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序章~第1部 練習戦艦<ブルーリーフ>

 私が学んだ大学の図書館は蔵書数が膨大にあり、種類も豊富であった。その中には外国語で記された蔵書も多くあった。ある日、閉架図書で見つけた1冊の英文らしき物で記された古びた本。それを手に取ったのは偶然と言うしかない。内容は、とても不思議な物だった。この世界の海洋ではない場所で、この世界の歴史に無い戦いが繰り広げられていたのである。

 残念な事に私の英語力は高くないため翻訳作業は時間がかかることとなった。

 この世界でない偉大洋と呼ばれる海で戦われた海戦。その記録の一端がコレである。


 まずは序文から舞台となる戦艦<ブルーリーフ>のことや、そこでどのように水兵たちが暮らしていたかの様子からである。



★序章


「もっと腰を据えて撃たんか! バカモノ!」

 激しかったモイラ帝国海軍機動部隊の第1次空襲をなんとかやり過ごした王国海軍戦艦<ブルーリーフ>の艦上に、艦長でもあるシャーロット王姉殿下の怒鳴り声が響いた。

 聖歴2165年12月10日の昼過ぎの事であった。

「いやあ、それは大きな声でしたよ」

 当時を振り返ってジム・ロビンソン退役軍艦旗准尉は苦笑交じりに教えてくれた。

「本当は、水兵(あらくれ)どもが使うような言葉も口にしていたのですけどね」

 そう言って人差し指を唇に当てて右眼をつむってみせた。その悪戯を見つけられた子供のような目に、具体的にどんな言葉だったのかは聞くことができなかった。

「ま、まあ。やんごとなき方々には、それなりの礼儀作法が必要ですから」

 私が言葉を濁していると、昔語りの表情に戻った元准尉は身を乗り出して言葉を継いだ。

「でも…」

 室内を一周確認するように見回してから微笑んだ。

「ほら映画だと、あのナントカという女優さんが玉座に座って『王国は諸君らが責務を果たす事を期待する』なんて放送用のマイクを握って演説していましたがね…」

 ひょいと肩を竦めてみせた。どうやらあの場面の実際は全然違う物だったようだ。

「…あんなお上品なやり方じゃ、有象無象の荒くれが乗り込んでいる戦艦は言う事聞きませんよ」

「はあ」

 そんな物なのだろうかと私が曖昧な返事をしていると、元准尉は椅子に座り直して両手を開いて見せた。

「公式の記録には残っていませんがね。まあ水兵たちを怒鳴りつけた事は間違いありません。おかげで午後になると、ちょっとは(対空砲火が)当たるようになりましたがね」

 そして私は気が付いた。私が求めていた物が今ここにあるということを。公式の記録には残らない「現場の生の記憶」。それが戦記作家として私が求めていた物であった。



★取材のこと。


 象牙の塔と揶揄される大学の研究棟で、私はいつも本の山に埋もれるようにして仕事をするのが常であった。

 私の専門は歴史であり、その中でも近代から現代に行われた戦史が研究対象であった。

 (かび)の臭いがする本の山は1つや2つではない。山脈と呼んでよいほど本を積み上げて仕事に取り掛かるのが、私のやり方であった。

「君はそれが正解だと思っているのかな」

 以前から数冊の本を共著して来た友人からそう告げられたのは、この取材を始める2年も前であった。偉大洋の覇権を巡って戦われたあの戦争の記録を纏めるにあたって、私はなるべく公式記録に沿った物を書くように心がけていた。そのためか事実がどういう様子であったかよりも、公式に編纂された記録を重視しすぎる姿勢をからかう意味も含まれた言葉だった。

「例えば搭載された機関銃の数だって、記録じゃ7挺になっていても、実際は余分に積まれていたりするのだぜ」

「しかし公式記録では7挺なのでしょう。ならば7と書くのが正しい戦記でしょう?」

「そうじゃなくてさ」

 天井を仰ぎ見た友人は重い言葉にならないように注意してか、ゆっくりと言葉を発した。

「なんで、それ以上に積まれたのか。それは気にならないかい?」

「それは…」

 友人の言葉に私は二の句が告げられなかった。

 その経験から反省した私は、当時取り掛かって本を完成させた後、現場の生の声を聞かせてくれる伝承者を探す事から始めた。

 当時の軍艦ではどのような事が実際に起きていたのか。どの(フネ)でも構わなかったが、やはり有名な艦での証言が欲しかった。

 しかし、いくら戦記作家とはいえ、若輩者の私にそう海軍軍人のツテがあるわけでもなく、別の取材のついでに人脈を辿る日々を繰り返した。

 そうやって最終的に巡り合ったのが、この老人であった。名前はジム・ロビンソンといい、退役軍艦旗准尉であった。

(筆者注:我が海軍の階級は巻末にて表にまとめてある)

 彼は大戦でもっとも劇的(ドラマチック)に名を馳せたあの軍艦<ブルーリーフ>にて見張長(みはりちょう)を務めていた人物であった。

 軍艦<ブルーリーフ>ならば、その活躍が二度も映画化されているし、少し戦記に詳しい者ならば、もう知り尽くしている対象であろう。公式記録もしっかりしている。そうならば余計に実際の現場にいた乗組員の生の声との差は貴重であると判断した。

 さらにロビンソン元准尉は<ブルーリーフ>乗り込み当時は見張長であった。

 見張長は航海科に所属し、配置は艦橋である。つまり艦長でありプリンセス・ロイヤルという肩書をお持ちでもあったシャーロット殿下の活躍をすぐそばで経験して来たはずである。

 伝承者としてこれ以上の人選はありえなかった。

 もうすでに引退されている元准尉と約束したのは、ある小春日和の週末であった。こんなドコの馬の骨とも分からない伝記作家の私を自宅に招いてくれて、彼には感謝しかない。

 茶卓(ティテーブル)の上に置いた記録器(レコーダー)を珍しそうに眺めていた彼は、愛用している椅子に座り直すと、ボタンを整えて口を開かれた。

「さて、なにから話しましょう」


(筆者注:本文中、複数の相手に取材を行っているが、それぞれが相反する証言をしている箇所が複数存在する。公式記録ではどちらかの一方が採用されていたりする。また、その事実すらスッポリと抜けていることがあるが、どちらが正解という事ではないと私は考える。その場に置ける立場や役職によって、感じることや記憶された事柄は、人ごとに違う物であるからだ。私は取材時の発言を記録する事を優先したため、本文中の食い違いを訂正していないことを先に申し上げておく。また取材で訊いた内容は時系列順では無かったため、この本に記す時に順番を整理したつもりである。そのため話しが前後する箇所がある事も先に謝罪させていただく)



★伝承者ジム・ロビンソン退役軍艦旗准尉のこと。


 王都ケンブルの市電(トラム)20号線を終点まで行くと、ポーツブリッツ市までを繋ぐ都市間電気鉄道(インターアーバン)であるヒリンドン・アンド・エンジン鉄道へ乗り継ぎが出来る。市電とあまり変わらない車体だが、運転手は出せるだけの速度を出すのが仕事なのか、車体は上下左右に激しく揺れる。これで座席配置が通勤列車と同じように車体に対して前後方向に沿った長椅子(ソファ)しかないので、乗客は揚げ焼き鍋(フライパン)で熱せられる煎り豆のごとく尻の座らない経験をすることとなる。

 このヒリンドン・アンド・エンジン鉄道の中間駅であるスプレイグ駅で降りると、乗降場(プラットホーム)の反対側に燐寸箱(マッチばこ)のような車体が並んでいた。

 この2両編成の列車が目的地の漁港までの足となる。

 機関車は出かけているのか、乗降場には赤い羽目板をした木造の車体しかいなかった。普段は近所の住人の足として、また半島を横断して反対側にある漁港からケンブル市場へ獲れた魚を輸送するのに活躍する軽便鉄道である。

 標準軌であるヒリンドン・アンド・エンジン鉄道から、狭軌である軽便鉄道にはレールの幅が違うので、そのまま車両は乗り入れることはできない。軽便鉄道に一見すると無蓋車のような貨車があり、その背中には標準軌の線路が短く敷いてある。その貨車へ標準軌の貨車を載せて運べば、離れた漁港からケンブルの市場まで積み替え無しで物を運べるという寸法だ。

 この肩車方式(ピギーバック)のために軽便鉄道の引込線が下ってヒリンドン・アンド・エンジン鉄道の貨物線へと伸びていた。いまは空荷らしい冷蔵貨車を2人の車両係が手で押して、軽便鉄道の貨車の上へと載せている最中であった。

 汽笛の音がしたので乗降場に戻るが、機関車の姿は無かった。驚いた事に燐寸箱のような客車が並んでいると思った先頭車が蒸気動車であった。先頭から眺めれば大袈裟な漏斗形をした火の子止めが屋根からはみ出しているのが分かった。

 しかも2両目の車掌室には、普通の客車には見られないような弁装置を並べた操作盤がある。驚いた事に、こちらの客車は制御客車(オートコーチ)であった。車掌室と思ったのは遠隔操縦室であり、こちらからも蒸気動車の操縦ができるようになっていた。これならば終点で動力車をつけかえずに折り返す事が出来るはずだ。大手鉄道が行っているプッシュプル運転の小規模なものと考えてもらって間違いない。

 乗務員は機関士1人だけのようだ。駅にいる間に蒸気動車の罐に石炭をくべて蒸気を上げておき、走る時は運転に集中するようだ。

 罐の蒸気を点検した後に肩提げ鞄姿となると、乗り込んでいたお客から料金の徴収を始めた。私も乗り遅れてはならないと、いまは車掌役をしている彼に声をかけて切符を買った。

 汽笛一声で2両編成の汽車は走り出した。不思議な事に先頭車である蒸気動車の方に乗客が集中し、付随車である2両目の制御客車には客が乗っていなかった。

 私は窮屈が嫌だったので後ろの制御客車の方に座った。

 最初の隧道(トンネル)でその謎が解けた。蒸気動車から吐き出された煤煙は、隧道の天井に当たると、下へと(なび)いてくる。それをちょうど制御客車が丸被りする形になるのだ。窓は閉めてあるのだが、あるかないかの隙間から侵入してきて、私の目や鼻の粘膜を激しく刺激した。いまさら席を移ろうにも貫通路が無いので走行中の移動は不可能であった。

 取材のために何度か利用する事になったこの軽便鉄道の仕組みを理解した私は、2回目以降はもちろん蒸気動車を選択して乗るようになった。

 目が真っ赤になった頃に、終点の漁港へと辿り着いた。途中駅には「郵便局前」や「営林署出張所」などの駅名があり、地元に密着している路線という事がわかった。

 漁港には軽便鉄道に似つかわしくない数の引込線が縦横無尽に敷かれており、この漁港からの発送が多いことが察せられた。

 駅の助役に道を尋ねると快く教えてくれた。

 漁港の日当たりが良さそうな街路に沿った一軒家。そこが今回取材を受けてくれたジム・ロビンソン退役軍艦旗准尉が家族と共に住む家であった。

「男の子なんて育てるものではありませんね」

 挨拶を交わした後に、白色で統一された軒先でうららかな日差しを浴びながら取材は始まった。

「上も下もケンブルに出て行ったきり、トンと音沙汰がありません。たまに孫の顔ぐらいは見せに来てくれてもいいでしょうに」

 若い頃は艦隊任務で鍛えられたと思しき体を、ゆったりとした籐椅子へと沈め、船乗りらしいコーンコブパイプに(訳者注:日本語の「コーンパイプ」)火を点けて、煙をうまそうにくゆらせてみせた。

 訊けば2人いる息子さんは王都ケンブルに家を構え、軍とは関係の無い仕事に就いているそうだ。

 そういった雑談をして私たちの間に仕切りが無くなった頃合いを見て、取材を開始した。

「まず、あなたが<ブルーリーフ>に乗り込むことになった顛末を教えてください」

「私はね、ここではなくウェルナックの山里出身なのですよ」

 現在居を構えている漁港では無くケンブルを挟んだ反対側にあたる地名を口にした。

「それなのに海軍を?」

 普通、海軍関係者は海辺出身の者が多いという先入観があった私は、意外に思って再確認した。

「親は小作ですよ。まあそんな私でも義務教育ってやつで地方学校に通う事になったのですがね。小作の息子に学なんていらないっていう時代でしたから、真面目に学ぶことはなかったですね」

 当時を思い出したのか目を細めて元准尉はおっしゃった。

「1年ぐらいは大人しくしていましたがね。これが6年生7年生となると手が付けられません。毎日ケンカしに登校しているようなものでしたね」

「そんなにケンカする相手がいたのですか?」

「相手は色々ですよ。まあ女性や下級生に拳を振り上げる事は無かったですがね。逆に男性だったら、上級生だろうと大人だろうと平気で突っかかっていきましたね」

「大人ですか」

「まあ9年生ぐらいになると、もう身体は大人ですからね。で、地方学校も9年で終わりですから、卒業ってことで放り出されたわけですよ」

「地方学校を卒業してからはどちらに?」

 水を向けると元准尉は苦笑して見せた。

「それが何も。毎日ケンカにあけくれてばかりですよ。村の大人が相手にならなくなったら、隣の村まで行って暴れて、しまいには警官(オマワリ)と殴り合っていましたね」

「それは…」

 あまりの武勇伝に言葉を失っていると、元准尉は何でもない事のようにおっしゃった。

「まあ、さすがに警官には勝てなくて、青タンつくって帰るハメになりましたがね。あの頃の警察も分かっていて、子供をしょっぴくなんてことはなかったですね」

(この後、しばらく最近の少年法についての感想を語り合ったが、大筋から外れるので割愛する)

「まあ、話しを戻すと。ケンカ三昧の日々を過ごしていたところ、ある日お屋敷のご隠居からお呼びがかかったわけです。さすがに小作の息子じゃあ逆らうわけにいきませんから、おとなしくご隠居の説教を聞くことになったわけです」

 当時を思い出しているのか元准尉は遠い目をした。

「ご隠居は家督を息子さんに譲ってのんびりと余生を過ごしている人だったわけですが、まあ村人には良くしてくれる人でしたね。独り身の男がいれば縁談を持ってきたり、子供が生まれれば一封出してくれたり。私も5年生の時に流行り病で熱を出した時に、医者の世話をしてくれた恩があって。そういうことで暴れん坊だった私もご隠居には頭が上がらなかったわけです」

 今では人情が薄くなったと言われる時代だが、元准尉が過ごした農村は全体で家族のような繋がりを持っていたことが察せられる言葉だった。

「で、ご隠居が私に訊くわけです。『元気なのはよろしい。だが、おまえはこれからどうする気なのだ』って。続けて『このままケンカばかりしていると、破落戸(ローグ)極道(マフィア)にしかなれないぞ』と脅すわけです。まあ小作の息子ですから力仕事ができれば、お屋敷としては困らないわけです。が、もう一歩だけ私ら家族のことを心配してくれるわけです。でもまあ私も生意気盛りの歳でしたから『それでもいいかもしれない』なんて言い返して溜息つかれましたね」

