第五話「アイ校四天王」
第五話「アイ校四天王」
アイ校生活二日目、やたら耳障りな電子音で容赦なく起こされた午前六時。
「おはようお兄ちゃん。起きた?」
「……起きた。おはよう、桜」
まだベッドに潜っていたい欲求を無理矢理押さえつけながら、桜と交替で顔を洗い、ジャージに着替える。
朝練など、中学の頃所属していたサッカー部のそれ以来だった。
だが、新生活の始まりらしくていいかとも思っていたりする。
桜には話せないが、高校・大学と部活をしていなかった影響か、明らかに体力が落ちている自覚もあって、誘われるまま頷いていた。
「行くよー」
「おう」
それに、アイアン・アームズの操縦士は体力勝負な面も大きい。
EROパワープラントの起動やコントロール、手順通りに簡単な動作を行うだけなら必要ないが、長時間の搭乗、あるいはアイアン・アームズの特性を最大限に活かそうとするなら、戦闘機パイロットや宇宙飛行士と同じく、並外れた体力が要求されることぐらいは、俺も知っていた。
連れだって寮の表口に出れば、数人の生徒がもう集まっていた。桜の同級生達だ。
「桜、遅いよ!」
「ごめん、おはよー!」
「おはよう。……あ」
「モーニン、サクラ! って、竜一さん!?」
「はよー……っと、おはようございます!!」
だらっとした寝起きの表情でゆるゆると柔軟体操をしていた少女達は、一瞬で顔を引き締めさっと立ち上がった。
「おはようございます、松浦先輩、斉藤先輩、和倉先輩」
「お、おはようございますっ!」
金髪にそばかすが可愛い松浦アイリーン、お下げに眼鏡の大柄な子が斉藤茜、昨日挨拶した時『未だに小学生と間違われるのが悩みです……』と零していたゆかりんこと和倉遊花梨。
彼女達のことは去年の文化祭で紹介されていたし、昨日、食堂で挨拶した際にも質問責めにあっていたので、顔と名前は辛うじて一致している。
呼び方は、年下とは言えこちらからは『先輩』、彼女達からは後輩ながら後藤では桜と被るので『竜一さん』に落ち着いていた。
「もう、今日からお兄ちゃんも一緒に朝練するって言ったでしょ」
「そーだったね」
「ほら、お兄ちゃんもとっとと柔軟!」
「はいよ」
桜曰く、わたしも入れて四人でアイ校十二期四天王、とのことである。
もっとも、『四人で一人前でしょ』と他の同級生からつっこまれていたので、本当のところは不明だ。
「今日はこれで全員かな?」
「春休みだからねー」
「じゃ、しゅっぱーつ!」
「おー!」
「寄り道はだめだからね、お兄ちゃん!」
「分かってる!」
夜間扱いになる夜の十一時以降朝の七時までは警衛隊が構内全域に厳重な機械警備を敷いており、相応の理由なく通路から外れて警報が発令されようものなら、生徒指導室で反省文の刑に処せられるそうだ。
「そこ、右に曲がったら、次の角まで、ダッシュだから!」
「おう!」
学内通路の四隅を結んだ『内周』と呼ばれる一周約二キロのランニングコースを、三十分ほどかけて二周する。
ペース的にはそれほどきつくなかったが、やはりどこか、身体が『寝ている』感じがしてしまった。
「竜一さん、全然息上がってないネー」
「やっぱ男の人だ……」
「あたしら、初日は一周でバテてましたよ」
「流石元サッカー部だねえ。お兄ちゃん、明日から三周にしたら?」
「いや、本調子じゃないから、しばらくはこの距離で行こうと思う。足し算するなら、筋トレと柔軟だな」
「ふーん?」
丸々数年、運動をサボっていたわけで、突然負荷の大きなトレーニングを行えばどうなるかなど分かり切っている。急を要するものではないし、俺は短期間で最大限の効果を上げるよりも、通年で適度に効率のいい体力アップを望みたかった。
……体力は余裕だったが、足先が若干痛くなっていたことも含め、様子を見ながら徐々に伸ばしていくのが正解だろう、と思う。
着替えは食後、シャワーを浴びてからと、そのまま一階の食堂に引っ張られていく。
「今日の和食はシャケだっけ?」
「私は卵サンド好きだから今日はパンにしようかな」
「迷うなあ。……ん、パンに決めた」
桜花寮では夕食も朝食もメニューは二種類、特別な日を除けば、和定食と、洋風を中心にしたそれ以外に決まっているそうだ。基本無料でご飯とパンはおかわり可能、デザートや軽食、緑茶以外の飲み物は別料金と、大人数が一時に利用することを考えれば、かなり配慮されている。
昼間は体育館下の食堂が使われるが、こちらは定番ながら豊富な種類の料理が選べるようになっていた。
加えて職員用の梅花寮にも、ほぼ同じ規模の食堂があるという。
校内にわざわざ三カ所も大規模な食堂と調理施設が維持されている理由は、政府の主導による広域災害対策の結実だった。
緊急時に警察・消防・自衛隊からの緊急災害派遣部隊、特にアイアン・アームズを装備した部隊を受け入れ、防災拠点として機能するらしい。
アイ校は東京メガフロートで一番多数のアイアン・アームズを運用する組織でもあったから、整備施設も特に規模が大きく、都合がいいのだろう。
「お兄ちゃん、決めた?」
「今日はシャケの気分だな。……あ、おはよう、八重野宮さん」
昨日の夕食時には、時間が合わなかったせいか見かけなかった八重野宮が、俺の二人ほど前に並んでいた。
「あの、どうぞお先に」
「あ、うん……」
八重野宮は、俺の方を見て驚いた様子の生徒に順を譲り、一つ後ろ――俺の前に並び直した。
