第八話「一年四組」
第八話「一年四組」
オリエンテーションは静かに、そして、若干の緊張を含みながら進行していった。
教科書でさえデータで済まされる中、『国立特殊歩行重機操縦士育成校 校内規則』という表題の小冊子だけは、それぞれの手元に配られている。
内原先生による説明は続くが、知らないでは済まされないのでこれだけは絶対に読みなさい、とのことだった。
「本校は、アイアン・アームズの操縦士を育成する為の学校です。これはもちろん、本校の存在理由の第一で、皆さんもよく知っているはずです」
一般的な高校生活に必要な諸注意はともかく、名目は学校が維持管理しているEROパワープラントへの運用協力となっているが、その実、発現力を使って発電を行う学内アルバイトの勧誘などもあって面白かった。
だが、アイアン・アームズの運用やその安全対策に関連する事項は特に重要で、笑って済ませられない。
湾大にいた去年でさえ、開発試験で実機のアイアン・アームズが必要な時には、煩雑な手続きや書類と格闘し、操縦者と機体と試験場の確保に奔走し、その上で過密な実験スケジュールと戦うのが常だった。
だがその過剰な安全対策の必要性も、同時に理解出来ていた。
「アイアン・アームズの操縦士には、覚えなければいけない事、守らなければいけない事が、沢山あります。皆さんの中には、小中学生の頃から講習会や部活動などでアイアン・アームズに乗り慣れている人もいます。頑張って必要な知識や技術を学んできた人もいます。ですが、本校で行う授業は、根本的に異なるものだと思って下さい」
万が一、ちょっとした『間違い』が起きてあんなものに突き飛ばされると、人なんて簡単に死ぬのだ。
その恐ろしさと安全管理については、研究室に入って一番最初にたたき込まれている。
加えて、直接的な運用に関する規定だけでなく、校内からメールを送受信できるのは事前に許可された相手先のみだとか、来客に関する制限であるとか、厳しい内容も多かった。
この注意事項、俺は特に注意して聞いておく必要がある。
知識面での齟齬が起きた場合、大学時代に得た知識と経験のみで片付けてしまう可能性が高い。
その判断が『操縦士』、あるいは『アイ校生』として正しいのかどうか、きちんと学び矯正する必要があった。
「その理由ですが、小中学生の発現者に対して行われるアイアン・アームズ講習や、その先にある技能競技会などの目的が、発現力および思考制御能力の伸長、この二つにほぼ集約されているからです。一番身体が成長する時期に行う教育という意味で、これらは正しく結果に反映されていますが、アイアン・アームズを本当の意味で『使いこなす』為には、他にも多くのことを知る必要があります」
うんうんと頷いた内原先生は、教卓の大画面にアイアン・アームズの映像を映しだした。
右手の機体は、クインビーズ有馬のエメラルド・クイーン。
左に映っているのは、東京消防庁の『めぐみ』だ。
エメラルド・クイーンは言うまでもなく洗練されたプロ用中型機、めぐみは同じ中量級でも放水銃や救難装備が山積みされているので、印象からして別物である。
「こっちは有馬選手のエメラルド・クイーン。……って、皆さんの方がよく知っているかもしれませんね。左のは、消防署のめぐみちゃん。この二機のアイアン・アームズは、もちろん設計のコンセプトから異なる機体ですが、実は、パワープラントには同じ製品が使われています。じゃあ、後藤君答えて」
「え!? あ、オストラントのE323型……です」
「はい、正解」
ここで俺に質問が飛んでくるとは思わなかったが、知識を試されている、というほどじゃない。常識問題の範囲だろう。
ERO方式のパワープラントを製造しているのは、ドイツのオストラントヴェルケ、アメリカのローレンス&アリソン、ロシアのスミノフ設計局、そして日本の南紀重工と、現在のところ世界で四社だけなのだ。
工学部でERO技術を学んでいる大学生には、と注釈こそつくが、各社各様に仕様が異なるので、組み合わせる動力周りや補機によって特性が大きく変わり、無視できないのである。
「皆さんがプロの選手を目指しているとしても、他の職種を目指しているとしても、アイアン・アームズの操縦士になるために同じく本校で学ぶ――この点は、先ほど話題に出したパワープラントと近しい関係にあります。……後藤君、もう一つ質問ね。両機に同じE323型が用いられている理由は?」
「はい。出力と安定性が同クラスの他社製品に比べて格段に優れ、衝撃や破損にも強いからです」
