【8日目-3】精霊と魔族
魔力の渦――門は、変わらずその異様な存在感を放っている。そして、二人は周囲へ注意を向けつつも、視線は変わらず門へと向いている。先ほど思わず声が出たときは一瞬、クラウスがこちらへと視線を向けてきたが。
私は少し考えて、二人と門の間へと進み出ながら剣を鞘へと収める。今からやる事を考えると出来るだけ刺激は少ない方がいいだろうから。
「二人とも、少しの間だけ武器を収めておいて」
「何をするつもりだ?」
「心配しないで。危険な事は…ないから」
「…少し間があったのが気になるけど、信じていいんだね?」
「もちろん」
それを聞いて二人を目を合わせると、それぞれに武器を収めた。とはいえ、何かあればすぐに対応できるようにしてるみたいだけど。
「それじゃいくよ。『《精霊達、私の声が聞こえる? 話があるの。あの歪みについて何か知ってるなら応えて》』
私は声に魔力を込めながら、この一帯に存在する精霊達へ呼びかけてみた。とはいえ、これは前の世界での方法。こちらでも通じるかは分からないけれど、意志ある魔力である精霊なら何かしらの反応があると思っている。
そして応えは――。
《驚いたぞ、人の子よ》
あった。
それは脳内に響く声として。同時に私の正面に一際大きな人型の魔力が生じ、周囲に小さく様々な魔力が現れた。その際にちらっと二人を見てみたが、ライラが魔力に気付いた様子で目を見張ってはいるが声が聞こえている様子はない。
《聞こえているのは、其方だけだ。後ろの二人は素質はあれど、資格はないのでな》
《まずは応えてくれた事に感謝を。そして、応えてくれたという事は何か知っているのね。良ければ教えて欲しいのだけど?》
《ふむ、良いだろう…と言いたいが後にした方が良いぞ。先ほどの一手が何か招いたようだからな》
「何…?」
精霊の言葉がきっかけとでも言うかのように、門から流れる魔力が変化した。先ほどまでは渦の中心へと流れていたのが、逆に渦から周囲へと流れるように。
「…っ!クラウス!ライラ!構えて!」
「今度は何だ!」
「兄さん、たぶん門から何か出てくるんだよ!」
私の声がするや否や武器を構える二人。察しが良くて助かる。
《我も力を貸そう。荒らされたままというのも、精霊として見過ごせないのでな》
《ありがとう》
私達の準備が整うのと同時に、門から音もなく二つの影が現れた。
見たところ、どちらも人に近い姿をしているが人間とは違う気がする。その証拠に二人のうち手前の男は背中に黒い翼をしており、後ろにいるのは女性だろうか…フードの隙間から溢れる黒い長髪とその奥から覗く紫色の瞳が印象的だ。
二人とも私達の存在にはすぐに気づいたようだ。森の中で木々があるとは言え、大して離れていない距離。隠れてもいなければ見つかるは当然か。
「黒い翼…魔族、それも上位か…?」
「…嘘!?」
ライラの驚いた声に反応したわけじゃないだろうが、男が口を開いた。
「ふむ? 見たところ只の人間しかいないが、お前たちが門に気付いたのか?」
その声音はどこか不思議そうであった。まるで私達では気付けるはずがないとは言わんばかりに。
「さぁね。でも、それだけの異質さを放っているのだから、誰でも気付くと思わない?」
「ほう。それに気付かせない為に結界に覆って存在を隠匿させてあったのだがな」
「そうなんだ? それにしては随分と拙い結界だったんじゃない? こうして貴方たちが出てくる羽目になってるんだから」
「はっ、言ってくれる。だが、我等が此処にいるのも事実。それは認めよう」
「あら、随分と素直なのね。それじゃそのまま素直に帰ってくれると嬉しいのだけど?」
「人間の娘よ、お前は面白いな。それだけに残念だ、まだ門を世に知られるわけには――いかないのでなっ!」
男は一瞬のうちに距離を詰め、私へと斬りかかってきた。
「っつ!『緑雨の風!』」
