第11部 航海長のポート・ターリク沖海戦
ポート・ターリク沖海戦におけるモイラ機動部隊の第1次攻撃の様子は前の部でジム・ロビンソン元准尉の視点から語ってもらった。
この部では同じ時間を共有した当時の航海長ポール・ビンセント子爵の取材して、彼の視点からの第1派攻撃の様子が語られている。
再び同じような事が重複しているが立場の違いにより見えている物が変わったいることに留意されたい。
★航海長が見た海戦のこと
ここでトーリッジにおいて当時<ブルーリーフ>航海長の任に就いていたポール・ビンセント子爵の取材に戻ろう。モイラ機動部隊の第1次攻撃を全て回避する事に成功した<ブルーリーフ>であるが、実際に舵を執っていた人物からの証言は貴重な物となるだろう。また士官から見たポート・ターリク沖海戦の様子も語られている。
時間は少し遡って<ブルーリーフ>がトーリッジを出港する前からである。
「翌日から出港までも慌ただしかったですね。ここトーリッジにある管区司令部にかけあって、少しでも燃料弾薬を補充しようとしたりして。なにせ南のジェイムザに行く事は決まっていましたが、戦争をする準備は出来ていませんでしたから。トーリッジ管区だって、これから戦争が始まって、どれだけ弾薬が必要になるか分からないので出し渋られて。そこを平身低頭お願いしてかき集めてもらって。まあ弾薬函で10函程度でしたが出してくれました」
当時の苦労を思い出されたのか、子爵は肩を竦められた。
「私自身は決まった作戦航路に関して魚雷戦戦隊の航海参謀と細部の詰めをしなくてはいけなくて。その間にも敵味方の情勢が通信室からドンドンと飛び込んできます。その度に計画の細かい修正をしました。まあこれで良いだろうという案にまとまったのはお昼前でしたね。お互いがこれで最期になるかもしれないと固い握手で別れました」
「同じ戦いでも艦が違えば顔を合わせる事はありませんからね」
「その通りです。そうこうしているうちに昼食の時間になりました。艦の首脳部はシャーロット殿下の公室に集まって食事を摂るのが決まりになっていました。そこで食事をしながら必要連絡事項など艦の運航にかかせない事柄を報告や連絡をしたりするわけです。その時も全員が集まって食事をしました。でも気分は最後の晩餐ですよ。1520時(午後3時20分)に出港することは決まっていましたからね。航海に出たら、こうして一同揃っての食事も怪しくなります」
「忙しくなるからですか?」
「当直だけでなく航海中の航海長に暇なんてありませんよ。それに翌日の天気予報は朝から晴れでしたから、日の出とともに空襲が始まってもおかしくはありませんでした。つまり、こうしてゆっくりと顔を揃えられる事は最期だと思っておかしくはなかったのです」
「その日の献立は覚えていらっしゃいますか?」
「ごめんなさい。覚えていませんね。将校は水兵と違って食事は有料なのです。ですから町の食堂で料理を注文するのと同じ感覚でした。その時も会議室に行くと長机が白い食卓掛けに覆われていて、燭台が並べられていました。席次順に座る椅子が決まっていて、そこに食器類と料理長手書きの献立表が置かれていました」
「つまり会議室で食堂が開店していると言う事ですね」
「その言葉の方が分かりやすいですね。献立表には料理のコースが記されているだけです。<ブルーリーフ>では高価な順に<偉大洋><中央海><アリアン洋>と名付けられていましたね。そこへ料理長の筆跡で今日の主菜は仔牛肉だとか走り書きが書き込まれているのです。他の艦では<猪><狼><虎>なんていう名付けもありました。まあドコも大体3種類のコースが用意されているのが当たり前でした」
「献立はそれだけでしょうか」
「デザートの<北氷洋>というのもありましたね。名前の通りたいてい氷菓でした。あと<シェーンハウゼン海>という特別なコースがありました。毎回艦の首脳部だけで食事をしていると、何か見落としがあるかもしれない。という名目で将校ならば誰でも日替わりで1人は加わる事になっていました」
「それは役職に就いていなくてもですか?」
「そうです。将校ならばヒラの海尉心得でも輪番で参加する事になっていました。しかし王族たるシャーロット殿下ご臨席の場です。そう安い等級のコースは出せませんよ。それが長年勤めあげている海尉ならば(俸給の額がそれなりなので)支払えますが、候補生から上がったばかりの海尉心得なんてビックリして腰を抜かすような値段がついていました」
まあ王族の方々がいらっしゃる席に野菜クズだけの煮込み鍋というわけにもいかないだろう。
「ですから、その差を埋めるためにわざと低価格のコースとして用意されていたのです。あの席に参加したのは、たしか運用科の分隊士でしたね。ほら内務長が<キャッツイヤー>に出張中でしたから。その彼が慣れない作法に戸惑っていた事ばかり覚えています」
「たしか水兵たちは給食されるのでしたね」
「そうです。しかし水兵と下士官で食堂は違っていました。同じように海尉までの尉官と、佐官とは別の場所でした。その佐官の中でも各科の長だけが殿下と食事を共にしておりました。また将官ともなると艦隊を指揮する立場となります。そちらは艦隊や戦隊司令の公室で食事を摂る事になります」
「なるほど分かりました」
そこで納得しかけて私は手帳を確認した。
「水兵と尉官の間にいる准尉はどちらに入るのでしょう?」
「准尉はまた別の部屋になります。水兵から出世して准尉となると、それまでの給食とは違って、給与から支払うことになりますから、戸惑う者も多かったようですね」
「ありがとうございます。では、その食事の席は静かなものだったということでしょうか?」
「ええ。親戚の長老が臨終となると一族が集められるでしょう。そういう場で食事が出されたのと同じでした。みな口数少なく、作業的に食物を喉に通していました。そんな中でロン(ローガン・アレン飛行長)が殿下に、艦載機の機関銃が余っているから艦橋へ据え付けても良いかと確認を取っていました。せっかく1挺あるのに無駄にすることはないと力説して、殿下も余っているなら有効活用しようと頷かれました」
「つまりワーキングランチのようなものですね」
「そうですね。様々な打ち合わせなどをやりながらですから、その言葉に当てはまるかと思います。食事も終わって食後の珈琲に移った頃にジャック(ジャック・ウィーバー機関長)が堪らず声を上げましたね。『こんな沈められると分かっている作戦は間違っている。今から<ブルーリーフ>丸ごとで、どこか第3国へ亡命しましょう』と。悲鳴のような声でしたね」
「え…」私が言葉を失っているのを余所に子爵は話しを続けられた。
「どうやら冷静に食事をされているお2人が見ていられなかったようです。もちろんお2人とは殿下と副長の事ですよ。夫婦揃って死地へと送り込まれるのに、お2人とも特別な言葉も交わさずにいらしたから、いたたまれなくなったのです。まあその言葉は明らかに、王室と海軍に対する反乱を意味します。でも私もちょっとは思っていましたから、彼を責める事はできませんでした」
子爵はゆっくりとお茶を口にされて、私に考える時間を下さった。
「すると殿下は鷹揚に微笑まれました。自分の死を悟った、とても美しい微笑みでした。そしておっしゃるのです。『機関長。もし怖くなったのなら今から<キャッツイヤー>に行っても良いぞ』と」
分かるでしょうとばかりに子爵は微笑まれた。
「ええと」
私が困惑していると子爵は答え合わせというように口を開かれた。
「反乱を口にしたことを不問にするという意味ですよ」
「ああ」
私が膝を打つと子爵は「こういう考えもあります」と声を変えられた。
「なにせ機関科は艦が沈む時は助かりませんから。これは民間船でもそうなのですが、艦が沈む時には最上甲板に近い位置に居る者が助かりやすくなります。機関科は詰めているのが船倉甲板や下甲板でしょう。ですから助かる確率はグッと低くなる。ジャックだって我が身可愛さで申し上げたのではないのは分かっています。彼には3個分隊もの部下が居ました。海軍上層部がどうとか戦略的にどうとか難しい話よりも、やはり自分の部下の生死がかかっていますから、ああいう事を口にしたのでしょう」
「それで、どうなりましたか?」
「ジャックは泣きそうな顔で殿下の笑顔をしばらく見つめると、頭を深々と下げて変な提案をしたことを詫びましたね。その謝罪を受け入れながら殿下は一堂を見回しておっしゃりました。『他にも居ないか? 今ならまだ間に合うぞ』と。お互いが顔を見合わせましたね」
「逃げ出す者はいましたか?」
「まあ自分からすすんで残ると言った者ばかりでしたから。可哀そうなのは運用科の分隊士ですよ。こんな艦首脳部の葛藤を見せられて、どうしてよいか分からずにオロオロしていましたね。ですから私は『おい。まさか貴様は我々の冗談を真に受けているのではないだろうな?』と脅しておきましたね。士官室や水兵たちに変な事を吹聴されても困りますから」
「やはり反乱は恐い物ですか?」
「幸い私は出くわした事がありませんがね。運用員長も分隊士に『このぐらいの即興劇は日常茶飯事ですよ』と…」
「待ってください。運用員長も居たのですか?」
「艦の首脳部ですから」
何を当たり前の事を訊ねるのだろうという顔をされてしまった。
「本当は准尉ですから准士官食堂で食事をするのが決まりですが、こういった重要な局面に運用員長が居ないと水兵たちを纏めてもらう事が難しくなりますからね。いつもは<アリアン洋コース>なのに、あの時は殿下が奢るとおっしゃったので<中央海コース>に<北氷洋>までつけていましたね」
「それは贅沢なのでしょうか?」
「それなりに。ちなみに<偉大洋コース>を注文するのは、いつも殿下だけでした。副長は倹約家ですから<シェーンハウゼン海コース>を睨みながら<中央海コース>でしたね。偉い人が上のコースを頼んでくれないと、我々が頼む物が無くなってしまうのです」
そうおっしゃって子爵は苦笑いをして見せられた。
「食事を終えてジャックと固い握手をして別れました。もしかしたら今生の別れとなるかもしれません。でも特に別れの言葉は交わしませんでしたね」
人生経験の浅い私は、これで終いになる握手を経験したことは無かった。
「それから私は自室へと引っ込みました。その後は通常勤務とほとんど同じでした。部下の考課表をまとめて、もし私自身に何かあっても後を引き継ぐ者が困らないように整理整頓などもしました。あと<キャッツイヤー>に乗り込んだ組が困らないように、必要な海図を見繕って送ったりもしましたね」
「<キャッツイヤー>には海図が備えてなかったのでしょうか?」
「海図室がありませんでしたから。司令塔の物入れに数枚の在庫はありましたが最新の物ではありませんでした。そうやって色々な小事を片付けてから、いつもの通りの出港1時間前に(戦闘)艦橋へ上がりました。もちろん出港ですから殿下も上がられていました」
「出港時に艦長は艦橋に居るものなのですか?」
