよかった。飛行艇接近と聞いて、私は海図室から顔をだして右舷を確認しました。見張長は右舷後方の対空見張盤の配置であることを知っていたからです。すると白い航跡を引いて着水した<バタフライ>飛行艇が近づいて来るところでした。操縦席のあるあたりから光の明滅が見えました。訓練された者ならば、それが発光信号であることはすぐに分かりました。見張長が信号を読み上げてくれましてね。それで搭乗されているのが、摂政閣下と統合作戦本部長閣下であることが分かってビックリしましたね」

「3軍全体の司令長官と、王権の代行者たる摂政自らのお出ましだったわけですね」

「はいそうです。訓練にしたって異例ですよ、ましてや開戦日にですから。私は慌てて艦橋の後ろにある舷梯を駆け下って、信号甲板へ行きました」

「信号甲板?」

「灯火信号や旗流(きりゅう)信号を取り扱う甲板です。戦闘艦橋から7階層も下になります。そこで信号旗やら回光信号機で信号の送受信をするわけです。そこで確認したのは摂政旗と元帥旗があるかどうかでしたね」

「摂政旗と元帥旗? なぜそんな物を?」

「普通の艦にはなかなか無い物ですからね。幸い<ブルーリーフ>は宮殿戦艦として様々な旗がありました。摂政旗も元帥旗もすぐに出てきました」

「摂政旗は分かるのですが、元帥旗はなぜ必要なのでしょうか」

「海軍旗章条例で統合作戦本部長は元帥として取り扱う事になっていました。ですから元帥旗が必要なのですね。その二つを前檣楼頂部に揚げている王姉旗の下に揚げなければなりませんから」

「そんなことで、ですか?」

 驚いて訊き返すと子爵はそうですと頷かれた。

「そんなことですよ。どんなに些細な事でも守って行かないと伝統は失われますし、ましてや海軍の内規にのっとった行動ですから」

「(旗が)無かった場合はどうするのでしょうか?」

「もちろん代わりの手段が用意されています。信号旗で『R』『E』『T』と掲揚すれば摂政旗の代わりとなる等です」

「ああ、そうですよね。もしかしたら(そういう準備の無い)駆逐艦などに乗られる可能性もありますものね」

 私が納得していると、子爵は人差し指を立てて教えてくれた。

「もしかしたらシャーロット殿下が武者修行している時に乗った掃海艇や、砲艇は代用旗を揚げていたのかもしれません。ああいう小さな艇には王姉旗があるとは思えませんから」

「それが掃海艇でも適用される約束事なのですか?」

「まったくそのとおりです」

 驚いている私の前で頷かれた。

「潜水艦など機能的に不可能でない限り、どのような小艇でもシャーロット殿下が座乗されたら王姉旗を揚げるはずです」

「国王陛下だった場合には別の基準があるのですね?」

「そのとおりです。シャーロット殿下は王姉ですから本来ならば王家の(しるし)である『歳老いた鷹』の紋章旗を燕尾開裂した物を揚げますが、それ以前にプリンセス・ロイヤルであらせられますから『生命の樹の葉』の紋章旗の方を揚げなければなりません。もしも『歳老いた鷹』の紋章に燕尾開裂の旗しか無かった場合は、その旗の上に信号旗の『B』の旗を揚げます。その双方が無ければ信号旗で『P』『R』『O』と掲揚したはずです」

「そう言う事ならば、シャーロット殿下が大怪我をされた時に、発砲した相手は砲艇<レディバード>に王姉殿下がご座乗されていることを知って発砲したという事でしょうか」

「紛れもなくその通りのはずです。我が海軍の旗章条例は国際的に開示されている情報ですから」

「それでは…」

「そのとおりです。ですから大きな国際問題に発展する可能性がありました。残念ながら下手人たる敵艦を逃がしてしまった事で有耶無耶にされてしまいましたがね」

「しかし<レディバード>の航海長は、転針こそ最善の選択であったと話されましたが」

「ええ。殿下のお怪我が深かったので、転針は間違っていなかったと思いますよ。しかし、もし拿捕なり撃沈して相手の乗組員を捕虜にするなりしていれば、歴史は大きく変わったでしょうね」

 意外な歴史の結節点を指摘されて私が言葉を失っていると、子爵は遠くを見るような目をしてみせた。

「戦時の最前線にいれば、いつでもそういう経験をします。『あの時、ああいう行動でよかったのだろうか』いまでも当時を振り返れば後悔に近い感情が沸き上がってきます。しかし当時はそれが最善と思って行動した結果で今があるわけです。私はどの決断も胸を張って正しい選択をしてきたと言う事ができます。そうでないと亡くなった同僚や部下に申し訳ありませんからね」

「正解は無いということですか」

「そうですね。この問題に正解はありません。もし答えられる存在が居るとしたら、この地上の者では無いでしょうね」

 そう言ってニッコリと微笑まれた。

「話しがずれましたね。摂政閣下と本部長閣下とが飛行艇で、文字通り飛んできたところでした。私は2枚の旗を信号係の水兵に掲揚を命じました。信号係は2枚の旗を丸めて抱え込むと、舷梯を駆けあがって行きました。前檣楼頂部へ掲揚するには、最上段の踊り場から扱うしかありませんでしたから。私は旗流甲板から右舷を見ました。すると飛行艇は艇首をこちらに発動機(エンジン)を切った惰性で近づいて来るところでした」

「機体だけで誰が乗っているか分かるものなのですか?」

「いいえ、それは無理ですね。ですから信号を信じるしかないわけですね。そして少し考えれば分かるのですが、そのままでは<ブルーリーフ>へ乗り移る事はできません。(飛行艇の)搭乗口は艇体の横にありますが、翼がありますからピッタリ舷梯の横に来られないのですよ。ぶつかってしまいますからね。これは困ったことになったぞと思っていると、突然最上甲板の方から『右舷救命艇準備』の号令がかけられました。上から見おろすと運用員長が右腕を上げて周囲にいる手隙の水兵を集めて救命艇へ乗り込むところでした」

「救命艇と言うのはどういう物なのですか?」

「ああ、そうですね。1番短艇と2番短艇は艦橋の両脇で舷側から張り出すように揚収機(ダビット)に吊るしてあったのです。溺者を発見した場合に、その短艇をすぐに降ろして助けに行けるようになっていたわけですね。大は戦艦から、小は駆逐艦までこれは(当時の)海軍共通でした。後に軟式短艇(ゴムボート)が標準装備になると、そちらを投げ込んだ方がより助けられるということで廃止になりましたが」

「なるほど。海軍艦艇の古い写真で短艇を出しっぱなしにしているように見える物がありましたが、それらはそういうカラクリだったわけですね」

「おそらくそうでしょう。まあ本当にだらしなく出しっぱなしの艦もありましたが。<ブルーリーフ>の運用員長みたいにしっかりした方が居るとそういうことはありませんけどね。その運用員長が警笛(ホイッスル)を吹いて右舷の救命艇がおろされました。私が疑問を持つ前に、その救命艇を舷門の下まで寄せて舷梯に縄索(ロープ)で固定しました。見れば、舷梯から(<ブルーリーフ>に対して)垂直に救命艇が固定されたことで、飛行艇が寄せられるようになっていました」

「つまり短艇を浮き桟橋の代わりとした、と」

「まさしくそうです。舷梯の下に艇首を固定された短艇を、翼の下へ抱え込むように飛行艇が頭から近づいてきました。艇体の中ほどにある搭乗口が短艇を介して舷梯と繋がることができました。引き戸の扉が開くとすぐに摂政閣下と本部長閣下が顔を出されたので、私は出迎えるために舷門へと急ぎました」

「やはり出迎えには艦首脳部が揃わないとなりませんか」

「間に合いませんよ、突然ですから。舷門の当番兵は砲術科の海尉心得が立っていましたが、慌てて駆け付けた(海兵隊の)リットメイヤー(海尉)君が追い出すように交代していました。舷門に間に合ったのは私たち2人だけでしたね。リットメイヤー(海尉)君が号笛を吹くと同時に舷門に摂政閣下と本部長閣下が現れたので、私は敬礼して出迎えました。『突然のご来艦で出迎えに不手際があることをお赦し下さい』と挨拶をすると摂政閣下が『少佐。乗艦許可を頂きたい』と実務優先でこたえられました」

「<ブルーリーフ>へと来られたのは、その2人だけですか?」

「いえ。お2人の他に4人ほどの従兵がいましたね。その6人を会議室へ案内すると、会議室には、主要人物は揃っていましたね。(<ブルーリーフ>の各科長は)いつもお客さまが多かったので慣れていたおかげですね。会議室の右側には<ブルーリーフ>の各科長が座り、長机を挟んだ反対側には魚雷戦戦隊司令部のみなさんと、第9艦隊に所属する各艦の艦長が揃っていましたね。会議室の一番の上座は、いつもは殿下がお座りになるのですが、その時ばかりは2つの椅子が並べてありましたね」

