【8日目-1】森
今朝もギルドの一室で目を覚ます。この生活にも慣れてきた。けれど、そろそろ宿屋もしくは別の拠点へ移る頃合いだろう。
相変わらずエマはギルドに顔を出してからお手伝い先のお店へ向かっている。朝は時間があまりないっていうのに。その相手が私じゃなくてエリカさんや好きな人に向いてれば、と思う。エリカさんは何も言わないけど、エマを見つめる眼差しは複雑な色を映している事が多い。私に対しても似たような視線を向けてくるけど、そこに苛立ちが見え隠れしてるから、そろそろかなって。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
今日は、あの兄妹との依頼の日。討伐がメインではあるけれど、森へ入る事を考えて準備は昨日のうちに済ませた。
準備ついでにモニカさんに依頼でお休みするって伝えたら。
「ふむ、君なら大抵のことは大丈夫だろうが、世の中何があるか分からない。魔物の群れが規模を拡大したなんて如何にも何かの兆候として考えていいだろう――それでだ。そんな時に重要なのは自身を信じることだ。何も過信しろって言うんじゃない。自分の感覚を信じ、少しでも違和感を感じたら異常が起きてると考え、すぐに何かしらの行動を起こす。それが何よりも君自身を守る事に繋がる。……色々と言ったが、要は気をつけるに越したことはないってことだな」
そんな有難い言葉を頂いた。
最初は、討伐依頼で森へ行くという話をしただけなんだけど、どうも昨日から戦闘技能持ちじゃないと北の森だけでなく、東西の森にも入る事は規制されているらしい。思ったよりも大事になってきてるようだ。そして、そんな状況のなか森へ行くと言えば調査・討伐依頼なんじゃないか、と思い当たるわけだ。オークの件がメインではないとは言え、森に入ることに変わりはなく心配されるのは当然。ありがたく受け取っておこう。
さて、身支度も済んで荷物も持った。約束の時間まで、まだ余裕はあるけれど今から向かって二人を待つのも悪くない。そもそも集合場所はギルドの1階だから、すぐに着いてしまうけどそこは周囲の人間でも観察してればそれなりに時間はつぶせるだろう。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「これで、終わりっと」
最後の一匹だったフォレストウルフにトドメを差しながら呟く。それが聞こえたわけじゃないけど、離れた位置で別のフォレストウルフを相手にしていたクラウスとライラがこっちに向かってくる。
「ティアナ、大丈夫だったか?」
「このとおり無事。二人もお疲れ様」
「ありがと。それにしても、一人で何とかしちゃうなんてね」
「複数を相手にするのは慣れてるから」
肩をすくめながら答える。
一対多という状況は、一人で旅をしてれば嫌でも遭遇する。その経験があったからこそ、今のように二手に分かれてからの奇襲にも対応できたというもの。
「よし。俺が警戒してるから、その間に剥ぎ取り済ませておけよ」
「了解」
クラウスが周囲の警戒をするのは、剥ぎ取りしてる間の奇襲に備えて。実際に、討伐経験が浅い者達が剥ぎ取り中に襲われて怪我をするのはよくある事らしい。その点、討伐などの戦闘をメインとしている二人はそういった心得も身につけている為、どのタイミングが危険かも熟知しているといってもいい。
そんなことを考えながらも手を動かして、順調に討伐証明の牙を剥ぎ取っていく。
「それにしても、フォレストウルフね」
「…どうかした?」
「いや、森に適応した狼の魔物と言えばそうかのかもしれないけど、それって別に分類分けする必要あるのかなって」
森に適応するもなにも平原や山岳も狼にとっては自分たちのフィールド足り得ると思うのだけど、それをわざわざ森と指定する意味は何だろうか。分かりやすいけど、それは括ることに固執していないだろうか。理解しやすいカタチに当てはめる事が悪いわけじゃない。けど、それはあくまで入口に過ぎない理解なのに全てを理解した気になってしまっていないだろうか。狼である事を失念していないだろうか。つまり――。
「っ、この鳴き声は!?」
「…どうやら、生き残りがいたらしいね。クラウス?」
