#029: 静かさの中のざわめき
あの日――配信中の“物置部屋”騒動から、一週間が経った。
トレンドからはすでにそのワードは消え、話題にする人も減ってきた。
けれど、Fの通知を開けば、時折まだタグをつけた投稿が混じっている。
笑い話の延長のようなものもあれば、探るようなコメントもある。
静まったようで、完全には終わっていない――そんな空気。
「……まだ、残ってるんだ」
カレンはスクロールしていた指を止め、小さくため息をもらした。
ノートパソコンの画面にはFのタイムラインが映っている。
机の上には、消し忘れた昨日のコーヒーカップと、書きかけの配信スケジュール表。
その背後から――
「ほら、ブラックでいいよね?」
カップを持った美咲が近づいてきた。
部屋着にざっくり結んだ髪、休日らしい柔らかな表情。
「ありがと」
カレンは受け取りながら、ふっと口元を緩める。
温かい香りが、こわばった胸を少しほぐしてくれる気がした。
「なんか……あれから慎重になってるよね」
美咲がソファに腰を下ろし、膝を抱える。
「そりゃね……何をどう見られてるのか、ちょっと怖くなったし」
苦笑交じりに返すが、その笑みはすぐ薄れた。
短い沈黙。コーヒーの香りだけが漂う。
「そういえば」
カレンが思い出したように声を上げる。
「昨日、リリスからメッセージ来たんだ。珍しく真面目で、“ちゃんと気をつけろ”って」
「リリスちゃんらしい」
美咲は笑った。
「表じゃ毒舌でも、裏ではちゃんと心配してくれるタイプでしょ」
「……そうかも。ちゃんとお礼、言えてないな」
カレンは窓の外に視線をやり、流れる雲をぼんやり見つめた。
その穏やかな景色とは裏腹に、胸の奥にはまだざわめきが残っている。
午後。二人は近所の商店街に出かけた。
人混みの中を、美咲が先に歩く。
「今日は配信ないんだから、ちゃんと気分転換しよ」
カフェに入ると、店内のざわめきや食器の音が妙に心地いい。
注文を済ませ、席に着いた美咲が唐突に言った。
「いっそ、“彼女です”ってネタにしちゃえば?」
「はぁ!? それはやめて!」
カレンは思わず吹き出し、カップの水を少しこぼしそうになった。
だが、美咲はすぐに表情を引き締める。
「……でも、本当に嫌なところまで踏み込まれたら、絶対ちゃんと距離を置きなよ」
その声は低く、芯があった。
カレンは視線を落とし、カップを持つ手に少し力を込めた。
「……うん、分かってる」
夕暮れ。
帰宅した二人は、リビングでテレビを流し見していた。
画面には「デビュー前から注目の新人Vtuber」という特集。
派手なPVが映し出され、ナレーションが熱を帯びる。
「……こういうの、ちょっと羨ましいな」
美咲の呟きが、テレビの音に混じってカレンの耳に届く。
カレンは何も返さなかった。
ただ、美咲の横顔を見て、
――もしかして、この子も何かを始めるつもりなのかもしれない。
そんな予感だけが胸に残った。
外は、街灯がひとつ、またひとつと灯り始めていた。
穏やかな夜の気配と、小さなざわめきが同居する時間が、静かに流れていく。
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