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第十八話「一対一には違いない」

第十八話「一対一には違いない」


「ちわーっす」

「失礼します……」


 久しぶりの松岡研は、見たところ二週間前と大して変わらないように思えたのだが……。


「……あの、どなたですか?」

「え!? ……ああ、新三年生?」

「はい、そうですが……」


 顔を知らない女の子がお茶を飲んでいた。手を止めて、不思議そうに俺を見ている。

 そうだった、新学期だし、中の人間は入れ替わっていて当然か。


「城田か山口はいるかな? 後藤が来たと伝えて欲しいんだけど……」

「え? もしかして後藤さんって、退学になった後藤さんですか!?」

「あー、うん。その後藤で間違いないと思う」

「ご、ごめんなさいっ! えっと、山口先輩はまだです。城田先輩を呼びますね」

「うん、お願い」


 ……間違っていないが、『退学になった後藤さん』が通り名になるのは勘弁して欲しい。


 それはともかく、あいつらが登校していてここに居ないとなると、階下にある学科共用のクリーンルームでナノハンド作業か、特機広場――屋外実験場ってところだろう。

 俺も研究生活の半分ぐらいは、このメインルームではなくそっちにいた。


 実験なんて、大概は準備の方に時間の掛かるものだ。


「……思っていたよりも、すごいです」

「そう?」

「はい」


 松岡研究室のメインルームには、研究機材という名のパーツ……もとい、ガラクタがガラス棚にずらりと並び、スペースを圧迫している。


 ちょっと不安そうな様子の八重野宮が、距離を近づけて来た。

 それこそ、指だけ動かせば触れられそうな……いや、絶対にしないが。


「あ、もう来てたのか、後藤」

「おう、山口」

「あれ!? 八重野宮さん……だっけ?」

「おはようございます、山口さん。先日はごちそうさまでした」

「いやいや、なんの!」


 女の子が城田に呼び出しメールを送っている間に、もう一人の頼みの綱、山口がやって来た。


「原田さん、後藤の相手、ありがとな」

「いえ。……あ、城田先輩もすぐに戻るそうです」

「ん、サンキュ。じゃあ、後藤、松岡教授(せんせい)のところに行こう」

「なあ、松岡教授も、ってことは、今日の話って『例のアレ』絡みか?」

「それも含めて、ってところだ」


 萬田の件だけかと思っていたが、どうも違うらしいと首を捻りつつ、原田さんにも礼を言って隣の教授室へ向かう。

 だが来週には打ち合わせの予定もあるし、先に話しておくのもいいか。


「教授室って、隣だから」

「はい」

「おい後藤、八重野宮さんも連れて行っていいのか?」

「彼女は俺の護衛だよ」

「は!?」

「……精神的な意味で、だけどな」


 俺の冗談にくすっと笑った八重野宮が、胸を張る。

 ほんと、頼りになるよ。


「妹さんの後藤先輩に、しっかり頼まれてますから」

「まあ、八重野宮さんはもう一つの方の裏事情も結構知ってるし、いつも何かと助けて貰ってる。だから、問題ない」

「……美少女の護衛とかさ、後藤、お前ほんと、いつか後ろから刺されるぞ」

「ふふ、私が守ります」


 今度は八重野宮から乗ってきた。

 ……リラックスしてきたようで、俺もちょっと肩の力を抜く。


「八重野宮さんって、この朴念仁、気に入ってるんだ?」

「え!? えっと……」


 山口からのストレートな質問に、八重野宮は赤くなって俺の方を見た後、ぱっと俯いた。

 俺も八重野宮の答えは聞きたいような、聞きたくないような……ええい、わからん!


