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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【余章】其ノ妖、其ノ人
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<十二>十代目南の神主(肆)



 米倉と別れた翔は幼馴染達の下に戻り、彼等と共に学校を後にする。

 卒業証書が入った長筒を片手に三人でのらりくらりと帰路を歩くのだが、どうも話が弾まない。というか、幼馴染二人の空気が微妙である。飛鳥は手に持っているボタンを見つめてばかりだし、朔夜は物言いたげに相手を一瞥しては視線を戻しているし。


 翔は人知れず溜息を零した。

 朔夜の腰が軽ければ事はとんとん拍子に進んでいくだろうに。

 きっと二人の関係は米倉が介入することでまた大きく変わることだろう。月日を共にしてきた自分達とは違った、第三者が関係に飛び込んでくるのだ。変わらないわけがない。自分がそうだったのだから。

 これからも二人は幼馴染として関係を築き、日々を過ごしていくのだろうか? それとも……翔には判断しかねる。


「最後だな」


 空気を散らすために話題を振る。

 二つの双眸が此方を向いてきた。二人の真ん中を歩く翔は、こうして同じ制服を身に纏い、同じ学校に通い、そして共に帰っていく日々はこれで仕舞いだと侘しい気持ちを口にする。


 明日からは各々の道を歩んでいくのだ。

 朔夜は私大に通いながら長を目指し、飛鳥は国立大を目指しながら自分の道を模索し、自分は夜間大に通いながら神主として道を歩んでいく。

 幼稚園から高校までずっと一緒だった奴等とついに離れてしまう。空虚感に襲われる一方、どこかで清々しい気持ちを抱いた。翔はあの頃の翔ではない。離れていようとも、この関係は此処に在り続けることができるのだと知ったのだから。

 対人関係は必ず変わる。不変なものなどない。けれど彼等と結んでいる絆はどのような形になろうと、解けることはないだろう。翔は強く信じていた。


「落ち着いたら連絡するよ。今月から来月頭は猫の手も借りたいほど忙しいから」


 妖の社に向かうため、幼馴染達とは向こうに見える交差点でお別れだ。

 四月に入ったら部屋に遊びに来て欲しいと微笑み、分かれ道に爪先を向ける。


 「僕の部屋にも遊びに来てくれよ」同じく一人暮らしを決めている朔夜が眼鏡のブリッジを押した。

 「でも、たまには家に帰って来てよ?」実家暮らしを継続する飛鳥は二人の実家にも遊びに行きたいのだから、と一笑を零す。


 やっぱり会話は弾まない、が、これで良いのだと翔は思った。

 最後だからと無駄に会話を弾ませたら、本当に最後なんだと思わずにはいられない。今日で高校生という生活に終止符を打つのは確かだが、何もすべてが終わるわけではないのだ。最後だけれど、これは最後ではない。自分達は何も終わらない。


 と、分かれ道に差し掛かる数歩手前の自販機から妖気を感じた。

 足を止めて目線を持ち上げると、クンと鳴いて此方を見下ろす銀狐が一匹。尾を左右に振っている狐に翔は頓狂な声を上げた。



「ぎ、ギンコじゃんか。お前、また青葉達に黙って人の世界を散歩して」



 両手を広げると、その胸に飛び込んで頭をこすり付けてくる。

 自由をこよなく愛する守護獣は、今日も自由にのびのびと人の世界を探索していたようだ。

 翔の頬を何度か舐めた後、あっちに行ってみたいと尾で方角を差した。その方角は商店街がある。


 つまるところ、デートをして欲しいらしい。

 少しくらい良いでしょうと言わんばかりに学ランを食んで優しく引いてくるギンコの我が儘に眦を和らげ、「約束だもんな」平和になったら色んなところを見せると約束した。なら、約束は果たさなければ。


 けれど狐の容姿体毛はかなり目立つ。

 翔は学ランの上衣を脱ぐと、ギンコにかぶせ、狐だとばれないようにする。

 これでいいだろう。しっかり体を抱いてやると、「この子は本当に君のことが好きなんだね」妖祓の自分達に見向きもしない。警戒心を持つべき相手なのに。朔夜が苦笑してギンコの顔を覗き込もうとする。

