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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【第二幕ノ壱】少年神主の日々
99/158

<四>知られざる十代目の顔


 ※ ※



 天高く太陽が昇る午の刻。

 現代の時刻表示でいえば、お昼時を指す時間帯に翔は外出していた。

 人の世界では活動するにあたってなんら支障のない時間だが、夜行性と化している妖狐の翔にとって本来この時間帯は就寝中である。


 よって大欠伸が出てしまう。


 目尻に浮かぶ涙をそのままに注文していたハムトーストを齧る。トーストの香ばしさとハムのしょっぱさが口いっぱいに広がり、味を楽しませてくれた。


「ごめんね、ショウくん。この時間帯に呼び出して。お昼しか空いていなくて」


 ショウ。それは特定の者が口にする翔の愛称だ。

 眠たい眼をそのままに対向席へ目線を持ち上げると、両手を合わせて謝罪を口にしてくる人間が一人。前日の神社荒し事件で人間を庇った妖祓の楢崎飛鳥だ。

 彼女の隣には同業者の和泉朔夜が珈琲を啜っている。翔と大麻を交えたあの男である。


 決して同席する者達ではない。

 しかし翔は度々私生活で彼等と会う時間を設けている。


 それもその筈。

 公にはなっていないが十代目南の神主と妖祓の二人は幼馴染。幼子から月日を共にしてきた仲なのである。妖の器と化してしまったことで過去に対峙をすることもあったが、今ではこうして茶を飲み交わして近状を話せる仲に戻っている。


 今日は幼馴染三人水入らずに会話をするべく、駅構内にある喫茶店で寛いでいた。

 飛鳥の詫びに翔は力なく平気だと答え、トーストを皿に置いて紅茶に手を伸ばす。


「夜から予備校なんだろう? 頑張っているじゃないか」


 一浪している彼女は近場の予備校に通って日々勉学に勤しんでいる。

 目標としている大学は非常に偏差値が高く、受かる倍率も高い。狭き合格門を潜るべく努力している飛鳥が時間を割いて会おうと誘ってきたのだ。昼間に行動することなど造作もない。

 翔は幼馴染であり、親友でもある朔夜に視線を流す。


「朔夜、修行はどうだ? じいちゃんは厳しいか?」


 国立大を諦め、私立大に入学した彼は本気で妖祓の道に進もうと祖父の下で修行をしている。翔と同じく一人暮らしを始めており、日夜家業に追われていると聞いていた。

 問い掛けに朔夜は肩を竦め、ソーサーにカップを置く。


「厳しいよ。今までの修行がどれだけ甘かったのか痛感させられているね。長の道は遠そうだ」


 和泉家の妖祓長を狙う彼は、早く己に椅子を譲って欲しいと嘆息する。


 翔は親友の考えが読めていた。

 朔夜は己と対等の立場になりたいがために、妖祓長の座を狙っているのだ。二世界の共存を、許し合える関係を築き上げていきたいと切に願う翔の夢に彼は便乗してくれている。


 しかし焦る必要はない。

 自分だって形だけの立場になっただけで、まだまだ未熟の身。幼少から家業を手伝っている朔夜や飛鳥と比較すると、己は下も下なのだから。

 

 一方、飛鳥は未だに妖祓の道を究めるか悩んでいるようで、朔夜から妖祓長の話を聞く度に浮かない顔をする。

 それも仕方がないこと。曰く、彼等は二人で常に行動をしていた。言い換えれば相棒なのだ。各々の道に進む現実に、少々戸惑いを覚えているのだろう。尤も、彼女の場合は彼に対する恋心も要因に入っているだろうが。


「ショウ。昨晩の蝶化身達は大丈夫だったかい?」


 朔夜の質問に翔は頷くと、決まり悪く二人に謝罪する。


「昨日は悪かったな。頭領の宿命とはいえ、少しばかりやり過ぎた」


「分かっているよ。君が頭領を優先しなければいけないのは。それに、人間を脅すような素振りばかりで本気じゃなかっただろう?」


 あっさり昨晩の演技を見抜かれてしまい、翔は苦笑いを返すしかない。

 さすがは幼馴染。頭領の仮面をかぶっている己の心を容易く見破ってくれる。

 妖の世界では無礼講を振る舞う輩は、どのような輩であれ斬り捨てる。同胞に慈悲を向けることはあれど、人間に向けることは少ない。だから、ああいう振る舞いをするしかなったのだ。


