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004.思えばこれが運命の出逢い

「デボラ!しっかりして、デボラ!」


 横倒しの車内には、血まみれで動かなくなっている年配の侍女に取り縋って泣き叫ぶ幼女の姿があった。見るからに上質な、だがそれでいて飾り気の少ない普段着用のドレスを身にまとっていたが、よく手入れされた金糸雀(カナリア)色の髪と抜けるような白い肌は日頃から丁寧にケアされていることがひと目で分かる。

 だが何より特徴的だったのはその瞳。他に類を見ないほどキラキラと光り輝く大きな金色の瞳は、まるでそれ自体が光を発するかのように揺らめいていて、その瞳から大粒の涙がポロポロとこぼれてゆく。


「失礼、お姫様。助けに参りました。お怪我はありませんか?」


 自身も高位貴族の出であるリュカにはすぐに分かった。この幼女はやんごとないご身分、少なくとも(・・・・・)公爵家(・・・)以上の(・・・)ご令嬢(・・・)だと。


「たすけて!デボラがしんじゃうの!」


 上方から無礼にも見下ろす形で声をかけてきたリュカに対し、それを咎めるでもなく幼女は泣いて懇願した。自分のことより身分卑しい侍女を案ずるその姿に少々驚きつつも、リュカは何食わぬ顔をして「今お助けしますから」と断って器用に室内に降りていく。

 リュカは室内に降りる前に、脚竜車の側で戦況を注視しているマチューに、“通信鏡”で支部に増援を要請させるのも忘れなかった。


「失礼、御身をお抱き上げしても?」

「わたくしのことはいいからデボラをたすけて!」

「もちろんお助け致しますとも。ですがおふたり一度に外にお連れすることはできませんので、まずは姫様からでございます」


 丁寧に断りを入れてからリュカは幼女を抱き上げた。彼はまだ入隊2年目の17歳だが、基礎訓練は終えていてしっかりとした騎士の身体ができている。幼女ひとり抱えても壁を登って器用に脱出するのは造作もなかった。

 外に顔を出し、灰熊が充分離れていることを確認してリュカは地上に降り立つ。そして幼女をそっと下ろして立たせた。


「あ、あのような……」


 青褪めた顔で幼女が呟く。


「あのような大きなけものにわたくしたちはおそわれたのですか!?」


 幼女の目線の先にはすっかり傷だらけで怒り狂った灰熊の姿がある。その時彼女の目に、自分に背を向けて恐ろしい獣に立ち向かう大男の騎士の姿が映ったかどうか。


「あれは灰熊と言いまして、この辺りには滅多に出ませんがとても凶暴な獣です。危険ですから充分に距離をお取りなさいませ」


 リュカはそう言いつつ、灰熊だけでなく死んでいる脚竜や馭者からも離れた場所に幼女を誘導した。マチューと、周囲の安全を確認して戻ってきたブリスに彼女の護衛を任せ、リュカはドナルドとともに再び車内に入って、ふたりがかりで脚竜車の屋根を打ち壊して侍女デボラを外に出した。

 残念なことに、侍女はもう息をしていなかった。



 アンドレは巧みに灰熊の注意を我が身に引きつけつつ、アランとコランタンに後背から攻めさせる作戦を取っていた。死角からの攻撃にたまらず灰熊が振り向けば、今度はすかさずアンドレが斬りつける。

 そうして手傷を負わせつつ、ブリスとリュカの加勢も得て、時間をかけ時には反撃も受けながらもついに灰熊を打ち倒す。最後は立てなくなり這いつくばった灰熊の頚椎を、アンドレが愛用の騎士剣で断ち切ってトドメを刺した。

 その一部始終を、幼女が瞬きも忘れたように見続けていたことに気付けたのは、彼女の護衛役に残っていたドナルドと、周囲に倒れていた護衛たちや死んだ侍女や馭者の身体を並べて安置していたマチューだけだった。



