28.スウェーデンな日(3)
スウェーデン二日目。僕と夏希はノーベル博物館に来ていた。ノーベル博物館は僕が当初想像していたよりも小さかったけど、それでもその情報量は凄かった。
音声ガイドもあるのでそれを利用しても良かったのだが、英語でも読めるので今回は見送ることにした。
それと、この館内は入館者はFREE Wifiを使うことができる。勿論、ノーベル博物館だけでなく、ストックホルムの至るところでFREE Wifiが整っているので、日本のようにWifiで不便するようなことなんてなかった。
ストックホルムというよりは、欧州全体がそのような感じなので、それだけで日本よりも遥かに過ごしやすいと思えるほどだ。
実際、その辺の複合商業施設にだってFREE Wifiが完備されている。これが日本だとそのように整っている場所はそれほど多くないだろう。
できれば日本ももっとWifi環境を整えてほしいものだと思った。
それはともかく、ノーベル博物館内の雰囲気はいかにも博物館然とした、全体的に落ち着いていて、照明も少な目だ。
入り口直ぐの天井にはレールがあって、そのレールを歴代ノーベル賞受賞者の写真が印刷されている垂れ布が回っていた。
探せば日本人受賞者の写真も見つかる筈だ。
ずっと天井を眺めていても仕方がないので、そこから少し進んだ場所に歴代ノーベル賞受賞者について詳細が載っているタッチパネルが用意されている。それぞれ年代毎に別れていて、そこそこの人だかりがあった。
「ノーベル賞って1901年からあったんだね」
夏希がそういうのも、一番年代の古いタッチパネルの場所には1901~1910とあったからだ。
丁度場所が空いていたので、そこに行ってパネルを操作した。
「うーん、流石にこの頃だと欧州ばかりだね。日本人初のノーベル賞も湯川秀樹で1949年だから」
「へー、じゃあそれまではヨーロッパの人ばかりなの?」
「まあそうだね。後はアメリカ人が多いと思うよ。世界で一番ノーベル賞受賞者を輩出している国だからね」
「あー、確かに。ノーベル賞ってアメリカ人が多いイメージがある」
タッチパネルを操作して、1901年のノーベル物理学賞の受賞者を見ているとある人物を見つけた。
「ねぇ、このヴィルヘルム・レントゲンって人、もしかして·······」
「夏希の考えてる通りだと思うよ。このレントゲンがX線を発見したから、今でもX線検査のことをレントゲンって言うんだと思うよ」
そして1903年の受賞者にはかの有名なキュリー夫妻がノーベル物理学賞を受賞していた。
「あれ、キュリー夫妻ってこのベクレル?って言う人との共同受賞だったんだね。ていうか、ベクレルってどこかで聞いたような······」
「うーんと、ベクレルって言うのは放射性崩壊の単位のことらしいね。ほら、よく放射線量を調べるときに何ベクレルっていうし」
僕がスマホで調べながらその内容を夏希に伝える。
「そうなんだね、道理でどこかで聞いたことがあると思った」
それから、1910年までの受賞者はあらかた見たので、次は1911~1920年の所が空くのを待ってから行った。
「あ、ここでもキュリー婦人がノーベル化学賞を受賞してたんだ」
「キュリー婦人は二回ノーベル賞を受賞しているからね」
その後、その年代では僕たちも聞いたことのあるような有名な人は居なかった。