 今更ながら当時を思い出すと恥ずかしいのか、元准尉は頭を掻かれた。

「そうしたら『このままだと、お袋さんを泣かすことになるぞ』ときたのですわ。まあ、さすがにお袋が泣くと言われちまうと弱いわけで」

 そうして向けられた視線は、同意を求めている物だった。

「『幸いケンカは強いから、軍隊か警察に行くのはどうだ?』とご隠居に言われて、確かにその通りと思いましたね。で、さんざん地元警官とケンカ三昧している私が今さら警察に行くのには抵抗があったわけですよ。それでご隠居に『希望はあるか』と訊かれて、前の年の夏季休暇に隣村の若旦那が帰郷して来たのを思い出しましてね。隣村の若旦那は空軍の将校で、あの空色の軍服で凱旋したものだからモテましてね。隣村どころか3つも先にある村からも若い娘たちが見に来てキャーキャー騒いでいた事を思い出したのですよ。それで素直に『空軍に入ってみたい』と言ったら『すまんが(わし)は先の戦争には海軍で参加したから空軍にはツテが無い。海軍でどうだ?』と訊かれたわけですよ。海軍の白い軍服も、まあモテますからね。すぐに飛びついたわけですよ」

「でも、それって…」

 私が言いにくそうに確認すると、元准尉はそうだと大きく頷いて笑ってみせた。

「そうです。地元の海兵団に放り込まれて『これで私も未来の艦長か』と思った3分後には後悔していましたね」

 一般にはあまり広まっていないので、改めて確認する。志願兵、徴兵に関係なく17歳から25歳までの王国国民ならば海兵団にて教育を受ければ海軍の一員になることはできる。ただし階級は最下級の水兵からであり、艦長職である佐官までは出世できない。水兵から下士官に上がり、選抜されたわずかな者が准尉へ上がれて、退役時に名誉職である軍艦旗准尉になれるだけだ。

 つまり私の伝承者は、最下級から水兵・下士官のトップである准尉まで上り詰めた生え抜きであり、軍艦の事は隅々まで分かっている者であると言えるのだ。

 ちなみに艦長職に就くためには、まずペニントンにある王立海軍兵学校に入学し学ばなければならない。この入試の狭き門は、我が王国の最高学府に次ぐ難関であり、高等教育を受けた者でなければ到底くぐることは叶わない門なのである。

 兵学校を卒業してもすぐに艦長になれるわけではない。士官候補生をフリダシに、海尉まで駒を進めたところで術科学校に選抜され、晴れて佐官となれるわけだ。

 戦艦の艦長は佐官級の役職である。

さらに佐官まで行けば複数の軍艦を率いる艦隊の指揮官たる将官への道も開かれ、そしていずれは本国艦隊を率いる大提督に就く可能性も出てくる。

「まあ海兵団でもケンカ三昧でしたがね。田舎と違って腕っ節の強い(ヤツ)が多くて、世間の広さを知るのには丁度良かったわけで」

「は、はあ」

 争い事に関わるどころか拳闘の試合すら見る事をしない私の口からは、曖昧な言葉しか出てこなかった。

「ええと。准尉は元から航海科を(専攻したのですか)?」

「はい。まあ荒くれ者ばかりの海軍には、ケンカ三昧の男にもちゃんと物を教えるノウハウって言うものがありましてね。イヤイヤながらも各科目の授業は受けさせられたわけです。そうしたら地方学校の頃には気づいていなかったのですが、どうやら私は少しばかり数字に強い才能があったようです。海兵団の教官からは『貴様はそれだけ計算が得意ならば、航海科へ行け』と勧められましてね。もうちょっと数字に強ければ主計科を勧められたのでしょうがね」

 艦が何も目標が無い大海原で迷子にならずに目的地につけるのは、航海士が航法を誤らないからである。どんな艦でも海の上を移動しているわけだから、緯度経度と現在の艦の向きや速力が分かれば、目的地まで取るべき針路が計算で分かる。この針路を導き出す計算には、高等数学をこなせるレベルが必須だ。元准尉にはそれを扱う才能があったということであろう。

「あと、まあ最近じゃ歳のせいか耄碌(もうろく)して良く見えませんがね。若い時分は視力も自慢できるほどだったのですよ」

 そう言って元准尉は自分の眼球を指差された。灰色をしている眼は、あの戦いで何をみてきたのであろうか。

「で、艦を動かすには周囲を見張員が見ていないと、アッチにぶつかりコッチに乗り上げてしまう。つまり見張りって言うのは重要な役割なのですよ。目が良い航海科員が見張りに配置されるのは当たり前の話です」

 現代の艦船では発達したレーダーによって艦の周囲を警戒している。しかし込み合う航路や港湾ではレーダーだけでは情報が錯綜して衝突事故などが起きる可能性がある。そういう場合において、人間の目で見るという事はいまだに重要視されていた。ましてやレーダー開発初期の未発達な頃では、見張員の能力が艦の安全を担保する事に繋がったことは、想像に難くない。もちろんレーダーどころか電気すら無かった帆船時代ならば、言うまでもない。

「で、海兵団を終えた後は、あっちこっちの艦に航海科見張員として乗組んだわけです」

「あなたが見張員になった顛末は解りました。それで<ブルーリーフ>に乗組んだきっかけは?」

「ん、まあ、そんなこんなでアチコチの艦を乗り継いでいた私ですがね。水兵長に昇進した後に配属された重巡洋艦<ウェトウスノー>で、そこの運用員長(ボースン)に気に入られましてね。その縁で」

 自慢げにニッコリして見せてくれたが、私には意味が分からずキョトンとするばかりだ。すると説明が足りなかったと自覚して下さったのか、元准尉はペロリと唇を舐めると説明をつけ加えてくれた。

「その人の経歴は変な人でね。元は南洋捕鯨船に乗組んでいて、海軍には中途採用で入ったという変わり種でした。まあ私らみたいな海兵団上がりと違って、元民間船の船員だったせいか怒る事が滅多にない人当たりの柔らかい人でね。でも誰も逆らえない。なにせ運用員長と言ったら、私ら水兵からすれば神さまですよ、神さま」

 私の表情を見て目配せ(ウインク)をした元准尉は、明るい声のままで念を押すようにおっしゃられた。

「運用員長というのは海と艦の全てを知っている人がなれる役職でね。現場の叩き上げの中の叩き上げですよ。どんなに腕のいい艦長が居ても運用員長がヘッポコな艦じゃ、他の船にぶつかったり座礁したり大騒ぎばかりになります。逆に海軍一の運用員長がいる艦だったら、艦橋に練習生(がくせい)が立っていてもネビウス群島の中へだって割って入れますよ」

 このネビウス群島とは中央海にある岩礁帯で、古く帆船の時代から船の難所として知られている海域である。そこを通過するには針の穴を通すような操艦技術が必要と言われている場所であった。

「海軍も分かっていましてね。運用員長にまで上がると、もう将校待遇ですよ。どんなに階級が低くてもね。もちろん経験を重ねた者が就ける役職なのですけど、たまに兵曹あたりでスポッとなっちゃう人がいますからねえ」

「准尉ではなく?」

 私の確認に「ええ」と元准尉は頷かれた。水兵から出世しての行き止まりが准尉であるから、その全員が叩き上げと言えるだろう。だから私はそれまで運用員長は准尉まで出世した者が就く役職だと思っていた。

「普通は上級兵曹まで上がった人が選抜されて准尉になるわけですが、軍艦は普通じゃないことが度々起きますから」

 その言いにくそうな態度で、前任者の戦死や戦傷などで代替わりをすることが察せられた。

「で、その運用員長に誘われたわけです。『どうやら上は、私に<ブルーリーフ>を任せたいらしい。貴様と一緒なら面白い事になりそうだから、どうだ』ってね」

「今で言う勧誘(スカウト)ですか?」

「ああ」

 元准尉は説明に困ったように天井を仰ぎ見られた。しばらくそうしていたが頭の中の整理がついたのか話しを続けてくれた。

「市井の会社では転勤する時に『おい、おまえ行ってくれ』なんて1人で本社から支社へ移動になったりしますがね。海軍は…、いや当時の海軍は違うのですよ。私たち水兵は2、30人ぐらいで派閥(ギャング)を組んでいましてね。その塊ごとに移動するのです。まあ理由はもちろんありましてね。戦争が無い時だって海に出れば船員は命がけです。そういった極限の世界では気に入らないヤツが集団に混ざっていると、全体の命に関わって来る。1人2人の問題じゃないのです艦全体の運命が関わって来る。そういったわけで言葉を交わさなくても仕事を合わせられる人間同士で組まないとならないわけです」

「ということは…」

「私もその頃は15、6人ぐらいの派閥で頭でしたからね。私に声をかけたということは、その16人の面倒も見てくれるということですよ」

「それでは全体では?」

 私の想像通りに准尉は頷いて答えてくれた。

「運用員長が移動するとなったら10人20人じゃききません。100人単位の塊が動くことになります。これというのも<ブルーリーフ>の次の航海長へ内定した人が、運用員長に声をかけたからっていうのがありますからね。もちろん海軍の航海局(筆者注:人事を担当する部署)だって無視するわけにはいかず、『現場の要望』ということで大半の『提案』は受け入れてくれますけどね。逆に言えばそこまでの根回しが出来る人じゃないと、自分が乗る艦に気に入った運用員長を呼ぶことなんてできません」

「その時の航海長と言うとジャン・モフェット提督ですね?」

「そうです。当時は少佐だったはずです」

 ジャン・モフェット退役海軍大将はソロフ伯爵家の現当主である方である。私が本を書くために様々な取材をしている中で知り合った方で、元准尉を紹介してくれた人物でもあった。

「それで…、ちょっと失礼しますよ」

 元准尉は席を立つと部屋の中にある本棚から塊を持ってこられた。10冊はあろうかという手帳の山である。海軍関係者ならばよく知っている海軍手帳というヤツだ。年度ごとに1冊ずつ水兵へ支給される物で、特段に珍しい物では無い。簡単な暦から他言語での挨拶などの便利な項目が纏められている物だ。

 どれも手垢にまみれ擦り切れていた。元准尉が使っていたもので間違いなかった。その塊の中を難しい顔をして探していた元准尉は、1冊の海軍手帳を取り出された。

「ああ、これですね。私が<ブルーリーフ>配属になったのは(聖歴21)58年の11月ですね」

「あの~」

 私が疑るような目で手帳を見つめると、イタズラが見つかった子供のような顔で、元准尉は首をすくめられた。

「おおっぴらにはできませんがね。なにせ海軍では『日記はご法度』ですから」

 これには理由がある。乗組員が日記をつけていると、もし万が一ソレが敵の手に渡ると、こちらの情報が敵に渡ることになるからだ。「何月何日に戦艦〇〇と一緒に航海していた」なんていう書き込みがあった場合、それだけでこちらの戦力配置が相手に知られる事になりかねない。この問題で厄介な事は、たとえ日記をつけた者が死亡した場合でも、敵に拾われれば、その情報が漏れる可能性が残るという事だ。よって乗組員は日記をつけることは禁止項目(タブー)であった。

「でもね、私たち航海科は、走り書き(メモ)ぐらいは許されていたのですよ。ほら航海日誌には正確に書き込まなければなりませんから」

 その艦の歴史ともいえる航海日誌は、国際法的にも公文書として扱われる物である。それは艦が就役してから退役するまで毎日どころか毎時間ごとに書き綴られ、事故や事件が起きた場合は証拠としても扱われる。もちろん、記入に際して正確無比な情報であることが求められる。電子機器が発達した今でも軍民関係なく艦橋において肉筆で綴られる物である。

「航海科は、何かあったらソレを書かなきゃなりません。それが不思議な出来事でも、当たり前すぎる出来事でも、とにかく書き込むのが義務なのです。たとえば私も経験した不思議な事といえば、光る物体が夜空をよぎって行ったことがあります。船乗りだと、まあ半分ぐらいの者が経験しますがね。今ように言えばUFOってヤツですよ。それを見たら、何が何だかわからないけど、何時何分に光る物が艦上空をよぎって行ったと書き込まなきゃならない。また艦長が腹を下して艦橋に一日中上がって来なかった、なんていう事も書き込む対象になります」

 航海日誌が正確でないと公式記録も残らないことになるので、元准尉の言い分は良く分かった。

「でも民間船ならば何か事件が起きても書き込む余裕はあるでしょうけど、軍艦というと話しが違ってきます。敵と出くわしたら戦争ですから撃ち合いが始まり、甲板は火事場よりも大騒ぎとなるわけです。そんな時に悠長に航海日誌なんて書いていられません。事が終わってから纏めて書くことになるわけです。でも人間がそう都合よく色んなことを覚えていられるわけもありません。そういった事情で、航海科はメモしていいと暗黙の了解になっているわけです」

 私自身、公式記録に重きを置いていたので、そういった乗組員の苦労の延長線上に戦史研究があることが実感できた。たしかに深夜の遭遇戦などの記録は、そんな咄嗟な事態をどうやって記録したのか分からない部分だったのである。

「でも確かに覚えていますよ」

 手帳を握りしめて元准尉は目を細められた。

「水曜日だったはずです。夕暮れに着任しましてね。赤く染まった港内に真っ白な艦体が浮かんでいるわけですよ。アチコチがキラキラ光っていましてね、宮殿戦艦なんていう呼ばれ方もされていた理由が一目でわかりましたよ。それから港務部の交通船で舷門まで運んでもらって、前甲板に整列した私たちの前で、副長が着任報告を受けてくれたのです。普通の艦だと挨拶もソコソコにネグラの割り当てがあるものなのですが、真面目にも艦長まで顔を出して『よろしく頼む』と一言おっしゃってね。ああ、大事にされているのだなと分かる対応でしたね」

「艦長と言うと?」

「ああ、シャーロット王姉殿下…、当時はまだ王女さまですか。シャーロット殿下ではありませんでしたよ。先代の艦長です。シャーロット殿下は、まだあの時ペニントンで学生をやっていたはずです」

 記録によればシャーロット王女殿下の卒業は翌年である。元准尉のメモや記憶は正確のようだ。

「先代の艦長というと(メイソン・)ジョーンズ提督?」

「当時は大佐じゃなかったかな?」

 元准尉はまたチラッとメモを確認された。

「あの歳で、すでに白髪に白髭の好々爺(こうこうや)といった風体の人でね。戦艦の艦長と言うより学校の先生と言った雰囲気の人でした。シャーロット殿下と艦長職を交代した後に、教職に(筆者注:海軍大学校教授)就いたって聞いて『ああ、やっぱり』と思いましたもの」

 メイソン・ジョーンズ退役海軍大将は侯爵位を持つ人物であった。海軍大学校の教授職をその後長らく勤められて、戦後に次世代の作戦術についての論文を纏められた。その研究は現在においても王国の国際関係の基本とされているほどだ。残念ながら先日鬼籍に移られたと聞いた。

