2章 2
私の目は、いろいろなものを見ることができた。
それが私の中の、黒い澱のせいなのか、あるいは私の長い長い命のおかげなのか、それはわからない。おそらくそのどちらも関わっているのだろう。
私は普通ではない生き方をしてきた。だから、変わっているものや普通ではないものが、逸脱しているものがよく見えた。短所も長所も、私には手に取るようにわかった。一目見ただけで、その人が何を考え、どういうことをしてきたか、すぐにわかる。それはとても便利だ。この予想は、今まで外れたことがない。
だから初めてそれを見たときは驚いた。これまで見たことがなかったからだ。
変わっているものは、色が違う。金色に輝いていることもあれば、緑色になっていることもある。赤色に乾いていることもある。その人の顔についた色で、その性質がわかるのだ。青ならばきわめて冷静で、ときに残酷で。黄色ならば人と動物が好きで優しい。荒んでいるときは亀裂が走っている。それらによって顔が見えないことはない。覆いかぶさっているそれらを追い出すことはわけない。髪型や所作から性格が推測できるときは、顔を見なくても、後頭部や首に色がついた。
とても才能にあふれる人や、いわゆる奇人は、とくに色が強い。そういうひとは、まるで湯気が立ち上っているように、色が溢れている。街で見かけた男性は、体の表面に十センチほど、金色がまとわりついていた。そのときはわからなかったが、どうやら彼は俳優らしかった。そういうふうに見えるものだから、人ごみの中は本当にいろとりどりだ。色とりどりの金平糖が入った小瓶をひっくり返したように、様々な色が踊りまわっている。
まるで色のダンスパーティーのよう。
だから、初めて彼を見たときは驚いた。
私の体が仕事をしているとき、車から見えた風景に、本当に驚いた。何気ない風景。二車線の左側を、車で運転していたとき。春の夕方。空は淀んでいて、今にも雨が降り出しそうだった。はじめは見間違いだと思った。遠くに見えるビルの最上階が、黒い。雨雲をもっと黒くしたような塊が、そこにはあった。煙のようなそれが、いつも見ている色たちの仲間だと気付くのには時間がかかった。そのとき、たぶん、私の車とその建物は二百メートルほど離れたいただろう。顔を見ていないどころではない。その場所がどんなところなのか、誰が住んでいるのか、そもそも何の手がかりもないのに、私にはその黒が見えた。ビルの上部をすっぽりと、ちょうどマッチの先端のように覆っているその黒い雲の持ち主を、私はまったく知らなかったのだ。
気になっていた。そこに誰が住んでいるのか。そもそも人なのか。いままで見てきた気配とはまるで違うそれ。
黒の色は、これから死ぬ人間が放つ色だということを、私はそのあと知った。
あそこには、見たこともない死相を放つものがいる。
私はそこに近づかないことにした。私は死にたくない。死にたくない一心で、こうして今も生きているのだ。私の生きる目的は死なないことなのだ。死の香りは、私にはとてもつらい。
それからは、その場所を通るたびに、頭上を見上げていた。
そこが探偵事務所であるということを知ったのは、しばらくしてからだった。
廃墟のようなビルの最上階に、何でも屋がある。知人を通すとタダになる。そこの探偵が胡散臭い商売をやっているが、なぜか捕まらないばかりか、高級車がのりつけているのを見たことがある。何かあくどいことをやっているのかもしれない・・・。
その商売というのが、霊媒だと聞いて、私は驚いた。そして、その商売人を嘲った。霊媒など、できるはずがない。人の魂を呼び戻すとか、異世界の霊と更新するとか、そんなことは不可能だ。人の精神は物質に宿る。物質が壊れてしまえば、魂も消滅する。消滅したものを呼び出すこと、それはつまり虚空から金を生み出しているということだ。憤りを感じることこそないが、それが不可能だとよく知っている私には、それは嘲笑を喚起するのに十分だった。
しかし、それでは説明がつかないこともある。あの黒い雲だ。
いったいどういう人物なのだろうか。気になった私はある日、そのビルから、不可思議な霊能力者が出てくるのを待った。車をつけて3日後、うわさに聞いた風貌の男は、ゆっくりとした足取りで、私の車の真横を通り過ぎた。私は、う、と呻いた。彼のまわりに浮いている巨大な黒い雲に触れたとき、生暖かい何かが、体の芯を通り抜けたような気がしたからだ。この気持ち悪さは、なんだろう。この男が極悪人だったとして、この感覚はありえない。まるで。
私は、吐き出したくなるのをこらえるのに必死だった。同時に、体の節々から、実感が消えていった。これは、私の体だっただろうか。私のこころは、この体とつながっているのだろうか。そもそも私は、いや、私の体だと思っているこの体は。これは・・・。
私は慌てて車を出した。行きを切らしながら次の信号で止まった。
数えると、私のうちの6人は、きれいさっぱり消えていた。
あの男は本物だ。




