第六話「お買い物なら湾スクへ」
第六話「お買い物なら湾スクへ」
シャワーを浴びてから多少は見られる格好に着替え、寮の入り口で八重野宮を待つ。
上だけは先月買った春物のジャケット、ジーンズはいつものやつと抑え目にした。
桜には爆笑されたが、気合いを入れすぎても馬鹿だがラフすぎて恥を掻くのもいやだという、微妙な男心なのである。
「お待たせしました、後藤さん!」
「……うぇっ!? あ、慌てなくて大丈夫だよ、八重野宮さん」
やばい。
小走りの八重野宮、めっちゃかわいい。
着替えてきた彼女は、ジーンズが大人っぽい長めのスカートに、下ろしていた髪がポニーテールになっていた。
……デートじゃないが、『俺も今来たところだから!』と声に出したくなるほどだ。
ついでに、やっぱりスタイルがいいなあと内心で頷いておく。
「じゃ、じゃあ、行こうか」
ただ、『綺麗だね』の一言は、言い出せなかった。
いや、ここは心証が下がるのを我慢してでも、真面目な俺を演じて信頼感をだな……待て、余計なことは考えるな。表情に出ると台無しだ。
「はい。あ、バスの時間、調べておきましたよ。後五分で来ますから、急がないと!」
「え、バス!? って、ああ、そうだった」
指に掛けたファルケンのキーを、ちゃりんと回す。
車のキーは、近づくだけでドアロックが外れるカードキーと生体認証が主流だが、自衛隊仕様もあるファルケンには機械式と電子式を複合させたハイブリットキーがオプションで設定されていた。
親父によれば、こっちの方が緊急時には都合がいいそうだ。
「ごめん、先に言っておけばよかったね。車で行くつもりしてたんだ」
「え、車!? ……そうでした、後藤さんって、元は大学生でしたね」
お陰でメガフロート生活も今年で四年目だが、それを理由に八重野宮を誘えるのだから、二度目の高校生も捨てたものじゃないらしい。
前回は……と前置くのもおかしいが、俺の一度目の高校生活は、灰色一色でこそなかったものの、俺も周囲も進学校らしく受験のための勉強に追われ続けていた。
お陰で大学には無事入学できたが、今度は趣味と実益を兼ねたERO理論に頭から捕らわれてしまった辺り、俺も大馬鹿である。
「うん、隣の湾大。と言うわけで、行くのは駐車場ね。代わりに、ちょっとぐらい荷物が増えても大丈夫だから」
「はい、ありがとうございます。ふふ、私も……机の上に置ける小さな本棚が欲しいなあって」
「ん、了解」
だからと新生活に浮かれて美少女に鼻の下を伸ばすのは、これまでの努力や今の立場を考えれば絶対に戒められるべきなんだが……楽しそうな八重野宮の様子に、まだ入学式前だからと、心の中の自分に言い訳をする俺だった。
八重野宮を助手席に乗せて愛車を駐車場から出し、校門脇の詰所で例の検問を受ける。
帰りはもっと面倒らしいが、そこはまあ、権利と義務の引き替えだ。
「帰校は何時頃の予定ですか?」
「夕方には戻ります。……余裕を見て、六時頃として戴けますか?」
「了解です。もちろん、早い分には大丈夫ですよ。では総員『六名』、外出理由は買い物で記録しておきます。いってらっしゃい」
「はい、ありがとうございます」
敬礼に見送られ、アイ校を後にする。
「いいお天気ですね。よかった」
「ああ」
天気は春らしく、本当に柔らかい日差しでいい気分だ。
おまけに、助手席には八重野宮。
……このまま海沿いの道を、のんびり走らせたくなる。
「おおー、座席ひろっ!」
「茜、お菓子とってー」
「はーい」
「ミーも!」
「八重野宮さんもこっちくる? 楽しいよー」
「いえ、大丈夫です……」
「あ、竜一さんが寂しいかー」
何故か四天王まで後ろに乗っていなければ、の話だが。
「……」
彼女達の言う図書館は、学外にあるようだ。
間の悪いことに、ファルケンの乗車定員は後部荷台の補助席まで含めれば最大九名。
車に乗り切れないことを、同行拒否の理由には出来なかった。
『まあまあ、お兄ちゃん、アイリーンも茜もゆかりんも協力してくれるってさ』
『待て、桜。まさか……』
『わたしは何も言ってないよ。建前はともかくさ、アイ校ってほとんど女子校なんだから、みんなそのぐらいすぐ分かるって。恋バナに飢えた亡者の巣窟だもん、ここ』