「宮殿に出迎えた場合は、主人が上座でおかしくないと思うのですが」

「宮殿ならばそうです。ですが<ブルーリーフ>は戦艦でもありました。カークウォール奇襲の報に続いて、わざわざ摂政閣下と本部長閣下が来られたからには、コレは軍務であろうということですよ。片や王権の代行者で、片や全軍の司令長官ですから。そこで従兵が持って来た大きなカバンから作戦命令書が出され、戦況の説明がありました」

「驚きましたか?」

「ええ、そうですね。とても驚きました。なにせ攻めて来たのがモイラ海軍ということですし、その方法も空母機動部隊による空襲という事でしたから。さらに本国艦隊の損害も大雑把でしたが書いてありましたし」

 いまでは航空部隊が最強と言うことに疑問を持たれる諸氏はいないと思われるが、当時は前代未聞の奇襲作戦であった。装甲のブ厚い戦艦には航空攻撃が無効であるという意見すらあった時代である。その驚きは後の時代に生きる我々では想像を超える物であったとしか書くことが出来ない。

「そこには本国艦隊の現況も書いてありました。昨日まで世界最強を自他ともに認めていた本国艦隊が、たった1度の奇襲攻撃で全滅していました。では海軍に他に艦は無いかと言うと、カークウォールに在泊してやられた8隻の(戦艦の)他に、王国海軍にはあと7隻の戦艦がありました。1隻は<ブルーリーフ>だったわけで、運よくトーリッジに居たわけです」

 私はジム・ロビンソン元准尉の<ブルーリーフ>は運が良かったという言葉を思い出していた。

「残りの6隻の内、2隻はアリアン艦隊に所属しており、極東に配備されていました。4隻は中央海艦隊所属でした。空母はと言いますと、それまでに就役していた正規空母4隻は、1隻が<イーグル>で第9艦隊所属だったわけです。残り3隻はいずれも本国艦隊所属でした。その3隻は、先ほど説明したジェイムザの兵器工場建設のために、大きな荷物を運んで南方を航海中でした」

「たしか3つの船団がジェイムザへ向かったのでしたね」

「そうです。その船団に1隻ずつ空母が割り当てられていました。甲板はジェイムザ空軍で使用する予定の飛行機でいっぱいだったはずです。ただ<アルバトロス>(CV2)と<シーガル>(CV3)は、すでに荷物を降ろして本国への帰路の途中でした」

航海(おき)に居たわけですね」

「その作戦命令書に書いてあったことが正確だったならば、パロ群島の南側まで帰ってきていましたね。<ワーム>(CV4)はジェイムザに到着したばかりで、荷解きをしていた頃だったはずです。つまり向こうが空母機動部隊で来たから、こちらも空母機動部隊で反撃という態勢ではなかったのです。こちらの空母はバラバラに行動しており、さらに言えば数が半分以下でした」

「え? 半分ですか? 王国には…」

「王国海軍に空母は3隻だけでした。これは(王国海軍が)軍縮条約に則って空母建造を控えて来た結果でした。あと戦争を予見して大手海運会社キングダム・ラインが建造保有していた南西航路用の大型客船を徴用して、特設空母への改装が始まってはいましたが、まだ時間がかかるという状態でした」

「ああ」

 私の記憶と空母の数が違った理由がわかった。私は改装中の特設空母を勘定に入れていたのだ。

「対するモイラ海軍は、機動部隊に6隻もの空母を集中させていました。これは厳密に軍縮条約に照らし合わせますと、ギリギリで軍縮条約違反となる可能性がある数でした。なにせモイラ海軍には他にも最低4隻の空母がありましたから」

「ですがモイラ帝国は軍縮条約から脱退していましたよね?」

「しかし就役日から逆算すると、どうにも起工日は軍縮条約に違反していないと間に合わないはずですからね。条約違反だと声を上げることは必要ですが、しかし現実は変えられません。しかも戦争は始まってしまっていますから、相手の非を認めさせるには実力しか無いわけです」

 これが蹴球(フットボール)ならば審判が退場を言い渡すところであろう。

「その作戦命令書というのは、とりあえず生き残った艦艇でこちらも機動部隊を組む編成替えの命令書でした。<ブルーリーフ>は<アロー・メーカ>と2隻でアルファ・ストライクという機動部隊を編成して戦えとありましたね」



★作戦命令のこと。


「『困ったことになりました』と小さな手巾(ハンカチ)で汗を拭きながら本部長閣下はおっしゃりました。彼は汗っかきで、夏はもちろん緊張を要する場面ではいつも汗を拭いていた記憶があります。摂政閣下は黙って座っておられましたね。おそらく作戦に対する命令権を自分が持っていないことを理解されていたのでしょう」

 越権行為は無かったということだ。

「本部長閣下は『ルイス少佐』と殿下を呼びました。あくまでも軍事上の必要からの命令という態でした。『少佐と<ブルーリーフ>には、少々無理をしてもらわなければならない』とおっしゃいました。まあコチラはわざわざ本部長閣下自ら足を運ばれてきたわけですから無理難題を言われる事は予想がついていたわけですが」

 子爵は一旦言葉を区切ると喉をお茶で湿らせてから続きを語られた。

「本部長閣下は大きく息を吸うと『現在、中央海艦隊はラマン聖王国へ圧力を与えるために、主力を(中央海東側の軍港)イスカンダリーヤへ集中させている。そのため(中央海西側の)ポート・ターリクにはろくな艦が揃っていない。しかし情報本部に寄ればカークウォールを空襲した敵機動部隊の次の目標はソコらしいのだ』と早口でおっしゃりましたね。最初は何を口にされたのか理解が遅れましたね」

「なぜポート・ターリクが目標だと分かったのでしょうか」

「詳しく知ったのは後で、ですが」と子爵は断られてから詳しい話を口にされた。

「なにもカークウォールを奇襲されたから全軍が呆然として硬直していたわけではありませんでした。空軍の遠距離偵察機や哨戒機が本土から四方八方へと飛び、奇襲の2時間後にはモイラ海軍機動部隊の居場所は特定していました」

「それは早い段階ですね」

「彼らは奇襲を成功させた後、王国空軍の反撃を警戒して西へ避退している最中でした。しかし退避後に補給船団と合流し、態勢を立て直した後に再襲撃の可能性が高かったのです」

「理論上は補給が続く限り王国本土を爆撃し放題ということですね」

「理論上は、ですね。しかし奇襲は1度だから成功するのであって、もう王国本土を空爆しようにも空軍の迎撃態勢が整ってしまいますから無理があります。また別の話ですが。王国の海外領土であるポート・ターリクに隣接するイスパニア王国が、国境地帯に戦車部隊を集中し始めていました。イスパニア王国は何度もあの地を取り返そうと画策してきましたから。この2つの情報を合わせると、モイラ機動部隊は大きく南へ迂回して、ポート・ターリクを空襲、同時にイスパニア王国はモイラ帝国側に立って攻め込んでくる可能性が高まったということです」

 ポート・ターリクとは偉大洋と中央海とが繋がるハーキュリーズ・ゲート海峡に面する港町である。

 現在に至るまで王国の貿易港として盛況な港町である。かつてあったイスパニア王国との戦争で(筆者注:相続戦争と呼ばれる戦争である)王国海軍とランドリー諸国の連合軍が占領し、その後に結ばれたティール講和条約によって王国の領土となった土地である。

 それから同地は我が王国通商路の重要な拠点として活動を始めた。

 なにせ王国が遠隔地と貿易するにあたって、中央海沿岸への航路の要としてだけでなく、南西部偉大洋方面、とくにジェイムザ大陸へ向かう二列列島への中継地としても最適な場所であったからだ。

 つまりポート・ターリクから北へ向かえば王国本土、南には暗黒大陸、暗黒大陸西岸沿いに南下すればパロ群島から二列列島を経てジェイムザ大陸。西へ向かえば中央海。さらに中央海の突き当りであるイスカンダリーヤにあるネグレッツ運河を通ればアリアン洋を経て極東まで航路が繋がるのだ。

 いわば海の交差点であった。

 王国が戦争をするにあたって通商路が断たれては経済が成り立たずに敗北するしかない。その一番の急所とも言える場所でもあった。

 ただし、まだイスパニア王国がモイラ帝国側に立って参戦すると決まったわけでは無かった。

「殿下が質問されたわけですよ。『そのようにイスパニア王国が、我が王国の敵になるという確証はあるとは信じられない』と。なにせ(イスパニア王国は)この5月まで王党派と革命派とで内戦をしていた国なわけです。軍隊どころか経済も疲弊していて、この戦争に噛んでくる可能性は考えられませんでしたから」