「入港時にもです。やはり大海を往くのとは勝手が違いますからね。それにトーリッジ港は港の入り口に岩礁地帯がありましてね。守るに易く攻め辛いことで有名です。帆船の時代ならば港内に乗り込んで来て暴れようとする敵船から守ってくれますが、もうそういう時代ではありませんでした。その岩礁のせいで入出港時には気を付けなければならなかったのです」
今でも満載ぼ貨物船が座礁事故を起こすことで有名である。
「錨甲板では運用員長が浮標との切り離しを指揮していましたね。戦艦は滅多に岸壁に横付けする事はありません。図体が大きいので岸壁につけようとすると大変だからです。また当時の港内はどこも浚渫がそこまで行われていませんでした。ですから沖の浮標に主錨の錨鎖を繋いで係留していました」
浚渫とは港の海底を掘り下げて水深を維持する仕事である。水深が深ければそれだけ重い船が岸壁まで近づける事となる。
現在では主要港の浚渫が進み、大型の貨物船が接岸して荷揚げするのが当たり前の光景となっているが、当時はまだ小分けにして揚陸、もしくは長い桟橋を用意して積み込みや荷下ろしをしていた。
「主罐は前日から準備態勢で蒸気が上げてありました。戦艦ぐらい大きくなると出港するために主罐に火を入れても、すぐに動き出せるという物ではありません。おおよそ24時間前には出港に向けて主罐を焚き始めないとなりません。今はディーゼル機関やガスタービン機関など新世代の動力となって、そういう苦労も無くなったようですけれどね」
「そういった新世代の機関の始動は容易いということですね」
「さすがに自家用車のようにはいきませんが、蒸気タービンよりは簡単ですね。<ブルーリーフ>にはディーゼル機関も搭載されていましたが、コレがアテにならない物で。まあ、あの苦労があったから現代の技術が成り立ったのでしょうけれど」
「そういえばディーゼル機関のどれか1つはいつも故障していたとか」
私の言葉に子爵は体を仰け反られた。
「どこで聞かれたのです? ああ、わかりました。彼ですね。その言葉は正確ではありません。必ず1基のディーゼル機関が動かないというより、1号機は過給機の調子が悪くて全力が出せない。2号機は送油機からの漏れが酷くて全力が出せない。3号機はココが、4号機はコッチが悪い。そういう積み重ねで8基のディーゼル機関が搭載されているのに、実質7基分の出力になるといった調子でしたね」
「それでは動くことは動いていたということですね」
「ええ。極端な話しをしますと、蒸気タービンが止まってディーゼル機関が1基だけになっても動くことは出来たと思いますよ。速度は歩くより遅くなってしまうでしょうがね」
陸上の機械であると出力が一定以上下がってしまうと動かすのが困難になる物だが、船は小さな動力でも動かすことができる。現代でも消費エネルギーに対して動かせる重量比では船に敵う者はいないのである。
「航海長であった私は戦闘艦橋から前甲板を見おろしていました。艦首にある錨見台の信号員が橙色の旗を持っていましてね。浮標が外れたら旗を上げて教えてくれるのです。その間にも艦隊の他の艦が浮標を外して港口へ向かい始めます。下の司令部艦橋で水上見張りをしている見張員がその都度報告します。『巡洋艦<アロー・メーカ>出港しました』などと艦名ごとに報告が上がります」
「<ブルーリーフ>の順番は何番目だったのでしょうか?」
「<ブルーリーフ>は最後に出ることになっていました。供奉艦の2隻も動き出したところで錨見台の信号員の右手が上がりました。浮標を切り離した合図です。私が殿下を見ると頷かれて『出港』の号令がかけられました。その後は、本来ならば艦長である殿下が舵を執るべきなのですが、先ほど言った通りトーリッジは少々難しい港ですから、私が羅針盤の所に立って舵を執りました」
さすがに航海長の方が腕前は上だったようである。だが、それだけトーリッジが難しい港だったと言える。
「『両舷前進微速。面舵』と伝声管に号令すると、左に立っている航海士が速力通信機を前進微速まで押し込んで、伝声管の先に居る操舵長が舵輪を右に切るわけです。真っすぐ進むと今切り離した浮標があるから、ちょっと右か左に避けてやらないといけないわけですね。そうやって<ブルーリーフ>は9隻の僚艦の後を追うように進み始めました」
「シャーロット殿下は何をされていたのですか?」
「港務部の通信所から発光信号で『貴艦の武勇を祈る』とか送られて来て、殿下はそういう挨拶に返信する事に忙しそうでした。なにせトーリッジに停泊している船は、小は汽艇から大は豪華客船まで全て挨拶をしてくるのですから大変ですよ。そうやって港全体に見送られて港外へと出て行きました」
こうして本国艦隊最期の部隊は出港していったのである。
「あの時は念には念を入れてトーリッジ管区隊の駆潜艇が先に出港して、港の外で警戒してくれました。空軍の哨戒機も来てくれてね。もう日が沈むというのに艦隊の上空に居てくれて心強かったですね。ほら全滅も覚悟しているような作戦でしたでしょう。どこか海軍に見捨てられたような気分になっていたのでしょうね。それなのに駆潜艇や哨戒機が来てくれたのが嬉しくて」
当時を思い出されたのか子爵はしばし天井を見上げられた。
「艦隊は1本の棒になって航路を進みました。港外に出てしばらくしてから舵を殿下と交代しました。そうすると私はすることが無くなってしまうのです。いちおう首から提げた双眼鏡で見張りの真似事をしましたけれど、私などより部下たちの方が優秀でしたからね」
「そんなことはないでしょう」と私は水を向けたがいやいやと子爵は首を横に振られた。
「先頭を行く<アロー・メーカ>に続いて駆逐艦が並んで、<ブルーリーフ>は列の最後でした。そうやって全艦が港口を出る頃には日が沈みました。まあ(空襲の可能性が低い)夜の間にポート・ターリクまでの航路を少しでも進んでしまおうと私が自分で計画したのですが」
「天候は如何でしたか?」
「空は雲が重なり始めて時々霧のような物が艦隊を覆うようになりました。そうすると見張り能力が下がるわけです。今みたいにレーダーがあるわけではありませんから。測的所で目に入る全ての灯台や航路灯までの距離や角度を測って、航路を外れていないか何度も確認しながら進みました」
「意外に目印はあるものですね」
「それも戦時中に夜間は決まった時間しか灯さなくなりますがね。まだ、そこまで切羽詰まっていなかったのですね。真っ暗な中で誰もが憂鬱な沈黙に包まれて仕事をこなしていると、岩礁を大きく迂回する赤い航路灯に差し掛かったあたりで装甲塔についている電話が鳴りました。驚いて背筋が伸びましたよ」
まるで怪談のように子爵は語られた。
「伝令が取って殿下に『哨戒機より入電<所属不明ノ潜水艦ヲ発見セリ>』と大声で伝えました。まあ敵潜水艦の可能性が高いわけです。私は殿下の横に立って羅針盤を確認しました。ちょうど岩礁を避けるために針路を取り直したところです」
「対潜水艦戦闘ですか?」
「普段なら駆逐艦に敵潜水艦の制圧を命じるところですが、この岩礁地帯の真ん中ではそうはいかないのです。駆逐艦ですら座礁の危険性がありましたから。私は<ブルーリーフ>が航路を進むしか無い事を確認したうえで殿下に『いかがいたしましょうか?』と訊ねました。殿下は『管区隊の駆潜艇へ連絡し、制圧してもらおう』と即答されました。まあ、それしか手が無いわけですが」
「駆潜艇だと大丈夫なのですか?」
「管区隊の駆潜艇は艇体がとても小さいので座礁するほどの喫水を持っていないのです。ですから岩礁地帯でも自由に航行できました。あ、もちろん白波が立つような海面に顔を出している岩礁は別ですよ」
「なるほど」
「こちらが駆潜艇隊に連絡して任せようと相談していると、向こうから通信が入った様で、また装甲塔の電話が鳴りました。伝令が『駆潜艇隊司令より入電<先ノ哨戒機ヨリノ警告ニ従イ、我、潜水艦ノ制圧ニ向カウ>』と通信室に入った電文を伝えてくれました。こちらが顔を突き合わせている間に即断即決した駆潜艇が動いてくれたわけです。まあ、前の戦争では潜水艦で酷い目に遭っていましたから、対潜活動の訓練は欠かさずに行っていましたからね」
「前の戦争と言うと中原戦争のことですね?」
「そうです。プロニア帝国による通商路破壊作戦は効果的で、もう少しで王国が干上がるところでした。その反省をもとに王国海軍では対潜水艦戦法の研究を怠っていませんでした。まあ後になって、それでもまだ生ぬるかったことを思い知らされることになるのですが」
それはまた別の話しとなる。
「こちらが航路を原速(12ノット:時速22キロメートル)で進んでいると、右舷の遠くから爆発音が聞こえ始めました。駆潜艇の爆雷投射です。しばらくしてから駆潜艇隊司令から『制圧攻撃ニヨリ海面ヘノ油ノ湧出ヲ確認』という通信が来ました。けれど戦後に記録を調べてみたら、敵にも味方にも該当する潜水艦はいませんでした。おそらく虚探知した目標に攻撃を仕掛け、なにも戦果無しだと格好がつかないから、そう連絡して来たのだと思います」
「それは残念ですね」
「まあ戦果誤認は戦場では当たり前ですからね。いちおう殿下は『貴隊ノ潜水艦制圧ニ感謝ス』と電文を送っていましたけれど、たぶん同じことを思われていたと思いますよ。なにせ岩礁が入り組んだ海域なので、アスディックの捜索音波が乱反射するのは当たり前でしたから」
「アスディックというのは何なのでしょうか?」
「ああ、ええと。レーダーと同じですね。水中のレーダーと考えてもらうと分かりやすいかもしれません。大気中で使用するレーダーは電波を発振して、その電波が何物かに当たると反射して帰って来て、それで何かあるのが『見える』わけです。アスディックはそれと同じ事を水中で行って、そこに何か…、まあ大抵は潜水艦ですが、その捜索に使用しようというわけです。ですが水中では電波は減衰が激しくて使用できません。代わりに音波を使用して『見る』わけです。アンチ・サブマリン・ディテクション・インフォメーション・コミッターの頭文字を取った(ASDIC)新語ですね」
「ああソナーのことですか」
「巷ではそう呼びますね。ですが海軍では自ら音波を発振して捜索する物をアスディック、対象の発する音波を受信する事によって捜索する物をソナーと呼び分けています」
(訳者注:海上自衛隊におけるアクティブ・ソーナーがアスディック、パッシブ・ソーナーがソナーにあたることになる)
「そうやって岩礁海域を抜けるとホッと一息付けました。なにせ座礁なんて言う不名誉は、平時だって降格ものですよ。まして作戦のために出港した艦隊で座礁事故なんて、神経がまともな海軍士官ならば、恥ずかしくて街を歩けなくなりますよ。もちろん降格どころか予備役編入の可能性だってあります」
歴史上に名を遺した提督でも、ここで艦を座礁させて降格処分になった者が2名もいる。
「でも、こんな無茶な作戦に向かうぐらいならば座礁させた方が殿下のためになるかもと心のどこかでは思っていましたね。そんな邪心を殿下は感じ取られていたのでしょうね、途中で交代なさったのは」