『ぐ……』
『昨日の今日でどうにかなるわけないんだし、お兄ちゃんも味方は多い方がいいんじゃないかなあ?』
駐車場で袖口を引っ張られて桜から耳打ちされていたが、ルームミラーに映る四天王達の送ってくる期待をこめた笑顔に、心が痛かった。
「行き先は……湾ダースクエアでいいか」
「ま、湾スク以外にないよねー」
「名前、聞いたことあります」
アイ校のある東京メガフロートは人口約二十五万人、十九の主要浮島と幾つかの専門浮島で構成されている人工都市だ。アイ校や湾大の他にも工業地区とそれに付随する港湾設備、ビジネス街、空港、アイアン・アームズの国際試合にも使える競技場などがある。
日本中で人口減少が問題となっていても、一極集中による高い効率化の裏返しで、過密の限界が来ていた東京都が開発可能な土地を増やす為、国と世論を焚き付けて大型公共投資による国策事業としてねじ込んだらしいが……箱モノ行政だの建設族の陰謀だのとつつかれて計画が破棄になる寸前、時流がそれに味方した。
アイアン・アームズの登場である。
新しく世に出つつあった器用な重機は試験運用という名目の元、大仕事を与えられ、見事それに応えた。
結果、この大きな人工浮島プロジェクトは、数十年振りの好景気を呼び込むことになる。
日本経済が息を吹き返すきっかけにも、急速なアイアン・アームズの普及にも繋がったのだから、正にWIN-WINの関係であった。
「駐車場は……まあ、いつもの東駐車場でいいな」
「お兄ちゃんにお任せだよ。ってゆーか、バスだと混むし時間掛かるしで、こんなに早くつかないもん」
「そうですよ!」
「湾大生いいなーって、みんなで話してたりして」
「あたしらは、アイアン・アームズには乗れても車はまだダメですからね」
隣の芝生は青いというか、何というか……。
元湾大生としては、設備とか、予算とか、セキュリティ等々、女の子が美人揃いだという男子限定の羨望も含めて、アイ校の方が上だと思うことも多かった。
「湾スクって、あれですよね?」
「そだよー」
八重野宮の可憐さは今更だが、四天王もそれぞれに綺麗だったり可愛かったりなわけで、ファルケンに美少女を五人も乗せて走らせるとか、去年の今頃は考えもしなかった。
うちの妹?
……兄バカだと笑われようが、もちろん可愛いに決まっている。
「お兄ちゃん、あーん」
「ん」
桜が手を伸ばしてきて、俺の口にシガーチョコが放り込まれた。
八重野宮の視線が一瞬だけ俺の方に来て、さっと逸らされる。
……むう。
「桜、うちの兄貴と竜一さん交換しない?」
「……アイ校祭でアイリーンに一目惚れして即告白してた、あのお兄さんだよね?」
「……ごめん、やっぱいいわ」
「あっはっは」
斉藤茜の兄浩には去年のアイ校祭で、俺も引き合わされていた。
陸上短距離でインターハイにも出たという高校生で、彼女の一つ上だったように思い出す。
……そう言えば、彼は男子校だと話してたなあと思いだし、心の中で合掌しておいた。
「あーあ、湾スクもなんか久しぶりって感じだね」
「春休みは強化合宿同然だったもんネ」
「もうちょい息抜き入れてもよかった」
「選んだのは私達なんだから、文句言わない」
「はーい」
地下にあるいつもの駐車場にファルケンを放り込み、六人で連れ立って東館――専門店街へと向かう。
平日でも、それなりに人は多い。
春休みのせいか、中高生が目立った。
「八重野宮ちゃんは、本棚の他に何買うの?」
「あ、はい。お部屋で使うマグカップとか、大きめのバスタオルとか……」
「じゃあ、先に西館の三階かな」
「雑貨ならあっちの方が揃ってるもんね」
「お願いします」
湾ダースクエアは、メガフロートの中央にある複合商業施設で、レストラン街からシネコン、大小のイベントスペースまで揃っていて、買い物しながら丸一日遊べる。
ここを目当てに本土から人が来るぐらいで、俺も湾大入学当初からずっと世話になっていた。
「ほんと広いよね、ここ」
「日本一の動く歩道は伊達じゃないよねー」
「世界最大の回転寿司のイベント、面白かった」
