4 飛空艇ダマスカスの空翔 1
「ミハエルは無事に、カフカに着いたかしら……」
私——【マシロ・レグナード】—— の独り言に、左右に従う二人が過剰に反応する。
「しっ、司祭長! 何を呑気に!」
左に立つ聖堂騎士団の副官【セリーナ・レイノア】は血相を変えて私を見る。シャギーの入ったブラウングレーの長髪に蒼い瞳、端正な顔立ちが歪んでいる。ただ、本人は顔に出ているとは気づいていないだろう。
「……あわ、わ」
右腕にしがみ付く金髪で秘書官の【トロティ・ホークウインド】は、その反応をうまく隠しているが……今、私の腕にしがみ付いてくれるのは迷惑だ。
そこそこの美男子なのに、臆病な男め。
―――― ミハエルは無事に、カフカに着いたかしら……
この状況で、こんな事をつぶやくとは私もどうかしている。
わが聖堂騎士団の精鋭三十名を乗せた飛空艇ダマスカスは、
進路上に突如発生した積乱雲の中を突き進んでいるからだ。
本来は海路で向かうはずだった『遺跡都市カフカ』への視察は、新型の飛行艇ダマスカスの性能試験もかねて精鋭三十名を乗せ空路をとっていた。
突然の巨大な積乱雲が進路に立ちはだかったことは「性能を試す良い機会だ」と皆に告げた。
「気温は零下三度、視界は二十、進路上の誤差……」
叩きつける気流と冷気が、前方で操舵輪をにぎる飛行艇の若き女性エンジニア【アリシア=ノヴァ】の声を吹き飛ばした。
数メートル先にいるはずの彼女の姿は、目視でも確認できない。
まさに荒れ狂う冷気と氷雪の中にいると言っていいだろう。
「アリシア=ノヴァ!誤差が無ければよい、全速で嵐を抜けよ! 貴様の操船の腕を見届ける」
視界が轟音をともない白一色から、一気に灰色へと変わる。
予想しえない方角から、圧をともない気流が押し寄せてくる。
「我が聖堂騎士団員よ、持ち場を死守せよ! 体をつなげ、三名一組の行動を厳守!」
風雨を突き破るように檄を飛ばした。
「あわわ、マシロ様、クリスタルの共鳴波が不安定です。船主と左舷のバランスが……」
手元のクリスタルの操作盤を見てトロティが不安な声をあげる。
「持ちこたえろ、バランスの計算式は頭に叩きこんであるだろ!」
大きく甲板をきしませながら、船が右側に大きく傾く。
「ひいいぃ、はっ、はい」
再び私にしがみついてくるが、振り解くわけにもいかない。
打ちつける冷気をともなった雨粒が私の銀髪を凍り付かせてゆく。
司祭長の白を基調とした法衣には濃紺の刺繍が施してある。その冷たく濡れた法衣は凍り付く前に突風に舞う。
「右前方に雷雲、デカいの来ます! 船体強度的にギリギリです!」
操舵輪を握るアリシア=ノヴァの通る声がひびく、しかし、船の制動に迷いは感じられない。
(コイツは嵐を恐れぬというのか、これが初飛行というのに)
アリシア=ノヴァの胆力に感嘆する。
視界の限られたこの空間で、娘と表現してもおかしくない十六歳の女は直感的に大気の流れを把握している。
過冷却された雲粒が雹となって、飛空艇ダマスカスを幾重にも打ちつける。その甲板に打ち付けられる雹の音は恐怖をおおいに煽る。
岩に打ち付けられるように、船体に幾度となく激震が走った。
神聖祈祷により、船体と乗り組み員には一時的に強大な神恵の保護がかけられ、雹が船体や団員を撃ち抜くことはない。
それでも、私達を振り落とす勢いで飛行艇は大きく揺れ続ける。
「し、司祭長……」
セリーナ・レイノアがずぶ濡れとなり、氷柱をたらしたブラウングレーの前髪の間から、すがるような目を向けてくる。
彼女の纏う、白地に赤と緑の刺繍の法衣はすでに所々凍り付いている。氷の粒となった水蒸気は下着まで冷たく染み入っているのだろう。
平手で頬を張り飛ばした。
「セリーナ、我が聖堂騎士団に神の加護を信じぬ臆病者はいらぬ」
この一瞬で、意を汲み取った彼女の目に再び覇気がやどった。頬が赤く染まっているのは、打たれただけではないようだ。
(そうだセリーヌ、心を強く持つんだ)