本気だったのかどうかを確認しようと子爵の顔を覗き込んだが、笑顔で誤魔化されてしまった。
「まあ夕食時までには当直に任せても大丈夫な海域に出ていました。ですから当直長に任せて私は下に下りる事にしました。書類の整理などがまだ残っていましたから。艦長である殿下に『それでは下におります。艦長は如何為されますか?』と挨拶をすると『私はここにいる。料理長に申し付けて夕食は何か簡単な物を運ばせてくれ』と伝言を頼まれました。ですから昇降機で最上甲板に下りると、第3砲塔の脇にある宮殿の厨房へと赴き、殿下の注文を届けました」
「待ってください。民間人は降りたのではないのですか?」
「宮殿の侍従や女官はヤスミン夫人を除いて全て降りていました。ただ海軍が雇用する形の料理人と、洗濯夫はそこには入りません。彼らは実戦になったら危険に巻き込まれる事を承知で契約するのですから。もちろん戦闘が始まったら、なるべく安全な所へ避難していても文句を言うことはできません。戦うのは軍人の役目ですから」
「それでは艦とともに沈んだ傭人も多かったのではないでしょうか?」
「そうですね。大型艦にはどれも食堂と洗濯屋はありましたから、艦と運命を共にした人たちも少なからず居たはずです。駆逐艦などの小型艦だと、洗濯屋は無くて駆逐艦母艦や港務部の洗濯屋を利用する事になります。食事は給養員長が士官用に注文を受けて作る事になります。ただ駆逐艦戦隊司令などが乗り込む嚮導駆逐艦はこの限りではありません。戦隊司令などが独自に料理人を雇って連れて来る場合もあるからです」
「なるほど。そういった方々の戦死者も多そうですね」
「毎年の復員軍人の日に傭人として乗り込んでいて犠牲になった方々の慰霊祭を執り行っていますよ。もし興味がおありなら紹介しますが」
この時の紹介状は、後に別の本を書く時に役に立つことになったが、それは別の話である。
「殿下は私に申し付けられた通り、夕食時に食堂へ下りてくる事はありませんでした。科長も勢ぞろいと言うわけにはいかなくて、ジョージ(・リッケンバイヤー内務長)とジョゼフ(・レイモンド通信長)それとジャック(・ウィーバー機関長)を欠いていました。誰も何も喋らずに黙々と食事を摂りましたね」
「みなさん仕事が忙しかったということですね」
「その後は平時だと自由時間となりますが、いまは戦時ですから自室へと戻って眠る事にしました。いつ何があってもいいように軍装のままでベッドへ横になりました。航海長まで出世すると当直から外れて、夜はベッドで寝ることができます。まあ<ブルーリーフ>では殿下を含めて全員で当直に立っていましたけれどね」
「その日の当直には入っていなかったと言う事ですか?」
「私は入っていませんでした。ただ仕事をしなくて良いというわけではなくて、それまでは上官の命令を受けて働いていたところが、今度は自分で仕事を見つけて部下を動かす側になります。なにか航海に関する事で不都合が起きる前に手を打っておかないと、航海長として失格です。言われて(仕事を)やらされていた方がどれだけ楽だったか。その日も真夜中の0000時(深夜0時)に乱れた服を整えると戦闘艦橋へ上がりました」
「深夜に艦橋へ上がったのですか?」
「そうです。<ブルーリーフ>は練習戦艦だったでしょう。ですから航海科を歩んでいる訓練生や候補生が天測の訓練をするのです。それが日の出と日の入り、そして正午に加えて真夜中に行います。天測と言うのは何も目印の無い海の上で自艦の位置を知る方法です。六分儀を使って星の角度を測る方法は帆船時代から変わりません」
六分儀の構造自体は帆船時代から変わってはいない。
「しかし下手がやると港に居るのに、ジェイムザ大陸にある砂漠のど真ん中を航行中という様に、アテになりません。コツさえ覚えてしまえばすぐに終わる作業で、航海の基本の1つです。ですから毎夜、天測の様子を確認するために戦闘艦橋へ上がる事を心掛けていました。いつものように軍装を整えて、前檣楼にある昇降機に乗ってから、あっと声を漏らしました」
「?」
「そういえば訓練生も候補生も昨日までに<キャッツイヤー>に送り出して艦内に残っていないことに気が付いたのです。まあ、でも寝ている間になにか小さな問題があったかもしれません。それを確認するために、そのまま戦闘艦橋へと上がりました。上がると右舷の後ろ側に当たる天幕が張られていました。やはり問題があったのかと思いながら、司令部艦橋から後部舷梯で上がったところにある対空見張盤についている見張長と目を合わせました」
「なにか言葉を交わしたのですか?」
「その頃には小雨が降り始めていて、ただでさえ寒い真冬の甲板は、まるで凍り付いているかのようでした。そんな天候ですから対空見張りは開店休業なわけです。見張長が『どうしました?』と話しかけてきたので『癖が抜けずに目が覚めてしまったよ』と返しましたよ。それだけで分かったのか、彼は声を潜めて笑いましたね」
「ひそめてですか」
「見張長はケンカと大声が自慢な男でね。そんな彼が声を潜めているので、何かあったのかとよく見ると、海図室への出入り口の所に荷物が置いてあるじゃありませんか。こんな邪魔なところに置かなくても良いじゃないかと目を凝らすと、わずかに動いているのが分かりました。殿下がそこに置いた机と椅子の上で丸くなって眠っておられるのです」
確認するが小雨の降る深夜である。
「私は起こさないようにと羅針盤の方へ左舷側から回り込みました。当直長はロン(ローガン・アレン飛行長)でしたから『アレはどうしたわけだい?』と小声で聞きました。すると『殿下には殿下のやり方があるそうですよ』と我儘な娘の言い分を聞き入れた顔のロンが答えました。詳しく訊くと、どうやら一晩中そこで待機なさるつもりのようでした」
「責任者としての執念ですか?」
「正しくその通りです。『風邪などにならなければ良いのだが』と当たり前のことを返すと『でもよかったこともある』とロンが教えてくれました。我々が夕食を摂っていた頃に、どうやら敵潜水艦の接触を受けたようなのです。ああ、接触と言っても直接ぶつかったわけではありませんよ。哨戒に出ている艦が敵艦隊に出くわした時などのことを接触と言うのです」
「それはあらかじめ分かっていた事では無かったことですか?」
「そうです。その時の当直長は前の日の昼食を一緒にした運用科の分隊士だったそうです。さすがに敵の出現にうろたえたそうですが、殿下が艦橋におられて指揮を執ってくれたおかげで大事に至らなかったそうです。まあ普通ならば戦闘配置をかけて全艦でいつ襲撃されてもいいように身構える物ですが、翌日の空襲を前に少しでも乗組員の負担を軽くしたいという思いだったのでしょうね。航海長だった私ですら、その時初めて知ったのですから。まあ女性ならではの配慮ですよね」
これが勇ましい艦長だと全艦戦闘配置となるところであろう。
「配慮と言えば戦闘艦橋の天幕もそうです。見張長が対空見張盤の故障を申請して、その対応として張ったそうです。しかし真実は違います。殿下が、まあ雨合羽や外套は着こんでいらしたが、雨晒しであることを憂いて、自分の考課表に減点がつくかもしれないのに故障を申請したのです。もちろん考課表には書きませんでしたよ」
そのぐらいの人情が許された時代だったのであろう。
「天測自体は、あいにく月が出ていなかったので、掌当直長が適当な1等星で行いました。測位が終わって海図の記録と照らし合わせていると、殿下が起きていらした。羅針盤で方位を確認し、海図室で現在位置を記録する航海士が『筆の先ほどしかずれておりません』という報告を聞きました」
ちなみに、この『筆の先ほどしかずれておりません』という定型文は現在の王国海軍艦艇でも使用されている。
「その頃には暇を潰すためか見張長も羅針盤の方へ顔を出しました。今はレーダーがありますから雨が降っていても夜間でも空襲の恐れがありますが、当時は人間の目で行わなければなりませんでした。ですから小雨とはいえ悪天候の夜には、対空見張りは開店休業なわけです。本来ならば下の階の水上見張りの手伝いに回るところですが、それだって苦労しているわけではありませんでしたので。これで波が高いなど悪条件が重なれば、ちゃんと見張っていろと言うところですがね」
「なるほど。適度に緊張したり、そうでなかったりと、緩急をつけていらしたというわけですね」
「その通りですね。軍人としては部下にいつも緊張していて欲しいものですが、そうはいかないのが人間ですからね。手を抜ける時には手を抜いて休憩を挟む。これが長く仕事を続けるコツですね。殿下もその点は分かっていらして、見張長が堂々とサボっていても文句の1つも言われなかった」
そういう適当な采配が水兵の疲労軽減に繋がるのであろう。
「殿下は凍り付いた戦闘艦橋に居るだけあって厚着でしたね。冬の軍服の上に外套を着こまれて、さらに荒天時の作業時に使用する雨合羽まで重ねられていた。軍服の下に何枚重ねられているのかは分かりませんでしたが、私だって下着を3枚は重ねて、あわせて懐炉まで懐に呑んでいましたからね。殿下も相当な枚数を着こんでおられるようでした」
「それではどちらも着膨れなさっていたということですね」
「ええ。海図室で現在位置を確認された殿下が来たところで、私は戦闘艦橋を見回しました。当直に就いている水兵たちは真面目に働いている様でした。いい機会だと思って殿下に訊くことにしたのです『この戦いに勝ち目はあるのですか?』とね。そのとたん戦闘艦橋の床に敷かれた木格子がギッと音を立てましたよ。水兵たちが全身を耳にしてこちらの会話に聞き耳を立てた証拠です」
「わざわざ水兵たちの前でそういう話をされたのですか?」
「ええ、はい。まあ敵にやられる確率の高い作戦です。上の者の覚悟を伝えておいた方が良いと判断したのです。殿下は1度軍帽を脱がれて前髪を撫でつけられると、被り直してから答えてくれました。『残念ながら、全く無いと言い切れない』とね」
「自信がおありだった?」
「そのようでした。続けておっしゃるには『なにせ私は、まだ1回も空襲で艦を沈めたことが無いからね』ですもの。私は笑い出してから、殿下が南方で哨戒艇や砲艇の指揮官であった事を思い出しまして、己を恥じましたよ」
その時の感情まで思い出されたのか、子爵はバツの悪そうな顔をされた。
「『まあ無傷とは言えないがね』と殿下は三角巾で吊った左腕を示されました。その口ぶりは、相手が空母に戦艦を揃えた機動部隊なのに勝てると確信しておられるようでした。ですから『勝ち目があるとお考えでしょうか?』と訊きました。殿下は、ああいうのを不敵に笑うと言うのでしょうね、ニヤリと表情を歪めると『君は信じられないと思うが、やりようはあると思っている』とおっしゃりました。さすがに信じられませんでしたね」
まあ機動部隊による航空攻撃自体が正統派ではなく、どちらかというと邪道とみられるような戦法だった時代である。それに対抗する手段もまだ手探り状態だったはずだ。