 すると銀狐がツンとそっぽ向いてしまった。「可愛くなーい」飛鳥が不満げに鼻を鳴らせば、ギンコが低く唸る。


「わっ、この子! また私を敵視してっ、可愛くない狐!」


 クオンクオンクオン! ギンコが大きく鳴く。

 何を言ったかは分からないが、さしずめ飛鳥の悪口だろう。


「今、私のことブスって言ったでしょう? そうでしょう?!」


「え、飛鳥。ギンコの言葉、分かるのか?」


「わかんないけど女の勘! うぇーだっ、私の方が脚が長いですよー!」


「……君ね。狐の脚と張り合ってどうするの?」


 朔夜のツッコミもなんのその。

 自分の方が脚が長いと主張し、飛鳥はギンコと張り合う。

 「それにね」ショウくんは私のことが好きなんだから! 彼女の余計な一言により、翔にまで飛び火する始末。


 長年思われてきたのだと自慢する飛鳥だが、それがどうしたと言わんばかりにギンコは尾で相手を払うと、その長い尾を伸ばして器用に翔のスラックスのポケットへ。スマホを取り出すと、賢い狐は鼻先で暗記している暗証番号を入力。勝手にスマホを起動させ、フォルダを呼び出して沢山の写メを飛鳥に見せ付けた。

 自分だってこんなに思われているのだと得意げに鳴く銀狐は、貴方の写メはないようだけど? と相手を見下す。

 わなわなと震えたのは飛鳥だった。「ほんっとに可愛くない!」何この妖狐! 今すぐにでも祓ってあげたいんだけど! 金切り声を上げ、両手で拳を作る。


「ショウくん、今からデートしよう! 卒業の思い出に! オツネちゃんより良い思い出を作ってあげる!」


「は、はあ? お前、何言って。飛鳥は朔夜が」


「今はショウくん! 今だけショウくん!」


 だけ、というのが妙に棘として胸に突き刺さる翔である。

 「そんなこと言っても」耳を出して困り果てていると、クーン……蚊の鳴くような声が腕の中から聞こえてきた。視線をギンコに向けると首を少し傾げ、ジッと見つめてくる。眼は訴えてくる。自分とデートをしてくれるよね? と。

 ギンコばかの翔に衝撃が走った。その目は反則である反則である反則すぎる。


 次の瞬間、後頭部に拳骨が飛んできた。あまりの痛さに目から星が飛び出してしまう。

 前のりになりかけた体をどうにか踏ん張って首を捻ると、「ショウくんのスケコマシ!」飛鳥から理不尽な怒りを向けられる。なんで自分がスケコマシなのだと反論するものの、拳が再び振り下ろされたため、翔はギンコを腕に抱いたまま急いで彼女から逃げる。



 「狐と私。どっちが大切なの!」「はあ?!」「ねえ!」「どうしてそうなるんだよ!」「狐に負けるなんて癪だもん!」「馬鹿だろお前!」「馬鹿じゃない!」「俺も狐だしっ」「狐を取るの?」「ぎ、ギンコ可愛いし」「さ、サイッテー!」「お前は朔夜くん派だろ!」「うるさーい!」



「まったく。二人の騒がしさは相変わらずだな……もし、二人が同種族なら付き合っていただろうね。遅かれ早かれ。これは僕の勘だけど、二人はきっと」



 傍観に回っている朔夜の独り言は翔の耳には届かず、ただただ飛鳥から逃げ回っていた。


 一頻り鬼ごっこを堪能した後、翔は今度こそ二人と別れる。

 特別な別れの言葉は手向けなかった。いつものように他愛もないやり取りを交わし、彼等と別の道を歩む。別れの際、朔夜が翔にこう告げてきてくれた。今年こそ花見をしよう、と。

 自然と零れる笑顔を二人に見せず、片手を挙げてその日を楽しみにしている、と態度で示した。


 幼馴染達と別れた後、翔はギンコを抱いたまま喧騒に満ち溢れた大通りを歩く。

 意味深長に見上げてくる銀狐と視線を合わせ、「大丈夫だよ」あいつ等と別々の道を歩もうとも、もう自分は寂しくない。異種族である自分の傍にいてくれる二人の気持ちを知っているから。

 心配してくれる銀狐の頭を撫で、大丈夫だと繰り返す。寂しくなっても傍にギンコ達がいるのだ。きっと乗り越えていける。


「比良利さんが言っていた。妖は人間にとって夢であり、幻のような存在だって。それだけ寿命の長い生き物。俺はいつか、あいつ等を思い出として向き合う日が来る。面影も声もぬくもりを忘れてしまうんだと思う」


 そう思うと寂しいけれど、これは仕方がないこと。

 生きとし生ける者はいずれ命を沈ませる。人間はその命が妖よりも短いだけだ。いずれ訪れる未来を脳裏に描きながらも、自分は神主の道を貫くのだろう。揺るぎない自信があった。