「私達が来なかったら、失神させる程度に制裁を下すつもりだったんでしょ?」


「罪の度合いによって制裁は決まる。本来なら、あの人間達は病院送りだっただろうな。俺はもう人間の味方じゃない。容赦はできないんだ、どうしても」


 三人の間に沈黙が落ちる。空気を一掃するために翔は綻んだ。


「けどお前達が来てくれることを信じていた。俺を止めてくれると、信じていたよ」


 向こうの目尻が和らいだため、話題を替えることにする。

 切り出した内容は現在抱く悩みについてだ。もしかすると妖の世界に帰らなければいけないかもしれない、その旨を二人に告げて項垂れる。

 驚く飛鳥が人の世界にいられないのか、と声量を大きくした。

 よって喫茶店の客数人がテーブルに注目してきたため、彼女は声を小さくして再度質問を投げる。翔は苦い顔を作り、それについて悩んでいるのだと溜息をついた。


「俺は宝珠の御魂を持つ妖狐。これを狙う妖は少なくない。だから、先日下賤な妖に襲われて怪我を負っちまったんだ。事を知った比良利さんに“人の世界は未熟な主がいるような場所ではない”とか言われちまって……絶対に帰りたくない。俺、百年はこっちの世界にいるって決めているんだ。親の干渉問題もあるし、ぜってぇあの部屋は変えない」


 頬杖をついてトーストを手に取る。

 上にのっているハムだけ口に挟み、しょっぱい肉の味を楽しむ。


「だけど俺は弱いし、妖としても新米。こんな主張じゃ向こうは認めてくれない。青葉もおばばも比良利さんも一致団結して俺に戻れと言ってくる。可愛いギンコにまで……ギンコだけは俺の味方だと思っていたのに!」


 大抵は何が遭っても己の味方をしてくれる可愛い銀狐が、今回ばかりは自分に「帰ってくるよね?」と上目遣い攻撃を繰り出してくる。それをされたら心が揺らいでしまうではないか! つぶらな瞳が己に甘く訴えてくるのだ。どのような要求だって首を縦に振ってしいかねない。


「答えられないと落胆する、あの瞳……俺は心が痛い」


 頭上に雨雲を降らせ、スマートフォンを取り出す。

 画面をタッチすると壁紙にしている上目遣い攻撃を繰り出してくる銀狐の写メが一枚。目にする度に悶えてしまう。

 「ギンコ可愛い。超絶可愛い」尾と耳を出して大興奮すると、「また始まった」飛鳥が面白くなさそうに唇を尖らせる。


「ショウくんのオツネちゃん病。本当にオツネちゃん馬鹿なんだから」


 ゆらゆらと三尾を揺らして翔はへらっと口元を緩ませる。否定はしない。銀狐の溺愛っぷりは自他ともに認めている。


「可愛いは正義だよな。ギンコの動き一つひとつがもう、心を鷲掴みにしてくるんだ。もうな、あいつの可愛さは罪だ。そして正義なんだ。分かるか? 俺の言いたいこと」


「戻っておいでショウ。君がその話を始めると小一時間は過ぎるから。えっと、北の神主の命令に応じないといけない事態になっているんだよね?」


 耳と尾を仕舞うよう指で指摘しながら朔夜が脱線した話を戻してくる。

 ハッと我に返った翔は頭に生えた耳を押し潰すようにさすり、彼の問いに何度も頷く。

 己の身を案じ、一ヶ月以内に住まいを妖の世界に移すよう命じられた。

 心配をしてくれる気持ちは分かるのだが、自分にだって事情がある。幾ら南の地の頭領になったとはいえ、簡単に生活は変えられるものではない。

 確かに人の世界に住まいを置いていれば、寝込みを襲われる可能性もあるだろう。大学の道中で奇襲ならまだしも、無防備に就寝している最中を狙われたらひとたまりもない。妖の社で暮らした方が己のためなのだが、現実問題そうは問屋が卸さない。