「聞こえてますかぁ! 右前方に巨大な雷雲!」
跳ね上げるように操舵輪を握る声が飛んでくる。
「分かっておるわ、そのまま進路をとれ! 責任はすべて私が持つ、アリシア=ノヴァよ、この雷雲を突き破ってみせよ!」
「はいっ!」
一拍をおき、風を押し返すようなアリシア=ノヴァの返しが来る。
(アリシア=ノヴァ、良い呼応だ)
甲板を強く踏みしめると胸の前に手をかざし、人差し指と中指で天を指す。
トロティは左腕にしがみつかせたままに、高次の神聖言語による祈祷の詠唱を響かせる。
Ho suvereno, mi petas vin pruntedoni al mi la kontrolon de la dia lumo
[天の座よ、代理となる秩序たる者よ、その力をお貸し願いたく聖唱する]
「セリーナ続け、補助詠唱をかけよ」
「は……し、しかし……この聖唱言語は」
始めて聞く高次の神聖言語にセリーナ・レイノアは混乱を隠せずにいる。
「神聖祈祷、天の経典の2章1節からでいい、私の詠唱に続け……合わせよ」
「はい!」
意を決した彼女も足場を定め祈りを捧げる。
さすがに聖堂騎士団の副官だけはある。
胸前に腕を組み歌い上げられる賛美の詠唱は、この嵐の中にあって美しいものがある。
(ふむ、心地よい。やればできるではないか、セリーナ)
高次神聖言語の詠唱が、氷の雲粒に舞い、やがて右腕を中心に体は光をおびてゆく。肩から先の右腕が輝きはじめる。
Mi ripete petas, pruntedonu al mi tion, kion mi deziras
[繰り返しこい願う、御力の大空に示される時を]
「左前方より雷光ッ! 来ます!」
船が乱気流のなかで細かく制動されるなかで、空気を切り裂き巨大な雷が迫りくる。
Ho fulmo, protektu nin kaj faligu niajn malamikojn
[雷光よ、その御業にて、我を守りたまえ、迷いなき御力の光を]
右腕を振るう。
腕先から走った光が竜となって、左舷より迫りくる雷を相殺する。
金属音に似た響きが一瞬あり、続けて大気を引き裂くような雷が飛び散る轟音が耳をつんざく。
右隣のセリーナ・レイノアは雷が私の手で打ち払われる様に、補助詠唱も忘れへたりこんだ。
つづけざま二度、三度と飛空艇ダマスカスに雷が牙をむくが、右手に集まった神の光を振るうと全て撃ち落とした。
Ho nobla sankta spirito, kiu ĉirkaŭas la ĉielon, montru al mi la vojon
[高貴なる聖霊神よ、この大空を駆け回る御心よ、我に道筋を示したまえ]
飛空艇の周囲に聖なる風が舞った。
蒼く高貴なる厚みのある風が、暗黒の雷雲を切り裂いてゆく。
暗闇のかなたで虚空が叫び声をあげた。
目を凝らす。
雲が切れる。
その前方に光が見える。
「アリシア=ノヴァ、雲の切れ目だ! 一時の方角に船首を合わせよ」
「はい! 見えてますっ」
操舵輪の回る音が聞こえ、左手にしがみついているトロティが、クリスタルの力で船体の傾きを精密に制御している。
「マ、マシロ様……クリスタルの共鳴波が、正常値に落ち着きました」
「やればできるではないか、トロティ」
前方を指さすと、トロティもつられるように首を動かす。すでに私の左手から離れ、嬉々として前方を見つめている。
「あ……、あぁぁ助かったんですね」
床に腰を付けたままのセリーナ・レイノアが、口を半開させ、さらに頬を紅潮させて私を見上げてくる。
「セリーナ、醜態をさらすな! 貴様は誇り高き聖堂騎士団の副官だ、何があろうが私の傍らに立ち続けるのが職務であろう」
叱責し顔を蹴り上げたが、姿勢をやや崩しただけで彼女は立ち上がって来た。
「も、申し訳ございません、マシロ様」
飛空艇が力強く船首を上げると気流の流れに乗る、嵐の再檄部を抜けたのだ。
―――― さて、私は次の手をうたねばならない。