 ぶらりぶらりとギンコと散歩を楽しみ、日が暮れ始めた頃に妖の社へ帰宅する。

 無償で妖達が修繕してくれたおかげで、月輪の社は見違えるほど綺麗に整備されていた。

 まだ青葉は寝ているようで、ギンコのお忍びには気付いていないようだ。良かった、気付かれていたら喧嘩を起こしていたことだろう。


 ホッと胸を撫で下ろし、翔はギンコを参道の石畳上におろす。

 デートができたことにすこぶるご満悦している銀狐に一笑すると、「そうだ」翔は持っていた学ランの上衣からボタンを引き千切り、ギンコに差し出した。うんっと首を傾げる銀狐にやるよ、と微笑んだ。


「お前の持っているコート、もうボロボロだろう? 最初からずたずたに裂かれていたし、もう寿命だろうから」


 それにこれは特別な衣、人の世界で過ごした自分の大切な思い出の品だ。

 このまま自分が持っていても良いのだけれど、折角なら大好きな人に贈与したい。だからギンコに受け取って欲しい。自分はギンコが大好きだから。

 歯茎を見せて笑顔を作ると瞳に光を宿したギンコがぴょんぴょんと飛び跳ね、尾を千切れんばかりに振りながら学ランを口に銜えた。今日からこれを使って寝ると言わんばかりに参道を駆け回り、喜びを体全体で表現した。


 ギンコも知っているのだ。

 翔にとって学ランが本当に大切な思い出の品だということを。

 それを貰えたことが本当に嬉しかったようで、クンクンと鳴きながら本殿の方へ行ってしまった。「先に部屋に行っているからな」笑声を零しながら翔は引き千切った第二ボタンを宙に投げ、素早く手の平で受け止める。


 学ランの上衣はギンコに贈った。

 残りはボタンだ。これを渡す相手はもう決まっている。一時は恋心を寄せていた相手に渡そうと思ったが、それは今の自分には不適切。贈りたい相手は彼女ではなく、愛すべき家族だ。


 土間に入った翔は、洗顔をしている青葉を見つけ、丁度良かったと彼女に声を掛ける。


 手ぬぐいで顔を拭う彼女にボタンを差し出す。

 きょとん顔を作る青葉に第二ボタンの意味を簡単に教え、是非受け取って欲しいと願い申し出る。それだけ青葉は大切な存在なのだと率直に伝えた。南の巫女はそっとハニカミ、華奢な腕を持ち上げてボタンを受け取ってくれた。


「今日は卒業式という式があったのでしたね。おめでとうございます。これはありがたく頂戴しますね」


「どうにか高校は卒業できたよ。今度は本幕の就任式だ。本殿や拝殿はすっかり綺麗になった。これなら立派な就任式を迎えられそうだよ」


「ええ。後は家屋を憩殿にできたら良いのですが……なにぶん、此方は私的な場所として使用としていますから無償で改装して頂くわけにはいけませんし」


 すべてを綺麗にして、新たな気持ちで出発したいと口ごもる青葉。

 しかし、そのためには費用と仮住まいが必要だと唸る。費用は先代達が残している貯蓄でどうにかなりそうだが、仮住まいとなると……思い悩む青葉に、「なんだ。それならそうと早く言ってくれよ」一緒に考えるのに、翔は即座に物申した。


「此処を改装したいんだろう? 相談してくれよ。俺も一緒に考えるからさ。もうひとりで社を守るんじゃない。皆で守るんだから」


「ですが、翔殿は神主修行がありますし」


「それはそれ、これはこれだよ。やりたいことがあるなら言ってくれないと。よし、早速朝食を作りながら話し合うか。俺、飯を炊くから」


 カッターシャツを捲くり、かまどに向かう。

 頃合を見からったようにのそりのそりと台所の壁の穴から旧鼠七兄弟が出てきた。

 大あくびを零す子供達は翔の姿を見るや否や、嬉しそうに鳴いて駆け寄って来る。抱っこして、遊んで、構ってと諸手を伸ばす旧鼠達に笑い、「今から朝食を作るから」お前等、手伝えよ。しゃがんで一匹ずつ頭を撫でる。


