賞賛はありがたい、批判はいらない ~なろう批判を批判するを読んで~
言うまでもなくこれは、『なろう批判を批判する! ?昨今のなろう批判ブームに対し、背景を大して知らねーで語ってんじゃねーよ!!と思った古参が、新参向けに、なろうが勝者になった理由と歴史を書きなぐる話?』への便乗である。
特に、『09 なろうは作家の『天国』だった?『小説家になろう』が勝ち組になれた、本当の理由 』に賛同してのものである。
それを踏まえてもらいたい。
結論から先に言うと、
「批判はいらない」
という事になる。
題名通りでひねりも何もない。
けど、本当にこれが全てである。
俺は一応、この小説家になろうで小説(というのもおこがましいが)を掲載している。
そして、批判というかそれらしきものをよこされた。
その経験から出てきた気持ちや考えをまとめると先ほどの言葉になる。
「批判はいらない」
本音を言えば「いらない」どころではない。
もっと激しく、もっと強烈に言いたい事もある。
さすがにそれらをここに並べるのは気が引けるから控えるけど。
でも、それでもはっきりとこれだけは言いたい。
「批判はいらない」
本当にいらないのだ。
まず、もらって嬉しいという事は一切なかった。
今まではそうだし、今もそうだし、これからも高い確率でこのままだと思う。
目にした瞬間に気分が落ち込んでいったし、見たくもないから即座に削除した。
ユーザーもブロックした。
同じような書き込みを二度と見たくなかったので、感想欄も閉鎖した。
それくらい批判というのは見たくもないものである。
これにより感想をもらえる事もなくなり、それは実に寂しいとは思ってる。
いただけるであろう温かい言葉や励ましの言葉、楽しかったといった気持ちを目に出来ないのは残念だ。
だが、批判をよこされるよりはよっぽど良い。
だが、それでも批判を見るよりは良い。
……これくらい批判というものは嫌なものである。
それでも出てくるだろう、擁護や弁護が。
たとえば、そういうものに大切な何かが含まれてるもんだとか。
意図をしっかり読み取ろうとか。
そういう人もいるかもしれない。
実際、批判についてはこうやって擁護というか肯定する意見もちらほら聞く。
これが不思議。
なんでそこまでして擁護しようとするのか?
どうして批判、というより否定をしようとするのか?
ここが分からない。
否定ではない、批判だというかもしれないが、受け取るこちらからすると否定でしかなかった。
それをなんで受け取らないといけない?
別に否定なんていらないですよ。
否定されるためにやってるわけじゃないので。
なので、否定はいらない。
伝えたいことがあるんだ、というかもしれない。
でも、否定でなくていいよね。
なんで否定と言う形を取る?
本当に不思議。
いや、否定じゃないとそれでも言われるかもしれない。
けど、否定でなければなんなの?
否定と言う形をとるのが批判じゃないの?
見てる限りでは否定にしか見えないけど。
否定を肯定とでも言うのだろうか?
そんな事出来るのか?
とても出来ないと思うし、言いくるめか何かかと思ってしまう。
いや、反応がないより良いだろというかもしれない。
そんな事ない。
否定、批判なんて無いほうが良い。
否定、批判なんか読むくらいなら、何の反応も無いほうが良い。
だから俺は感想を受付ないようにしている。
否定した人をブロックしている。
それくらい否定なんていらないんだよ。
……これについては、他のエッセイでも書いてるから文末にて並べておく。
とりあえず、否定はいらない。
批判も否定の一種だと思ってるので、批判もいらない。
もらって嬉しいなんて事はないので、それはいらない。
でも、それでも出てくるだろうね、否定・批判擁護が。
これらは役に立つんだとかなんとか。
そういう意見を結構見かける。
でも、今までの実体験からするとそんな事はない。
否定は何の役にも立たない、とはっきりいえる。
本当に役に立たなかったんだよ、否定とか。
何か言いたいことがあるんだろうけど、それが書いてるものに役立つかというと、そんな事はなかった。
それほど多くもらったわけでもないし、もらった瞬間に削除・ブロックしたし、感想も受け付けないようにしたから数は少ないけど。
でも、本当に役に立つとは思えないものだった。
それを取り入れる必要があるのだろうか?
そして、役に立たないと思えるものに目を通す必要があるのだろうか?
あるというならその理由は何なのか?
そこはしっかり読み解かないと、と言うかもしれない。
でも、読み解かないといけないほど時間も手間もかけなきゃならんのか?
そこまでなんで努力しなくちゃならないんだ?
なんで一読して「ああ、なるほど」と分かるよう簡素でないんだ?
そもそも、否定という形で述べる必要があるのか?
とてもそうは思えないので、否定については全面的に拒否している。
実際、無くて困るという事はなかった。
感想を閉じたおかげで、賞賛なども聞けなくなったのは痛いけど、否定が無くて困るなんて事は一切なかった。
あと、否定ってこちらの書いてる事を変えようって事だよね。
なんでそれを受け入れなくちゃならんのだ?
否定という形で自分の考えを通したいのか?
ここが分からない。
否定ってのはそういうものだろう。
何も文句がないなら否定なんて無いのだから。
相手のやってる事を変えようとする、あるいは止めようとするから否定になるのだろう。
それをなんでされなくちゃならないのだ?