「んんん? 怪し……ゲフッ!?」

「……ふん!」


 とりあえず、山口の腹に拳をたたき込む。

 八重野宮の表情をちらっと見たが、その場しのぎの棚上げには、なんとか成功した……と思いたいところだった。




 ▽▽▽




 松岡教授に挨拶をして八重野宮を紹介していると、城田もすぐにやってきた。


「で、山口、城田。今日の用件ってのは何なんだ? ……なんか大騒動になりかけてないか?」

「後藤もなかなか面白い立ち位置なんだなってさ、改めて確認してた」

「だよなあ」

「ますます手放したのが惜しくなってきた、というところだね、私は」


 三者三様の反応に、さてどういうことかと、肩をすくめて続きを促す。


「後からもう二人ほど来るが、ふむ、その前に確認だ」

「ですね。後藤、お前の方から問題を起こしたりはしてないよな?」

「ああ、たぶん。少なくとも、こちらから行動は……あ」

「おいおい……」


 俺が原因、とは言いたくないが、昨日の騒動は、どう説明したものか。


 降りかかってきた火の粉を払うのは、さて……。


「ちょっとした噂を鎮めるのに、クラスメートや先輩達の手を借りただけだよ」

「あの……後藤さんは、とても真面目に過ごしてらっしゃると思います」


 躊躇いがちに八重野宮が口を開いてくれた。

 ……本当に、彼女に来て貰ってよかったと思う。


「八重野宮さん、後藤を頭から疑ってかかってるわけじゃないから……」

「……アイ校生の証言なら、説得力あるわ」


 松岡教授はともかく、俺、山口、城田で馴れ合いの掛け合いでも始まってしまうと、修正が大変なのだ。


「ま、いいんじゃねえか。身綺麗ならそれに越したことはない」

「それで、だ。……教授、お願いします」

「ああ。後藤君、単刀直入に聞くが、身売りする気はあるかね?」

「え!?」


 淡々と、呟くように酷い言葉を述べた松岡教授は、しばらくはまじめな顔で俺を見ていたが、横を向いてぷっと吹き出した。


「あ、あの……教授!?」

「いや、愉快な表情をありがとう。後藤君の驚いた顔は貴重だからね」


 松岡教授は紳士然とした堅苦しい見かけに反して、割と悪戯の好きな御仁なのである。


 信頼や実績と悪癖は、別物なのだ。

 その茶目っ気も含めて、師と仰ぐのも吝かじゃないんだが。


「……もう少し分かり易い言葉に直せば、『トーヨドと契約を結ばないか?』となるが、どうだろう?」


 トーヨド――東淀川重工は松岡研究室と懇意であるだけでなく、萬田商事とは同業他社として、アイアン・アームズのプロリーグを通した緩やかなライバル関係にある。


 教授の言いたいことは、すぐに分かった。


「もしかして教授、城田達の話聞いて、トーヨドまで動かしてくれました?」

「そりゃあ、動かすさ。まあ、立脚点の違い、というところだ」

「立脚点?」

「後藤君は萬田未来翔君と一対一の構図を作り上げ、勝負に持ち込もうとしていたらしいね」

「ええ、はい」

「実際には一対一である必要すらないが、後藤君の心意気は買おう。クリーンであることは、この際強みになる」


 流石に後ろ盾のない『高校生』が、年商数千億の大企業の息子と正面切って殴り合ったら、ただじゃ済まない。

 絶対に勝てないと決めつけたって、それほど大きな異論は出てこないはずだ。


 だから俺は、その不利な条件を少しでも覆そうと、勝ち目の薄い中で情報の収集をしていたのだが……。


 じゃあ、後からもう二人ほど来るっていうのは、トーヨドの誰かだな。


「だが……別に、高校生対高校生じゃなくてもいいと思わないかい? 企業対企業でも、同じ一対一だよ」

「あ! ええ……はい、仰るとおりです」


 俺個人vs萬田個人へと持って行くには、敵の戦力をどうやって削るか、あるいは切り離すかという無理難題になってしまうところを、俺の味方を増やして、トーヨドをバックにした俺vs現状の萬田商事付き萬田未来翔にしてしまえと、教授は言いたいのだろう。