「副長というと、あの?」

「ええ」

 ニヤニヤと含み笑いで元准尉は頷かれた。

「当時は『冷や飯喰い少佐』なんて呼ばれていましたね。チャールズ・タートル副長。当時は少佐でした」

 チャールズ・タートル海軍少佐(当時)は軍務省海軍本部にて国際軍縮条約に従ってバッサリと予算を削減する融和派と呼ばれた派閥に所属していた。しかし権力争いに敗れたために<ブルーリーフ>へと配属になった人物だ。法律や規律に厳しく、条文通りに行動する事をなによりも尊ぶ石部金吉な性格の将校であった。その性格が災いして融和派が攻められた時に逃げそこなり、当時予備艦籍だった<ブルーリーフ>へと左遷されたのであった。それから昇進することなくずっと<ブルーリーフ>の面倒を見て来たのだから、海軍内で出世頭とされる主計科では珍しい方だ。

「やはり挨拶も堅苦しくてね」

 思い出し笑いをしながら元准尉は副長の第一印象を語ってくれた。

「優しい先生みたいな艦長とウマが合っていましたね」

「それは水兵としては良かったのでは?」

 過去には艦長と副長が対立して反乱事件が起きたなどの事例があるので、艦首脳部の仲の良さは重要な物だ。

 元准尉は肩をすくめられた。

「まあ水兵は良く見ていますからね。私は着任と同時に昇進しましてね、水兵長から兵曹になりました。水兵から下士官に上がったわけですが、それだけで劇的に周囲の環境が変わりましたね。なにせ飯の度に当番兵がついて世話をされる側だ」

「ちなみに運用員長さんが、あなたを<ブルーリーフ>に誘った理由などは聞きましたか?」

「理由ですか?」

 元准尉は苦笑しつつ教えてくれた。

「まあ着任してからだいぶ経った後にそういった話しになりましてね。『なんで自分に声をかけてくれたのですか』とド直球に訊いたわけですよ。そうしたら『腕っ節が強かったから』なんて言うのですよ」

 カラカラと笑う元准尉の前で私はさぞかし間抜けな顔になっていたであろう。

「は? 腕っ節?」

「そう腕っ節。『<ブルーリーフ>は練習戦艦だから艦尾(トモ)艦首(オモテ)ですら分からない学生が生意気言って突っかかって来るかもしれない。そんな時は、やっぱり腕っ節の強い野郎が味方に居ると心強い』と言うわけですよ。本気かどうかは分からなかったですがね」

「そんなことは…」

 学生たちの反乱と聞いて一瞬だけ反論しようとして思いとどまった私を、元准尉は面白そうに眺めていた。



★軍艦<ブルーリーフ>のこと。


「それでは今度は話題を変えまして。軍艦<ブルーリーフ>のことを聞かせて下さい」

「詳しい数字なんかは、そちらの方がお知りなのじゃないですか?」

 そう切り返されて私は確かにと頷いた。元准尉は<ブルーリーフ>にて生活なさっていたが、ソコに居る者が艦の数字に詳しいとは限らないものだ。試しに読者諸兄の家の居間の長さを訊ねよう。すぐに答えられる方の方が少ないのではないだろうか。

 聖歴2131年。

(筆者注:この本では、国際的に一番広まっているとされている、古代帝国が成立した年を元年とする紀元法を使用させてもらう。ムスリ歴やジュリアス歴など使用されている国の方はそれぞれ自分の国の歴に変換される不便をかけて申し訳ない)

(訳者注:この紀元法が我々のどの歴史に当てはまるかは定かではない。ただ似たような歴史を歩んでいる様子ではある)

 この年の12月2日に、我が王国海軍は革新的な戦艦<ドレットノート>を就役させた。それまでの戦艦は12ネイル砲を(筆者注:メートル法にして約30センチメートル。以下同じ)連装砲塔に収めて前後に1基ずつ配置するのが常識であったが、<ドレットノート>はその倍の数である4基もの砲塔を搭載したのだ。

(筆者注:前後に背負い式に2基ずつ搭載したため、艦中央部に近い方の第2、第3砲塔もそれぞれ第1、第4砲塔の頭越しに射撃が可能であった)

(訳者注:我々の歴史に登場するドレットノートとは、どうやら違う姿形をしている模様である)

 そして機関(エンジン)も常識はずれであった。ようやく駆逐艦に搭載が始まったタービン機関を大型艦として初めて採用し、それまでの蒸気ピストン機関の戦艦より約5ノット(約時速9・3キロメートル)は優速であった。直接防御の目安となる装甲は従来の戦艦と同等であったが、この運動能力をつけ加えて考えれば、少なくとも劣る事は無いと考えられた。

 総合的に<ドレットノート>1隻で従来の戦艦の2~3倍の戦力になると考えられた。

 なにせ片舷に向けられる砲門数は8門、艦首尾に向けられる砲門数は4門である。それまでの戦艦のそれぞれ4門と2門であるから<ドレットノート>に対抗する事が難しい事は、どんな素人でも一目瞭然であった。

 この<ドレットノート>の登場で、世界中の海軍は大騒ぎとなった。なにせ今まで保有していた戦艦たちが役立たずとまでは言わないが、価値が半減してしまったのだから。

 こうして列強各国で有名な建艦競争が始まることになるのだが、この技術革新は装甲巡洋艦にも及んだ。

 それまでの装甲巡洋艦は8ネイル(約20センチメートル)ほどの主砲で我慢する代わりに、戦艦より優れた航洋性を備えた装甲艦であった。その装甲巡洋艦に<ドレットノート>の技術がつぎ込まれたのである。

 こうして誕生したのが巡洋戦艦という艦種であった。主砲は戦艦と同じ12ネイル砲を持ち、強力なタービン機関で25ノット(約時速46・3キロメートル)も出す装甲艦である。

 これの意味するところは、弱い敵ならば追いかけて撃滅する事ができ、強い敵ならば逃れることが可能ということであった。

 ただ欠点として、その高速を得るために防御力は巡洋艦並みでしかないことであった。

 程なく主砲は弩級艦の12ネイル砲から14ネイル砲(約350ミリメートル)へと発達した。この砲を搭載した戦艦や巡洋戦艦を(筆者注:2つを合わせて主力艦とも呼ぶ)超弩級艦と呼ぶ。

 この超弩級巡洋戦艦の第2陣として建造されたのが<紋章級巡洋戦艦>とも呼ばれる<オールド・イーグル級巡洋戦艦>であった。

 艦名艦ともなっている1番艦<オールド・イーグル>

 2番艦<ミオソティス>

 3番艦<ブルーリーフ>

 4番艦<キャッツイヤー>

 と、4隻建造された中の3番艦であった。

 ブルーリーフとは字面では「青い葉っぱ」という意味になるが、紋章学の世界では「生命の樹木の葉」という意味になる。これは代々のプリンセス・ロイヤルが紋章に使用した図柄の事であった。

 同じように<オールド・イーグル級巡洋戦艦>は全て王家に関係する紋章の図柄の名称が艦名となっていた。

 各艦の名前はそれぞれ直訳では「古い鷲」「勿忘草」「青い葉」「蒲公英擬(タンポポモドキ)」であるが、紋章学の世界ではそれぞれ順に「王家の紋章」「王太子の紋章」「プリンセス・ロイヤルの紋章」「プランタゴネット公爵家の紋章」を意味した。

 聖歴2139年10月7日に竣工した<ブルーリーフ>は、この年の7月28日に開戦していた中原戦争に否応なしに参加することとなった。

 ただし当時最新鋭の巡洋戦艦であった<ブルーリーフ>は本国に留め置かれた。好敵手(ライバル)のプロニア帝国海軍の巡洋艦部隊に睨みを利かせるためである。それがあったため南偉大洋方面で通商破壊艦として有名になったプロニア海軍防護巡洋艦<エルデン>の追撃戦に参加する事は無かった。

 そして史上最大規模で行われたバトランド沖海戦に、<ブルーリーフ>は第2艦隊(巡洋艦艦隊)の一員として参加した。

 その結果についてはここでは多くは語るまい。バトランド沖海戦を研究する書物は官民問わずに図書館ひとつ分ほども出版されているのだから。ただこのことだけは言える。我が王国艦隊の巡洋戦艦3隻が戦没し、対するプロニア海軍は外征能力を失った。

 この海戦により得られた大きな教訓は2つである。それまでの弩級戦艦は速力が遅すぎて敵を見る事すら叶わず、巡洋戦艦は防御力の低さが災いして大きな損害を被ることだ。

 必要だったのは戦艦の攻撃力と防御力を持ち、巡洋戦艦の航洋性を持った新しい艦種、高速戦艦であった。

 列強各国は弩級艦、超弩級艦に代わって高速戦艦にて建艦競争を続ける勢いであった。

 しかし中原戦争が連合軍の勝利で終結した後は、軍縮の時代となった。

 世界的な軍縮条約が締結され主力艦の建造は禁止された。各国海軍は認められた保有枠の中で、すでに保有している主力艦で満足しなければならなくなったのである。

 そこで各国海軍は近代化工事を各艦に改装という形で行った。<ブルーリーフ>も聖歴2151年1月から改装工事に入り、同年11月に完工している。

 しかし列強各国の軍拡は、軍縮条約の適用外の戦力で進むばかりであった。そこで第2次軍縮条約が結ばれる事になった。

 この第2次軍縮条約において我が王国海軍では<オールド・イーグル級巡洋戦艦>の廃棄が決定した。ただし同型艦4隻中1隻だけは練習戦艦としてならば続けて保有する事が認められ、その1隻に<ブルーリーフ>が選ばれた。

 条約では「練習戦艦は舷側装甲を廃止し、主砲砲門数を6門以下にしたもの」と規定されたため<ブルーリーフ>はこの条件に当てはまるように改装された。

 4つあった主砲塔の内、一番後ろの第4砲塔を撤去して主砲門数を6門とし、重要区画(バイタルパート)を守る装甲板は剥がされた。

 また速力も規定で18ノット以下にすることとされたため、蒸気タービンの半数を撤去した。主罐(ボイラー)も竣工時の本省式重油石炭混焼罐36基から、第1次改装でバブルコック社式3胴型重油専焼罐4基と本省式重油石炭混焼罐6基に換装していたところを、バブルコック社式3胴型重油専焼罐2基にバブルコック社式3胴型小型重油専焼罐4基と本省式重油石炭混焼罐6基に換装して出力を下げた。わざわざ小型罐を搭載したのは練習戦艦としての性格上、小型巡洋艦などを想定した様な教習に使用できるようにと配慮したためであった。

 この時に船体番号(ハルナンバー)と呼ばれる海軍艦艇各艦に与えられる背番号のような管理番号を「CC15」から「BB15」に変更している。

 この「CC」というのは巡洋戦艦に与えられる略号であるが、他の巡洋戦艦が軍縮条約により全て退役していたため、この段階で<ブルーリーフ>のみが使用している略号であった。そして「BB」というのは戦艦につけられる略号である。<ブルーリーフ>は練習戦艦へと改装されたため「CC」から「BB」への変更は不思議では無かった。

 だが実のところバトランド沖海戦で発覚した巡洋戦艦の低い防御力が王国議会において問題になっていた。海軍としては「弱い」と印象がついてしまった巡洋戦艦は全て退役させましたという建前のために<ブルーリーフ>の船体番号を変更したのが本当のところだった。

 また数字の「15」は、最初の巡洋戦艦から数えて15番目の艦という意味であった。略号を変更する時に新しい数字が与えられても良かったが、当時最新の戦艦<ロード・ウォーデン>の船体番号「BB42」よりも大きい番号をつけると、一番古い艦が一番大きい「43」を使用する事となり、書類上の混乱が予想された。幸い「BB15」を使用していた<フェイバリット級戦艦>は軍縮条約でとっくに退役していたため、<ブルーリーフ>が続けて使用する事にしたものだ。

 その後、世界的な大不況がおとずれたため、王国の財政も厳しい物となった。あまりの困難な状況に、今更ながら敗戦国であるプロニア帝国に賠償金を求めろという声が市井から上がったほどである。しかし、戦勝国とはいえ後出しでそんな横暴は認められない事態である。よって緊縮財政が組まれ、海軍予算も大きく削減される事となった。

 練習戦艦として保有が認められていた<ブルーリーフ>も、予算削減のあおりを受けた。有事に戦力とならないことがはっきりしている練習戦艦などは退役させてしまえという声が海軍内部からも上がったほどである。この声を上げたのが融和派と呼ばれる一派で、前に紹介したタートル少佐(当時)もその仲間であった。その彼が<ブルーリーフ>副長に就くのだから歴史は皮肉である。

 軍艦<ブルーリーフ>を救ったのは、当時すでにペニントン王立兵学校の2号生だったプリンセス・ロイヤルであらせられるシャーロット・ルイス王女殿下(当時)であった。

 翌年に成人を控えていたシャーロット王女殿下は、王女宮を整備するための予算として父王エドマンド3世陛下から金塊を下賜されたばかりであった。

 だが海軍の行く末と、悪化を辿る国際情勢を憂いていたシャーロット王女殿下は、その財で1隻でも多くの戦艦の整備を望まれた。そのおかげで<ブルーリーフ>は、王女宮として整備保有されることになった。

 その整備が完工したのが聖歴2158年5月である。その秋にジム・ロビンソン退役軍艦旗准尉は兵曹として着任したことになる。

 軍艦<ブルーリーフ>は改装完工後に公試を受けており、その時に記録されたのが以下の要目である。


 練習戦艦<ブルーリーフ>(BB15)

・基準排水量1万9500トン(軍縮条約によりメートルトンにて測られた)

・全長663ペデース10ネイル(約199メートル)

・全幅83ペデース6ネイル(約25メートル)

・喫水21ペデース1ネイル(約6メートル)

・機関:本省式ギヤードタービン2組2軸

・罐:バブルコック社式3胴型専焼罐2基

   バブルコック社式3胴型小型専焼罐4基

   本省式混焼罐6基

・合計1万6千馬力

・速力18ノット(約時速33キロメートル)

 兵装:

・14ネイル(約350ミリメートル)連装砲マーク5(45口径)3基

・6ネイル(約150ミリメートル)単装砲14門

・4ネイル(約100ミリメートル)連装対空砲4基

・60キュビト(約30ミリメートル)対空機関砲4連装2基

・25キュビト(約12・5ミリメートル)対空機関銃単装4挺

・2ネイル(約50ミリメートル)礼砲単装4門

 装甲:

・舷側装甲撤去

・甲板38キュビト+2ネイル28キュビト(約19ミリメートル+約64ミリメートル)

・主砲塔前盾10ネイル(約250ミリメートル)

・砲台11ネイル10キュビト(約280ミリメートル)

・司令塔12ネイル4キュビト(約305ミリメートル)

・搭載機なし


 艦体は他の海軍艦艇の多くが本国艦隊青色(ホーム・フリート・ブルー)で塗られているところ、全面を白色に塗っており、港内でも艦隊を組んでの航行中でも目立つ存在だった。

