017.あまりに高すぎる壁
翌日。
公爵家での準備は滞りなく進められた。朝から簡単な朝食のあと湯浴みさせられ騎士礼装を着込まされ、馬車に乗せられてアンドレは王宮へと連れ去られた。初めての王宮に感動する間もなく与えられた部屋へと連れ込まれ、そこにはすでにスタイリストが何人も待機していて、頭髪から身につけるアクセサリーから小物類まで全部整えられた。
顔に薄っすらと化粧まで施されたのは人生で初めてだ。
そうしてひと通り準備が終わると、椅子に座らされ放置された。周りでは使用人たちが貴族と思しき年配の男性やご夫人の指示で忙しなく動き回っているが、彼らにやることがあってもアンドレにはないということなのだろう。
ドアがノックされた。ただそれだけなのに、使用人たちの間にはっきり分かるほど緊張が走る。
入室を求める声がして、使用人を指揮していた貴族らしい男性が許可を出して扉を開けさせた。
「やあやあ、君かね命の恩人というのわ゛っ!?」
なんだかどこかで見たことのあるような反応をして、顔を引きつらせてノルマンド公や侍従たちに仰け反った身体を支えられているのは⸺
「へ、陛下!?」
アンドレは驚きのあまり思わず立ち上がる。
そう、入ってきたのは我らが主君、ガリオン王国第41代国王、アンリ41世その人だ。
「ああ、構わないよそのままで」
慌てて拝跪しようとするアンドレを、ノルマンド公オリヴィエが短く制する。儀式前に拝跪してはまた服装を整え直さなくてはならないからだろう。
「むしろ今大きな動きをしないでくれ。陛下が余計怖がっちゃうじゃないか」
いや全然違った。「陛下が余計怖がる」って…。だがそう言われると言い返せない。我が身の魁偉さが恨めしくなるアンドレである。
だがそれと王に対する不敬とはまた別の話だ。
「あ、いや…しかし……」
「ああ、よいよい。余が先触れもなしに来たのだから、不敬は咎めんよ」
「ていうか陛下。あれほど心の準備をしておくように言ったではないですか」
「だってオリーヴ、まさかここまで怖いなんて思わないじゃないか」
「公爵家で驚かなかったのは執事長だけだ、って言いましたよね?それ以外は使用人も護衛も全員が怯えまくって、何人かは寝込んだままだってのも先程言いましたよね?」
いやなにそれ知らないんですが。
寝込んでる!?マジで!?
「ていうか今さら愛称呼びはやめて下さい兄上。もう僕4人の子持ちなんですが?」
「いいじゃんたまには。プライベートでくらいさあ」
「だから人前だっつってんでしょうがバカ兄!」
呆然とするアンドレの前で繰り広げられる兄弟漫才。ちなみにオリヴィエは先王ルイ40世の第四王子、アンリはその6歳歳上の第三王子だ。ルイ40世の第一王子は生まれてすぐ病死し、王太子となるはずだった第二王子はブロイス帝国との戦争で戦死した。
王宮の使用人たちはアンリとオリヴィエのやり取りに慣れているのか、素知らぬ顔で脇に控えて頭を下げている。だが控室の使用人たちを仕切っていた老貴族が大仰に咳払いして、それで国王も公爵もハッと我に返った。
「ご兄弟仲がおよろしいのは我が国としても大変喜ばしいのですがね?」
「ああ、いや、済まんなモーリス」
「宰相閣下!?」
なんと老貴族は筆頭宰相モーリス・ド・フルヴィエール、フルヴィエール侯爵家のご当主でガリオン第二の都市ルグドナムを領有する大貴族だった。道理で威厳たっぷりのはずだ。
「それで、どうかねアウレリア夫人」
「ええ、つつがなく終えておりますわよ陛下」
「アウレリア侯爵夫人!?」
エマニュエル・ド・アウレリア侯爵夫人は王妃アレクサンドリーヌの筆頭侍女である。ついでに彼女の嫁いだアウレリア侯爵家は、ガリオン王国成立前に首都ルテティアのすぐ南に存在していたアウレリアーヌス王国の旧王家の血筋だ。
