19話 壊れたデータ
久しぶりの深い集中がボクに訪れていた。
パソコンでできるゲームも、読みたい小説も、観たい映画も今は気にならない。
頭の中でできあがった物語を、少しずつ文字に起こしていく。
こういうときは、良い作品が書けるものだ。
ボクは黙々とキーボードをたたき続けた。
無心だった。無音だった。
普段は流す音楽も今はうるさく、ただキーボードをたたく音だけが聞こえる。
画面上には次々と文字が浮かんで、変換されていく。
本当に集中しているときは、不思議とタイプミスも少なくなるし、文章がすぐに思い浮かぶから、途中で手が止まると言うことがない。
だから、とても早く書ける。
普段からこれぐらい集中して書ければいいんだろう。
いつも思うのだけれど、意外とこの深い集中した状態というのはなかなか訪れない。
きっと、こういう瞬間を神が降りてきた、などと昔の作家は表現したのだろう。
たしかに頭に思い浮かんだ文章や光景が、遅滞なく文字になっていく光景は、どことなく神秘的なものを思わせた。
脳内で作り上げられた主人公が、次々と問題を解決していく。
だが、問題を解決した先から次の問題が沸き上がり、より騒動は大きくなっていく。
やがて、問題は組全体に広がり、抗争を引き起こす。
銃弾が飛び跳ね、血しぶきが舞い踊り、男たちの悲鳴が響きわたる。
戦場はどんどんと過激になっていき、負傷者が増えていく。
そして、物語は佳境を迎える。
敵の若頭のタチアナを倒したところ、実は彼ですら手先として操られていたに過ぎないことが判明する。
その黒幕の正体とは――。
「ふぅ……あともうちょっとだな」
気づけば二時間が経っていた。
時間が跳躍したような、不思議な感覚だ。
極度の集中の後の猛烈な疲れが今頃になって襲いかかり、ボクは深くため息をついた。
運動した後のような倦怠感が身を襲う。
よくチェスや将棋、囲碁、テレビゲームなどが海外ではスポーツとして捉えられている理由が分かる疲労感だった。
頭を意識的に使うというのは、とても疲れることなのだ。
しかし、今回はポメラのおかげだろうか。
ボクが使っているのは昔ながらのポメラDM100だったが、これが実に優れた道具だった。
なにせ普段使えるのがメモ帳だけという有様だ。
いや、実際にはカレンダー機能などもあるらしいのだが、ボクは使っていない。
使う気もないし、使い方も知らない。
この、徹底的に文章を書くことしかできない機能故に、ポメラは多くの作家やライターたちに愛されてきた。
ほかの作業に浮気して、集中力を切らす恐れがないからだ。
反面、ポメラはキーボードが少し小さいということもあって、ボクは出先で主に使っていた。
今回、自室でありながらポメラを使ったのは、使用環境が変われば少しでも進捗が進むきっかけになるかもしれないと思ったからだ。
狙いは的中した。
ボクはあと最期の30Pを残して、作業を終えることが出来ている。
締め切りまで、あと一週間。
数日中に完成させ、急いで石川さんに連絡して校正ができれば、何とか間に合うだろう。
ゴールが見えてきて、ほっとする。
ここしばらく、ずっと締め切りのことばかりを考えていた。
美味しいご飯も、楽しいはずのゲームも、少しも喜びを感じられずにいた。
あとはパソコンに移して、バックアップをとって、修正をしなければ。
ボクはポメラとパソコンをつなぐ短いUSBコードを差し込む。
ピロリン、と音がしてパソコンがポメラを認識した。
「あれ……?」
いつもと違うのが、ポロロン、という音がして、線を抜いたときの効果音がしたことだ。
ピロリン、ポロロン、ピロリン、ポロロン、ピロリン、ポロロン。
「えっ、ちょっと!? なにこれ!?」
ピロリン、ポロロン、ピロリン、ポロロン、ピロリン、ポロロン。
ピロリン、ポロロン、ピロリン、ポロロン、ピロリン、ポロロン――。
鳴り止まない効果音。
接続されては、切れる。繰り返す。
何度も、何度も。何度も、何度も。
パソコンの画面上に見られるGドライブという文字が表示されては消えていく。
そのあまりの光景に、ボクは瞬時に対応できなかった。
何か分からない。分からないけど、何かがおかしい。
血の気が引く思いがした。
「え、待って! ヤバい、なにか分かんないけど、これは絶対にヤバいから……!」
怖くなって、ボクは線を引き抜いた。
とたんに効果音は止まる。
良かった。いや、まるで良くないけど、とにかく人心地ついた。
いったい何がどうなってるんだろうか。
線がちゃんと差し込めているか確かめて、ボクはもう一度怖々とパソコンと接続する。
今度は先ほどのような事態にはならなかった。
やはり、接触不良の問題だったのだろう。
思えばもう何年も使って、抜き差しを繰り返しているのだ。
問題が出てもおかしくはない。
データを念のために確認する。
そして、恐るべき現実と直面した。
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「データが、壊れてる。ウソだろ…………」
壊れた。
壊れてしまった。
ボクの作品が、最高傑作が。
バックアップは、まだ、取れていないのに!
「嘘だっっつつつつ!!」
嘘じゃなかった。
現実だった。
どれだけ嘆いても、悲しんでも、文字化けしたテキストファイルは変わってくれない。
今日書いたやつだけじゃない。
これまでポメラに書き溜めていたたくさんのtxtファイルのすべてが、壊れていた。
ボクは呆然としていたと思う。
思うというのは、気づいたら時間が過ぎていたからだ。
多分三〇分ぐらいは放心していた。
「……そうだ、修復は出来ないのか?」
ボクはファイルが修復できないか考えた。
もう一度同じレベルの作品を書けといわれても、難しかった。
もちろんストーリーは頭にあるから、なぞることは出来る。
でも、それにはもう、先ほどの極度の集中によって作り上げた、特別な出来映えではないものだ。
こういう時、Twitterはとても助かる。
同じようにポメラを使っている作家で、同じ症状に悩まされたことがある人が必ず一人ぐらいはいるからだ。
返事はすぐに来た。
『私もなったことがあります。それは初期化しないと直らないですよ』
バカ野郎……。
ボクは、バックアップはこまめにする方だった。
周りの作家でバックアップ不足が原因でないている姿を何度も見てきたからだ。
だからいつも予防策は張っていた。
今回だって、書き終わってすぐにバックアップを作ろうとしたんだ。
だというのに、なぜ?
たった二時間、文字数にして一万二千字。
だけど、もう時間がない。
締め切りまでのこり一週間。
校正作業を考えたら、残された猶予はほんのわずかしかない。
……時間がないんだ。




