第7部 開戦時の王都ケンブルの様子。
この部では、モイラ機動部隊の奇襲を受けた報を受けて、国の上層部がどう動いたかの一端を掲載しています。
突然の奇襲で混乱する王国であったが、そんな中でも反撃を開始せねばならない。
筆者は摂政ジファールの近くで事態の推移を見ていたと思われる秘書の女性に取材を申し込んだ。
★摂政ウィリアム・ジファーズのこと。
いくつになっても女性と待ち合わせをするのは慣れないものである。さらに、こういう取材のために女性と会うのは初めての事であった。
待ち合わせの場所に選択したのは某高級旅館の談話室とした。
「ここはジンジャー・ハニー・ケーキが有名なのですよ」
「それは良い話を聞きました」
聡明そうな瞳を持つ彼女の名前はアリス・ローズ夫人である。読者諸兄には彼女の私生活を守るために偽名であることを最初に断らせていただく。なぜなら彼女は現在の王国で奸臣と蔑まれている摂政ウィリアム・ジファール(当時)の秘書を務めていたからだ。
過去の雇い主に関して彼女が中傷されることの無い様にとの配慮からである。ご容赦願いたい。
「軍隊の仕事に関しては、軍務省のお役人さんが副官としてついていましたから、私はあまり知りません」
私の戦記作家という肩書を気にしていらしているのか、先回りしてそうおっしゃった。
「ですから、あまり話せることはありません」
顔つなぎをしてくれた人物の面子をつぶすわけにはいかないので、この取材を受けることにしたが、週刊誌が喜ぶようなことは一切話すつもりはないという意思が感じられた。
「いえいえ。私が訊きたいのは、開戦日当日の事などですよ。余分な事は必要ありません。きっと別の誰かが、別の新しい本を書く時に聞きに来ることでしょう」
「そうでございますか?」
それでも疑わし気な視線を丸い眼鏡の向こうから投げかけて来られた。重そうな口を滑らかにするには2つの方法がある。1つは脅迫することだが、私の流儀ではない。よって、もう1つの方法を試してみることにした。男性には酒類。女性には甘い物。これらが会話の潤滑油になることは経験上知っていた。
たわいのない世間話を重ね、彼女の肩から力が抜けた頃合いを見計らって、私は取材を開始する事にした。
「まず、大雑把でよろしいので、どういう勤務体系だったのかをお教え下さい」
「閣下は軍務省で高い地位におられました。さらに摂政という重責を担われたために、軍務省がつけてくれる副官さんだけでは仕事が回らなくなったのです。私たちは私設秘書として閣下個人に雇われる事になりました」
「私たちとおっしゃいましたね?」
「ええ。一番多い時には20人ほどの女性が閣下のもとで働いておりました。私は女学校を出て工場の事務を経験しただけでしたが、他の方はもっとお歳を召している方が多くいらっしゃりました。私以外のみなさんは、旦那さまを亡くされた方でした。平時でも陸軍へ入隊した以上、絶対安全というわけではございません。現地人の反乱や、事故などで毎年のように殉職なされる方がいらっしゃいます。そういう兵隊さんの奥さま方を閣下は積極的に雇用なさっていらしたのです」
「今では家族会が整備されて、未亡人の苦労を軽減するようになり始めています」
「その家族会も閣下の発案であったのをご存じでしょうか? 閣下は(兵隊が)心置きなく働けるようにと、あの制度を提案なさったのです」
「私もこういう仕事なので、大雑把には知っております」
「軍務省の向かいに、陸軍ご用達の業者たちが便利なように事務所を開いている建物があります。その地上階を閣下は借り上げられ、私たちはそこに出勤することになっておりました」
「軍務省ではなく?」
「閣下も軍務省に執務室をお持ちでしたが、そちらは副官さんに任せて、主に私たちと同じ事務所で仕事をなさっていました。軍務省で秘密にしなければならない事柄などは、自転車に乗って通りと(軍務省の)前庭を横切って行かれていました。摂政としての重要なお仕事は陛下の許でないとなりませんから王宮でなさっていました。私たちはそれ以外のお仕事のお手伝いだったわけです」