「私の表情で察するところがあったのでしょう、相手をロン(ローガン・アレン飛行長)に変えると、空母に関する事を質問されました。元空軍所属で、海軍の航空隊に移って空母飛行隊にも加わった事のあるロンですからすぐに答えてくれました。まず予想される敵機の数です。モイラ機動部隊には大空母が4隻に、中空母が2隻含まれることは、空軍の偵察機のお陰で判明していました。すると大雑把に大空母が100機、中空母に60機、合計で520機だというのです」
「520機ですね?」
「そう言われました。いやこれには参りましたね。全ての機が小型爆弾を1発ずつ積んで来たとして520発もの爆撃ですよ。硝煙弾雨という言葉がありますが、まさしく爆弾の雨です。するとロンは『もう少しだけ少なくなるかもしれません』と訂正してくれました」
「減るのですか?」
「空母には色々な種類の艦上機が載せてあります。あるものは空中戦を任務にする戦闘機であり、あるものは急降下爆撃を任務にする急降下爆撃機であります。この内、戦闘機は対艦攻撃には役立たずと言うわけです。まあ戦争も後半になると戦闘機も急降下爆撃をするようになりましたが、少なくともこの時点では数に入れなくても構わなかったのです。我が海軍の空母では、戦闘機、急降下爆撃機、雷撃機の3機種を均等になるように搭載していましたから、モイラ海軍でも3分の1は艦上戦闘機と考えていいはずです。つまり520を3で割った数字が戦闘機の数なわけです。残った346機が攻撃隊と言うわけですね」
「私からすれば500も300も同じような気がしますが」
「まあ気分の問題ですね。その350機足らずも、同時に攻撃なんて無理です。なぜなら一斉に<ブルーリーフ>に飛び掛かったら空中で敵同士衝突してしまうからです。極端な事を言えば1発ずつ攻撃して来る敵に対して丁寧かつ適切に行動すれば怖くないというわけです」
「理屈ではそうなるでしょうが」
あまりの机上の空論に私が絶句していると子爵はイタズラ気に片目を閉じられた。
「それと、もう1つ殿下はロンに質問されました。『航空母艦にはどれくらいの弾薬が用意されている物だろうか』とね。いくら機動部隊が無敵と言っても、空母機の燃料弾薬が無ければただの箱ですからね。ロンは気障男らしく『ははーん』と笑うと『艦上機の全てに完全武装を施すとするならば、2回もしくは3回が限界でしょう』と答えました」
「そんなものですか?」
「これが陸上基地ならば基地外に弾薬庫を用意したりして、20回も30回も飛ばせるでしょうが、航海に出た空母は自前の弾薬庫しかありません。しかも自分の燃料弾薬も積まなければなりませんから、そんなに容積は残されていない物です」
「弾丸が無ければ恐くないですね」
「その話を聞いて殿下が『そこだ』と明るく指を立てられました。そして立てている指を3本にすると『敵機動部隊はすでにカークウォール攻撃で1回分の全力攻撃をしてしまっている』と、おっしゃって指を1本折られました。『そしてポート・ターリク攻撃にもう1回分を割り当てなければならない』。これで立っている指が1本になりました。『そして何より我が海軍の反撃を恐れているはずだ。本土へ帰るまでは最後の1回分は温存するに違いない』。これで全ての指が折られました。まあ1回分の攻撃能力を残して帰還するのは常識ですよね。戦史を紐解けば帰り道に襲撃されて全滅したという話は、枚挙にいとまはありませんから」
戦史ならば私の得意分野である。わざわざ例を挙げるほどでもない話でもある。それこそ海戦だけでなく、騎士が馬に跨って直接槍で突き合っていた時代から、類似の話は歴史に残されていた。教訓としては。勝っても負けても本拠地に戻るまで全戦力を使用するのではなく、最低でも1回戦分ぐらいの余力を持って帰還する事である。
「私は握られた殿下の手を見て再確認するように訊ねました。『つまりポート・ターリクへ向けられるはずの1回分の攻撃を耐えれば敵は撤退するということでしょうか?』とね。すると殿下は『その通り』と大きく頷かれましたね。まるで1週間は雨が続いて外で遊べなかった子供が、晴れ間を見つけたような笑顔でしたね」
しかし子爵は渋い顔で肩を竦められた。
「さすがに水を差してはいけないと言葉を呑み込みましたが、では小出しに敵が戦力を投入して来たらどうするのでしょうかと疑問に思いましたね。同じようなことをロンも考えていたようで、お互いの顔を見合わせました。どちらが言い出すか譲り合ってからロンが言いにくそうに『しかし殿下。敵機動部隊は本日…、いや昨日に補給を受けたとありますが』と切り出しました」
「その可能性もありましたね」
「すると機嫌を害されたのか殿下は不満げな顔になられると私に問われるのです。『航海長。霧の海域で弾薬の補充は可能と考えられるか?』とね。さすがに航海の難所である霧の海域で船から船へ貨物を受け渡すことは出来ないことが常識でした。つまり補給船から弾薬を補給する事は出来ないという事ですが、私は正直に首を横に振って無理だと伝えました」
「もう少し詳しくお願いします」
「あそこの海域は視界を奪う霧だけで難所となっているわけではありません。季節風で起きた波が複雑に重なって、突然の三角波となって艦を襲うのです。これが来るのが分かっていれば対処のしようがありますが、なにせ視界は霧で奪われていますから、何度も海難事故の原因となっていました。航行するだけでもそうなのに、ましてや重量物である魚雷や爆弾を補給船から移すなんて言う事は事実上無理ですよ。柔らかい蛇管を繋いで液体である燃料の補給をするならまだしもね」
「海の難所と言う事ですね」
「ですから戦前はカークウォールへの直接攻撃なんていう奇襲作戦は想定されていなかったわけです。私は確信を持って『補給を受けたと言っても、艦艇の燃料、搭載機の燃料や機械油などで弾薬は含まれないと思われます』とはっきりと答えましたね。私の言葉を耳にしてロンが『つまり敵機動部隊の全力攻撃を1回やり過ごせればいいという事ですか?』と確認すると、殿下は楽しそうに頷かれました」
「小さな光明だったわけですね」
「でもシャーロット殿下の明るい笑顔に勇気づけられなかったのか、ロンは『しかし、その1回で本国艦隊は全滅したみたいですよ』と悲観的な声で言いました。まあ、それが事実だったわけですが」
「やはり本国艦隊の全滅は大きい出来事だったと言う事ですね」
「そうです。殿下は指揮官として部下を奮い立たせるためか『意外とやってみると簡単かもしれないぞ』とおっしゃりましたけどね、私はまたロンと顔を見合わせて肩を竦めましたよ。今考えると不敬の至りですが、機嫌が良くなった殿下は怒りもせずに『では私はここに居るので、何かあったら殴っても起こすように』と言いつけられて、また机に蹲るようにしてお休みになられました。私は許可を取るように『それでは下に降ります』と声をかけましたが、碌に返事はありませんでしたね」
「シャーロット殿下が(戦闘)艦橋におられるのに、下がったのですか?」
「ええ。先ほども申した通り航海長ともなると自分で仕事を見つけることになります。この日は夜が明けてから空襲で忙しくなる事が分かっていましたから、遠慮なく自分の寝台へと戻って体を休めました」
「シャーロット殿下は(戦闘)艦橋に残られたのですね」
私の再確認に子爵は頷かれた。
「殿下も艦長としての覚悟をお示しだったのでしょう、艦橋に留まられた理由は。私は翌朝の0600時には戦闘艦橋へと戻りました。まだ夜明けには早かったのですが、黎明が差していて空襲が可能だと判断したからです。その頃には殿下が第9艦隊各艦に第3序列に艦隊の組み直しを命じられていましたね。旗艦である<ブルーリーフ>を中心にして駆逐艦で輪を作って守る形ですね」
「輪形陣という物ですね?」
「巷ではそう呼ぶらしいですね。海軍内部では終戦まで第3序列と呼んでいました。まあ壮観な景色でしたよ。魚雷戦戦隊旗艦である<アロー・メーカ>を先頭に夜明けで凪いでいる海を進む艦隊は、いまでも思い出すことができます。空は心配した通り晴れ上がっていましたね」
「普段の航海ならば歓迎すべき天候ですよね」
「晴れて凪いでいましたからね。艦の乗り心地は最高でしたよ。その中で殿下は戦闘艦橋に置いた机で早目の朝食を摂られました。もう執念のようでしたね。王族なのですから豪華な食事でないと満足されないかと思うでしょう。しかし、その時は硬いパンへ、しょっぱい保存肉を挟んだ粗末な物でしたよ。それと飲み物は水筒から直に飲まれていて」
映画では給仕が小さな白い食卓に御馳走を並べていた場面である。
「水筒の中身はたぶん水で割ったワインでしょう。海軍では帆船時代からワインの水割りを配っていましたから。これは水兵たちのご機嫌取りをして反乱を起こさないようにするという意味もありましたが、ワインの殺菌力で腐りがちな飲料水を消毒するという意味もありました。そんな粗末な物を咀嚼しながらも、顔は周囲に向けられていました」
「部下の仕事具合を見られていたのでしょうか」
「艦橋詰めの乗組員に睨みを利かせているわけではありません。周囲に敵の姿が無いか肉眼で見張りを続けておられたのですよ。専門の見張員がいるのに、ご自分からも見張りをなされていたのです。もう、あそこまで行くと執念ですね。それで明るくなり始めた中で食事を摂られていると、その前の木格子にカラスがやってきました。可愛い事に、畏まるようにして、そこから殿下を見上げるのです。このカラスを水兵たちは<キッド>と呼んで可愛がっていましたね」
元准尉の話しにも出て来た艦橋の居候である。
「いつもは水兵の若いのが食堂からパンの欠片を持って来て世話をしていたようですが、どうやら出港準備に忙しくてほったらかしにされていたようです。殿下もご自分の前で畏まるようにして見上げてくる<キッド>には気づかれて『いつもの彼はどうした』などとお声をかけられましたね」
その様子を想像してみると、意外に可愛い物であったのではないだろうか。
「<キッド>の方も言葉を理解しているように首を傾げて、殿下のお言葉に答えるような仕草をしていました。しばらくして『ああ、わかった』と諦めたように殿下はおっしゃると、あと1口ほどのパンをご自分の口へ放り込むのではなく、<キッド>へと下賜されましたね。<キッド>も慣れているので、放られたパンを空中にある間に嘴で受け取ると、1口2口で呑み込んでいました」
「その<キッド>は、戦闘中はどこに居たのでしょう?」
「定位置は戦闘艦橋後方にある下から上がって来る舷梯の手摺でしたよ。でも不思議と嵐や戦闘が近づくと姿を消すのです。それで騒動が終わると、いつの間にか元の位置に止まっていましたね。おそらく海図室の扉は開けっ放しですから、そういう時は室内へと逃げ込んでいたのではないかな?」
「なるほど。お話しを続けて下さい」