代わりに本体価格は五割増し、重量は二割増だが、搭載する機体は多い。元々軍用機向けとして開発されたので、耐久性も抜群だった。
アイ校の専用練習機すいせんも、確か同系列のデチューンモデルE326型――正しくは南紀重工がライセンス生産するE326の日本国内向け改造型NM401A――を搭載していたように思う。
「ん、いいですね。流石は松岡教授の教え子です」
にこっと笑った内原先生は、画像を切り替えた。
ディスプレイには、話題に出たE323型の内部構造の概念図が映し出される。
高校生には少し難しすぎるような気もするが、話のとっかかりとしての意味しかないらしく、内原先生は内容に触れることなく話を続けた。
「繰り返しになりますが、本校はアイアン・アームズの操縦技術を学ぶ場所です。ですが、中身をある程度知っていると、応用が利きます。それは操縦技術の一部分に他なりません。特に機体を限界まで活用したいなら、避けて通れないと思って下さい」
必要なパワーと適切なパーツや装備の組み合わせ例について、具体的な説明が始まる。
簡単にまとめると、アイアン・アームズの心臓であるEROパワープラントの生み出すエネルギーは無尽蔵でも、精密機械の塊である機体には耐久性という限界もあるし、乗っている操縦士は人間なので動き回れば当然疲れて出力が不安定になる、というわけだ。
それが即ちアイアン・アームズの限界となるが、これらの限界点は、技術と知識で先延ばしできると知られていた。
機体の歩かせ方一つをとっても、歩行速度の調整を歩幅で行うのか歩数で行うのかで、結果は異なる。
操縦士の方は訓練でこれを補うが、衝撃に耐えうるよう体力を増やしてもいいし、機体が受ける衝撃を緩和する操縦技術を身につけてもいい。
だが、今説明にあった限界点の先延ばしも、知識を持たなければ選択肢すら思い浮かばないし、訓練も力任せで効率の悪い方法へと偏ってしまう。
このように、操縦士に必要な技術には、直接的な操縦技術の他に、それを背後で支えうる知識も含まれるのだ。
「日本には、いえ、世界中にアイアン・アームズの専門校や訓練施設がある中で、若い世代に高度な操縦技術と必要な知識を極めて高いバランスで教育を行う点こそ、本校が世界的に有名な理由であり、同時にアイ校卒業生の持つ強みとなるのです」
その分、大変よと、内原先生は微笑みを浮かべて教室を見回した。
既にオリエンテーションの域を越えているが、これからどんなことを学ぶか、その一端が示されていると考えれば不思議じゃない……のか?
「じゃ、難しい話はこれくらいにして、次に学級委員を選出しましょうか。後藤君、仕切って。君、教職取ってたでしょ?」
「……はい。途中までですが」
「じゃ、よろしく。そうそう、後藤君自身は委員から除外ね。……何かと忙しくなるし、たぶん、上手くやりすぎちゃうわ」
この先生、使える物は何でも使う研究者根性の現れかもしれないが、少し中身が黒い。
だが、例のアレが本格的に動き出せば、忙しくなることも間違いなかった。
遅れて入室したおかげで自己紹介を聞き逃していたので、教卓に表示された座席表を見ながら委員長の立候補を受け付け、挙手による投票でさっさと決めていく。
それにしても……日本最強の女子校は、伊達ではない様子である。
「では、一年四組の委員長は、新派広美さんに決定します」
委員長は立候補一名のみで、すんなりと決まった。
新派には昨日の夕食時に話し掛けられていたので、顔と名前は覚えている。
推薦組の彼女は、早々にアイ校への進学が決まったので受験がなくなり、三学期は高校生や大学生に混じってアイアン・アームズの訓練が存分に出来たと笑顔だった。
この学校に入ってくる生徒には、主に二つのパターンがある。
まず一般組だが、これは分かり易い。
アイ校の生徒募集に対して受験を志願し、試験に合格した生徒達で、桜はこの組だ。
競争率は平均して二十五倍程度、一定以上の発現能力が受験の必須要件に入るが、それが霞むほどの学力も要求されるという誠に狭き門でもある。
もう一つは、推薦組。
各所から推薦を受けた者の内、アイ校の理事会が無試験での入校を許可した生徒達で、学年に十人といない。
政府から特命が発令され、有無を言わさず入校を命じられた俺やもう一人の男子生徒もこの組になる。
海外からの国費留学生の枠もここに入るだろう。
そんな理由から、この学校の生徒は優等生タイプがほとんどで、とりわけ静かな負けず嫌いさんが多いのよと、桜からは聞かされていた。
