1章 4
涼子にも、幸恵が何を聞きたかったのかは想像できた。
ガス料金と水道料金は、「死体の消し方」に関わる質問だ。おそらく幸恵はこう考えている。死体を運び出すことはできなかったとしても、部屋から少しずつ外に出すことはできたかもしれない。それは細切れにして持ち出すという意味ではない。もっと細かく、おそらくは・・・。
「しかし、それも考えにくいとのことでした」幸恵は困ったように笑んだ。自分自身に呆れている、という感じだ。「ガス料金も電気料金も、一度目の出血以降はほとんど使われていなかったらしいんです。ですからこの線もダメね」
「お風呂場は調べられたのかな」涼子は食い下がる。
「そういった形跡はなかったそうです」幸恵は首を横に振る。長い髪が左右に揺れる。「つまり、浴槽は綺麗で水道は使われていない、水酸化カリウムなどの薬物も検出されていない、という意味です」
幸恵の仮説、それは「死体を溶かして下水に流した」というものだろう。ガス料金を聞いたのは、大きな鍋で死体をぐつぐつ煮込んで柔らかくしたかもしれないという仮説を裏付けるため。涼子のお風呂場に関する質問は、その仮説に近い、死体を溶かすのに使われた可能性を考慮したものだった。いずれも間違いであることから、やはり死体の処分方法はわかっていないということなのだろう。
それにしても、と涼子は思う。死体が消えたというときに、どうやって死体を消したかという路線で考えることは正しいのだろうか。もちろんそれは謎のひとつではあるが、なんだか大事なことを忘れているような気がする。幸恵の考えは明らかに偏っている。どう偏っているのか、涼子は考える。結論はすぐに出た。
「被害者に共通点はあるんですか?あるいは人に恨まれるような人たちなんでしょうか?」
ごくごくまっとうな感性を持っているならば、これは最初に思いつく質問だろう。
「いいえ、今のところ発見されていません。いずれも札幌市に住んでいるというくらいしか、共通点は無いそうよ」
「笹島さんはどれくらい関わってるんですか?」
「ご自身に関係のないことならば、ここにいらしたりしないでしょうね」幸恵は意地悪く微笑んだ。
笹島高貴がこの墓石のようなビルの最上階、涼子が「世界で一番使われている廃ビル」と名付けたこのビルの探偵事務所に現れたのは昨日のことらしい。彼の目当ては、今もそこにいる役に立たない探偵だったが、たまたま居合わせた幸恵にもいろいろと教えてくれたらしい。彼は探偵に、そして探偵助手に情報を流すことに抵抗がないらしく、聞けばたいていのことは教えてくれる。初めて彼に会ったとき、涼子は彼を不誠実な人物だと評価した。自分の仕事に誇りを持っていないのか?と生意気なことを考えた。しかし、一般的な常識とは別の、そして非常に強いルールに従って行動する人物なのだとわかってからは、とても好意的な人物だと思うようになった。強いまなざしに、季節を問わないオールバック。広い肩幅は、どんなときも皺ひとつないスーツで強調されている。ひとつひとつの所作が不思議に品のあるところなど、幸恵に似ていないこともないが、彼の所作には男の、刑事としての歴史と剣呑さが伺える。年はおそらく40前後だと思われるが、探偵は彼とため口で話していることから、二人には過去に何かがあったのだろう。
幸恵が面白い話をしてくれるとメールがあったのが昨夜。涼子は早起きして(10時を早起きと呼ぶかどうかは個人差があるだろうが)、大急ぎで(起床から5分程度で出立するのは誰にとっても大急ぎだろう)やってきたのだ。期待通り、(不謹慎ではあるが)面白い話だったので、涼子はたいそう満足したが、しかしこれで終わりということはないだろうとも思う。
さて、本題ですが、と幸恵は微笑んだ。「私の大学のお知り合いの方が、事件のあったマンションに住んでいます。その当時は噂話があった程度で、事件のことはあまり詳しく報道されなかったようですが、その話を聞いて思い出して連絡を取ってみたところ、当たりでした」
「ふむふむ」涼子はにやにやと笑う。「そのお知り合いが心配ですね。もしかしたら犯人に目をつけられていたりとか、現場に何かを取りに戻った犯人にはちあわせたりするかもしれませんね」
「ええ、そう・・・」幸恵は恥ずかしそうにうなずく。「いえ・・・。いえ、違います。私はそういう意図で言っているのではありません。あくまで私個人の興味の・・・。不謹慎で邪な動機です」
幸恵のこういった頑固さが、涼子は何より好きだった。言い訳をしない、諂わない。素直に憧れるべき性格だ。
「小松さんに声をかけてあります」幸恵は、こほん、と咳払いをした。小松とは探偵の姓である。彼には弟があり、幸恵は彼を小松さんと呼んでいた。「鍵がかかっているところや、交渉が必要な場合には、彼にお願いしようと思います」
探偵の弟には、ピッキングと詐術という特技がある。もちろん幸恵にも、涼子にも得意分野、ないしは「特異分野」がある。しかし探偵助手の中で、もっとも便利なのはやはり探偵の弟、小松尚孝の特技だろう。彼には他にも、ナンパやジャグリングなど、履歴書に書けない特技がわんさかある(履歴書に書けないという意味では、幸恵の「人殺し」の右に出るものはないが)。彼がついてきてくれるなら心強い。
「小松君、絶対幸恵さんのこと好きですよね」
「きっと女性ならば誰でも好きなのよ」幸恵はばっさり切り捨てた。




