第二十一話「エメラルド・クイーン」
第二十一話「エメラルド・クイーン」
プレハブ隊舎の仮眠室でぐっすりと一夜を過ごした俺は、翌朝、駐屯地の食堂で豪快に盛られた朝食をしっかり食べ、挨拶もそこそこに再びハヤブサへと乗せられた。
「本田先生、アイ校ですか?」
「いや。すぐそこだ」
昨日、寝る前は心身共に疲れ切っていたが、風呂の後で教えて貰ったストレッチが効いたのか、身体が軽い。
……いつの間にか堀口主任の姿が見えなくなっていたが、昨日、俺用に調整された七十九式が問題なく動いていることを確かめた後、最寄り駅まで送って貰ってそのままアイ校へと向かったそうだ。内原先生に出席を免除されていたが、夕方に共同研究の会合があった事を、今更のように思い出す。
本田先生の言葉通り、ハヤブサは十五分も走らない内に停車した。
「……本当に、ここなんです?」
「ああ、ここだぞ。トーヨドがな、手を回してくれたんだ」
にやりと笑った本田先生が指さしたオフィスビルには、俺も何度か訪れている。
十階建てのビルの屋上には、エメラルド・クイーンの手のひらに座ってウインクする有馬絵美の看板が、大きく存在感を示していた。
俺に関係ある練馬と言えば、そう、トーヨドをメインスポンサーに持つ練馬クインビーズである。
ロビーには、眠そうな堀口主任と共に、以前にもお世話になった専属整備チームのリーダー、芝田氏が俺を待っていた。
去年ここに出入りしていた時、俺は開発チームのサポートスタッフ的な立ち位置で、雑用をこなしながら手の足りないところに顔を出していたから、良くも悪くも目立ってしまい、顔を覚えられている。
「本田先生、後藤君!」
「おはようございます、堀口さん、芝田さん。本日はよろしく頼みます」
「ご無沙汰しています、芝田さん」
「おーい後藤君、驚かせるのも大概にしてくれ! 今日来るのが君だと知って、書類を三度も見直したよ、僕は!」
口調は乱暴だが、芝田氏は笑顔でばしばしと俺の背中を叩いて大歓迎してくれた。
早速着替えろと促され、芝田氏に連れられて練習場の方へと向かう。
機体は昨日借りた七十九式だが、もう運び込まれているそうだ。
「なんかさあ、ひなぎくでラトルスネークとタイマン張るって聞いたけど、ほんとかい?」
「試合、今日の四時半です」
「……君、馬鹿なの? そうは見えないけど、ほんとは馬鹿なの?」
「今日だけは、馬鹿にならないと駄目なんですよ」
「ヒュー! 男の子だねえ……。そういうの、好きだよ!」
案内された更衣室は、これまで俺が見たどの更衣室よりも豪華だった。
個室な上に、シャワールームにはバスタブまである。おまけにドリンクサーバーやマッサージシート、大型のディスプレイまで完備されていて、控え室の間違いなんじゃないかと思ったほどだ。
流石に優勝チームは選手の扱いもいい。
だが感心してもいられないので、素速くEROスーツに着替えて駐機場へと向かった。
「……お!」
今日は月曜日でオフ日とあって、エメラルド・クイーンを筆頭に、国府田選手の『ダイヤモンド・ホーネット』、舟橋選手の『ブラウ・ヴェスペ』、北条選手の『ハニー・ベア』……各選手の機体ががずらりと並んでいる。
何度見ても、壮観、としか言いようがない。
隅には俺の七十九式が、もうガントリークレードルに設置されていた。
同時に、クインビーズの中型、大型機が並ぶ中、ぽつんと小型の七十九式が置かれていることで、その機体の大きさの差を実感し、俺はため息を飲み込んだ。
「後藤、こっちだ!」
「はい! すみません!」
管理室付近には、本田先生達に加え、スタッフ達も集まっていた。慌てて走る。
「やあ、いらっしゃい。芝田君の言ってた通り、本当に男の子なんだねえ」
「……! 初めまして、緒方監督! 後藤竜一です! お世話になります!」
真っ先に声を掛けてくれたのは、短い白髪頭に丸眼鏡がトレードマークの名将、緒方善吉監督である。……無論、テレビや雑誌で俺が一方的に知っているだけで、面識はない。
「うんうん、元気いいなあ。うちの子達といい勝負だ」
「ごめんなさい、お待たせしました! ……って、え、あれ?」
赤いEROスーツで走ってきたのは、我らが有馬絵美選手である。
俺を指さして、めちゃめちゃ驚いていた。
「ご、後藤くん!?」
「はい、お久しぶりです、有馬さん!」
直接会うのは半年ぶりだが、名前を覚えて貰っているのが嬉しい。
やる気が、倍になった。
……いや、待て。
マジか、落ち着け。
俺の相手をしてくれるのって、有馬選手なのか!?