 イスパニア王国はこの年の4月まで3年間も続いた内戦で、すっかり国力を疲弊させていた。王党派と共産派とで繰り広げられた内戦は王党派の勝利で終わっていた。 

「すると摂政閣下が口を開かれました。そういう政治的な事の説明は(摂政)閣下の役割だったわけです。『現在、各大使館に確認したところ、我が王国側に立って参戦する国も、モイラ帝国側に立って参戦する国もありません。世界は静観しているようです』と」

 世界はまだ平和だったということだ。

「『しかし、ココでモイラ海軍機動部隊がポート・ターリクを空襲し、現地駐留の友軍に壊滅的な損害を与えれば、その限りでは無いでしょう。おそらくイスパニア陸軍の戦車部隊は(国境の)非武装地帯を突破して市街を蹂躙し、ポート・ターリクを占領する事になります。そうなれば王国の通商路は破壊され、この戦争に勝利する事は大変に難しい事となるでしょう』と。まあ冷静に学校の授業のように話されましたね」

「艦内に閉じ込められていると分からないことを説明されたわけですね」

「そうですね。で、そこまで聞かされて薄々と分かってはいたのですが、殿下がハッキリと訊かれました。『それで、我々にやって欲しい無理難題という物はなんでしょう』とね」

「他の方々は固唾を飲んで見守っているという感じでしたか?」

「そうですね。ほぼ、その通りでしたね。殿下の質問に本部長閣下が従兵に命じて新しい作戦命令書を出させました。出て来た作戦命令書には『アルファ・ストライクである<ブルーリーフ>は可及的速やかにポート・ターリクへと進出し、現地の安定を図ること』と書いてありました。文面からすれば、市場に行くなら和蘭芹(パセリ)緋衣草(セージ)迷送草(ローズマリー)立麝香草(タイム)を頼むわ。ついでに知り合いの所へ寄って来てみたいな物でした」

 古い民謡に例えられても困ってしまう。ともかく気軽に行って来いという感じだったということだけは理解できた。

「しかし敵味方の情勢を知れば困難は一目瞭然です。殿下は書面を見て硬い表情をしていましたね。他に同じ文面の書類が3組用意されていて、それを私たちは回し読みをしましたが、その真の意味に気が付かない者なんていませんでしたね」

「真の意味?」

「代表してレイ(・ヴィクトリアズ砲術長)が逆上したように声をあげましたが、その言葉がこの事態を要約していましたね。『つまり昨日まで世界最強だった本国艦隊を、奇襲とはいえ壊滅させた敵機動部隊の鼻先を掠めて、ポート・ターリクに行って、イスパニア王国が変な気を起こさないように何とかしろとおっしゃるわけで?』と口角に泡を吹きながら(砲術長は)言いました。それに当然のように『そうです』と本部長閣下が頷きましたよ。作戦の責任者は彼ですから、逃げも隠れもせずに受け止めたのです」

「そこに関しては、さすがに逃げも隠れもしなかったということですね」

「そうでした。私たちは殿下が固まっていることを良い事に、みんなで『無理だ』とか『無茶だ』とか声を上げました。なにせ黙って通してくれるなんて虫の良い事にならないことは間違いありませんからね。(防空駆逐艦の)<ロングボウ>の艦長なんか『我々に死ねと言うのか』と逆上した声を上げていましたね。彼は防空駆逐艦の艦長という職業柄、航空機の怖さを教わっていましたから当たり前ですね。会議室が大騒ぎになっても摂政閣下は黙って腕組みをして罵声を浴びていましたね。本部長閣下は、いつもの倍はかいた汗をもう水分を吸いそうもない手巾で拭いていましたよ。そこで…」

「例の有名な言葉ですか?」

 私が口を挟んだことを叱りもせずに、逆に目配せ(ウインク)をしてみせて子爵は歴史的に有名になった言葉を口にされた。

「そうです。『この艦には男性は1人しかいないのか』と殿下がおっしゃいました」

 子爵は自慢げにニヤリと微笑まれた。

「その途端に会議室の中がシーンとなりましたよ。誰も声を出しませんでした。なにせ何を言っても叱られるような気がしましたから」

「現代だと女性蔑視だと怒られるような言葉ですよね」

「まあ、そうですよね。男性が強くて女性が弱いということが前提の言葉であることは間違いありません。しかし当時の社会ではコレが当たり前の考えでしたから。それでも他国よりはマシだったのですよ。なにせ女性が軍人になる方法が確立されていましたから。世界では男性しか入軍できない国の方が今でも多いですからね」

「それからどうなりました?」

「お互いが腹の内を探るように視線を交わしましたね。そしていつの間にか全員がチャールズ(・タートル副長)を見ていました」

「それは、やはりシャーロット殿下の伴侶であるからということですか?」

「半分はそうです。もう半分は艦長の女房役と言えば副長の役目だからという事ですよね。乗組員たちが口にしたくないことを艦長へ言ってもらうのは、やはり副長からでないと」

「夫なのに女房役なのですね」

「本当にそうですね。おかしいでしょうが、まあ艦というのはそういう物だと理解してください。会議室の向こう側、魚雷戦戦隊の人たちからもすがるような目を向けられていましたね」

「さすがに自分たちの運命が決まるという事でしょうから」

「そうですね。それで1回だけ溜息をつかれてチャールズは口を開きました。『殿下。誰も敵が恐いとは言っておりません。無茶な作戦に異議を唱えているだけです』と。まあいつもの通り感情のこもらない平坦な調子でした。きっと内心は嵐のように荒れていたと思いますがね」

「嵐ですか」

「ええ、まったくそうですね。なにせ作戦の責任者は『死んで来い』と言っているのと同じですからね。しかも同じ艦に乗る上司部下の関係だけでなく、自分の奥方である方に対してですよ。(はらわた)が煮えくり返っていてもおかしくありません。しかし(副長は)ああいうお方ですから、自分の感情なんて少しも出しませんでしたね」

「それでどうなりましたか?」

「逆に殿下は寂しそうにおっしゃりました。『しかし副長。コレ以外に良い方法を私は思いつかない』と。すぐに本部長閣下も汗を拭きながら『この作戦が無茶で無謀である事は重々承知しているが、やり遂げてもらわなければならんのだ』と、まるで血を吐くようにおっしゃいました」

 私は、責任者として部下が大量に失われることが分かっている作戦を命令しなければならないという状況を想像できなかった。

「たしかに他に方法は無さそうでしたね。戦争が終わってだいぶ経った今でもそう感じるのですから、きっと他の方法は無いと思います。『いつまでにポート・ターリクは襲撃されると、お考えで?』と殿下が問われると、本部長閣下は迷いもなく『(敵機動部隊は)今日は西へ避退して、明日1日は補給に使うでしょう。来るとしたら明後日10日の朝です』と答えられました。そんな短い時間では我々に増援が加わることを期待はできないわけです。手持ちの艦で、どうにかするしかない」

「つまりトーリッジに居る第9艦隊だけしかいないということですね」

「そうです。すると本部長閣下が『カークウォールの防空や警戒は空軍の役割でしたし、中央海艦隊がイスカンダリーヤに移動していたのは作戦本部としての判断でした。ですから現在の事態を招いたのは(空軍大将で作戦本部長の)私であることは間違いありません。ですから私もこの<ブルーリーフ>に乗せて頂き、一緒にポート・ターリクまで連れて行ってもらいたいと思います』と起立して頭を下げられました」

「それは…」あまりの言葉に私が絶句すると、子爵は事も無げに続きを話された。

「私たちはまた顔を見合わせましたね。(海軍の元帥である)大提督が本国艦隊で陣頭指揮を執った事はありますが、(同格の)統合作戦本部の本部長が陣頭指揮を執ったことはありませんから」

「たしかに帆船の時代には大提督が本国艦隊を指揮して戦った事は何度もありますね」

 記録に関する事ならば大得意である。

「本部長閣下にしては『首か何も無いか』(訳者注:日本語で「乾坤一擲」ほどの意味)というつもりでおっしゃったのでしょうね。言い切った後に微笑まれましたもの」

「そうですよね。特にアーウィン閣下は実戦部隊というより軍政畑出身ですし」

「そうなのですか? 海軍は詳しいのですが空軍はあまり知らなくて。ともかくあの体格ですから実戦部隊とは無縁な方だとは思っていましたよ」

 ケネス・アーウィン退役空軍大将は、豚のようにと表現しては大げさであるが、当時も肥えた体格であった。

「本部長が陣頭指揮を執られれば、水兵たちも一層奮起すると考えられたのかもしれません」

 私の言葉に「そういう考えもありますね」と子爵は微笑まれた。

「それに対する殿下の言葉は冷たい物でしたね。『本部長閣下に見張られていなくとも、立派にお役目を果たしてみせます』ですもの。言われた本部長閣下は開いた口が塞がらないという顔でした」