こういう気遣いは、ポイントが高いかもしれない。
「おはようございます、後藤さん、後藤先輩」
「おはよー、八重野宮さん」
薄手のセーターにジーンズというラフな格好が、逆にこう……ぐぐっと来てしまう。表情には出さないが。
俺も木石ってわけじゃない。
まだ新学期さえスタートしていないこの今、ただただ、自重を心がけて、無用の誤解や非難を受けたくないだけなのだ。
「お二人とも、朝練してらしたんですか?」
「まあねー。慣れるまでは本っ……当! にきつかったけど、今じゃやんないと一日が始まらないって感じかな。そだ、八重野宮さん、ルームメイトは一緒じゃないの? お寝坊さん?」
「まだ到着されてないんです」
「あらら。まあ、明日中なら問題ないか。八重野宮さんも一緒に食べよ」
「はい、ありがとうございます」
知り合いもいないだろう入寮二日目、ルームメイトもいないのでは、話し相手がいないのも同然である。
……といった表向きはさておき、ナイスだ桜と言わざるを得ない。
「あの、後藤さん」
「ん?」
「私も一年四組でした」
「お! じゃあ、一年間よろしくな!」
「はいっ!」
笑顔の八重野宮にテンションがMAXまで上がりそうになるが、呆れた様子でジト目を向けてきた桜に気付いて、咳払いで誤魔化す。
いやいやうん、朝から実にいいニュースを聞かせて貰った。
三人でシャケ定食を受け取り、八重野宮も連れてサンドウィッチ組の元に向かう。
「私も朝練、した方がいいのかな……」
「お兄ちゃんはもう大人だけど、八重野宮さんはもうちょっと待った方がいいかも。新入生は寮暮らしも初めての子がほとんどでしょ、急に早起きとかしたら、調子崩しちゃうよ」
それぞれのトレイには、皮までしっかり焼かれた塩鮭に蒲鉾、納豆のパック、生卵、ほうれん草のお浸しの小鉢、豆腐と揚げの味噌汁。おまけに沢庵。
組み合わせは定番中の定番だが、バランスもいいし俺好みである。
「おや、新入生?」
「よろしくネ!」
「桜は物怖じしないよね、割と」
「わたしも流石に相手見てから声掛けるって……」
簡単に自己紹介を済ませて、テーブルを二つくっつけた。
生徒はまばらだが、若干どころではなく注目を浴びている気がする。
誰も話し掛けては来ないが、俺だって男子校の中に女子が一人居ればガン見……とまでは行かずとも、視線ぐらいは送ると思うので、気にしないことにした。
食後、女子は果物の盛り合わせ二人前を五人でシェア、俺はエスプレッソを別に注文して朝のお茶としゃれ込む。
「へえ、八重野宮さんって、京都出身なんだ」
「わたし、名古屋ヨ!」
「あたしとゆかりんは千葉ね」
「私と茜は中学も一緒」
今日明日は授業も行事もないので、桜達は図書館に行ったり自主練をしたり、自由にして過ごすという。
「……お兄ちゃん、わたし達の出身地って、どこ?」
「……生まれも分かるし育った場所も覚えてるが、親父の転勤を考えると判断に困るよなあ。日本、ってことにしておくか」
「ぷ……」
「あ、八重野宮さんに受けた!」
「おう」
俺達兄妹の自己紹介定番ネタである。
実際、俺の生まれは静岡で、岐阜へと移った頃に桜が生まれ、その後は数年ごとに熊本、沖縄、東京と移動し、今の実家は北海道になっていた。
それぞれの土地に思い出はあるが、心の故郷の場所はよくわからない。
「そうそう、知ってるかもしれないけど、お兄ちゃんは自主練出来ないからね」
「ああ、最低でも仮免許がいるんだっけ? まあ、制御服も届いてないけどな」
授業なら指導資格を持った教員がきっちり監督してくれて整備士の職員も付くが、自主練習ではそうもいかない。学校側も事故は恐いはずだし、最低限、仮免許が取れるぐらいの知識と技術は実際に必要なのだろう。
俺はまだ手を着けていないが、アイアン・アームズの免許は、取ってからの方が大変らしいともっぱらの噂である。
実技の方は、訓練と慣れこそ必要だが、AIによる思考制御が動作を補助してくれるし、学科も仮免許とその上の第一種免許の取得まではそう難しくないと聞いていた。
……もっとも、エキスパートの証明でもある中型や大型の免許は段違いに覚えることが多く、その他特殊な機材を使用する場合――希に特定の機種専用の資格なんてものまである――にはそれぞれに講習や試験が別途用意されていて、そちらが大変厳しいそうだ。
「まあ、今日のところは買い物に行かないと」
「竜一さん、何か買うんですか?」
「カラーボックスと追加のジャージ、後は雑誌と……」
「アイアン・アームズマガジンとか月刊特機なら、図書室にもあると思いますよ」
「ああ、アイアン・アームズと無関係じゃないんだけど、建機関連の雑誌だし、それに……本その物が欲しいんだ」
何故なら、自分の書いた記事が載っているからである。
電子版のデータはもう送られてきていたが、やはり紙媒体に印刷された物が欲しい。
「あの、後藤さん」
「八重野宮さん?」
不安そうな様子で俺の方を見た八重野宮に、少し身構える。
「私も買い物に行きたいんですが、その、メガフロートは初めてで……」
「お兄ちゃん、ここは出番だよ!」
「おう、任せろ! 八重野宮さん、一緒に行こうか?」
「はい、お願いします!」
八重野宮の表情が、ぱっと明るくなった。
桜の言葉にそのまま乗っかったが、結果オーライだ。
……残りの四天王は、にやにやと意味ありげに俺の方を見ていたが、何も言ってこないのでスルーしておいた。