 その意見には、頷かざるを得なかった。


 一対一に拘る必要は全くなかったし、相手が大企業なら、こっちも大企業に……いや、トーヨドが動かせるとまでは、正直に言えば流石に思いつかなかった。


 萬田商事が年商数千億を誇る大企業なら、トーヨドはグループ各社を合わせれば決算を兆単位で数える世界企業なのである。


 その巨大な存在を俺が個人の都合で動かすなど、多少の繋がりはあったにしても、冗談にしか聞こえない。


 第一、企業というものには、世間一般で考えられている以上にシビアな面があった。


 費用対効果の追求だ。


 地獄の鬼すら逃げ出すと言われるが、社長室に掲げられた理念などよりも余程明確な、企業を計る物差しでもある。


 その大企業が俺に肩入れしてなお、利益を出せるような条件は……恐らく、男性の高能力発現者という切り札と引き替えになるが、萬田商事と敵対し得るだけの価値があるものか、判断がつきかねた俺だった。


「お膳立ては調えたが、契約条件について後藤君が納得できなければ、この話は白紙に戻る」

「……と言いつつ、教授もノリノリでしたよね?」

「城田君、君はこんな面白い話を私に聞かせておいて、そのまま黙って見ていろと言うのかね?」

「いえいえ、まさか!」


 得意げな様子で城田をからかう松岡教授を斜めに見つつ八重野宮に視線を合わせれば、小さく頷いてくれた。


 本物の高校一年生には、難しい内容のやり取り……ってこともなかったか。

 俺を身売りする準備が出来てるぞってだけしか、まだ話は進んでいない。


 八重野宮に話し掛けようとしたところで、小さく山口に手招きされる。


「後藤、トーヨドはすごいぞ」

「あん?」

「お前がこの話を受けようと断ろうと、昨日までの情報だけでもう利益を出してるはずだ」

「へ!? ……すまん、よく分からん」

「お前の話がとっかかりになって、色んな情報の裏が取れたんだとさ。ま、それをこっちに聞かせてもいいぐらいには、余裕があるんだろう」

「ふーん……」

 

 それなら、もしも条件が折り合わずに話を蹴ったとしても、良心は痛まないか。


 ……無論、松岡教授のことだ、俺の考えそうなことぐらいはお見通しに違いない。




 本来の約束である十時にはトーヨドからの二人も到着し、改めて仕切り直しとなった。


「後藤君、久しぶり。元気そうね」

「おはようございます、堀口さん。お久しぶりです。退学の折には直接ご挨拶も出来ず、すみませんでした。あと、内定の件も……」

「その辺りは大丈夫よ。流石にERO施策推進会議のご指名だと、天の声過ぎてうちでどうこう出来ないって。あ、後藤君との個人契約は、条件付きで黙認のお墨付きを貰ってるから、安心してね」


 トーヨドから来たのは、俺がずっと世話になっていた横浜工場第二研究開発課の堀口貴美子主任だった。

 ちなみに松岡研のOGで、俺としては技術話も分かってくれる面白お姉さんである。


 だが、もう一人の中年男性は知らない顔だ。


「初めまして、後藤君。常務取締役の熊沢迅太(じんた)です」

「は!? はい、今回の件はありがとうございます。初めまして、後藤竜一です」


 想像以上の大物が現れたことに、驚きを隠せなかった。


 十数万人の従業員がいる『あの』トーヨドのほぼ頂点付近にいるような人なのかと、一瞬、我を忘れて見入ってしまう。


 失礼ながら、外見だけなら普通のサラリーマンにしか見えない。

 お供が居ないからか、とも思ったが、後で聞けば運転手と秘書は喫茶室で待たせていたそうだ。


「私はEROテクノロジーについては専門外だが、君が一昨年出した『アイアン・アームズについての私見的考察』、社内でも割と評判でね。あれ書いた学生さんをうちに引っ張ってきたってことで、堀口君には人事部から報奨金が――」

