1章 2
佐久間幸恵は淡々と、しかしきわめて順序立ててわかりやすく、事件のあらましを説明した。
東区は東雁樹、閑静な住宅街にて行方不明者が見つかった。
行方不明者が見つかるというのもおかしな表現かしら、と幸恵は上品に微笑んだ。様になっている。あまりに様になっているために腹も立たない。嫉妬心が死んでしまった。幸恵と話すといつもそうだ、と涼子は思う。明らかに浮世離れした態度や所作、言葉遣いをするし、涼子は毎回驚かされることになる。しかし、それを馬鹿にしたり、からかったりする気にはならない。何もおかしくはないからだ。自分自身のボキャブラリーが足りないだけで、こういう話し方をする人はいるのだ、と、妙に納得してしまう。要するに説得力があるのだろう。
行方不明者が見つかったのは、マンションの一室に住んでいるはずの住人が見つからなかったからである。失踪者は二十代の女性。市内の医療事務で働いていた。無断欠勤の二日目に大家と警察が部屋に入ると、そこに彼女はいなかった。
もしも、ただ失踪しただけならば、特段話題になる出来事でもない。涼子は日本に、失踪者がどれくらいいるかわからないが、それでも一日1件よりも多いということはないだろう。なにせ年間の自殺者が3万人だというではないか。一日100人も死んでいるなら(しかも発覚している数だけで100人だ)、行方不明者はもっと多いはずだろう。
ただの失踪ではないのは、部屋に大量の血糊が残されていたからだ。
失踪者の部屋は12畳ほどの1DKで、8階建てのマンションの5階だった。ユニットバスと小さなクローゼットを除けば10畳もない小さな部屋の窓際にはシングルベッドが鎮座していた。その手前、部屋の中心に尋常ではない量の血糊が残されていたという。またその血糊は、発見時に全て固まっておらず、一部がまさに糊のようにどろどろしていたらしい。大家は卒倒、一時間後には道警の刑事と鑑識で狭い部屋が溢れた。
血糊の一部が固まっていないことから、何かしらの犯行は発見のせいぜい半日前であったことが推察された。ところが、床にばらまかれた血痕の一部は非常に強く床にこびりついていたこともわかった。このことから推察されることは、少なくとも二度、同じ人物の血液が床に流れたということであり、またその期間は少なくとも一日や二日ではないということだった。佐久間幸恵は淡々と、努めて冷静にその事実を離した。瞳には強い光が宿っている。
「失踪者という言い方が気になりますが」涼子は小学生のように右手を垂直に挙げて発言した。「明らかにそこで殺されて、そのあと死体を処分したとしか考えられません」
幸恵はにっこりとほほ笑むと、そうね、とささやいた。綺麗に組まれていた両手が解き放たれ、右手が顎を柔らかく触れた。「普通に考えれば、そうです。でも、そのマンションは階段とエレベーターに監視カメラがあるの。犯行の一週間前までの映像はすべて保存されています」
「ベランダから投げ捨てた。つまり共犯者の存在が示唆されます。あるいは管理会社との共犯の線もありえます」涼子はすぐさま反論した。だてにミステリー小説オタクではない。この程度のことは反射で思いつく。
「結構。ですがその線は警察が洗っています」幸恵はにっこりうなずいた。「そのうち見つかるかもしれませんが、もう一か月になりますからね・・・」そして両手は目の前のカップに向けられた。上品にカップを持つ。人差し指と親指が、カップの持ち手をつまんだ。・・・なんだろう、すごく危ない持ち方をしているように見える。しかし幸恵がそうするのだから、それが正解なのだろう。「もちろん、その可能性がないとは言いませんが、そうですね、こちらを先に言った方がよかったかしら」彼女は気まずそうに笑んだ。彼女の魅力を一点に集めたような優しい笑みに、涼子は虜になった。
「いつになく勿体ぶりますね」涼子は口角を上げる。
「ええ、ごめんなさい」彼女のカップからは一切の音がしない。口に触れるときも皿に戻すときも無音だ。「お伝えしたような事件は、実は初めてではありません。札幌で何度も起きています」
「へえ、ニュースでは聞いていないから模倣犯でもないし、単独犯なら管理会社との連携はないってことですか。共犯にしても・・・ベランダがないとか狭いところがあったとか?」
「ええ、そのとおり。でもね、もっと異常なのは、犯行の不可能性なの。この事件がそもそも殺人事件ではなく失踪として扱われる理由でもあるわ。今は、八月だったかした。一人暮らしの女性の失踪事件、部屋に血糊が残されているという猟奇性、また死体が見つかっていないという異常性、こういう事件が一年に15回もあるというのは、明らかに異常で、単なる連続殺人事件とは考えにくいの」




