小さな出会いが救いになり
毎日『気持ち悪い』と言われていると、だんだん自分は気持ち悪く、いないほうがいいと感じることが多くなってきた。
また当時リビングに私が座っているだけで、仕事が終わって帰宅した父親に鬱陶しいとか、ぼさっとするなとキツイ態度で怒鳴られることも多くあった。時には叩かれたり、蹴られることもあった。なぜ父からそんな仕打ちを受けるのか見当が付かずただ悲しかったことを覚えている。
母は通知表の連絡欄によって、私がいじめられていること、学力・生活共に問題が山積していることを知ることになる。
勉強は出来るほうではなかった。集団に合わせて行動することも苦手だった。給食を時間内に食べたり忘れ物をしないこと。遅刻しないで学校に登校することも私にとってはとても難しいことだった。学習机の上は教科書やノートが乱雑に散らかっていて、宿題をするにも準備に手間取った。
母は育児書を読んだり、小児科に連れていったり、それなりに私と向き合ってくれていた。沢山の本を与え、通信添削の講座なども取らせた。
残念ながら私にとって、それらは意味を持たず、母がどれだけ娘のことで悩んでいるかも全く感じとることがなかった。
クラスに馴染めず、話相手にも不自由していた私を励ましてくれたのは、校庭の隅っこに咲くタンポポだったり、小川の輝く湖面であったりした。
何かを美しいと思うことが、当時の私を救ってくれた。その中には音楽も含まれていた。
それは私にとって特別な友人になった。
最初はわからなかったが、私のことをクラス全員が仲間はずれにしていたわけではなかった。興味を持って付き合ってくれた奇特な同級生もいた。女子では美人双子姉妹の美樹ちゃんと有紀ちゃん。クラスでは取り巻きがいるくらい勉強も運動も出来てみんなと仲良くできる素敵な人たちだった。
何故だかよく自宅に招いてくれた。
「ゆめちゃんは、本が好きなんだね。家に沢山あるからおいでよ」
と明るく笑って誘ってくれた顔を今でも覚えている。
クラスでもちょっと大人びた秀才でピアノが上手だった詩織ちゃん。
「守口さんって変わってるよね。でも正直だよね」
とやっぱりよく遊んでくれた。
そして詩織ちゃんの家ではよくホロビッツが弾くモーツアルトが流れていた。
また遊ぶことはなかったけど、仲間はずれには加担しないグループもあった。ネットの普及もなくまだ自由な時代だったのかもしれない。
この小さな出会いから私は、大きな贈り物をもらうことになるのだ。