会ったこともない高位貴族たちが自分の叙爵式のために働いていたと知って、さすがにアンドレも青褪める。
「ああ、そんなに畏まらんでもよろしい。そなたはレティシアの恩人なのだから、我が国としても最大限の敬意を払って当然だしのう」
ほほほ、と鷹揚に笑うアンリ陛下。
「えっ、それは…どういう…?」
「なんじゃ、聞いておらんのか?」
そう言って訝しげに公爵を見る陛下。
「あれ、君はレティシアの名乗りを聞いてたはずだよね?」
名乗りと言われれば彼女のフルネームのことだろう。あの時彼女は確か………
『わたくしはレティシア。レティシア・ド・ノルマンド・リュクサンブールともうします』
「……………リュクサンブール!?」
「そうとも。あの子は余の姪、父上の孫であると同時にリュクサンブール大公ギヨーム8世陛下の孫でもあるのじゃよ」
「僕の奥さんはユーリアと言ってね、ギヨーム8世陛下のひとり娘なんだ」
ただの公爵家令嬢、それどころかただの王孫ですらなかった。レティシアはこの西方世界でもっとも高貴な血筋のお姫様だったのだ。
リュクサンブール大公家はかつて西方世界の大半を支配下に収めていた世界帝国、古代ロマヌム帝国の皇帝家の血をもっとも濃く残す一族であり、ガリオン王国のすぐ北にあるリュクサンブール大公国の公王家でもある。
今でこそリュクサンブール大公国は竜角山地の南端、ガットラントと呼ばれる高原地帯を中心としたごく狭い地域だけを国土としているが、本来は現在のブロイス帝国南西部からベルガエール王国東部、ガリオン北部一帯を領有していた広大な公国だったのだ。
そして古代帝国皇帝の血筋の権威は国土が失われてもなお健在であり、リュクサンブール大公家は西方世界の大半の国の王族や高位貴族と縁戚関係を結んでいて、世界中から特別な尊崇を受けている。その直系ともなるとそこらの国王よりも高貴な存在と言えるのだ。
加えて言えば、リュクサンブール大公家は直系三親等内の全ての子女に大公位継承権を与えている。つまりギヨーム8世の孫であるレティシアもまた大公位の継承権を持つのだ。
「そ、そ、」
「そ?」
「そんな高貴なお姫様が、私に婚約者になれと!?」
「そういうことだよ」
いやいやいや!
畏れ多いどころの騒ぎじゃないじゃないですか!!
それ絶対ダメなやつ!!
「そうかい?まあそこまで気にしなくともいいんじゃないかな?レティシアは大公位にしろガリオン王位にしろ、継承順位はそこまで高くないからね」
「そうさな、まあ順当に行けばどちらも継ぐことはないじゃろうし」
「いや継がれたらこっちが困りますよ!!」
みるみる壁が積み上がって行く。
身分の差という壁が。
「ん?その言い方だと君はやっぱりレティシアのことを………?」
「あっいや、違います!俺は無理のままなんスけど姫様が諦めないだろうし、俺の身の置きどころとか立場の弱さとか根も葉もない噂が立つこととか考えると………っ!」
ハッ、と我に返るアンドレ。
テンパるあまり素の喋り方が出てしまっていたことに気付いたのだ。
見れば陛下も公爵もじっとアンドレを見ていた。それだけでなく、フルヴィエール侯もアウレリア夫人も殺意のこもった目でアンドレを睨んでいた。
「あ………いや、失礼しました………その、」
「はっはっは!それがそなたの“素”かの」
「ふうん、君普段はそんな口調なんだね」
「すすす、すみません!」
「よいよい。不敬は咎めんと言うたであろう?」
「でも陛下が兄上じゃなかったら、今頃君死んでたねえ」
「ひぃ!?」
「もー、オリーヴ。脅かすんじゃないよ」
「だから!オリーヴって呼ぶな!」
もうやだこの人たち。
早くおうちに帰りたい。
この時のアンドレの嘘偽らざる本音であった。