「常務! それは内緒ですって!」


 ……俺もちょっと、トーヨドに就職し損ねたのが、惜しくなってきたかもしれない。


 場をほぐす意味もあったのだろうが、楽しそうだ。


「さて、後藤君」

「はい」

「原案なんだが、早速条件を見てくれるかな。質問があれば随時お願いする」

「……失礼します」


 一枚目の紙に印字されていた条件は、極めてシンプルだった。




・特機校生徒の後藤竜一氏は、東京湾上大学工学部松岡研究室、特機校研究チーム、東淀川重工横浜工場第二研究開発課の三者による共同研究プロジェクト『(仮称)86A研究』に協力する


・東淀川重工は後藤竜一氏に対し、特機校在学期間中は専用機体と専属整備チームを貸与する


・後藤竜一氏は特機校在学期間中に申請された氏個人による特許および研究について、東淀川重工に最優先交渉権を与える




 ……シンプルすぎて、大丈夫なのかと不安になってくる。

 教授が粘ったのか、それともトーヨドがこれでいいと思っているのかは分からないが、甘いというか、通常ではあり得ないほど俺の側に有利な内容としてあった。


 続いて二枚目だが、こちらは俺とは『無関係』な内容が書かれているようだ。




・東淀川重工は特機校に対し、二〇八六年度より三年間、年額五億円、計十五億円の寄付を行う


・『(仮称)86A研究』について、特機校を通して防衛省より正式参画の問い合わせがあり、検討中である




 話が行ったのはほんの数日前のはずだが、萬田商事と同じだけの寄付金がすいっと出せるのか、トーヨドは……。


 男性の高能力発現者というだけで俺にそこまでの価値があるのか、また俺自身を使ってそれだけの資金をどう回収するのかは、ぱっと思いつけなかった。


 ……違うか。

 既に俺は本当に無関係で、状況を動かすトリガーとして使われた後なのかもしれない。


 正に、大企業の大企業たる片鱗を見せつけられた気がする。


 俺が二枚の紙面を見比べて悩んでいると、熊沢常務が口を挟んできた。


「ああ、そこに書けなかった部分は後ほど、口頭での説明になるかな。例えば……そう、来週には萬田未来翔君が自主退学するとかね」

「は……!?」

「え!?」

「ああ、別所教諭も都の教育委員会に転任するかもしれないなあ」


 流石に一瞬ぽかんとしてから、八重野宮と顔を見合わせる。


 俺、何もしてないぞ。


 山口と城田に、愚痴メールを送って情報集めてくれって頼んだだけ……だよな?


「あ……っと、その無茶をどのように通されたのかは、恐いのでお聞きしません。ですが、ただの内定者だった俺にそこまでして戴けるのは、どうしてなんでしょう?」

「うん、簡単に言えば、その方がトーヨドの将来の為になるから、かな」


 誤魔化された、というわけではない。

 本当に、それがトーヨドの出した答えのようだった。


「後藤君も先ほど気付いていたようだけど、君がうちと契約してもしなくても寄付は行われるし、今の時点でも、利益が出せる状況を作っている。もちろん、契約してくれるとうちはますます利益を上げられるし、君を引き入れたい気持ちもあるよ」

「ありがとう、ございます……」

「君が山口君に送ったメール、松岡教授にご許可を戴いて見せて貰ったけど、あれが決め手になった。ここで君に味方して十五億出すだけで、アイ校生の半分ぐらいはトーヨドという名前に対して好意的になってくれるんじゃないかと、期待してるわけだ。……アイ校の影響力がアイアン・アームズ業界に於いてどれほどのものかは、君もよく知っているだろう?」


 未来のトップエリート集団に向けたピンポイントな広告費だと思えば、それほど大きな金額じゃないよと、熊沢常務は営業スマイルを浮かべて俺を見た。


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