彼女は茶卓へ四角を描くように指を滑らせた。
「ここが執務室。そして隣は私たちが働いていた事務室」そう言って倍は大きい四角を茶卓に描いた。
「印字機がたくさん並べてあって、(雇われた)半分の方はそこで閣下宛の手紙の返事を打っていました。私も最初はそちらの仕事だったのですけど、その内にみなさんの取りまとめを任されるようになりました」
「つまり…」
「秘書長などといった、そういった大層な物ではございませんよ。ただみなさんの統率を取っていただけでございます。普通は女だけの職場だと音頭を取る者がいなくて困る物です。私は女学校卒業という事でそういうことに慣れておりましたから。閣下から一目置かれた理由でございますか? 最初は地方からの陳情への返信の内、たいした物ではない手紙を受け持っておりました。そこへ私の一存で一文付け加えていたことが気に入られたようです」
「勝手に文面を変えて怒られなかったのですか?」
「本当にどうという物ではなかったのです。『街道に開いた穴を埋めて欲しい』などは軍務省や摂政の仕事ではありませんでしょう。管理する自治体の窓口を案内させていただいただけですよ」
たしかに、その程度を国の摂政へ陳情されても困るという物だろう。
「反対側のこの部屋は電話室で、電話番の方が必ず居ました。残業時間以降は建物の管理人のお爺さんが電話番を交代して、閣下への電話が繋がらないということが無いようになっておりました」
「部屋の配置はわかりました」
「あの日は前の日から閣下は事務所に泊り込まれて仕事をなさっておられました。なんでも情報本部から気になる話しがあったとかで。私は前の日を定時で上がろうと挨拶に伺ったところ『最後に熱い珈琲を淹れて下さらんか? 長い夜になりそうだから』とおっしゃったので、珈琲急須いっぱいに用意した物をお部屋にお持ちした後に帰宅しました」
「その日は帰られたのですね」
「ええ、はい。しかし、その時の様子が気になったので、次の日は定時よりも1時間早くお伺いしました。執務室へ挨拶に伺うと、閣下は応接の長椅子へ横になられておられました。そこから『おはよう。もうそんな時間かな』とお言葉を口にされました。お部屋には副官さんもいらして、そちらはイライラと煙草を吹かして部屋中を歩き回っておられました」
「副官も一緒に居たのですね?」
「はい。2人とも徹夜をなさったのか憔悴しきっておいででした。そこで私は『お代わりをお持ちします』と言って、応接机の上にあった珈琲急須を手に退出しました。中は空になっていました。給湯室はココ…」と電話室を描いた茶卓の辺りを指差された。
「電話室の隣にありました。そこでお湯を沸かし始めると、管理人のお爺さんが顔を出されたので朝の挨拶をしました。どうやら一晩中電話の取次ぎがあった様子で、お爺さんも疲れていらっしゃりました。そこで甘い物を棚から出して、新しい珈琲に添えまして、まず電話室にお持ちしました。お爺さんを労うためでございます。その後に執務室へと、同じようにお持ちしました」
「甘い物と言うと?」
「あの時に何を出したのかは、失念してしましました。それというのも、あの事務室で甘い物が切れたことはございませんでしたので」
「それは摂政閣下の好みという事でしょうか?」
「いえ。上の階に入っている企業の社長さんたちが、挨拶がてらにお持ちになるからです」
「例えば?」
「何という物でも、ございません。普通の焼き菓子だったりします。閣下がたくさんのお金を受け取っていたと世間では言われておりますが、そのような事を見たことはございませんでした。たまにそうして頂くお菓子がいいところでございます。まあアレも厳密に言うとダメな物であったのかもしれませんが。アレらだって頂いても『みなさんでお茶の時間にでも』と閣下はおっしゃって、ご自分ですすんで手を付けようとはなさいませんでした」
「まあ、いまは摂政閣下の過去を暴く話ではありませんから」
少々頬を染めて興奮なさった彼女を宥めて話の続きを促した。
「ちょうど応接机に茶器を置いたところでした。電話番をしていたお爺さんが執務室へ駆けこんで来ました。それで私たちはモイラ帝国が攻めて来たことを知ったのです」
