3章 3
人が消失した。涼子は眉をひそめる。
「他に可能性は? カメラがいじられているとか、調査が甘いとか、あ、鑑識に犯人が混じっているとか」
「どれも考えられないわ。何十人もの人が結託しない限りは」幸恵は冷静に切り返す。
「ないだろうね」尚孝が同意する。「警察の陰謀とか、そういう話になるかな。そうだとしたら、笹島さんが気づいてる」
涼子は笹島の顔を思い浮かべる。なるほど、尚孝の言うことはとても説得力がある。論理的ではないが、身内に怪しいものがいれば、彼が気づかないはずがないことは確信できる。
しかし、それを考えねばならないほど、ありえないことが起きている。
新たな犠牲者が、市内のアパートで見つかった。被害女性は27歳の会社員。彼女は一週間ほど会社と連絡がつかなくなっていた。同僚が訪ねてこなければもっと遅かっただろう、と笹島は言い残した。被害者のアパートでは大規模な改修工事が行われていた。被害者が済む3回の廊下は、ブルーシートで真っ青になっていたのだ。これらを踏まずに部屋の外に出ることは不可能である。また窓の下はぬかるんだ土があり、こちらからも出ることはできない。にも関わらず、ドアを開けて部屋を出たのは一人だという。
涼子は気になって、何度も何度も確認した。不可能であることを証明することは難しい。しかしそれは笹島ら警察も同じこと、一人しか出ていないという事実はゆるぎないらしかった。改修は廊下の床面の補強。廊下の端に位置する被害者の部屋は、ブルーシートを踏まずに移動することはできない。にもかかわらずシートは、一種類の靴の模様がある以外は新品同様に綺麗だったという。また、工事の初日にブルーシートの表面に、細かいモルタルの粒子が付着したことがわかり、その粒子がまったく荒れていなかった点からも、被害者宅から二人以上が出ていったことは考えにくという。ブルーシートは発見の前日にはがされ、アパートの近くにまとめられていた。
つまり、被害者は致死量の血痕を部屋に残したままいなくなったということだ。
「どういうこと?担いでいったの?」涼子はつぶやく。
「まあ、そうなる・・・のか?」尚孝は答える。
「でも、そんなことは無理だよ。靴は女物だったんでしょう? とても持ち上げられないよ」涼子は首を横に振る。現場に残された靴跡はパンプス。つまり犯人は女性である。これは非常に強い証拠だが、しかしどうやったかは依然としてわからない。「自宅で大けがして血を流して、そして致死量異常に血を流して出て行った?死体が動いたってこと?」涼子は自分自身の発言にぞっとした。
もしも。もしもそうなら。
死体はまだ、そのへんのうろついているのだろうか。
映画やゲームでさんざん見てきたような、両腕をだらりと伸ばして。道ゆく人をおそって。
・・・あれ、あんまり怖くない。涼子は少し可笑しくなって、ぷっと吹き出す。
墓から死体がよみがえって、ダンスを踊っている・・・。有名な音楽が頭のなかで鳴り出す。
「私と小松さんは、別の結論です」幸恵が涼子の愉快な思考に割り入った。「被害者が部屋の中にいて、犯人が出て行ったけれど、被害者が見つからない。二人いて、一人しか出てこなかった。数が合わない場合は、勘定が間違っているからです」
涼子はうなずく。意味はわかる。しかし、どこが間違っているのだろうか?
「状況からして、一人出たというところが、やはり違うのでしょうと考えました。やはりあの部屋からは二人出たと考えるべきです。犯人と被害者が一緒に部屋を出た」
しかしそのうちのひとつは死体だろう。涼子は首をかしげる。
抱えていくことは不可能だ。大の大人の死体。重くて引きずることも難しいはず。
「特殊な入れものがあったんですか?」
「ああ、それは面白い」
予想もしないところから声が聞こえて、涼子はむっとした表情をその声の主に返してやった。探偵はにこにこしているだけで全く動じていない。すぐに目を閉じて、また静かになった。
「余裕ですかそうですか」涼子は黒い塊をにらみつける。
「いえ、私も少し面白いと思いました」幸恵は意地悪く微笑むと、涼子がそちらを向くのに合わせて、言い放った。「かばんといえばそうかもしれませんね。とはいえ、私たちが持っている鞄には、とうてい入らないですけれど」
「どういうことですか?」
「犯人は死体をまるごと食べてしまったのではないかと考えています」
幸恵はそう言うと、心配そうな目で見つめてきた。
涼子はすぐには意味がわからず、首をかしげた。