「それはなんとも」

 一世一代の決断をそんな風に断られた本部長閣下のことが気の毒になった。

「その代わりとおっしゃって、殿下は不思議そうに訊ねられました。まあちょっとイタズラ小僧のような目になっていましたけどね」

「というと、何かイタズラを思いつかれた?」

「そうです。目が笑っていらっしゃるのに、澄ました態度でこう尋ねられました。『作戦内容は理解しましたが、この作戦名はなんというのでしょう』とね」

「作戦名?」

「はい。たしかに作戦命令書の表紙には、普通大袈裟な作戦名が書かれている物ですが、この時は急いでいたのか真っ白でした。ただ軍務省の公文書である青い(スタンプ)と、いちおう作戦本部から艦隊へ出される命令書ですから『秘密扱い』を意味する赤い(スタンプ)が捺されているだけでした。本部長閣下は改めて命令書の表紙を確認すると、そこが白紙な事に気が付いたようです」

「それは珍しい事ですか?」

「はい。珍しいですね。殿下は、お2人が何か言う前に口を開かれました。『未決定ならば私が名付けようと思います』とね。そんな作戦名の事なんて考えていなかったお2人には奇襲になったのでしょうね。なし崩しのようにお2人とも頷かれて『なにか妙案はあるのですか』と訊き返されましたもの。そこで殿下が『この作戦は<カラドクボリ作戦>と名付けましょう』とおっしゃりました。それを聞いた瞬間に、私は殿下も容赦がないなと思いましたね」

 王国の地理に詳しくない他国の方に説明すると、カラドクボリとは王国本土西部にある峠の名前である。現在でも交通の要所で、南北の山に挟まれた狭い土地に鉄道の主要幹線と高速道路とが編み込むようにして東西へと走っている。その勾配も急峻で、重い貨物列車が通過する場合は後部補機を連結して出力を補っているほどだ。

 だが王国においてカラドクボリと聞くと、まず思いつくのが「カラドクボリの騎士」の話である。童話や童謡として親から子へと伝えられた伝説であり、また歌劇の題材ともなった。

 その西側にはゲートフィールド平原が広がっており、約480年前の百合戦争において、ここで行われたゲートフィールドの戦いは、両家の主だった諸侯が勢ぞろいした最大の(いくさ)となった。

 この両陣営の激突において、シャンド家は敗北を喫した。

 だがシャンド家の軍勢は全滅したわけではなく、ジョン「偽」王に忠誠を誓う騎士たちは、このカラドクボリ峠を抜けて東への撤退を画策した。

 撤退に際してローランド卿が築造していた野戦陣地がプランタゴネット家の追撃を受け止めて時間を稼ぐ手筈となっていた。

 この撤退作戦は、当初うまくいっていた。打ち寄せる波の如く何度も繰り返される騎士の突撃に、ローランド卿の野戦陣地は耐えてみせ、シャンド家の隊列はカラドクボリ峠へと退がる事が出来た。

 しかし肝心のローランド卿が、雑兵の放ったたった1本の矢であっけなく戦死してしまう。指揮官のあっけない死に、ローランド卿の手勢は一気に総崩れとなり、プランタゴネット家の追撃を押しとどめるどころの話しではなくなってしまった。

 ここにおいて、カラドクボリ峠へと隊列を進入させていたシャンド家は、全滅の危機を迎えた。そこで殿(しんがり)を名乗り出たのがカラドクボリの騎士こと騎士レーノンである。

 歌劇では王妃殿下との恋愛模様(ロマンス)が描かれるが、近年の研究では王族との謁見すらあやしい低い身分の騎士、もしくは郷士であったようだ。

 童話や童謡では、騎士レーノンは忠勇な部下とあわせて7人(歌劇では12人)で残るが、騎士レーノン以外の人物はどうやら後世の創作であるようだ。

 だが騎士レーノンがわずかな手勢にて隘路であるカラドクボリの峠道に居座ったことは間違いない。そして本隊が無事に峠を抜けるまでそこを死守し、最後は全滅したとされている。捕虜になっても身代金で釈放される騎士時代の理からも、それが払われない身分であったと推察できるのであった。

 致命傷を負いながらも目を見開き、剣を地面へと差して彼が座って最期を迎えたとされる岩は、今でも観光名所となっている。その鬼気迫る表情にプランタゴネット家の軍勢は翌朝まで彼の亡骸に近づくことが出来なかったという。

 シャーロット殿下はその身を挺して主君を守った騎士レーノンに自分を重ねた。というよりも、シャンド家のために命を落とすことになるという皮肉であったのだろう。

「なにか言い返そうと口を開こうとする本部長閣下を、摂政閣下が制されましたね。まあ適当な名前を考えて来なかった自分たちが悪いということですよ。それから作戦に際して艦隊からの要望が3つあると殿下は指を立てられました」

「3つですか」

「はい。1つは<ブルーリーフ>に乗っている民間人の保護です。乗組員は軍人ですから戦場へ行くのが仕事ですが、宮殿部分を担当している侍従や女官は民間人ですからね。戦争が始まったからには<ブルーリーフ>に乗っている意味はありません」

「たしかに民間人は守られなければなりませんからね」

「それは摂政閣下が王宮に迎え入れる手配をするということになりました。早速、副長がケンブルまでの汽車の手配にかかりました」

 トーリッジ、ケンブル間のグレート・ウエスタン鉄道は当時から特急をはじめとする各種列車が行き交っていた。

「1つは空軍の上空援護です。総じて王国空軍の航空機は航続距離が短めで、全航程の援護は無理でした。が、双発の長距離戦闘機や爆撃機、哨戒隊の雷撃機などはかろうじて届く海域でした。これは空軍大将でもある本部長閣下が全存在をかけて約束すると言ってくれました。『特に気にすることは?』という本部長閣下の質問に『低空で近づいて来る雷撃機を叩いてもらいたい』とおっしゃいましたね」

「その2つは記録にも残っていますから私も知っていましたが、3つ目は知りません」

「まあ、そうでしょうね。あと1つは救助依頼です。なにせ敵機動部隊の鼻先を通り、その攻撃目標であるポート・ターリクへ入港しようとするのですから、悪くすれば…。いえ、悪くしなくても全滅です。殿下がどの程度の損害を覚悟していたかは分かりませんが、ともかく沈む艦が出ることは確実なので、戦闘が終わった後でいいので救助船を手配する事を望まれましたね。それも本部長閣下は二つ返事でした。まあ戦争は始まったばかりですから、軍艦乗りはこれから1人でも多く必要になるはずです。ですから無駄に溺れさせる理由はありませんから」

「それは女性ならではの視点ですね。男性だと破れかぶれで突っ込んで、後は考え無しだったでしょう」

「私も同じ意見です。実際、海戦終了後にトーリッジ管区隊の掃海艇が派遣されたと聞きます。まあ、彼らはあまり活躍できませんでしたが」



★出港までのこと。


「上部組織へ言いたいことを言ってしまえば、あとは如何に作戦を成功させるかが話し合いの焦点です。3つの要望を聞いていただいた摂政閣下と本部長閣下を会議室から追い出すようにして送り出すと、見送りは(海兵隊隊長の)リットメイヤー(海尉)君に任せて、我々は海図を引っ張り出して顔を寄せ合いました」

「作戦会議という事ですね」

「まあ細部は艦隊側で決められる状態でしたから」

「それでは普段は違うということですね」

「もっと航路など指定されていることが多いです」

「なるほど」

「まず殿下がこの作戦は<ブルーリーフ>がポート・ターリクに辿り着くことが目的なのだから1隻で行くとおっしゃって、全員が目を剥きましたね。他は足手まといと言うより、犠牲は1隻で十分ということでしょうね」

「それは…」

 私が何か言う前に子爵が言葉を続けられた。

「そうしたら<ブラック>と<ホワイト>の艦長は怒り出しましてね。今までも生半可な気持ちで供奉艦を務めていたわけでは無いと言われてね。いくら旧式艦と言われようともついて行くと言いました」

 再確認するが2隻とも中原戦争で現役だった駆逐艦である。

「でも2隻とも最新式の両用砲を装備していましたから、<ブルーリーフ>自身よりよっぽど対空能力が高かったのです。他にも対空機関砲や近接防御兵器を載せていましたから(対空兵装に関してだけは)他の艦艇に劣るところは無かったと思いますよ」

「では3隻だけで行く事になるところだったと」

「まあ1隻よりはマシですよね。そうしたら今度は第9艦隊に派遣されている形の魚雷戦戦隊司令部の(ジョージ・)メイトランド司令が『この紙切れによるとアルファ・ストライクには<ブルーリーフ>だけでなく<アロー・メーカ>も含まれるじゃないですか。こんな面白い作戦に連れて行ってくれないなんて勘弁してくださいよ』って笑うのですよ。まさか面白いなんていう表現が出てくるとは思いもしなかったので、私たちは顔を見合わせましたね」