「閣下のご様子は?」
「落ち着いていらっしゃいました。まるで全てを知っていらしたようです」
もしかしたら情報部よりの報告を受けていたのかもしれない。
「それからは、ずっと電話が鳴りっぱなしでした。閣下は副官さんへこれから必要な事を言い含めると、軍務省へと走らせました」
「副官だけをですか?」
「ええ、はい。副官さんは半年ごとに交代なさっておいでで、今となると名前をお顔が一致しない方の方が多いかもしれません。それに最低2人は、おつきで。片方の方が軍務省で。片方の肩がお城に詰めていて、用があると事務所に来られるようになっておりました。その時の方は軍務省の方で、たしかブラウンさんだったと思います」
「どうぞ、お話をお続け下さい」
「私はお爺さんだけでは電話の取次ぎが間に合わなくなってきたので、電話室で手伝う事にしました。最初に受けたのは統合作戦本部長の(ケネス・)アーウィン将軍からのお電話でした。閣下がご在席かという質問だったので、いらっしゃいますと答えると、いま行くので待っていて欲しいとのことでした。私は受話器を戻すと、新たに電鈴が鳴る電話機を放っておいて、執務室へ行ってアーウィン将軍の言葉を伝えました」
ケネス・アーウィン退役空軍大将はカークウォール奇襲時の統合作戦本部長であった。当時すでに空軍大将の地位におり、彼の一言で王国の3軍全てが動く要職であった。
長く犠牲者ばかり多かった中原戦争時に組織されたのが統合作戦本部であった。それまでは海軍は海軍なりの思考で作戦を立て、陸軍や空軍も同じように自軍の都合だけで作戦を立てていた。そのため陸軍が攻めている時に空軍は立て直しのために撤退しているなど、矛盾する状況が生まれることが多々あった。
そんな状況を是正するために設立されたのが統合作戦本部であった。3軍の上から戦略を立て、その戦略に沿った作戦立案から準備を進めて3軍へ命令を下す。中原戦争後半はそうやって難局を乗り切ったのであった。
本部長には各軍の大将級の者が交互に就くこととされ、この9月からは空軍から出向していたアーウィン空軍大将がその地位にあった。
「その頃になりますと、カークウォール奇襲の知らせを国営放送局の音声放送で聞いた方々も、時間前だというのに続々と出勤なさりました。私も本来の電話番の方に仕事を引き継ぐと、やっと自分の席へと戻ることができました。軍務省とは通りを隔てているだけでございますから、窓から(軍務省の)前庭を眺めることができました。自分の席へ座ることの出来た私は、そこで冬枯れした芝の前庭を眺める余裕を手にすることができました」
「みなさんの様子は?」
「部屋の中はいつもよりも騒がしかったです。同僚の秘書の方々は不安そうにおしゃべりをしていましたから。ただ昨日までに終わらなかった仕事の続きをなさっておいでの方もいらっしゃいました。その中で自分の仕事を思い出そうとしていると(軍務省の)前庭を、腕を風車のように回して、こちらへ向かって走って来られる方がおられました。遠くても空色と(筆者注:空軍の軍服の色である)階級章の金色で、アーウィン将軍だという事がわかりました。私は席を立って前室へと行き、将軍が辿り着く前に扉を開いて待ちました」
「車などではなく、ご自分の足で走って来られたのですね?」
「そうでございます。将軍は『閣下はご在席か?』と息を切らせて訊ねられ、私はハイと答えました。すると私の案内すらいらないとばかりに建物の中へと将軍は駈け込まれました。私は慌てて追いかけて、将軍が閣下の執務室に入ると同時に『作戦本部長です』とだけ告げる事が出来ました」
「慌てていたわけですね?」
「はい。それはもう。まあ突然モイラ帝国が攻めて来たのですから、慌てていない方などおられませんでしたが。執務室では閣下が上着の皺を払っていらしているところでした。血相を変えて詰め寄る将軍を一目見ると、黙って応接室の長椅子を指差されまして、わざわざ微笑まれると私に新しい珈琲を注文されました。私は、また給湯室でお湯を沸かして茶器を用意いたしました」
