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プロローグ 絶対に破ることが許されない締め切り

新連載を開始しました。ヒーロー文庫から出版してる肥前文俊です。

よろしくお願いします。

 おっさんだ。

 頬に斜めの刃物傷のあるおっさんが、ニコニコと笑ってボクの正面に座っていた。


 眼光の鋭い、異様に迫力のあるおっさん。

 背は低く痩せぎすだが、外で目があったら一瞬で目を逸らすだろう相手だ。


 実際にこのおっさんはその筋の人だ。しかも組長でもかなり上の方の人らしい。

 その組長、田口五郎は、上機嫌にボクにビールを注いでくれた。


 ――まるで、目上の人間に対してするように。


 ヤクザの組長が頭を下げる相手なんて、そういないのではないだろうか?


 では、その相手であるボクはどんな人間なのか。


 ボク、川辺誠は小説家だ。

 あんまり売れない専業作家で、食べていくのがやっとという所。

 書いてるジャンルは任侠ものだ。


 仕事に貴賤(きせん)はないとは言うけれど、残してきた足跡を考えれば、けっしてここまで低姿勢に迎えられるような業績は残していない。

 だが、どういう縁か、おっさん組長に非常に気に入られてしまった。



 コップにビールがたまり、美しい泡がリングを描く。

 テーブルには最上級の寿司が並んでいた。

 産地直送の新鮮なネタで作られた、本マグロやウニ、金目鯛の湯引き、アワビなど、ふだんは手がでないような高級食材が、つやつやとした状態でこれでもかと並んでいる。


 きっと、とても美味しいんだろう。

 最高級のネタに、最高の職人が握った寿司だ。美味しくないはずがない。


 ちなみに、組長のおっさんは、ボクが寿司が食いたいというから寿司を用意してくれた。

 けど、ステーキが良いといえばステーキが出ただろうし、焼き肉が良いといえば焼き肉が準備されたに違いない。

 おっさんはだいたいボクの望みを叶えてくれる。


 ただ、今のボクにはまるで味が分からなかった。

 緊張していて、味わえるような状態じゃなかった。

 今も赤貝のコリコリとした食感がしていて、普段ならとても美味しく感じているはずだというのに、悲しいことに何の味もしない。


 おっさんは渋くて耳に心地よいバリトンボイスでボクに話しかけてきた。

 女だったら声だけで惚れそうな、良い声だった。


「先生。新刊の進み具合は、いかがですか?」

「え、ええ。まあぼちぼち進んでます」

「先生は締め切りを守る方よ。お前さんは信じて守ってたらいいのさ」


 組長の隣りに座っていた、妻の八重さんが優しくたしなめた。


 うそ、うそです! 本当はあんまり順調じゃないんです!

 パソコンのワードは、書くべき文量に対してまだまだ白紙が多くて、これから先どうしようか悩んでいる状態。

 正直、この後の展開をどうしようか悩みに悩んで全然進んでない。


 でも、そんなの正直に言えるわけがないじゃないか!


 このおっさん組長と、妻の八重さんは、ボクの新作を心から楽しみにしているのだ。

 一日も早く新刊が読みたいという理由だけで、こうして美味しい食事をご馳走してくれているぐらいだ。


 新しい寿司のネタを掴もうとしていた手が、思わず震えそうになってしまった。

 声が上ずっていなかっただろうか。

 進捗が芳しくないことがバレなかっただろうか。

 そんなボクの恐怖とは裏腹に、組長はとても嬉しそうだ。


「そうですか! いやあ、先生の新刊を第一に読めるなんて、ファン冥利に尽きますわ」

「……それだけ気に入って貰えて嬉しいです」

「先生ご自身は気づいていらっしゃらないかもしれませんが、私たちの業界では、先生の作品は最高に面白い。宝物ですよ。みんな涙なしには読めないと、何冊も購入してるやつがぎょうさんいてます」

「ほんとよねえ。部下たちも皆先生の本を褒めてますのよ」

「そんな大したものじゃありませんが、購入ありがとうございます」

「謙遜されますな、先生。もしなにか執筆に際して足りないものがありましたら、いくらでも申し出てください。この田口五郎、全力で応援させていただきますよって」

「ははは……そのときはよろしくお願いします」


 ありがたい話だ。

 こうして買ってくれる一冊が積み重なって、小説の続きが出せるのだから。

 ボクは曖昧に笑って、おっさんと八重さんに頭を下げた。


 そうしてボクがお寿司をご馳走になっていると、組長のおっさんに向かって、子分の一人――若頭の竜さんが近寄った。


「なんじゃい竜。今大事な話をしとるんや。中断するような用件か?」

「はっ、どうしても組長の判断を仰ぎたい用件で。申し訳ありません」

「あなた、行ったり。先生は私がお相手させてもらうから」

「分かった。頼むで」

「はいさ」


 非常に申し訳なさそうに、組長のおっさんが頭を下げて、席を離れる。

 部屋を出たところで、小さくおっさんの声が漏れ聞こえた。


「そんなことを許すわけがないだろう。ケジメの一つもつけさせろ。いいか、この商売ナメられたら終わりやぞ。やる時はとことん――()()