「私が戦闘艦橋へ上がってすぐに、その舷梯の方で騒ぎが起きました。何事かと確認に戻ると、ロンが部下である飛行科の少年兵に手伝わせて大荷物を運んでいる最中でした。私が覗きに顔を出した事に気が付くと『おはようポール。さっそく悪いが手伝ってくれたまえ』と笑うのです。まったく憎めない男ですよ。結局、私も手伝ってその荷物を戦闘艦橋へとあげました」
「大荷物ですか?」
私が首を捻ると種明かしとばかりに子爵は教えてくれた。
「それは機関銃でした。前に殿下に許可を取っていた艦載機の後席に装備されている16キュビト(約8ミリメートル)旋回機銃です。それを戦闘艦橋にある予備の見張盤に乗せて、簡易な銃座としたのです。見張盤は双眼鏡を抱える部分がこうU字形をしていますから、そこへ機関銃の本体を鋼索でがんじがらめに縛りつけましてね。弾倉は本体上部に円盤型の物を載せますから、後は機体に載せられている時と同じように操作できるわけです」
「ああ、食事の時に話された機関銃ですね」
「そうです。一通りの準備が終わったところでロンは設置完了を殿下へと報告しました。すると了解の返事の代わりに殿下は2号機の発進を命じられました。<ブルーリーフ>には3機の水上機が搭載されていて、1号機は白く塗られて殿下専用機とされていました。この1号機はいつもカタパルトの上に置かれていましたが、実用には怪しい機体でしてね。本命は他の艦艇にも載せられていた小型飛行艇<シール>の方でした。殿下は、その2号機を使って前路哨戒をするように命じられたのです」
ジム・ロビンソン退役軍艦旗准尉の証言では3号機が発進したとあるが、ここは双方の証言をそのまま掲載させていただく。
「ですが発進は違う目的でした。昨日の昼食の時には話しがついていたのですが、全滅覚悟の作戦に搭載機まで付き合う必要は無いので、適当な時間に発進させてトーリッジへと避難させるという事にしたのです。ですが戦闘艦橋には水兵たちが詰めているでしょう。その前で水上機を逃がすなんて言えるわけがない。ですから前路哨戒に発進せよという言い訳を使ったわけです。まあ察しの良い水兵には分かっていたようですがね」
子爵はひょいと肩を竦めてみせた。
「発進は少し遅れて0630だったと思います。準備が出来ていても射出機の上から1号機をどかして、2号機を乗せなければなりませんから」
「大変ですね」
「全くその通りです。これが航空母艦ならば平らな飛行甲板の上での作業でしょうが、戦艦である<ブルーリーフ>にはありませんからね。第2煙突の両脇に張り出すようにU字形をした格納庫を設けましてね、そこから引き出した2号機を起重機で吊り上げて、第4砲塔跡に設置した射出機に乗せるわけですが、間に第3砲塔があるでしょう。それを越えて運ばなければなりません。また射出機の上に置いておいた1号機は、先に同じ起重機で吊り上げて、第3砲塔脇の待機場所へと下ろしておかなければなりませんし」
「なぜ、そのような運用法になったのでしょうか?」
「他の戦艦ならば後甲板が航空兵装の空間として利用されました。右舷に揚収機を、左舷に射出機を設けて2号機などは甲板上に敷いた軌条の上で待機できました。この軌条は射出機に直結することもできて、わざわざ載せ替える時も手間がかからないように配慮されていました」
近代化改装を行った王国海軍の戦艦はみな同じように航空兵装を装備した。
「しかし<ブルーリーフ>では、そういうわけにはいきませんでした。なぜなら後甲板は宮殿部分とされて、普段は立ち入り禁止区域とされたからです。立ち入りは航海に必要な作業の時だけに限られていました。よって航空兵装を後甲板に装備する事ができなかったわけです。ですから<ブルーリーフ>に航空艤装を施す時に造船側は2つの案を出したそうです」
「それは興味がある話です」
「1つ目は『後ろがダメなら前がある』ということで前甲板に航空艤装を施す案です。これは艦載機が発進する時に艦の速力も合成できますから、なかなか有力な案でした。しかし第1砲塔が射撃をする時に邪魔になるという理由で却下されました。次案が採用された艦中央部に航空艤装を施す案です。第2煙突を囲うように格納庫を設け、射出機は第4砲塔跡に置きました。その間を繋ぐために第3砲塔右舷に大き目の起重機が用意されました。この起重機は起倒式になっていて、第3砲塔が射撃をする時は甲板の中に格納されるようになっていました」
「なるほどわかりました」
「2号機が発進してすぐですね。右舷の対空見張員が『未確認航空機接近』と大声を上げました。すわ空襲かと私は自前の双眼鏡で見張員が示した方角を見ました。夜明けの北東方向の空に、まるで皿の上に零した胡椒のような粒がいっぱいあるのが見えました。我々は海面上に居ますが、航空機は上空を飛んでいるでしょう。ですから先に朝日に照らされていたのです」
山の頂上の方が先に夜明けを迎えるのと同じ理屈であろう。
「飛んできたのは双発の単翼機でした。本部長閣下が約束してくれた上空直掩機ですよ。4機ずつ編隊を組んで進軍して来るのです。心強かったですね。我々は見捨てられたわけではないということが実感できましたから。水兵たちは各々の配置で一生懸命帽子を振っていました。上空からも見えたのでしょう、先頭を来る機体が翼を振って航過しました」
しばしの間の海空軍の平和な交流である。
「でも喜んでいられるのは少しでしたね。0700時ちょっと前に右舷45度のところに居た<ロングボウ>が速度を落とし始めたのです。魚雷戦戦隊旗艦である<アロー・メーカ>が隊形を崩すなと信号で怒っていましたけれど、すぐに機関故障の信号旗を揚げて答えていました」
「やはり<ロングボウ>の脱落は機関故障という事でしょうか?」
「ああ、巷によくある敵前逃亡説ですね。当時は誰もそんなことを言いだしませんでした。説自体も戦後に発表された本に書かれたのが最初ですから、まったくのデマと言ってよいでしょう」
「シャーロット殿下は脱落する<ロングボウ>を見て、どのようなご様子でしたか?」
「心配そうな顔でした。しばらくしてから私に『<ロングボウ>にトーリッジへの帰還命令を出そうか?』と相談されたほどです。この時に帰還命令を出していれば、今ある敵前逃亡説なんて生まれなかったのでしょうね。結局、その後に殿下は下へ降りて各科からの連絡事項などの確認に忙しくなって、帰還命令は出されませんでした」
「それは<ロングボウ>にとって災難だったと言えるのではないでしょうか。速度が出ないまま対空戦闘に入るのは無謀だと感じますが」
「たしかにそう言えるでしょう。ですが自艦の能力をいつでも100パーセント発揮できるように整備しておくのも乗組員の役割なわけです。じつは<ロングボウ>は週の頭から機関の不調を訴えていました。南方への進出を控えてケンブルでも工務部に見てもらったのですが治らず、トーリッジでも船渠の工員に見てもらう有様でした」
そこまで<ロングボウ>が機関に問題を抱えていたという話しは、あまり他では語られていなかった。貴重な証言であろう。
「落伍しながら通信で<ロングボウ>から減速機の調子が悪い旨の連絡が入りましたが、<アロー・メーカ>では動力伝達装置の故障ではないかと推測していたそうです。私からすれば命を預ける艦の整備を外部の人間に頼りすぎたというところですか」
「普段から乗組員が面倒を見るのでしたっけ」
船渠入りの話を元准尉に訊いた時の言葉を思い出していた。
「苦労するのは自分自身ですからね。まあ艦隊はすぐにそれどころではなくなりましたが」
「それどころではない?」
「上空を旋回していた空軍機が鋭く旋回すると、北方へと飛びました。もう援護は終わりかとガッカリしていると、違いましたね。見張長がすぐに『右舷3時方向。敵哨戒機!』と報告しました。私は首から提げていた双眼鏡で敵機を見ました。2つの浮舟をぶら下げた水上機でしたね」
「水上機ですね」
「もちろん我が軍では採用していない機種ですよ。ええと情報部が<サリー>と名付けた水上偵察機です。あれはモイラ海軍の艦艇にたくさん積まれていました。ええと。モイラ帝国での呼称は何だったかな? たしか<93番>か<94番>か、どちらかの型式番号で呼んでいたと思います。文化の違いか我々王国人には番号で識別する事は難しいですね」
正しくは<94番軍用機>である。
「友軍機に追われて逃げ出す敵機を見て殿下が『発見されましたね』と冷静に感想を述べられました。まあ当たり前の事なので私は『そうですね』と短く答えました。すると装甲塔に取り付けられた電話がジャンと鳴って、通信室からの報告を伝令が伝えました。それによると艦隊近傍より強力な電波が発信されたという事です。いま逃げている敵機が、我々を発見したことを機動部隊に報告している電文に間違いありませんでした。ただ内容は暗号だったので、すぐに分かりませんでしたけれど」
「後になって分かったのですか?」
「だいぶ後ですよ。記録はしておいて本国の敵信分析部が乱数表とにらめっこして解いたぐらいですから。まあ内容は我々の発見電ですから、解くまでもなかったのですがね」
「まあ、そのための偵察機でしょうから」
「殿下は海図室に1回入られて、<ブルーリーフ>の現在位置と、敵艦隊の予想位置を確認されると『欺瞞航路止め。艦隊針路3・0・3』と号令しました。敵機動部隊の位置は断続的に空軍の偵察部隊からもたらされておりましたし、現在位置は天測と電波方位測定器で分かっていますから、最短距離で結ぶ線を描けば敵方位は分かるわけです」
「真っすぐ突撃ですか」
「真っすぐ突撃です。艦隊各艦に新針路の指示を送った後に、殿下の発動の号令で運動旗が下げられて、それを見た僚艦が一斉に舵を切りました。この時、針路の内側に居る艦は減速し、逆に外側に居る艦は増速しないと隊列が乱れることになります。同じ中心点を持つ複数の円を描けば分かりますが、外側の円は半径が大きくなり、必然的に円周も長くなります。その分を増速して埋め合わせないと遅れてしまうわけです。内側はこの逆となるわけです。そうやって隊形を維持したまま針路を3・0・3に方位をとりました」
朝の海上を往く王国艦隊が、小細工なしに敵艦隊へと向けて突撃を開始したのである。どのような壮大な風景だったのであろうか、その場に居なかった私には想像するしかない。
「しばらくして艦内放送装置がパリパリと音を立てました。電源が入ったのです。送話器を握っているのはレーダー室の室長でしたね。『報告。方位0・0・0距離およそ63マイル(約100キロメートル)に大編隊を探知』」
「やはりレーダーは便利な物ですか?」
「当時はまだ開発段階の物しかありませんでした。レーダー室も夏の整備で船渠入りした時に出来たばかりで、まだどの科に所属するかも決まっていない状態でした。とりあえず軍務省兵器開発部の所属のまま、そこから実験小隊という名目で人員が派遣されているという態でした」
「つまり、正式な<ブルーリーフ>の乗組員では無かったわけですね」