 事情を把握した朔夜は顎に指を絡め、「結界は張れないの?」専門用語を翔に突きつける。きょとんとする己に彼は言葉を重ねた。


「僕達、妖祓は妖に狙われる身分だ。霊力が宿った人間の肝を喰らうと、妖は力を得ると言われているからね。だから身を休める家の敷地には結界を張り、下賤の侵入を妨げている。妖祓の世界じゃ常識中の常識だ」


 そういえば、妖の社も常日頃から結界が張られている。

 あれも身を守るため、そして下賤の侵入を防ぐためのものだ。


「外出の際は御守を持っておくのも効果的だと思うよ、ショウくん。持っておくだけで妖の奇襲はグンと減ると思うけれど」


「おまもり? こんなので効果があるのか?」


 翔は財布から受験の際に持って行った学業御守を取り出し、これで効果があるのかと半信半疑に尋ねた。

 だったらこの御守の効果はいまひとつだったように思える。自分は腕に怪我を負ってしまったのだから。


「君ねぇ……仮にも神主なら御守のことくらい知っておきなよ。神社と深い関わりのあるものじゃないか」


 憮然と息をつく朔夜が説明役を買って出る。


「今、ショウが持っている御守は通称“守札(まもりふだ)”。よく寺院や神社で売っている御守だ。そして、その御守の効力は開運祈願。自分の運を開くためのもの。学業御守と刺繍されているだろう? だから勉学の開運を導くための御守だ。でも飛鳥が言っている御守は開運祈願の御守のことじゃない。身を守るための厄除けを指している」


 「厄除け?」翔はこの御守じゃ駄目なのかと念を押す。当然だと飛鳥が相槌を打った。


「守札に念じられている力が違うよ。ショウくんが持っているのはあくまで開運を導く者であって、厄除けじゃないの。御守は馬鹿にできなくてね、厄除け守札を持っているだけで妖の遭遇率が減っちゃうんだ。どうしてだと思う?」


「え、厄払いできているからじゃ……」


「ふふ、ちゃんと理由があるんだよ。厄除け守札は結界に似た効力があるの。ほら結界は外敵を侵入させない力があるでしょう? それと同じ原理で、守札を持っている人に霊力が宿って厄を拒むんだよ。妖の社にも、そういう御守くらいあるんじゃないかな?」


 さすがは幼少から家業を手伝う妖祓、豊富な知識には舌を巻いてしまう。

 まだまだ未熟な神主なのだと痛感させられた翔は持っている御守を見つめ、「あ」声を漏らした。


 御守は妖の社にも置いてある。

 自分の持つようなお守りではなく、護符という形式で青葉が御守を丁寧に扱い、求める妖達に手渡していた。また比良利が守札に神様の分霊を宿す、御霊入という儀式を行っていた。いずれ自分もこの儀式を行うので見学しろと言われ、それを見守っていた。


「御守か。今晩にでも青葉に厄除け御守があるか聞いてみるよ。結界は……弱ったな。俺は長時間の結界を張ることがまだできないんだ。それができれば、引っ越しは免れそうなのに」