 子爵は私の顔を見て微笑まれた。どうやら、その時の艦隊首脳部と同じような顔になっていたようだ。

「『世界最強の艦隊が相手ならば不足は無い。今度は私たちがその王座を奪還してやりましょう』と鼻息も荒く司令はおっしゃいました。私たちは1隻でも味方が増えるのは心強いので嬉しかったですが、駆逐艦の艦長さんたちは顔を見合わせていましたよ。ある人は泣きそうな顔でしたし、ある人は(ほぞ)を噛んで怒りを抑えているような顔でした。まあ魚雷戦戦隊の司令と言えば駆逐艦たちの親分ですから、その意見に異を唱える事は難しいわけです」

 当時の第9艦隊の魚雷戦戦隊の(筆者注:正式には第2艦隊遣第9艦隊練習魚雷戦戦隊である)司令はジョージ・メイトランド少将(当時)であった。士官候補生時代から駆逐艦に乗組んで来た将校である。駆逐艦から離れたのは佐官昇進を目の前にして入学した魚雷戦(術科)学校と、将官昇進を控えて海軍大学へ移動になった時の2回だけだ。あとはずっと駆逐艦と魚雷戦戦隊で俸給を貰って来た。私は直接お会いしたことは無いが、豪放磊落をそのまま人物に落とし込んだような人物だったと耳にする。

「結局メイトランド司令に押し切られる形で魚雷戦戦隊の駆逐艦は全部ついてくることになりました。最後まで<ロングボウ>の艦長は不服そうでしたね。あとは第9艦隊(コッチ)がどうするかです。まず空母<イーグル>の脱落は決定でした。空母<イーグル>の(アーサー・U・)ハーバード艦長(当時海軍少佐)は残念そうでした。たとえ旗色が悪くても、史上初の空母同士の決戦が出来るかもしれなかったのですから、気持ちはわかります」

「たしかに空母に空母をぶつけるのは常道かと思います」

「しかし実際の<イーグル>は、艦上機の着発艦は出来ない状態でした。飛行甲板には木製の架台がしつらえてあり、その上には大型の飛行艇が並べられていましたから。飛行甲板から降ろすのには1日以上の時間がかかるのは確実でした。乱暴に廃棄覚悟で飛行甲板から落とすということも考えられましたが、戦争が始まってこれから必要な機体ですから、無駄にすることはできなかったのです」

「ああ、なるほど」

「同じように(標的艦の)<キャッツイヤー>も甲板に飛行艇が並べられていましたから、参加は無理でした。まあ当時の<キャッツイヤー>は武装が施されていませんでしたから、もし連れて行ってもモイラ海軍の標的になる以外にやることは無かったでしょうがね」

「2隻ともケンブルへ戻ったのでしょうか?」

「いいえ。荷物をトーリッジで降ろすことにしたので、それが終わるまでは足止めとなりました。同じように<ブルーリーフ>がジェイムザへ運ぼうとしていた荷物も一旦トーリッジに降ろして、別便で送ることになりました。トーリッジ管区も自分の管轄で使う物資ですから無下に扱うことはしないでしょうから」

「なるほど。戦う準備はすぐにできたのでしょうか」

「はい、そうですね。昼(飯)の時間には終わっていました。あと<ブルーリーフ>に乗組んでいたケンブル海兵団の練習生と、士官候補生を降ろす事にしました。それと王姉親衛隊も降ろそうということになりました。まあ経験が浅い兵がいても最悪足手まといになるだけですし、死ぬ確率が高いから置いていこうという、せめてもの親心ですかね」

「しかし人員の配置先は航海局の職責で、現場の艦長が決められる事では無いのではないでしょうか」

「ええ、普通の艦ならばそうです。しかし<ブルーリーフ>艦長は、標的艦<キャッツイヤー>の艦長も兼務しているのです。つまり必要があれば<ブルーリーフ>の乗組員を<キャッツイヤー>へ派遣する事は認められていました。実際に演習などでケンブルとカークウォールの間を往復する時に<ブルーリーフ>から人員を派遣して動かしていましたから。戦場へ連れて行きたくない人員を、トーリッジでお留守番になる<キャッツイヤー>へ派遣すればいいだけです」

「その派遣される人員はいつも決まった人だったのですか?」

「いいえ。その時の当直などで決まりました。ですから学生時代の殿下も<キャッツイヤー>に派遣された事がありますよ。置いていく人員の名簿は副長がすぐに作成して、最上甲板に呼び出すと艦載艇で送り出しました」

 艦内の人員配置は副長の権限である。今回はその延長という事であろう。

「あと、いくら<キャッツイヤー>が標的艦だとはいえ責任者が必要でした。それを誰にするかで揉めましたね。まず科長たちは殿下が責任者として<キャッツイヤー>へ移られることを望みました。こういう修羅場に向かうのは男性の役目という騎士道精神の発露ですよ。しかし肝心の殿下が聞き入れませんでした。『閣下はね』と摂政閣下を見送った後に、まるで教えを授けるように私たちに申されました。『閣下は私に死ねとおっしゃっているのだ』と」

「それは…」

 あまりの事に戦後のいまに聞いても刺激的(センセーショナル)な言葉であった。

「『ここで私が死ねば大きな宣伝になる。ポート・ターリクを失っても王国国民はこの戦争を戦い抜く決意に纏まるでしょう』と。つまり国民全体が殿下の敵討ちという名目で一致団結することを信じていらした。そしてお2人が戦術的に無理な作戦を押し付けて来た理由を理解なさっていらしたのです」

「つまり政治的に謀殺しようとなされたと」

「もちろん、ここでポート・ターリクへ援軍を差し向けないという選択が存在しない事も間違いありません。もしそうすれば世界各地へ派遣されている友軍が、次は自分が切り捨てられるかもしれないと疑心暗鬼になって、士気を大きく下げることになりますから。派遣した増援艦隊が全滅したとしても、その結果としてポート・ターリクが陥落したとしても、王国は、作戦本部は、最善の選択をしたがその力が及ばなかったということになりますから」

「しかしシャーロット殿下と摂政閣下は…」

「そうですね。そういう意味も含んでいたのなら、どれだけ殿下の敵は戦略眼が鋭いのでしょうね。そして、そんな戦略眼を持っている人物ならば、もしご自分がここで戦死なさっても、必ず王国に勝利をもたらしてくれると信じておられたわけです」

 ご自身の戦死後のことすら考えての行動とは恐れ入るばかりである。

「それで困ったことになりました。<キャッツイヤー>の責任者に誰がなるかという事です。一度作戦参加が決まってしまうと、我も我もと<ブルーリーフ>で戦う事を望む者ばかりで、そちらが決まりませんでした」

「騎士道精神の発露ですね」

「ええ、そうとも言えるでしょうね。副長を推す声もありましたが、副長は戦闘が始まったら防御総指揮官として艦内の間接防御の指揮を執らなければなりません。これから<ブルーリーフ>一世一代の戦いに赴こうというのに、防御総指揮官がいなければ話になりません。航海長の私という意見もありましたが、艦橋では(艦長以外で)私が最先任なわけです。もし敵弾に殿下が斃れられたら、艦の指揮を執る者がいなくなってしまいます」

「難しい判断だったのですね」

「全くそうです。そこで内務長のジョージ(・リッケンバイヤー海軍少佐(当時))が選ばれました。もちろん彼だって戦闘が始まれば忙しくなる身ですが、内務科には運用員長もいましたから、科長クラスの中で彼は抜けることができそうだったのです。もちろん本人は固辞していましたがね」

 運用員長が有能だからという人選であろう。

「これから戦闘だというのに攻撃担当の砲術長が抜けるわけにはいかないし、敵の情報を収集するだけでなく、本部長閣下が約束してくれた上空援護の空軍とのやりとりに忙しくなる通信長が抜けるわけにはいきません。同じように飛行長は艦長に来襲する敵艦上機について助言しなければなりませんし、そもそも機関長が抜けたら<ブルーリーフ>は全力が発揮できません。これから怪我人がたくさん出るでしょうから医務長も必要だし、海兵隊は最期まで艦長を守るのが仕事です。比較論ですが他に選択はありませんでした」

 元航海長として理路整然とした説明であった。

「また内務長とはいえジョージは専攻が航海科であったことも大きかったですね。<ブルーリーフ>が帰って来なかった時に、実質の艦長が航海に関して素人では<キャッツイヤー>がケンブルにだって帰れなくなりますから」

「なるほど。次の次まで考えての手配だったわけですね」

「はい、そうですね。ですから機関科から機械分隊の人員を多めに派遣してもらいました。<キャッツイヤー>には普通の蒸気機関もありましたが、実際は内燃(ディーゼル)機関推進艦でしたから。あと新人ばかりで風紀が不安になったので、海兵隊も数名を分遣しました。女子部である王姉親衛隊もあちらへ移ることになりましたし、変な事件が起きて殿下の名誉に傷がついてもいけませんから」