 さらに金色をした飾りで舷縁(ガンネル)などを飾っており、シャーロット王女殿下の宮殿としての役割を立派に勤める姿であった。

「あの金色の飾りですがね」

 ジム・ロビンソン退役軍艦旗准尉は懐かしむようにおっしゃった。

「私たち水兵には不評でしたね」

「それは何故?」

「あの飾りは黄金などでなくて、真鍮製だったのですよ。波が被るところはもちろん、潮風にあたっただけで青く錆びてしまいますからね。毎日磨かないとなりません。乗組員1人当たり担当する箇所を指定されましてね、そこを副長から渡された白い亜麻布(リネン)拭布(ウェス)で毎日磨かなければなりませんでした。少しでもサボるとすぐに青くなるので、一目瞭然なわけですよ。そうしたら当時の事ですから鉄拳制裁ですよ。そんな具合なので磨かなくていい雨が続くとホッとしたものです。まあ晴れたら倍は磨かないとならなくなりますがね」

 当時の写真などで、その美麗な艦影を楽しむ私たちでは知りえない話しであった。たしかに真鍮製ならば手入れを怠ると緑青(ろくしょう)が浮き出て来てしまって、すぐにみすぼらしい姿になってしまうはずだ。

「あと改装したと言っても20年選手の艦でしたからねえ。アチコチの設備が古くなっていて、不便な事もありました」

「設備?」

 私の記憶では通信機や放送装置なども含めて改装工事で一新したはずである。

 私が首を捻っていると元准尉は笑いながら教えてくれた。

「たとえば便器なんかは古い物でしたね。気を付けて腰かけないと割れる事もありました。あと旗流信号の(ライン)も不便でね。おそらく上の滑車が古くなって硬くなっていたのでしょう。何度も直したのですが、信号旗を揚げる時には、ちょいとコツが必要でしたね」

 これこそが実際に艦内で生活していないと分からない話しであった。信号旗の事は、その掲揚は元准尉が所属していた航海科の職務に入るからの経験であろう。

「もちろん将校が使うような便所は先に直されていましたがね。水兵用の便所なんて後回しですよ。それに陶器だったもので、航海(おき)に出ている時に割ってしまうと、港に帰るまでそのままでしたね」

 ちなみに軍縮条約明けに建造された新戦艦と分類される各艦は、ステンレス製の便器を採用していたので壊れる心配は無かった。

「でも、まあ総じて良い艦だったと思いますよ。私も小は駆逐艦から大は戦艦まで乗りましたがね。あの艦が一番と言う事ができます」

「それは何故です?」

「まず運が良かった。緒戦でカークウォールに居たら、動けない所を爆撃でやられていたでしょうからね。それに艦内は華やかでしたし」

「華やか?」

「ほら、他の艦では滅多にお目にかかれない海軍女子部(WAVES)の人が乗組んでいましたからね」

「ああ、たしかに」

「さらにシャーロット殿下の侍従(チェンバレン)女官(メイド・オブ・オナー)まで乗っていましたから、宮殿戦艦というアダナはあながち間違いじゃなかったのですよ」

「侍従や女官ですか」

 ほとんど初耳の話しを聞かされて、自覚は無かったが私の目は丸くなっていたであろう。記録では確かに<ブルーリーフ>において舞踏会などが催されたことがある。その事は知っていたが、その時に必要な人員は、別の客船などで移動しており仕事がある時だけ乗組んでいたと思っていたからだ。

「まあ、私らから見れば『お客さん』ですがね。撤去した第4砲塔より後ろは吸気函(トランク)係船柱(ボラード)なんかは取り外し式や隠顕式になっていまして、露天の舞踏会場(ボールルーム)ということになっていました。舞踏会はそこで行われました。雨天は中止か、規模を小さくして下の上甲板の甲板室でやりましたね。後甲板は航海中には私ら乗組員も立ち入るのですが、港に停泊中は宮殿扱いということで、必要最低限の物を残して外してしまって、そこの管理は彼らが行っていました」

「その人たちはドコで寝起きしていたのです?」

「1つ下の甲板です。船員ならば上甲板と呼ぶところですね。旧第4砲塔より後ろは、雨天時にも晩餐会(ディナー・パーティ)が開けるように艦尾まで見通せるほどの大部屋(ホール)になっていました。雨の日の舞踏会もそこで行われました。通常時はそこに帆布(カンバス)で区切りを作って、そこを彼らの居住区域(スペース)にしていました」

「女官も一緒に?」

「ええ」

 深く頷いた元准尉は指を3本立てた。

「一番前が侍従たち男どもの区画でした。それから検問みたいに出入りを監視する区画を経てから女官たちの区画。最後が海軍女子部の区画です」

「では混ざって生活していたというわけではないのですね」

「ええ。女性区画に入るところには四六時中、女子部の人が見張っていました。艦内でも不届きなことを思いついた輩は入れないように武装していました。ですから、そういった事件は起きませんでしたね。たしか私が配属になってから1人、若い水兵が覗きに行って捕まって、バツとして後檣の根元に縛り付けられました。そのぐらいですよ。まあ女性も警戒するのは当たり前ですけどね。なにせ目をギラつかせた荒くれ連中が前半分に押し込められているのですから」

「それは食事の時もそうなのですか?」

「ええ。晩餐会を開いた時に便利なように、旧第4砲塔の脇に厨房が増設されていましてね。シャーロット殿下に雇われた料理人(コック)たちが腕を振るっていました。入れる方はそうなっていまして、出す方はといいますと、従軍経験のある侍従はそれに対応した便所を使っていましたね。そういう事のない若い案内係(ボーイ)なんかは水兵用の便所で用を足していました。女性は甲板の中ほどに晩餐会参加者用の便所が両舷に設けられていましてね、そこを使用していたようです」

 海軍女子部に属する女性たちが乗組んでいたことは知っていたが、そこまでの事は今まで耳にしたことは無かった。興味が湧いた私はちょっと乗り出して、もう一歩突っ込んだ質問をしてみた。

「洗濯なんかはどうしていたのですか」

「私たち水兵は他の戦艦と同じですよ。洗濯用意の号令がかかると水場に洗濯板を持って集まって戦闘開始の号令でゴシゴシやるわけです。干すのは前檣から後檣に渡した物干し紐にぶら下げてね。将校は艦内に開設している洗濯屋に出すのが一般です。まあ給料が少ない下の階級の人なんかは、水兵に混じって自分で洗濯していたりしましたがね」

「町と同じですね」

「ええ。この洗濯屋というのは海軍が正式に雇う雇人で、軍属ではあるのですが軍人ではなかったです。洗濯屋は第3砲塔と第4砲塔の段差のところにあったので、侍従の中でも偉い人は利用していたようです。侍従の中でも下の方の人や、女官たちは後甲板の中ほど、ちょうど便所の上に当たる甲板が剥がせるようになっていましてね。そこを剥がすと水場になるという寸法でした。そこで洗濯担当の女官が洗濯していましたね。女子部の方々も、そこに混ぜてもらっていたようです。女子部の将校は全員の汚れ物を大きな洗濯袋に集めて、洗濯屋に持ち込んでいたようですね」

「それでは目に毒だったのではないですか? そういった洗濯物も干されるのですから」

 私は戦艦の艦上に翻る女物の下着を想像してしまった。

「まあ苦労していたと思います。私ら水兵の目に届かないように、艦内に干していたようですから。侍従の制服や女子部の軍服みたいな男物は、艦尾旗竿から元第4砲塔の基部(バーベット)にかけて物干し紐を張って後甲板の上へ2列に干していましたね」

「風呂の方はどうしていたのでしょうか」

「これも他の戦艦と同じですよ。そろそろ荒くれ連中が汗臭くなってきたなと副長が感じたら入浴命令が出るわけです。海水を温めたシャワーに並んで被って、石鹸を塗りたくって、最後に真水のシャワーで流すわけです。艦内では真水は貴重品ですから、機関科の連中が棍棒を持って見張っていましてね、余分に真水を被っているヤツがいると、腿の辺りをバシッとやられるわけです」

 そんな体罰めいた話しはほぼ初耳であった。

「なぜ機関科が?」

「海で真水をつくるには、造水機という特別な罐で一度海水を沸かせて、その蒸気を水に戻して利用するわけです。で、艦を走らせるタービンを回すために必要な蒸気を発生させる主罐(ボイラー)では大量に真水を使うわけです。これは真水でないと配管などを腐食してしまうからですが。ですから真水は機関科の担当なわけです」

 艦で真水が貴重品なのは帆船時代からの常識である。

「侍従たちは私ら水兵と違う日に利用していたようです。さすがにお客さんですから機関科の連中が見張っている事は無かったようですが」

「女性はどうしていたのですか?」

「まあ多めに生活用水の配給はあったようです。ですから艦内で大きな(たらい)を使って行水していたようですよ。たぶん便所の排水管(スカッパー)を利用していたのでは。それと後甲板の左舷に帆布製の大きな入れ物があって、それは普段は邪魔にならないように舷側に丸められて縛り付けられていたのですが、天気が良くて波が穏やかな日はそれを広げて、中に海水を溜めて水泳設備(プール)として使用できるようになっていました」

「プールですか?」

「ええ。広げると内火艇がスッポリと入るぐらいの大きな直方体になるのです。その水泳設備は何だと言うと、女子部の人たちが一応鍛錬の名目で使用をするのですよ。でも実際は風呂の代わりでしたね」

「ええと、外ですよね?」

「いちおう水着は着ていましたよ。甲板から覗かれないように麻布(カンバス)の目隠しを張っていましたけど、私なんかが配置につく艦橋とか高い位置からだと丸見えでしたね」

「では女官たちは盥での行水だけということですか」

「それだけでは気の毒だとシャーロット殿下も思っていたのでしょう。シャーロット殿下が使っていた艦橋下の部屋を毎日別の女官が掃除に来ていました。その部屋には風呂も付属していましたから、あれは代わり番に使って良いということにしていたのでしょうね」

「彼女たちは艦内を自由に歩いていたのですか?」

 意外な情報に訊ねると、元准尉はとんでもないとばかりに首を竦められた。

「女日照りの荒くれ連中がスシ詰めの所に若い女の子がやってきたら間違いが起こらない方がおかしいでしょう。普段は副長とか航海長とか佐官が迎えに行って付き添っていましたよ」

「さすがに、そういった上の役職の方が間違いを起こすことは無かったと」

「まあ女性問題を起こしたら殿下のおそばに居られるわけがありませんからね。特に副長はまるで機械のように、自分にも他人にも厳しい方でしたし」



★女子部の事。


 ここで女子部の事を聞くことにした。

「他の艦から移って来て、女子部があるのは驚いたのではないですか?」

「いいや、それほど」

 元准尉は気安い調子で首を横に振られた。

「私が放り込まれた海兵団というのはケンブルのところでしたから」

 それで説明が終わりとばかりに言葉が切れて、私は大いに困惑した。その様子で説明不足を認識してくれたのか、改めて口を開いてくれた。

「海軍では17歳から25歳までの王国民に門戸が開かれているって宣伝しています。これは他の国と違って男性だけでなく女性も含みます。その理由は…、そちらの方が詳しいのでは?」

 歴史となればもちろん私の方が得意である。

 海軍が女性も採用するようになったのは古く、歴史を遡ること500年近く前、聖歴1722年に起きた蒲公英擬(キャッツイヤー)戦争の後からである。

 それは口の悪い歴史家が「史上最大の夫婦喧嘩」などと呼ぶ内戦であった。国王と王妃がいがみ合い、それだけではなく双方に有力貴族たちがついて国を二分して争ったとされる戦いであった。歴史を知らぬ方々からすれば、はた迷惑な話だと思われるだろう。しかし実際は、国王を担ぎ上げた陸軍閥と王妃を担ぎ上げた海軍閥の貴族たちが繰り広げた経済戦争であった。

(筆者注:歴史家の間には「寝室で王妃が振り回した枕が唯一の武力行使だった」という冗談があるほどだ)

 結果はすぐに出た。なにせ物流の要である海運をおさえている海軍閥が、経済戦争で負けるわけがないのである。

 それ以来、海軍は王家の子女を保護する組織という立場となった。

 王国近代化の象徴となった栄光革命の時も、王妃とその周辺は、騒乱で乱れる王都にあって海軍の管理する敷地へと保護されたほどだ。最近では王妃宮や王女宮の警備は海兵隊が行っているが、それも遡れば退役した海軍水兵が有志として始めたことだ。

 そしてそこから王家の子女が高等教育を受ける場合はペニントン王立兵学校へ進学するという伝統も生まれた。逆に歴代の王太子を含む王子たちはウーリッジ陸軍士官学校に学ぶことが多かった。

 王女が通うようになると、公爵家をはじめとする名家の子女も進学を希望するようになりペニントン王立兵学校は女子生徒の受け入れ態勢を整える事となった。

 彼女たちは男子学生と同じように3年間海について学ぶことになる。操艇作業など体力的に不利な項目は免除または軽減されているが、座学などは男子学生とまったく同じ教科課程である。

 卒業後の進路は様々である。いちおう任官拒否の制度があるため、卒業後すぐに家に戻る子女が居ないわけではない。ただ、せっかく3年間も学んだのだから、もったいないとばかりに軍務に就く者がほとんどである。

 その中には帆船時代に補給船の船長となって勇名を馳せたユージェニー王女殿下のような例もあったが、とても少ない例である。普通は王都ケンブルにある軍艦<ケンブル・ハウス>勤務となる者がほとんどだ。

 軍艦<ケンブル・ハウス>は、軍艦という名称を冠しているが実際は旧パリザー伯爵邸である。第2代海軍卿を務めたパリザー伯爵が築造したお屋敷は、海から見ると王宮であるワイアットヴィル城の出城という位置になる。よって海からの侵略者に対する砦としては、今でも有効な設備ではある。

 ここが軍艦扱いなのは女子部を他の部隊からの隔離する意味がある。理由は記すまでもないだろう。

 彼女たちは平均3年ほどで依願退役し、各家に戻るとそのまま婚姻に至ることがほとんどだ。まあ海軍でのアレコレが花嫁修業のひとつと考えられていると思っても良い。ただ何も学ばないよりは国際情勢に敏感となるし、格闘技や射撃術を覚えておいて名家の娘として損ではないと考えられているからだ。

 名家の子女が海軍に世話になるようになると、市井の者も王国のために働きたいと声を上げるようになっていた。

 そういう女性たちは各海兵団で受け付けるが、数は圧倒的に少なかった。そのため各地でバラバラに少人数のままで教育課程を行うより纏めて行った方が効率的であるし、便所をはじめとする性別ごとの設備の用意もしやすい。そういう諸々の理由から女子志願兵は王都ケンブルの海兵団で纏めて教育する事になっていた。

 ケンブル海兵団では各海兵団から列車に乗ってやってくる彼女たちを女子巡航と呼んでいた。

 彼女たちは男子と同じ教程を踏むが、ここでも体力に関する事で手加減は行われていた。

 海兵団での教育が終わると、彼女たちの半分が軍艦<ケンブル・ハウス>に配属された。残りの半分は軍務省海軍部で秘書官や、王国各地にある港務部での事務作業などに就いた。彼女らの中にも勇敢な者がおり、先の中原戦争では港務部に所属する交通船の船長ながら外洋に出て敵潜水艦を討ち取った女傑もいた。

