こぼれ話@ガールズサイド「朝練」
こぼれ話@ガールズサイド「朝練」
……目覚まし時計が、鳴り響く。
ただでさえ朝練の為の五時四十五分起床はきついのに、週明けは特につらかった。
昨日は親睦を兼ねたお疲れさまパーティーもあったし、気持ちはやる気でいっぱいなのに、毛布から出たくない。
「規子ー?」
「……起きてる」
上から降ってきた七海の声に体を起こし、ベッドを降りて目覚ましへと手を伸ばす。
枕元だと無意識に止めてしまうことがあるので、目覚ましは足元に近い床に置いていた。
「ん……」
音を止めるためには、必ずベッドから降りなければならないという、極めて高難度の要求。……とても簡単なのに、確実性の高い遅刻対策だった。
「おはよう」
「……おはよ」
寝起きのいい七海は、起きたてでもしゃんとしている。
……彼女がルームメイトでなかったら、二回ぐらいは遅刻していたに違いない。
寝間着代わりのTシャツを脱ぎ、朝練用のライトブルーのジャージに着替えていると、徐々に目が覚めてくる。
「お先」
「うん、ありがと」
七海と交替、洗顔してさっと髪をまとめ、アイリーン先輩お勧めのフジカUVSP・アイアン・アームズ・スタンダード――UVプロテクトローションを手に取る。値段の割に質がよく、お肌のトラブルが少ないらしい。
私達は毎日のように、制御服を着る。
その時に必ずサポートジェルを使うけれど、化粧品に含まれる金属と干渉してしまうこともあった。
どんなに素敵な化粧品でも、操縦に影響が出るものはもちろん使えない。
特にUVケア化粧品は、銀粒子が使われていることが多い上、手足にも塗るから干渉する可能性がかなり高いと教えて貰っている。
うちの学校は指定のジェルが富士山化学工業――フジカ製なので、同じメーカーの対応品が一番無難だった。
「ふう。……よし」
後は無色のリップで『朝練仕様のメイク』がほぼ完成してしまうけれど、仕方がない。
汗も掻くし、制服に着替える前にシャワーも浴びる。
もう少しだけ、『授業のメイク』は手が込んでいるけれど、ここは天下の国立特殊歩行重機操縦士訓練校、そういう場所なのだと、私達も理解していた。
▽▽▽
「おはよう、広美、美都希」
「おはー」
「おはよー」
いつものように下足ロッカーで広美達と顔を合わせ、靴紐を結んでいると、丁度松浦先輩や斉藤先輩が階段を下りてくる。
「おはようございます、アイリーン先輩、茜先輩」
「モーニン、規子、広美! 七海も美都希も!」
「おはよう!」
「おはようございますっ!」
そのまま玄関口に出て、入り口から少し離れた場所に陣取り、まずはストレッチだ。
首、腕、足。
次に腰を伸ばして、前屈、開脚前屈……のあたりで、いつも後藤さんと桜先輩がやってくる。
「おはよう!」
「おっはよー!」
「おはようございます、後藤さん、桜先輩」
起きる時間に支度の時間、歩くペース……行動がルーチンになってくると、毎日似たような時間に顔を合わせることになってきて、少しだけ、面白い。
「一、二、三、四、一、二、三、四……」
体を動かしつつ、つい、ちらちらと後藤さんの方を見てしまう。……私だけじゃないので、目立たないけど。
私達の大半は先輩譲りのストレッチ――美容体操込みのアイ校スペシャルだけど、後藤さんのストレッチは中高の時のサッカー部のもので、一人だけ激しくて、短い。
「じゃあ、お先!」
「いってらっしゃい!」
朝練は自由参加の自由行動なので、コースを三周走る後藤さんや麻生会長、運動部組、二周の上級生、一周の代わりに柔軟と筋トレが多めの一年生と、ばらばらだ。
もちろん、焦っても仕方がない。
「規子ー、背中ー」
「はーい」
でも必ず追いつくと、私は決めた。
家族にアマチュアのライセンスを取りたいと電話を掛けたのは、昨日だ。
『規子、やるからにはとことん、やんなさい!』
『……狭き門なのだろう、挑戦は大いに結構だが、自分を追い込み過ぎないようにな』