「兄ちゃん、土産を買ってきているんだ。おやつに食おうな」


 おやつに反応した子供達に、「手伝ってくれた良い子には多くあげるぞ」と人差し指を立てた。

 単純な子供達は頑張ると尾を立て、まずは顔を洗ってくると炊事場に向かい、桶に溜まった水で顔を洗い始める。

 可愛い七兄弟に頬を崩していると、「すっかり兄ですね」青葉がからかってくる。「青葉は母だろ?」仕返しにからかってやると、軽く腕を叩かれた。一本とったようだ。


「あ、そういえばまだ、おばば様を起こしていませぬ。火鉢の用意もしておかなければ」


「なら俺が行くよ。おばばは寒がりだから、火を熾しておかないと機嫌も悪くなるしな」


 子供達を青葉に任せ、足軽に家の中に入る。

 早足で廊下を通り、居間に飛び込んで火鉢に火を点す。次いで、おばばの眠る部屋へ。

 祖母は青葉の部屋で寝ているのだが、驚いたことに猫又は部屋の前の縁側で夕陽を眺めていた。

 寒がりのくせに、身を丸めて無防備に空を仰いでいるおばばに思わず苦笑。声を掛ける前に猫又の体を腕に抱き、「何しているんだ?」こんなところで黄昏いると体が冷え切ってしまう。もう歳なんだから体は労わらないと、相手にそっと注意を促す。


『坊やには言われたくないねぇ』


 くぐもった笑声を零すおばばは、どことなくもの寂しそうだった。

 どうしたのだ? 顔を覗き込むと、旦那の夢を見たのだと猫又はしゃがれた声で鳴く。


 旦那を失い、早440年。月日はあっという間だ。

 子供を、孫を、曾孫を、仲間を次から次に失い、どれほど経つのだろう。


 ただの猫だった彼等に対し、自分は妖の化け猫。いつも誰かを見送る側だった。それが妙に切ないのだとおばばは苦笑する。

 ただの猫だったらどんなに良かったことだろうか、おばばの弱弱しい本音に瞠目。すぐに目を細めると、「なら俺のばあちゃんになれなかったよ」おばばが長生きをしてくれなかったら、自分は目前の猫又に出逢えなかった。そう言って優しく体を撫でる。


「おばばは種族隔たりなく、誰かのばあちゃんになって子供を支える天命を授かったんだと思うよ。きっとおばばが妖になったことにも意味がある」


『そうだねぇ。それは分かっているのだけれど』


「これからもおばばは長生きするんだ。俺達と共に月輪の社を見守って、時に馬鹿なことをする子供達を叱って、正しい道に導いて。最期はあったかい布団の上で俺や青葉、ギンコに看取られる。おばばのことは俺が見送ってやるよ」


 それが孫にできる、祖母への恩返しなのだから。

 だから不安にならなくて良い。妖狐の寿命は猫又以上。おばばはいずれ自分達に看取られる、見送られる、送り出されるのだ。

 「それまで傍にいてくれよ」おばばも大切な家族なのだから。人の子だった自分にも慈悲を向けてくれた祖母を大切にしたいと翔。不甲斐ないことに涙声になってしまった。おばばのいない未来を考えてしまったからだろうか?


 すると猫又がようやく本調子を取り戻し、『約束だよ坊や』わたしよりもうんっと長生きするんだよ。そう言って優しく鳴く。



『それまでおばばも精一杯、長生きをして子供達の世話に明け暮れるとするよ。すまないねぇ、坊やを泣かせるつもりはなかったのだけれど』


「本当だよ。この孫泣かせ」


『おや、否定はしないのかい? てっきり否定すると思ったんだけどねぇ』


「おばばの前じゃ嘘は通じないんだ。なんたって俺のばっちゃんだから」



 『そうかい』「そーだよ」肩を竦めると、おばばを抱えなおして居間に向かう。縁側は冷える。早く火鉢の前に移動させてやらないと。



『坊や。神主になっても無茶だけはしちゃ駄目だよ』


「うん。頑張り過ぎない」


『ちゃんと食事と睡眠と遊びを取って。それから』


「おばば、そこまで俺、子供か?」


『坊やも坊やだよ。比良利にも口酸っぱく言っておくからねぇ。神主になっても食事と睡眠と遊びを取らせるように』


「わ、分かったからっ! お願いだから公の場でそれを言わないでくれよ! 聞いているこっちは恥ずかしいんだぞ。ほんと」


『そういえば今日は卒業式だったんだろう? どうだったんだい?』


「ん? ちょっと寂しい気持ちになったけど、今までの生活に一区切りついてホッとした。不思議なことに、幼馴染のあいつ等と別々の道を歩むこれからの未来に恐怖を抱かないんだよ。何処にいてもあいつ等と繋がっていると知ったからかな、おばば――」




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