「ゆかりん、あれ行ったんだ……」
ただ、メガフロート本体が浮体構造であるという特徴の裏返しから制限が厳しく、一部の特例を除いて高さ二十メートル以上の建物は建築禁止とされている。
お陰で建物は横に広いものが多いのだが、湾スクも例外ではなく、環状に作られた総延長八キロメートルにも及ぶ動く歩道と観光名物にもなっているトロッコ鉄道が、東館と西館を繋いで客を移動させていた。
人波をかき分けながら、女性向けの雑貨店やブランドショップの並んだフロアを、彼女たちの後からついていく。
「あ、これちょっといいな」
「桜、値段値段」
「……わ、高っ!?」
当然、俺はこの女性客向けのフロアに長居したことなどなかったので、少々落ち着かない。
特に用のなさそうな店だったので、表で待たせて貰うことにする。
……輸入雑貨全般を扱う店なのか、薄手の服のみならず下着なんかも堂々と飾ってあり、居心地が悪かったのだ。
「次はドラッグストア?」
「そだね」
「おっしゃれーなのはあんまり出番ないけど、ハンドクリームとリップはうちの学校、必需品だから」
「購買部でも買えるけど、選べないからなあ。今日買っとく方がいいわ」
「八重野宮ちゃん、家から持ってきてる?」
「いえ、リップだけです」
まあ、そこまで嫌ってわけじゃないし、彼女達が楽しそうにしている様子は見ていて飽きないが、いつもの湾スクが湾スクに思えないような、不思議な感覚もある。
だから少し、出遅れてしまった。
「君達、アイ校生だよね?」
「あ、いえ……」
気づけばナンパされている五人はともかく、見覚えのありすぎる男の二人連れに、俺は大きなため息をついた。
「ちょっと話を聞いて欲しいんだけど、いいかな?」
「そんな警戒しなくてもいいよ。俺達、湾大生だし」
湾大生、のところで五人の視線が一斉に俺の方を向いた。
ほんと、やれやれだ。
出来るだけ無表情を装い、男達の背後から静かに近づく。
「城田、山口。そこまでにしとけ」
「あ?」
「え、後藤!?」
「よりにもよって、俺の妹ナンパするなよ……」
「は!?」
「マジか」
つい先日まで、同級生どころか、学部学科研究室まで同じだったという腐れ縁の二人に、俺は呆れ返った視線を投げた。
なし崩し的にというか、『アイ校生とお近づきになりたいんだ』という城田、山口の情けない頼みにほだされたというか、八人で少し上等のイタリアンへと入る。
彼女たちには、湾大入学以来ずっとつるんでいたと告げれば、二人の素性については素直に納得してくれた。
「あたし、カルボナーラで」
「私はピッツァ・マルゲリータとタコのアヒージョ」
「ゆかりん、いつも通りしぶすぎるチョイスだね……」
「あの、ほんとにいいんですか?」
「ああ、八重野宮さんも気にしないでいいよ。こいつらの財布だし」
「お、おう!」
「任せてくれ!」
無論、俺の分まで含めて二人の奢りだ。
俺の妹が五人の中に含まれていたことが、こいつらの不幸……かもしれない。
昼は賑やかになったが、まあ、構うまい。
食後、それぞれにデザートやらカプチーノやらを味わいつつ、雑談に花を咲かせる。
「なあ後藤、お前ほんとにアイ高生になったんだな……」
「そりゃあ、まあ、な。……それにしてもだな」
「あん?」
「お前らって、ナンパするようなガラじゃなかっただろうに、どうしたんだ?」
この二人とは、入学から丸三年のつきあいがあって、中身もよく知っていた。
山口はいわゆるアイアン・フリーク――プロリーグのファンだが、ただのファンやオタクではない。
好きが高じ過ぎてその筋で有名になり、今ではジャパンリーグの運営委員会から正式な依頼を受けて公式サイトで解説を書くぐらいの『識者』だった。
対する城田は、松岡研究室でも随一の理論派だ。
こいつは本気を出せば、それこそライヒヴァイン研に行けそうな頭の持ち主で、教授からも既に大学院進学を勧められていた。
だからと趣味人一辺倒でもないし、二人とも俺よりはセンスも社交性もあれば、頭はもちろん、性格だって悪くない。
大体、わざわざ湾スクで高校生をナンパなどしなくても、湾大生にも美人は多いし、俺と違って何もしなくてもモテていたような気もするのだが……。
