第三話「思い描いた理想」
第三話「思い描いた理想」
四月も半ば、新入生もそろそろ新しい日常に慣れてきた、木曜日の昼。
アイ校、湾大、トーヨド、防衛省の四者共同で新装備の研究開発を行うという発表が職員室前の情報掲示板に張り出されると同時に、参加者募集のお知らせが全校メールで通知された。
取り立てて難しいことをして貰うわけではないが、拘束時間だけはどうしても長くなる。放課後の貴重な時間をこちらの都合で潰させるわけで、その点だけは申し訳ない。
人選は希望者の中から内原先生らが選んでくれることになっていたが、何かと忙しい支援隊員の応募は原則禁止、成績に不安のある者は要相談と明記されている。
俺は少し考えてから内原先生に相談し、麻生会長に頼んで生徒会経由で生徒側代表者としてコメントを送信して貰うことにした。
『もしも将来、企業の研究施設に勤めたいと思うなら、現場を知るチャンスです。新しいこと、珍しいことに興味がある人も、大歓迎です。しかし同時に、その時間は訓練や座学にも使える大事な時間です。半年後、三年後、十年後の自分の姿を頭の中で思い描き、どちらがより自分を高められそうか、よく考えてみて下さい』
……半年、三年、十年と期間が微妙に中途半端なのは、ここが高等部だからである。
「ムッシュ・ゴトウ! こっち、です!」
マリー――マリー=ルイーズ・ド・ティエリが手を挙げてくれたので、そちらに向かう。
彼女はフランスからの留学生で、スラッとしたモデル体型と美しい金髪を、クラスメートから羨まれていた。
朝と昼と夕食時で髪型が変わっているほど皆にお洒落をさせられているが、本人も周囲も楽しそうで、時々俺にも見せに来てくれる。
「ありがとう、マリーさん」
「どういたしますか」
昨日からだが、俺もようやく隠れて暮らさず済むようになったので、昼食はクラスメート達とテーブルを囲むようにしていた。
「どういたしまして、だよ、マリちゃん」
「ウィ、トモミ。どういたしまして、ムッシュ・ゴトウ」
「はい、ありがとう、マリーさん」
今日はマリーに加え、四組では俺に次ぐ発現力九十五Kを叩き出した天国智美が、俺を待ってくれていた。
「後藤さんは日替わり……と、うどん追加ですか?」
「うん、流石に量がね」
「ですよねえ。私達でも、授業終わるとお腹減ってますもん」
クラスメート達も近辺に固まっているが、遠巻きにされているわけではない。
俺との同席は、何故かローテーションになっているらしい。……昨日の夜、こっそりと八重野宮が教えてくれた。
「いただきます」
「いただきまーす」
箸が使いにくいことさえも楽しげな様子のマリーにほっこりしつつ、うどんに七味をかける。
もしかして、人生で三度しかないというモテ期が来ているのか……と、思いたいところだが、俺は紳士に徹していた。
八重野宮との両片思いでさえ、とてつもない贅沢なのだ。
クラスメート達が好意的に接してくれるからと、それ以上を望んで調子づけば、身の破滅を引き起こしそうな気もする。
女性社会たるアイ校で調子に乗るとどうなるかは、つい先日、萬田未来翔という悪い見本を目の当たりにしたばかりだった。
無論、俺の大好きなライトノベルのハーレム主人公同然の生活が許されるようには、世の中出来ていない。それを知っている程度に、俺も大人である。
ただ、女の子との付き合いなんて、中学の時にはデート二回で受験のために自然消滅した覚えがあるぐらいで、恋愛経験豊富とは言えない俺だった。……あ、大学の時に合コンが何度かあったか。
どちらにせよ、その程度である。
導き出した結論が間違っていないとは、言い切れない。
それこそ、あの時有馬選手を前に『私の片思いです』と、俺の前で言い切った八重野宮の方が、恋愛面ではずっと大人なんじゃないかと思う。
それでも――逃げる理由を先に探すのは、多少どころではなく情けない気もするが、RiSEシステムに専用機など、優先しなければならない事案は山ほどあった。
故に身を守ると同時に、自分の将来の展望とも合致するという、一石二鳥の考えで己を縛り付けているのだ。
そちらに意識を向けているので、八重野宮への片思い以上の行動はするまい。
……と、心の中の自分へと言い訳をしつつ、うどんをすする俺だった。
「ムッシュ・ゴトウ」
「ん?」
「めんきょ、取ってたら、私と戦ってする?」
可愛く小首を傾げるマリーだが、フランスにいた頃は、ジュニア大会で国内二位の成績を取ったと聞いている。
……たとえ、日本への留学を選んだ真の理由がアニメだったとしても、彼女の実力まで霞むわけじゃない。
実技授業の開始以降は、委員長の新派同様、クラスでは一目置かれていた。
「ウィ、マドモアゼル。でも、えーっと……『免許が取れたら、私と戦って下さい』、かな?」
「ですねえ」
「あぅ……」
「大丈夫。最初の頃より、ずっと聞き取りやすくなってるよ、マリちゃん!」
「うん、意味もちゃんと通じてる。マリーさんは、頑張り屋さんだね」
「メルシー、ありがとう」
マリーの日本語はまだまだ怪しいが、留学半月でこれだけしっかりした会話が成り立つなら、立派なものだ。
もう一人の留学生リン・メイフォンと同じく、授業以外では機械翻訳に頼らず努力している留学生には、俺達も協力は惜しまないのである。
▽▽▽
「お疲れ様でした!」
「ありがとうございました!」
