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今日も姫様がグイグイ来る。【短縮版】

短編として公開した『今日も姫様がグイグイ来る。』を一部短縮して再掲。

とはいえ約5000字あるのでちょっと長いです。短編版をお読みの方は読み飛ばしてもOKです。


初日は短編おさらい、設定資料2編、人物紹介と第一話まで投稿します。設定資料も読み飛ばしOK、読み始めは【序】からどうぞ。

設定資料は分からない言葉が出たら読む、くらいで問題ありません。







「アンドレさま!」


 背後から名を呼ばれて、男は固まった。

 固まったまま、動かなくなる。


 立ち去りはしない。振り返りもしない。

 ただ微動だにしない。


「もう、アンドレさま!」


 再び名を呼ばれる。

 たたた、と駆け寄ってくる気配がする。

 聞き慣れた、小気味よい、軽やかな足音。


「どうして何もお返事くださらないの?」


 足音がすぐ後ろまで来て、再び声をかけられる。

 鈴を転がすような、澄んだ美しい声だ。これも聞き慣れた、すっかり聞き慣れてしまった、声。


 無駄だと分かってはいるが抵抗したい。

 振り返るのが怖い。


 でも、反応しなければ悲しませてしまう。


 ギギギ、とまるで錆びついた機械のようなぎこちない動きで、男はようやく振り返る。

 覚悟を決めて、声の主に正対する。


「や、やあ。おかえりなさいお嬢様」


 そして引き攣った笑顔で、ようやくそれだけ声を出した。


「もう!お嬢様、ではありません!

レティシアとお呼び下さい、といつも申し上げているではありませんか!」


 少し拗ねたような声が聞こえた。

 向き直った男の眼前、ではなく、腰のあたりから。


 視線を下げれば、そこにいたのは、女神と見まごうばかりの絶世の美少女だった。


 腰まで伸びた鮮やかな金糸雀(カナリア)色の髪に、見たこともない金色に輝く瞳。肌は白く艷やかで、だが決してその下を流れる血の温かさを忘れさせない。

 腕も脚も腰も首も華奢に過ぎて、男が指で摘むだけで折れ砕けてしまいそうな程だが、だからといって病的に細いわけではない。付くべき所にはきちんと筋肉と脂肪を纏わせ、女性らしいふくよかな丸みと柔らかさ、そしてしなやかさを備えている。

 形も大きさも配置も、どれを取っても寸分の狂いもなく完璧に整った、神の造形以外の何物でもない(かんばせ)は神々しささえ感じられ、美貌で知られるエルフたちをもすら魅了しそうだ。その顔が喜色に満ちて、視線は真っ直ぐに男の顔を見上げていた。

 頬にほんのり朱が差し、瞳には蕩かすような熱を帯び、ただでさえ美しい顔をさらに美しく染め上げている。そんな彼女は同年代女性の平均よりも少しだけ小柄で、華奢な肢体もコンパクトな顔立ちも、大柄な彼の前ではより小さく見える。


「3年ぶりに、ただいま帰りましたっ!」


 その彼女が、堪えきれないといった様子で男の大きな腰に飛びこんで抱きついた。

 そして心から愛しそうに叫んだのだ。


「今日こそ、わたくしを貴方様の妻にして頂きとうございます!」


 と。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 アンドレ・ブザンソンは騎士である。

 母国ガリオン王国の首都ルテティアにある国立学園の騎士科を卒業した彼は、念願かなって地方騎士団に入隊した。それから10年、真面目に務め上げた彼は小隊長として、一部隊を任されるまでになっていた。


 アンドレが配下の小隊を率いて街道を定期巡回している時に、それは起こった。

 獣の咆哮と、脚竜の断末魔。そして何かが破壊される物音。異変を聞きつけ麾下の小隊を率いて現場に急行した彼が見たのは、爪を立てられ引き倒された脚竜(イグノドン)と、横倒しになった馬車ならぬ脚竜車、そして脚竜を貪り食らう灰熊だった。

 その周りには投げ出され倒れて動かない馭者と、やはり倒れ伏して動かない護衛たち。脚竜車はひと目で仕立てのよい高級車だと見て取れ、護衛たちの装備もしっかり整っていたことから、貴人の一行だとすぐに知れた。


 アンドレは直ちに配下に指示し、5名の隊員のうち2名を周囲の警戒と斥候に当て2名を脚竜車内の確認に向かわせた。そして自身は小隊でもっとも腕の立つ隊員とともに、灰熊を討伐するべく動く。

