4章 1
歌が好きな子供だった。
畦道で棒切れを振り回しながら、床につくときも、夕餉を口に運ぶわずかな間にも歌っている子供だった。
どんな歌だったろうか。忘れてしまった。
どうして歌が好きだったのか。それも忘れてしまったが、私は歌うのが好きな子供だった。それは覚えている。何度も、思い出したから。
潮騒が近い。
今でも歌は好きだ。歌うときは、何も考えなくて済む。頭のなかのもやもやは、声に出して流してしまえる。歌は頭をかたっぽにする作業だ。だからいつまでも歌い続けられる。口を閉じていたって、頭の中の歌は止まらない。ずうっと歌っていられるのは、ずうっと考えなくていいということ。
まともに考えるには、私の頭は重すぎる。
いくつもの、私のものではない、そして私の一部になった何かの声が、叫びが聞こえる。それは沈黙の合間を縫って訪れるし、私の歌に合わせて合唱をすることもある。空虚であるようで、そしてとても深い悲しみがあるようでもある。それは若い男であり、年老いた女だった。無感情な痩せぎすの男であり、たくましい健康そうな女であった。ぼそりとつぶやく呪怨の声であり、数人が奏でる讃美歌であった。
それらはどれも曖昧模糊として黒く溶け合って、腐臭を放ちながら私の耳を撫でていく。かつてはそれはきっちりとした形を持っていたはずだが、今は見る影もない。新しい住人がやってきても、彼らはそれを少しも残さずそのどろどろの中に取り込んでしまう。黒い澱に飲まれた入居者は、やがてその澱の一部となる。境界を見失い、輪郭を聞き逃す。腐ってつぶれた果物のように、どろどろと溶け出してべたべたと這いよるのだ、靴の裏に、手の甲に。いつの間にかすぐそばに。
そして思うのだ、ああ、私はまた・・
歌をやめて目を開ける。青い海原が広がっていた。
海の思い出を語る誰かの声があった。海を見たことがないといういう誰かの声があった。私はしばらく、彼らの喉からひねり出される、腐った動物のはらわたがつぶれるような不快な声に耳を傾けた。