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後編

ご訪問ありがとうございます

※プロットを共有し、誤字脱字の確認や執筆の補助、構成の相談でGemini(AI)と協力しています

幼い頃から、私には"存在しない犬"が見えていた。

花火大会や祭りの夜店など。

夜に出歩くと必ずついてくる。

常に足音はなく、草が揺れることもない。

影より濃く、闇に溶け込む大きな犬が。

恐怖を感じたことはなかった。

父や母に言っても全く気付かず、私にしか見えていないようだったけれど。

ついてくるだけで何かしてくるわけでもなかったから。


「──おくりいぬ?」


小学生になった頃、私の話を信じてくれた祖父母が教えてくれた。

初めて聞くその名に、ぱちぱちと目を瞬かせた。

祖父母は懐かしむように、あるいは諭すように語る。


「夜道で人を"送ってくれる"モノなのさ」

「必ずしも、怖いモノというわけじゃあない」

「ちゃんとお礼を言ってれば好意的だよ」


思えば、祖父母の言葉にはどこか。

釘を刺すような響きもあったようにも思える。


「ただし、送り犬に送られている時は転んだりしちゃあいけない」

「どうして?」

「食べられちゃうからねえ」

「転んでも転んだふりをして、すぐに起き上がるんだよ」


夕焼けで赤く染まる縁側で、祖父母ははっきりと教えてくれた。

祖父の目は冗談めかしながらも、どこか真剣だった。

それからは、夜道で送り犬の気配を感じる度に振り返るようになる。


「いつもちゃんと送ってくれてありがとう」


そう微笑めば、送り犬は満足そうに尻尾を振って。

何処かへ帰っていくのだ。

成長するにつれて、夜道を歩くことにも慣れていった。

もう送り犬に付き添ってもらわなくても大丈夫。頼りっぱなしではいけない。

高学年になった頃には、そんな自立心が芽生え。

次に会う時は今までの感謝とともに、もう一人でも大丈夫だから送ってくれなくてもいいよ、とちゃんと伝えようと思っていた。

その矢先。

友達と遊んでいて少し遅くなった帰宅途中に、変質者に襲われた。

大きな手で、力一杯握り締められて。

恐怖で声が出せない。

なす術もなく身を強張らせていたら。

ニヤついた男の背後から、黒い闇が飛びかかって。

その動きは音もなく、研ぎ澄まされていた。

男の叫び声。

骨を噛み砕く音と鉄の臭い。

歪む視界の向こう側で、見慣れた黒い大きな犬がこちらを見て座っていた。

今、"悪い虫"達の隣でそうしているように。


「守ってくれて、ありがとう」


あの事件の時、溢れ出た涙に鼻先をチョンと当ててくれたアナタに深い感謝を返した。

涙が止まらなかった。

それは恐怖ではなく、安堵とそしてアナタへの圧倒的な感謝からくるもので。

白い牙から滴る赤黒い液体は、月明かりの下で鈍く光っていたけれど。

私には何一つ恐ろしくなどなかった。

事件は、警察によって『野犬の仕業』として処理されたらしい。

生きた人間が噛み殺されるようなことなど、ほとんどありえない話だ。

それでも現場は、他に説明がつけられない状況で。

そう判断されるのは当然の成り行きだった。

けれど事件の噂を聞いた祖父母は野犬の仕業ではないと気付いていて。


「やはり、あれはそういうものなのだ」

「お礼はきちんとせねばならぬ」


と囁いた。

私は改めてお礼を告げ、祖父から預かったとっておきのお酒を差し出す。

匂いを嗅ぐように鼻先を近づけると一舐めして。

満足そうにまたパタリと尻尾を振って返した。

それからは昼夜問わず、外を歩く時にはいつもアナタがいる。

学校の登下校の時も、買い物へ行く時も。

友達と遊ぶ時も、旅行へ出かける時も。

その気配が常に傍にあることに、安心感さえある。

どこに行っても、何をしていても。

私の命を脅かす存在が現れれば、アナタは瞬時に躍り出て。

それを排除してくれた。

獲物を瞬く間に仕留め、何もなかったかのように私の背後に戻る。

まるで、あの事件で差し出された男の命で、アナタを私に縛り付け、絶対的な守護者へと変貌させたかのように。

それは私が踏み入れたことのない、しかし確かな"人の道ならざる世界"との繋がりでもある。

海外旅行も、本来なら不安でいっぱいだったはずだ。

慣れない土地、流麗ではない言葉。

そして何より、比較にならないほどに悪い治安。

だけど、アナタがいるという絶対的な確信(平和)が。

私にいつもの日常と変わらない安心感を与えていた。

だからこそ、何の警戒もなく。

ただただ異世界を満喫する浮ついた気分で、町をぶらついていられたのだ。


「また守ってくれてありがとう。お疲れ様」


事切れた"悪い虫"達の隣で大人しく座るアナタを撫で、その首に抱き付く。

硬く、そして温かい毛並みの感触に、大きく息を吐けば。

アナタはいつも通り、尻尾を振って応えてくれる。


「あの時と一緒だね。やっぱり異世界って危険だなー」


あの時、私は初めてアナタの恐ろしい"力"を知った。

それまで単なる"見守り役"だと思っていた存在が、造作もなく人間の生命を奪える"妖"なのだと。

一般的な倫理観では到底許されない行為。

それでも私を助けてくれたことへの、あの時の感謝は。

全てを凌駕するほど大きかったのだ。

大きく溜め息を吐いて、立ち上がる。

とりあえず、人通りの多いとこに戻ろうと歩き出す。

悪い人ばかりではないとはいえ、おかしな人ばかり寄ってきて。

アナタなしでは気軽に出歩くこともできないなんて。困ったものだ。

たくさんの人の声が聞こえ始めた頃、振り返ってそこにいるアナタを見つめる。

夜闇よりも深い瞳が、静かに私を見返している。

アナタの存在が、私をこの過酷な異世界で生き抜くための唯一の希望であり、帰るべき場所への道標でもある。

この旅路の果てに、辿り着くべき場所がどこであれ、アナタが共にいてくれる。

それだけで、私はどんな困難にも立ち向かえる気がした。

それに、この奇妙な縁はきっと。

私を故郷へと導いてくれるだろう。


「ちゃんと私を家まで送り届けてね」


そう笑えば、アナタの口元がわずかに持ち上がったように見え。

パタリ。

尻尾が振られた。

それは、私とアナタだけの、決して揺らぐことのない約束の証。


ご一読いただき、感謝いたします

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