1 緊急信号 ーEmergency
―――― ふと、隣にアイツがいるような気がした。
それでも、俺の視線は動かない。
まだ子供だった頃。
そうだ傭兵団にいた頃。
夜、密かに夜の森でアイツとこうして焚き火を囲んだものだ。
街道からわずかに離れたこの森を、騎士団百名の野営地に選んだ。
俺は膝を立てて座り、変わらずに音を立てる焚き火を見つめている。
身にまとうは金の飾りが施された黒いプレートメイル。
地面には王国第二騎士団長の証であるセリウス鋼の長剣がある。
今、第二騎士団は、国からの特命で遺跡都市カフカへ向かっている旅の途中だ。
再び炎を見つめる。
アイツこと……
【レヴァント・ソードブレイカー】
育ちを共にしてきた恋人でもある団員。
彼女の行方がわからなくなって、三か月が経つ。
『大陸最強の剣の使い手』と呼ばれる俺には及ばないものの、彼女も超一流の剣士であった。
腰まで伸びた亜麻色の髪。緑色の眼は寒気を感じるまでに美しかった。
体術から暗殺術までをおさめ、第二騎士団のなかでは裏側の影の仕事を任せていた。
焚き火の炎の揺れが、彼女の舞うように戦う姿を思い起こさせる。
□
シャープな黒髪短髪、瞳の色は金をおびた漆黒。
整った端正な顔つきは落ち着きに満ちており、心にひそむ鬼神の刃を隠す。
【ミハエル・サンブレイド】
グランデリア王国の擁する王国第二騎士団長。
戦災孤児かつ壊滅した傭兵団の生き残りという出自。
それでありながら、剣の腕ひとつで貴族階級に近しい騎士団の師団長にまで登りつめた。
彼自身が述べたように『大陸最強の剣の使い手』という表現は誇張ではない。
しかし今現在、彼の頭を覆い尽くす悩みは、行方不明となった恋人・レヴァントのこと……
そのレヴァントもまた、ミハエルと同じ出自であった。
□
柑橘系の香水の匂いがした。
青の迷彩軍装に銀の胸当てを装備した女性副官が声をかけてくる。
「ミハエル師団長、またレヴァントの事を考えているの？」
「なっ、考えている訳ねーだろ。あんな馬鹿オンナ。
NO！ 考えてねえ、一ミリたりとも考えてねえからな！ 返事はNOだ！」
見透かしたように聞いてきやがって。
深く青い長髪と瞳。
目の周りには薄い銀のアイライナーを施し鋭い目でニヤリと笑う。
戦術師の女副官【ルカアリューザ】が隣に腰をおろすと再び口をひらく。
「それで、当然気づいてますよね……緊・急・信・号」
「はぁ、緊急信号、だと？」
気づくと、右手小指の宝石が赤く点滅しているじゃねえか。
（野営地より５キロ西の集落が、魔物の襲撃をうけている……ってか）
宝石に連続して浮かび上がる記号から、通信内容を把握した。
□
百名程度のエルフの村だった。
それなりに訓練された自前の守備隊を要していた。しかし、夜陰に紛れた五十体近くの数の魔物に急襲されては、役目を全うするのは難しかったようだ。
幸い火の手は上がっていない。
それでもエルフの恐怖の感情と魔物の放つ得体の知れない瘴気が空間を濃密に支配している。
「ルカ、ナイトマーレン（有翼青狼）の群れに当たれ！ エリスは避難誘導ならびに怪我人の救助だ、すべての村人を簡易結界へ！」
「「はい」」
ルカアリューザはミハエルの指示に従い、団員に細かい指示を飛ばしてゆく。
エリスと呼ばれた【エリスヴァーレン】
彼女の金髪ポニーテールが吹く風に揺れる、柔らかな瞳は隅々まで配られてゆく。