「なにか珈琲ばかりの日ですね」
「まったくその通りでした。茶器を揃えて執務室の扉をノックしようとした時に、室内から『残念だがケネスくん。君には辞めてもらう事になりそうだよ』という閣下の声が漏れ聞こえました」
最初の衝撃が収まった後、アーウィン将軍は予備役へと一旦編入され、即日再招集という形で降格処分がなされた。
「気を取り直してノックをしますと、いつもの通り『お入り』という呼びかけがありましたので、扉を開くと丁度お二人が立ち上がるところでした。私が『もう、お出かけですか?』と訊ねると、将軍が『時間がないのです』と言いつつ、お盆を持ったままの私に歩み寄られました。将軍はお盆から珈琲茶碗を取り上げて、自らの手で1杯の珈琲を淹れると、グイッとあおられました。どうやら景気づけのようでございました。私は慌てて応接机へお盆を置きますと、なにか手伝えることは無いかと振り返りました。すると閣下が外套へ袖を通そうとなさっているところだったので、私は後ろから手伝って差し上げました」
「二人の会話を耳にしなかったということですか?」
「扉越しの言葉以外には。私が外套の袖に腕を通しやすいようにすると閣下は礼を口になされて、帽子を手にして振り返られました。『すまないが、これからトーリッジまで行かねばならん。緊急の用事はブラウンくんへ回してくれたまえ』と。とても急いでいらして私たちの『いってらっしゃいませ』の挨拶への返事すらありませんでした」
「それから2人はどうされたのです?」
「軍務省の前庭で車へ乗るのが見えました。それから港の方へと尾灯が消えて行きました。道路はとても混雑していました。昨日までの生活を続ける者。昨日とは違う生活を始める者。色んな方々で道路は車で一杯でした」
私は甘い物の追加を注文しながら、どうしても聞いておきたい事を確認する事にした。
お茶と甘味で口が軽くなった頃合いを見て、最後の質問を彼女へ向けた。
「下世話な話を1つだけ許していただきます。巷では閣下が美人を集めた後宮を作っていたという噂ですが…」
「まったく失礼な話です」
彼女は語気鋭く否定された。
「閣下のお仕事は、そんな暇が出来る程の簡単な物だと言われている様なものでございます。考えてもみて下さいませ、摂政の仕事がそんなに楽な物だとお思いになります?」
「たしかに」
気勢を呑まれて私は仰け反ってしまった。
「それに閣下は奥さまをそれは深く愛されておられました。毎月ごとに記念日をお持ちで、その日が来るたびに私たちが妬けるぐらいにノロけられるのですよ」
そう言って彼女はコロコロと笑われた。
「ある日の事です。朝から閣下が落ち着かない様子でいらしたので、どうしたのですかとお訊ねしたことがありました。なんとお答えだったと思います?」
「さて?」
「『今日は妻との記念日で、観劇の席を押さえることができたのだ』ですって。退勤の時間になると、毎日のように少し残業をなされる方でしたが、その日は定時で机の上を片付けられていました。すると建物の車寄せに閣下のお車がつきました。乗っていたのは運転手だけではございませんでした。青色の羽飾りがある帽子が後部座席に見えて、奥さまが迎えに来られたのが分かりました」
「珍しい事だったのですか?」
「はい。私も挨拶だけでもと表に出ました。車の窓越しでございましたが奥さまと言葉を交わすことができました。奥さまもお喜びで。それから私たちがお見送りをすると、2人仲良く劇場の方へと向かわれました。本当にもう、ウチの主人にも見習ってもらいたいものです」
「ダンナさまにはダンナさまの言い分という物がおありでしょう」
「そうだといいのですけれど。ということで、閣下が浮気性と言うのはまったくの濡れ衣でございますよ」
「でも、ジファーズ夫人は…」
私が言い淀んでいると、また彼女はコロコロと笑われた。
「そういう噂も致し方ありませんね。奥さまは、ほら、まあ、こんな感じの方でしたから」と言ってアリス・ローズ夫人は自らの顔を掌で挟んで潰してから、上下に歪ませてみせた。




