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第十七話「悪意と噂」

第十七話「悪意と噂」


 免許取得者への説明会終了後、萬田が第一演習場で訓練しているとクラスメールを貰った俺は、大人しく寮の部屋に戻った。

 

 斉藤先輩らに練習の誘いを受けたが、奴とかち合うことを避けたい気分の方が勝っているので仕方がない。度し難い馬鹿とは、距離を置くに限る。


 一対一の状況に持っていき、互いに殴りあって仲直り、喧嘩両成敗……で済ませられるような状況は、今の段階ではまだ作れなかった。

 生徒指導の教員まで抱き込まれているのでは、俺だけが罰を受ける。


 いや、そもそも俺は、奴と仲直りなんて『したくない』。


 いい加減、鬱憤が溜まってきているのだ。


「ただいまー」

「あの……お兄ちゃんっ!」

「お、おう!?」


 部屋に戻れば、桜は俺の帰りを待ちかまえていたのか、飛びついてきた。……やたら照れくさそうな赤い顔で、じっと見つめられる。


 うちの妹は、俺相手でも律儀に挨拶をしてくれる方だ。

 それがいきなり飛びついてきたとなると、心配が先に立つ。


「……どうかしたのか?」

「あの……あのねっ!」

「……たの?」

「うん?」


 もじもじとした桜は、心配になるほど真っ赤になり、俯いてしまった。

 なんだろうと思って見守っていると、いきなり制服をつかまれる。


「ああ、もう! お兄ちゃん! 試験の時、たってたの?」

「は!? たつ? 何が……?」

「これだよ!! もう、恥ずかしいんだから確認しないで!!」


 桜は俺の股間をびしっと指さし、俺は……思考停止した。




 しばらく二人して固まっていたが、流石に聞き捨てならない。


 思い返してみたが、試験の時も、股間の分身は特にいつもと変わりなかったように思う。


 無論、起動時の次元波動は女性同様、男性にも影響を及ぼすが、俺は比較的軽度で済ませられる体質だった。

 それに、俺のひなぎく一四〇九号機には、Gリミッターが装備されている。あれはリアクター内への次元粒子流入を通常の数百分の一に抑制するもので、測定器に比べれば格段に波動の影響が低かった。


 大体、急な本試験に慌てていたので余計なことは考えていなかったし、そもそも……生地がつっぱるからすぐに気が付く。


「あー、桜。……どういうことなんだ?」

「……なんかね」

「うん」

「食堂で、噂になってたの。その……お兄ちゃんが、免許の試験中に、た、たて、たてて……」

「桜、全部言わなくていいから」

「……うん」


 妹に何言わせてるんだと自己嫌悪に陥りつつも、同時に、何故今日になってそんな噂が流れたのかと、疑問が浮かぶ。


 ……いや、噂を流された、と見るべきなのか?


 第一、同じ試験を受け、一番間近で俺を見ていたはずの斉藤先輩達は、先ほどもいつもと変わりない様子だった。

 彼女達が騒いだなら、まだ理解出来るのだ。


 そうでないとすれば……もしかすると、桑島先生の疲れ果てた表情は、これが原因か?


「桜、斉藤先輩に確認取ってみろ」

「……茜?」

「俺、一緒に試験受けただろ?」

「あ。……あああああああ!! そだ、最初から茜に聞けばよかったんだよ!!」


 復活した桜はエアタブレットを取り出し、『メール! 茜宛! 試験の時、お兄ちゃんのおちんち――』まで言いかけ、俺の顔を見て一瞬固まってから……慌てて音声入力をタイピングに切り替えた。




「……」

「……」


 微妙な空気のまま二分ほどが経過し、そろそろ無言がきつくなってきた頃になって、斉藤先輩から返事が戻ってきた。


「……茜に怒られた」

「え?」

「お兄ちゃんはいつも通りだったし、もしも噂が本当だったとしても、男の人はそうなっても仕方ないって、副読本にも書いてあるでしょって……」

「ああ、うん……」


 はぁっとため息をついた桜は、床にぺたんと座り込んだ。


 パワープラント起動時の次元波動による勃起だけで、注意を受けたりすることはない。

 ……それを起因として異性を性的に襲ったりすれば退学だけでは済まないだろうが、ERO関係者には副次的な作用としてよく知られている。個人差も大きいし、見て見ぬ振りをされるのが通例だ。