 灰熊は大型かつ獰猛な肉食獣で、熟練の冒険者であっても「出会ったら逃げろ」と言われるほどの難敵だ。立ち上がると巨躯を誇るアンドレよりもさらに一回り大きく、さすがに彼も一人で相対出来るとは考えなかった。

 最初はふたりで、すぐに脚竜車の確認を終えた2名のうちのひとりが応援に加わって3人がかりで、それでも倒せずに周囲を確認して他に危険はないと判断した斥候の2名までも加わって、騎士5人がかりでようやく倒すと、アンドレはすぐに脚竜車から救い出された貴人の元へ駆け寄り跪いた。


 それが、当時まだ5歳だったレティシアだ。身を挺して彼女を守った血だらけの侍女に抱きしめられながらも、幸いにしてその身には傷ひとつ付いていなかった。けれど侍女の治療や亡くなった護衛たちの搬送などの必要もあってアンドレは部下たちに指示し、本部や近隣の街に連絡して応援を要請し、そして迎えが到着するまで鎧を脱いで、怯える幼いレティシアを抱きかかえる羽目になった。

 彼女は怯えてはいたものの、それは脚竜車を襲った獣に対してであり、アンドレの大きな身体に包まれて安心したのか、すぐに眠ってしまった。アンドレは自身に怯えられなかったことに安堵しつつも、報せを受けて駆けつけてきた迎えの人々に彼女を託すと、名も名乗らずに小隊とともにその場を立ち去った。



 別に恰好をつけたわけではない。

 それが業務で、ただするべき仕事を果たしただけなのだから、誇ることも褒美を求めることも良しとしなかっただけだ。

 貴人の少女の素性についても彼は何も詮索しなかった。やんごとないご身分なのは見てすぐ分かったし、高貴な方々と必要以上に関わり合いになってもロクなことはない。自分はただ、与えられた職務をこなして定められた俸禄を貰えばそれで充分なのだ。


 だというのに、後日ノルマンド公爵家から礼状と大量の下賜品が届いて彼は仰天する羽目になる。それで初めて彼は、あの時助けた相手がノルマンド公爵家のレティシア公女だったと知ったのだった。

 しかもそれだけではなく、レティシア公女自らが自分に直接会ってお礼を述べたいと希望されている、と騎士団長に呼び出されて聞かされたアンドレは、拒否することもできないまま首都ルテティアに送り出された。騎士団副団長の先導と監視、というおまけ付きでだ。



「くまみたいなおっきなきしさま。あの時たすけてくださってありがとう」


 ノルマンド公爵家の首都公邸でアンドレの面会に応じたレティシアは、怯えながらも彼女を守ろうとする侍女たちや護衛たちを後ろに下げつつ、満面の笑みでそう言って可愛らしくお辞儀した。

 それから「あっ」と慌てたようにスカートの裾を摘んで、習いたてであろう淑女礼(カーテシー)を披露する。


「わたくしはレティシア。レティシア・ド・ノルマンド・リュクサンブールです。きしさまのおなまえをお聞かせくださいな」


 あの時は死んでしまうかと思った。助けが来たと分かって本当に安心した。安心しすぎて、大きなお胸で眠ってしまってごめんなさい。あのあと爺やにきしさまのことを調べてもらって、それでこうして会うことができました。本当はわたくしが会いに行くつもりだったのだけど、呼び出してしまってごめんなさい。

 頬を赤らめて止めどなく話し続けるレティシアに戸惑い、公爵家の豪奢な応接間のふっかふかのソファに緊張し、飲んだこともない美味しい紅茶に恐縮し、侍女や執事や使用人や護衛や、果ては馬丁や庭師まで纏う洗練された一流の職人のオーラに圧倒され、アンドレはこの時レティシアが語ったことをほとんど憶えていない。ただ憶えているのは「くまみたいなおっきなきしさま」というレティシアの言葉と、その時見せたキラキラした金色の瞳、そして名を告げた際の「アンドレさま、とおっしゃるのですね」と呟く鈴の音のような声と、サッと朱に染まった可愛らしい頬だけだ。

 まさかそれが、その後ずっと向けられる好意の始まりになろうとは、神ならぬ身で分かろうはずもなかった。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 その後、一旦はノルマンド公爵家からアンドレへの接触はなくなった。だから彼も、あの時のことは良い思い出として、半ば記憶の彼方へと流しかけていた。

 そんなタイミングで、彼の元へノルマンド公爵家から婚約の打診が来たものだからビックリ仰天である。あれから7年。レティシアは12歳に、そしてアンドレは結婚もできないまま32歳になっていた。