 余談だが、海軍では「もっと給料の稼げる仕事」の斡旋も市井の女性に行っていた。各地にある水兵クラブや将校クラブにおいて受け付けており、性病を含む綿密な身体検査の末に採用される。こちらの「特別任務」の「接待役」と、一般の海兵団と間違えて応募する者もたまにいて、海兵団でもクラブでも誤解が無いように面接で確認している。もし間違いがあった場合は速やかに担当窓口を紹介するようになっている。

 ジム・ロビンソン退役軍艦旗准尉が女子部に慣れていたのは、女子教育課程が併設されているケンブル海兵団出身だからであった。

「<ブルーリーフ>に乗り込んだ女子部は、将校と水兵と合わせて40人ほどでしたね」

 懐かしむように目を細めて元准尉は教えてくれた。

「シャーロット殿下が軍艦乗り込みを希望ということでついてきた名家のお嬢さんが半分で、残り半分はそのお嬢さん方の出身各家の侍女ですよ。もちろん海兵団で訓練を受けていたので本職(プロフェッショナル)であることには変わりないですがね」

 記録ではベナコックス王立地方学校を卒業されたシャーロット殿下は、受験資格がうまれる17歳まではアトウッド王立女子学校へ進学された。17歳になった年の秋に受験されているので、そちらの学校は中退扱いという事になっている。その王立女子学校時代の殿下に共感された子女が王女親衛隊を名乗って<ブルーリーフ>までついて来たのだ。

 幸か不幸か<ブルーリーフ>乗り込み希望を表明した者たちのほとんどは、海軍で要職に就いている有力者の子女たちであった。身分の高い低いにかかわらず、娘らのわがままに父親たちは甘いのであった。

「彼女たちは王女親衛隊なんて名乗って士気は高かったですよ。でも、ほとんどのお嬢さんは半年で艦を降りていましたね。艦上生活はキツイものですから不思議では無かったです。彼女らにとって、まあ、ちょいと過激な花嫁修業だったわけですよ。でもそうやって『卒業』して行っても、別のお嬢さんが乗組んで来て、結局全体の人数に変わりはありませんでしたね」

「その王女親衛隊の業務内容はどうだったのでしょうか」

「まあ<ブルーリーフ>で舞踏会やら催しがあると、儀仗隊として主賓を出迎えるのが一番派手な仕事でしたね。礼装で身を固めて、そりゃあ立派なものでした。礼装の緒飾が他とは違って緋色でね。白い夏服でも紺色の冬服でもバッチリ決まって見えました。でも、そんな派手な事は滅多になくて、普段は先ほど述べた通り麻布(カンバス)で区切った生活空間の警備でしたね」

「それでは海兵隊扱いだったということですか?」

 艦内での警察活動は海兵隊の役割である。

「いえ。妙に思われるかもしれませんが砲術科扱いでしたね」

「砲術科?」

「ええ。後甲板がボールルームという話しはしましたが、そこに取り外し式の礼砲が4門ありましてね。その礼砲を担当する分隊が王女親衛隊だったわけです」

 軍艦<ブルーリーフ>に礼砲が装備されていたのはすでに知っていた。礼砲とは国際儀礼で放たれる空砲の事だ。儀礼ごとに発射回数や発射間隔が細かく決められていて、外国要人すら招かれる主力艦では、対空砲で代用される事が多かった。宮殿として利用される事が最初から分かっていた<ブルーリーフ>では、わざわざ専門の砲を装備したのだ。

 ちなみに陸上に建つ本物の宮殿では、古めかしい先込砲(カルネージ・キャノン)を庭園に配置している事が多いが、使い道は同じである。

「同期の砲術科のヤツなんかは『豆鉄砲』なんて言っていましたよ。たしか2ネイル(約50ミリメートル)の後装砲でした。もちろん自動給弾装置なんか無くて、全部手動ですよ。でも主砲みたいなデカ(ブツ)じゃないから女子部でも簡単に扱えていましたね」

 礼砲として採用されたのは2ネイル砲でもC8型と呼ばれる薬莢式の物だ。薬莢式とは小銃(ライフル)と同じく弾丸と火薬の詰まった薬莢が最初から繋がった形の物のことである。陸軍の戦車に採用されていた砲でもあった。

 礼砲としては空砲であるから弾薬の重さは3グナム(筆者注・メートル法の重さで約1・5キログラム。以下同じ)だったはずだ。

「シャーロット殿下と同じ歳のヘジルリッジ家のお嬢さんが長く分隊長を務めていましたね。他のお嬢さんが『卒業』していく中で残られて。男装の麗人といった人でね。私服も男物を選んでいるようなお嬢さんでしたね」

 名家ヘジルリッジ家は侯爵位を持つ古くからの家柄である。当時の当主であるオリバー・ヘジルリッジには4男4女の子息子女がおり、シャーロット殿下の同級生と言うと次女のイーディス・オリアナ・ヘジルリッジ嬢のことである。記録によればシャーロット殿下と同じくペナコックス王立地方学校からアトウッド王立女子学校へと進学し長く学友として交流されてきた。そして17歳になると王立女子学校を中退して兵学校に入学している。男子も含めた成績順位において10位以下になることはなく、優秀な生徒であったという。

「最初は海軍式の儀仗でしたが、段々と工夫されていましてね。ほとんどがそのお嬢さんが考えているようでした。前後二列になって、軍楽隊に合わせて見事に入れ替わったりしてね。ま、私らは遠くから眺めているだけでしたがね」



★特別な日のこと。


「そういうお客さまを招かれての会の時は、乗組員はどうしているのです?」

 普通の戦艦でも外交上、他国の要人などを招いての晩餐会があったと聞く。ましてや王女宮殿の代わりとされた<ブルーリーフ>ならば、そういった派手な催しは多かったはずだ。

「まず何月何日に誰それを主賓にした催しがあるという『お触れ』が副長から朝礼などで通達されるのです。まあ遅くても1週間前には予告がありましたね。そうしたら水兵たちは顔に出さないように努力しますが、心ではみんな渋い顔をしていましたね」

「それは何故?」

「戦艦の舷門というのは、大抵は前甲板にあるものでしょう。つまり主賓はそこから乗艦されるわけです。で<ブルーリーフ>は後甲板が『宮殿』扱いです。ということは、主賓は前甲板から乗艦して後甲板まで、艦の全部を歩くわけです。主賓の目に入る範囲はピカピカに掃除しておかなければなりませんから、つまり全艦が掃除の対象になるわけです」

「ああ。たしかに」

 普通の戦艦ならば前甲板で乗艦して、接待するのは司令部公室などだから、後甲板までは行かないものだ。まあ、たまに艦上の散策を希望される方がいて、そういう時は後甲板まで訪れる事もある。

「もうそうしたら毎日裸足で甲板磨きですよ。消防用の蛇管(ホース)から勢いよく水をぶちまけて、棕櫚(シュロ)の繊維を針金で丸めた奴を持って、足腰が立たなくなるまで磨き通しです。しかも夏ならまだ水あそびと思えなくもないですが、冬だと手も足も真っ赤になって辛かったですね」

「それは…」

 想像しただけで私もしかめ面になってしまった。

「前日には入浴命令が出されて、洗濯もさせられます。とにかくちょいとでも汚れた水兵が居ようものなら、運用員長からの呼び出しどころか副長のカミナリが落ちるわけです。まあ海軍の威信だけでなくシャーロット殿下の威信もかかっていますから、当たり前と言っては当たり前ですが」

「そこまでするのですか」

「まあ男所帯なもので艦内には独特の臭いがこもっています。それを不快に思う人は多いでしょう。それを少しでも和らげようと上も必死なわけです」

 地上の建物でもだらしない独身男性の部屋は独特の臭いがする物だから、これは簡単に想像がついた。

「あと艦を満艦飾に飾り立てるという仕事も大変でした。私たち航海科は倉庫に仕舞いこんでいる各国の国旗や信号旗を引っ張り出してきて、艦首旗竿から前檣、後檣と経由して艦尾旗竿に渡した特別な(ライン)にぶら下げなければなりません。しかも旗が汚れていたら慌てて洗濯しなければなりませんし、破れていたりしたら大騒ぎになります。その索に機関科と電気科で電球を下げて夜も派手に見えるようにするのですが、これがまた大変で。点灯試験をしてからぶら下げるのですが、今と違って(電球が)切れやすいですから上に飾った途端に1つ2つ切れていて、慌てて下ろしてやり直し、なんてことだらけでしたね」

 夜の満艦飾の綺麗さは実際に鑑賞したことがあるが、そんな苦労があるとは思わなかった。

「他にも航海科には仕事があって、艦の向きを直さなければならないのです」

「それはどうして?」

「岸壁に接岸する豪華客船と違って、戦艦というのは泊地にある浮標(ブイ)に係留しているわけです。艦首の導索器(フェアリーダー)を通して主錨から外した錨鎖で繋いでいるわけですが、普段は潮や風に流されるまま吹かれるまま、自由に向きが変わるままにしているのです。でもお客さんが来るとなると、そうはいきません。岸壁から艦までは交通船などで来るわけですが、その時に左舷を岸壁側に向けていると、お客さんは艦の周りを半周しなくちゃならなくなる。それは失礼ということで、お客さんが乗船する岸壁に対して右舷を向けなきゃならない」

 一般の方には何を言っているのか分からないと思うので補足する。軍艦では右舷側が上座という事になっているので、左舷側の舷門から主賓が乗船させる事は失礼にあたるのだ。

「では港務部の曳船(タグボート)か何かで?」

「いいえ」

 ニヤリと笑って元准尉は否定された。

「下手な運用員長が居る艦ではそうなりますな。でも、ま、そこが運用員長の腕の見せ所ってやつですよ。副長と運用員長、それと気象長あたりが相談して日付を決めましてね。ま運用員長が『そろそろですか』と言い出して副長と気象長が追認する感じですけどね。それで他の手を借りずに向きを変えてみせるのです」

「曳船なしに行うのですか?」

「まあ戦艦が浮標を取っている泊地となると、艦隊が入港していますから、他の艦も見ているわけですよ。そんな中でひょいと運用員長が艦橋に上がってきます。まず『機関始動5分前』とやって(機関の)蒸気(圧力)を上げます。頃合いを見て『第7分隊錨作業用意』の号令をかけて、第7分隊を錨甲板に集めます。で、後は『右舷最微速前進』だの『左舷最微速後進』だのの号令で推進器(スクリュー)を回したり、『面舵』『取舵』などと舵を切って、『巻き上げ機巻け』とか『巻き上げ機緩め』とかやっている内に、クルリと方向転換が終わっていたりするわけです。そうしたら『第9分隊錨作業はじめ』と号令をかけて、艦尾にある副錨を短艇(カッター)に載せて後ろへ引っ張って、副錨の錨鎖が適当な長さになったところに沈めるわけです。こうすれば艦首(オモテ)を浮標に繋がれて、艦尾(トモ)を副錨で固定されるわけですから艦の向きはもう変わりません」

「浮標に繋がれたまま前後進して大丈夫なのですか?」

「まあ少し余裕をもって繋いでいますから。運用員長が言うには『一本足の捕鯨船を母船に着けるよりは簡単』だったようですよ」

「一本足?」

「おそらく推進器の数の事だと思います。捕鯨船に限らず民間船は推進器が1つの事が多いですから。捕鯨船は荒れる南氷洋などで捕鯨母船と会同(ランデブー)しなければなりませんから、それに比べれば波も静かな泊地で向きを変えるなんていうのは稚児の遊びみたいなものだったのではないですかねえ」

「大変なのですねえ」

 腹の底から感心した声が出た。

「でも当日は逆にワクワクしましたね。朝から軍楽隊が行進曲(マーチ)やら円舞曲(ワルツ)なんかを練習していますから。村の収穫祭が始まるのを、首を長くして待っている子供のような気分でしたね」

 司令部の乗っている艦船には軍楽隊も乗り込むことになっている。<ブルーリーフ>は加えて宮殿扱いという事で軍楽隊が乗組んでいた。

「さらに御馳走やら飾り物やらを岸壁から運び込む作業がありましてね。下士官はそういった行き来をする艦載艇の指揮を執らなきゃなりません。もちろん普段の水兵服とは違って礼服ですよ。いつもは倉庫に仕舞ってあって、自分の分と割り当てられた礼服は前日までに洗濯を終えていないとなりません。そのまま午後には主賓が来艦されますから、のんびりとはしていられませんでしたね。もちろん艦載艇だって、当日までにピカピカに磨き上げておきます」

「つまり、どこを取っても完璧というやつですね」

「全くその通りです。で、気の早いお客さんだと昼には岸壁にやってきますから、晴れていても天幕(テント)を用意して、お茶などを出して待ってもらうわけです。その給仕は乗り込んでいる侍従や女官が担当してくれましたね」

「待ってください。天幕を張るのは?」

「それは私たちでした。まあ侍従の現場監督みたいな人とは艦内で知り合いになっておいて、横のつながりで阿吽の呼吸で補い合うわけですよ」

「苦労が多いのですね」

 素の私の感想に元准尉はしみじみと頷かれた。

「ええ、まったく。で、主賓が岸壁にやって来たらシャーロット殿下専用の艦載水雷艇でお出迎えするわけです。こちらの指揮は将校なので私ら水兵は気楽なものですよ」

「それはどんな階級のお客さんでもそうなのですか?」

「いいえ」

 あっさりと前言撤回して元准尉は指を折りながら数えるようにおっしゃった。

「まず王室関係が最上位ですから、そういったお客さんはシャーロット殿下専用の艦載水雷艇です。それに次いで総理大臣や最高裁判所長官、貴族院庶民院の議長など王国首脳部も同じ扱いです。これは外国の王さまや大統領などの首脳が来た時も同じですね。それから少し段階(グレード)が下がって、各名家の方々や各大臣、裁判官や議員、州知事などはシャーロット殿下専用の艦載水雷艇では無くて、将校が普段使う方の艦載水雷艇での迎えとなります。王室関係者でも『お忍び』という扱いだとこの段階になりますね。さらに下がって市議会議員や殿下の友人とかの水準(レベル)になると港務部の交通船だったりします。1番低いのは彼らの使用人ということになりますが、そういう人は水兵が漕ぐ短艇(カッター)に便乗します。一度、地元の幼稚園生をまとめて1組招待した時も、短艇に分けて運びましたね」

「細かく決まっているのですね」

「ええ、格式やら何やら面倒臭くても『伝統』ですから」

 そう言って元准尉は椅子に座ったままで胸を張ってみせた。

「で、舷門から前甲板を横断するように列を2つ作って来賓が上がって来られるのを待つわけです。オモテ側には艦首脳部が序列順に。トモ側には侍従と女官が、これまた序列順に。この列にも段階がありまして、1番上だと副長から准尉まで2列で並びます。侍従と女官も手の空いている者は全員ですね。この時、国王陛下と王妃殿下の時だけ赤い絨毯を敷きます。同じ段階でも他の方の時は敷きません。そこから少し下がった段階だと科長だけが並んで、侍従や女官の数も同じだけ減ります。さらに下だと科長1人にその部下の准尉や下士官数名と、侍従だけになります。1番下だと当番の科長だけですよ」