ショートカットの陸上女子といった雰囲気の新派は、見かけ通りぐいぐいと前に出るタイプのようで、実力も伴っているだけにクラスを引っ張ってくれることだろう。
「じゃあ、次。文化委員に立候補する人はいませんか?」
「はい!」
「えっと……十河さん」
他の保険委員や体育委員は、新派を司会に立てて手伝いながら決めていったが、ありがちな委員に加えて、整備委員や情報委員など、いかにもそれらしいアイ校ならではの役職まであって面白く思える。
八重野宮は立候補して図書委員になったが、本棚も買っていたし、本好きなのかもしれない。
「委員はすんなり決まったわね。じゃあ、早めに休憩しましょう。五限の予鈴……っと、そうね、一時には教室に集まって下さい。お昼からは校内設備の案内、その後、部活動の勧誘がありますが、流れ解散になります。明日の午前は健康診断と発現能力の精密測定、午後は貸し出される訓練機の個人調整ですから、体調を整えておくようにね。じゃあ、委員長、号令」
「はい。……起立! 礼! 別れ!」
退室する内原先生を見送り、クラスメート同様にほっと息を抜く。
詰め込み過ぎというほどじゃないが、初日は何かと余計に緊張するものだ。
「後藤さん、って……」
「ん?」
教卓を操作してデータを消していると、新派が面白そうな視線を向けてきた。
「教育実習の先生みたいですね。……みんなもそう思わない?」
「思った!」
「女子寮に男の先生も住んでる……って!」
「話し掛けていいのかすごい迷ったけど、広美が突撃してさ」
教育実習は、もちろん母校に行く予定を立てていた。
正式な申請は少し先の時期だが、母校には前もって内諾を貰って……そうだった、電話はしたが、そのうち元担任にも直接謝りに行きたいと思う。
「同じクラスだって知ってたら、先に話し掛けたのになあ」
「でも、思わないよ普通……」
「先輩達は知ってたらしいけどね」
「もう一人の男の子は?」
「萬田くんだっけ? 昨日の夜ギリギリについたらしいよ」
「割と格好よかったよね」
それにしても、賑やかなことで。
このノリに付いていけないと三年間地獄を見るかなと、小さくため息をつく。
とりあえず、昼飯に行くか……。
「そうだ、後藤さん」
「ん?」
「二年生の先輩と同居してるって、ホントですか?」
それぞれに雑談をしていたグループも含め、教室中が一瞬にしてしんと静まり返った。
質問してきた子――川中島凜が、ミスったという顔で慌てる。
「あ、ご、ごめんなさい!」
「いや、本当のことだからな、別に構わ――」
「キャー!」
「マジで!?」
「彼女! 彼女ですか!?」
「もうキスぐらいしました?」
詰め寄ってきた新派達に、俺は両手を挙げて降参のポーズを取った。
「八重野宮さん、助けてくれ!」
「ちょ、なんでそこで八重野宮さんに助けを求めるんですか!?」
「あ、あやしい……」
「彼女も関係者!?」
事情を知っているはずの八重野宮は……だめだ、状況を『理解して』くすくすと笑っている。
ここは自力で何とかするしかないらしい。
「はい、ストップ!」
ぱんっと大きく手を叩き、注目を集める。
「同居人は妹だから、問題なし! 八重野宮さんは初日に会ってるから、事情説明して貰おうと思っただけ!」
「えー……」
「ふふ、本当ですよ。後藤さんの妹さんは二年生で、私も色々教えて貰いました」
八重野宮はようやく輪に入ってきてくれたが、余程おかしかったのか、まだ笑っていた。
「ま、八重野宮さんがそう言うなら、ほんとなのかなあ」
「実は妹のフリをした幼なじみとか、そういうオチはないんですか?」
「ないない」
そうあからさまに落胆されても困るのだが、そこまで恋バナに飢えているのか、ここの生徒達は……。
しかも、彼女たちは新入生でまだ校風にも染まっていない筈だというのに、この有様だ。
この先が思いやられる。
「後藤さん、一緒にお昼行きませんか?」
「私も!」
「はーい!」
「よし、みんなで行こうか。……あ、久坂さん、どうしよう?」
彼女だけ一人、というのはかわいそうだし、運んだ手前もあるので気になる。
「私、見てきます。寮でも同室だし」
「じゃあ十河さん、お願い!」
「私達、先に行ってるね」
「オッケー!」
……たぶん、いいクラスになるんじゃないか。
初日からあからさまに尾を引きそうな問題が出ることもないのだろうが、男子という名の異物である俺を、明るい雰囲気で迎え入れてくれた一年四組のクラスメート達には、感謝しておきたいと思う。