「全部でどのくらいの数が移ったのでしょうか?」

「さてどのくらいでしょう。副長が取り仕切ったので総数を私は知りません。しかし10名から20名なんていう半端な数ではありませんでした。おそらく最低でも200名は<キャッツイヤー>に移動したはずです。それだけの人員が移るとなると、食事も缶詰というわけにはいきません。ですから艦の取りまとめを補助してもらうという意味もこめて、給養員長にも行ってもらいました」

「たしか給養員長は水兵たちの皇帝なのでしたっけ」

 私がジム・ロビンソン退役軍艦旗准尉から教わった言葉を口にすると、子爵はニヤリとした。

「そうですね。彼がいれば言う事の聞かない水兵は居なくなりますから。ただ本人は口を尖らせて怒りましたね」

「給養員長も<ブルーリーフ>で戦いたかったのですか? しかし主計科が戦闘時にやることは…」

「残念ながら違う理由です。標的艦になってから長い間<キャッツイヤー>の厨房は稼働していなかったのです。正式に配置された乗組員が居なかったのですから当たり前です。それまでは2食から3食分の戦闘配食を持たせて人員を派遣していましたから、厨房が使えなくても問題にはなりませんでした。しかし本格的に人員が移るとなると話しは別です」

「たしかにそうですね。どうされたのですか?」

「トーリッジに居る間は、管区の食堂に助けてもらう事にしました。食材から下ごしらえまでした物を<キャッツイヤー>へと運び、簡単な仕上げで配食できるようにしてもらったわけです。その内にトーリッジにある工廠の作業員と、少ない数の工作分隊からの人員で厨房を修理してもらい、給養できるようにしてもらうという事にしました」

「では<キャッツイヤー>では食事はあまり良くなかったという事ですね?」

「全くその通りです。まあ、いつもの回航時よりはマシになったと言っておきましょう。なにせその頃は硬いパンにしょっぱいだけの塩漬け肉を切って挟んだだけの粗末な物しか口にできませんでしたから」

「なるほど。<キャッツイヤー>については分かりました。他に<ブルーリーフ>では、どのような準備をしたのでしょうか」

「もともとジェイムザまでの遠洋航海を控えていたので、航海の準備はできていました。その行く先が陽射しの鋭い南洋か、砲煙が煙る戦場かの違いだけだったのです。私は殿下と航路について話し合いました。魚雷戦司令部の方々も会議室にはいらっしゃいましたし。会議室の長机に広げた海図に、私は三角定規を使って鉛筆で線を入れました。それはポート・ターリクへの最短航路でした」

 燃費などを勘案しても最短距離を選択する事に不思議はないはずだ。

「トーリッジ港から港外にある岩礁海域を避けて面舵に切り、あとは真っすぐ偉大大陸東岸沖を南下し、ハーキュリーズ・ゲート海峡の入り口で取舵に切って、ポート・ターリクには西側から入って行く航路です。すると殿下はゆっくりと頭を振って、私の提案を却下されました。『ダメです航海長。それではダメだ』と」

「素人考えですが、どこにも問題が無い様に思えますが」

「私の案は普通の航路でした。平和な海ならば豪華客船から連絡船すら取る一番良い航路です。しかし私たちが行こうとしているのは戦いの海でした。殿下はエンド岬(王国本土最南端)のあたりに中指を置かれると、人差し指とコンパスのようにしてグルッと半周を描くようにして航路を示されました。『航海長。こう行こう』と殿下は申されました」

「なぜ、そのような航路をご提案されたのです?」

「ええと、ちょっとお待ちになって下さい」

 そう言うと子爵は壁にかかっていた額縁を外された。そこには王国本土全図が飾られていた。それを奥さまが片付けられた茶卓の上に置くと、トンと南部の一ヶ所へ指を置かれた。

 地方学校を卒業していればわかる。そこはトーリッジ港の場所であった。

「私はこう…」そう言って子爵は真っすぐに南西へ指を引かれた。世界地図を知っていれば額縁の先にあるポート・ターリクを想像する事は容易かった。

「こういう航路を提案したのです。しかし殿下はこう…」もう一度トーリッジ港に置かれた指が、王国最南端の岬を中心にして円を描くように動かされた。

「殿下が提案された航路はこうでした。わかりますか?」

「いえ、さっぱり」

 私が正直に言うと、子爵は王国西海岸にあるマージー港へ指を置かれた。

「殿下の示した航路は、途中まで海軍工廠が並ぶマージーへの航路に重なります。これを敵の指揮官が見た場合、トーリッジを出た<ブルーリーフ>はマージーへ向かうようにも思えるわけです。つまりこちらの真意を相手に覚らせない欺瞞航路だったわけです」

「なるほど」

「さらに、この航路を取れば本土から等距離に円を描くことになります。まっすぐ向かうよりは長い時間、本部長閣下が約束してくれた空軍の援護を受けられる事にもなります」

「ああ。それは思いつきませんでした」

「こうして円を描いてもポート・ターリクに近づくわけではありませんから、いつかは変針しなければなりませんが、殿下はもっとも敵機動部隊に近づいた段階で針路を1・8・0に、つまり真南へ向ける予定でした。うまくすれば敵艦隊との砲撃戦に持ち込める針路でもあります。ただ遠回りとなるので、ポート・ターリク到着は遅れることになりますがね」

「平時ではあまり見られない航路ですね」

「確かにそうですね。私が試験官ならば、こんな航路を解答した生徒にはB判定ですね。しかし平和な時代はその日の朝に終わっていましたから」

「なるほど。作戦命令書に航路は指定されていなかったのでしょうか?」

「まあ(命令を)出す側も慌てていたようで、とくに航路の指定はありませんでしたね。なにせ作戦名すら無かったのですから。殿下の描いた航路を見て(魚雷戦戦隊司令部のジョージ・)メイトランド司令も同意すると言ってくださいました。私なんかよりも艦隊勤務を重ねた彼が言うならば間違いがありません。そうやってもう少しだけ航路を確認していたところで、事件が起きました」

「事件?」

「すごい剣幕で女性が叫んでいる声が聞こえてきたのです。その時の会議室の扉は開けっ放しになっていました。刻々と通信科に情報が入って来るので、簡単に伝令が入って来られるようにしていたわけです。ですから艦内で起きた騒ぎがそのまま聞こえてきたのですね。私は殿下と顔を見合わせました。私自身がどのような顔をしていたかは分かりませんが、殿下は苦虫を噛み潰したような顔になられていましたね」

「誰の叫び声だったのでしょうか?」

「(王姉親衛隊隊長のイーディス・オリアナ・)ヘジルリッジ(下級海尉)君の声でした。彼女の声には特徴があって、普段から少し掠れたような声色だったのですぐに分かりましたよ。『これはいかんな』と殿下は一言おっしゃると、先に立って会議室を出られました。すぐそこにある1番昇降口からは、ずっとヘジルリッジ君の声が聞こえていましたね。舷梯を上がるとそこは最上甲板です。そこで騒ぎが起きている事がすぐに分かりました。舷門へ緋色の飾り緒をつけた一団が集まっており、そこで艦載艇への乗艇を指揮していた副長に対して大声を上げているのでした」

「どうしてそのような騒ぎが起きたのでしょうか?」

「簡単に説明しますと、殿下が<ブルーリーフ>に残られるのならば親衛隊も残って戦うという事でした。伊達に親衛隊を名乗っていたわけではないとか、兵器の取り扱いの訓練は受けているとか、そういった諸々の事を挟んでの主張でしたが」

「ああ、なるほど。自分たちがお飾りの集団だったわけでは無いとおっしゃりたかったわけですね」

「まさしくその通りですね。しかも彼女たちに武器が無かったわけではありません。後甲板には礼砲として使用していた2ネイル(約50ミリメートル)砲がありました。その取扱い担当が王姉親衛隊だったわけです。礼砲は全て空砲で行いますが、戦艦の艦載砲であるから実弾も積み込まれていました。それを使って自分たちも戦うと主張されていましたね」

「王姉殿下はどうされました?」

「素直に死なせたくないとおっしゃりましたよ」

 ちょっとだけ子爵は肩を竦められた。

「自分もタダで死ぬつもりはないが、君たちまで死ぬ必要は無いとね。ヘジルリッジ君も譲りませんでしたね。2人が睨みあっているので、私が横から口を出すことにしました。『ヘジルリッジ君が残るのは認めるとして、他の隊員はどうなのですか?』とね。血気盛んなヘジルリッジ君が死地へ飛び込むのは構いませんが、ソレに引きずられて行きたくない者もいるはずですからね。殿下も確かにと頷かれて、ヘジルリッジ君の横にいた(トレイシー・)サーセン(海尉心得)君に『君はどうなのか』と訊ねられました。ああサーセン君は王姉親衛隊で分隊士の役割を担っていた方ですよ」