「まあ飛行科も地上の基地から分遣されて来ますから、あれと似たような感じでした。殿下は放送で告げられた方位を双眼鏡で確認されました。それと乗組員たちが走り出す足音が印象的でしたね。敵機が現れたことで、総員戦闘配置がかかることは子供でも分かることでしたからね。号令がかかる前に乗組員たちが率先して配置に就いたのです。言われる前にやる。海軍精神ですよ」
子爵は機嫌よくおっしゃった。やはりテキパキ動く部下は上司として自慢のタネなのだろう。
「上空の友軍機は敵機に向かって行きましたね。しかし3桁は居る攻撃隊を押しとどめられる物ではありません。空中戦が始まりましたが、ドンドンと敵機は近づいてきました」
ジリジリと焦れる展開であるが、航空機は編隊でも190ノット(約時速350キロメートル)は出す時代である。時間がかかっている様でも相対的な距離は恐ろしい勢いで縮まっているのである。
「その様子を丁寧に見ていた見張長が『敵は雷爆あわせて135機と思われる』と報告しました。それを聞いて殿下が『ちょっと少ないな』と独り言のようにおっしゃると『攻撃隊を2つに分けたのかもしれません』とロンが答えました。『それではポート・ターリクに被害が出るな』と殿下が眉を顰められました。たしかに数が多いと戦力を分けることができて有利ですよね。ロンは慰めるように『第1次攻撃は様子見でしょう。本番は第2次攻撃以降かと思われます』と言っていましたね」
「意外とのんびりしていたのですね」
「ロンはどうだったのか分かりませんが、私は普段と同じようになるように努めて声を張っていましたね。そうでないと将校の怯えは水兵に伝播して、勝てる戦も勝てなくなりますから。見ている内に、敵編隊の雷撃機は低空に、急降下爆撃機は上空に侵入し始めていました。それを睨みつけながら殿下は『全艦対空戦闘配置』の号令をかけられました。戦闘艦橋に詰めている喇叭信号手が戦闘配置を意味するラッパを吹きましたが、静かなものでしたよ」
「信号ランパが鳴っているのに静かだったのですか?」
「すでに乗組員たちは配置に就いていたからです。伝令が次々と『砲術よし』『機関室よし』と艦内配置からの復命を取り次いでいました。私も戦闘艦橋を見回しました。水兵たちは見張盤や伝令配置に就いていて、遊んでいる者などいませんでした。やる事の無いロンが私と視線を交わすと、仕方が無さそうに肩を竦めました。まあ殿下が見回せば一目で分かる事ですが、私も『艦橋よし。全艦配置よし』と報告しました」
「そこで初めて戦闘配置となったわけですね?」
公式の記録では空襲の直前である午後12時15分とある。しかし、それよりも前から<ブルーリーフ>の人員は配置に就いていた事となる。
「ほぼ同じ時刻に通信室から電話があって伝令が<ロングボウ>から敵機を探知したことの報告がありましたね。それからしばらくは<ロングボウ>と無線が繋がっていたのですが、連絡が途絶えてしまいました。まあ<ブルーリーフ>も自分の事で忙しくなって、他艦に構っていられなくなるのですが」
「その時は、やはり<ロングボウ>は沈められた物と思ったわけですか?」
「そんな事を考えている時間は無かったというのが正直なところです」
「なるほど」
「敵編隊が近づいて来るにつれて『ブーン』と虫の羽音のような物が聞こえてきました。プロペラの音が重なり合って我々の耳に届いたのです。その音を聞かれた殿下は、顔を難しくされると『艦隊全艦に通達。<回避行動自由。全兵器使用自由>』と伝令に申し付けられました。これで艦隊の各艦は好きに動いて好きに射撃ができるようになったわけです。それから両舷で目標指示器に就いている対空長と掌対空長に対しても『対空戦闘はじめ』を号令されました。その途端に<ブルーリーフ>の各兵装が射撃を開始しました」
弾幕を張っていれば、少なくとも爆撃も雷撃も正しい照準をつけられなくなるはずである。
「航海長としてはとりあえずやる事が無いのです。羅針盤で方位を確認して、針路3・0・3を維持しているか確認する程度ですよ。そうやって構えていると敵機が押し寄せてきました」
「シャーロット殿下はどの位置に?」
「殿下は羅針盤の前に立つと冷静に指示を出していました。けれど敵の攻撃に対して回避しようと舵を切るわけですが、殿下は『面舵』としか号令をかけてくれませんでした。本来ならば『面舵10度のところ宜候』のように号令をかけなければいけません。これは面舵が右に舵を取れという意味で、10度のところというのは現在の針路から右に10度のところに新しい針路を取れという意味です。最後の宜候というのは、命令は以上だということです」
子爵は指折り数えるようにして号令の内容を教えてくれた。
「でも殿下は『面舵』しかおっしゃらない。これは命令を忘れているのではなくて、羅針盤の所に居る私に『後は航海長が判断して針路を決めろ』という事ですよ。ですから見張員が『右舷より雷撃機』と叫ぶと、双眼鏡で確認して、その雷撃機が投下する魚雷を回避できるだけの角度を私が判断して操舵長へ繋がる伝声管に号令をかけていました」
「避けられる針路を操舵室へ号令していたわけですね」
「はい、そうです。そこは航海長としての判断です。ですから舵を切るきっかけだけです、殿下が号令されていたのは。でも殿下と来たら敵機が右から来ても左から来ても『面舵』ばっかりでしたね。敵機も最初の攻撃を面舵で避けたのだから、次も同じだろうと修正して攻撃してきて、後になるにつれて厳しくなっていきました」
「つまり、時間経過とともに敵の攻撃が正確になっていったということですね」
「ええ。敵機の攻撃は見事でしたね。敵ながらアッパレと言うヤツでした。雷撃機が左右から同時に魚雷を投下して、どちらにも舵が切れない状態にしたところで上空から急降下爆撃機が襲って来たのです。専門家であるロンすらも『雷爆同時攻撃だ』と感嘆していました。それが1回2回だけでなく毎回ですからね」
「では相当な数の雷撃と爆撃を受けたということですね」
「数は多かったです。なにせ3桁の敵機でした。明後日の方向へ飛んで行く弾なんて1発もありませんでした。でも実戦は向こうも初めてでした。いやカークウォール空襲を経験しているはずですが、あの時は(こちらの)本国艦隊も係留されている状態でしたからね。おそらく演習場の的と同じ感覚だったに違いありません。ですから全艦が戦闘配置に就いた本気の戦艦とやり合うのは初めてだったはずです」
いちおうカークウォール空襲時にも捨錨(筆者注:錨を捨てて緊急に動き出す事)して脱出を図った戦艦も居たが、その速力は亀のごとき鈍さだったに違いない。しかし<ブルーリーフ>は第1戦闘速度で戦闘航海の真っ只中であった。
「そのせいか慌てずによく敵機を観察していると、右舷か左舷のどちらかの攻撃が早かったりして完璧では無かった。そこに付け入る隙がありました。舵を切って両舷を白く伸びる雷跡に挟まれるのは、背筋がゾーッとする経験ですけれどね。ちょっと違えれば<ブルーリーフ>に命中していたはずですから」
球技ですら競技中に顔の近くへボールがやって来ただけで背筋に冷たい物を感じるのだ。それが実弾ともなれば、戦後に生きる我々には想像をはるかに超える話である。
「急降下爆撃も回避に成功しても安心できません。ドドッと上がる水柱は、私が居た戦闘艦橋よりも高く上がりますから。最初の雷爆同時攻撃を避けたら<ブルーリーフ>は左舷に傾き始めました。命中弾があったわけではないのですが、外れた爆弾が水中で爆発した時に撒き散らした破片で<ブルーリーフ>のバルジが破られたのです」
舷側へのバルジの装着は、戦前に改装された全ての戦艦に共通する。
「バルジというのは艦体につけられた膨らみです。雷撃を受けた時に艦の中心部からなるべく遠くで爆発させて、本体が無事なようにする仕組みですね。ですから装甲板はありません。そこが破られて浸水が始まっていたのです」
「それで傾いたのですね」
「海水が入った側が重くなりますからね。最初の攻撃を回避することに成功した時に、前方を見張っていた見張員が悲鳴のような声を上げましたね。単純に『突っ込んで来ます』の一言ですよ。羅針盤から顔を上げると急降下爆撃機が前から前檣楼に機首を向けて降下して来るところでした。いま爆弾を投下したヤツですよ。爆弾は流線形をしているでしょう。対して急降下爆撃機は速度が出すぎて空中分解しないように空気抵抗板を出していますから、爆弾よりも後になったわけです」
「(戦闘)艦橋を直接襲ってきたわけですね」
「その通りです。敵機の機首がババッと光って、機関銃を撃ったのが分かりました。もうそうなったら体を守る物など無いのですよ。いくら戦艦という名前で呼ばれても、露天の艦橋が防弾されているわけではありませんから。私の前には羅針盤が立っていましたが、これが下半身を守る役に立つほど大きくは無かった。私は痴呆の様にあんぐりと口を開けて見上げるばかりでしたね」
絶体絶命の危機である。
「やられたと思った直後に、戦闘艦橋の最前部にて機関銃を構えていた飛行科の少年兵が撃ち返しました。これは悪戯好きなロンが仕込んでいたのでしょうね。普通は4発に1発混ぜてある曳光弾を、この時は全弾込めてありました。ですから夏の花火と同じですよ。派手に敵機に向かって火線が伸びました。撃たれた方はビックリしたのでしょう。パッと翼を翻して回避していきました」
「前方固定機関銃ならば進行方向のみ警戒していれば大丈夫だと思いますが」
「でも撃ち込まれた銃弾が空中で消えて無くなるわけではありません。飛び込んできた銃弾は、戦闘艦橋を囲う高欄や海図室がある装甲塔で跳ねかえって何度も私たちを襲ったのです。アチコチで短い悲鳴を上げて乗組員たちが倒れました。私もここのところ…」と、おっしゃって子爵は右の肩口を左手で押さえられた。
「肩口に殴られたような衝撃を受けて、戦闘艦橋に敷いてある木格子の上に転がりました。しかし衝撃だけで痛みはありません。大怪我をすると怪我をした驚きで痛みを感じないと言いますが、その時は違いました。恐る恐る自分の体を確認すると、着ていた外套に穴が開いていました。全てが終わった後に着替えようと自分の軍服を見た時に、そこにある飾り緒が切れていましたね。弾丸がそこに当たって防いでくれたようです」
「飾り緒をつけておいてよかったですね」
「普通の海軍少佐ならば飾り緒はつけないのですが、<ブルーリーフ>の幹部は全員第9艦隊司令部の幕僚でもあるわけですから飾り緒をつけていたのですね。もしこれが普通の戦艦の航海長でしたら、私の右腕は無かったことでしょう」
そうおっしゃると子爵は服の上から撃たれた箇所を撫でてみせた。
「自分の事が分かると、次に思い浮かんだのは殿下の事です。まさか、この銃撃に斃れられたのではと、木格子に転がったまま周囲を見回しました。すると羅針盤の脚部の向こうに立っている者がいました。慌てて身を起こすと殿下でしたね。殿下は海戦が始まる前に夏用の軍帽に取り換えられていてね。冬の軍帽は紺色ですが、夏の軍帽は白色でしたから、すぐに見分けがつきました。堂々としておられた」