 だから噂になったとしても、表だった咎め立ては基本的にあり得ないのだが……まあ、俺も慌てていたことは間違いない。


 桜の正面に、あぐらを掻いて座り込む。


「桜、別に落ち込まなくていいぞ。心配、してくれてたんだろ?」

「そうだけどさ……。こんなのでお兄ちゃんの信用を崩されたら、たまんないよ。これでも頑張ってたのになあ……」

「俺は知ってるよ。……桜がどれだけ、気を遣ってくれてたか」


 桜と同室になった経緯(いきさつ)は、麻生先輩が訪ねてきた夜、彼女の『寝言』で聞いていた。




 桜花寮の部屋は、初日に桜から聞いた満室にはほど遠く、現在も『余っている』。


 詳細を聞くまで気付いていなかったが、四階や二階だけでなく、俺が暮らす三階にも空き部屋はあり、萬田だけでなく、三年生にも一人部屋に住む生徒がいるそうだ。


 そして……俺に嘘をついてまで桜が俺との同室に拘った理由は、萬田だった。


『お兄ちゃんの入学が決まった日にね、奈々美先生からお兄ちゃんがどんな人柄かって聞かれて……一緒に萬田君の事も聞かされたんだけど、ちょっと考えちゃったの。……もしも、もう一人の男の子が反りの合わない子だったら、お兄ちゃんって、全力で喧嘩しに行くよね? だからせめて、絶対の味方が――わたしが側にいれば、少しぐらいはストッパーになるだろうし、トラブルも減るかなあって思ったの』


 桜は、本気だった。


 本田先生と寮監の三森先生を巻き込んで危険性を訴え、同室になる予定だった新入生の配置換えを頼み込み、俺用に確保されていた空き室を談話室として二・三年に提供して情報収集の協力を得たりと、麻生会長や四天王が横から口を挟めなかったほどの働きを見せ、俺の入校日までに準備を整えたそうだ。


 その上、もしも俺の側からトラブルを起こした場合は、わたしと一緒に容赦なく見捨てて下さいと、背水の陣まで敷いていたらしい。


 流石にそれは……どうかと思うが、落とし穴が何処にあるかわからない現状、あらゆるトラブルが俺の仕業にされる危険性は、排除できていなかった。




「まあ、あれだ。桜を退学させるようなことには、しないから」

「でもさ……」

「俺だって、お前の兄貴なんだぞ。絶対の味方だよ。だから……おっと」


 今度は俺のエアタブレットが振動した。

 城田からだ。


「……ん!?」

「何かあったの?」

「……いや、何があろうと明日、研究室に来い、だってさ」


 土曜は授業日にはされていないが、休日でもなかった。校外演習や合同訓練などの行事がなければ、自主練や自習に宛てる日とされている。


 ……俺の場合は、来週から始める共同研究の下準備とでも理由をつければ、外出許可は得られるはずだった。




 ▽▽▽




 さっと夕食を終えて部屋に帰る頃には、噂はやはり萬田が流したと、裏がとれていた。

 予想通りすぎて、裏の裏があるんじゃないかと疑ってしまったほどだ。


 だが、それもこれも、話を聞きつけた八重野宮や新派らが、一組のみならず他のクラスにまで出向いて特定を進め、四天王どころか、麻生会長まで抑えに回ってくれたお陰である。