 トレイシー・サーセン嬢は、シャーロット殿下の武者修行である特設掃海艇<ファイヤーボール>(QMSp95)航海長時代に、赴任先のモルガナイト島のポート・モーズビーで住まいにしていた借家の警備を担当した人物だ。

 長くても半年で退役する王姉親衛隊の隊員の中にあって、比較的長く親衛隊員を務められた。記録によればシャーロット殿下が砲艇<レディバード>(GL5)の艇長に補職された段階で帰国し、同時に昇進して<ブルーリーフ>にて先任順で王姉親衛隊の分隊士の役割を担わされていた。

 また長く王姉親衛隊で分隊長を務めていたイーディス・オリアナ・ヘジルリッジ嬢は、この秋の人事で海尉心得から下級海尉へと昇進したばかりであった。

「殿下にまっすぐ見つめられてサーセン君は『えっ』と訊き返してよろめきましたね。それを見逃さなかった殿下は『君は行く事をためらっているのだろう』とおっしゃりました。まあ普通の神経をしている女性ならば、戦場へ行きたいとは考えないものです。しかし親衛隊として俸給を頂いていた身でもあるし、戦いが始まったからと言って逃げ出すような事もできない。その2つの考えに挟まって彼女に迷いがあることを察した殿下から水を向けられて、動揺したのでしょうね」

 まあ、いくら女子部の軍人だとは言え動揺する事は致し方ないことであろう。

「『どうやらサーセン君は行かないことを考えているみたいだぞ』と殿下が指摘されると、ヘジルリッジ君は柳眉を立てて振り返り、責め立てるように彼女の名前を呼びましたね。しかし殿下は手を挙げて制せられておっしゃりましたよ。『まあ無理を口にするでないイディー』と、茶会の席で世間話をする時に使うような言葉遣いで間に入られました。『君が怒鳴ったら、みんな怖がって亀のように首を竦めてしまうぞ』と微笑まれましたね」

「微笑まれたのですか」

「はい、間違いなく。『私は残ってくれる王姉親衛隊が居る事を大切に思う。今から<ブルーリーフ>は敵機動部隊と決戦を行うが、そのただ1戦で私の親衛隊が全滅してしまったら、伝統が残らないではないか。伝統を残すのも大事な戦いであると考えるぞ』そうおっしゃられてヘジルリッジ君を説得していましたね」

「そのお言葉は聞き入られたのでしょうか?」

「ヘジルリッジ君は黙って俯いてしまっていましたね。殿下は詰めかけていた王姉親衛隊の方を向くと『全員が行く必要はない。残りたい者は誰か?』と自ら問われました。そうすると勇ましいヘジルリッジ君に引きずられていたけれど、実は心の奥で行きたくないと思っていた親衛隊員たちがポツポツと手を挙げる事ができました」

「それは意見があるという意味では無くて?」

「そうではないですね。さっきまで一緒になって騒いでいたとは思えない程に静かに手だけを挙げるのですよ。まあ私も王姉親衛隊には退艦してもらいたかったので、そのまま副長と一緒になって、その娘たちを舷門から艦載艇へ移しましてね。まあ私物などの荷物は載せっぱなしですが、それぐらいは仕方の無い事でしょう。もし取りに行かせていたら、威勢のいい者たちに詰められて退艦するタイミングを逃すかもしれませんから」

「女子部ではどのくらいの方が残られたのです?」

「その時の女子部の人数はピッタリだったので覚えています。総数で50人でした。半分が各名家のお嬢さん方で、残りの半分が各家からお嬢さんの身の回りの事を申し付けられた侍女たちです。名家のお嬢さん方はペニントン兵学校を出られていましたから将校扱いです。平均して乗り込んで3ヶ月といったところで、ほとんどが士官候補生でしたけれど。侍女たちはケンブル海兵団で訓練を受けて水兵ということで乗組んだ女性たちです。彼女たちは自分の主人が退艦すると言わないと降りることができなかったようです。50人中12人だけ残ることになりました」

「だいぶ(フルイ)にかかって少なくなったようですね」

「はい、そうですね。私としては全員に降りてもらいたかったのですがね。古い考えと怒られるかもしれませんが、やっぱり死ぬのは男性の仕事で、女性は帰って来るのを待っているのが仕事だと思いますので」

「たった12人で役に立つのでしょうか?」

「彼女たちが扱う2ネイル(約50ミリメートル)砲は後甲板へ隠顕式に装備された物でした。普通ならば1門当たり1番から4番砲員がついて操作します。さらに指揮官や給弾員が別に必要ですから、12人では単純計算で2門しか運用できないことになりますね」

「確かにそうですね。では王姉親衛隊は2門の砲で戦ったのでしょうか?」

「いいえ。戦艦の大砲というものは、その気になれば1人でも撃てるものなのですよ。まあ、さすがに14ネイル(約350ミリメートル)主砲となると1発撃つだけで半日ぐらいかかるでしょうが」

 ちなみに砲員が勢ぞろいしている14ネイル連装砲の射撃間隔は30秒である。

「だがしかし2ネイル砲ならば容易い事です。まず必要なのは1番砲員です。これは2ネイル砲についている望遠鏡式の照準器を覗いて、右手で旋回把手、左手で俯仰把手を回して狙いをつける役です。本物の対空砲には射撃指揮所という照準をつける部署が他にありますが、そんな贅沢な物は2ネイル砲にはありませんでした。ですから1番砲員の目で照準をつけなければなりませんでした」

 同じ砲が戦車に搭載された時も同じようにして照準をつけたようだ。

「で、残りの3人が何をやるかというと、2番砲員が拉縄(りゅうじょう)を引く係です。拳銃で引き金を絞ると弾丸が発射しますよね。大砲は引き金で撃つ物もありますが、2ネイル砲は砲の激発機構に繋がれた拉縄と呼ばれる紐を引いて発射します。1番砲員が『撃て』と言った時に拉縄を引いて発射するわけです」

「野砲などでは普通にある機構ですね」

「同じですね。そして3番砲員と4番砲員が入れ替わり式に弾薬を装填する係です。2ネイル砲は小銃や拳銃と同じように薬莢式の弾薬でした。それを弾薬函から持ち上げて、ゲンコツで砲の後ろから押し込むのです。確実に押し込まれたのを確認したら、脇にある(レバー)で尾栓を閉じれば発射態勢となります。これに加えて対空射撃の場合は、弾底にある時限信管の調整をしてから込めることになります。時計のゼンマイを巻く蝶ネジのような金具がありましてね、それを薬莢の上、弾底の横にある穴に差し込んで、自爆時間を設定するのです」

「自爆ですか?」

「砲術の用語で曳火(えいか)と言います。これをしないと相手に直撃しない限り砲弾は爆発しません。それだと、ただでさえ命中率の悪い対空射撃が、もっと当たらないことになります。敵機が飛んで来る方向に向けるのは1番砲員の役割ですが、飛行機は3次元で動いていますから奥行きも狙わなければなりません」

 普通の砲撃ならば平面の地図上の1点を狙うだけであるから、俯仰と旋回だけで狙ったところへ砲弾を落とせばいいだけである。それが対空砲火だとうまく行かないという事だ。

「幸い砲弾が飛んで行く速度は分かっていますから、砲口から飛び出した何秒後にはどの位置まで行っているか計算で求めることができるわけです。飛んで行った砲弾は設定された秒数後に自爆してたくさんの破片を周囲に振りまきます。この破片、弾片(だんぺん)と言いますが、これで敵に危害を加えようというわけです。まあ、これも目見当(めけんとう)になりがちで、外れる事の方が多かったですがね」

「戦争の後半には、もっと頭の良いやり方になったと記録にありますが」

「まあ人間にやらせるよりは機械にやらせる方が確実と言うわけです」

 レーダーを使用する電波照準器の事である。

「こうして2ネイル砲には1門当たり4人が必要ということが分かったと思います。それだけではなく、さらに全体の指揮を指揮官が執ることが必要です。1番砲員は照準に忙しいですから他を見ていられません。次の脅威となる敵の見極めをして、アレを狙え、次はコレを狙えと指示する役ですね。これも本物の対空砲ならば射撃指揮所でやってくれますが、2ネイル砲だと指揮官が直接敵を指揮杖で指し示して指示しなければなりません」

「戦闘艦橋の目標指示器と同じ仕事ですね」

「まさしくそうですね。4門がまとめて同じ目標を狙えれば1人でいいですが、そのような理想的な相手は滅多に現れません。礼砲は長方形を形作るように両舷に2門ずつ装備されていましたから、何も無い後甲板では右舷の敵を左舷の砲で狙うことも可能でした。しかしそうしようとすると、手前に右舷の砲がありますから、味方撃ちをすることになってしまいます。ですから指揮官は2人で、右舷と左舷に分かれて指揮を執ることになっていました」