 公爵家ではアンドレの素性から人となり、経歴から交友関係まできっちり調べ上げていた。その上で、無爵の騎士に過ぎない彼に婚約を打診して来たのだ。

 使者としてやってきた侍従によれば、婚約に応じれば実家の子爵家に多大な支援をし、アンドレには伯爵位を公爵家で用意するという。もちろん希望するなら騎士は続けて構わないし、社交界にも必要最低限を除いて出なくていいという。そしてレティシアが成人して晴れて結婚できるようになれば、首都にあるイェルゲイル神教西方大神殿で盛大に神前式を執り行う予定だと言う。


 とんでもない、畏れ多くてとてもではないが受けられない、とさすがに断った。断ること自体が不敬に当たるのは重々承知の上で、それでも断った。

 だって断るしかないではないか。仮にも相手は世界屈指の尊き血筋のお姫様で、そこらの国王よりも高貴なご身分なのだ。それにひきかえこちらはほとんど平民の、取り立てて才能もないただの騎士に過ぎない。勘弁してくれ、というのが偽らざる本音だった。

 だというのに、断ったら断ったでレティシア本人がアンドレのいる街に居を移してしまったではないか。しかもそのためにわざわざ別邸まで建てて、アンドレにも邸をプレゼントすると言うのだ。

 そして何かにつけてアンドレの元を訪れ、デートに誘い、話をねだり、ともに時を過ごそうとする。12歳になった彼女はまだまだ幼いながらも神々しいまでの美貌に拍車がかかり、美しく成長した姿は女性としての魅力をしっかりと備え始めており、蕩けるような瞳と鈴音のような声で、アンドレに真っ直ぐに想いをぶつけてくるのだ。


 アンドレは決して幼女趣味ではない。だがその彼をして、抗いがたいほどの魅力を彼女はすでに発揮し始めていた。


 だから彼は逃げた。

 逃げたと言っても、姿をくらましたところで公爵家の情報網でたちどころに探し当てられるのは目に見えている。だからレティシアの動きを予測して、すれ違うように別の場所に移動する。そうして可能な限り顔を(・・)合わせない(・・・・・)ように(・・・)立ち回ったのだ。

 逃げ切れずに捕まることも多かったが、それでも婚約の話だけはなんとかごまかし続けて1年が過ぎた。


 そんな時、レティシアが言ったのだ。〈賢者の学院〉への入学が決まって、アルヴァイオンに行かなくてはならなくなった、と。


 正直、逃げ切れたと思った。

 だって〈賢者の学院〉には西方世界のほとんどの国々から、選りすぐりの天才秀才たちが集うのだ。それも王侯貴族の子弟をはじめとして、特別の家柄の貴顕の人々が。そんな中で3年も過ごせば、きっと彼女にも相応しい相手が見つかるだろう。同年代の、家格も才能も見合う相手を見つけられれば、彼女もきっと幼き日の淡い初恋から卒業できることだろう。


 旅立ちの日には、レティシアたっての希望もあってアンドレも見送りに参加した。彼女は少しだけ淋しげに、でも彼が来てくれた喜びを隠さずに、笑顔で海を渡って行った。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 それから3年。

 彼女はさらに成長して戻ってきた。


 そう、戻って来てしまったのだ。さらに美しく魅力的になって、しかもアンドレへの想いはそのままに。


「ただいま戻りましたっ!」

「は、はい」

「今度こそ、婚約致しましょう!」

「え、ええと」

「大丈夫ですっ!わたくしが選んだ良人(おっと)ならばと、公爵家にも王家にも、リュクサンブール大公家にもお許しを頂いておりますわ!」

「えええ!?いや待ってそんな!」


「わたくしは、あの日からずっと!貴方様をお慕い申し上げておりますの!」


「いやでもですね、俺………私は取り立てて才能も血筋も財力もないし」

「でもお優しいです!それにお力も強くて、わたくしを守って下さいます!」

「それにほら、お……私はこのように見た目が怖ろしげで」

「そんな事ありません!とても頼もしくて安心しかありませんわ!」

「だけど、20も歳の離れた親子みたいなオッサンですよ!?」

「ですがあの時からずっと、アンドレさまはわたくしにとって唯一の“騎士様”なのです!」


「とっ、とりあえず定期巡回がありますので、この話はまた後日!」

「あっ、お待ちになってアンドレさま!お話を聞いて下さいまし!アンドレさまぁ〜!」



 今日もレティシア姫様はぐいぐい来る。

 アンドレが陥落するのは、もうそう遠い未来ではなさそうである。








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