戦闘能力もさることながら医療と白魔術に通じ、騎士団員でありつつその装備は白を基調にしたローブで緑色の美しい刺繍が施されている。
エリス自身は簡易結界内で白魔術による負傷者の治癒をすべて受け持つと、二十名ちかい配下の救護班員全てを村人の避難誘導にあてた。
エルフ達の叫ぶ声に魔物の咆哮が混じる村を、騎士団魔術師【リオナフェルド】の放った照明魔術弾が照らしている。照明・光源を確保しつつ戦うのが夜の戦闘では基本になる。
リオナフェルドがどう動いているのか、俺は気配で掴むしかない。
時折、攻撃魔術の行使される爆音が聞こえてくる。
漆黒の長髪に細い銀縁のメガネ、紫のローブをまとった魔術師の姿が俺の脳内にイメージされる。
聡明な彼女のことだ、淡々と仕事をしているのだろう。何の心配もしていない。
百近くの人員がいる第二騎士団の野営地から、選抜した三十人近くを率いて村へ急行した。
うち二十人がエリスヴァーレンの救護（誘導）班になる。
戦闘要員は俺を含めても十名の精鋭、と魔術師のリオナフェルド。
魔術師リオナフェルドの行動は完全に彼女の判断に任せている。
そして戦闘要員の指揮はルカアリューザに『全振り』で任せてある。
俺は好きなように暴れるだけだ。
影のように傍らに小さい女が寄った。
「キャスか、連絡ごくろうさん」
「村を襲撃した魔物の群れは、ナイトマーレン（有翼青狼）が二十体、ヒュージスパイダー（巨大毒蜘蛛）が二十体、ダークオーガ（人型の鬼）が十体てとこだよ」
手当たり次第に魔物を蹴散らす俺の隣で、斥候役の【キャスパーローズ】が報告する。
中性的な顔をした肩までの茶髪、背の低い女だ。
緊急信号を送ってきたのが彼女になる。
彼女自身に魔術師としての能力はないが、魔導具の使用で遠隔地の情報を俺に届けることが出来る。
ここ近年の魔導具など魔力を用いた技術の発展は目覚ましい。
魔物の切り裂かれた頭部や肢体が宙に舞う。降りかかる肉片を交わしながら、かつ戦闘の邪魔にならぬようキャスパーローズは報告をつづける。
「村人の避難誘導はおおかた完了、死人は無し。怪我人の治療もエリスヴァーレンを中心に施術中。魔物の群れは皆の活躍で、半数撃破の状態てとこかな」
俺は眼前のヒュージスパイダーの全身をまっぷたつに叩き斬る。その毒蜘蛛の飛び散る体液を二人して交わした。
「おう、わかった……逐次報告をたのむぜ」
「了ぉっ解！」
彼女は再び走り去ろうとしたが言葉をつづけた。
「団長、分かってると思うけど……この魔物の襲撃ってさ」
「ああ、誰かが裏で操作してるな。これだけの魔物が足並み揃えて村を襲うはずがねえよ」
俺が言い終わる前にキャスパローザは姿を消していた。
「しかしな……」
つい口に出しそうになっていた。
（レヴァントがこの場にいたら、もう魔物は撃滅し終わってるんだが）
頭に浮かんだつまらない考えを、首を左右に振り吹っ切る。
体の向きを変え、飛びかかって来たナイトマーレンを剣で三分割すると、地を這い迫って来たヒュージスパイダーを蹴り上げ空中で突き刺した。
返り血がかからぬように剣を抜き、次の獲物を探すべく周囲の気配を読む。。
その時。
軽い眩暈がした。
視界に白くかすみが掛かると、世界が上下左右に大きく揺れた。
いや、これは軽い眩暈って感じじゃねえぞ、すこしヤバいか？
頭に手をあてる。
―――― ん、んん……
「うおおおぉっ！」
なぜか目の前に魔物の牙が迫っていた。さらに立っている場所も違うじゃないか！
これって！ やばいんじゃないの？