 ボクは耳をそばだてたことを死ぬほど後悔した。

 おっさんはボクにとても優しい。

 でも、けっして優しいだけのおっさんじゃないのだった。


「ごめんなさいね、乱暴な声を聞かせてしまって。あの人、仕事に関しては本当に厳しい人だから」

「り、立派なことですね……」

「自分が誰よりも約束を大切にしてるからこそ、誰かから約束を破られたり、仁義の欠いたことをされたら、許せない人なんです」


 まずい……。

 これは本当にまずい。


「先生、中座してすみませんなあ」

「いえ、大切なお仕事でしょうからお構いなく」

「さあさあ、気を取り直して、もう一度楽しみましょう」


 組長は葉巻を取り出すと、葉巻専用カッターで、ジャキン、とその先を切り落とし、ガスライターで火をつける。

 葉巻の先が黒ぐろと焼け、真っ赤に燃えだした。


 味の分からない食事会が、続いた。




 脂汗をかいて退出したボクに、話しかけてくる声があった。

 おっさんの愛娘のサクラちゃんだ。

 今年高校三年生になるサクラちゃんは、お母さんの血を色濃く引いたのか、モデルのスカウトが絶えないような美人だ。


 あれで過保護なところのある組長のおっさんは、絶対にモデルの仕事はさせないらしい。

 だけど、メリハリの利いた体や、スラッとした脚、女狐を思わせる、危険そうだけど目を離せない目つきといい、モデルになればきっと人気が出たことだろう。


「ねえ、センセっ」

「なんだい、サクラちゃん」

「本当に原稿できてるのかなーって思って」

「や、やだなあ。大丈夫に決まってるじゃないか」

「ふーん。そっかそっか。それなら良かった。もし危なそうだったら、アタシからパパに猶予をもらえるように頼んであげようと思ってたけど」

「あ、あはは。大人を見くびっちゃいけないよ。ボクはこれまで一度も締め切りだけは破ったことがないんだ」


 サクラちゃんはボクを見透かすような目で見つめてくる。

 どうしてボクは見栄を張ってしまうんだろう。

 おっさん相手には保身から。

 でもこのサクラちゃんには、男の意地として格好の悪いところを見せられない、という思いがあった。


「センセは前の人みたいに、急にいなくなっちゃダメだからね」

「ちゃんと仕上げるよ」

「本当に大丈夫なの?」

「ああ。これでもボクは、一度ペースに乗ったら筆が早いんだ。一日に三万字書いたこともある」

「ふーん……。じゃあ今は?」

「今はちょっと、キャラが動いてないけどね」


 まだボクの中で、作ったキャラクターたちの考えや動きがまだ明確になっていないのだ。

 すべてがハッキリと定まったとき、僕の筆は一気に加速する。

 ただそれがいつになるのかは、ボクにも分からないのが難点だ。


「ちょっとそれ、全然大丈夫じゃないじゃない」

「いや、ボクには最後の最後で頼れる切り札があるから」

「信じて良いんだね? 応援してるからねっ、センセ♡」

「がんばるよ」


 サクラちゃんはエールを送ると、そのまま自室へと戻っていった。






 今からおよそ三ヶ月前、ボクと組長は契約を交わした。

 組長はボクの創作活動を全面的にバックアップする。


 執筆中の生活費を出してくれ、執筆に集中するための部屋を用意してくれるのだ。

 すごい。

 一人の作家にそんなお金をかけて良いんだろうか。

 良いんだろう、きっと。

 タニマチ(パトロン)っていうのは、きっとそういうことなんだと思う。

 中世の貴族がお抱えの絵師や音楽家をずっと食わせていたようなものなんだと思う。


 用意してくれた部屋は、組長の家の一番奥で、防音がしっかりとしていて、壁がものすごく厚い。

 扉もめちゃくちゃ頑丈そうだ。

 窓はあまり大きくないけれど、ガラスではなく強化プラスチックによる防弾性だと教えてくれた。

 襲撃対策なんだろうか。怖すぎて笑ってしまう。


 十畳ほどの部屋に、和机が一つあって、ポメラという執筆用の道具と、ノートパソコンが一つ置かれている。

 ワードなどの文章を書くためのソフトだけではなく、アイデアやプロット管理のためのソフトもしっかりと入っている。

 フリーソフトもあるけど、有料の優れたやつは一つ一つが一万円を超えてきたりして、結構高価なソフトも多い。

 高いからボクは買い揃えてなかった。


 本棚も用意されていて、必要な資料も言えば好きなだけ用意してくれる。

