滝とノブナガ1
滝の国とその世界
第一章 滝とノブナガ
「滝切り」――
それは魔法剣士の基本にして登竜門。水の流れを斬るという不可能に挑むことで、魔力と気力を鍛え、精神を鍛錬する初歩の魔法技術である。
しかしその“基本”は、多くの若者たちにとって、いきなりの挫折となる。
◆
山々が連なる深緑の地――。音を立てて落ち続ける滝の前に、ノブナガとその父・ノブヒデの姿があった。
白い道着と袴に身を包み、ノブナガの右手には刀――“業物”へし切長谷部。柄元に六つの小さな団子飾りが揺れている。振るたびにシャランと微かに鳴った。
十二歳のノブナガは、まだ小柄な少年だ。しかし目には決意が宿っている。
この世を変える。天下を統べる。そのためには力が要る。
「構えろ、ノブナガ」
父の声に頷き、ノブナガは中段に構える。
魔力を刀に流し、集中する。
足幅は肩幅、腰は落とし、呼吸は深く。――己の中にある力を、刃先へ。
「――うらあッ!!」
叫びと共に、ノブナガは力強く振り下ろす。
刃が光をまとい、真っ直ぐに滝へ向かって振り下ろされた。
だが――
ザアアアア……ッ!!
滝は微動だにせず、先ほどまでと変わらぬ勢いで流れ続けていた。
ノブナガの魔力は、滝に触れることすらできていなかった。
「……クソッ」
力の抜けた腕が刀を地面に落とす。
「父さん、俺……この魔法、無理だよ」
「何を言うか」
「水を、刀で切るなんて……考えてみりゃ、できるわけないじゃないか」
ノブナガはうつむき、拳を握る。
その拳が震えていたのは、寒さではなかった。
「バカ者が!!」
ノブヒデの怒声が滝の音を貫いた。
「刀を投げ捨てるな! それはお前の魂だろうが!」
ノブナガは歯を食いしばり、落ちた刀を拾い上げる。
「……ごめんなさい」
「まだ三日だ、ノブナガ。失敗するのは当然だ」
そう言うと、ノブヒデは一歩前へ進み、構えを取った。
「見せてやる。これが“水門切り”だ」
中段――からの一閃。
父の一振りと共に、滝が――
ズバッ!!
空気を裂く音と同時に、中心から左右へと割れた。まるで、水が道を譲ったかのように。
「……なんで……できるんだよ……」
「魔法は才能じゃない。気力と魔力の掛け算だ。どちらかがゼロなら、結果もゼロになる。だが、たとえ1でも、かけ合わせれば結果は生まれる」
ノブヒデはそう言って微笑んだ――が、次の瞬間、激しく咳き込み、右手で口元を覆った。
「父さん!」
「ああ……大丈夫だ。少し疲れただけだ」
しかしノブナガは、その手のひらに赤黒い血がこびりついているのを見逃さなかった。
その夜。ノブヒデは病院へ運ばれ、診察を受けた。
ノブナガが、薄暗い診察室に呼ばれる。消毒の匂いが鼻につく。
医師は重い口調で言った。
「ノブナガ君……残念だが、お父さんは“魔封病”にかかっている。現在の医学では治療は不可能だ」
「……」
「もって三か月だ」
頭の中が真っ白になった。世界の音が、遠ざかる。
父に伝えるべきか――いや、伝えられるわけがない。
病室の扉をノックもせず開ける。
「父さん……」
「おう、ノブナガ……悪いな、しばらく練習には付き合ってやれそうにない」
「いいよ……俺、一人でも練習する。きっと、できるようになるから」
ノブヒデは微笑み、窓の外を静かに見つめていた。
「……そうか。じゃあ、行ってこい。もう晩飯の時間だろう」
ノブナガは頷いて病室を出る。ノブヒデはその背中を見送り、小さくつぶやく。
「……自由に生きた人生だった。だが、まだ終わっちゃいけねぇ。ノブナガに、“諦めるな”と言ったからにはな……」
そして、封印球を握りしめ、思案する。
「……渡すタイミングが難しいな……」
⸻
数日後。滝の前
「うらあぁぁぁ!!!」
ノブナガは叫び、振るい、何度も滝に挑む。
「父さんはもう長くないんだ……俺がこの魔法を完成させて、安心させなきゃいけないんだ!」
魔力を刃に込める。だが、滝は斬れない。
水は、壁のように立ちはだかる。
(なぜだ……なぜ、俺にはできないんだ……)
何度も、何度も――
振り下ろしても、滝は裂けるどころか、その流れさえ揺らがない。
握る手が震え、膝が地面についた。
「まだ……ダメか……」
その頃、病室のノブヒデは小さく呟いていた。
「……あいつは、今日も練習してるんだろうな」
そして、ゆっくりと笑う。
「いいぞ……ノブナガ。お前なら、きっと乗り越えられる」
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