 討伐を終えたあと、アンドレはすぐさまアラン以下を従えて幼女の貴人に傅いた。


「やんごとなき御身分のご令嬢とお見受け致します。御身にお怪我などございませんか」


 やや緊張しながら、慣れない敬語でアンドレが話しかけた。本来なら身分が下の者から上の者に話しかけるなど許されることではないが、まともに会話のできる生き残りが彼女だけ、しかも見たところまだ5、6歳くらいのごく幼い姫様である。本来なら親に連れられていなければならない年齢のはずで、付添いが侍女ひとりだけだった点も含めて事情を聞かねばならない。


「わたくしは、だいじょうぶです。みなこそケガはないですか」


 なんと幼女さま、平民も混じっている騎士たちの心配をして下さったではないか。そのことにアンドレはまず驚愕し、そして恐縮した。

 まだ恐怖の抜け切らない青褪めた顔で、見知った大人がひとりもいなくなったこの状況で、返り血まみれの傷だらけの騎士たちに囲まれてひどく心細いだろうに、それでも彼女は救援に来てくれた騎士たちの身を案じたのだ。その優しさと気高さと気丈さに、アンドレは胸を打たれる思いだった。


「御心配いただき恐悦至極に存じます。すぐに迎えの者が参りますゆえ、今しばらくご辛抱下さいますよう」


 そう言ってアンドレは立ち上がり、小隊員たちとともに周囲の警戒をしつつ支部からの増援と出迎えを待つことにした⸺のだが。


「隊長、待つ間お姫様を抱っこしてあげて下さい」


 音もなく寄ってきたリュカにそう言われて驚愕した。


「いや無茶言うな!俺なんかが触れてみろ、余計怯えさせるだけだろ!?」

「もう今充分に怯えてますから大丈夫です」

「それでなくたって高貴な御方の身に触れるのはダメだろ!」

「普通ならそうですけど、あんな小さなお子が誰にも支えられずに震えながら立ってるんですよ?あれを放置する方が僕はマズいと思うんですが」


 まあそう言われれば、手ぐらい握っていてやるべきなのかも知れないが。


「だったらお前に頼む。伯爵家の子息ならまあ何とか言い訳も立つし」

「伯爵家ったって四男ですしほぼ平民ですよ。それなら小隊指揮官の権限持ってる隊長の方が上です」

「いや………しかしだな、」

「迎えが来るまでの短時間です。緊急時なので言い訳も立ちます。⸺ということで、鎧脱いで下さい」


 リュカが突然ヘンなことを言い出した。


「………は?何故だ?」

「そんな血まみれの、冷たい鉄鎧の胸に抱くつもりですか?ほら、いいから脱いで下さい。そのボロボロになった騎士コートもです。さあ早く」


 あれよあれよという間にアンドレは騎士コートも鎧も脱がされて、鎧下(プールポワン)一枚で姫様の前に立たされる。不安げな目で巨躯を見上げる姫様に、やむを得ず「し、失礼致します」と断ってから、彼はその小さな身体を抱き上げた。


「迎えが来るまでの間、私がお守り致しますゆえ、どうかご安心下さい」


 抱き上げて初めて分かったことだが、姫様は可哀想なほど震えていた。だが大きな腕に抱かれて少しだけ安心したのか、彼女はアンドレの胸元をギュッと握って身を寄せてきた。

 こんなに小さな身体で、こんなに震えて心細いだろうに彼女は一言も泣き言を言わない。そのことに胸を打たれて、思わずアンドレは大きな掌で彼女の頭を撫でていた。


 撫でるたび、彼女の震えが少しずつ止まってゆく。

 やがて、彼女は目を閉じてアンドレの腕の中で眠ってしまった。おそらく緊張と疲労が極限に達していたのだろう。

 こんな汗まみれの安物のシャツで申し訳ないなと思いつつ、寝入ってしまった彼女を下ろすこともできなくなったアンドレは、支部から増援が駆けつけてくるまで立ち尽くすしかなかった。







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