「なら、僕とルームシェアでもするかい? 妖祓が傍にいれば、嫌でも下賤は襲ってこないだろ?」


「それこそスクープだろ。神主と妖祓がルームシェアなんて、ばれたら大事だぞ」


「いいじゃないか。二種族が和気藹々としている姿を見せつけても」


 おどける朔夜に、それができたら苦労しないと翔は肩を竦める。

 いくら幼馴染とはいえ己は妖の神主、相手は人間の妖祓。相対する存在が一つ屋根の下で暮らしていると知ってしまったら皆はどう思うだろうか。

 いや、まてよ。これはもしや、口実として使えるのでは。

 むくむくと湧き上がる悪知恵をフル回転させていると、飛鳥の携帯が鳴る。着信のようだ。画面を見た彼女は慌てたように電話に出て、相手と話し始める。


「もしもし米倉くん。あ、今外出しててね。参考書のことでしょ? ありがとう」


 途端に朔夜の動きが止まる。

 米倉とは高校時代の翔の悪友である。

 翔とは何かと馬が合う奴なのだが、幼馴染二人にはそうでもなく評判があまりよろしくない。特に飛鳥とは馬が合わなかったようなのだが、気付かぬ間に米倉は飛鳥に好意を寄せ、飛鳥はそれに戸惑い、彼にライバル視されている朔夜は妙な態度を取るようになった。


 電話の内容からして米倉は飛鳥に参考書を渡したいようだ。

 飛鳥の狙う国立大は米倉が通っている大学。飛鳥が頼りにする点も、米倉が世話を焼く点も理解はできるものの。


 そっと朔夜を一瞥する。

 残りの珈琲を飲み干している彼の放つ異様な空気は非常に刺々しい。

 トーストの残りを口に押し込みながら翔は悩む。ここは素知らぬふりをするべきか、それとも茶化すべきか。いや、触らぬ神になんとやらだろう。翔は己のためにも黙って食事をすることにする。


 やがて飛鳥が電話を終える。 

 そわそわとアイスミルクティーで喉を潤す彼女を一瞥する朔夜。落ち着かない飛鳥。それを見守る翔。居た堪れないのは誰であろう自分だ。

 かつて翔は飛鳥に好意を寄せていたが、神主となると決めた日を境に身を引いている。神に仕える道を歩むと決めたと同時に一異性を愛せる権限を捨てなければならなかった。承知の上で神主道を進んだのだから後悔はない。どちらにしろ妖と妖祓では付き合えなかっただろう。


 そんな飛鳥は朔夜に好意を寄せている。

 彼女の口から聞いたわけではないが、付き合いの長い幼馴染なのだ。翔は当然、想われている朔夜も知っている。

 未来を予想して翔は二人がいつかはくっつくのではないかと考えていたのだが、事は急変した。まさか米倉が自分の代わりに役を受け持つとは。

 これでは二人の応援もできない。翔にとって米倉も大切な悪友なのだから。


「いつも、連絡を取っているの?」


 不意に朔夜が口を開く。

 店内に視線を流し、努めて彼女を見ないようにする彼が質問を投げた。すると飛鳥が大慌てで返事をする。


「いつもじゃないよ! 勉強のことで分からないことがあったら、連絡を取るくらいで。米倉くん、頭良いし教え方も上手だから」


「僕にも聞いたらいいじゃないか。米倉よりは劣っているかもしれないけど、付き合いが長いのはこっちだし」


 「え」「あ」我に返った朔夜が押し黙り、飛鳥も押し黙ってしまう。

 すっかり蚊帳の外に放り出された翔は双方を見やると、残りの紅茶を飲み干してメニュー表に手を伸ばす。デザートでも食べようかな、という素振りで羅列している文字を目で追うがちっとも頭に入って来ない。

 ついに沈黙に耐え兼ね、翔は口を開いた。


「俺、帰っていいか? 寝たいんだけど」


 「絶対に駄目だよショウ!」「ショウくんは此処にいて!」弾かれたように顔を上げた二人が声を揃えてくる。


「ショウくんは私と朔夜くんが二人っきりでいいの? ねえ!」


「そういうことをすると怒るのは君だったろう。ちゃんと此処にいて見張らないと!」


 「三人一緒が大好きだよね?」「なら三人でいるものだよ」なんぞと主張してくる彼等はとても必死である。各々目が訴えている。二人きりにするな。気まずい空気になるだろう。君がいてこそ空気が緩和される、と。

 主張する二人が互いに視線を交わすと、風船が萎むように勢いも失う。また沈黙を作ろうとする幼馴染達に翔は匙を投げた。


「お前等で勝手にしてくれ。俺は帰って寝るからな」


 これ以上、彼等の沈黙の空気に当てられるのはごめんである。


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