あ、公序良俗に反するものとかは含めてませんよ。
そういう話はしてないから。
こういう事を書いておかないと、わざわざこういう話にしだす人がいたりするので、念のために書いておく。
話してない事を勝手に持ち出されたらたまらない。
この部分に限らずね。
それに否定を取り入れたら、今のものを楽しんでくれてる人を裏切ることになるでしょ。
なんでそんな事しなくちゃならないの。
否定ってのは、今の状態を認めてないって事だろ。
それって、今のを楽しんでる人たちをも否定してるよね。
そうなるような事をわざわざする必要ってあるのか?
俺には全くそんな風に思えない。
思えないから書いてる路線をそのまま継続していきたい。
……となると、やはり否定はいらない、受け付けないって事になる。
そんなものより、賞賛の声の方がよっぽど役に立つ。
「楽しかった」「面白かった」
こんな声の方がありがたい。
これらは目にするだけでやる気が出てくる。
次もがんばろうと思えてくる。
否定にはこれがない。
無いから続きを書こうという気にもならない。
賞賛とは大きく違うところだ。
なお、別に「ここが良かった」とかそういう細かな指摘とかはいらない。
ただ「面白かった」「楽しかった」というだけでよい。
それだけで十分ありがたいものだ。
そして、感想とはそれくらい気軽で簡単なもので十分だと思う。
別に論評が欲しいわけじゃない。
分析してもらいたいわけじゃない。
これらを含めた賞賛が嫌いというのではないけど、必要かどうかというとそうではないという事だ。
もちろん、どこが良かったのかが分かれば、その部分を重点的にやっていこうという参考にはなる。
でも、感想にそこまで盛り込む必要性というのはない。
「楽しかった」「面白かった」というだけでこちらとしては十分だ。
否定排除のための感想を閉じたのでこれらもなかなかもらえなくなったのは残念だが。
でも、時折メッセージで伝えてきてくれる方がいる。
数は少ないけど、「楽しかった」「面白かった」という言葉を見ると嬉しくてありがたくなる。
書いてて良かったと本当に思う。
なんで賞賛は受け付けて、否定は排除するんだ、という人もいるかな?
でも、これの何が悪いんだろう?
賞賛はありがたいから受け取るのだが。
それって悪いことか?
褒められて嬉しいってのは何が問題だ?
褒めることが悪いとでも言うのだろうか?
そこまでして否定を擁護したいのだろうか?
賞賛を否定する意見というのは、本当に不思議でしょうがない。
なぜそこまで賞賛を毛嫌いするのかが分からない。
何か理由があるのだろうか?
そんな事も思う。
……否定するなっていっておいて、否定をするのか、とかも言われるかな。
でも、否定をしたい、否定を肯定したい、否定を擁護したいという人が否定を否定するのっておかしくない?
否定をしたい、否定を受け入れろというなら、まずはそう考え、思い、述べてる人が実践してもらいましょう。
問題ないですよね?
俺は否定を拒否してるので、そういったものはいらないですが。
そして、ここでようやく『なろう批判を批判する』につながる事を。
幸いにも小説家になろうには、否定をこちらで排除が出来る。
それがありがたい。
この場を使えるにあたっての最大の利点がこれだと思ってるくらいだ。
今後、もしコメント削除やユーザーのブロックなどが出来なくなるというなら、俺はここから退会するだろう。
寄せられた感想などを自分の意思で削除出来る事、書き込むユーザーをブロック出来る事が俺にとっては大きい。
これが無くなったら、小説家になろうの魅力は激減するだろう。
少なくとも、継続してここを使いたいとは思わなくなる。
このあたりは『なろう批判を批判する』の最終章に書いてあるとおりだと思ってる。
否定を受け入れろ、削除しないよ、という場所だったら、絶対に俺はここで書かなかった。
これらを排除する手段があるのが本当にありがたい。
だから俺はここで書いている。
書き続けられている。
コメント削除にユーザーのブロック、果ては感想欄の閉鎖まで出来る小説家になろうは、俺にとってはありがたい場所だ。
ありがたい機能を保ってくれている。
今後もこのままでいてもらいたい。
もし変化があるとするなら、感想の削除は受け取り拒否の機能を強化する方向でお願いする。
最後に。
「楽しかった」「面白かった」という感想をよせてくれた皆さん。
本当にありがとう。
返事もろくにしてないけど、ここであらためて述べておきたい。
皆さんのこういった言葉が書き続ける気力になっています。
今後も多少は面白い話を掲載していけたらと思ってます。
なお、ここに書いた事と重なる事も既に別のエッセイで述べている。
それらについては、次を参照で。
『思ったことを書いてみた』
https://ncode.syosetu.com/n0447eg/
──これの中にある以下の部分が今回の内容と重なってるかと。
『考証や検証は建前で、そこが目的ではないのでは』
https://ncode.syosetu.com/n0447eg/14/
『本当にそれで成長があるのか疑問である』
https://ncode.syosetu.com/n0447eg/15/
『つまらないと言われるより無視の方がよっぽど良いだろ』
https://ncode.syosetu.com/n0447eg/16/