『姉さんもプロを目指すの? デビューしたらサイン送ってね!』
殊の外喜んでくれたけれど、もちろん最大の理由は話せない。
広美の背中を押しつつ、小さくため息を飲み込む。
勢いで後藤さんに宣言……おほん、背水の陣まで敷いたけど、お母さんの言葉通り、とことんやる気持ちになっている。
ただ、今の私は、後藤さん以下の素人だ。体験授業でそこそこの成績を残してはいても、目の前の広美のような、世間が認めるほどの選手にはほど遠い。
「昨日の後藤さんの試合、どうだった?」
「んー……」
結果だけ見るなら、二大会掛け持ちの全試合勝利、完璧なデビュー戦を飾った後藤さんだ。
少しぐらいはマネージャーとしてお役に立てたと思いたいけれど、私じゃなくてもよかった気もしてしまう。
それに、見応えがあったかと言えば、実は……。
「……試合よりも、放課後の特訓でがむしゃらに立ち向かう後藤さんの方が、ずっと格好よかったと思う」
「勝つには勝ったけど、本気じゃなかった、って?」
「私にそう見えただけかもしれないけど、勝つ気はあるのに、気迫が希薄っていうか……あ、もちろん、経験者の選手に追い込まれた場面もあったよ。けど、見ていて、これぐらいなら大丈夫って思えちゃったったというか、後藤さんなら勝っちゃうなあって」
「……ふーん」
後藤さんの参加したフリーのノービスクラスは、U19ほどではないけれど、選手層が上下二層に分かれていた。
広美の話によると、本気でプロを目指している人は、とにかく勝利への執念がすごいらしい。
「強い人はすぐ上に抜けていくけどね。放課後のアレ見てると、後藤さんもすぐに抜けると思うけど……」
「特訓で勝率五割の方が、たぶん難しいって、後藤さんも言ってた」
「後藤さんも規子も、案外冷静に見てるんだ。まあ、アイ校の卒業生の『平均』技量って、フリーのオープンクラスにいきなり放り込まれても、健闘できるレベルって話だし」
「うん」
「乗って半月で、そこそこ食いついて行ける後藤さんも規格外だけどね。あのレベルになると、発現力、ほとんど関係ないのに……」
「だよね……」
そこから頭一つ抜け出るかはまた別だけどと、広美は辛辣な一言を口にして、立ち上がった。
「規子もさ、早く、あたしのところまでおいで」
「す、すぐは無理! ……でも、頑張るよ」
県大会U19での優勝は、今の時期の一年生ならトップクラスに数えられる。
うちのクラスのマリーさん、一組の時坂さん、そして広美。
この三人が、学年では現在三強と噂されていた。
もちろん、まだまだ遠すぎる背中、追いつき追い越せという気持ちは大事だけど……。
「おっけー! 目指すのは、十三期の四天王だからねっ!」
「いきなり!?」
「目標は高いほどいいのよ! 麻生先輩も言ってたみたいに、後藤さんを追い抜くぐらいで丁度いいでしょ!」
「え、八重野宮さんもプロ目指すの?」
驚いた顔をしてこっちを向いたのは、久坂さんの背中を押していた十河さんだ。
「プロまでは……うーん、どうかなあ。でも……」
「でも?」
「頑張るって言ったからには、頑張るよ」
「おー、前向きだ。これも後藤さん効果なのかな」
「え!?」
「アマチュアのライセンス取る子、例年より多いかもって。……ね、ありす?」
「久坂さんも!?」
「う、うん……」
「あと、うちのクラスだと、クラリスに雪花に凛ちゃんに……」
「授業にも気合い入りそうだよねー」
今月からは、放課後の特訓が一年生にも解禁される。
実技授業の様子を見つつ、基礎が出来ているなら許可が出るそうだ。
私のファーストステップは、その特訓の参加権ゲットに決まったけれど……。
「ライバル、多いなあ……」
「……色んな意味で?」
「ちょ、広美!?」
前途多難になりそうな皐月五月は、まだ始まったばかりだった。
第三章のスタートまで、しばらくお待ち下さい。
少し準備期間をいただきたいと思います。