なんとか魔族の男の一撃を防ぐと共に詠唱。効果は速度と魔術強化と言ったところだけど、その間にも男の剣戟は止むことはなく私はそれを防いでは切り返していく。
『《森鐘の加護》』
少し遅れて精霊は私達3人に対して加護を付与してくれた。不意打ち気味だったとはいえ精霊ですらこの速度に対処するのは辛いのだろうか? だが加護というだけあって、その効果は目を見張るものがある。ぱっとわかる範囲で認識・思考速度の上昇に身体能力の強化、武器への能力付与かな。もしかしたら、これだけの効果だから発動に時間を要したのかもしれない。さすがに精霊がその程度だとは思えないしね。
おかげでクラウスとライラも私が男と切り結んでいる姿を追えてるみたい。私が最前に立っていたのは幸運だったのかもしれない。その為に最前にいたわけじゃなかったのだけど、それはいいだろう。これなら仮に攻撃が私を抜けても二人とも防げると思う。
そして、強化されたのは私も同じ。さぁ反撃と行こうか――。
『黒き枷』
だが、その前に男が魔術を唱えた。
その瞬間、ズシリと周囲の空間が悲鳴を上げた気がする。まるで天から押さえつけるように、地面に体を縫い付けるが如く、私の体に重圧が掛かった。
咄嗟にその重圧に耐えようと歯を食いしばった私だったが、男がその隙を見逃す事はなく剣を振るってくる。男の動きは先ほどまでと変わらない。しかし、それを防ごうと剣を振ろうにも、体が重くなったかのように動かすのがひどく難しい。
攻撃を防げたのは数度までで、少しずつ防御が間に合わず腕や胴体に傷が増えていく。
『黒雨の嵐』
このままではまずいと感じ、新たな魔術を唱える。この重圧を押しのける為の強化魔術を。
そうすることで漸く拮抗する事ができたのだろう。先ほどまでのように攻撃を防げるようにはなった。だが結局のところ振り出しに戻ったようなもの。いや、浅いとはいえ傷付いてる分私のほうが不利だろう。そして男が追加の魔術を使おうものならすぐにでも、この均衡は覆される。
精霊の加護があって尚一つの魔術でそれを無かった事にし、更には剣戟と共に魔術を併用する技量。この男、只者じゃないと思っていたけど何者…? それに後ろの女の存在もよく分からない。現れてから一言も話さず、ましてや一歩も動いている様子がない。凍てついたような光を湛えた、濃い紫色の瞳。それだけが私達の動きに合わせて動くだけだ。
幸いな事に、この魔族たちはクラウスとライラのことは眼中にないらしい。だから、今のところその注意は私にだけ向いている。
「よそ見している余裕があるのか?」
私の注意が逸れた事を指摘しながらも、男は変わらず斬撃を放ってくる。
「あら、貴方こそ私のような小娘一人相手に手こずってるようだけど?」
「ふん。人間にしてはやるようだが、そろそろ終いとしよう」
「そうね。私も飽きてきたしね」
そう言い、お互いの攻撃が激しさを増していく。その中で少しずつ私の剣は押され始めていた。魔族の男はその体格もあってか、やはり私よりも力が勝っていたのだ。更に武器の質もあるのかもしれない。その違いがここにきて表面化してきただけの事。
だが、私もただそれを眺めていたわけじゃない。少しずつ押し負けることを利用して後退していく。
「……」
相手もそれに気付いているのか、僅かに勢いを抑えて警戒しているように思える。…なんて厄介な相手。けれどここまで引けば――。
『黒風白雨』
私は魔術による強化を行い、今までにない荒々しさと速度でもって男へと斬りかかる。その急激な攻勢には、さしもの男も苦しいようで守りつつも少しずつ傷が増えていく。
「くっ!なら、『黒翼の――』」
『《聖霊の怒り》』
男が魔術を唱えようとした瞬間、その背後から精霊の魔術が男に直撃した。そのことで詠唱は中断され、男は思わず背後を振り返った。
だが、それは悪手だったとしか言えない。私がその隙を逃すはずもなく男の首へと剣を振るった。