この銃撃を受けて一時的に<ブルーリーフ>の艦橋員はことごとく倒れたという。その中で1人立っておられたシャーロット殿下のお姿は、水兵たちを勇気づけたであろう。
「あれですね古来の言葉にある『本物の勇者は矢玉が避ける』というやつですね。無傷で立たれておりました。そこから私を見おろすと『舵戻せ、だ。航海長』と言われました。まだ敵の攻撃は続いていましたから。その後すぐに『(戦闘)艦橋に異常は無いか』と大声で訊ねられました。艦橋員の全員が自分の持ち場を点検しました。こういう時は仕事の速い見張長が最初に異常なしを復命しましたね」
人員に被害が無くても機器に故障があればすぐに次の手を打たなければならない。
「機関銃が撃ち込まれたというのに、戦死者どころか重傷者もいませんでした。全員に異常が無いようなので私が殿下に『(戦闘)艦橋異常なし』と報告しました。そうしたら右舷の目標指示器に取りついている対空長が照れたように『いやあ』と頭を掻きながらクルリと体ごと振り返りました。そして言うのです『<ブルーリーフ>で1番重要な対空砲が損傷するところでした』と」
「重要な対空砲?」
「そう報告してからわざとガニ股をして見せて、外套をめくってズボンの内側にできた破れた箇所を見せました。そこが4ネイル(約10センチメートル)ぐらい裂けていました。どうやら私の肩と同じで跳弾した弾丸がそこを襲ったようです。出血はしていないようでしたが、火傷をしたようでした。金属同士がぶつかって跳ね回ったわけですから、弾丸は相当な熱を持っているわけです。たしかにあれならば、もうちょっと上に逸れていたら対空長自身の大砲が損傷していたでしょうね」
「それは…」私が二の句が継げないでいると、子爵はニッコリと微笑んだ。
「場の雰囲気を和ませようと道化を演じてくれたのだと思いますよ。まあ、あまりにも滑稽におっしゃるから、艦橋員はみんな笑いましたね。殿下はどう返して良いか分からなかったようで『おお、そうか』と曖昧に頷いていらした」
「それでは<ブルーリーフ>は雷爆撃に加えて銃撃を受けても無傷だったというわけですね」
「残念ながら」
肩を落として子爵はおっしゃられた。
「敵機の機銃弾は戦闘艦橋以外の場所にも着弾していて、それによって3名の戦死者と11名の重傷者を出しました。軽傷者に至っては(戦闘艦橋も含めて)数えきれないほどいたのです」
「そうですか。お話しを続けて下さい」
「殿下は(急降下)爆撃を避ける時は必ずと言っていいほど面舵一杯を切っていました。面舵一杯というのは、舵を大きく右へ切る号令ですね。普通の面舵は右に15度ですが、面舵一杯は右に30度切るのです。そうすると急に艦首を右に向けることになります。ですが2万トンもの艦が横を向いたからと言って素直に右に進むわけではありません。慣性があるので、そのまま同じ針路で進もうとするのです。つまり針路に対して30度ずれた状態で横滑りするような状態ですね」
「普通はそのような動きをすることは、あまりないと思われますが?」
「ええ、はい、そうですね。戦闘時だからの動きです。そうすると、それまで18ノット(第1戦闘速度:約時速33キロメートル)で進んでいても、次の瞬間にはほぼその場で停止します。すると敵機が18ノットで進み続けるだろうと照準をつけていた爆弾が外れるわけです。それでも勇敢な敵機はギリギリまで照準を修正して爆弾を投下してきましたけれどね」
それも運よく回避されて全て至近弾となったわけである。
「雷撃、爆撃と連続して回避して、もう片方からの雷撃を受ける頃には運動力を失ってしまっています。殿下は『機関一杯』と怒鳴って加速を促しますが、そう簡単に2万トンの物体が動けるわけありません。もうダメだと何度思った事か。1度目は敵魚雷の深度が深くて<ブルーリーフ>の艦底をくぐって外れました。ですが2度3度と続くと、そう幸運が続きません。それを供奉艦の2隻が盾になって守ってくれたのです」
「供報艦というと駆逐艦の<ブラック>と<ホワイト>ですね」
「そうです。2回目の同時攻撃の時に<ブラック>が盾になってくれました。第3序列で<ブルーリーフ>を真ん中にして囲んでいて、<ブルーリーフ>が面舵を切った時に、舵を切らずに飛び出す形で左舷に来たのです。そして<ブルーリーフ>に襲い掛かる雷跡を見つけると、舵を切らずにそのままにした」
「駆逐艦1隻丸ごとを旗艦の盾にしたわけですね」
「艦長のヘンリー・チャルファント海軍少佐はペニントン海軍兵学校では私の2つ上の先輩にあたる方でね。兵学校時代にはお世話になった事も有る方でした。紳士という言葉より豪快という言葉が似合うお方で、成績は下から数えた方が早かったけれど、舵を執らせると抜群の才覚でね。そういう、ご自分の得意不得意が分かっていらして、ずっと艦隊勤務を続けられていた方でした。ですから、うっかり舵を切り間違えるなんてことはありません。あれは確信的な行動だったはずです」
悲しみからだろうか、それともチャルファント艦長の勇気をたたえているのか、子爵はしばし言葉を噤まれた。
「魚雷を艦首に受けた<ブラック>は、そのまますぐに沈んでしまって。最期の瞬間、チャルファント艦長とは目が合った気がしましたよ。1マイル(約1584メートル)は離れているはずなのにねえ。結局、彼は死体すら発見されませんでした。翌年の春の人事の時に戦死認定がされて、特進されて海軍中佐に上がりました。それと墓前にノーエル十字勲章が贈答されましたよ。乗組員も大部分が艦と運命を共にしましてね。助かったのは10名ほどのはずです」
騎士的行動で活躍し、果てに戦死された勇者を讃えるには十分な手配である。ノーエル十字勲章は帆船の時代から海軍にて英雄的行動を示した者たちに贈られてきた勲章だからである。
「3回目の同時攻撃と時は<ホワイト>が盾になってくれました。1撃で沈んだ<ブラック>を見ていたので、やり方が分かっていたのか<ホワイト>は艦首を失うだけで済みましたがね。でも艦橋から前が無くなってしまったら大破ですよ。もう戦闘どころではありません。その後、落伍していた<ロングボウ>の支援を受けて近くの港まで後進で避退しました。けれど艦歴も重ねていましたからそこでお払い箱ですよ」
「結果論的には駆逐艦1隻が轟沈したのと同じ結果だったわけですね」
「まあ沈んでしまうと健常者だって助からない者が出てきます。まして戦闘後で重傷者が居るとなると、彼らを見捨てることになりますからね。結果は全損になりましたが、正しい判断だったと思いますよ」
「では第1次攻撃では駆逐艦1隻喪失。1隻大破。1隻が機関故障にて脱落ということで間違いありませんか?」
「それに加えて<ブルーリーフ>も小破、もしくは中破といったところですか。なにせ左舷に傾いていましたから。先頭を行く<アロー・メーカ>からは<ブルーリーフ>が今にも沈むのではないかと心配されましたね。傾いた理由は先ほど申しました通りバルジに浸水したからです。殿下は傾斜に対して大変にご立腹で、防御指揮所に繋いだ艦内電話に『傾斜復元を速やかに実行せよ』と怒鳴られていました」
「そんなにお怒りでしたか」
「私は私で羅針盤のところにある伝声管から声がするので、シャーロット殿下を宥めている暇はありませんでした。『機関運転室から(戦闘)艦橋』と呼び出しているわけです。機関運転室と言うのは前檣楼の真下、下甲板にある<ブルーリーフ>の機関を運転する部屋です。普段は速力通信機でやり取りするのですが、細かい回転数の変更などはやはり号令で指示を出すようになっています」
「細かい回転数?」
「速力が違う他の艦と艦隊を組んでいる時などは、原速を号令しても足並みが揃う事の方が稀です。どちらかが速かったり遅かったりします。そういう時に、いつもより機関の回転数を増やせや減らせなど、言葉で伝えるわけです。そのために設けられた伝声管を、逆に下の機関運転室の方から使って声をかけてきたわけですね。私は針路を確認した後に『こちら戦闘艦橋、航海長』と呼び出しに応じました。すると『こちら機関運転室、機関長』とジャック(・ウィーバー機関長)が名乗りました」
機関長自らの呼び出しとは、よっぽどの事である。
「どうしたのだろうと言葉を待っていると『機関一杯をすぐに取り消してくれ。機関が壊れてしまう』と悲鳴のような声でしたね。しかし当時は次の空襲に備えて加速している段階だったわけです。1分でも早く第1戦闘速度以上の速力が欲しい時で、機関を緩めるなんて考えられませんでした。ですから『現在<ブルーリーフ>は次の空襲に備えて加速中である。よって機関を緩めることはできない。頑張ってくれ』と答えましたね。ジャックは『そりゃあ頑張るけどさあ』とか不承不承了解してくれました。そうしたら…」
子爵はクスリと笑われた。
「まあ、大きい声を殿下が出されるのですよ。あまりの大声に振り返ると、装甲塔の向こう側にある舷梯の踊り場の所で、殿下が銅製の拡声器を抱えて、後方に向かって怒号を浴びせていらした。たしか『もっと腰を据えて撃たんか! バカモノ!』だったと思います。他にも男子の股間…、おっと失礼、沽券にかかわるような事も口にされていました。もっとも誰も記録していませんけれどね」
子爵もクスクスと笑って目配せをしてみせた。
「まあ見張りについていた艦橋員が仰け反る程の大声でした。でも<ブルーリーフ>の乗組員のほとんどが戦艦の乗組みとは言え初陣なわけです。そうすると実戦の恐怖でフワフワと腰が定まらずに射撃を行っているわけです。そうなると当たる弾丸も当たらなくなるものですよ。そこを引き締めるために怒鳴りつけられたのです。実際に怒鳴られてからの対空射撃は当たっているように感じられましたから、効果はあったのでしょうね」
「シャンとしたという事ですね」
「それから拡声器を水兵たちに任せると、踊り場に立ちすくんでいる2人組を睨まれて短く『どうした』と問われました。それまで気が付かなかったのですが、そこに女子部で分隊士をやっていた(トレイシー・)サーセン(海尉心得)君が、1人の水兵を連れて立っていたのです。その水兵はおそらくサーセン君のおつきの者だったと思います」
「女子部ですか?」
「本来ならば女子部は後甲板で配置に就いていなければなりません。それなのに2人の女の子は頭から足先までずぶ濡れになってそこへ立っていたのです。真冬の事ですからガタガタと震えて、ちょっと気の毒に思えましたね。そうしたらサーセン君が『姫さま。イディーが海に落ちました』と真っ青な唇を開いて言いました。イディーというのは王姉親衛隊隊長のイーディス・オリアナ・ヘジルリッジ下級海尉のことですよ。殿下が彼女を私的にそう呼んでいるのは女子部だけでなく<ブルーリーフ>では周知の事実でした」
「海に落ちた?」
「『至近弾です殿下』とサーセン君を支えるようにしていた女子水兵が付け加えました。『至近弾の水柱に攫われて、分隊長が落水いたしました』と。こちらはちゃんと水兵が将校に申告するような言葉でした。『ですから、引き返して捜索していただきませんか』と震えながらサーセン君が願い出ると、殿下は即断でしたね」