 今は自宅から持ってきた資料が十冊ほど。そして購入してもらった資料が五冊ほど並んでいる。


 ネットの回線はボクが遊びすぎることもあって、一日に二時間だけ。

 朝と夜の決められた時間だけ開放してくれることになった。

 後の時間は物理的に線が抜かれてしまうらしい。


 Twitterがあると一日がすぐに終わってしまうから、これは仕方ない。

 できればゲームができるSteamも入れてほしかったのだけど、これもゲームばっかりしてしまうから、ダメだった。


 冷蔵庫には冷たい缶ビールや高級なジュース、酒のツマミも揃っている。

 それとは別に棚には珈琲や紅茶、日本茶など、飲み物も勢揃いだ。

 お腹が減った時用に和菓子や洋菓子も置かれていた。

 どれも有名なメーカーの美味しいものばかりだ。


 食事がしたければ二十四時間頼んで良いと言われた。

 外食もできるし、宅配で頼むのも大丈夫。

 家の人が起きている時間なら、調理もしてくれるという至れり尽くせりだ。


 だいたいヤクザの家なので、深夜でも誰かしらが起きていて、料理ができる人が起きていたら気安く作ってくれるのだ。

 これで深夜にカップ焼きそばを作る必要もない。



 執筆のために最高の環境を用意してくれた組長が、ボクに要求したことが一つだけ。


 ――最高の作品を、一日も早く。


 恐ろしいことに、組長はボクの刊行ペースをしっかりと把握してくれていた。

 ファンというのは嘘ではなく、次の新刊を楽しみにしていて、いつも本屋で予約してくれているという。

 マイナーで刊行数の少ない作品だから、アマゾンなどのネット通販ならともかく、小さな本屋さんだと事前予約しておかないと置いてすらくれないのだ。


 そして、本屋に置かれたら、買ってくれる確率はほんの少しだけど高くなる。

 だからどうしても欲しくて、続きが読みたい作家の本は本屋さんで買うと良いのだ。

 そんな業界の裏事情まで、この組長は本当によく知ってる。


 年に三冊。おおよそ四ヶ月に一冊がボクの刊行ペースだ。


 「最高の環境」なら、どれぐらいで書けそうですかと質問された。


 ボクは、「三ヶ月あれば書けるだろう」と答えた。


 この計算にはある程度の余裕を含ませたはずだった。

 毎日の自炊や洗濯、掃除といった生活にかかる時間。

 Twitterなどのネットに使う時間を考えれば、創作に集中できる缶詰状態であれば、劇的にスピードは向上するはずだ。

 早ければ一月でも一冊書けるんじゃないだろうか。

 そんな甘いことすら考えた。


 缶詰状態といったが、じつはこの部屋には恐ろしい機能がついている。

 というか、契約を交わした後、ついたのだ。

 扉には外側から鍵がかかるようになった。


 つまり、出れない。


 もちろん、完全に監禁されるわけじゃない。

 散歩がしたかったり、気分転換に外出したり、食事をしたり。

 あるいは本屋に資料を買いに行ったり、取材をしに行ったり。

 外には出れる。


 でも、出れないかもしれない。


 昭和の頃、山の上にあるホテルでは、文豪を泊まらせて監視させていたらしい。

 それと同じものなんだ。


 ここで、問題を暴露してしまおう。

 今、二ヶ月と半月が経っている。

 原稿はまだ、三割しか書けてない。

 組長はボクに多くの投資をしてくれている。


 場所の提供もそうだし、食事もそうだ。

 銀行にも生活費が振り込まれてしまっている。

 じゃあ、もしボクが締め切りを落としたらどうなるんだろうか。


「ケジメをつけてもらいましょか」


 指を切り落とされる?


「もう外出は不要ですな」


 足を切り落とされる?


 うん、とってもピンチだ。

 もしかしたら、組長はボクを笑って許してくれるかもしれない。

 でも、もしかしたら許してくれないかもしれない。


 残りはたったの半月、一四日。

 残りおよそ二〇〇ページ。


 それも、誤字脱字や微妙な言い回しの混じった第一校の状態じゃなく、完成状態にまでクオリティを上げなくてはならない。


 ボクは、期日までに書ききることができるんだろうか。

フィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

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