「では陛下が来艦なされた時は壮観だったでしょう」

「ええ。全員が礼装ですしね。で、侍従の後ろ側に軍楽隊が構えていましてね、やっぱり勇ましい行進曲(マーチ)とか演奏して場を盛り上げているのです。舷門番兵は、いつも下端(したっぱ)の海尉心得あたりがやらされるものですが、この時ばかりは海兵隊隊長がピカピカに磨いた小銃を小脇に抱えて直立不動ですよ。で、舷梯に艦載水雷艇が着いたら海兵隊隊長が、まず1回目の号笛を吹きます。すると軍楽隊は演奏をやめ、艦内はシーンとします。誰も声を出しちゃいけないのです。そりゃあ凄い緊張感ですよ。舷側に打ち付ける波の音だけになってね。1回、女官の1人が貧血で倒れて、慌てて人垣で隠して介抱していましたね」

「それは大変ですね」

「まあ、お家に仕えるのも軍務も大変という事ですね。で静寂の中に陛下が舷梯を上がって来る足音だけ聞こえてくるわけです。全員が注視している中、舷門に陛下が到着すると2回目の号笛が吹かれます。それに合わせて軍人は敬礼をバシッと決めて、侍従は右手を左胸に当てて頭を下げる最敬礼、女官たちは、ええと…」

 元准尉は困ったように微笑んだ。

「スカートの端をちょいと摘まんで…」

膝折礼(カテーシー)ですね」

「そう、それです」

 元准尉は指を鳴らしてみせた。

「最敬礼をしているところに陛下が甲板に踏み出して、その1歩が甲板に触れたと同時に、軍楽隊が国歌演奏を始めるわけです。これが外国の要人だった場合は、そちらの国歌を演奏するわけです。そんな厳かな中を陛下は栄誉礼のように列の間を歩いて左舷まで行き、突き当りで待っているシャーロット殿下が出迎えるわけです。父君にあたるエドマンド3世陛下は威厳たっぷりに『うむ、うむ』と頷きながら列の間を通られるのですが、あれだと敬礼を崩せなくてね。だからいつまでも将校たちは敬礼を続けていましてね。その点、シャーロット殿下の弟君に当たるオーガスト4世陛下は1人1人に対して答礼なさっていましたね。どちらにしても艦橋配置の私は敬礼し続けなければなりませんが」

「艦橋から敬礼をするのですか?」

「ええ。見張り任務は停泊中でも続けないといけませんから。左舷の連中は見張盤(みはりばん)に取りついて任務を続行しているので敬礼の必要はありませんが、右舷はそうはいきません。号笛が鳴ったらこうピシリと敬礼するわけです」

 元准尉は座ったままで右手を挙げて敬礼をしてみせた。

「右舷は任務を続けなくていいのですか?」

「まあ艦載水雷艇が近づいて来るのを全艦で注視しているようなものですからね。反対に左舷は緊張しますよ。右舷が岸壁を向いているという事は、左舷は沖を向いているのですから。破壊工作など企む暴漢(テロリスト)が乗り込んだ船がやって来るかもしれませんから」

「たしかに」

「国王陛下がご来艦の時にそんな事態に陥ったことはありませんが、たしかイスパニア王国のボーレイ3世陛下をシャーロット殿下が招いた時に、予定外の漁船が接近してきて警戒態勢を取ったことがあります。あの頃のイスパニア王国は内戦状態だったので、革命派と呼ばれる連中が破壊活動に出る可能性があったわけです。その漁船は港務部の方で哨戒任務に就けていた交通船で止めて臨検しましたよ。案の定、革命派が乗っていましてね。内戦を批難する横断幕で煽動演説(アジテーション)をしようとしていたみたいです。その中の1人が拳銃を所持していたとして、全員が逮捕されましたね」

 これは公式の記録に見当たらない話であった。後日、港務部警務隊の記録に似たような記述を発見して、私は唸り声を上げる事となる。

「もちろん軍楽隊がつくのは陛下など段階の1番高い時だけです。シャーロット殿下が出迎えた後は、談笑しながら第1砲塔と第2砲塔の間を抜けて、右舷にある第1昇降口でまずシャーロット殿下の公室へと下りられます。その時、裏方は大変ですよ。軍楽隊は急いで後甲板へ移動しなければならないし、艦首脳部も急いで他の昇降口から回り込んで殿下公室に行かなければなりませんから。シャーロット殿下がうまく話しを伸ばして最上甲板に留めるのがキモでしたね」

「そんな苦労もあったのですか」

「で昇降口に背姿が消えたと確認して、水兵たちはやっと敬礼を解いていいのです」

「それでは将校たちは殿下の話しが長ければ長いほど良くて…」

「水兵たちは『とっとと昇降口から降りてくれ』と念じているわけです」

 不敬にあたるセリフを口にしながら元准尉は、自分の唇に人差し指を当てて目配せ(ウインク)をした。

「まあ、それからシャーロット殿下の案内で後甲板へと移動して王女親衛隊の閲兵式です。軍楽隊も勇ましい行進曲なんかで手伝って、傍から見ていると見事な物でした。その後、下の甲板で晩餐会を開くのですが、私ら水兵には関係ありません。普通に当直に就いて周囲を警戒するだけですから。海の上ですから先ほど話した通り不審船だけ気を付けていればいいので、そんなに緊張する事は無かったですね。晩餐会の方は聞こえてくる軍楽隊の演奏している曲でだいたい進捗具合が分かりました」

「そういう時の乗組員の食事は?」

「いつもと同じですよ。『味は中の上。量はたっぷり』ってヤツです。しかも1週間前から禁酒を言い渡されていますから、みんな機嫌は悪かったですね」

「ああ、そうなのですか」

 てっきり乗組員の食事も晩餐会にあわせた豪華な物になっていると思っていた私は拍子抜けした。

「やっぱり酒が入るとケンカが増えますからね」と元准尉は笑ってみせた。

「で、演奏が終わって昇降口から軍楽隊が後甲板に上がって来ると『舞踏会』の始まりですよ」

「そういう時の他のお客さまはいつ乗船されるのですか?」

「そうですね。陛下をお迎えしての舞踏会だと、総理大臣などは陛下と同じ便で乗船されます。各名家の方々は先ほど話した通り、艦載水雷艇で来艦されるのですが、出迎えを受けるのは男性だけでした」

「それはなぜです?」

 変なところに男尊女卑の文化があると思って私は眉を顰めた。

「いやいや変な意味ではないのですよ。ご婦人(レディ)方は着飾ってらっしゃるでしょう。そうすると舷梯を上るのが大変なわけで」

「は?」

 いくら軍艦とは言え<ブルーリーフ>は戦艦であるから、その舷梯の幅などの作りはしっかりした物だったはずだ。これが駆逐艦となると肥満体形の者だと縦を横にしないと通れなくなるほどの狭さであった。

「ああ、説明が必要ですね。ほら<ブルーリーフ>は最初に巡洋戦艦として建造されたでしょう」

「ええ」

 周知の事実に私の相槌も訝かし気な物になっていた。

「それを条約の通りに練習戦艦へ改装するので、舷側装甲と第4砲塔を陸揚げしたわけです」

「はあ」

「後は理科の実験と同じです。荷物を積んだ船の船足(喫水)は深く、空荷の船は船足が浅くなる。つまり<ブルーリーフ>も元の重さから巡洋艦1隻分も軽くなったので、船足が浅くなってしまったわけですよ。艦全体が浮き上がったということは、海面から最上甲板までの高さが大きくなったわけです。その分、お洒落な衣装(ドレス)で舷梯を上がるのが大変になったわけです。舷梯も1段では足りなくて2つ繋いでいました」

「それでは女性はどうやって来艦されたのです?」

「主賓として招かれた方は、盛装(ドレス)姿では無くて乗馬服などで来られて舷門で出迎えを受けた後に、シャーロット殿下の部屋で着替えられたようですよ。他の方々は舷門を使わずに乗艦されました」

「舷門を使わずに?」

 私は首を捻ってしまった。戦艦をはじめとする軍艦に裏口があったなど初めて聞いたからだ。

「他の軍艦では防御力の関係で廃止されていましたがね。<ブルーリーフ>にはスターン・ウォークという設備が残されていたのです。こいつは建物で言うところのベランダみたいな物です。艦尾の先を囲むように半円形をしていました。帆船時代の艦長室が艦尾にあった名残ですよ。<ブルーリーフ>は後甲板の上甲板が大広間(ホール)となっていましたから、そこで開かれる晩餐会にてお酒を過ぎた方が、酔い覚ましに風へ当たれるように残されていたわけです」

 その設備は当時の写真などに残されていたので私も知っていた。他の戦艦も改装前までは残されており、一種の象徴のような物であった。<ブルーリーフ>のスターン・ウォークは、王女宮殿とされるときに意匠が凝らされた手摺へと交換されていた。

「こいつは大広間と同じ上甲板の高さについていたわけです。で、手摺がうまく外せるようになっていましてね。そこへ予備の舷梯を取り付けてやると、舷門より一段低い出入口として使えたわけです。そこならば普通の客船ぐらいの高さですから、盛装姿のご婦人方も難なくご利用できるという寸法でした」

 そんな裏口が存在するなんていう話しは初めてであった。が、記録写真で晩餐会当日に交通船などが艦尾に集まっている様子を写した物があったことを思い出した。それまでは近くにある係船桁(けいせんこう)へ係留するために集まっているものばかりと思っていたが、こんな事情があったとは。やはり現場の話しを聞く価値はあるようだ。

「後甲板の最上甲板は舞踏会場だったわけです。舞踏会が始まると華やかでしたね。軍楽隊が第4砲塔を外した後に残った砲台基部部分を舞台にして円舞曲を演奏して、着飾ったご婦人方と礼装の紳士が同時にクルリと回ったりしてね。舷側には長椅子が並べられていて、踊り疲れた方や、特定の相手がいない方々が腰かけていてね。相手が見つからない方には王女親衛隊のお嬢さん方が相手なさっていましたね」

「相手?」

 話し相手ならば、ご婦人方には不自由が無いはずだ。必ずお付きの者(シャペロン)が居るはずだからである。

「まだ独身の方だと、陛下が臨席される舞踏会でうかつに男性と踊ることはできません。そういう関係だという目で見られるようになりますから。しかし女性ながら海軍の礼装をしている王女親衛隊ならば後になって醜聞(スキャンダル)になりにくいという寸法です。ほら海軍の礼装で、スカートを採用されたのは戦後の事ですから」

 現在の王国海軍では礼装には3種類ある。夏用と冬用、そして膝丈のスカートを採用した女性用の物だ。この内、襟のあわせも逆になっている女性用礼装は戦後に制定された。それまではどうしていたかと言うと、女性でも男性と全く同じ物を着用していた。

「では女性ながら男性役(リード)を踊れたという事ですか」

 私の質問に元准尉はキョトンとされた。

「確かに。そういうことになりますね。いやあ、言われてみればそういうことになりますね。今まで思いつきもしませんでした」

 面目ないとばかりに元准尉は頭を掻かれた。

「まあ王女親衛隊のお嬢さんも婚約者がおられる方がいて、そういう機会に再会したりすると、礼装のままで女性役(フォロアー)を務められていましたね。まあ大体、そういうお嬢さんは次の月には艦を降りられるわけですが」

「逆に出会いの場だったりもしたはずですが」

「まあ、そういう話しもあったのでしょう。私は艦橋任務がありましたから遠くから見ているだけでしたが、艦載艇担当の下士官は自艇をスターン・ウォークのところに遊弋しておくのです。岸壁に送って欲しいと希望の方が合図をされると、先ほどの裏口から載せるのです。もちろんダレとダレが同乗したとかは緘口令(かんこうれい)が敷かれましたがね、それとなく噂になっていました」

「まあ浮世を流している独身貴族の方もいらっしゃいますしね」

「で、後ろでブンチャカやっている間は、私は艦橋で見張り任務なわけです」

「派手で羨ましいとか、逆に妬ましいとか思った事はありますか?」

「そういう感情が無かったと言えばウソになりますが、任務がありましたからね。先ほどの不審船みたいな例がありますから。要人が来艦中に何かあったら申し訳ありませんもの。私は艦橋右舷後方の対空見張盤担当でしたから、夜になるとチラチラとした舞踏会の明かりが見張りの邪魔でね。あれは後檣に装備された探照灯で照らしていたのでしょうね。それぐらいですよ」

「聞こえてくる音楽を楽しむなどは?」

「楽しむどころじゃありませんよ。集中していますからほとんど耳に入りませんしね。それでも道化師の吹く喇叭(ラッパ)の音を耳にするとホッと一息出たものです」

 さすがに上流階級のお約束事で一般的ではない話なので解説する。

 舞踏会の終わりを告げるのは、各家で雇われている道化師の役割なのだ。舞踏会に疲れた主賓が「(アルコールなどの)辛い物ばかり口にしたので甘い物が欲しいな」といった事を口にするのが終わりの切掛けとなる。

 まあたまに主催者側が「甘い物でもいかがですか」と水を向ける場合もある。

 すると大きな袋を担いだ道化師が舞踏会会場に現れて角笛(オリファント)を吹いて場の注目を集めます。そして「甘い物が欲しければ持っていけ」と言いながら袋に入れたアメを撒きながら会場を縦断し、主賓の前まで行くのです。

「でも<ブルーリーフ>の舞踏会会場は後甲板でしょ。主賓は前の方に座っていらっしゃることが多いから、道化師は艦尾旗竿まで行って、そこに触れてから主賓の前まで戻っていましたね」

 普通の宮殿には無い苦労があったようだ。主賓の前まで行った道化師は、侍従たちに場を乱した無礼者として逮捕されます。舞踏会に参加していた者たちも、道化師が走り抜ける間に、男性は腰に吊った佩剣(サーベル)の柄などで、女性は手にした扇子で道化師を叩きます。そうして犯罪者として捕まった道化師は主賓に慈悲を請います。主賓は「今宵はまことに楽しい宴であった。ゆえにこの者の無礼を許そう」と恩赦を与えたところで舞踏会は幕引きと言う事になるのです。

 他国からのお客様の場合は、お付きの方にこの手順を前もって伝えておいて、うまくできるように段取りをしておきます。が、たまに酔いで手順を間違える方もいます。主賓の恩赦が出なかった場合は、主催者が「この者の首を落としましょう。しかし楽しかった宴の終わりに血を流すのは縁起が悪い。明日に刑を執行するので、この者を閉じ込めておけ」と取りなします。こうして道化師が侍従たちに引っ立てられて舞踏会は終わるのです。

「でも、いくら<ブルーリーフ>が宮殿戦艦だとはいえ、道化師を雇っておくわけにはいかないでしょう。だから一番若い侍従がイヤイヤやらされていましたね」

「イヤイヤですか」

「鞘や扇子だとはいえ、酔っぱらっている方が多いですからね。手加減が出来なかったりします。一度便所で泣いているので(叩かれた部位を)見せてもらいましたが、全身が痣だらけになっていましたね」

「そういう衣装も積み込んでいた、ということですか」

「ええそうです。でも暗くなった水兵用の便所でイヤイヤ着替えているのに同情しましてね。中甲板…、大広間のさらに1つ下の甲板にある倉庫の1つを片付けましてね。道化師役の更衣室として利用できるようにしてあげました」