 噂そのものは広まったが、こちらの用意した鎮静剤付きとなっているので問題ない。


「……ん、りょーかーい、っと」

「三組は大体終了です」

「おっけー! 土師ちゃんも八重野宮ちゃんも、ご苦労様」


 今は三〇二二号室(俺の部屋)が司令部となり、八重野宮や彼女と同室で情報委員の土師、四天王らに加えて麻生会長も居着いていた。

 ベッドまで占領されていたので、俺は邪魔にならないよう電気ポットの横で立ったままだ。


「後藤さん、コーヒーのお代わりお願いしまーす」

「はいよ、ただいま!」

「私も!」

「後藤さん、この有馬絵美のサイン、譲って下さい!」

「それは駄目」


 俺が発言してまた騒動の元になっては困るので、クラスメールにも、最近の日課になりつつある授業の復習と解説を兼ねた『今日の問題』だけを送り、後はだんまりを決め込んでお茶くみに徹している。


「それにしても萬田君の評判、酷いですね……」

「一組の子達、大変そう」


 土師が今回の件について専用のチャットルームを用意したところ、余程鬱憤が溜まっていたのか、一組女子がものすごい勢いで食いついてきた。


 萬田はクラスメートの尻を触ることこそなくなったが、倒れるフリをしてもたれ掛かったり、食堂で強引に相席したりと、想像のまだ下を行くようである。


 その上、座学の成績は目も当てられない出来だそうで、数学教師から示された補習には見向きもせず、国語と英語の先生からクラスで面倒を見てやれと言われた一同が真面目に対応しようとしても、中学で習う基礎すら怪しく、その上本人もいい加減な態度だという。


 アイ校は全国から受験に人が集まるが、競争倍率のお陰もあって偏差値は七十近い。

 その授業についていけない生徒も過去、居なかったわけではないが、麻生先輩の話では、少なくとも前向きな努力を見せる生徒には、学校側も補習なり再テストなりで下駄を履かせてきたそうだ。


 うちのクラスでもフランスと台湾からの留学生二人、マリー=ルイーズ・ド・ティエリと林美鳳――リン・メイフォンには気を遣っていた。

 本人達がやる気十分で、授業や教科書は機械翻訳されるにしても、やはり母語を使わずに何かを学ぶのは、少なからず負担になる。俺の出す『今日の問題』は解説が付いているので助かると、彼女達からは感謝の言葉を貰っていた。


「お兄ちゃんも、やっぱりお尻、触りたい?」

「あのなあ、桜……。まあ、許可が貰えるなら、ありかな」

「ありなんだ……」

「あ、ありなんですか!?」

「誰彼構わず『尻を触らせてくれ』なんて聞いて回るのは問題外だが……例えば、恋人同士なら別にいいんじゃないかと思う。いきなり聞いたら、平手打ちにされるだろうけど」

「んー……、ありです」

「あー、納得」

「彼氏なら、まあ……」


 さて、冗談はともかく、萬田であるが……。


 彼の快適な学校生活に、果たして補習は必要か?

 答えはノーである。


 つまり、一年一組を担当する教師の内、数学と英語の教師は、別所先生と同じく萬田の息が掛かっている可能性が高い。

 生徒達の自主性を重んじていると言えば聞こえはいいが、穿った見方をすれば、生徒に現状を押しつけることで明らかに責任を回避していた。


 まだこの分析は俺の胸にしまってあるが、なかなかどうして、彼女達の情報収集能力も大したものである。


 その作戦進行中に、『萬田君のナニはすごく小さい(一年一組・藤丸亜弓)』『彼の方こそ、実習中におっ勃ててた(一年二組・海部沙羅)』『訓練場で見たけど、後藤さんの平常時とどっこいどっこい(二年三組・斉藤茜)』などと心底いらない情報まで入ってきたが、流石に俺も見ていられず強権を発動し、チャットのデータから抹消させていた。