「オフなのに、急に呼び出して悪かったね、有馬君」
「いえ、それはいいんですけど、なんで後藤くんが……」
「有馬君、アイ校から生徒さんが来るって言ったでしょ。彼だよ」
「へぁ!? あの、アイ校って、女子高ですよね? って言うか、後藤くんってトーヨドの社員さんですよね? わたしのスーツのバックパック、調整してくれたの覚えてるもん」
可愛く主張する有馬選手に、八重野宮とはまた違った魅力を見つけて俺は感動した。
このままでは、やる気が三倍になりそうだ。
いやいや、俺は八重野宮一筋だ。
うん、そう決めた。
そりゃあ、EROスーツに包まれた八九ー五九ー八六のナイスバディは魅力的だし、美人だし、俺のことを覚えてくれてはいても、心の二股はよくないし、そもそも、脈があるはずもない。
有馬選手には敬意と応援を、八重野宮には、愛……いや、今はそんな妄想をしてる場合じゃない。
「正しくは、トーヨドと研究協定を結んでいる湾大工学部の生徒さんで、あの時は外部の開発スタッフとしてお手伝いして貰ってたんですよ。今はアイ校の一年生ですけどね」
「そうだったんだ……って、今気付いた。EROスーツってことは、本当に、後藤くん……」
「うん。有馬君には、彼の先生役をしてもらいたいんだ。まだアイアン・アームズに乗って数日なのに、今日の夕方、学校の小型機でラトルスネークと勝負しなきゃいけないそうだよ」
「……はい? え、今日!?」
「相手の子は、中学時代から乗り慣れているようだね。コーチには元阪堺ジャンジャンズの太田選手がついて、半年みっちり教えていたらしいよ」
んーっと、小首を傾げてしばらく考え込んだ有馬選手は、ぽんと手を打った。
「わたし、まだ寝ぼけてるみたいなんで、寝直してきますね」
「こらこら……」
試合中はきりっとした態度で鋭く切り込む彼女だが、インタビューや対談などでは至って年相応の態度を見せてくれる。
そのギャップが余計にファンを増やすのだということに、彼女はたぶん、気付いていない。
時間がないということで、手早く打ち合わせを済ませ、早速九十七式に乗り込む。
昨日とは違い、競技ルールに合わせ、カメラとマイク以外のセンサー類がAI側で殺されていた。あった方が楽だが、そちらにも慣れておかないと俺も本番で困るだろう。
双方共に特別な装備はなし、俺の方はともかく、エメラルド・クイーンも見慣れた標準仕様である。
『有馬君、先生からの注文は、本気の試合モードだ』
『は!? ……えっと、いいんですか?』
『ええ、よろしくお願いします。元より付け焼き刃ですが、一度でも本物の――プロの気迫を体験しておけば、少なくとも彼が本番で萎縮することはない、そう考えます』
『そういうことなら、まあ……』
少し慣れたらスピアとシールドを持つようにと準備もして貰っているが、とにかく、中型機を相手に戦うとはどういうことか、まずは体で覚えろと言われていた。
今は装備の代わりに、鋳鉄製のウエイトを背負わされている。
機体と違って、後付で手持ちとなるスピアとシールドにはライヒヴァイン・シールドをまとわせることが出来ず、結果的に壊れやすい。無論、扱い方を教えられたわけでもないが……まあ、どちらにせよ、素人にはまだ早いということだ。
『後藤くん、準備はいいかな?』
「はい、よろしくお願いします!」
昨日も使った模擬戦用のダメージ判定システムやライヒヴァイン・シールドの動作状況を確認して、俺はモニターの隅っこに映る有馬選手に頷いた。
彼女の表情が、すっと消える。
テレビで見慣れているはずのエメラルド・クイーンが、途端、大きく見えてきた。
サイズ差は、こちらの全高が二メートル少しで、あちらは五メートル半。
数字では単に倍、カタログスペックによる重量の比較では約四倍――七十九式がずっしりとした冷蔵庫デザインなのに加え、エメラルド・クイーンは競技専用の機体として高度にブラッシュアップされている――だが、それ以上の差があるように思えた。
最初の数回は自由に動けと言われたが、どこから攻略したものやら……。
『レディ……GO!』
