第2話 救世
この作品はフィクションです。
重要語句は【】、能力使用時は≪≫で記載しております。
変化は瞬間。
俺の服装が、白地に金の刺繍があしらわれた、ゲームの聖職者が着ているようなカソックへと変わっていた。
俺に噛みついていた全てのイヌザルが、そのカソックに弾かれるかのように、俺から距離を取る。
激流の如き痛みが、凪いだように収まっている。
仰向けの視界には、自分を貫くように白い線のようなものが空へと伸びている光景が見える。
思わず疑問が口から零れる。
「……っ!?……何がお―」
言葉を言い終わる前に事態は動いた。
白い線が一瞬で体積を増し、俺を飲み込んだ。
瞬間、視界が真っ暗に閉ざされる。
言葉が途中で消失し、音が何も聞こえなくなる。
背にあるはずの地面の感触が消える。
それらが同時に起きた。
「―――!!」
大声を出しているつもりだが、まったく音が聞こえない。
目を開けているのか、閉じているのか判別できないほど、全く光源が無い無明の闇。
重力を感じないが、かといって浮遊感もない。
自分が上向きなのか下向きなのかも判らない。
まるで奈落の底へ落ち続けているかのような、心持ちになる。
手を周囲に伸ばしてみるも、自分の体以外に触れられるものがない。
その時、気が付いた。
大半が食われてなくなった筈の、体の感覚があるのだ。
視覚での確認は現状不可能だが、どういう原理か復元した手で触ってみる限り、欠損部位はなさそうだ。
手触りの感じからして、やはり例のカソックを纏ったままのようだ。
直近の状況から、【救世】の効果か、突然現れたこの服によるものなのだろうか。
周囲に居た人々やイヌザルはどうなったのだろうか。
家族は無事だろうか。
この現象は、自分にだけ起きているのか、他の者にも起きているのか。
そうして漸く気が付いた。
呼吸していない。
息を吸おうとしても吐こうとしても、何もできず、肺も動いていない。
にも関わらず、苦しさを感じない。
念のため、胸に手を当ててみるが、心臓は動いている。
酸素を吸えず、二酸化炭素を吐き出せないのに、何故心臓は正常に動作しているのか。
常識を何処かに置き忘れてきたかのような、この状況。
ふと、死後の世界、そんな言葉が頭に浮かぶ。
死因はあの白い線なのだろうか。
だとしたら、そもそもの原因は【救世】を使用した事なのか。
誰も彼も死んでしまったのだろうか。
まぁ、俺の心臓は動いているのだが。
兎に角、出来ることをやってみた。
泳ぐように移動できないか試してみたが、恐らくその場から微動だにしていない感じだ。
手足を限界まで伸ばしてみたものの、届く範囲に触れられる物はない。
こうなる直前の状況を思い出してみたり、現状を推察してみたり。
どれも成果は無く、いつの間にか意識を手放し、寝落ちしていた。
瞼に光を感じる。
眩しさに思わずうめき声が漏れ、咄嗟に目を腕で覆う。
どれほどの時間、意識を手放していたのか分からない。
身体が随分重く感じる。
横たわる体を起こそうと、身をよじりながら、違和感に気が付いた。
光、音、重力、空気。
あの暗闇の空間ではない。
眩しさに未だ慣れず、痛みを覚えながらも、薄目を開けて周囲を確認する。
屋外ではなく、屋内のようだ。
周囲を手で触れた感触も、土や砂ではなく、石の床のようだった。
どうやら床に直に横たわっていたようだ。
床に這いつくばる俺に声がかけられた。
「お目覚めになられましたか?」
女性の声。
やはり、音も戻っているらしい。
声の発した方向へと薄目を向ける。
ぼんやりと発光しているような人影が見える。
「お加減は如何でしょうか?」
「っ!?ゴホッゴホッ!!」
答えようとしたら、盛大に噎せる。
口や喉に水気がない。
そういえば、猿モドキに襲われた際、口の中が血だらけだった。
それが乾いて固まってしまったようだ。
涙目になりながら、尚も噎せていると、横合いからグラスに入った水と思われる物を差し出された。
漸く光に慣れてきた目で横を見ると、何時からか女性が居た。
天色―晴天の澄んだ空のような鮮やかな青色のショートヘアに、スクエア型の青みがかった眼鏡をかけた美人だった。
否、メイドさんだった。
最近のミニスカなメイド服ではなく、クラシカルロングのメイド服を着ている。
眼鏡美人のメイドさんから声が降ってくる。
「どうぞ」
先程聞こえたのとは違う声だった。
声が出せないので答えを返せないまま、お辞儀で感謝の意を示し、グラスを受け取る。
口に含んで、血を溶かす。
辺りを見渡すが、一面石床の為、吐き出せる場所は無い。
仕方なしに飲み下す。
そのまま一気にグラスの中身を飲み干した。
やはり、グラスの中身は水だったと思う。
生憎、血の味しかしなかったが。
「…ありがとうございます。助かりました」
「いえ、お礼は不要に願います。主命に従っただけですので」
礼を口にしたら、横のメイドさんから、そんな言葉を返された。
俺が何かを言う前に、今度は正面から声がかけられた。
「あなたをあの世界からここへ運んで来て貰うように頼んだのは私。頼みを聞いて運んで来たのは彼女なのです。…お姫様抱っこで」
「あぁそういう意味……ん?」
最後にボソッと何か言ったような。
というか、水の礼を述べたつもりだったのだが、そもそも救助してくれてもいたのか。
「助けていただいたみたいで、ありがとうございます」
二人に対し、頭を下げる。
正面の女性に目を向ける。
だが、そこには女性を精巧に象った彫像が鎮座しているだけだった。
この部屋の中央には台座があり、直径30センチ程の球体が乗っている。
手前側に出入口と思われる扉、奥側に彫像という配置だ。
彫像を含め、この部屋全体が、石造りではなく、水晶のような透明な鉱石で出来ているようだ。
それら全てが淡く紫色に発光しており、部屋全体を紫色に染め上げている。
見渡す限り、この部屋には俺と隣のメイドさんしか居ない。
俺が声の主を探していると、女性の彫像が一際強く光を帯びる。
「私はこの彫像を媒介にして、お話させていただいております」
彫像から先程と同じ声が聞こえる。
顔は僅かに俯き、下ろされた両腕は僅かに開かれ、丁度この位置からだと台座上の球体に手を添えているように見える。
目と口を閉じている造りとなっている為か、腹話術でも見せられている気分になる。
聞こえた声は脳内への謎電波ではなく、普通に耳に届いていた。
彫像に内臓スピーカーでもあるのだろうか。
「お体に、何処か不調は御座いませんか?」
問われ、自身の体を見てみる。
手首足首まで覆っている、あのカソックを着たままの姿だ。
靴まで見慣れない白地に金装飾の物に変わっていた。
あの、無明の空間では見ることは叶わなかったが、五体満足。
やはりというべきか、体のどこにも欠損は見受けられない。
カソックは破れた箇所はおろか、血痕すらも無い。
頭部を手探りで確認してみるも、特に問題はないようだ。
当然、痛みもない。
「はい。特に不調は感じられません」
「それは良かった。お話できるほど回復している事は稀です。特に精神面に関してですが」
話しぶりから察するに、自分よりも先に【救世】を使用した者が複数名居たようだ。
ともあれ、いろいろと事情を知っていそうだ。
今は休息よりも情報の収集に努めるべきだろう。
「あの、いろいろと伺っても構いませんか?」
「お体にさわりがないのであれば、構いませんよ」
21/06/04 誤字修正
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