001.騎士アンドレ・ブザンソン(1)
アンドレ・ブザンソンは貧乏子爵家の三男坊としてこの世に生を受けた。
ブザンソン家はガリオン王国で代々続く子爵の家系だ。国から与えられた領地は国の東にある竜央山地にほど近い、隣国ヘルバティア共和国との国境地帯にある。気候は1年を通して寒暖差の激しい準高地帯で、平野部も少なくこれと言って特産物もないが、たびたび繰り返される他国との戦争の前線になることもなく平和な土地ではあった。しかし一方でガリオン王国を南北に貫く大街道“竜骨回廊”から離れた土地でもあり、物流も人流も盛んとは言えなかった。
だから領主たる子爵家だけでなく、領民も裕福な暮らしは望めない。何とか日々を暮らしていくだけの僅かな稼ぎで、細々と暮らしていくだけの質素な生活を強いられる、そんな領地だった。
だがそれでも、ブザンソン子爵家には笑顔が絶えなかった。高望みさえしなければ、それなりに日々のささやかな幸せを感じて生きていくことはできたのだ。
そんなブザンソン家は子沢山の家柄だった。当主ジャン=マリー自身も五男一女の長男であり、自身も生涯でふたりの妻に三男二女を儲けた。そんな子供たちの笑顔と笑い声が絶えない家ではあったが、その中にひとりだけ、異質の存在を抱えていた。
それが、ジャン=マリーの三男アンドレである。
アンドレは生まれたときから異常だった。何しろ出生時体重が6リブラをゆうに超えていたのだ。一般的な新生児の体重がおよそ3〜4リブラ、4リブラ半を超えれば大きな赤ん坊だと言われるので、彼を産むのがいかに難産だったか想像に難くない。
そのせいで母マドレーヌは出産時に拡がった腰骨が戻らなくなって歩くことができなくなり、寝たきりの生活を余儀なくされて、健康を害したままおよそ1年足らずで亡くなってしまった。アンドレは初乳こそもらえたものの、ろくに母に抱かれることもないまま永遠の別れをすることとなった。
だから当然、彼に母の記憶はない。あるのは肖像画のなかで穏やかに微笑む母の姿と、父や兄姉たちから語り聞かされた様々な逸話だけである。
母の愛を知らずに育つしかなかったアンドレに対して、父も兄姉も大変に優しかった。彼が腐らず曲がらず真っ直ぐに育ったのは、そうした家族の愛によるところが大と言えよう。
彼はすくすくと育った。
そして、育ちすぎた。
元々産まれた時から人並外れた巨体だった彼は、成長しても巨大であり続けた。10歳の頃にはすでに兄たちを超えて父に並ぶほどの背丈になっており、幼年学校でも中等学校でもクラスメイトから頭ひとつ以上抜けた大きさだった。教室の机も椅子もいくつ壊したか分からず、困り果てた学校側から自前の机と椅子を用意するよう言われたほどだ。
そのあまりの巨体は同級生たちを怖がらせ泣かせること数知れず、物陰からの出会い頭に女性の先生を失神させたことさえあった。いかつい体術教師も彼の前では押し黙り、街を歩けば人並みに避けられ衛兵を呼ばれ、店先を覗けば店主に命乞いまでされた。
そして、挙げ句の果てには現役の騎士から地方騎士団にスカウトされるに至った。まだ12歳の少年が、だ。
そんな彼が13歳になって首都ルテティアにあるルテティア国立学園の騎士科に進んだのは、半ば必然だったと言えようか。親類一同が総力を挙げて支援し、一族の騎士になった者たちから剣術槍術の指導を受け、一族の資産を集めて雇われた家庭教師に受験勉強をみっちり仕込まれた。
まあそれまでに、都合6人もの家庭教師に逃げられたのだが。
そうして首尾よく進んだ騎士科では、入学から卒業まで実技では文句なしの首席であった。座学の方は………まあ何とか留年しなかった、とだけ言っておこうか。
16歳になって無事に卒業できたアンドレは、かつてスカウトされた通りに騎士団入隊を志願した。だが配属された先は、同じ地方騎士団でも故郷を守る東方騎士団ではなく、遠く離れた西方騎士団であった。
こうして彼は、ひとり故郷を離れて西方騎士団の本拠であるブレイズ地域圏、その圏都ロアゾンに旅立つことになった。
ロアゾンは一言で言えば大都会であった。人口およそ15万、アンドレの生まれ育った東ブルグント地域圏のアブロリカの街が人口1万6千余りだから、ほぼ10倍である。
とはいえ3年間通った国立学園のある首都ルテティアと較べればささやかなものだったが、学園の寮で暮らしていたアンドレは煌びやかな首都ではほとんど出歩かなかったため、ロアゾンの先進的な街並みには圧倒されるばかりだった。
それでも何とか道を尋ねて西方騎士団本部にたどり着き、彼は無事に辞令を受け取ることができた。任地はといえば、ブルグント地域圏の北にあるノルマンド地域圏の片田舎、セーの街であった。
セーは人口およそ5千の小さな街であり、ロアゾンとルテティアのちょうど中間あたりに位置する。海からは離れているが平地しかないこの街は故郷アブロリカとは似ても似つかなかったが、小ぢんまりとした街の素朴な佇まいはアンドレを大いに安心させて、彼はすっかりこの街が気に入ってしまった。
こうして、彼は地方騎士団の騎士としての第一歩を踏み出した。
アンドレは真面目に実直に職務に励んだ。会う人会う人皆に驚かれ怯えられるのはいつもの事だったからそれで腐ることもなかったし、穏やかに丁寧な応対を心掛けていれば同僚も街の人も少しずつ慣れていってくれた。真面目で心優しいアンドレがセーの街に溶け込むのもそう難しいことではなく、2年もすればすっかり馴染んで“名物騎士”として定着した。
相変わらず初対面では百発百中で怯えられる彼だったが、それも笑いのネタに変わるほどだった。
アンドレの体格は騎士団に入隊してもモリモリ成長を続けた。そして20歳になる頃には並ぶもののないほどの巨体に鋼のような筋肉を備えた、巌のような大男になっていた。
なんと身長が111.5デジ、体重が236リブラ。
人間の成人男性の平均が90デジ、80リブラほどのこの西方世界にあって、間違いなく一、二を争う巨躯であろう。
殺しても死ななそうだ、巨人族とのハーフではないか、あの男なら灰熊でも格闘で絞め殺せそうだ、いやもう何頭か仕留めたと聞いているぞ。
様々に噂されたが、反応するのも面倒なので彼は否定も肯定もしなかった。
だって下手に反応したら、怯えられ怖れられまた噂になるだけだったから。彼に怯えないのは故郷の家族や友人たちを除けば、付き合いの長い街の人たちや小隊の仲間、上司など、ごく僅かに過ぎなかった。