開始の合図と同時に、エメラルド・クイーンはフェイントも入れず、真っ直ぐこちらに向かってきた。
俺は後方上空へと大ジャンプで逃げようとしたが……ああ、これは駄目だ。
『反応遅い!』
突っ込んできたエメラルド・クイーンに右脚をつかまれたかと思うと、そのまま逆落としに持ち込まれる。
慣性緩和システムでもカバー仕切れなかった衝撃で、俺は……気絶した。
『おーい、後藤くーん』
「……有馬さん?」
『あ、起きた』
コンコンと追加装甲を叩かれる音で、目が覚めた。
身体は……うん、問題ない。
機体の方は、俺の気絶を受けて待機状態になっていた。赤い非常灯がコクピット内を照らしている。
「大丈夫です、再起動します」
『ん、おっけー』
予備電源を使ってパワープラントを直接起動し、主動力を確保する。
外部視界が戻って一息つき、時計を見れば、最初の合図から三分と経っていなかった。
あの一撃で、七十九式は脚をもぎ取られて行動不能と『判定』されていた。
模擬戦では、ぶっ飛ばされはするが、両機に搭載されたDASが瞬時に『手加減』して、機体の損傷を防いでくれる。
プロリーグの中継では、本当に機体の手足がもげるようなことも多いが、それも醍醐味の一つとされていた。
DASをリセットし、立ち上がる。
AIの自己診断を信頼するなら、機体に一切の故障はない。
俺の気力も十分だ。まだまだ、行ける。
「お待たせしました」
『はーい、じゃ、もう一回!』
「はいっ!!」
二度目の対峙、エメラルド・クイーンは一歩も動かなかった。
俺の方から来い、ということらしい。
プロ用機体の運動性能……いや、プロの洗練された技は十分に味わったが、攻め手が思いつかないだの、隙がないだの、言い訳を考えていても埒が明かない。
「はっ!」
俺は九十七式に大きく地面を蹴らせ、エメラルド・クイーンの左腕、その肘関節に目掛けて、真っ直ぐ突っ込んだ。
いなされることは承知の上だが、多少でも引っかけられるよう、こちらも左腕を少し開く。
視界に迫るエメラルド・クイーンが、少し屈んだ。こちらも軸線をずらすが、回避されるかどうか、ぎりぎりだ。
『甘い!』
「げっ!?」
がつんと横殴りの衝撃と共に、勢いよくぶっとばされる。
回避かと思ったら、機体を大きく捻っての見事な回し蹴りだった。
「いつつ……」
今度は気絶によるパワープラントの停止はなく、DASをリセットしただけですんなりと立ち上がれた。
再び開始線へと歩く。
さあ、次は一撃を入れるか、あるいは逆にかわしたいところだ。
『……後藤くんって、さあ』
「はい?」
『結構タフな方?』
「自分じゃまだ、よく分からないです」
『あ、乗って数日だもんね。そっか……じゃ、次、いくよ』
「はい、お願いします!」
昨日もさんざん殴られ、蹴られ、放り投げられたが、あれは俺が少しでも操縦技術が上達するようにとの含みを持たせた訓練だった。
今は含まれているものが、違う。
求められているのは操縦の上達ではなく、心の方だ。
萬田とやり合ったときに俺が心折れないよう、奴とは比較にならない本物のプロ――昨年度MVPの有馬絵美選手が、俺の相手を引き受けてくれているのだ。
その事に気付いた俺は……これだけの大舞台を用意してくれた本田先生や堀口主任、有馬選手らへの感謝と共に、用意された意図を汲みつつ、まだ一つ上を行きたいと、思ってしまった。
『レディ……GO!』
俺はたぶん、負けず嫌いで格好をつけたがる子供のような性格なんだろう。
これだけの用意を調えてくれた皆さんへのお礼になるとか、今も気を緩めることなく俺の相手をしてくれている有馬選手への感謝は、横に置いて。
有馬絵美に、一撃を入れたい。
本当に、そう思った。
一瞬で、作戦にもなっていない手を思いつき、即実践する。
「うおおおおおお!!」
『え!?』
俺はダッシュさせた機体をエメラルド・クイーンの直前でスライディングさせ、サッカーボールを奪う要領で、彼女の右脚を思い切り外へと蹴り飛ばした。
『きゃっ!』
左手で地面を叩いて反動を利用、機体を起き上がらせて振り向きざま、倒れ込むエメラルド・クイーンにもう一撃――。
エメラルド・クイーンが消えている!?