「それは、そういう催しがある時だけですか?」

「最初はそうでした。その内、侍従の下端たちの休憩所みたいな物になっていましたね、本当はいけないのですが。偉い人たちも薄々気が付いていたようでしたが、知らん振りでした。ほら、そういう肩の力を抜ける場所が無いと息が詰まってしまいますから。私たち水兵たちも見逃してあげてね。でも火事だけは勘弁なので、煙草は吸わないでくれと約束してね」

「主賓のお見送りは、やはり派手なのですか?」

「いえ、そうでも無かったです。まあ暗くなっていますから。ああ違います」

 慌てて頭を振った元准尉はニヤリと苦笑のような表情をされた。

「父王であらせられるエドマンド3世陛下は貫禄がありましたから0000時(海軍で言う真夜中の12時)ぐらいまで舞踏会を楽しんでいらっしゃりましたね。反対に弟王であらせられるオーガスト4世陛下は若かったですから晩餐会が終わって1時間もするとお開きになさっていましたね」

 オーガスト4世陛下はまだ地方学校に通うような年齢で即位されたので夜に弱かったと察せられた。

「侍従と女官は舞踏会会場にお客さんが残っているので、1番偉い男性と女性と2人だけが見送りです。逆に艦首脳部は舞踏会に参加していますから、大慌てで回り込んで舷門の所に並びます。で、列の端でシャーロット殿下が見送られるのです。舷門に大慌てで海兵隊隊長が立ちましてね、号笛を吹くと全員で見送りの敬礼です。その中を主賓が歩いて舷門から下につけた艦載艇に移ったところで2回目の号笛が吹かれて、それでおしまいです」

「その時は、やはり艦橋で敬礼されるのですか?」

「私ですか? 当直が当たっていればそうなりますね。で、敬礼の腕をおろしてヤレヤレというわけです」

「疲れる物でしたか?」

「それはもう」

「ではシャーロット殿下が舞踏会を催されると言う事は、乗組員にとって迷惑だけで良い事は1つも無いということですか」

「いえ、そうでも無かったですよ。まあ余り物なのでしょうが、翌日の昼にイイ物が食卓に並びますから。さすがに直してありましたがね。晩餐会の料理長もわざと余分に作ってくれていたみたいで、下端の分が足りないなんて言う事は無かったですね。あれは私らへお裾分けという意味だったのでしょう。酒類も翌日だけはワインが出ましたしね」



★殿下のこと。


「そういう催しの時は、シャーロット殿下の(よそお)いは夜会服(ドレス)ですか?」

「いえいえ。海軍軍人ですから公式な場ということで(海軍軍服の)礼服でいらっしゃりました。ただ、一度だけ…」

 元准尉は言葉を濁すと再び手帳の山を探って、何やらチラッと確認した。

「おそらく陛下…、エドマンド3世陛下が最後に来艦された時だったと覚えていますが。燃えるような真っ赤な夜会服を着た髪の長い美人が舞踏会会場に現れましてね。どこのご令嬢だろうと、見かけた水兵たちは囁き合っていました。その淑女は陛下と踊っていらしてね。優雅なお姿でした。で、陛下が退艦される時に、いつもならシャーロット殿下がお見送りのために立つ位置へ、その美人が立ちましてね。まあシャーロット殿下ご自身だったというタネ明かしなのですが。あれが最初で最後でしたね、シャーロット殿下の夜会服姿」

 その艶姿(あですがた)を思い出しているのか元准尉は遠い目をした。ちなみにシャーロット殿下の淑女としての名誉のために書き記すが、王宮での舞踏会などに王女として参加される際には夜会服で参加なされていた。

「実際、シャーロット殿下に出会われた時はどうでした?」

 いくら侍従や女官がいるとしても、男所帯の中にうら若き王女ということには変わりない。水兵から見たシャーロット殿下像というものは前から訊きたかったところである。

「最初に会ったのは、私が配属されてから1ヶ月も経っていませんでした。王女宮殿の代わりですから、兵学校が休みの日には帰って来る先ですからね。学生に決められた軍装をしていらっしゃいました。コッチはもう戦闘態勢ですよ。『私たち水兵に生意気を言ったら手が出るかもしれない』なんて内々で強がってね。私も若かったですから普段から『女なんて2、3発の張り手で言う事を聞く』なんて言っていましたから」

「それは…。最近ではそういかないようで」

 女性の権利が叫ばれる昨今の情勢に言葉を濁していると。

「最近では無くてもそう行きません」

 肩を竦めた元准尉は、お茶のお代わりを持っていらした奥方と目線を交わされていた。いやはやドコのご家庭も山の神には敵わないようである。

 仕切り直しとばかりにお茶で口を湿らせた元准尉は身を乗り出された。

「最初にシャーロット殿下に会った時の感想はですね。『恐い』でしたね」

「こわい?」

「情けないことに恐怖を感じましたね。おかしいでしょう? こちらが2つ歳上で、艦隊任務で鍛えられてムキムキ。向こうはうら若くて細い女学生なのに、怖かったのですよ。あれが『王家の威厳』というヤツですかねえ」

「王家の威厳ですか」

 私自身は参上の栄誉にかなったことはなかったので、今一番理解できなかったが、実際に王家の方々と会うというのは特別な事なのだろう。

「見た目は港町ですれ違うような普通の娘っこなのですよ。身長だって女性の中で普通ぐらいだったので、私より頭1つ低かったし。胴回りだって(女性として)普通でした。髪の毛は全部纏めて制帽に収めていらして。あれだけ長い髪が魔法のように収まるのですから不思議でしたね。艦隊勤務ですから化粧気(けしょうっけ)はあまり無くて、男の子に見えることもありましたね」

「まあ軍装は男女共通でしたしね」

「実際に殴り合えば負けないはずなのに、それなのに『勝てない』と感じさせる何かをお持ちで。他の言葉ではなんと言うのでしょうねえ」

 相談のように訊ねられたが、私だってそんなに語彙が豊富なわけでもない。「さあ」と言って取りつく他に島はなかった。

「シャーロット殿下は、翌年(聖歴2159年)春に20歳になられたわけで。<ブルーリーフ>にて成年式を執り行って、国内外にお披露目されました」

「その時もやはり?」

「ええ。いつもよりも派手に人が集まって、対空砲の星弾(スターシェル)を打ち上げ花火の代わりに撃って賑やかでしたね」

 星弾というのは夜間の海戦において敵が見えない真っ暗闇でも困らないように照らし出すために撃つ弾である。撃つと、それこそ花火のように辺りを照らし出すが、その時間は非常に短い物だ。陸軍が夜間戦闘で撃ち上げる照明弾は、星弾の効果を長くもたせるために上空で開く落下傘をつけた物で、基本は同じである。

 王国の貴族は20歳で成人という事で、正式に大人の仲間入りと見なされる。国会の貴族院の議員名簿にも記載される。シャーロット殿下も、もちろん貴族院議員となられた。

「それから大騒ぎになって」

 当時を思い出しているのか、元准尉は天井を見上げられた。

「若い陸(軍)さんがお酒を過ぎたのか、大声を上げて騒ぎ始めてね。舞踏会会場での事件は、本来ならば女子部が担当するはずなのに、その迫力に敵わなくてね。海兵隊の兄ちゃんたちに取り押さえられていました」

「その陸軍軍人というのは…」

「ええ、そうです。いまのティークル・ウォーフィールド元帥閣下ですよ。当時はまだお家を継いでおらず、陸軍少尉でしたね。まあ後で知ったのですが、浴びるように飲む理由は、同情できますね」

 ティークル・ウォーフィールド陸軍元帥は現ブレッキングレッジ公爵家の当主である。シャーロット殿下とは3歳違いであり、生まれた時からの婚約者(候補)であった。しかしシャーロット殿下は成年式当日に婚約の解消を宣言した。つまりウォーフィールド青年はこの時に「振られた」のであった。正式な婚約は成年式後に行われるため非公式の間柄であったが、幼馴染の女性に捨てられた形となった彼の心境は想像に難くない。

「まあ同僚の陸(軍)さんたちに両腕を取られて、(さら)われるようにスターン・ウォークへ連れて行かれましたね。岸壁でも一悶着あったようですけど、まあ退艦されたら私らの責任の範疇外ですから」

 シャーロット殿下はその夏にペニントン王立兵学校を首席で卒業して、夏季休暇に入られた。

「夏季休暇の間に王室の別荘に出かけられて、私らは暇になりました。<ブルーリーフ>も船渠(ドック)入りしましてね」

「ちょっと待ってください。次の改装はもっと先の話のはずですが?」

「そんな改装なんていう話しではないです。艦船というのは海に浮いていると艦底に牡蠣などが蔓延(はびこ)りましてね。コレを放っておくと水の抵抗が増えて速度は出ないし、燃費も悪くなる。だから1年に1回は船渠に入れて掃除をしなければならないのです」

「あーあー」

 船渠入りと聞いて改装に頭が行ってしまったが、たしかに船の手入れが必要な事は知識としては知っていた。



★半舷上陸のこと。


「艦が船渠(ドック)入りするのは、水兵は大歓迎ですよ。のんびりできますから」

「全員がお休みということですか?」

「いえ、軍艦に休みは無いのです。そういう時も半舷上陸なのですよ」

 軍艦では全乗組員を右舷と左舷の2つに分ける。休む時は、この半分ずつで交互に休むようにして戦闘力を失う事の無いようにするのだ。

「工廠の横に乗組員用の宿舎がありましてね。艦が船渠入りしている間は、そこで乗組員は寝起きするわけです。で、半分は夏季休暇と言う事で2週間のお休みですよ。若いのを除いて大体は自分の故郷へ顔を出しに行きますね。で、帰って来たら交代して残りがお休みを頂くわけです」

 ちなみに<ブルーリーフ>は宮殿戦艦という事で優遇されて夏季に船渠入りをしていた。艦によっては、この定期的な整備が冬になる事もあった。

「船渠に居る間は何をしているのです?」

「残された連中は遊んでいるわけではありません。アチコチの整備やら何やら忙しいものですよ。それでも艦隊勤務よりは気楽ですね。まるで会社勤めのように朝から夕まで働いて、晩飯食って寝る毎日ですよ」

「もう少し詳しくお願いします」

「陸(軍)さんと同じように6時の起床喇叭(ラッパ)で叩き起こされましてね。7時には食堂に集合して飯をかき込みます。私ら下士官と、水兵とは別の食堂でした。将校はさらに別に食堂がありました。それで8時には朝の点呼を宿舎の前に整列して受けてですね、まるで海兵団のように、そのままで整備中の艦の舷門へ向けて行進しましてね、配置に就くわけです。もし一朝事あれば、半分の人員で沖出し(筆者注:ドックから出す事)する覚悟はありましたが、そんな事態になることは滅多にありません。で、まあ調子が悪かった設備などを工廠の工員さんと一緒に手直しするわけです。そうやって艦の状態をより最良に近づけていくわけです」

「自分で直すのですか?」

 意外に思えて確認すると元准尉は「そうです」と首肯された。

「やっぱり使っている自分たちが一番分かっていますから工員さんに任せっぱなしなんていうことはありませんでしたね。これは航海科だけでなく、機関科から砲術科まで全ての配置でそうでしたね。やはり命をかけるのは自分たち乗組員ですから。手を抜くと自分自身に返って来ることになります」

「そういう時の将校は何を?」

「同じですよ」

 何を言い出すのだろうと不思議そうな顔で訊き返されてしまった。

「まあ副長とか航海長とか将校の中でも別格扱いされている7人は宿舎では無くて自宅から通勤されたりしますけどね」

「別格扱い?」

 これまた聞き慣れない事に私は眉を顰めてしまった。

「軍艦は全ての乗組員を右舷と左舷に分けますが、艦長、副長、主計長、航海長、内務長、機関長、運用員長の7人はその中には含まれないのです。水兵たちは『怠け者たち(レイジーズ)』なんて呼んでいましたね。この7人は艦が沖に出ていても、朝から夕までしか働きません。もちろん何か事が起きれば別ですけどね」

 さすがに艦首脳部が右舷や左舷に含まれないことは知ってはいたが、実際にどの役職の者がそれにあたるのか私は知らなかった。

「将校も一緒になって設備の手直しですよ。通信科なんかは真空管の交換が忙しくて、将校を含めても人手が足りなくて、航海科から応援の人員を出したりしました」

「ええと王女親衛隊の方々は?」

「彼女たちも同じですよ。いちおう礼砲の担当なので、駐退器の作動油の交換とか、内筒の交換とか、工員さんと一緒に直していましたね。あと2ネイル砲の弾薬庫の整理など、やることはありましたから。さすがに男女が混じって働くことになるので、副長か航海長が間に入って、余分な事態にならないように配慮していましたね」

「他の侍従や女官は?」

「そちらは完全にお休みですよ。一部のお付きの方は王室別荘までついて行ったようですが、下端の侍従や女官は里帰りですよ。早めに戻って来られた人は宿舎の予備室を使っていました。あ、女子部にはちゃんと別棟の宿舎がありましたから、不便は無かったはずです」

「女子部のみなさんはシャーロット殿下が乗組まれる前からいたのですか?」

 勘定が合わないような気がして私は再度確認した。

「ええ、いましたよ。詳しくは知りませんが、たぶんシャーロット殿下の王立女子学校で1年先輩にあたる方々だったのでは? どちらにせよ半年程度で艦を降りられるので、覚えていられませんでしたよ」

「休暇で故郷に帰られると、やはり人気者ですか?」

「いまはどうだか知りませんがね」と前置きをした元准尉は、(やに)下がった顔で話してくださった。

「私が水兵や水兵長の頃は帰らずに、港の水兵クラブに入り浸って酒を呑む毎日でしたね。たまに巡業団(サーカス)だの映画だの観に行って。なにせ帰っても何も無い田舎の村ですから、王都みたいな娯楽が無い」

 分かるでしょうとばかりに肩を竦められたが、ケンブル育ちの私にはいまいち理解できなかった。

「<ブルーリーフ>の母港はケンブルということになっていましたから、船渠入りも大抵ケンブルで行いましたから帰るのには不自由は無かったですね。たまに『外れ』の時はカークウォールで船渠入りなんていうこともありました。なにせ艦隊集結地ですから即応態勢の時はそうなります。すると故郷からは遠いわ、町と言っても小さな軍事都市ですから娯楽は少ないわ、で水兵たちからは不評でしたね」

「さすがにカークウォールから里帰りと言う事は無かったですか」

「下士官ぐらいになると里心がつきましてね。まあ嫁さんを(めと)る奴も出てきますから。ちょっと遠くても無理してお袋の所へ顔を出しに帰りましたねぇ。まあ長ければ長いで道中に色々な事があって、それも楽しめる物ですが」

「そんな物ですか」

「そういえば」

 何かを思い出した元准尉は何冊かの手帳を確認すると大きく頷いて話してくださった。

「ある年、カークウォールでの半舷上陸も一通り終わった頃です。船渠からの沖出しも終わって浮標を取った翌日ですか。昼飯を食べていると通信科の水兵が私らのところへ駆けてきましてね。顔色も変わっているわけですよ。『これは何かあったな』と思っていると、私へ黄色い紙を差し出すのです。通信紙ですよ」