「ああ、まずいな。移動するぞ」
遠吠えのような鳴き声が森の奥の方から響いてくる。まだ距離が離れているけれど、唸り声をあげつつ草木を掻き分けてこちらに向かってくる複数の存在が感じられる。なぜそれが分かるかというと、クラウスが警戒する以前から、私は私で周辺の索敵をしていただけの事。何も難しい事はしていない。周辺の音を拾うように魔術を使っただけ。ただ距離が離れるほど小さな音は拾えなくなるのが欠点ではある。逆に離れていてもある程度の音なら拾えるわけで、今のように相手も自分たちの存在を隠す必要がない場合などが挙げられる。
「相手は、私たちを捕捉してると思う。逃げながら撃退する? それとも待ち構える?」
出来るだけ物音を消して、遠吠えがした方向とは逆へ向かって移動しつつ訪ねた。
「……三人で立ち回れそうな場所を見つける」
「それまで追い付かれなければいいけど」
なにせ相手は狼の魔物だけあって、この時点で最初の半分くらいまで距離を詰められている。こちらも素早く移動しているとはいえ、その機動力に差がありすぎる。クラウスの言う場所が都合よく見つかる前に追いつかれるだろう。
「音か匂いを惑わせられればいけるか…?」
「片方だけでも残ってれば追いつかれるよ」
「だよなぁ」
鋭敏な嗅覚と聴覚を潰すのは有効そう。ただ、その場合私たちも巻き添えを食らいそうな方法が多いけど。
「臭い玉ならあるよ?」
「「えっ!?」」
思わず二人が振り向いたのが可笑しくて、追われている状態なのに笑ってしまった。
「自作のだけどね。あと燃やさないと使えないけど、使う?」
「今すぐやってくれ」
「了解」
荷物カバンのポケットから小指程度の大きさの黒い玉をいくつか取り出す。
『燃えよ』
黒い玉から煙が出たのを確認し、すぐさまそれを追手が来る方向へとばら蒔く。ばら撒いた所から白い煙が立ちのぼると共に何とも言えない臭いが周辺へと広がっていく。
「…これはあまり嗅ぎたい臭いじゃないな」
「でしょ。ほら、今のうちに」
「ああ」
二人を促しつつ、煙の広がり方を確かめる。幸い風で流れてしまう心配はなさそう。これで時間稼ぎくらいはできるだろう。
ちなみに、臭い玉は動物が嫌がる臭いと幻覚作用を始めとした中毒症状を引き起こす薬草をすり潰して、玉の形状にしたものだから人体にも有害だったりする。まぁ煙をあまり吸わなければ問題ないし。あと製作過程で中毒症状に罹るので耐性がないと大変な目に遭う事を付け加えておく。誰も体中を蛆虫が這い回る光景なんてみたくもないだろうし。例えだけど。
結果から言えば、だいぶ近くまで迫られていたけれど臭い玉によって嗅覚と視覚を妨げられたからか、その後はまっすぐ追われることはなかった。それでも、足音や草木を掻き分ける音で数頭が向かってくることが何度かあり、その度に撃退することとなった。
それを繰り返す中で、いくつかの討伐者グループと遭遇したから注意を促しておいた。激昂したフォレストウルフの群れが近くにいるかもしれないって。そう言うと、一つのグループは感謝を言いつつ、私達が来た方向から離れるように移動していった。他はと言うと、警戒しつつも探索を続けるグループや討伐するつもりなのか私達が来た方向へと向かっていったりと様々だった。
「あいつら、本気か?」
森の奥へと進んでいった者達が見えなくなったあたりでクラウスが怪訝な顔をして言った。
「さあ? 少なくともここまでに十数頭は倒したから、よほど大きな群れでもなければ残りは少ないと思ったんじゃない?」
「そうかもね。でも、十数頭の時点で普通より群れの規模が大きいって気づくものだけど」
「見た感じ、血気盛んな若い奴らだったからなぁ。まぁいい。奴らが狼どもの相手をしてくれるなら、その間に少しでも離れておくか」
それには賛成。今でこそこうして余裕があるけれど、魔物の群れに追われるというのは精神を削る。私から見たら二人ともまだ元気そうだけれど、それでも疲れてるのが見て取れる。
「どこか休憩できそうな所があればいいね」
「そうだな。腹も空いてきたし、休憩ついでに腹に入れておくか」
そう言って、私達は休憩する場所を求めて、移動を再開した。