「いや、あー……」
「ナンパは……正直、どっちでもいいんだわ」
「ん?」
「実はだな、お前がいなくなってから、うちとアイ校とトーヨドで『例のアレ』、続けることに決まってさ」
「アレか。先生から話は聞いた」
「お前がアイ校にいるってのが最大要因だけど、俺や山口にも渡りに船だった」
本田先生から聞いた共同研究のことだろうと、すぐに想像がついた。
「ま、さっきの店に来たのはたまたまだけど、見たらアイ校の四天王が買い物してるじゃん。ちょっと話聞いて貰おうって思って声かけたら……」
「四天王に後藤桜さんって子がいるのは知ってたが、お前の妹だとは思わなかったってわけだ」
「え、わたし!?」
「オウ!」
「あたしら、有名!?」
「ないない」
桜達も驚いているが、俺も驚いた。
そんな話は、全く聞いていない。
「彼女達がアイ校四天王の何代目かは諸説あるから横に置くとして、去年、全国高等学校特機連盟主催の技能競技会で、同じアイ校の三年選抜チームには惜敗したものの、一年生ながら総合の準優勝って……お前、妹さんのことなのに知らなかったのか!?」
「桜!?」
「え、だって負けちゃったもん。お兄ちゃんには言えないよ……」
「いや、準優勝だってすごいだろ」
しょんぼりとしている桜だが、十分に誇れる立派な結果だと思う。言えばお祝いぐらいはしたのにと、少し残念だ。
だが、向上心に溢れた我が妹に幸多かれ。
今年は応援に行こう。
「ま、妹がアイ校にいると、お前が一言でも言ってくれてりゃ、こんな恥もかかんで済んだわけだが?」
「知らん、そんなもの」
アイ校に妹がいるとバレたら、紹介してくれだの連絡しろだの言われることは目に見えていたので、五歳離れている、ぐらいしかこいつらには言っていなかった。
「あの、気になってたんですが、いいですか?」
「はいはい、どうぞ!」
小さく手を挙げた八重野宮に、城田が調子づく。
……たとえ彼女が俺の方を振り向いてくれなくても、お前にはやらんぞ。
「『例のアレ』って、一体何なんでしょう? 後藤さんだけでなく、私達にも関係がありそうなお話だというのは、何となく分かりましたが……」
「よくぞ聞いてくれました、っと」
山口がポケットからエアタブレットを取り出し、皆に見えるよう画面を操作する。
「公表は四月半ばの予定だけど、湾大、アイ校、トーヨドで、アイアン・アームズ用の新装備を開発しようって話になっててさ」
「アイ校生のみんなにはモニターをお願いしたいんだ。今日はその前振りね」
「お前ら、先に俺を通せよ……」
「いや、だってよ」
「ああ……」
俺が睨み付けると、二人は顔を見合わせた。
その研究に俺が絡んでいることぐらい最初から分かってるだろうし、第一、友達甲斐がない。
「お前に連絡するの、松岡教授から禁止されてるし」
「へ!?」
「申請は出して貰ってるけど、まだ審査中だぜ」
「アイ校、セキュリティ厳しすぎなんだよ」
「……あー、すまん」
そう言うことなら仕方がないなと、俺は怒気を取り下げた。
今の俺は、自己責任で自由を謳歌する大学生ではなく、プライベートのメールさえ受発信を制限されるアイ校生だった。
買い物がメインなので今日のところは再会を約束して、二人とは早い時間に別れた。
夕方までには結構な大荷物――車での買い物は、彼女達にとって魅力的すぎたらしい――になったが、例の検問も無事に通り抜け、桜花寮に戻る。
「わたし、お兄ちゃんがそんな難しい事してるって知らなかったよ……」
「俺だって四天王の事誤解してたし、お互い様だろ?」
「竜一さん、新装備の話、ミーも興味あるネ」
「あたしも!」
「ふふ……試作品、いい……」
「私もです」
「嬉しいけど、本決まりになったら条件の確認をきっちりしてくれよ。結構な拘束時間になるって、あいつらも言ってたしなあ」
「はーい!」
まさか、こちらにかまけ過ぎて成績でも落とされると、何のための参加なのか分からなくなる。
この共同研究は、俺にとってはかなり重要度の高い案件だが、彼女達には未来の可能性を広げる選択肢のうちの、ほんの小さな一つでしかないのだ。