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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【余章】其ノ妖、其ノ人
91/158

<了>十代目南の神主(伍)


 ※




 ――其の桜の季節、命尽きるまで思い出とならん。




「ぼん。これぼん。わしの話を聞いておるか? 此方を向いて目を瞑れと申しておろう」



 目を瞑ってくれなければ、薄紅が塗れないではないか。


 繰り返される比良利の呼びかけにより、自室の鏡台に腰を下ろしていた翔はハッと我に返る。

 鏡越しに比良利を一瞥すると、「三尾が憐れなほど萎んでおるぞよ」緊張しているのか? 喉を鳴らすように対が笑声を零した。ぎこちなく首を縦に振り、手汗を浄衣で拭う。言葉すら喉を通ってくれない。


 本幕の就任式を迎えた本日。

 ろくに眠ることもできず、三日前から緊張に押しつぶされかけていた。

 自室にいても聞こえる妖達の声々。今年で齢十八となる翔だが、本当に自分が就任しても大丈夫かと思い悩むほど、緊張に支配されている。若すぎる妖狐が頭領など、果たして妖達は受け入れてくれるだろうか? 嗚呼、胃痛が酷くなるばかりだ。

 緊張のあまり、暗い思考に染まっていく。逃げてしまえたら、どんなに楽だろう。


「わしも就任の時はぼんのように緊張しておったのう」


 懐かしいと笑みを深める比良利が此方を向くように指示してくる。

 体ごと反転すると、北の神主が木の実を潰した器からすりこぎを抜き、親指にそれを付けている。

 目を瞑るように言われたため、そっと瞼を下ろせば、薄紅で曲線を描かれる。威厳を示すための化粧を施される中、「今宵は主のための祝儀」大いに祝われるが良い、瞼を持ち上げた向こうで比良利が慈悲溢れた笑みを浮かべる。


 皆、十代目の誕生を心待ちにして一年を過ごしてきた。翔は彼等の慶びの丈を存分に浴びなければならない。

 大丈夫、翔とてこの一年、遊んできたわけではない。自分にできる精一杯を妖達に見せれば良いのだ。きっと妖達は翔の努力を分かってくれるだろう。


「ぼん自身も望んでおったろう? この日を」


「そ、そう、なんだけど……なんだか怖くて。失敗しそうで。皆が楽しみにしてくれた日を、台無しにしそう」


「何を言う。わしも先代の惣七も大失敗したぞよ」


 「え?」垂れていた耳を立たせる翔に、「わし等も大層緊張してのう」とんでもない失敗をしたと比良利。

 曰く、比良利は神饌を捧げるために大麻を振る大事なところで、その大麻を手からすっぽ抜かしてしまったとか。それを鼻で笑った惣七もまた、龍笛を吹くところで甲高い音を出してしまい、音頭がずれにずれて戻すのに一苦労した。

 挙句、挨拶時に軽い口論をしてしまい、妖達に大笑いされてしまったものだから、今思い出しても羞恥にまみれると比良利は苦笑を零す。


 鬼才ですら緊張で失敗をしているのだ。誰にだって失敗はつきものだし、恐れてしまうもの。

 けれど怖じなくとも良い。妖達は皆、理解してくれる。笑って許してくれるのだ。いずれ失敗も良き思い出になるもの。怖がらず、今自分にできることをすれば良いと比良利は一笑した。


「わし等でさえそのような失敗を犯しておるのじゃ。安心せえ」


 それよりも百年、南の神主を心待ちにしていた気持ちを受け止めることが大切だと対は目尻を和らげる。


「落ち着いたら、酒の飲み方と煙管の吸い方を教えようぞ。わが対よ」


「比良利さん……ええ、楽しみにしております。比良利さま」


「これ、ぼん。様付けはおかしいじゃろう。今宵から対等なのじゃ。それ相応の呼び名にせえ」


 呼び捨てでも構わないと言うが、二百も年上の妖狐を呼び捨てにすることなど翔にはできそうにない。

 そこで公の場では殿と敬称をつけることにした。これならば違和感もないだろう。

 烏帽子をかぶせてくる比良利は紐を結びながら、「少しずつ正装のやり方も覚えようのう」いずれは自分で身支度できるようにならなければならないと言い、髪を整えてくれる。

 その後、自分を立たせると衣を整え、彼は木製の(しゃく)を差し出した。これは儀礼用であり、威儀を正すためのものだという。



「行くぞ。三尾の妖狐、白狐の南条翔。参道で妖達が待っておる」



 烏帽子をかぶり、同じく笏を持つ比良利が先に部屋を出る。

 急いで背を追おうと思ったのだが、歩調は自然と減速する。中庭に咲く満目一杯のヒガンバナを目にしたからだろうか。紅に彩られている独創的な花々を見ると、不思議なことに心が落ち着いていく。


 翔は表情を崩した。

 今宵は新たな門出の始まり。妖として生き、頭領として同胞達と共に生きていく。

 幼少を共に過ごした幼馴染達も今、新たな門出に立ち、己の道を歩き始めている頃だろう。

 本幕の就任式が終われば、彼等と花見をするのだ。気合を入れて、就任式に臨まなければ。


「桜、満開だといいな」


 待ち遠しい約束を胸に秘めながら、翔は先で待つ比良利の後を追った。今宵から自分は出仕を脱し、本物の十代目神主となる。








 第十代目南の神主、南条翔。


 齢十八にて神主に就任した歴代最年少の妖狐。

 元は人の子であり、宝珠の導きによって妖となった少年。後に彼は歴代の中でも人と妖の共存を願い、双族を愛した妖狐と書物に記される。また誰よりも花見を愛し、民達と交流を図るために積極的に行事に花見を取り入れたと記される。

 しかし、それは遠いとおい未来の話。次世代の神主によって語り継がれていく、遠い未来の話――。



「また執務を途中で放り出して、このようなところに……夜桜を見に来たのですか?」



 月輪の社を抜け出した少年“だった”青年はお気に入りの蛇の目模様の和傘を差し、人の世界の神社に佇んでいた。

 月明かりに照らし出された桜の前で六本の尾を揺らす彼は、首を捻り、「さすが青葉」俺の行動をよく知っているじゃないか、とおどけを口にした。


「貴方様の花見好きは有名ですよ。春の翔殿には見張りをつけておかなければなりませんね。すぐに外出してしまうのですから。ご友人の思い出に浸っていたのですか?」


 青年は南の巫女を和傘に入れると、「いや」もう思い出は擦り切れている。浸るほどの思い出はないと肩を竦めた。


「あいつ等と惜別して、早二百年と半世紀。随分月日が経った。もう顔すら思い出すことも難しい」


 けれども彼等と過ごした思いは健在だと青年は笑みを深めた。

 思い出が擦り切れようとも、この思いだけは色褪せることはない。老いても、自分はきっと思いを胸に刻んで道を歩んでいくのだろう。

 少女“だった”南の巫女に視線を流し、彼、南条翔は持ち前の白髪を夜風に梳かせる。伴って桜の花弁が天に舞い上がった。



「今は思い出が擦れても、いつか、あいつ等に会える。それまで土産話を沢山作っておくことにするよ」



 きっと彼等は迎えに来てくれるだろう。

 なにせ、種族を口実に逃げてしまった自分を迎えに来てくれたのだから。強引とも言える手段で迎えに来てくれた彼等だ。いつか、きっと。



 十代目南の神主は揺るぎない自信を口にすると、再び散りゆく桜を見つめた。



 嗚呼、脳裏の片隅で思い出となった幼馴染達が、かすかに微笑んでくれる。



 (終)



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