『このっ!』
「ぐはっ!」
思いもよらない、背後からの一撃。
DASは機体の大破を表示、九十七式はまた動かなくなった。
だが、一撃を入れることには成功している。
多分、視界外に逃げられた後、強烈なやつを食らったんだろうが……流石、昨年度MVP選手だ。
一筋縄じゃ行かない。
『や、やるじゃん、後藤くん!』
「ありがとう、ございます! 次、お願いします!」
『そうこなくちゃ!』
再び開始線に戻って向かい合う。
次は二撃が目標だ。
……先ほどより、エメラルド・クイーンがより一層大きく見えるのは気のせいか、それとも有馬選手の気迫が機体からにじみ出ているからか。
『はい、ストップ。後藤くん』
「緒方監督?」
サウンドオンリーの表示が出て、それまで黙って見ていた緒方監督から声が掛かった。
気勢を削がれたが、調子づいていた自分にも気づき、反省する。
『今のリプレイ、体が覚えている内に見ておいた方がいいんじゃないかな?』
『後藤くん、監督の言葉はとても大事だよ』
「では、お願いします」
俺のクールダウンも兼ねているのか、機体を待機姿勢にして、コクピットを解放するように言われた。
足を伸ばして座り込むと、冷蔵庫の下部がその上に乗るようにして開き、上部装甲をがこんと跳ね上げれば完成だ。
エメラルド・クイーンが近づいてきて俺の横に座り込み、解放状態の頭部から有馬選手が顔を見せてくれた。
「ねえ、後藤くんって、サッカーやってたの?」
「はい、中学の時ですが」
「だよね。さっきのあれ、思考制御が上手いだけじゃ普通は無理だよ。練習生以上、トップリーグ未満ぐらいのテクはあったと思う。トレーニング以外でまともに蹴られたのとか、去年の春以来だよ……」
立ち上がった有馬選手が、胸をコクピットの縁に乗せてもたれ掛かる。
大きく揺れたそれが眼福すぎて、思わず視線を逸らしてしまった。
「今日さ……」
「有馬さん?」
「ううん、何でもない! 後藤くん、前の時も一生懸命にスーツ仕上げてくれたから、今度はわたしの番だなって!」
後でスライディングキックの練習しようねと、有馬選手が微笑んでくれた。……天使すぎる。
この場を用意してくれた堀口主任には、後でもう一度、お礼を言おう。
『じゃあ、リプレイ流すよ』
「はーい」
「はい」
監督のチェックと有馬選手のアドバイスを耳にしつつ、リプレイ映像を注視する。
……改めて見ると、気恥ずかしい。
走り方が全くなっていないのが、よく分かる。
思考制御AIが俺の思い描いた走りを再現しようとして、肉体と機体の差違からギャップが生まれ、出力先である機体に不自然な、そして同時に、無駄な動きをさせているのだ。
『スライディングは合格かな。ただ、最初のステップとダッシュを工夫すれば、もう一段、スピードが上がりそうだ』
「それと、キックの時、もっとボディを活かすといいかも。その小型機って見た目よりずっと重いから、生身の感覚で蹴ると、せっかくの運動エネルギーが乗らないよ」
『有馬君の言うとおり、アイアン・アームズは人間とは違うからね。今日中には難しいかもしれないが、後藤君は思考制御との親和性が高いように思う。いけるよ、この技。……さっきのも、二機連携なら有馬君は落とされていたかもね』
「たはは……」
だが、長所は短所でもある。
スピードとパワーを乗せたスライディングキックは、回避されればリカバリーにも時間を食うことを指摘された。
そちらの方は、腕と同時に冷蔵庫ボディのエッジを使い、地面に穴を開けコマのように機体を回転させろと、無茶なことを言われる。
ちなみにスライディングキックの直後、エメラルド・クイーンが消えた理由だが……彼女は機体が倒れ込んだ際に腕一本で『ジャンプ』して身伸宙返りを決め、俺の背後に回り込んでいた。
人間技じゃない。
正に人『機』一体、アイアン・アームズならではの、パワーと技だった。
そう、俺に最も足りない部分だ。
今の俺は、思考制御のお陰で機体は自在に動かせるが、俺自身の限界に縛られ過ぎている。
生身よりも高く跳べるし早く走れるが、機体の限界はこんなもんじゃない。
「さあ、休憩おしまい! いくよ、後藤くん!」
「はい、お願いします!」
練習できるのは、後二時間ほど。
その足りない部分をどこまで埋められるか、本番以上に気合いを入れて臨まなければならない。