「即断ですか」
やはり友人でもある彼女の事は放っておくわけにはいかなかったであろう。
「『諦めろ』の一言だけです」
「諦めろ、ですか?」
信じられなくて私が確認すると、子爵は大きく頷かれた。
「至近弾の水柱の中には、先ほど申した通りに弾片が混ざっているものです。これが包丁程の大きさで、切れ味はそれ以上という代物です。砲撃による殺傷原因で1番大きな物ですよ。先ほどの急降下爆撃を回避した時に後甲板は至近弾の水柱に挟まれる形だったのでしょう。私は羅針盤と次の雷跡を見ていたので確認はしていません」
「水柱ですよね?」
その威力が分からずに私が訊き返すと、子爵はまた頷かれた。
「水柱の高さは、前檣楼の頂部にある戦闘艦橋ほどになります。それが重力で崩れて押し寄せてくるのですから、雪山の雪崩ほどの威力になりますよ。弾片と水圧に包まれてヘジルリッジ君は後甲板から海へ流されてしまったという事なのです」
「雪崩ですか」
冬の事故で紙面を埋めるので、私も雪崩が恐い物だとは知っていた。
「これが2ネイル(約50ミリメートル)砲を操作している砲員ならば、咄嗟に砲にしがみつけば流されませんが、ヘジルリッジ君は分隊長として砲の指揮を執っていたはずです。そうなるとつかまるところが全くないわけです。平らな甲板に立って、次から次へと押し寄せる敵機の内、どれに対して射撃をするのかを指示し続けなければなりません。右舷をヘジルリッジ君が、左舷はサーセン君が指揮官役をしていたはずです。幸いサーセン君は、流されはしたが右舷の砲の支持架に引っかかって助かりました。が、ヘジルリッジ君にはそこまでの幸運は無かったようです」
「しかし、諦めろと一刀両断とは…」
私が再び絶句していると子爵は力のこもっていない声で答えてくれた。
「先ほど申しました通り水柱は海水だけではありません。その中には<ブルーリーフ>のバルジすら切り裂く弾片が多数混じっています。ですから水柱に攫われるという事は、全身を切り刻まれるという事と同じ事になります。もちろん普通の人間ならば助かりません。ほぼ死亡が確実な1人のために艦隊全てに回頭を命じるなんて艦隊司令としては失格ですよ。しかもやっと敵の第1次攻撃をしのいだばかりで、次の空襲が予想される場面でもあります」
戦場の残酷さの一端が垣間見えた気がした。
「さらに言えば、海図上のどの座標で落水したのかも分からない状態です。平時の訓練航海ならば引き返して捜索する事もあるでしょうが、そこは戦場だったのです。殿下としては長い間、学友としても親交があったヘジルリッジ君を切り捨てる事はしたくなかったでしょうが、当時は1個艦隊の司令官として陣頭指揮の真最中です。1人のために艦隊全体を危険にさらすわけにはいきませんでした」
イーディス・オリアナ・ヘジルリッジ親衛隊隊長はこの後に戦死認定されて下級海尉から海尉へと特進された。
「殿下の無情な言葉にサーセン君は泣きそうな顔になりましたね。まあ彼女も理性では分かっていたと思いますよ。女の子2人は抱き合う様にして体を震わせていましたね。友人を救うために殺気立った水兵どもの間を抜けてやっとここまで来たのに、あまりにも無慈悲な言葉だった。それに冬の冷気が合わさって、まるで雨に濡れた子猫のようでしたね」
当時の様子を思い出されたのか、子爵は悲しい顔をされた。
「殿下は戦闘艦橋を見回すと、ロンに目を付けました。『飛行長。君はとりあえず仕事が無さそうだ。後甲板に行って女子部の指揮を執れ』。殿下の命令にロンは真面目に敬礼して復唱しました。それからヒョイと高欄を見越して後甲板を確認すると『後甲板には負傷者が出ている様であります。医務科の者を伴って構いませんでしょうか』と申告しました」
「医務科ですか」
「これが普通の水兵ならば士官食堂に仮設病院が開かれていますから、負傷者はそこへ運び込めばいいのですが、女子部となると気を使わないとなりません。殿下も、そこは分かっていらして、すぐに許可されましたね。私は看護兵の誰かを連れて行くのかと思いましたが、後から聞いたところによるとエド(・スロップ医務長)自身を連れて行ったそうです」
「軍医自らですか。他の負傷者も多かったでしょうに」
「まあ特別ですよ。シャーロット殿下の親衛隊という事で名家の方々ですからね。ほとんどの方が至近弾の弾片で怪我を負っていたようです。中でも酷い娘は、顔面をザックリと抉られて、出血も相当あったとか。仮設病院に運べなくて下のホールに1人で寝かされたそうです。その娘は命を取り留めましたが、右眼球を失ったそうですよ。その後、陸上の病院に収容された後に負傷による名誉除隊となりました。でも顔に大きな傷がある女の子をもらってくれる家なんてありませんからねえ」
男性でもっと酷い怪我を負われた例もあるが、やはり女性の顔となれば話は別であろう。
「日頃から女子部より人気があったロンが、まるでカフェで出会った女の子たちに声をかけるように『では行きましょうか』と案内するかのように舷梯を下って行きました。戦闘艦橋の空気は最悪でしたね。なにせ艦隊のために1人の友人を切り捨てたのですから。なんと声をかけていいのやら。すると上の方から呑気な調子で呼びかける声がしてきました。見上げると装甲塔にある主砲射撃所からレイ(・ヴィクトリアズ砲術長)が顔を出していました」
戦闘艦橋後部に建つ装甲塔の2階部分が主砲射撃所である。
「主砲射撃所は砲塔の様にグルリと旋回できるようになっています。そこに戦車の司令塔のような物があって、その真下がレイの定位置なわけです。その時のレイは、司令塔上面にある跳上式の装甲扉から上半身を出してこちらを見おろしているような形でした」
「上からですと、失礼では無いでしょうか?」
「まあ持ち場を離れることはできませんから。殿下は羅針盤の前まで戻って来て、庭から2階へ話しかけるように声を掛けられました。『どうした砲術長?』と殿下が問われるとレイは『艦長。部下たちはあんなに忙しそうなのに、私のやることがありません』と答えました。たしかに砲術長たるレイには仕事がありませんでした。対空射撃の指揮は対空長である(チャールズ・)マクガイヤ(海尉)君の仕事であり、また一部は副砲長の(ロバート・)ダニガン(海尉)君の仕事でした」
「ええと。その2つも砲術科ですよね?」
「はい。しかし砲術長は主砲の指揮を担当するので、砲術科で1番偉いのですが、対空戦闘時にはやる事が無いのです。また主砲では対空射撃はやりません。戦前の演習時に試してみたことがありますが、発射の爆風でかえって他の対空兵器の射撃を邪魔するばかりで、効果が無いと言う事がはっきりしていましたから。ですから砲術科でも主砲関連の配置の者は激しい戦いの中でもやる事が無かったのです」
「配置に就いていてもやる事が無かったということですね」
「そうです。遊兵ということですね。『慌てることはない、砲術長』と殿下は笑いかけながらおっしゃりました。『今日の夕方までには忙しくなる』と付け加えられました」
「それは夕方までに<ブルーリーフ>が致命的な損害を受けて大変な事になるという意味でしょうか。それとも夕方までに敵艦隊と対峙し、艦隊戦で忙しくなるという事でしょうか」
「さあて、今となってはどちらの意味だったのか、分かりませんね。レイは『そうでありますか。それでは昼寝でもして待っております』と、おどけた声で答えました。その言葉を聞いて暗くなっていた戦闘艦橋は明るさを取り戻しました。レイ自身はそんな事は考えていなかったと思いますがね。レイは綺麗な敬礼をすると装甲扉の下へと戻りました。彼の明るさに助けられましたよ」
「戦場だというのに気の抜ける場面ですね」
「まあ水兵たちも人間ですから、修羅場に居ても。いえ、ああいう厳しい所だからこそ息抜きが必要でした。私は殿下に向けて彼の事で声をかけようとしました。その途端です。『敵機! 急降下!』と大きな声がしました。装甲塔の後ろの方で休憩していた見張長ですよ。普段から彼の声は大きくて、先代の(メイソン・)ジョーンズ艦長から『少しは声量を抑え給え。他の者の報告が聞こえないではないか』と注意された事があったぐらいですから。でも、その時は、その大声が役に立ちました」
「ふいの襲撃ですか?」
「その通りです。空を確認する前に殿下は『面舵一杯』を号令されて、私もほぼ同時に操舵長に繋がる伝声管に同じ事を叫んでいました。号令をかけてから後方上空を確認すると、1機だけの敵機が急降下してきて爆弾を切り離すところでしたね。きっと空中戦に巻き込まれて編隊からはぐれたのでしょう。こちらが油断する瞬間を、上空の雲に隠れて虎視眈々と狙っていたわけです」
「敵ながらアッパレと言ったところですか」
「そうですね。1機だけで雲に隠れて好機を待つなんていう芸当は新人には無理でしょう。<ブルーリーフ>の舵が利き始めてから、爆撃目標がこちらではないことに気が付きました。その1発の爆弾は右舷4時方向で第3序列を組んでいた<グリスウォルド>へと落ちて行きました。艦橋後部で休んでいた見張長が発見できたのは、まったくの偶然でしょう」
戦場では往々に起きる神の気まぐれと言った事態であろう。
「旗艦が急に舵を切ったので艦隊全体に緊張が走りました。でも、どこかまだ気の緩みがあったのでしょう。まあ第1次攻撃をなんとかやり過ごすことができた後だったので、<ブルーリーフ>艦上でも緩んだ空気になっていました。<グリスウォルド>も普段は機敏なのですが、気を緩んだ瞬間を見計らって襲って来た敵機の方が1枚上手だったわけです。爆弾は<グリスウォルド>の第2砲塔の左舷に命中しました。徹甲爆弾だったらしくて、甲板に穴を開けてスポッと艦内へと潜り込んで行きました」
「簡単に貫通してしまったのですか?」
「駆逐艦はブリキ缶と呼ばれるぐらい薄い鋼板でできていますからね。爆弾を弾き返すなんていうことはできません。すぐに第1、第2砲塔の各ハッチが開くと、水兵たちが中から飛び出してきました。その直後にボーンと爆煙が甲板を突き破って沸き上がりました。おそらく弾薬庫が誘爆したのでしょう。<グリスウォルド>はガクリと速度を落とすと段々と船足が深くなっていくのが分かりました」
「たった1発ですよね?」
「ええ。しかし先ほども申した通り駆逐艦に装甲はありませんから。艦隊から<グリスウォルド>が脱落した後は、もう次の攻撃隊が迫っていたのでどうなったのか見ていられませんでした。結局、艦橋より前の艦内が海水でいっぱいになって大破判定でした」
「轟沈では無かった?」
「<グリスウォルド>も後落していた<ロングボウ>に救われる事になりました。前甲板が損傷しているので、艦尾から曳航索を繋いで、ポート・ターリクまで曳航されてきました。海戦後に船渠入りをして、1年後に艦隊に復帰する事ができました。それは後の話ですね。私は近づきつつある敵の第2次攻撃隊を見上げながら、ここまではうまくいったからには、最後までうまくいくはずだと自分に言い聞かせましたね」




