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006.ノルマンド公爵家

 わけも分からないまま、言われるがままに旅の準備をさせられ、持っている中で一番上等な礼服を着させられて、乗ったこともないほど豪勢な脚竜車に乗せられて、アンドレは首都ルテティアに連れ去られた。

 そう、連れ去られた(・・・・・・)というのが彼の正直な見解である。拒否権はなく、丁重に対応されこそしたが、彼の要望や意見はひとつも通らなかったのだから。

 まあアルドワン伯をはじめ迎えの使者の人々には例によって驚かれ怯えられたが、それはいつもの事だから今さら言及には値しない。ただ「なるほど、これ(・・)なら確かに姫様をお救いできたのも…」とか「しかし姫は何故このような者を…」などという呟きが聞こえてきたのだが、どうせ聞いても答えてくれないと思ったのでスルーした。


 ロアゾンからルテティアに向かうには途中でセーの街を経由するので、アンドレ自身の準備はそこで整えた。そしてセーからルテティアまでは脚竜車で半日ほどの距離なので、朝の間に呼び出されたアンドレを乗せた脚竜車は、陽神(たいよう)が西に傾き始める頃にはルテティアに着いていた。

 ルテティアに入ってからはどこにも寄らずにノルマンド公爵家首都公邸に直行したので、久しぶりの首都の様子は車窓から眺めただけだが、案の定というかどこを走っているのかサッパリ分からなかった。たださすがに凱旋門アルク・ド・トリヨンフが見えたのだけは確認した。そこだけは彼も友人に連れられて見物に行ったから。

 まあ見物に行った結果、観光客が彼の魁偉な姿にパニックを起こしてしまって逃げ惑う大騒ぎになり、首都衛兵たちが飛んできて拘束される羽目になったのだが。



 閑話休題(それはともかく)

 出迎えてくれたノルマンド公爵家の使用人一同は、さすがにあらかじめ聞いていたのかアンドレの容貌にもさほど驚きはしなかった。特に先頭で出迎えてくれた老齢の執事長などは表向きは眉一つ動かさなかったあたり、表情筋の鍛え方を賞賛するしかない。ただしその後ろに控える侍従や侍女たちは思いっきり顔が青褪めていた。まあ無理もない。

 そうして案内されるがままに応接室へと通され、副団長とともにソファに座らされてレティシア公女のお成りを待つことになったのだが。


 まずソファの座り心地が異常だった。もちろん、硬いとか不安定とかそういうことではなくて真逆である。脚竜車のシートも異常だったがこのソファは桁が違った。

 ふっかふかのほわっほわで座ると深く沈みこんでバランスを崩しそうになるほどなのに、しっかりと腰を包み込んで安定させてくれるのだ。常人の3倍近くも体重があるアンドレが座っているのに軋むことすらせず、天鵞絨(ビロード)(アンドレには何の素材かも分からなかった)の座面も背もたれも優しく身を包み込んでくれて、まさしく天上の座り心地だった。ヤバいこれは立てなくなる、と思った時にはもう手遅れで、彼はもうこの“人をダメにする魔のソファ”から立ち上がれる気がしない。


 そして侍女が目の前で淹れてくれて差し出された紅玉(リュビ)色の紅茶の味がまた飲んだこともないほど美味で、まず間違いなく最高級品なのは分かったが、分かったのはそれだけだ。

 というかその侍女自身が今までお目にかかったこともないような美女で、指先から声から爪先から立ち居振る舞いまで何もかも洗練されていて、この人が公爵家令嬢だと言われても普通に信じられそうなほどだ。そしてそこまで完璧なのに表情に隠しきれない怯えが浮かんでいるのを見て、心の底から申し訳ないと思ったものである。


 この美人な侍女だけではない。脚竜車のドアや玄関扉を開けてくれたドアボーイも、応接室まで案内してくれた侍従も、なんなら脚竜車の馭者や庭先で頭を下げてくれた庭師や脚竜に口綱をつけて厩舎に曳いていった馬丁でさえもが公爵家の使用人に相応しい洗練された身のこなしや佇まいで、これが高位貴族の、雲の上の世界の住人なのかと驚かされることしきりであった。

 とてもじゃないが、平民に毛が生えたような生活をしている自分や実家とは比べることさえおこがましい。どこからどう見ても住んでいる(・・・・・)世界が(・・・)違う(・・)としか言いようがなかった。というよりも伯爵家当主のはずの副団長までガチガチに緊張してるってどういう事なんだ。伯爵家って高位貴族のはずでは?


「あの、ノルマンド公爵家って筆頭公爵家⸺」

「無論だ」

「………ですよね」


 公女のお成りを待つ間少しだけ手持ち無沙汰になったので、副団長に小声で聞いてみたら一言で肯定された。これほどの洗練されたもてなしを見る限りまず間違いないだろうと思ったのだが、やはり筆頭公爵家だった。


「今の御当主が王弟殿下なのだから当然だろう?それでなくともノルマンド家はもう4代ほど続けて筆頭公爵家の座を占めておる。ゆめゆめ粗相など致すでないぞ」


 いやあ、全くもって自信はありません。


 とは言えなかった。

 言えるはずがない。なにしろノルマンド家と言えば西方騎士団管轄のノルマンド地域圏の領主家でもあり、セーの街はノルマンド地域圏にある。つまりアンドレが普段巡回しているのはノルマンド家の領地なのだ。だからアンドレたちにとって事実上の主君と言えるのがノルマンド家であり、万が一にも粗相などあってはならないのだ。

 そうか、だから副団長もこんなに緊張してるのか、とアンドレはひとり納得する。よくよく考えてみれば当然のことであった。



「公爵家当主オリヴィエ閣下、ならびにご長女レティシアさまがお見えでございます」


 その時、ドアの側に控えていた若い従僕(ドアボーイ)が声を上げた。

 あの時のお姫様と再会する瞬間が、とうとうやって来たのだ。

 緊張に思わず居住まいを正したアンドレは、隣で立ち上がった副団長に倣って自分も慌てて立ち上がる。もう二度と立てないと思っていたのに、その気になって頑張れば何とか立てるもんだなと、ひどく場違いな事を思いながら。







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