「なるほど」

「ですから残った10人では運用できる2ネイル砲は2門がせいぜいのはずです。しかし、1番砲員は照準器を覗いていなければならないので配置を離れることができませんが、他の3人はどうでしょう」

 ここで子爵は私を試すような視線を寄越された。しかし夫人のコロコロと転がる笑い声で、この会話が授業では無い事を思い出されたようだ。

「弾丸を込めた後ならば、拉縄を引くだけの仕事を兼ねることができそうですよね。また弾丸を込める役も、発射速度が遅くなりますが、1人でできそうです。つまり最小で、1門の2ネイル砲は2人で運用ができるわけです。そういうことで4門に2人ずつで8人。右舷と左舷の目標指示役として将校が2人。あと下甲板にある弾薬庫から弾丸を運び出す者が2人、これはあまった水兵2人が担当したようです。こうして12人で配置に就くことが決まりました」

「それはやはり1番砲員として配置に就いた将校に対して、各家の侍女が弾薬係として就いたということでしょうか?」

「そうだったようです。まあ無理に(ペア)を崩す理由もありませんから」

「他の女子部の方々は素直に<キャッツイヤー>へと移られたという事ですか」

「はい、そうですね。殿下のお言葉を拝聴した後は、まるで悪戯をとがめられた地方学校生のようにシュンとしていましたね。それをドンドンと艦載艇へと乗せて送り出して<キャッツイヤー>へと移乗させました。同じようにして侍従と女官たちも艦載艇へ案内しました。こちらの行先はトーリッジの司令部がある岸壁でした。ケンブルまでは鉄道の手配を副長がしましてね。臨時列車を仕立てて送り出すことになりました」

「そちらは王姉親衛隊のようなトラブルは無かったのでしょうか?」

「ほとんどありませんでした」

「ほとんど?」

「侍従と女官は民間人ですから降りる事には賛成だったわけです。しかし女官長だけが固辞しましてね。殿下は説得に苦労していましたね」

「女官長というと?」

「王姉宮殿で(使用人の中で)一番偉い方ですよ。名前は何と言いましたか。ちょっと思い出せませんが、殿下の乳母まで務められた方で、当時すでに結構なお歳でしたよ」

「ええと。もしかするとヤスミン夫人ですかね?」

 私の確認に子爵はポンと手を打たれた。

「そうそう。みんなで『おばあちゃん』と呼んでいたので名前をすっかり忘れていました。そうです(プリュメール)共和国風にヤスミン夫人と呼ばれていましたね」

 王姉宮殿だけでなく、王宮をはじめとする王家の宮殿には侍従と女官たちが住み込みで働いている。王宮であると侍従長が一番偉いという事になるが、王妃宮や王女(姉)宮などの女系王族の方々が住まう宮殿では、女官長の方が位は上という事になっていた。

 侍従や女官は各名家から働きに出される事が多かったので、使用人とは言え爵位持ちの方もいるので言葉遣いには気を付けなければならない。また女官の中で位が上とされる女官長や料理長、家庭教師に乳母などはプリュメール共和国風の名前を呼び名として主人から与えられるのが慣例となっていた。

 王姉宮でもあった<ブルーリーフ>にも女官長がちゃんと存在し、その席にはシャーロット殿下の乳母でもあったヤスミン夫人が就いていた。

 もちろんヤスミン(筆者注:プリュメール共和国の言葉で素馨(ジャスミン)の意)という名前も本名では無い。彼女の最初の主人であるイザベル王妃殿下が名付けたもので、本名はクリスティン・ワンバック侯爵夫人である。

 夫であるグレノーン・ワンバック侯爵は陸上競技の支援者として有名な方であった。現在家督を継いだ孫にあたるマイケル・ワンバック侯爵が同じように各種競技の庇護者であられる。

 ヤスミン夫人は当時すでに老年期に差し掛かった年齢であったはずだが、それこそ乳飲み子の頃から長きにわたってシャーロット殿下の身の回りの世話をしてきた女性であった。

 未確認であるが、シャーロット殿下のポート・モーズビー時代に特設掃海艇<ファイヤーボール>(QMSp95)や砲艇<レディバード>(GL5)に一緒になって乗組んでいた年老いた侍女というのも彼女の事であろう。

「まあ名家の夫人らしく堂々となさっておいででした」

 当時を思い出しているのか遠い目をしながら子爵は語ってくれた。

「殿下の前でも少しも怯まずに胸を張っておいででしたね。まあ殿下にとっては実母たる王妃殿下よりも長い間柄ですから、殿下の母親と言っても差し支えない方です。戦艦の艦長職に就くなんていう娘が居る母親らしく、これと決めたら曲げない女性でした。あの時も『私を連れて行かないと申されるなら、その腰の物で私を斬り捨てて下さいまし』と顔を真っ赤にしておっしゃって。殿下の方が気を呑まれて仰け反っておられました」

「それだけのお覚悟を示されたという事ですか」

「はい、そうですね。退艦させるならここで死ぬし、<ブルーリーフ>を沈めても死ぬ。もし自分を失いたくなければ作戦を成功させよと、殿下に発破をかけたわけです」

「それを母親以上の女性にされたら、シャーロット殿下もお考えを変えざるをえないでしょう」

「まったくその通りでした。ガクリと首を折るように頷くと、せめて少しでも安全で脱出し易い場所にという事なのでしょう、殿下のお部屋に残る事を許可されましたね。殿下のお部屋と言うのは、いまお話した艦隊の首脳部が集まって会議をした大部屋の奥にある部屋の事です。浴室や小さな厨房など小部屋が付属していましてね」

 わたしが質問する前に子爵は説明を続けられた。

「なぜそんな部屋が戦艦にあるのかと言うと、殿下用に改装したわけではなくて、もともと艦長室というのはそういう設備なのです。他の戦艦では艦長私室と呼びます。会議室の方を艦長公室とも呼びます。つまり帆船時代の名残で、艦首脳部の食事や会議などは艦長室で行うということですね」

「帆船時代の名残ですか」

「まあ、わざわざ変える理由がないというところでしょうか。同じ設備が他にもあります。なぜ複数あるのかと言うと戦艦は艦隊の旗艦になることがままあるわけです。そういう時に乗り込む艦隊司令のための部屋なのですね。<ブルーリーフ>では、そちらを先代までの艦長が使用していました。名前も司令官私室に司令官公室となります。そちらでは司令部の首脳部が集まっての食事や、作戦会議を行います」

「シャーロット殿下が艦長室を使われていたのは、やはり<ブルーリーフ>の主人だからということでしょうか」

「それもあると思います。また<ブルーリーフ>は練習戦艦ですから、第9艦隊司令部が組織された場合は、司令長官が乗り込んでこられるわけです。その時に司令官室を使用していたら引っ越さなければならなくなりますから、先に艦長室を使っていたのではないでしょうか」

「そういう時に艦長はどうすればいいのですか? まさか甲板に野宿と言う事になるわけにもいきませんよね?」

「それは順送りに部下の部屋へ引っ越すという事になるでしょう。まあ<ブルーリーフ>ではそんな事態にはなりませんでしたがね。他の戦艦ではたまに起きる事態でした。なにせ戦艦ですから、艦隊の旗艦と、戦艦戦隊旗艦を兼ねる場合がある。そうすると艦隊の司令長官と、戦隊司令と2人も上官が乗り込んで来ることになる。そうなると艦長が副長の部屋へ引っ越して、追い出される形で副長が主計長の部屋へ引っ越しと、玉突き衝突ですよ。しかし<ブルーリーフ>では副長が主計長を兼務していましたから、そうなっても順送りはすぐに終わったと思いますけどね」

「ちなみに個室を持たれていた士官は全体のどのくらいに当たりますか?」

「戦艦で個室を持てるのは数えるほどですよ。首脳部でも艦長、副長、主計長、航海長、内務長、機関長、運用員長の7人だけです。まあ個室と言っても(他の6人は)艦長室のように立派で広い部屋ではありませんが。他の科長等は2人部屋になります。あと海兵隊は纏めて大部屋を用意して、その奥に海兵隊隊長の区画を帆布で区切っていました。まあ艦内で彼らは嫌われ者でしたから」

 ジム・ロビンソン元准尉も顔を合わせるとケンカをしていたような事をおっしゃっていた。

「<ブルーリーフ>では少々事情が違って、副長と主計長が兼務ですから部屋が1つ余るわけです。そこへ海兵隊隊長が入りましたね。艦長の身柄を(乗組員の反乱から)守るのが仕事ですから、普段から(海兵隊自体が反乱しないように)優遇しておかないとなりませんから。それと女子部は宮殿部分にあるホールを帆布で区切って生活空間を作っていましたから、全員で纏まって暮らしていました。晩餐会などが開かれる場所なので寝台などは置けません。ですから将校も水兵も同じように釣床(ハンモック)でした。女子部の方々が長続きしなかったのはそういう生活環境が悪かったせいでしょうね」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