 ……記憶まで消せなかったのが、無念である。




 ▽▽▽




 翌日俺は、朝食もそこそこに、ファルケンのキーを手に駐車場に向い、見送りを受けていた。


 クラスメールの情報によれば、萬田は今朝、やたら機嫌がよかったそうだが、近づきたくもない。


 見送りには、四天王や麻生先輩が来てくれていた。


「八重野宮ちゃん、これ渡しておくから、お願いね」

「はい後藤先輩、任せて下さい!」


 内原先生に事情を話せば外出許可はすぐに出たが、校外に出る俺を心配して、最初は桜も同行しようとしてくれた。


 どうも、俺が一人でいると狙われる――物理的な何かはないにしても、あることないことを捏造しやすいんじゃないか。

 彼女達は、口を揃えて主張した。


 だが四天王や麻生先輩には本日、支援隊の訓練がある。

 俺と同じ日に応募した斉藤先輩は無事に新隊員となっているが、俺の方はまだ入学数日で、通例ならば確認できるはずの成績や素行のデータがほぼなく、特例を認めるか否か、認めるにしても今後の基準をどうすべきか検討中らしい。


 そこで四天王達が白羽の矢を立てたのが、八重野宮である。


 今日の彼女、白のブラウスの上からパステルグリーンのカーディガンを羽織り、下は薄茶のひらっとしたスカートでロングソックスに包まれた太股からふくらはぎのラインが素晴らしい。そのままデートに連れて行きたくなってしまうほど、春らしい魅力に溢れた装いだった。


「桜、何だそれは?」

「お土産代だよ。昨日、土師ちゃんがチャットの上にダミーのアンケート仕掛けててさ、協力してくれたみんなへのお礼……って名目の口止め料に、チョコレートでも買ってきて貰おうかなって」


 土師や麻生会長は、司令部解散前にチャットルームの痕跡を丁寧に消去していたが、そんなことまでしていたのかと、少々驚く。


「……そういうことは先に言ってくれ。俺が出すに決まってるだろ」

「いやー、お兄ちゃんならそう言ってくれるって思ってたよ!」

「そりゃあ、な。……じゃあ、いってくる」

「はい、いってらっしゃーい」

「ほんとに気をつけてね!」


 ……にやにやとした顔で見送られていなければ、狙われているという桜の嘘を信じたかもしれない。


 だが、余計な気を回して云々と、怒る気にもなれなかった。


 近距離ながら今度こそ八重野宮と二人でドライブ出来ると、俺も内心では歓迎しているのだから。


「じゃあ八重野宮さん、今日一日よろしく」

「はい、後藤さん」


 シートベルトで胸の谷間が目立ってしまっている八重野宮から視線を外し、俺はアクセルを軽く踏み込んだ。




 アイ校の正門から湾大の正門までは距離にして約五キロ、歩けばそこそこ遠いが車ならほんの僅かな時間である。


 研究室に着くのはメールにあった約束の朝十時より少し早くなるが、構うまい。


「私、大学に入るのって、初めてなんです」

「高校と一緒だよ。最初は驚くけど、慣れてしまうのはすぐだったなあ」


 会話が盛り上がる間もなく、もう湾大が見えてきてしまった。

 少しどころではなく惜しいが、贅沢は言えない。


 ……まあ、またチャンスもあると信じよう。


 程なくファルケンは、湾大の車両通行門に到着した。


 湾大はアイ校ほどの警備が必要なはずもなく、『小銃を持っていない』当たり前の警備員さんが立っているだけだ。


「お願いします」

「失礼します。……はいOKです、どうぞ」

「ご苦労様です」


 名誉研究生の証明書を示してハンディリーダーで読みとって貰えば、すぐに駐車場の割り当て標識兼用の、フロントに提示しておく大判のカードを渡された。


「やっぱり、アイ校より広く感じます。同じぐらいの広さなんですよね?」

「主要浮島は同じサイズだから、ほぼ一緒の筈なんだけどね。アイ校は演習場が広い代わりに、普段行き来する建物が狭い範囲に集まってるからかな。……っと、ここか」


 指定場所にファルケンを放り込み、エスコートってほどではないが、サイドステップの高いファルケンから降りにくそうな八重野宮に手を貸す。……って、柔らかっ!?


「ごめんね、車高が高いから、こいつ」

「いえ、ありがとうございます」


 見慣れた風景にほんの少しの懐かしさを感じながら、俺は退学以来、二週間振りに湾大へと戻ってきた。


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