放課後の特訓では三年生を相手に二勝十九敗と『善戦』し、麻生会長らより火曜日より進歩していると褒められはしたが、非常に複雑な思いで整備区画へと戻ってきた俺だった。
まだまだ基礎を固めればそれだけで延びる時期なので頑張ってくださいと、アドバイスと訓練メニュー、それに今日の記録映像を貰ったが、実は少々へこんでいる。
桜達の口にしていた通り、三年生は半端でなく強かった。
現在俺の持つ唯一の必殺技『スライディングキック』は初見殺しにもならず、手に持ったひなぎくの剣はほぼ無力化されている。
……麻生会長などには、ジャンプキックでのけぞったところをスライディングキックされて脚部喪失判定と、わざわざ萬田戦の逆再現で瞬殺される始末だった。
唯一の手ごたえは、昨日に比べて動けていたことだ。
イメージトレーニングの成果が出たのか、それとも昨日の惨敗が既に血肉となっているのかはさておき、動きの切れがよくなっているという自覚さえあった。
一度だけだが片手ジャンプ倒立宙返りが成功し、相手の背後を取れて一勝をもぎ取っている。
もう一勝は、こちらも偶然に近いが、相手三年生の突きを交わした時、出足払いのように相手の脚を引っ掛け、転倒したところに三連撃を叩き込むことが出来た。
一度でも出来たのなら、成功確率が増えるように訓練を重ねるのが常道だ。
機体を整備区へと歩かせ、ガントリークレードルに固定する。
終了操作と目視確認を行い、最後に生徒証を兼ねたカードキーを抜けば、搭乗記録や機体情報などは自動更新され、整備本部のサーバーへと送られた。
「一年四組九番後藤隆一、ひなぎく一四〇九号機、訓練終了しました! 確認ををお願いします!」
「はい、生徒証をお願いします」
整備員さんに申告すると、機体の返却手続きと引き換えに、プリントアウトされた搭乗記録を渡される。
わざわざ印刷して渡す理由は、生徒のやる気を引き出す為だった。
自分の記録ならタブレットでいつでも見られるのだが、搭乗記録も溜まりだすと結構な量になる。ファイリングしていけば自分の足跡が厚みとなって現れるので、日々の積み重ねは大事だと目で見て分かるようになっていた。
「ありがとうございました!」
シャワーを浴びてすっきりしながら、覚えているうちに今日の反省点を脳内で繰り返して再生し、対策を練る。
「ふう……」
やはり、基礎が足りていないという結論になったが、週に一度ぐらいは模擬戦を中止して、自分のための時間に充てるのもいいだろう。
基本動作は思考制御によって補えても、その先にある人を超えた動きへと至るには、搭乗一週間ではまだまだ不足だらけであった。
EROスーツを預けて整備本部を出れば、一〇四号整備区の前に、人影が見えた。
「後藤さん!」
「あ、八重野宮さん……」
八重野宮は制服ではなくジャージ姿で、髪はポニーテールにまとめられ、僅かに湿ったタオルを首に掛けている。朝練の延長でジョギングでもしていたようだ。
「八重野宮さんは、トレーニング?」
「はい。整備区に入って行くフルアーマーのひなぎくが見えたから、後藤さんだなって」
今のところ一年生で唯一、放課後の訓練で実機を使える俺だった。
再来週には新入生に向けた第一回の仮免許試験が行われるので、一気に人数が増えることだろう。
「……あ、もしかして待っててくれたの?」
「合間にもう一周走ってきたので、そんなに待っていませんよ」
さあ、帰りましょうと、髪をまとめていたゴムを外した彼女は、身を翻した。
長い黒髪がふぁさっと広がり、夕日に映えて綺麗だ。
「どうかしましたか?」
「うん。……なんというか、平和だなあと」
「後藤さん、ずっと大変でしたもんね」
萬田の件こそ解決したが、アイアン・アームズ乗りの俺は新米だし、共同研究はこれから本番を迎えるし、忙しさは大して変わらないだろう。
だが、望んで自分から訓練と模擬戦に臨み、気がかりとなっていた研究もようやく手をつけられるのだから、俺は気合十分だ。
「今日の夕食、和食は炊き込みですよ」
「いいなあ。うん、それにしよう」
「後藤さんならそう言うと思ってました」
おまけに、訓練を終えれば八重野宮が出待ちしてくれているとか……思い描いた理想のアイ校生活過ぎて、心配になってくる。
「そうだ、今日は三年生相手に、二勝出来たよ」
「わ、すごいじゃないですか!」
「十九敗したけど、今度は三勝が目標になった……かな」
「会長さん、やっぱり強かったですか?」
「うん。噂の通り、四天王どころじゃないぶっちぎりの強さだった」
並んで歩く八重野宮と俺との身長差は、約二十センチ。
右巻きのつむじをぼんやり見ていると、走った直後で暑かったのか、彼女は胸元に手を掛けてぱたぱたと空気を入れ替えはじめたので、慌てて視線を寮の方へと向ける。
薄いピンクの下着がちらっと見えてしまったが……八重野宮は無意識だったようで、ぱたぱたとやりながら照れもせずに俺を見上げた。
「『今日の問題』、もう決まりました?」
「あ、ああ。理科から穴埋め問題と、国語は諺と難読漢字、かな」
「ふふっ、頑張ります!」
今のところは全問正解なんですよと、八重野宮は褒めてくれと言わんばかりの笑顔を、俺に向けてきた。
とてもじゃないが、まぶしすぎて正視できない。
八重野宮はそろそろ、自分のかわいさと有馬選手より一センチ大きいそれがどれほどの威力を持つのか、自覚するべきだと思う。
俺は、頬の照りを気づかれないように、大きく伸びをするふりをして、暗くなり始めた夕空を見上げた。