「町で言う電報ですか?」

「そうです。軍艦宛の電報は通信扱いで届けられます。で、内容は『父、危篤、直グ帰レ』とある。でも私の親父はもうその頃には墓の下でね、おかしいなあと思ったわけですよ。だいたい水兵宛の電報は港務部の通信所で止められる物なのです。そこから朝夕のどちらかの便で纏めて配達されるまでは、どんなに急いでいても通信所に置かれる物なのです。で、よく宛先を見たら私の派閥(ギャング)の一番若い水兵宛でした。こういう電報は、まず上官の検閲を受ける決まりですから、通信科員は私に渡したということなのですね。で、まあ内容が内容なので、すぐに下士官食堂にそいつを呼びつけて手渡してやりました」

「電報を読んで、その水兵はどうしましたか?」

「もう顔面が真っ白になってね。気の毒なぐらいで。この水兵は私の故郷とは州境を挟むが近い村の出身で、海軍に入る前は一緒になってアチコチ殴り込みに行っていた仲でした。そんなヤツですから弟みたいなものでした」

「殴り込みって…」

「まあ大人しい連中なんて海軍にはいませんでしたから。でも電報が来た時期(タイミング)は最悪でした。慌てて帰ろうにも半舷上陸の後では、私ら水兵は素寒貧(スカンピン)なわけですよ。独身の者はさんざん港で散財(のむうつかう)した後ですし、所帯持ちは母ちゃんに仕送りをした後ですから。そいつだって前日まで闘鶏場に入り浸っていたのですから、帰りの汽車賃なんてありません。でも水兵たちには横の繋がりがあるから、ホコリしか入っていないような財布を逆さまにして小銭を集めてね。汽車賃ぐらいは出そうとしたのですけど、やっぱりみんなの財布には金が無くて」

「それじゃあ…」

「運用員長へ頭を下げに行く覚悟を私が決めた頃に、艦内伝令が飛んできましてね。私とその水兵を当直長がお呼びだというのです。将校に名指しで呼び出されたらグズグズしていられません。汽車賃の事は横に置いて、2人で艦橋の舷梯(ラッタル)を駆けあがりました」

「私情よりも公務が優先と言う事ですね」

「そうです。すると、当直には航海長が立っていましてね。私らの大親分なわけですよ。私らを見ると『来たか』と微笑みましてね。こちとら涙が吹き飛ぶような事件の真最中なのに笑っているので『コイツ殴ってやろうか』なんて思ってね」

「まさか上官を殴るなんていう事はありませんよね?」

「私は真面目な下士官でしたから」

 そう言って微笑まれた元准尉の顔をまじまじと見返してしまった。

「すると掌当直長に(筆者注:将校と同時に当直に立つ下士官)『しばらく任せる』と言って、私らを階下の士官休憩室へ連れ込むのですよ。中には誰もいません。そこは艦橋詰めの将校が休む部屋で、港に居る時は利用する者がいないからです。で、まあ、航海長に上がるような人は、私ら水兵の懐事情なんて(たなごころ)以上に見通しているわけですよ。『悪いが電報は見させてもらったが、帰りの汽車賃はあるのか』と訊かれたので『昨日の軍鶏(シャモ)野郎が勝っていれば、土産も持たせて帰せたのですがね。今では勝ったヤツの餌代でさあ』と言ってやりましたよ。航海長は笑っていましたね。『幸い私の賭けた軍鶏は勝ったようだ』とか言って汽車賃を用立ててくれる話になりましてね」

「へえ。それは良い話ですね」

 私が感心して目を丸くしていると、ちょっと顔を曇らせて元准尉は話を続けてくださった。

「でも当の本人が急に声を上げましてね。『航海長のご配慮は有難く思います。しかし私たち水兵には水兵なりの矜持(きょうじ)という物があります。施しは受けられません』なんて言うのですよ」

「おとなしく黙って受け取れないと」

「ええ。若くてもいっぱしの海軍軍人ですからね。私は口には出しませんでしたが『よく言った』と誇りに思いましたね」

「では…」

「まあまあ」

 早とちりをした私を宥めるように元准尉は手を挙げられた。

「航海長も分かっていらっしゃって『誰がタダで渡すと言ったね? これは貸しだよ』とニッコリと受け流されましたね。『毎月4シリンダずつ満額になるまで返してくれないと、今度は私が家に帰れなくなってしまう』とね」

 航海長の口真似なのか、ちょっとお道化たように首を竦めてみせた。

「若い奴がどれだけ給料を貰っているかなんて主計長に聞かなくても分かっていらっしゃるのです。そいつもしばらく考えていましたね。当時4シリンダならタバコを我慢して、酒を半分にすれば、安い水兵の給料でも賄える額なのですよ。でも本当なら(計算すれば分かると思いますが)そんな返済額じゃ割に合わないはずです。利息も入っていませんでしたし。でも部下が変な高利貸しに引っかかるよりはマシだと考えたのでしょう。その後、最敬礼に頭を下げて『それでお願いします』と不敬を謝ったところで話がまとまりましたね」

「では、その水兵は…」

「とりあえず荷物を纏めて来いと送りだしたら、廊室の(筆者注:艦船の通路の名称)ところに運用員長が居ましたねぇ。さすがですよ。艦で起きている事は何でも分かっていらっしゃる。もし航海長が金を融通してくれなかったり、下手に私らが断ったりした時に、首を突っ込んでくれるつもりだったのでしょうねえ」

「でも金の工面ができたところで、そう簡単に艦を降りる事なんてできないのでは?」

 私の当然の質問に、元准尉は遠い目をして答えてくださった。

「本当ならば最初の電報ですら異常なのです。まあ戦前のノンビリした時代でしたし、まだ人情がそこかしこに転がっている時代でしたから、港務部の通信長が計らってくれたのでしょうね」

 お茶で唇を湿らせてから言葉を続けられた。

「乗組員の休暇などは副長の権限です。艦が港に居る間は、副長はいつも主計科事務室にいらっしゃるから、私は直行しましてね。そいつの休暇手続きを取りに行ったわけです。でも半舷上陸直後の休暇なんて、本来ならば取れるわけがありません。しかも副長は、ほら『厳しい』方でしたから言い訳をどうするか考えてね。最悪、そいつが赤痢(セキリ)にでもなったとかホラを吹こうかとか、色々とね」

 言うまでもない事だが、集団生活である軍艦内部で伝染病が発生したならば大事である。

「すると副長もすでに耳に入れておられてね。書式の全てを揃えて待っておられた。航海長に言い負かされたのか、不機嫌そうにしていましたね。こう歳を取ってから振り返ると、あれは副長の照れ隠しだったのではないのですかね。その書類に代筆という形で私が手続きを済ませると(筆者注:戦前は文盲の者も多かったため代筆が許されたものと思われる)今度は『この後、本部埠頭に便あり』という艦内放送が流れたのです」

「艦内放送ですか」

「海兵団の教室と同じような物が、要所要所に備え付けてありました。カークウォールの本部埠頭は、今では場所が変わってしまいましたが、当時は港務部の本部が入っている建物に一番近い岸壁でね。将校が色々な書類を提出しに行く時に艦載艇がそこの岸壁へ着けるのです。そしてもっと重要な事に駅にも近くてね。で、水兵でもそういう臨時便なら便乗しても良いのです。後で聞いたらわざわざ砲術長が『補給の打ち合わせ』という名目で便を出すことにしたそうで、事実上そいつを駅に送るための便だったわけです」

「それでは…」

「ええ。<ブルーリーフ>が良い艦だったと言った意味が分かるでしょう」

 元准尉はニッコリと微笑まれた。

「まあ付き添いということで、私もその便に乗って、駅まで行きましたがね。駅の窓口で切符を受け取るようにという指示だったので、駅員に艦の名前を出したらすぐに分かってもらえました。手にした乗車券を見たら急行の2等でしたよ。汽車の手配はおそらく副長がやってくれたのだと思います。もう相手の階級が上だからという理由だけで頭を下げるのは止めようと思いましたね。みなさん立派な方でしたよ。ともかく発車間近の急行列車にそいつを押し込みましてね。窓から感謝で泣きながら手を振っていました」

「その後の顛末は分かりますか?」

「カークウォールからじゃいくら急行でも1昼夜かかるわけです。それでも何とか間に合って、親父さんの死に目には会えたそうですよ。帰って来たら感謝の行脚ですよ。副長にも航海長にも。砲術長なんて関係が薄い科じゃないですか。それなのに誠意を見せてくれて。私と二人で頭を下げて回りましたね」



★艦内での生活のこと。


「良い話をありがとうございます。それでは艦内の配置の話しの続きを」

「船渠での半舷上陸が一番気楽だったと言う話でしたね。その次に気楽なのが、普通の半舷上陸ですよ。外地でも24時間ぐらいお休みを貰えましてね。まあ、やることはケンブルと同じで散財(のむうつかう)ですけど」

「人員が半分だと大変ではないですか?」

「いちおう減員操作と言って軍艦は半分の人員で動かせるという建前になっていましたから。でも、まあ建前ですね。浮標を取って艦が停止すると、普段なら手に取る事を嫌がる短艇の(オール)に群がりましてね。もう競争のように岸壁へ向かうわけですよ。その間、留守番の舷はしぶしぶと当直です」

「港でも当直なのですか?」

「基本、軍艦が眠ることはありません。右舷だけが残った場合、その中でさらに半分に分けて当直に就くわけです。特に航海科と通信科は休めません。いつどんな信号や通信が届けられるか分かりませんから。私がやっていた見張りだって大変です。たまに風の強い日なんて民間の貨客船が錨を走らせちゃってね。港の中でも風や潮に流されて、ぶつかってくるわけですよ。でも、ちゃんと見張っていれば艦内に警報が出せて、手隙の者が防舷物(クッション)を舷縁に垂らすことができます。そうすれば衝突が接触ぐらいになりますからね。お互いが壊れなくて済むわけです」

「そんな事態になることの方が珍しいのでは?」

「起こる確率が10分の1でも備えるのが海軍ですから。それに『衝突』だと海務部への報告が必要ですが、『接触』ならば航海日誌に記すだけですから」

 公式記録ならば良く知っている私も、さすがに全艦の航海日誌の全てを読んだわけではない。元准尉によると、こういう様な公式に残らない事態は、いくらでもあるのだそうだ。

「では気の休まる時は無いということですか」

「私ら航海科はね。砲術科なんて配置に就いた先で昼寝しているようなものでしたよ」

 たしかに平和な港内では当直で砲座に就いたとしてもやることは無いだろう。

「では1日というのは」

「まあ当直で代わり番に起きていますから、陸(軍)さんのように起床喇叭(ラッパ)で飛び起きるなんて言う事は無いのですよ。その時の配置で多少前後しますが0700時に(筆者注:海軍では午前7時のことをこう表現する。以下同じ)朝飯です。片方のグループが食べ終わったら当直を交代して、残りの半分が食べるといった調子です。同じように1200時(正午12時)に昼飯で1300時(午後1時)に当直配置に就いている人員だけで戦闘訓練をします。これは艦の設備が故障していないかの確認も兼ねていますから、毎日行います。で、反省会を兼ねたお茶の時間が1500時(午後3時)。1900時(午後7時)に夕飯。飯はもう一回、夜食ということで真夜中に1回あります。これは港に居る時だけでなく、沖に出ている時も変わりません。まあ砲術科なんて配置に就いても気楽そうで飯の時間を待っているだけでしたね」

「半舷上陸は分かりました。それでは、次の段階に上がるとどうなりますか」

「港内配置という奴になります。航海(おき)に出ていない時の配置ですね。半舷上陸の時はどちらかの舷だけで、この配置につきます。普段ならば右舷と左舷の2つが半分ずつ当直に就きます。8時間交代です。最初の舷が0000時(真夜中0時)から0800時(午前8時)。この時の交代前後に朝礼を行って連絡事項が伝えられもします。次が0800時から1600時(午後4時)。この時に訓練を挟みます。そして1600時から2400時(真夜中の0時)で一日の終了です。途中で飯や便所で配置を離れる時は、同じ舷の者で補い合って配置を守るようになっていました」

「そうすると8時間ずつ毎日ずれていくわけですね」

「その通りです。これは毎回深夜を担当する舷が固定されないための処置です。水兵たちが不平等に感じないようになっているわけです。まあ、停泊している艦でやる内容は半舷上陸の時と同じですかね」

「港内配置は分かりました。次の段階は?」

「通常配置となります。まあ艦が航海に出た時の配置ですね。こいつは6時間交代です。最初の舷が0000時から0600時(午前6時)。次からは0600時から1200時。1200時から1800時(午後6時)。そこから変則になって1800時から2100時(午後9時)と2100時から2400時と3時間ずつとなります」

「これも同じ舷が深夜の当直を繰り返さないためですか?」

「そうです。海に出ると砲術科以外は大忙しです。まあ砲術科は甲板作業を担当することになりますがね」

「そうやって海に出て訓練をすると」

「ええ。春に兵学校3号生が乗り込んで来て、演習航海として各国を訪問します。そういう時は練習生も当直に入ります。もちろん港に入港する時などの難しい時は、艦長か航海長が舵を執りますが」

「それよりも厳しくなるのは?」

「警戒配置です。もう準戦地では必ずこの配置です。戦争が始まってからは港から出たらほとんどこの配置でした。右舷と左舷が2時間ずつ交代するのです。0000時から0200時(午前2時)。0200時から0400時(午前4時)。0400時から0600時。0600時から0800時。0800時から1000時(午前10時)。1000時から1200時。1200時から1400時(午後2時)。1400時から1600時。ここで訓練が入るのは同じです。1600時から1800時。1800時から2000時(午後8時)。2000時から2200時(午後10時)。そして2200時から2300時(午後11時)で交代し、残りの1時間を務めれば1日分です」

「その最後に1時間ずつなのも?」

「ええ。同じ理由ですよ」

「2時間おきだと大変ですね」

「ええ、まったく。しかも、その2時間で飯から便所、そして睡眠までこなしておかなければなりません。まあ仮眠ぐらいはできますが、休んだ気にはなりませんよ」

「なぜそんなに刻んだ時間で交代するのです?」

「水兵の集中力が持たないからですよ。だいたい2時間ぐらいで頑張っていても任務がおろそかになっちゃう。まあ平時ならば問題無い程度ですがね。いつ敵がやってくるか分からない警戒中だとそうはいかない。敵の潜望鏡を見逃したら、次は魚雷がやってきますからね。命に関わる」

「それで、後は戦闘態勢というわけですか?」

「そうです。戦闘配置または総員配置と言いますね。これはいけません。なにせ、敵が見えている時に出るような命令ですから。右舷も左舷も全員で配置に就きます。砲術科はイキイキとしますけど、私ら航海科は嫌でしたねえ。ただ航海していても命がけなのに、それに加えて敵の弾が飛んで来るのですから。そりゃあ当時は『いくらでも来やがれ』なんて粋がってはいましたけど、内心は震えあがっていました。誰だって死にたくは無いものです」




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